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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第4章 フィルのお忍び旅
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リネアの噂

故郷リンドニアの都、リフィアに戻ってきたフィル。

魔族が珍しいこの地で、リネアのことを市民たちが知っていた理由とは?

「へぇ…リネアがわたしを助けてくれたこと、みんな知ってるんだ」

 フィルも、周りに市民たちの声に耳を澄ます。

「そ、そんな、困ります…!」

 珍しく早口に言うリネアは、気恥ずかしさでいっぱいいっぱいだ。


「どうして?…リネアは本当にわたしの命の恩人なんだから、わたしはもっとみんなに知ってほしいよ?」

「フィルさまぁ~」

 心の底から不思議そうに言うフィルに、リネアの耳がへにょりとしおれる。一番の味方のはずなのに…。

 リネア命のフィルである。リネアを侮辱することは断じて許さないが、称賛されることは我が事のように嬉しい。むしろ自ら率先して広めたいくらいだ。


「リネア、まずは馬車に乗れ。屋敷に行って、フラメアの言い訳を聞こうじゃないか」

「そうですね…」

 冷静に言うエリンが、リネアにはとても頼もしく見えた。


 再び通りを進み始めた馬車は、やがて緑の生垣に囲まれた大きな屋敷の正門へと差し掛かった。旧エルフォリア家本邸、フィルが1年ほど前まで暮らしていた屋敷である。

 現在は、リンドニア領の政庁として使用されているが、その佇まいはフィルの記憶の中とほとんど変わっていなかった。懐かしい自宅の姿に、フィルは嬉しそうな笑みを浮かべる。

 

 屋敷の前庭を抜け、馬車は屋敷の正面玄関に到着した。すでに、10人ほどの男女の使用人たちが並び、久しぶりの主の帰還を待ちわびていた。

 彼らは、フィルがここに住んでいた時からの使用人である。フィルがサエイレムへ向かう時、住み慣れたリフィアを捨てて魔族がいる町へ移住する決断がどうしてもできず、ここに残った者たちだ。


 …赤ん坊の頃から知っているフィルがサエイレムに向かうのを見送った時のことは、彼らの心をずっと苛んでいた。

 自分が一番不安だろうに、彼らに決して無理強いをしなかった優しい主。

 だから彼らは、せめてもの罪滅ぼしのつもりで、エルフォリア家の使用人の立場を解かれた後も、他の仕事をしながらこの屋敷を守り続けていたのである。

 いつか、フィルが戻ってきた時のために。その時は、彼らが思っていたよりもずっと早く訪れた。


 パエラと並んで御者台に乗っていたフィルは、馬車が止まると同時に飛び降りた。

 本来なら、使用人の手を借りて優雅に降りるところだ。飛び降りるなど貴族令嬢としては甚だ不適切な振舞いではあるが、ここにそれを指摘する者など誰もいない。それが「フィルお嬢様」の本来の姿だと、ここにいる誰もが知っているからだ。


『お帰りなさいませ、フィルお嬢様!』

 声をそろえて言う使用人たちに、フィルは大きな声で応じた。

「ただいま!…みんな元気そうで良かった…屋敷を守ってくれて、本当にありがとう!」

「お嬢様…!」

 ここを出て行った時とは違い、陰りのない笑顔を向けたフィルに、使用人たちは声を詰まらせる。


 その様子を後ろで見ていたリネアとメリシャ、パエラに、使用人たちの目が向いた。魔族であることを気にして、つい緊張する3人に、使用人たちは恭しく頭を下げる。

 使用人たちの中で一番上位と思われる、初老の男性がリネア達に近づいた。


「リネア様、メリシャ様、パエラ様ですね。使用人頭のレリウスと申します。皆さまは、フィルお嬢様の恩人だとフラメア様から伺っております。…我ら一同、感謝申し上げます」

 レリウスと同時に、他の使用人たちも深く頭を下げる。


「…い、いいえ、そんな…!」

「メリシャの方がフィルに助けてもらったのに…」

「もうっ、フラメアさまは、話を大きくしすぎだよ!」

 丁寧に礼を言われ、逆に戸惑ってしまう。


「フィル様!」

 建物の奥から小走りにフラメアがやってきた。

「ご案内します。どうぞ、こちらへ」

「ありがとう」

 勝手知ったる自分の家だが、フィルは大人しくフラメアの案内に従う。フラメアは廊下を進み、広間へと一行を案内した。


 食堂を兼ねた広間は、父が家臣たち食事を共にし、意見交換を行う場であった。確か、大人数で囲める大きなテーブルが置かれていたはずだが、テーブルは片付けられ、テーブルのあった場所には、おそらくサエイレムから運んできたのであろう分厚い絨毯が敷かれている。


「今後のことも考え、サエイレム風に変えさせて頂きました」

 フィルたちを広間の中へと案内しながら、フラメアは言った。まだリンドニア政庁に魔族はいない。

 だが、サエイレム属州の一部である以上、いずれは魔族との交流も始まるだろう。その時のため、リンドニアの者たちに、まずは形だけでも慣れておいてもらおうとフラメアは考えた。政庁の会議でも、絨毯の上に皆が座って議論しているという。

「ありがとう。早速、先のことも考えてくれているのね」

 フィルは、嬉しそうに微笑んで絨毯の上に腰を降ろす。


「ところでフラメア、リネアのことが街の人たちに広まっているのは、どうしてなの?」

 みんなが絨毯の上で車座になったところで、フィルはフラメアに尋ねた。


 リンドニアでも、魔族は決して歓迎される存在ではなかった。帝都やベナトリアのような露骨な差別感情があるわけではなかったが、長年に渡って戦争をしている相手であり、エルフォリア軍の将兵の多くはリンドニアの出身、家族もここにいる。そして戦争である以上、当然、戦死する者もいる。自分の身内を殺されて、その相手に良い感情を持てるはずもない。


 だが、少しづつ空気が変わり始めたきっかけは、戦争が終わり、フィルがサエイレム総督に就くことが決まったことだった。サエイレムがフィルの領地となり、引き続き現地に駐屯することになったエルフォリア軍の将兵が、こちら残していた家族を呼び寄せ始めたのだ。

 当然、魔族もいるサエイレムでの生活を不安に感じ、移住を渋る家族に、兵たちは胸を張って言った。魔族はみんなが敵ではない。魔族にも様々な種族がいて、見た目こそ多少違うが人間と何も変わらないのだと。

 人間だって、いい人間もいれば悪い人間もいる。人間同士で戦争をすることも珍しくない。肌の色や髪の色が違ったり、体格だって違う民族がいるではないか。それと同じだと。


 説得に折れてサエイレムに移住した者たちから、リンドニアに残った親族や友人に宛てて手紙が届くようになると、魔族への反発はさらに和らいでいった。サエイレムでの暮らしのことが口伝えに広がり、リンドニアからサエイレムに『行かされた』フィルが、魔族の暮らしを良くして、人間と魔族が共に暮らせるように頑張っていること、そしてたくさんの魔族たちから信頼を寄せられていることが知られるようになったからだ。


 …それでも、リンドニアではほとんど見ることのない魔族に対して、親しみが持てるとまではいかなかったのだが、総督代行として着任したフラメアは、更なる一押しとしてフィルとリネアのエピソードを街に流した。

 この街でのフィルの人気は言わずもがな。フィルと魔族の娘との感動的な友情物語となれば、街の者たちは興味津々だ。結果、リネアの噂はフラメアの予想を上回る勢いでリフィアの市民たちに広がったのである。


「…リネアちゃんには、魔族の印象を良くするためのヒロインになってもらいました。今や、リネアちゃんはリンドニアの有名人ですよ」

「私が、ですか?」

 リネアは驚いた様子で問い返す。


「リネアちゃんは、サエイレムに行く途中で襲撃されたフィル様の命を助けてくれました。それに、闘技大会でもフィル様の身代わりとなって刺客の矢を受けています。その話を、リンドニアに広めたんです」

 確かに嘘ではないが、どちらも自分の方がフィルに助けられたと思っているリネアにとっては、とても恥ずかしい。


「魔族の身でありながら、人間のフィル様を身を呈して救ったとなれば、民たちがリネアちゃん、つまり魔族に良い印象を持つと考えました」

「うん。そのアイディア、すごくいい!さすがフラメア」

 大絶賛のフィルとホッとした表情のフラメアに、リネアは小さくため息をつく。


「リネア、嬉しくないの?」

 きょとんとして見上げるメリシャに、リネアは微妙な表情を向ける。

「私はいつもフィル様に助けてもらっているのに…そんなに褒められるのが、恥ずかしくて」


「リネア、それは違うぞ」

 黙って聞いていたエリンが言った。

「リネアはもっと胸を張って良い。私もリネアには感謝しているんだ」

「感謝、ですか?」


「あぁ。リネアがフィル様の側にいてくれたから、フィル様は立ち直れたと、私は思っている。リネアがフィル様を見つけた時、フィル様は、最後まで自分を守ってくれた護衛兵たちを目の前で皆殺しにされて、ご自身も致命傷を負わされていたんだ。身体の傷以上に心が平気でいられるはずがないだろう?」

 エリンは一旦言葉を切り、少し辛そうに目を伏せる。フィルも反論はしない。あの時フィルは生きることを諦めていた。それは本当だからだ。


「その大変な時に、私はフィル様の側にいなかった。私はフィル様を助けられなかったんだ。…もし、フィル様がそこで命を落とされたり、心を病んでしまわれたりしていたら、私は一生悔やみ続けただろう。リネアを連れたフィル様がサエイレムに現れ、襲撃の話を聞いた時、私はリネアに心から感謝したんだ。よくフィル様を守ってくれたと」

 リネアも真剣にエリンを見つめ返す。

「…素直に喜べばいい。リネアはそれだけのことをしたんだ」


「そうだよ。わたしはリネアにいつも助けてもらってるよ。リネアがいなかったら、わたしは今、生きてないよ」

 うんうん、とフィルも大きく頷きながら言う。

「ありがとうございます。エリン様、フィル様、嬉しいです」

 ようやくリネアも素直に頷き、表情を明るくした。


「リネアの話が広がったおかげで、実際、ずいぶんと魔族に対する見方は良くなったみたいね」

「はい。魔族が珍しい土地ですので、奇異に見られることはあるかもしれませんが、少なくとも魔族だからと拒絶されることはないと思います」

 フラメアの答えに、フィルは満足そうに頷いた。

次回予定「家族と親友」

フィルは、リネアとの約束を果たすため、ある場所へと向かいます。

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