森の様子
森の奥を調べに向かうパエラと玉藻、そして川の畔で待つフィルたち。
パエラは、枝から枝へと器用に飛び移りながら、森の奥を目指す。その横を涼しい顔で飛びながら玉藻は、少し言いにくそうにパエラ話しかけた。
「パエラ、期待を砕くようで悪いが、これは神獣の仕業ではないぞ…」
ピクリとパエラの頬を動き、わずかにスピードが鈍る。
「そっか…残念」
ぼそりと言いながらも、パエラはそのまま進み続けた。
もしやと少し期待したが、やはり神獣なんてものが、そんなにあちこちにいるわけがない。そんな世界なら帝国も魔族もとっくに滅亡だ。自分の期待が滑稽なものに思えて、パエラは口元にやや寂しげな笑みを浮かべた。
フィルは一生の親友だと言ってくれたが、アラクネ族の寿命は長くても150年。フィルとリネアにはもちろん、メリシャにも及ばない。フィルよりも先に死んでしまうことに悩んでいたリネアの気持ちが、今ならわかる。
「そう悲観するな。身が滅んでも、こうしてしぶとく残っている麿や妲己もおる。寿命が尽きる時が、必ずしも別れではないぞ」
「…ありがとう、玉藻ちゃん…うん、今考えても仕方ないね」
「さて、役目を果たすとしようかの。…パエラ、北にある山の方へ向かってみよう」
「わかった」
パエラは、ぐっと身体を傾けて、跳ぶ方向を変えた。
森の中を進むことしばらく。音もなく太い枝の上に降り立ったパエラは、脚を止めた。
木々が途切れ、ぽっかりと空いた空間。森の中に佇む湖…という程の大きさはない。池か沼くらいの水面が広がっていた。
「玉藻ちゃん、ただの池じゃないみたいだね」
パエラは、水面から薄く立ち上る湯気に気付いて、地面に降りた。周りを警戒しながら水辺に近づく。池の周りには生き物の気配はない。
「水が湯になっておるな」
玉藻は水面を覗き込んだ。池は白茶けた色に濁っており水底は見通せない。所々に、プツプツと小さな気泡が水面に上がっていた。
ふむ、と玉藻は池の周りを見回す。浅瀬には、そこに生えていたらしい植物の残骸が折り重なり、水辺に立つ木も茶色くなった葉を落としている。
「パエラ、網を作って底を浚えるか?」
「できるよ」
「頼む」
パエラは、シュルシュルと糸を繰り出して網を編み上げると、投網の要領で池に投げた。広がった状態でゆっくりと沈んでいく網が池の底に着いたところで、一気にたぐり寄せる。
「うわ、骨と泥ばっかだね」
岸に上がってきた網の中には、ボロボロになったたくさんの魚の骨。そして骨と網の目には、褐色の泥がべったりとくっついていた。
「リネアから出ている時、麿は匂いがわからん。その泥、どんな匂いがする?」
玉藻に言われ、パエラは網に付いた泥を指先に取り、くんくんと嗅いでみる。
「硫黄の匂いと、少し錆臭い感じかな」
「ふむ、なるほど…もう骨と泥は捨てて良いぞ」
「何かわかったの?」
プチンと糸を切って網を池に投げ捨てながら、パエラは尋ねる。
「これは温泉じゃな。地下水が地熱で温められてお湯になったものじゃ」
「へぇ…火を焚かなくてもお湯が使えるなんて、便利だね。でもこの匂いじゃ、あんまり飲む気にはなれないかな」
「時には薬になることもあるぞ」
「薬も不味いもんね」
顔をしかめるパエラに、玉藻は可笑しそうに笑った。
「そういえば、あたし達が向かってるアルテルメって街も温泉があるってフィルが言ってたよね」
「そうじゃな。ここはもうリンドニアの外、アルテルメの場所は麿も良く知らんが、ここからそう遠くないのかもしれんの」
玉藻は、池の上をふよふよと漂いながら答える。だが、そのやる気なさそうな仕草とは裏腹に、その目は池とその周りを観察している。
見たところ、この池に流れ込む川や沢はない。おそらく池の底から温泉が湧き出しているのだろう。間欠泉のように勢いよく噴き出す様子もなく、湯の温度も火傷を負うほど熱くはない。周りに危険を及ぼすようなところは見られなかった。
とすれば、森の動物たちが逃げ出した原因ではなさそうだが…
パエラも、池から少し離れて森を見て回ったが、特に変わった様子はなかった。木々が枯れるでもなく、何か大きな魔獣などが暴れた形跡もない。
「確かに動物たちはいないけど…どうしてみんな逃げたんだろ…?」
池のそばに戻ってみると、玉藻は難しい顔で池を見つめて、何か考え込んでいるようだ。
だが、フィルたちをあまり待たせておくのも良くない。パエラは玉藻に声をかける。
「玉藻ちゃん、周りの森には、変わったところはなかったよ」
「そうか…ふむ…」
「もっと調べる?」
「いや、ここはもうよい。もう少し奥を確認して、フィルたちのところに戻るとしよう」
玉藻の言葉にパエラも頷き、地面を蹴って森の奥へと向かった。
……パエラと玉藻が森を調べていた頃、河原に残ったフィルたちは、森から突然現れた狼の群れと対峙していた。
目の前にいる群れの数は、おおよそ30頭前後。そして、後ろには守るべき者がいた。
群れに追われて逃げてきた少年と少女だ。簡素な革鎧と剣を身に着ている。害獣駆除に協力していた保護院の子だった。
10代半ばと思われる少女が、少し年下の少年を背負っている。意識がなく、ぐったりとした少年は、左腕を失っており、傷口からはまだ血が滴っている。
「フィル様、治癒をお願いします」
竜人化したリネアが、前に出た。大刀を構えたエリンと並んで、狼の群れと睨み合う。
強大な力を持つ巨竜ティフォンだが、自分自身を回復させることはできても、他者の傷を癒やす術は知らなかった。長年、人と交わって生きてきた九尾と、ただ己のみで生きてきたティフォンとの違いだろう。
「わかった。任せて」
リネアの背を頼もしく見上げつつ、フィルは少年をその場に寝かせる。フィルが金色の光に包まれた手をかざすと、失われた左腕が金色の光の塊として形作られ、やがてそれは血の通った人肌へと変わっていった。苦し気だった呼吸も、次第に落ち着いたものに変わっていく。
もう一人の少女は、それ呆然とした表情で見つめていた。
マダラオオカミに引きちぎられた自分の腕も、こうして治ったんだろうか、フィルはふと懐かしく思う。あの時は、リネアだけでも逃がそうとマダラオオカミに剣を向けたが、今は、そのリネアに守られている…そこまで思って、フィルは小さく首を振った。
いや、違う。あの時だってリネアは、小さなナイフを握り締めてわたしを守ろうとしてくれたじゃないか…何も、変わってはいない。
「リネア、エリン、治療は終わったから、一気に蹴散らして。取りこぼしは、わたしが仕留める」
『はい!』
フィルの声を合図に、フィルたちを守ることに専念していたエリンとリネアが狼の群れへと突っ込んだ。
エリンは大刀を振り回して狼の首や胴体を次々に切り飛ばし、リネアは竜の鱗をまとった拳や尻尾で狼を殴りつけ、一撃で骨を砕いていく。
途中、リネアの腕に噛み付いた狼がいて、フィルは思わず息を呑んだ。だが、リネアは何ともない様子で大きく腕を振り、狼を地面に叩き付けた。ギャンと声を上げた狼は、一撃で首を折られて絶命する。もちろん、竜の鱗に守られた腕には傷一つついていない。
エリンとリネアが強いとわかると、狼たちは二人を牽制しつつ、その背後へと回り込もうとし始めた。後ろで戦うことなく見つめているフィルの方が、弱そうだとでも思ったのか。
だが、それは間違いだと彼らはすぐに気が付く。抑えていたフィルの威圧感が一気に膨れ上がり、狼たちは本能的にこちらも厄介な相手だと感じ取った。
慌てて逃げに走った残りの狼たちに向けて、フィルが細く絞り込んだ狐火の矢を撃ち込む。命中した狼たちが次々と火柱に変わり、いくらも時をかけずして、狼の群れは殲滅されていた。
「すごい…」
フィルの後ろで座り込んでいた少女がつぶやいた。
「あ、あなたたちは一体…」
驚きがおさまってくると、狼の群れをものともしないフィルたちのことを、少し恐ろしく感じ始めたようだ。少女は小さな声で尋ねた。
くるりと振り返ったフィルは、少女に歩み寄るとグッと顔を近づけた。少女は思わず息を呑む。
「わたしの顔忘れちゃったんだ…悲しいよ…アーシェ」
「どうして、私の名前を…」
顔を上げてまじまじとフィルの顔を見つめたアーシェの目が、大きく見開かれる。
「…フィル様…ですか?!」
保護院は軍に関係する施設のため、エルフェリア家の資金で運営されていた。そのため、父に代わってリンドニアの政務を執っていたフィルも出資者として時々顔を出していたのである。
特に年長の子たちとは、フィルと歳が近い事もあって、剣の練習を一緒にしたりもしていた。アーシェもその1人だ。
「うん。久しぶりだね」
にこりと笑うフィルに、アーシェはじわっと目に涙を浮かべた。
「フィル様、フィルさまぁ…!」
緊張の糸が切れ、すがりついて泣きじゃくり始めるアーシェを、フィルは優しく抱きよせ、ポンポンとその背を叩く。
「よく頑張ったね」
狐人の姿に戻ったリネアと、大刀を肩に担いだエリンが、微笑ましい表情でそれを見つめていた。
次回予定「割り切れぬ気持ち」
オオカミの襲撃を退けたフィルたち。
しかしアーシェは何か言いたいことがあるようで…?




