フィルの誓い
第5章最終回。
フィルはついにリネアと…
「サエイレム属州総督、フィル・ユリス・エルフォリア殿!」
「はっ!」
司会役の書記官の呼び出しに、フィルはリネアとメリシャを伴い、皇帝ユーリアスが座る玉座の前に進み出た。
皇帝宮殿の大広間、居並ぶのは帝都の高官や将軍、各地の属州総督、元老院議員など、総勢100人以上におよぶ貴族たち。
その視線がフィルたちに集まっている。もちろん、彼らの胸の内は様々だが、総じて好意的な視線は少な目だ。皇帝派ですら今回のユーリアスの決定に懐疑的な者もいるし、元老院側にしてみれば不満と悔しさしかあるまい。
だが、そんなことは最初からわかっている。フィルは自分に集まる視線をものともせず、堂々と胸を張って皇帝の前に立ち、スッとその場に跪いた。
ユーリアスは玉座から立ち上がり、手にした象牙製の王笏を掲げた。先端に取り付けられた金の鷲が陽の光に煌めく。
「帝国皇帝ユーリアス・アエリウス・アルスティウスの名により、フィル・ユリス・エルフォリアにサエイレム専制公の称号を与える。今、この時より、サエイレム専制公領は帝国の支配を離れる。列席の諸君も左様心得よ」
『ははっ!』
出席者が声をそろえ、軽く頭を下げる。
それと同時に、フィルはその場に立ち上がった。
この瞬間からフィルは隣国の君主。皇帝に対してかしづく必要はなくなる。
「皇帝陛下、専制公の称号、謹んでお受けします。帝国の支配を離れると言えど、我が国は今後も帝国とは友好的な関係を望みます。そのため、わたしは引き続き皇帝陛下へのお力添えを惜しまぬ所存」
「余に力添えしてくれるという公の申し出、ありがたく思う。帝国としても公とは良い関係を築きたい」
フィルは、周囲に居並ぶ人々をぐるりと見回し、大広間に響き渡る大きな声を上げた。
「わたし、フィル・ユリス・エルフォリアは、ここに宣言する!帝国が我が国の在り様を尊重し、友好を旨とする限り、わが国は帝国に敵対せず、皇帝陛下の臣として支えることを約束する!」
参列者から拍手が起こる。フィルがそう宣言することは、あらかじめ決まっていた。この拍手も予定されていた式典の一部に過ぎない。そして、予定ではこの後に書記官が式典の終了を宣言し、皇帝が退場して終わるはずだった。
「ご列席の諸君に申し上げる」
だが、拍手が鳴り終わる前に、フィルは再び声を上げた。
「我が国では、人間と魔族に何ひとつ違いはない。人間と魔族が、共に働き、共に笑い、共に泣き、手を取り合って生きる国となる。今ここで、その最初の一歩を御覧に入れる!」
予定にはなかったフィルの行動に書記官は困惑するが、ティベリオがそのまま成り行きを見守るよう指示を出す。ティベリオは、フィルなりの考えがあってのことだと察していた。
「陛下、立会人となって頂けますか?」
フィルはユーリアスを見つめた。フィルが何をしようとしているのかユーリアスも知らない。だが、ユーリアスは頷いた。
「よかろう」
「ありがとうございます」
フィルは恭しく頭を下げ、顔を上げた。その顔は悪戯っぽく笑っている。
「では、これより結婚の誓いを立てさせて頂きます」
「け、結婚?!フィー、それは…!」
さらりと言ったフィルの言葉に、ユーリアスは思わず素に戻る。
フィルは後ろに控えていたリネアとメリシャの手を取り、手をつないだまま自分の両側に立たせる。そして…はっきりと宣言した。
「わたし、フィル・ユリス・エルフォリアは、ここに誓いを立てる。
我が右手に立つ狐人族のリネアをただ一人の伴侶として婚姻を結び、
我が左手に立つアルゴス族のメリシャを、わたしとリネアの娘する!
わたしは生涯、ふたりを愛し、共に生きる!」
どよめきが起こった。
帝国において同性婚はさほど珍しくはない。しかし、男尊女卑の傾向が強い社会故に、それは男×男のものだった。
女性同士、それも人間と魔族の婚姻など、どちらも前代未聞である。
フィルは、ヴィスヴェアス山噴火の3日後に誕生日を迎え、15歳となっていた。つまり、成人と認められる年齢となった。
成人を迎えると社会的に様々な権利義務が発生するのだが、すでに総督して政務を果たしているフィルにとっては、あまり関係がない。フィルにとって一番の変化と言えば、成人を以て正式に婚姻が可能になるということだった。
もちろんフィルは、婚姻する相手はリネア以外にあり得ないと思っていた。
以前、ティベリオに生涯結婚しないと言ったのは、神獣として長い長い寿命を持つ自分が、リネアの一生を縛り付けてしまうことに、迷っていたからだった。
しかし、今は違う。リネアはティフォンの力を得た。それもフィルの為に命を賭して。フィルと一緒の時間を生きるために。
だからフィルは、リネアを生涯の伴侶、それもただ一人の伴侶にすることを誓った。絶対に離さない。ずっと、共に生きる。長い長い旅路の果てまで。
「フィル様…私も大好きです。生涯ずっと、フィル様と一緒です…」
リネアは小さく呟き、指先でそっと目尻を拭う。フィルの気持ちは十分すぎるほどわかっていたが、それでもいざフィルの誓いを聞いたら涙ぐんでしまった。
「フィル、メリシャもフィルのお手伝いがちゃんとできるように頑張るから」
幼いなりにメリシャも決意を固めていた。フィルは「自分で考えて、色々な道を探せば良い」と言ってくれたけど、メリシャは、いつも自分を助けてくれるフィルみたいになりたいと思った。
突然の結婚宣言に驚いていたユーリアスだったが、相手がリネアでは納得せざるを得ない。むしろ他にふさわしい相手などいないとユーリアスも思う。
「エルフォリア公の誓い、確かに見届けた。公の婚姻と養女縁組を認め、我が名において祝福する」
皇帝の顔で、ユーリアスが厳かに認証を告げる。
予定になかったフィルの宣言…人間と魔族を等しく扱う事、サエイレムの君主となったフィルが、魔族であるリネアと婚姻しメリシャを娘とすること。
それは、元老院側はもとより、皇帝側の貴族たちとて快く受け入れられるものではなかった。だが、皇帝が認めた以上、異を唱えられる者は、この場には一人もいなかった。
式典が終わると、フィルたちはユーリアスに宮殿の奥へと招かれた。宮殿奥は皇帝のプライベート区域であり、皇帝から招かれた者しか立ち入ることはできない。
「フィー、リネア、メリシャ、疲れただろう。サエイレムに帰る前に休んでいってくれ」
ふかふかのクッションが並べられたソファーをフィルたちに勧め、ユーリアスは自分も腰を降ろす。
「兄様、リネアとメリシャのことを認めて下さり、ありがとうございます。式典の予定にない行動をとってしまいましたが、どうしても言っておきたかったんです」
「フィー、リネア、おめでとうと言わせてくれ。フィーの側にリネアとメリシャがいてくれるのは嬉しい。…それに、魔族であるリネアたちが皇族に準ずる地位になるのだから、帝国人の魔族を見る目が変わるきっかけになるだろう」
フィルと婚姻を結んだ以上、リネアはもはや侍女ではなく専制公妃だ。
わ、私がそんな…と今さらながらにリネアが慌てている横で、メリシャが懐から何かを取り出した。
「フィル、ユーリアスお兄ちゃん、遅くなっちゃったけど、これ…メリシャからプレゼント」
メリシャが差し出したのは、色違いのハンカチだった。ユーリアスには薄い青、フィルには薄い赤。端の方に、黄色と赤色の林檎がふたつ、刺繍されている。
「本当は、フィルの誕生日の時に渡すつもりだったんだけど、色んなことがあって渡せなくて…」
「…これはメリシャが縫ったのかい?」
ハンカチを手にして、驚いて尋ねるユーリアスに、メリシャは恥ずかしそうに頷いた。
そういえば、リンドニア滞在中にメリシャが刺繍を習っていた。なるほど、これを作っていたらしい。…少し形が歪になっているところはあるが、なかなか上手いと思う。
「素晴らしい…最高の贈り物だ…メリシャ、本当にありがとう。とても嬉しいよ」
ユーリアスはハンカチを捧げ持ち、至福の表情を浮べていた。そのまま感涙にむせびかねない勢いにフィルはくすっと笑う。
フィルと別れて帝都に行ってから、ユーリアスにはこういう贈り物をくれる近しい人は誰もいなかったはず。この喜びようも良くわかる。
…もっとも、フィルも、サエイレムに来る前はユーリアスのことを笑えない境遇だったのだが…
「メリシャ、ありがとう。大事にするね」
フィルがメリシャの頭を撫でると、メリシャは嬉しそうに目を細めた。
「でも、…わたしと兄様だけ?」
「フィル様、ご心配なく。私ももらいました。エリン様とパエラちゃんにもちゃんと渡していましたよ」
リネアも同じ林檎の刺繍が入った薄緑色のハンカチを取り出した。
「この林檎はね、フィルとリネアなんだよ。フィルとリネアの髪の色」
フィルは金髪、リネアは赤み掛かった栗色の髪をしている。だから黄色と赤色の林檎がふたつ。
フィルはハンカチの刺繍をじっと見つめ、ポンと軽く手を打った。
「メリシャ、いいこと思いついた!本当にありがとう!」
がばっと立ち上がり、メリシャの両脇に手を入れて高く抱き上げる。
「え?フィル、どうしたの?」
「うんうん、このデザイン、いいよ。本当にいい」
メリシャは驚いて目を丸くしているが、フィルは満面の笑みでメリシャを抱き締め、頬ずりした。
「フィル様、何を思いついたのですか?」
不思議そうに訊ねるリネアに、フィルは弾んだ声で言う。
「この林檎を、サエイレムの旗にしよう!」
帝国の旗は、両側に月桂樹の枝葉を配した中に「帝国の元老院と市民」を意味する「S」「P」「O」「I」の4文字が入ったものだ。サエイレムも、これまでは帝国の旗を掲げていた。
しかし、帝国から独立したからには、サエイレムを象徴する新たな旗を作らなくてはならない。
メリシャが刺繍してくれた黄色と赤色のふたつの林檎のデザイン、それこそが、サエイレムの旗に一番ふさわしいのではないか、フィルはそう思った。
「とっても良いと思います。色々な種類の林檎がたくさん実る、平和で豊かな国になりますように…」
リネアは嬉しそうに微笑み、祈るように胸の前で両手を組む。
「もちろん、帝国が羨ましがるような豊かな国にしてみせるよ!」
「フィー、ほどほどにしておいてくれよ。あまりサエイレムばかりが豊かになっては、そのうち妬む者が出てきてしまうからね」
ユーリアスが苦笑を浮かべる。
結果的にユーリアスの懸念は当たる。フィルは言葉の通りにサエイレムを一層豊かな国へと発展させ、それが後にサエイレムを帝国から完全に離反させる原因となってしまうのだ。
だが、それはユーリアスが亡くなって数十年もたった後の出来事であり、彼の治世においてサエイレムは帝国の良き隣人、信頼できるパートナーであり続けた。
「兄様、もう一度、立会人をお願いできますか?」
「今度は何だい?」
「リネアとメリシャに、わたしからエルフォリアの家名を授けたいんです」
「わかった」
ユーリアスはそう言って笑みを浮かべた。
フィルは、少し緊張した様子でリネアとメリシャに向かい合い、その手を取る。
「リネア、メリシャ、ふたりとも今この時から……」
嬉しそうに微笑むフィルの頬には、一筋の涙が伝っていた。
リネアとメリシャは、皇帝ユーリアスの前で
『リネア・ファム・エルフォリア』
『メリシャ・サリア・エルフォリア』
とそれぞれ名を改め、名実ともにフィルの家族となった。
次回予定「サエイレムの春」
次回よりエピローグになります。あと4話で、サエイレムを舞台にした第一部の物語は完結です。




