不信の兆し
魔族たちに誘拐されたというクラウを助けたパエラ。噴火が迫る中、街の中にも不穏な噂が…
「クラウ、少しじっとしてて」
パエラは、サッとクラウを抱き上げ、近くの建物の屋根の上に跳び上がった。
パエラはクラウの頭を撫でながら、これからどうするか考える。クラウを攫った連中を捕まえるのは後回しにして、とにかくクラウを親のところに連れて行ったほうがいいと思った。
「クラウ、あたしが闘技場まで連れて行ってあげるから、安心して」
「うん。ありがとう、お姉ちゃん」
パエラはすぐに行動を開始した。クラウを腕に抱いたまま、屋根の上を走って南の闘技場へ向かう。とりあえずパエラのことを知っている近衛軍団かエリン配下の騎兵に保護してもらえば、大丈夫なはずだ。
建物の上を屋根から屋根へと飛び移っていくパエラは、闘技場に向かう道が人ごみでごった返している横をすいすいと進んでいく。
ほどなくして闘技場の前の大通りを見下ろせるところまでやってきたパエラは、見知った顔がいないか、ぐるりと見回した。
闘技場の入り口あたりで近衛軍団の兵士と話をしているエリンの姿を見つけたものの、大通りは避難してきた市民たちで一杯で、なかなか進めそうにない。
「クラウ、ちょっと大きく跳ぶよ。怖かったら目をつぶってて」
「う、うん、大丈夫だよ」
パエラは小さく頷く。そして、大きく脚を曲げて力を溜め、着地点を見定めると、一気に跳躍した。距離にして約数十メートル、大通りを埋め尽くす人間たちの頭上を飛び越え、パエラはエリンがいる近くに着地する。
「すごーい、お姉ちゃん、すごいよ!」
きゃっきゃっとはしゃぐクラウの声に、エリンもこちらを振り返った。
「パエラ、どうしんだ?…その子は、逃げ遅れた子か?」
「エリンさま、この子、…えと、避難の最中にお母さんたちとはぐれたらしいの。…とりあえず保護してほしいんだけど」
「…わかった」
やや周りを気にする様子で言うパエラに、何かの事情を察したエリンは、近くの近衛兵を呼んでクラウを保護させる。
「クラウ、ごめんね。お姉ちゃん、まだやらなきゃいけないことがあるの。この人たちがお母さんを探してくれるからね」
頭を撫でるパエラを見上げ、不安そうな顔をしていたクラウは、やがて目を伏せて頷いた。
「うん、わかった…また会える?」
「…ごめん。約束はできないよ。あたしは遠くの街に住んでて、アルテルメには旅で来ただけだから…」
また会える、なんて軽く約束することはできなかった。だから、正直に口にする。
「そうなんだ…」
しょんぼりとつぶやくクラウに、パエラはにぱっと笑った。
「けど、いつかクラウが大きくなったら、遊びに来てよ。あたしは、サエイレムっていう街にいるからさ」
くしゃくしゃとクラウの頭を撫でる。
「うん。わかった…蜘蛛のお姉ちゃん、ありがとう…またね、クラウ、遊びに行くから」
「いつか、またね。それまで元気でね、クラウ」
約束はできないけれど、まだ会えることを祈って答える。
「うん…」
近衛兵に抱かれ、少し寂しそうに手を振るクラウにパエラも手を振り返した。
「さて…何があったんだ?」
クラウの姿が見なくなったところで、エリンはパエラに向き直った。
「あの子、避難中に親とはぐれたらしいんだけど、そこを魔族に攫われて、奴隷として売られるところだったらしいの。どうも、その連中は、混乱に乗じて逃げた魔族の奴隷みたい」
パエラの答えに、エリンは眉を寄せる。
「魔族が人間を奴隷として連れ去るか…この前とは逆だな」
「クラウを売って、ロンボイからサエイレムに渡る船賃にしようとしたみたい」
「サエイレムに行けば、奴隷の身分から解放されると思ったのだろう…だが、この状況で魔族が人間に危害を加えるような行動は非常にまずいな」
エリンは深刻そうな表情を浮べ、軽く舌打ちした。
「どういうこと?」
「今、この街の人間は、300年ぶりにヴィスヴェアス山が噴火するかもしれない、街が壊滅するかもしれない、極度の不安の中にいる。そしてどうして自分たちがこんな目に遭うのかという大きな不満も感じている。そんな中で、魔族が人間に害を与えようとしたとなれば、その不満の矛先が関係ない魔族にまで向けられかねん」
エリンは苦い口調で言った。意図的に、或いは本能的に、特定の種族や集団が不安や不満のはけ口にされるのは、こうした非常時には起こりやすい。
強い不安にさらされた人間は、冷静に考えればバカげているとしか言い様のないことであっても、簡単に同調してしまう。そして目の前の不安を別の何かに転嫁し、不安を忘れようとする。今回はそれが魔族に向けられるかもしれない、ということだ。
理屈はともかく、感覚としてパエラもそれは理解していた。
「うん。だから犯人を捕らえるより、まずはクラウを安全に人間のところに帰すのが先だと思ったの」
「あぁ、それでいい。さすがパエラだ」
「えへへ」
エリンに褒められ、パエラは照れ笑いを浮かべる。だが、エリンの表情は浮かない。
「あの子のことはそれでいいが、実は困ったことが起きていてな」
「何があったの?」
エリンは無言でパエラを手招きし、闘技場の柱の陰に移動した。
「まだ噂程度だが、この混乱に乗じて魔族の奴隷たちが反乱を企てている、という話が広まり始めている。他にも、魔族たちが温泉に毒を流したとか、この噴火自体、魔族が企んだものだという荒唐無稽な話まで聞こえてくる」
「ええっ?!……そ、そんなことあるわけないじゃない!エリンさま、まさかそんなこと信じてるわけじゃないよね?!」
慌てて詰め寄るパエラの肩をそっと押さえ、エリンはため息をつく。
「落ち着け。私がそんなことを信じるわけがない。だが、奴隷にされている魔族たちが、この機会に逃げ出そうとすることはあるだろう。中には、路銀の足しにと留守の家から金品を奪ったり、人間の子供を売って金を得ようとする者はいるかもしれない…さっきのようにな」
周りに聞こえないよう注意しながら言うエリンに、パエラも声を落とす。
「そりゃ、…そういうことはあるかもしれないけど…だからって!」
「わかっている。それと噂は関係ない。噂自体、根拠のない言い掛かりのようなものだ」
断言するエリンに、パエラもようやく握り締めていた拳を緩めた。しかし、エリンの言葉はまだ続いた。
「だが安心はできん。人々が不安に駆られている今の状況では、…事の大小に関わらず魔族が人間を害する行動をとれば……さっきの子のような誘拐や、金品の略奪などを魔族が起こせば、その根も葉もない噂が一人歩きを始める。魔族は市民に危害を成す悪人だという認識が広がってしまう」
厳しい表情のエリンに見つめられ、パエラの顔が青ざめる。
「そんな…」
「そうならないように、手伝ってくれるか?」
「エリンさま…?…それって…」
一瞬、ポカンとしたパエラは、すぐに表情を引き締める。フィルがいない今、エリンに考えがあるならそれに従うのがきっと一番いい、そう思った。
「わかった。エリンさま、あたしは何をすればいいの?」
「簡単な話だ。人間にも魔族にも、互いを害するような行動をさせなければいい。私は人間を止める。パエラは魔族を止めてくれ。…街を見回り、不審な行動をする魔族がいたら人間に見つかる前に捕縛するんだ。私は、ここに避難してきている魔族たちを人間から守る。噂に乗せられて魔族に危害を加えようとする人間は、私が捕らえるから安心してくれ」
「エリンさまが、恨みを買ったりしない?」
「パエラ、それはお互い様だぞ。おまえも捕らえられた魔族から見たら、魔族なのに人間の手先になったと思われるだろう?」
「かまわないよ。あたしはフィルさまの親友だから」
「私も同じだ。帝国の人間からどう思われようとかまわない。だが…」
フッと笑みを浮かべたエリンは、遠くに見えるヴィスヴェアス山に目を向けた。
「フィル様が戻られた時、人間と魔族が争うような状況になっていたら、きっと悲しまれるからな」
「悲しむより、怒ってこの街を吹き飛ばしちゃうんじゃない?」
「…かもしれん。だから、私達で何とかするしかない。頼むぞ」
「うん。…じゃ、行ってくる!」
パエラは青空を背景にそびえるヴィスヴェアス山にちらりと目を向けると、近くの建物の屋根に跳び移り、駆け出した。
次回予定「大地の申し子たち」
噴火を防ぐため、ティフォンのブレスでヴィスヴェアス山を崩壊させる。
しかし、今のリネアが吐けるブレスでは威力不足だと判明し…




