ケンタウロスとの付き合い方
闘技大会の翌日、本戦参加者は揃って総督府にいた。
襲撃騒ぎの後、エリン率いる第二軍団の兵に囲まれて有無を言わさず総督府に招待され、そのまま一晩留め置かれたのである。牢獄ではなく居心地の良い部屋に通され、立派な食事も用意されたが、拘束されていることに変わりはない。ただ、総督から今回の件について話があると聞かされ、彼らは素直に従っていた。
「やっぱり、あの娘、いないなぁ」
朝食後、案内された広間でパエラは周りを見回した。
「あぁ、あの妲己という娘か?」
応じたウェルスに、パエラは少し怒ったように言う。
「そう。戦いが終わった途端にさっさと出て行っちゃって…一緒に戦ってたんだから、一言くらいあってもいいのに」
「俺も見てないな…まぁ、軍団長もいないし、魔族と人間は別にされているのかもしれないな」
「あの娘、絶対に人間じゃないよ!指先から炎出すし、あたしの怪我も一瞬で治してみせたし」
「ほぅ、そんなことしたのか」
「疑わないのね」
少し意外そうなパエラに、ウェルスはむすりとした口調で応じる。
「あぁ、あの嬢ちゃんならやりかねん。あの小さな体で、俺を蹴り飛ばすんだぞ。どう考えてもおかしいだろう?」
そこに、カチャリとドアが開いてエリンが入ってきた。
「お待たせした。まもなく総督が来られる。無礼のないようにしてほしい」
しばらくして広間に入ってきたのは、闘技大会の時と同じく、頭からベールを被り赤い縁取りのローブを着たリネア、帝国兵の格好をしたフィル、そしてテミスだった。
「皆さま、昨日は闘技大会に続き、突然の襲撃者の討伐までお手伝い頂き、本当にお疲れ様でした」
リネアがそう言って頭を下げた。そして、ベールを脱ぐ。ベールの下から出てきた狐耳に、シャウラが驚きの声を上げる。
「あんたは、あの時の…!」
「はい、私は総督の側付侍女を務めております、リネアと申します。ご覧のとおり狐人族です」
「昨日、貴賓席に座ってたのは、あんただったのかい?」
「はい。総督からの言い付けで、代役を務めさせて頂きました。襲撃の際は守って頂いてありがとうございました」
にこりと笑ったリネアは、フィルに軽く頭を下げて後ろに下がる。
そして、フィルが前に出て兜を脱いだ。パラリと零れた金髪が肩にかかる。
「わたしはフィル・ユリス・エルフォリア。サエイレム総督です。昨日の闘技大会には、妲己の名で参加させて頂きました」
ざわりと驚きが広がる。誰も、何と言っていいかわからず、互いに顔を見合わせるばかり。
「すぐには信じられないと思いますが、色々とお話ししたいことがあります。まずはお座りください。」
広間の床には分厚い絨毯が敷かれており、フィルたちはその上に直接腰を下ろす。ケンタウロス、ラミア、キュクロプス、アラクネと、狼人のウェルス以外は椅子に座れない種族ばかりなので、テミスの意見を取り入れてみた。
「昨日は、闘技場に進入した賊と戦って頂いてありがとうございました。おかげで、速やかに排除することができました。お礼申し上げます」
「わざとらしい挨拶は止めようぜ。俺としちゃ、まず聞きたいことがあるんだが」
ウェルスがじろりとフィルを睨む。
「…どうぞ」
「賊を排除したのは俺たちじゃない。突然現れた大きな狐が、あっと言う間にオルトロスも刺客も焼き払った。俺には、あんたが狐に変わったように見えたんだが?」
ウェルスは少し緊張した声でフィルに問う。目の前に座る総督が本当にあの狐の正体だとしたら、それは秘密にすべきことのはずだ。それを『見た』と言えば口封じされるかもしれない…だが、聞かずにはいられなかった。
「そのとおりです」
あっさり認めたフィルは、狐耳と尻尾を生やして見せた。すでに大狐の姿を見ている面々は、そう驚きはしなかったが、総督という立場の人間が獣に姿を変えるという事実にどう反応していいものか、戸惑いの表情を浮かべる。
そして、フィルは自分にこれまで起こったことをかいつまんで説明した。サエイレムへ来る途中に襲撃されたこと、九尾と出会い、食べられ、その力を得たこと…。そして、その時に九尾の意識の中にいた妲己と玉藻が、共にフィルの中に宿ったこと。
「闘技大会の間は、わたしの中にいる妲己に身体を貸して、代わりに戦ってもらいました。彼女の強さはわかってもらえたと思います。ただ、わたし自身はあんな風には戦えません」
さらりと言うフィルに、妲己に負けたパエラ、ラロス、ウェルスが微妙な表情になった。
「総督ってのは、権力と金にものをいわせて好き放題に暮らしてるものと思ってたが、襲われたり、人間辞めたり、なかなか大変なんだな」
ウェルスが少し同情気味に言う。
「…昨日の賊は、姫さんを狙ってたんだろう?一体何者だ。獣人に見えたが、この街の種族じゃなかった」
「姫さん?」
首をかしげるフィル。
「姫さんはテミスのお嬢の主だろ?お嬢の上なら姫さんじゃないか?」
フィルは、あまりにも当たり前のように言うウェルスに、クスッと笑った。
「…まぁ、いいわ。姫さんで」
そして、真剣な表情になる。
「昨日の連中は人間でした。魔族の仕業にみせかけるために、わざわざ耳と尻尾を着けて細工していました」
「人間があんな魔獣を持ち込んだってのか」
「帝国本国の闘技場では、魔獣と剣闘士を戦わせるイベントも行われています。戦争の間に何度も魔獣狩りが行われて、それなりの数の魔獣が本国に送られました。おそらく、そのうちの1頭だと思います」
「でも、賊がそう簡単に手に入れられるものじゃないだろう」
「もちろん。捕らえた者から聞き出した話では、連中は暗殺を得意とする傭兵団でした。大金で雇われ、総督を殺すように命じられたと。魔獣もきっと雇い主が用意したはず。魔獣を横流しできるような地位にいる人間が絡んでいるのは確かでしょう」
「じゃ、姫さんを殺そうとしたのは、帝国の偉いさんってことか」
「おそらくは。……わたしみたいな小娘のことなんか、放っておいてくれればいいのに…」
思わず愚痴を漏らし、本気で嫌そうな表情を浮かべたフィルに、ウェルスは軽く肩をすくめる。
「仕返しに本国に喧嘩でも売るかい?」
「そんな面倒くさいことしません。だけど、わたしのものに手を出してくるなら、その時は容赦しないつもりです」
「おっかねぇ姫さんだな」
言いながら、ウェルスは面白そうにフィルを見つめた。
「さて…」
フィルは、並んで座っているケンタウロスの兄妹に視線を向ける。
「ケンタウロス族のお二人には、せっかくの魔王国からお越し下さったのに、ご迷惑をおかけしました」
「…フィル殿、とお呼びしてよろしいか?」
ケンタウロスのラロスが口を開いた。
「はい。…貴方はラロス殿でしたね。ケンタウロス族の戦士とお目にかかれて光栄です」
「何を言う。こちらこそ、帝国にあなたのような戦士がいたことに驚いた。…いや、戦ったのはフィル殿ではなく妲己殿だったか…まずは我の方からお尋ねしたいことがある」
「何でしょうか?」
ラロスは、少し目を細める。
「妲己殿は、戦いの最中に『ケンタウロス族と敵対するつもりはない』と申された。それはあなたの意思なのか?」
「そのとおりです。わたしはケンタウロス族とは敵対を望みません。ラロス殿には、それをぜひケンタウロス族の皆様に伝えてほしいと思っています」
フィルはラロスを見つめて微笑んでいる。
「フィル殿は、我らがどうしてこの街に来たのかご存じか?」
「いいえ。でも、ラロス殿たちが最近になってサエイレムに現れたことは知っています。だから、只の流れ者ではないと思いました」
「なぜ、そう思われる?」
「戦争が終わってから、国境の主な街道は我が第一軍団が監視しています。見つからずに魔王国側からサエイレムに来るには、通りにくい間道を通って来るしかない。それに人間の国になったサエイレムでは、魔族がどう扱われるのかわからない。そんな状況では、流れ者はまず敬遠して様子を見るでしょう。今この時期にわざわざサエイレムに入ってくる魔族がいるなら、きっと何か目的がある、…簡単な推測です」
ラロスは、ふっと笑みを浮かべた。
「ご明察だ。こちらも正直にお話せねばなるまい」
「兄様、それは…!」
ロノメが慌てて声を上げる。
「いいんだ。フィル殿は、我々に隠すことなく正体を明かされた。こちらも正直にならねば、ケンタウロス族は礼節をわきまえぬ種族と侮られる」
フィルは、黙ってラロスの話を待つ。
「我はケンタウロス族族長、ウルスの子の一人だ。こちらのロノメは我の妹だ」
兄に紹介され、ロノメも小さく頭を下げる。
「名のある戦士とは思っていましたが、まさか族長の一族とは」
「族長を継ぐのは長兄だから、我はそう高い立場ではない。この街に来たのは、新しい総督が魔族をどう扱うのか、確認するためだった」
「魔族を奴隷にするかもしれない、と?」
ラロスは頷く。そう思うのも当然だろう。帝国ではそれが魔族に対する普通の扱いなのだから。
「罪を犯した者は奴隷になってもらうこともあります。でも、真っ当に生きている者にそんなことはしないし、させません」
「魔族にも仕事を与えていると聞いた」
「違います。仕事を与えているのではなく、街のために必要な事業を起こして、そこで働いてもらってるのです。強制労働ではないのですから、人間でも魔族でも、働いた分に見合う給料を支払うのは当然のことでしょう?」
ラロスは笑みを浮かべ、ロノメは戸惑ったように兄を見た。
「わたし、何かおかしいこと言いましたか?」
「いや、当たり前のことだと思う。しかし、その当たり前のことを、これまで帝国人から聞いたことがなかったのでな」
「そうですね。帝国人なのに、帝国から命を狙われて、ケンタウロスから認めてもらうなんて、ちょっと複雑です…いっそ魔王国に寝返ろうかしら?」
「フィル様、不穏当な発言はお慎みください」
テミスが小声でたしなめる。
「…寝返るのは冗談ですが、ケンタウロス族とは仲良くしたいと思います。これはわたしの本心です」
「なるほど、フィル殿の考えを聞かせてもらおう」
フィルは笑みを消し、姿勢を正す。
「わたしは、サエイレムとケンタウロス族との間で友好関係を結びたい。帝国の味方になれというつもりはありません。隣国として対等に付き合い、交易もできればいいと思っています」
「ふむ」
ラロスは軽くを顎を撫でた。
「単なるきれい事ではないのだろう?ケンタウロス族に何を期待している?」
フィルは、少し黙り込む。そして、仕方なさそうに頷いた。
「選手交代します。詳しい話は、わたしの代わりに玉藻から聞いてください」
フィルは目を閉じると、玉藻に意識を明け渡した。再び開いた瞳の色は紅から黒に変わっている。
「麿は玉藻という。九尾とともにフィルに宿った者じゃ。よろしゅう頼む。人馬の戦士よ」
玉藻は、軽く目を細めて口角を上げる。
「これは、…なるほど、妲己ともフィル殿とも違う。目に見える姿は変わらぬのに、これほどまでに違う気配を発するとは、驚いた」
ラロスは、感心したように玉藻を見やる。
「さて、何ゆえにケンタウロスとの友誼を結びたいか、そういう話じゃったな」
「そうだ」
「幾つか理由はあるが、大きくは二つ。国境警備の負担を減らす、そして交易販路の拡大じゃな」
玉藻は二本の指を立てて、顔の前でひらひらさせる。
「戦争の結果、サエイレム領とケンタウロス領の境界が、そのまま帝国と魔王国の国境になった。当然、国境警備には兵力を取られ、費用もかかる。サエイレムにとってはかなり重い負担なのじゃ」
困った表情で玉藻は腕を組む。
「それはそちらの都合ではないか?」
「そうじゃな。お互いに警備の負担を減らせるなら取引もできるが、魔王国は取られたら取り返せばいいという感覚じゃから、平時の警備などしておらん。警備が重荷なのは帝国だけの事情なのが悔しいところじゃ」
ラロスの指摘をあっさりと玉藻は認めた。
「だがな、サエイレムと良い関係を結べば、そちらにも利はあるぞ。それが交易じゃ」
「交易…互いに物の売り買いをしようというのか?」
「そうじゃ。サエイレムは、今後サエイレム港を利用した舟運と交易で街を発展させる。南方と帝国本国を安全に結ぶ交易路の中継点じゃからな。もし、ケンタウロス族からも珍しい商品が手に入れられるなら、より商売の幅が広がる。逆に帝国領内や南方からやってくる品々をケンタウロス族に流すこともできる」
「ケンタウロス族はさほど大きな種族ではない。商売と言ってもたかが知れているぞ」
玉藻は呆れたように肩をすくめる。
「族長の一族であるなら、もっと視野を広く持たぬか。ケンタウロス族は魔王国内で孤立しているわけではあるまい。サエイレムとケンタウロス族の間で交易が始まれば、それを接点として帝国内の流通と魔王国内の流通が繋がる。帝国からの商品はケンタウロス族を通じて魔王国側へと流れ、魔王国からの商品はサエイレムを通じて帝国側に流れるというわけじゃ」
「我らにサエイレムと魔王国の仲立ちをしろというのか」
「ケンタウロス族が武を誇る種族なのは承知しておる。じゃが、魔王国にもケンタウロス族にも損になる話ではあるまい。民の暮らしを豊かにすることは恥ずべきことではないはずだ」
ケンタウロス族の生活は、狩猟と採集、あとは牧畜で糧を得ている。狩猟で得た毛皮や牧畜で得た羊毛、乳製品などと交換で他の種族から農産物などを得ているが、お世辞にも豊かとは言えない。牧草の育ちが悪かったり、猟の獲物が少ない年には餓死者が出ることすらある。ラロスや父の族長とて、今のままで良いとは思っていなかった。
「申し出は承った。我の一存では判断できない。戻って長に伝える」
「よしなに頼む。良い返事を期待している」
玉藻は床に手を付いて頭を下げた。
次回予定「人材確保」




