リネアの気がかり
最終目的地あるあるめへ向けてリンドニアを出発することにしたフィルたち一行。
しかし、リネアはどうしても気になることがあるようで。
それから5日ほど、フィルたちは森に入って獣の駆除を行うとともに、森の様子に異常がないか調査を続けた。
だが、原因に繋がるような手がかりは見つからなかった。パエラたちが見つけた温泉の池にフィルたちも連れて行ってもらったが、その池にも特に変化はない。
リンドニア領内の獣害への対応には、ベナトリア総督代行のグラムに命令書を送り、属州軍約2,000を臨時に派遣してもらうことにした。獣が増えた理由はまだわからないが、駆除と警備に当たる人数を増やして対応すれば、農地と農民たちを守ることはできるだろう。
とりあえずのメドをつけたフィルは、リフィアを出発することにした。まだすべて解決したわけではないが、ユーリアスに招待を受けた期日まではあまり余裕がなかったためである。
アルテルメでユーリアスに会ったら、獣が移動を始めた原因について、本国領内の調査をお願いしてみるつもりだ。
「ただいま……あれ…?」
屋敷に戻ったフィルは、小さく首を傾げた。
「メリシャは、いないの?」
帰ってくると、いつも真っ先にフィルに飛びついてくるメリシャが、今日は出てこない。屋敷内で何かあったとは思えないが、少し心配になる。
「…フィル様、こちらですよ」
出迎えてくれた女性の使用人が、小さく笑いながら案内する。向かった先は、庭園に面したテラスである。テーブルセットに座り、メリシャはせっせと手を動かしていた。
「メリシャは、何をしているの?」
フィルはそっと覗き見る。メリシャはこちらに背を向けているので、手元はよくわからないが、テーブルの上には彩色された糸と縫い針が置いてある。
「ハンカチに刺繍をしていらっしゃいます」
「刺繍?」
帝国では刺繍は女性が身に着けるべき嗜みとされている。身分の高い貴族令嬢などであってもそれは同じであるが、幼い頃から為政者としての勉強とその実践、そして戦闘訓練に明け暮れていたフィルは、そのあたりを完全に捨て去っていた。
今後、婚約者に何かを贈ることもないことだし、今更覚える気もない。半ば開き直りである。
ちなみに、リネアは大変上手だ。
「お針子の娘に教えてもらって、フィル様がお出かけの間、一生懸命に刺繍されていますよ……ハッキリとは仰いませんが、贈り物をしたいようですね」
「そうなんだ。…誰にあげるつもりなのかしら」
クスクスとフィルは笑い、メリシャに気付かれないようにその場を離れる。
執務室にいたフラメアと、獣の駆除や農地の警備について簡単に打合せをしてから居間に入ると、リネアとパエラが休憩していた。
…いや、リネアは少し表情を曇らせて何やら考え込んでいる。
「…あ、フィル様」
入ってきたフィルにすぐに気付き、リネアはパッと顔を上げて笑顔を浮かべた。
「リネア、どうかした?」
「…い、いえ…その」
困ったように言い淀むリネアに、フィルは笑いかける。
「何か気になることがあるんでしょう?」
「…はい…」
リネアは軽く苦笑を浮かべて話し始めた。
「実は、アーシェさんの事が気になって…私たちがフィルの側にいることを快く思っていないようでしたので」
「あぁ、そのことね…」
アーシェにとって、魔族は親を殺した相手。もちろんリネアたちには全く関係の無い話ではあるが、そう割り切れる者ばかりではない。アーシェ以外の子たちも、親が戦死し、いつかは自分達も戦場で魔族と戦うのだと思って修練を積んでいた子たちだ。その気持ちに賛同はできないが、理解はできる。
「別にいいんじゃない?あたし達はここにずっと住むわけじゃないし…」
頭の後ろで手を組んでパエラが言う。それももっともだ。フィルたちは旅の途中、明日にはここを出発するのだ。だったら、今すぐに打ち解ける必要はないんじゃないか。正直、フィルもそう思っていた。
リフィアの保護院には、エルフォリア軍の人材を養成するという側面もあったが、その軍が遠いサエイレムに駐屯するようになった以上、無理に入隊させるつもりもない。自ら望むのでなければ、この街の人間が魔族と関わるのは当分先のことになるはずだ。
「そうかもしれませんが…その…」
それでもリネアには気になる。どうしても相容れないのなら仕方がない。でも、アーシェとはきちんと話をしたいと思った。自分のことはともかく、フィルのことが誤解されたままこの地を離れるのは嫌だと思った。
「いいよ。リネアがそうしたいなら、話しに行ってきたら?…わたしも後から行くから」
フィルの返事に、リネアは頷き、パエラは不思議そうに首をかしげた。
「フィルさまは一緒に行かないの?」
「そうすれば話は早いんだろうけど、リネアが望むのはそういうことじゃないんでしょう?」
フィルが一緒に行けば、アーシェがリネアに対して悪い感情を出すことはないだろう。仲良くしてほしいと言えばそうするだろう。でもそれはフィルの意向を汲んで、表面上そうしているだけだ。
「はい。…どうすれば良いのかはわかりませんが、行ってきます」
「うん。じゃ、後でね」
居間を出て行くリネアを小さく手を振って見送り、フィルはパエラの前に座った。
「リネアちゃん、大丈夫かなぁ…」
「大丈夫じゃないかな。リネアの気持ちはきっと伝わるよ。…いくらアーシェでも、リネアの気持ちを無下にするようなら、わたしが怒る」
「フィルさまが、怒っちゃダメでしょ」
「冗談だよ」
「えー?リネアちゃんのことになると、フィルさま、本気で怒るじゃない?」
「…む…悪い?」
「ううん。あたしも怒ると思う」
むすりと頬を膨らませるフィルに、パエラは肩をすくめて笑った。
保護院の前にやってきたリネアは、開いた門の前で立ち止まった。勝手に入っていいものかどうか、しばし迷っていると、中から声をかけられた。
「当院に何か用かな?」
出てきたのは二十代半ばくらいの女性だった。しかし、その服装は生成りの麻のチュニックに七分丈のズボン、革製の編み上げサンダルという、帝国兵のものだ。フィルが稽古やお忍びで良く着る衣装だけに見慣れている。
リネアには、彼女の雰囲気がエリンとよく似ているように思えた。
「私はリネアと申します。サエイレム総督フィル・ユリス・エルフォリア様の側付をさせて頂いております」
丁寧に一礼したリネアの顔を、女性は黙ったまましげしげと眺めている。
「あの…」
「おっと失礼。私はここの院長をしているサラ・エミリウスだ。…なるほど、君がフィル様のお気に入りか」
「エミリウス様は、私のことをご存知なのですか?」
不思議そうに尋ねるリネアに、サラはニッと口角を上げる。
「サラでいい。君のことはフラメアからよく聞いている。私はエリンやフラメアと軍学校の同期でね。元はエルフォリア軍にいたんたが、今はここの院長兼指導役だ」
「そうでしたか。エリン様にもフラメア様にも、大変良くして頂いています」
再びペコリと頭を下げるリネアに、サラは、はははと声を上げて笑った。
「そんなに畏まる必要はないよ。…ところで、保護院に何か用かい?フィル様の使いか?」
「サラ様…アーシェさんはおられるでしょうか?」
「アーシェ?…さっき訓練場で鍛錬していたな。よし、案内しよう」
「ありがとうございます」
何か察するものがあったのか、サラは深くは訊かずにリネアを手招きして歩き出した。
保護院は、長方形の中庭を建物が囲んだロの字型になっている。中庭が訓練場、そしてそれを囲む2階建ての建物は、中庭に面した内側が列柱で支えられた回廊になっており、外側に院生たちが暮らす居室や食堂、座学のための教室、倉庫などが並んでいる。
サラの後について保護院の中に入ると、中庭で鍛錬する院生たちの声が石造りの回廊に響いていた。
「アーシェ!」
麦藁を束ねた案山子を相手に木剣を振っていたアーシェが、サラの声に手を止め、こちらに駆け寄ってきた。
「サラ先生、お呼びでしょうか?」
「鍛錬中にすまない。お前にお客さんだ」
「リネアさん…」
アーシェんは小さな声でつぶやき、やや居心地悪そうに目を伏せる。
「アーシェさん、鍛錬中に申し訳ありません。少しお時間を頂いても良いでしょうか?」
しっかりと自分を見つめて言うリネアに、アーシェはこくりと頷いて、リネアを見つめ返す。
「わかりました。ここは騒がしいので、場所を変えましょう。こちらへ」
「はい」
アーシェは、仕方なさそうに息を吐くと、手にしていた木剣を片付け、裏庭へと続く回廊へとリネアを案内した。リネアも少し緊張した様子でアーシェの後に続く。
回廊を歩いていくアーシェとリネアを見送り、サラは中庭へ目を向ける。静かになったと思っていたら、鍛錬中の院生たちも手を止めてアーシェとリネアを見つめていた。
「ほら、お前たち!鍛錬の時間はまだ終わってないぞ!」
サラの大声に弾かれるように、院生たちは慌てて剣を振り始めた。
次回予定「リネアとアーシェ」
フィルの側に魔族がいるのは納得できない、そう言ったアーシェにリネアは…。




