林檎の木の約束
フィルの好物、林檎のトールタの美味しさに驚くリネアたち。
その美味しさに、リネアは何か思うところがあるようで…?
「さぁさ、まだたくさんあるからね。遠慮なく食べて頂戴」
あっと言う間に一切れを平らげたフィルたちの皿に、ルアがお代わりを置いてくれた。メリシャとパエラは早速二切れ目を夢中で頬張っている。
それを満足そうに眺めていたフィルは、リネアが手を止め、自分の皿のトールタを真剣に見つめているのに気付いた。
「リネア、どうかしたの?口に合わなかった?」
心配そうに訊いたフィルに、リネアは慌てて笑顔を向ける。
「いいえ、とっても美味しいです。…どうしたら、こんなに美味しくできるのかと思いまして…」
サエイレムで食べられる林檎のパティナも美味しいと思っていたが、この林檎のトールタはそれと比べても格別だった。
この菓子に限らず、林檎はフィルの好物だ。サエイレムでも、こんなおいしいお菓子をフィルに食べてもらいたい。
この菓子はこの店の看板商品なのだろう。そのレシピを訊くのはさすがに良くない。リネアは自分の舌で感じた味をどうすれば再現できるか、考える。
調理法が優れているのか、それとも林檎そのものに秘密があるのか。
「リンドニアは、林檎の名産地でね。色々な種類の林檎を栽培しているんだよ。確か、20種類近くあったんじゃなかったかな…」
フィルは誇らしげに言った。フィルはこの味の秘密を何か知っているようだ。
「ルアさん、生の林檎ある?ひとつ、もらっていい?」
「はい。どうぞ」
ルアは林檎の入った籠の中から、一つ取り出してフィルに渡した。淡い黄色でやや小ぶりな林檎だった。
「これがトールタに使われている林檎だよ。少し齧ってみて」
「はい…」
言われるままにフィルが差し出した林檎を齧ったリネアは、意外そうに目を見開いて、自分の手にある林檎を見つめた。
「固くて酸っぱいです…これが、このお菓子になるのですか?」
驚いた。こんなに美味しい菓子になるのだから、さぞ美味しい林檎なのだろうと思っていたのに、口に含んだ果肉は…正直、美味しいとは言えなかった。
甘みよりも強い酸味が舌を刺し、果肉は噛むとカリッと音がするほど固く締まっている。さっき食べたトールタのように蜜をたっぷり含んだ柔らかな林檎とは似ても似つかない。
この林檎がお菓子になると、どうしてこんなに美味しくなるのだろうか…と不思議に思う。
戸惑いの表情を浮べているリネアに、ルアが言った。
「この林檎は、生で食べるには向かないけれど、お菓子やジャムにするには最適なんですよ」
強めの酸味のおかげで砂糖や蜂蜜と合わせても甘ったるくならず、固い果肉は煮詰めた時の煮崩れを防いで適度な歯ざわりを残せる。ルアの説明を聞いたリネアは、自分の皿にあるトールタを口に運んだ。
あまりの美味しさに、さっきは勢いよく食べてしまったが、今度は林檎の味をしっかり確かめるように咀嚼する。滴る蜜は蕩けるように甘いのに、爽やかな酸味のおかげで後味はくどくない。ルアの言ったことがよくわかる。
「なるほど…でも、この林檎はサエイレムでは手に入らないですね…」
リネアは顔を綻ばせ、しかし直後に残念そうにつぶやいた。
いつもサエイレムの市場で買い物をしているリネアは、果物の品ぞろえもよく知っている。だが、この林檎はサエイレムの市場では見たことがない。
せっかくヒントをもらったのに、その材料が手に入らないのでは、試してみることもできない。
「サエイレムでは、林檎はほとんど輸入品だし、林檎を調理して食べること自体まだ珍しいから、生で食べる甘い品種しか出回ってないんだろうね……けど、大丈夫だよ」
肩を落とすリネアに、フィルは笑いかける。
「フィル様…?」
「リネアの家があった場所に林檎の木を植えようって約束したの…覚えてる?」
「はい。もちろんです…」
それは、サエイレムに来たばかりの頃、フィルと一緒にリネアの家があった場所を訪ねた時のことだ。リネアが忘れるはずがない。フィルは、両親を思い出して泣いてしまった自分を抱き締めて、ずっと側に居てほしいと言ってくれたのだから。
「このリンドニアの林檎の苗木を植えようと思うの。生で食べられるものや、お菓子に使うもの、果汁を絞るのに適したもの、色々な種類の林檎を植えた林檎園を作ろうと思うんだけど、どうかな?」
きっとリネアは喜んでくれるだろうと考えていたことだったが、リネアの反応はフィルの予想以上だった。
「素敵です!フィル様!」
リネアは思わず声を上げた。自分の家があった場所に赤や黄色、たくさんの林檎が実り、それを使ってフィル様のためにお菓子を作れたら…なんて素晴らしいのだろう。
「林檎が実るのがとっても楽しみです!」
「さすがに、すぐには実らないよ。…気長に待っててね」
うっとりするリネアに、フィルも嬉しそうに微笑んだ。
「ふぅ、ごちそうさま~」
満足げなパエラの声にフィルがテーブルを見ると、すでに何もない。二切れ目が行き渡った時点で、まだ半分以上残っていたはずなのに。
「あー、おいしかったー」
メリシャもお腹をさすっている。まさか、二人で残り全部食べてしまったのか…
「しまった…食べ損ねた…」
「二人とも、食べ過ぎですよ」
残念そうな表情になったフィルを見かね、リネアがやんわりと注意する。
「ごめんなさい。あんまり美味しくて、止まらなくなっちゃった。フィルさまの言う通り、確かに絶品だよ。このお菓子」
「うん。こんなの初めて食べた」
幸せそうなパエラとメリシャの顔を見たら、文句を言う気も失せる。フィルとリネアは顔を見合わせて苦笑した。
「いいよ。それだけ気に入ってくれたなら、わたしも嬉しいし…でも、これはあげないからね」
フィルは、まだ皿の上にあった一切れを口に運んで、ゆっくりと味わった。
「こんにちわ!」
トールタを食べ終えてまったりしていると、店に若い男性がやってきた。店の前に荷馬車を止めている。
「いらっしゃいませ。あら、マレク」
ルアが出てくると、マレクと呼ばれた男性は、荷馬車に積んでいた籠を一つ降ろしてルアの前に置く。中には、林檎がたくさん入っていた。
「はい、今週の分の林檎を持ってきたよ」
「ありがとう、いくらかしら」
「銀貨12枚だな。悪いね、値上がりばかりで…」
値段を聞いて表情を曇らせるルアに、マレクは申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいえ、仕方ないもの。はい…」
「確かに、頂きました。またよろしく」
マレクと呼ばれた男性は、受け取った銀貨を腰の革袋に仕舞うと、店の中にいたフィルたちにも一礼して出て行った。
「ルアさん、今年は林檎の出来が悪いの?」
値上がりという言葉を聞いていたフィルは、ルアに尋ねる。街道から見た林檎園の実りは良さそう見えたのだが…
籠一杯の林檎で銀貨12枚という値段は、フィルの知っているこの街の相場よりも2割ほど高い。
「いえ、出来自体は豊作と言っていいんですが…」
「豊作なのに、値が上がっているの?…どうして…?」
フィルは小さく首をかしげる。
「ここ最近、郊外の果樹園や畑で野獣の被害が多いのです。作物を荒らされるばかりか、作業中に襲われて怪我をした人も出ていて、今季の収穫を諦めなくてはならなくなったところもあります」
美味しそうに実った果実は、獣たちの格好の餌になる。一口でも齧られれば、そこから腐り、商品としての価値はなくなってしまう。
それに、林檎に限らず、農作物の収穫はとにかく人手がかかる。特に果樹は果実が熟れる時期に合わせて収穫するため、大人数で一気にやってしまうのが普通だ。だが、実際に怪我人が出ている状況で、野獣が出るかもしれない場所で働こうという者はなかなか居ない。
そんな中で人手を集めるのに報酬を高くしなければならず、それでも人手が集まらないとなると、一部の収穫は諦めなくてはならない。そうなれば、当然、収穫できた果実の値段は上がる。
「野獣か…」
つぶやきながらフィルが席を立つと、リネアやパエラもさっと立ち上がる。パエラは隣のメリシャを抱き上げて自分の背におぶった。
こういう時、フィルがすぐに動こうとすることは、これまでの付き合いでよくわかっている。
「ルアさん、ごちそうさま。お代はここに置いておくね。また来るよ」
「はい、またお待ちしています」
フィル達は、林檎を店の奥に運んでいるルアに声を掛けて、店を後にした。
次回予定「獣の氾濫」
リンドニア領で増えている野獣の被害、フィルはその原因を探ろうとします。




