フィルの好物
墓参りを終えたフィルが、リネアたちを案内した場所とは?
「はい、これでパエラはずっとわたしの親友。決まりね」
「あーっ!フィルさま!」
「わたしの親友は、嫌?」
フィルはわざとらしく悲しげな表情を浮かべる。
「そ、そんなことないけど…」
少し俯いて上目遣いに見つめるパエラに、フィルは顔を寄せた。
「…わたしにはパエラが必要なんだよ。これからもわたしの側にいて、わたしを助けて。お願い」
一転して真面目な口調になり、フィルはパエラだけに聞こえるように囁いた。
「フィルさま…」
その意図するところは、パエラにもよくわかる。
これから先も、フィルが広大な領地を治める立場でいる限り、きれい事だけで全てが済むわけがない。今後も元老院がフィルを目の敵する事は間違いないし、魔族との融和に不満を持つ人間もまだまだ多い。いつどんな敵が現れるかもわからない。それらに対抗するには、秘密裏に情報を集める優れた目や耳が必要だし、大グラウスを討ちに行った時のように、政敵を物理的に排除しなければならないこともあるだろう。
それが必要になった時、パエラはフィルの影を担う。フィルがそれを求めるのなら、パエラは喜んで引き受ける。
「…いいよ。あたしに任せて」
パエラは肩の力を抜いて、素直に頷いた。そして、顔を上げて目の前の墓を見つめる。
「アルヴィンさま、ユリスさま、あたしはパエラと言います。最初は、フィルさまの護衛として雇われました…でも、フィルさまの側は居心地が良くて、いつの間にかフィルさまを大好きになってて……フィルさまの側にいたい、離れたくない、と思うようになりました……」
パエラは一度躊躇うように口を閉じたが、それまでよりも力を込めた声で続けた。
「フィルさまはあたしを親友だと言ってくれました。それに、あたしはリネアちゃんも、メリシャも大好きだから、みんなの側にいられて、あたしはすごく幸せです。これからも一緒にいて、一緒に笑って、時には一緒に泣いて、生きていきたいと思います」
それは、アルヴィンたちに向けた言葉だったのか、それともフィルたちに向けた言葉だったのか、実のところパエラ自身にもよくわかっていない。でも、それを口にしたことで、パエラの心はすっきりした。その顔には、晴れやかな笑顔が浮んでいた。
4人揃ってエルフォリア家の墓碑に一礼し、帰路に着く。
前にここに来た時、それはサエイレムに向けて旅立つ直前、両親に別れの挨拶をしに来た時だった。
その時、フィルの心を塗りつぶしていたのは、ただ寂しさと不安のみ。
唯一人の家族だった父を亡くした上、故郷を離れ、戦場だったサエイレムへ行かなければならない。
こんな若輩の自分に、父が治めるはずだった領地を任せてもらえるのは名誉なことだと思うし、サエイレムでは、幼い頃から知っているバルケスやエリンたちが待っている。
しかし、父の死からこれまでに受けてきた仕打ちを思えば、これからだって何事もなく済むとは思えなかった。
それに、サエイレムにいるという魔族とは、どんな人々なのだろう、10年もの間、帝国と戦争してきた相手だ。果たして自分に従ってくれるのだろうか……考えれば考えるほど不安にさいなまれた。
それから1年もたたないうちに、こうして一緒に歩いてくれる家族ができた。親友ができた。それを両親に報告できた。彼女たちは全員魔族だけど、両親はきっと喜んでくれていると思う。
わたしの側にいてくれて、本当にありがとう。
フィルは心の中で、リネア、メリシャ、パエラそれぞれに礼を言った。
「みんな、ちょっと寄り道しない?」
屋敷へと戻る道すがら、フィルはそう言って街の中へと足を向けた。
「どこに行くんですか?」
「せっかくみんなで出かけたんだから、美味しいもの食べて帰ろうよ。この先に、わたしのお気に入りのお店があるの」
一歩前に出て、くるりと身体ごと振り向き、フィルはにっこりと笑った。
大通りから少し路地を入った場所に、その店はあった。甘くて香ばしい匂いが店の前まで漂っている。
「おはよう!ルアさーん!」
「あらあら、姫様。お久しぶりです…昨日こちらにお戻りになったとは聞いていましたが、早速来て下さるなんて…!」
フィルが店の前で声をかけると、小太りの女性が店の奥から現れ、フィルに駆け寄った。
「ルアさん、元気だった?ここのお菓子が恋しくて、早速来ちゃった」
「まぁ、それはありがとうございます」
嬉しそうにお辞儀をするルアに、フィルはリネアたちを紹介する。
「みんな、こちらはこの店の店主のルアさん。…ルアさん、紹介するね。リネアとメリシャ、パエラ。みんなにルアさんのお菓子を食べさせたくて」
ルアは、フィルの後ろで少し遠慮がちに頭を下げる3人に目を向け、わずかに身を固くした。
リネアという娘のことは街の噂で聞いているが、獣の耳に尻尾、さらには蜘蛛の身体と、見慣れない彼女達の姿にはやはり驚いてしまう。
「ルアさんのお菓子は、とてもおいしいんだよ」
フィルは楽しそうにリネアたちに笑いかけ、お気に入りのお菓子について話す。しばしフィルの様子を見つめていたルアは、やがて身体に入っていた力を抜いた。
サエイレムに向かう前の日、ここに来たフィルは、こんな風に笑えていなかった。無理をした笑顔を貼り付けて菓子を口に運ぶ様子が痛々しくて、見ていられなかった。
そのフィルが、今は楽しそうに笑っている。それがこの娘たちのおかげであるなら、感謝したい。
「さぁ、皆さん、こちらの席へどうぞ…蜘蛛のお嬢さんには、敷物を持ってくるから、少し待っててね」
「あ、ありがとう!」
お嬢さんなんて言われたのは初めてで、パエラ頬を赤くして顔を伏せた。
「姫様、いつものやつでいいですか?」
「うん。一番大きなサイズの中身大盛りでお願い」
「はいよ。少し待っててくださいね」
ルアが店の奥に引っ込むと、遠慮していたリネアとメリシャは物珍しそうに店の中を見回す。
「フィル様、ここはパンのお店ですか?」
壁際の棚には、大きな丸いパンが並べられているのを見つけて、リネアが尋ねた。
「パンとお菓子のお店だよ。…さっきルアさんに頼んだのは、わたしが大好きなお菓子でね。絶対おいしいから、楽しみにしてて」
「フィル、そのお菓子って、甘いの?」
お菓子と聞いて、メリシャが身を乗り出した。
「うん。トロトロ甘々。すごく美味しいんだよ」
「リネアのミルクトーストより?」
メリシャは自分の大好物を挙げる。
「リネアのミルクトーストは絶品だけど、ルアさんのも負けてないと思うよ。どんなお菓子なのかは、来てからのお楽しみ」
味を想像したのか、メリシャの顔が緩んだ。
子供の頃からのフィルの思い出などを話しながら待つことしばし。
「はい、お待たせしました」
『うわぁ…』
フィルも含め、全員から感嘆の声が漏れる。
テーブルの上に置かれたそれは、小麦の生地を固く焼いて丸い皿状にした中に、シロップで柔らかく煮詰めた林檎を詰めた、『トールタ』というお菓子だ。
圧巻なのは、その林檎の量。スライスされた林檎の果肉が、円形の生地の中に溢れんばかりに敷き詰められ、こんもりと盛り上がっている。その表面には、仕上げに林檎のジャムがたっぷりと塗られており、甘酸っぱい香りが店の中一杯に広がる。
「すごい…こんなの絶対おいしいに決まってる」
メリシャは目をまん丸にし、パエラは口を半開きにして涎を垂らさんばかりである。
「さ、召し上がれ」
ルアがホールのトールタを切り分けて、それぞれの皿に置いてくれる。切り口からとろりとこぼれる林檎の蜜を見せつけられて辛抱などできようはずもない。
『いただきまーす!』
待ちきれないとばかりにフィルは、生地の端を掴み、溢れる蜜をこぼさないよう素早く囓り付く。瞬間、林檎の果汁とジャムが混ざり合った蜜が口の中いっぱいに広がった。さらに、林檎と生地の間には、細かく砕いたナッツが挟まれていて、香ばしさとカリッとした食感を添えている。
「んふーっ!」
久しぶり好物に、フィルは思わず頬を押さえて悶えた。
「何これ…口の中が幸せすぎて大変なことになってるんだけど」
「おいひぃ…」
「…はぁ…」
パエラとメリシャが声を上げ、リネアはうっとりと嘆息するばかり。もはやトールタの虜になったのは明白であった。
次回予定「林檎の木の約束」
両親への挨拶に加え、フィルはもう一つの約束も忘れていません。




