深夜の密談 3
メネス軍3千人を殺すと宣言したフィル。その理由とは…
戦場で圧倒的な力を見せれば、直接の犠牲は出さなくても、前線に立つ将兵の戦意を喪失させることはできるだろう。
けれど、戦争を企て、命令を出す者たちの多くは戦場にはいない。彼らにとっては、直接の損害こそが相手の強さを計る指標だ。
犠牲をほとんど出さずに軍が敗退してきたら、彼らはどう判断するだろう。自分達の戦力が損なわれていないのだから、将の弱腰を批判し、将を代えて再び攻勢に出るだろう。
ヒクソスと戦うのは割に合わない、戦場にいない王や宰相たちにそう思い知らせるためには、目に見える戦力の損耗が不可欠。それだけだ。
「わたしは、最終的にはヒクソスとメネスが手を取り合えるようにしたいと思ってるけど、今のメネスはヒクソスのに戦争を仕掛けて来た敵。…敵であるメネスの将兵を殺すことに文句を言われる筋合いはない。違う?」
「しかし、3千もの犠牲が出れば、メネスの民がヒクソスへの憎悪を募らせるだけです」
ハトラは、何とか気持ちを落ち着かせ、口を開いた。
「ハトラ、それならヒクソスの民がメネスに抱いている憎悪はどうすればいいの?」
即座に切り返され、ハトラは言いよどむ。
メリシャやフィルたちはメネスとの融和を望んでいるが、メネスの属国にされている間、ヒクソスにはメネスに対する憎悪が溜まっていたはずだ。作った作物をはじめとする財産を無理矢理取り上げられ、生活が困窮し、メネスとの戦争では多くの戦士や民が死んだ。
属国から解放され、ようやく生活を立て直し始めたところに、また侵攻されたらヒクソスの民はどう思うか。戦を決めたのは、王や将軍たちだと言っても、相手にしてみれば民も含めてメネス王国なのだ。
せっかくヒクソス国内の憎悪を抑えようとメリシャたちが努力しているのに、それを台無しにしようとしているのはメネスなのだ。自分たちで戦争を吹っ掛けておいて、被害を出さないで欲しいとは、我ながら虫が良すぎる…
フィルたちが直接メンフィスを焼き払いに来ないだけでも、十分な譲歩だというのに…。
「もちろん、メネスでヒクソスへの憎悪が高まり過ぎるのは困る。ヒクソスが勝ちに酔って慢心し、メネス討つべしという声が高まるのも困る。…メネス軍に敗北を認めさせると同時に、双方の憎悪をなんとか御しきれる範囲の犠牲、それが侵攻軍の3割程度だと、わたしは考えている……もっといい提案があるなら、聞くけど?」
「考えが足りず、申し訳ございません…フィル様の仰る通りです」
「わかってくれて嬉しいわ。…ハトラ、侵攻のことを知らせてくれたお返しに、わたしからも情報をあげる」
血の気が失せた顔で謝るハトラに、フィルは微笑みを浮かべた。
「さっき言ったメネス軍の犠牲だけど、まずアヴァリスへ向かう別動隊2千は全滅させる。それから本隊の前衛千人を殺す。そのつもりで、兵の配置を考えなさい」
「フィル様…それは…」
ハトラは顔を上げた。犠牲を出すからには、それをうまく利用しろ。フィルはそう言っているのだとハトラは察した。
戦死する予定の3千のメネス兵は、王太子派だろうが、宰相派だろうが、ヒクソス側には関係ない。死ぬのがメネスの兵でありさえすればいい。後にホルエムの邪魔になりそうな連中を、フィルが言った場所に配置されるようにしておけば、戦争を利用して一掃することができる。
…本隊の前衛、つまり先鋒を務める部隊や、アヴァリスに攻め込む別動隊は、大きな手柄を立てやすく、きっと出世欲の強い者、ケレス宰相らに擦り寄っている者たちがこぞって希望するだろう。それを叶えてやりさえすればいい。ハトラとしてはフィルの誘いにのるべきだと思った。
「…承知しました。3千の犠牲、私も有効に活用させて頂きます」
「えぇ。うまくやりなさい。わざわざこちらの手の内を教えに来てあげたんだから。ただし、戦後賠償は覚悟しておいてね」
「はい。…ただ、あまり無茶な取り立てはご容赦くださいね」
「それは、ホルエムとハトラの頑張り次第よ」
フィルは、軽く肩をすくめた。
「そういえば、オシリス神殿も侵攻に賛成したと言ったわよね?…ネフェルがそんなことをするとは思えないけど」
「その件にネフェルは関係しておりません。賛成したのは、オシリス神官団の大神官です。序列では巫女長であるネフェルの方が上ですが、実権を握っているのは大神官なのです」
「…大神官が侵攻に賛成した理由は何?」
確か、メネスのオシリス神官団は、王政府や軍部から独立した組織だったはず。今回のヒクソス侵攻は、王政府や軍部の都合だ、それに対して神官団がわざわざ賛成の意思を示した理由は何だろう。
景気が悪くなれば寄進が減ったりするかもしれないし、…ウナス王が進めていた神殿の改築計画を再開させることが目的だろうか。
「正直、わかりません。神官団は世俗のことには意思を表明しないのが慣例だったのに、なせ今回に限って意思を示したのか…ヒクソスへの侵攻については既に大勢が決しており、大神官が口を出さなくても結論は変わらなかったはずです。しかも、ケレス宰相やアイヘブ将軍が大神官に賛成を働きかけた様子もありません。今回の賛意の表明は、大神官が自発的に行ったらしいのです」
「…そう…わかった。ありがとう」
フィルは窓の外に目をやり、席を立った。
「さて、わたしはそろそろ帰るわ。…次に会う時は、もっと気楽な話をしたいわね」
「はい。私もそう願っております」
窓から外へと飛び出し、金色の狐の姿で空へと駆け上るフィルを見送り、ハトラは軽く一礼した。
次回予定「深夜の密談 4」




