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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第1章 サエイレムの新総督
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魔獣の襲撃

 決勝戦の試合終了を告げるドラムに、リネアはホッと胸をなで下ろし、嬉しそうに笑った。

「勝ちました!妲己様の優勝です!」

 リネアが見つめるアリーナには、立ち上がるウェルスに手を貸している妲己の姿があった。

「あぁ、さすがだ。私ももっと稽古をつけてもらわないといけないな」

 エリンは腕組みして、勝つのは当然というようにウムウムと頷いている。

「さぁ、閉会式で正体を明かして頂きます。私達もアリーナに降りましょう」

 予定どおり妲己の優勝が決まり、テミスも安心したように微笑んでいる。


 リネアたちが貴賓席の脇に設けられた専用の階段を使ってアリーナに降りると、エリン以外の本戦参加者がすでに貴賓席前に集まっていた。

 エリンも、総督に扮しているリネアに一礼すると、参加者の列に混じる。

「エリン、戦えるようにしておきなさい」

 すれ違う瞬間、妲己がエリンに短く囁き、エリンは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに頷いた。


「テミス様ーっ!」

 準備が整い、閉会の式典が始まろうとした瞬間、貴賓席から飛び降りてきた者がいた。ハルピュイアのイネスだ。

 慣れない地上の歩きに加え、通路で迷ってしまったため、ようやく貴賓席に着いた時には誰もいない。慌てて探すと、すでにテミスはアリーナにいるではないか。つい、いつものように飛び出してしまったのである。

 イネスは翼を広げてテミスの側に着地する。テミスは厳しい表情を隠さずイネスに問うた。

「イネス、これはどういうことですか!ここでは空から来てはいけないと言いつけたはずですが」

「も、申し訳ありません。しかし…!」

 イネスは、テミスの剣幕に身をすくませたが、それでも顔を上げて訴えた。

「不審な馬車が地下に入っていくのを見たんです。衛兵に尋ねると、総督府の指示で参加者や警備の兵に食事をさせるための食材を持ってきたと言うことでしたが、そんな話は聞いておりません。…それで、おかしいと思って…」

「えっ?!」

 テミスは、グラムに目を向ける。しかしグラムも黙って首を振った。テミスも知らない、グラムも知らないとなれば、総督府の指示ではない。

「全員!戦いに備えよ!来るぞ」

 叫んだのは妲己だった。大刀を構えて、貴賓席の正面にあるゲートを睨む。

 ウォォォッ!

 咆哮が響いた。そこには体長5mにも達する、巨大な双頭の黒犬がいた。


「魔獣オルトロス…あんな奴がどうしてここに…イネス、闘技場の周りを警備している衛兵にこのことを伝え、ゲートを閉鎖させなさい。あいつを街に出してはいけません!」

「はいっ!テミス様」

 バサリと翼を一振りして、イネスが舞い上がる。  


「リネアさんとグラム様は早く避難を!」

「いかん、遅かったようだ」

 先ほど通ってきた貴賓席の階段から、黒マントに身を包んだ一団が駆け下りてきた。その数10。頭には獣耳があり、マントの裾からは獣の尻尾が覗いている。その手には、剣やクロスボウが握られていた。

 咄嗟にテミスがグラムとリネアを蛇体の影に隠す。


「エリン、魔獣は任せる!足止めだけでもいい!」

 飛び出したのは妲己だ。10人の刺客相手に大刀を構えて立ちはだかる。

「リネア、そこを動かないで。あなたに何かあったら、フィルが泣く!」

 後ろにいるリネアに言うと、妲己は大刀を振りかざして刺客たちの中に踊り込んだ。


「衛兵は持ち場を動かず、観客席の警備を続けよ!」

 グラムが大声で指示する。1万の観衆が我先にと避難すれば大変なことになる。敵の目標はおそらく総督。ならば、ここにいる者で応戦した方が混乱が少ない。闘技大会の本戦まで勝ち残る者たちだ。戦力として当てに出来るだろう。


「よし、あの魔獣は私達がやるぞ。協力してほしい」

 エリンが、大刀を構えて言うと、ケンタウロスの兄妹とウェルス、ゴルガムが頷く。 


「パエラ、貴女はこちらを手伝って!妾が殴り倒すから、網で捕獲してちょうだい」

 妲己の声に、パエラは身軽に跳ねて妲己の後ろに付く。すでに自らの糸で編んだ投網を手にしている。

「仕方ないから手伝ってあげるわ」

 言いながらもパエラの顔は楽しげだ。


 テミスは、自らの蛇体をリネアとグラムの盾にしながら、シャウラを呼び寄せる。

「シャウラ、貴女はこちらで二人の警護を!」

「はっ!」    

 シャウラは素早く身体をくねらせ、テミスと背中合わせの位置に移動する。二人の間にリネアとグラムが挟まれている状態だ。


 ダッと駆け出したオルトロスの前に、エリン、ゴルガム、ウェルスが立ちはだかる。両側面にケンタウロスのラロスとロノメ。そして、一斉に斬りかかった。

 オルトロスは勢いを緩めず、前足で前の3人を薙ぎ払う。しかし、ゴルガムとウェルスは、逆にそれぞれの武器、巨大な戦槌と大剣をオルトロスの足に叩きつけた。エリンは大刀を振るい、オルトロスの首元を切り裂く。

 ラロスは両手の短刀で後ろ足に切りつける。切り落とすのは難しいが、腱を切ってしまえば足が使い物にならなくなる。そしてロノメは脇腹に槍を突き刺していた。

「ウォォォン!」

 オルトロスが身をよじらせる。しかし、厚い毛皮と筋肉に阻まれ、どの攻撃も深くは入っていない。オルトロスは鋭い牙をむき出しにしてキュクロプスのゴルガムに噛みつこうとする。戦槌で防御しつつ後退しようとしたゴルガムの太腿を、矢がかすめた。 

「ぐっ!」

 ゴルガムは顔をしかめて矢が飛んできた方向に目を向ける。

 貴賓席の方と同じ黒いマントに身を包んだ一団が、オルトロスが出てきたゲートから駆け出してくるところだった。

「くそ、挟み撃ちか!どこの種族だ?!」

 ウェルスが忌々し気に叫んだ。獣人に見えるが、サエイレムに住む種族ではない。

「うらららららぁ!」

 独特の雄叫びを上げてラロスが刺客たちに向けて突進する。

「兄様、私も!」

 ロノメも槍を振りかざして駆け出した。騎馬突撃は武器よりもその速度と重量こそが最大の攻撃力だ。突っ込んでくるラロスとロノメを刺客たちは身軽に回避するが、おかげで陣形は大きく乱れ、クロスボウの射撃も止む。

 しかし、その隙にオルトロスが再び走り出した。狙いはテミスとシャウラが守る総督、つまりリネアだ。

「行かせるか!」

 エリンが跳躍してオルトロスの脇腹に大刀を突き刺す。刀身の半ばまで突き立てる事に成功するが、暴れるオルトロスに振り回され、抜けた大刀を握ったまま飛ばされて地面に転がった。

「くそ…」

 ウェルスが歯噛みする。相手が多い。せめてオルトロスか刺客のどちらかだけであれば勝機もあるが、両方を一度に相手取るのはさすがに苦しい。

 ちらり後ろを見ると、貴賓席の足下では妲己が10人の刺客相手に大刀を振り回していた。


「せいっ!」

 妲己の大刀がブンッと音を立てて振り回され、刺客の一人が脇腹を強かに打ち据えられ、弾き飛ばされた。

 すかさずパエラが投網をかぶせて動きを封じる。この連携ですでに5人を行動不能にしているが、さすがに同じ手がいつまでも通用するわけはなく、刺客たちは妲己との接近戦を避けてクロスボウによる遠距離攻撃に切り替えた。

 それに、妲己ではなく、総督の衣装を着たリネアが集中的に狙われている。

 妲己は、後ろに跳んでリネア達を背に庇うと、飛んでくる矢を大刀で弾く。そして、矢の装填の隙を突いて、また一人を殴り倒した。

 だが、刺客たちは妲己が相手をしているこちら側だけでなく、反対側にもいる。オルトロスと刺客の両方を相手に、エリンたちも苦戦しているようだ。

 早くこっちを片付けないと…さすがの妲己も少し焦りを感じ、多少強引に刺客たちの中へと切り込んだ。だが、1人を殴り倒している間に、クロスボウの装填を終えた3人が一斉にリネアに向けて矢を放った。

「しまった!」

 妲己は咄嗟に跳躍して一本を叩き落す。もう一本はテミスの蛇体をかすり、硬い鱗に弾かれる。しかし、最後の一本がリネアの右肩に突き刺さった。


「きゃっ!」

 短い悲鳴を上げて倒れたリネア、その服が見る見るうちに赤く染まっていく。

 慌ててリネアに駆け寄る妲己の頭の中に、フィルの声が響いた。

(妲己、代わって)

 低い、怒りに満ちた声だった。

(フィル、落ち着きなさい。命に関わる傷じゃないわ。九尾の力で治癒すれば傷跡一つなく治せるから)

(いいから、代わってよ!)

 フィルは強引に妲己から身体の支配を取り戻す。瞳の色が金から紅に変わっていく。

「リネア!」

 リネアは、肩を押さえて痛みに震えていた。

「フィル様?すいません。私、足手まといになってしまって…」

 リネアの様子に、フィルの怒りは瞬時に沸点を超える。 

「すぐに終わらせるからね。リネアを傷つけた奴らは絶対に許さない!殺してやる!」

「フィル様!」

 狂気じみた怒りをむき出しにしたフィルの様子に、リネアは慌ててフィルに手を伸ばすが、その手は届かない。

 フィルは、九尾の姿へと変身した。9本の尾をなびかせた金色の大妖狐の出現に、敵味方ともに呆気にとられる。そして、リネアに矢を射た刺客の目の前に一瞬で跳躍すると、無造作に前足を振るった。刺客の身体が上半身と下半身に分断され、血と内臓を撒き散らして地面に転がる。

「なっ、なんだ、こいつは?!」

 斬りかかった刺客が撥ね飛ばされる。地面に叩きつけられる前に、すでに首と背骨があらぬ方向に折れ曲がっていた。

 ほんの数秒の間に、最初に行動不能にした者以外、刺客全員が骸となって地面に転がっていた。切り裂かれ、折り曲げられ、踏み潰され…九尾の美しい毛並みが返り血に染まっている。

 フィルは、ゆっくりと向きを変え、オルトロスを睨み付けた。

(全員、下がってなさい。わたしがやる)

 エリン達の頭の中に、フィルの声が響いた。

 九尾の身体の上に、数十もの青白い狐火が浮かぶ。

 オルトロスは、野獣の感覚で危険に気付いたのか、焦ったように後ろへ跳んだ。だが、狐火は細く絞られた炎の矢に姿を変えると、一斉にオルトロスの身体に降り注ぎ、分厚い毛皮を貫通して深々と突き刺さった。そして、オルトロスは全身から炎を上げて燃え上がり青い火柱と化す。

「…化け物…」

 オルトロスの側にいた刺客たちが、じりじりとゲートの方へと後ずさっていく。

「逃がさない。全員殺す!」

 再び大量の狐火が生まれ、青白い炎の矢が解き放たれた。たちまちのうちに刺客の人数分の火柱が立ち、ぐしゃりと崩れ落ちる。そしてすぐに跡形もなく燃え尽きた。

 フィルは先ほど殺した刺客たちの死体も狐火で焼き尽くすと、人間の姿に戻った。

「リネア、すぐに治してあげるからね」

 リネアは、痛みに顔を歪めて横たわっていた。フィルはその傷に手をかざす。…大丈夫だ、森で治療した時みたいにやればいい、あの時はより傷は軽い…フィルは自分に言い聞かせる。

 ほどなくして、リネアの傷は塞がり、押し出された矢がポロリと地面に落ちた。リネアの肌にはわずかな傷跡すら残っていない。それを見てようやくフィルは安堵する。

「リネア、痛くない?大丈夫?」

 そっと、リネアが目を開けた。

「…フィル様…ひっ!」

 小さく悲鳴を上げて、リネアが伸ばしかけた手を反射的に引っ込める。フィルは血みどろだった。九尾の姿で被った返り血は消えることなく、フィルの顔から手までべったりと赤黒く染めていた。

 フィルは、ハッとして自分の手を眺める。

「…ごめん」

 顔を伏せ、小さく呟いて、フィルはアリーナの出口へと駆けだす。

「…待ってください!フィル様ぁっ!」

 叫ぶ声にも振り向かないフィルを、リネアは泣きそうな顔で追いかけていった。


 騒ぎが収まり、闘技場内の安全が確認されたところで、グラムから闘技大会の閉会が宣言された。

 魔獣オルトロスと刺客の一団の乱入は、檻から逃げ出した魔獣を総督が手懐けている神獣が倒した、と説明された。戦争前、この闘技場でも剣闘士が猛獣や魔獣と戦うイベントが行われていたこともあり、多くの観客達も闘技大会のイベントの一部だと思っていたようだ。何にせよ、パニックにならなかったのは幸いだった。

 フィルが華麗に優勝し、実力を市民たちに示すという当初の目的は有耶無耶になってしまったが、巨大な魔獣を易々と倒した九尾の姿は、街の守り神的存在として市民たちに好意的に受け止められた。


 観客や参加者たちが闘技場から帰っていく中、フィルが九尾に変わるところを誤魔化し様のない間近に見てしまった本戦参加の選手たちは、総督より労いがあるという名目で強制的に総督府へ招待されることになった。 

 

 一方、一人で総督府に戻ったフィルは、血塗れの姿に驚いたフラメアによって風呂に放り込まれ、無理やり着替えさせられた。

 心配するフラメアを少し眠るからと追い出し、寝室のドアに鍵をかけたフィルは部屋の隅で膝を抱えて座りこむ。


「リネア…」

 じっと自分の手を眺める。

 血に濡れた手を差し出されれば、誰だって怖い。しかも、自分は怒りに任せて、リネアの目の前で次々に人を殺した。切り裂いて、潰して、むごたらしい殺し方だったと思う。

 フィルは小さくため息をつく。…リネアから、わたしはどう見えただろう…想像して悲しくなった。

「本当に、化け物だよね…こんなんじゃ、リネアに怖がられても仕方ないよね…」

 フィルは、自分の膝に顔をうずめる。

 コンコン、とドアがノックされた。ピクリと身を震わせ、フィルは扉に目を向ける。

「フィル様…」

 リネアの声だった。

「…」

 フィルはドアに目を向けはしたが、返事をしない。いや、できなかった。リネアと顔を合わせるのが怖かった。


 しばらくの沈黙の後、ドア越しにリネアは話し始める。

「フィル様…ごめんなさい…」

 …どうしてリネアが謝るの?悪いのはわたしなのに…フィルはのろのろと立ち上がって、ドアに近づく。

「フィル様は、私を守るために戦ってくださったのに…優しいフィル様がどんな気持ちで戦っていたのか、私は知っていたはずなのに…」

 リネアは、自らを責めるように言葉を続ける。

「森でフィル様と出会って、サエイレムに来て、私はフィル様に助けられてばかりで…いつだってフィル様は私に手を差し出して下さったのに、肝心な時に私はフィル様の手を取ることができなくて、……フィル様を支えると、両親の前で誓ったのに…」

 フィルはドアの前に立ち尽くす。ドアノブに手を伸ばそうとして、止まった。リネアの顔が見たい。自分こそリネアに謝りたい。でも…自分に向けられたリネアの怯えた表情が頭をよぎった。

「わたしは人を平気で殺す化け物だよ。リネアは怖くないの?」

 ドア越しのフィルの声に、リネアは首を横に振る。

「…化け物なんかじゃありません!私はフィル様が大好きです。…どうか私を、ずっとフィル様の側にいさせてください。フィル様!」

 リネアは涙声になっていた。

「…お願いします…どうか、私を…」

「リネア…」

 フィルはドアに触れた。

 違う、リネアが悪いんじゃない。わたしは優しくなんてない。さっきの戦いもリネアの怪我を見て怒りを抑えきれなかっただけだ…だから、血塗れのわたしの手は、あんなにも醜くて、リネアを怖がらせて…なのに、リネアはこんなわたしを…

「わたしも、リネアと一緒にいたい…いてほしい」

 ポツリと声に出た。勝手に拒絶されたと思い込んで、閉じこもって、リネアにこんなにも心配させて…わたしは何をしている!

 フィルはドアをを開くと、そこに立っていたリネアにすがりついた。

「ごめんね!リネア…怖い思いをさせて、こんなに心配させて、本当にごめんね…」

 リネアは、泣きながら自分を抱き締めるフィルの背にそっと腕を回し、抱き返す。

「お願いだから、わたしの側にいて。わたしもリネアが大好きだよ…リネアがいてくれたから、わたしは……」

 そこまでしか言葉が続かず、後はわんわんと子供のように泣きじゃくる。

「私はどこにも行きません。ずっと、ずっとフィル様のお側にいます……私は、フィル様のものなんですから」

 リネアは自分も涙を落としながら、優しくフィルの頭を撫でる。


 その日、グラムたちはフィルとリネアをそっとしておいてくれた。

次回予定「ケンタウロスとの付き合い方」

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