リネアとアーシェ
魔族への反感を持つアーシェに、リネアは…
アーシェとリネアが完全に見えなくなったところで、サラは小さくため息をついて後ろを振り返った。
「…隠れているのはわかっているぞ」
「サラ、久しぶりだな」
柱の影からエリン、そしてフィルとパエラが出てくる。
「エリン、私に気付かれないとでも思っていたか?舐められたものだ」
「すまない。お前は気付くだろうとは思ったが、アーシェとリネアの前でそれを口にはしないだろう?」
「まぁな」
サラはエリンに苦笑を返すと、フィルに頭を下げた。
「…フィル様、お久しぶりです。サエイレムでも、剣の鍛錬はきちんと積まれていますか?」
「サラ先生、お久しぶりです。…はい、ちゃんと鍛錬はしています」
…妲己とエリンが、だけど…フィルは内心ペロリと舌を出す。
「そちらの蜘蛛娘は、初めて見る顔だな!私はここの院長をしているサラ・エミリウスだ」
「あ、はい!あたしはパエラって言います!」
サラにじろりと睨まれ、パエラは慌てて自己紹介した。
「フィルさま、あの人、なんかおっかないよー」
パエラがフィルの耳元に口を寄せて囁く。
「サラ先生は、鬼教官なんだよ。わたしも何度ボコボコにされたか」
「えー!フィルさまもボコボコにしちゃうの?!…だって、フィルさまはここのお姫様だったんじゃないの?!」
「…教え子に身分は関係ないんだよ。…そのおかげで、わたしもそれなりに戦えるようになったんだけど」
フィルは眉を寄せて肩をすくめる。
「フィル様、何をこそこそと喋ってるんですか?」
「い、いえ!なんでもありません!」
フィルまで敬語になっている。
「まぁ、いいでしょう。せっかく来たのですから、アーシェたちの話が終わるまで、ちょっと院生の鍛錬の相手をしていかれては?…エリン、フラメアから聞いたところでは、何やら新しい武器を使うようになったらしいな。私にも見せてくれよ」
ニヤリと笑うサラに、フィルとエリンは顔を見合わせ、仕方なく頷いた。
アーシェは回廊を抜けて裏庭に出る。そこにはきれいに整えられた畑が広がっていた。どうやら、食料の一部は保護院内で自給自足しているらしい。
畑の隅に古ぼけた石造りの四阿があり、ベンチが置かれていた。アーシェはそこにリネアを案内した。
「どうぞ、座ってください」
「失礼します」
リネアが腰を降ろすと、アーシェは少し間隔を空けて座った。
「リネアさん、私に何のご用でしょうか?」
淡々とした口調で問うアーシェに、リネアは少し悲し気な表情を浮べた。
「アーシェさん、私がフィル様の側にいることは、やはり嫌ですか?」
「…それは…」
アーシェは、しばらく俯いて唇を噛んでいたが、やがて顔を上げてリネアを見つめた。
「正直言って、相応しくないと思いました。…ごめんなさい。助けてもらっていながら、恩知らずだとは思っています。でも、私にとって魔族は人間の敵なんです」
予想通りの答えにリネアは少し肩を落とす。しかし、誤魔化すことなく正直に答えてくれたアーシェのことは、悪く思えなかった。
「それは、魔族と人間が長く戦争をしていたから、ですよね?」
「…リネアさんは、どうしてフィル様の側付になったのですか?魔族から見たら、人間も戦争の敵ではないのですか…?」
答える代わりにアーシェは尋ねる。
「私の両親を殺したのは、帝国軍ではなくサエイレムに攻め込んできた魔族の軍勢でした」
「それは、フィルさまからもお聞きしました…」
リネアはアーシェから視線を逸らし、少し遠くを見た。
「両親が目の前で殺され、私は必死にその場から逃げました。どこをどう逃げたのかもよく覚えていません。ただ、泣きながら森の中を歩いて、猟師だった父たちが使っていた山小屋にたどり着きました。父に連れられて何度か来たことがありましたから、無意識に場所を覚えていたんでしょうね…それから3年ほど、私はずっとその小屋で独りぼっちで暮らしていました。サエイレムに戻るのは怖くて、森で野草や小さな動物や魚を採って暮らしました」
アーシェは口元に手を当てて沈痛な表情を浮かべた。親を戦争で失ったのは自分も同じだが、戦場から遠いリフィアにいた自分と比べて、リネアの方がずっと辛い暮らしをしていたからだ。
「そしてあの日、薬草を取りに森に入った時に、血だらけで木の根元に座り込んでいる人間の女の子を見つけました。それがフィル様だったんです」
リネアは膝の上に置いていた手をぎゅっと握り、話を続ける。
「ちょうど採ったばかりの薬草を持っていたこともあって、私はフィル様を手当てしようと近づいて、声をかけました…でも、傷の手当を始めた私を、フィル様は『いいから、もうわたしを置いていきなさい』って怒鳴りつけたんですよ」」
リネアは懐かしそうに笑みを浮かべた。
「フィル様が…?」
フィルが、自分を手当てしてくれている相手を怒鳴ったりするだろうか。驚くアーシェにリネアは首を振った。
「森の中で血の匂いをさせていたら、すぐに野獣が集まってきます。フィル様は、私まで巻き添えにならないように、わざと私に怒鳴ったんです…本当は、大声を出すのも辛かったはずなのに…」
「でも、リネアさんはフィル様を見捨てなかったのでしょう…?」
「はい。でも、それは私の我が儘でもあったんです。フィル様を見つけた時、もし助かったら、自分と一緒に暮らしてくれるんじゃないかと思いました。もしフィル様を手当している間に獣に襲われたとしても、一人でひっそりと死ぬよりはいい、とも…あの頃、私はもう独りぼっちで生きることに耐えられなくなっていたんです」
リネアは少し目を伏せた。あの時の気持ちを思い出したら、今でも少し胸が苦しくなる。
「なんとかフィル様が命を取り留め、私の小屋まで案内して……でも、私は不安でした」
「それは……?」
「フィル様は、実はサエイレムの総督様で、サエイレムに行かなくてはならないと仰いました。…せっかく知り合えたのに、フィル様がいなくなってしまう。私は、また独りぼっちになってしまう。そう思ったら、とても寂しくて仕方なくて……でも、フィル様は総督という身分です。私なんかがフィル様についていくことなんてできないと思っていました」
高い身分であるフィルの側に、平民で、しかも魔族の自分の居場所なんてない。アーシェが言ったとおり、フィルに自分は相応しくない。リネア自身もそう思っていた。
「でも、フィル様は、私を自分の側付侍女にする、一緒に行こうと言って下さったんです……」
その時のことを思いだし、リネアは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「…後で知りました。側付侍女というのは、自分の命を預けても良いほど信用のおける者しかなれないのだと。…だから私は、フィル様に応えたい。何があっても側にいて、フィル様と一緒に生きようと決めたんです」
アーシェは、大きく目を見開いてリネアを見つめていた。
「フィル様は、事ある毎に、私がフィル様の命の恩人だと仰います。むしろ私の方がフィル様に助けて頂いたのに、どうしてフィル様はそう仰るのか、ずっと私は疑問に思っていました」
「それは、フィル様の傷をリネアさんが手当したからではないのですか?」
「はい、それはそうなのですが…」
リネアは、少し言葉を濁す。フィルが助かったのはリネアの手当のせいではなく、九尾に食われたからだ。だが、アーシェにそれは言えない。
「フィル様が総督になられる時…フィル様は他の貴族たちから、たくさんの嫌がらせを受けていたのだそうです。それに、私と出会う前、フィル様は一緒にいた護衛兵の皆さんを全員殺され、フィル様自身も大怪我を負われました。それは、フィル様に嫌がらせをしていた、帝国の有力貴族の一人がやったことでした…」
「そんな…ひどい…同じ帝国の人間なのに、どうして…」
アーシェは、いつの間にか涙を零していた。
どうしてフィルがそんな仕打ちを受けなくてはいけないのか。フィルの父は魔族と長年に渡って戦い、帝国の優勢を支え続けた英雄ではないか。しかも、その父を失ったばかりのフィルに嫌がらせをするばかりか、殺そうとするなんて…あまりにもひどい。
フィルが、人間よりもむしろ魔族に肩入れするような態度をとることも、納得できる。
アーシェは顔を上げて服の袖でごしごし涙を拭い、リネアに頭を下げた。
「……私、フィル様やリネアさんの事情を何も知らないくせに、相応しくない、なんて言って…ごめんなさい」
「いいえ…私だって、最初は相応しくないと思っていたんです。そう思われても仕方ありません…でも、私が側にいることで、フィル様が悪く見られるのは悲しいです。だから、アーシェさんとはちゃんと話をしておきたくて…」
言いかけたリネアの狐耳がピクリと震えた。表情が強張り、ガタリと音を立てて立ち上がる。
「リネアさん?」
アーシェが不思議そうにリネア見上げた直後、ゴゴゴゴゴ、という低い地鳴りが聞こえ始めた。
「な、何?!」
次の瞬間、ズシンと下から突き上げるように足元が大きく震えた。さらに小刻みな横揺れが続き、それがだんだん大きくなる。
「きゃぁぁぁ!」
叫んだアーシェは、思わず隣のリネアに抱き着いた。リネアは、一瞬困ったような表情を浮べたが、アーシェを腹に抱え込むように覆い被さる。
次の瞬間、揺れに耐えられなくなった四阿の屋根が、轟音を上げて二人の上に崩れ落ちた。
次回予定「再会の約束」
突然の地震に巻き込まれたリネアとアーシェは…




