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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第4章 フィルのお忍び旅
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フィルの故郷

フィル達の旅はベナトリアからリンドニアへ。フィルは久しぶりに故郷に帰ってきました。

 魔族の村を出発して半月後。

 フィル達一行は、青々と茂る木々の間の街道を進んでいた。


 フィルは、領都イスリースに立ち寄り、数日かけて今後のベナトリア統治についてグラムと相談した後、またお忍びの旅に戻ってアルテルメへ向かった。

 街道を北へと進み、幾つかの町や村に立ち寄り、その暮らしぶりを確かめる。

 リネアやパエラの姿には、まだ奇異や恐れの視線が向けられることも多かったが、それは徐々にでなければ変えられないことと割り切ることにした。


 そして一行はベナトリア領を過ぎてリンドニア領へと入った。

 リンドニアはエルフォリア家の旧領。サエイレム総督となる前にフィルが暮らしていた土地である。

 フィルが生まれたのは帝都だが、生まれてすぐに父の領地であるリンドニアに移された。だから、フィルにとって故郷と言えばこのリンドニアだ。


 将軍を務める父アルヴィンが、魔王国との戦争の激化で長く領地を空けるようになると、留守中の政務は父の代理としてフィルが担うようになった。

 もちろん、その頃のフィルはまだ10歳にもならない子供。今のサエイレムのようにフィルが率先して政策を動かすのではなく、家臣たちが実務を担い、フィルは最終的にそれを承認するだけだったが、領地を治めるということがどういうことか、リンドニアを治めた数年の経験は、フィルにとっては貴重な財産となった。


「きれいなところですね」

 窓の外の風景に目を奪われながら、リネアはフィルに言った。そこに広がっているのは林檎の果樹園である。

「ありがとう。リンドニアの林檎園を、ぜひリネアに見せたかったの」

 嬉しそうに笑みを返した。そして前を指さす。両側に林檎の木が立ち並ぶ道の向こうに、白い壁と褐色の屋根に覆われた大きな街があった。

「あれが、リンドニア領都リフィア。わたしの故郷だよ」


 サエイレムのような城壁をもたないリフィアの街だが、街をぐるりと取り囲むように、農業用水路を兼ねた濠が設けられている。街の入り口、濠を渡る橋のたもとに簡単な関所が置かれ、街に入る者の確認を行っていた。

「止まれ」

 門兵の声に、パエラは詰所の前で馬車を止める。


 御者台に座るパエラの姿に、門兵は驚いた表情を浮かべてはいたが、露骨に差別するような言動は見せなかった。

 ゼラから降りたエリンが、門兵に全員分の身分証を差し出す。

 書類を門兵が確認していると、そこへ何かの用事でやってきたらしい文官が通りかかった。街の外へ出るところなのか、文官は門兵に軽く挨拶して通り過ぎようとしたが、すれ違う際にエリンの顔を見て、慌てて足を止める。


「…エ、エリン様?!」

 彼は、総督代行を務めるフラメアと一緒にサエイレム総督府から赴任した文官の一人だった。

 当然、エリンの顔もよく知っている。しかし軍団長であるエリンがこんなところにいるなんて、夢にも思っていなかった。

 驚いて声を上げた文官に、門兵が訝し気な視線を向ける。

「レスキオ殿、お知り合いですか?」

「す、すぐお通ししてくれ。こちらは、エルフォリア第二軍団長、エリン・メリディアス様だ」

「なっ…?!」

 フラメアの所に着くまでは商人一行で通すつもりだったのに、こんなところで顔を知っている者に出会うとは…エリンは思わず額を押さえる。


 だが、門兵は門兵で、騒ぎに気付いて馬車の窓から顔を出したフィルを見て声を上げた。

「フ、フィル様?!…フィル様ではありませんか!」

「見つかっちゃった…」 

 フィルは苦笑いしつつ、馬車から降りる。色々なことがあったとは言え、フィルがこの街を離れてまだ1年。それまでの十数年を暮らしたこの街で、フィルの顔を見知っている者は当然多い。


「ただいま」

 微笑んで言うフィルに、詰所にいた兵たちも慌てて飛び出してきた。

 フィル様だ!フィル様がお戻りになられた!と喜色を湛えて口々に言う門兵たち。ずいぶんとフィルが慕われているのがわかる。


 彼らにとってみれば、長年この土地を治めてきたエルフォリア家こそが本当の領主。フィルがサエイレムに行った後、ベナトリアから派遣されてきた役人がリンドニアを治めることとなったが、税率を上げ、民からの要望には耳を傾けもせず、搾取した富をベナトリアに送るだけの者を、誰が信頼するというのか。


 しばらく前に、フィルが総督を務めるサエイレム属州にリンドニアが併合されるという命令が届き、総督代行としてエルフォリアの家臣であるフラメアがやってきた時、市民たちはようやく我慢の時が終わったと安堵したものだ。

 …だが、本音を言えば、リンドニア総督として、フィルにこの街に帰ってきてほしかった…口には出さなくても、そう思っている者は多かった。そのフィルが帰ってきたのだ。すぐに町中に触れ回りたい。


「フィル様…お帰りなさいませ!」

 門兵たちはフィルたちに道を開け、道の脇に整列する。

「ありがとう。皆も変わりなさそうで、安心したわ…通らせてもらうわね」

 礼を言って馬車に乗り込もうとするフィルに、門兵たちをまとめる班長が声をかけた。


「フィル様、できましたら、街の者たちにもお顔を見せてやってください。皆、喜ぶと思いますので」

「わかった…ちょっと恥ずかしいけど、…それで皆が喜ぶなら、そうします」

 フィルは、馬車の中に乗り込むのをやめ、パエラの隣の御者台に座る。エリンも騎乗し、一行はゆっくりと進み始めた。


 手を振ってくれる門兵たちに手を振り返すフィルに、パエラが囁く。

「フィルさま、すごい人気じゃない」 

「もう、パエラまでからかわないでよ」


「いいじゃない。良い事なんだから。…今もだけど、フィル様は昔からいい領主だったんだなって、あたしも少し嬉しくなっちゃった」

「そ、そんなことは…」


「パエラちゃんの言う通りです。フィル様がこんなに慕われていて、私も嬉しいです」

「フィル、すごいね」

 馬車の中からリネアとメリシャにも言われ、フィルは恥ずかしそうに頬を染め、ありがとう、と小声でつぶやいた。


 濠に掛けられた石造りのアーチ橋を渡り、ゆっくりと街の中へと入っていく。町の中心を南北に貫く大通りは、真ん中はきっちりと石畳の敷かれた馬車が通る車道、そしてその両側には車道よりも一段高く造られた歩道があり、街の人々が行き交っていた。

 目指す旧エルフォリア家本邸は、この大通りの突き当りにある。


「おい、あれはフィル様じゃないか?!」

 1人の男が声を上げたのをきっかけに、騒ぎが大きくなっていく。

「フィル様だ!あのお顔は間違いない」

「エルフォリアの姫様がお戻りになられたぞ!」

 声が声を呼び、沿道の通行人たちがこぞってフィルに手を振ってくれている状況になってしまった。

「あ、あはは…」

 あまりの反応に、フィルも引きつった笑みを浮かべて手を振り返す。


 と、通りの向こうからすごい勢いで馬が走ってきて、先導するエリンの目の前で急停止した。

「フラメア、久しぶりだな。元気だったか?」

 よう、と気楽に手を挙げるエリンに、駆け付けて来たフラメアが叫ぶ。

「エリン!いつ頃到着するか、先触れくらい寄こしなさい!」

「すまんすまん。そう怒るな」

「もぅ…」

 悪びれることなく言うエリンに、フラメアは盛大にため息をつき、ようやく微笑みを浮かべた。


 馬から降りたフラメアは、御者台に座るフィルの前で、軽く頭を下げる。

「フィル様、ようこそリンドニアへ。お帰りをお待ちしておりました」

「ありがとう。騒がせてしまってごめんなさい。でも、…こんなに皆が歓迎してくれるなんて、嬉しいよ」

 

 フラメアの声に気付き、リネアも馬車から降りて一礼する。

「フラメア様、お久しぶりです」

「リネアちゃんも、元気だった?…色々あったみたいね、というか…正直、信じられない報告が回ってきたけど…」

 たぶんティフォンのことだろうと察したリネアは、やや言いにくそうに口を開く。

「…えーと、その。…私もフィル様と同じになりました」

「家臣としては、正直、でたらめなのはフィル様お一人で十分なんだけどな…」

「フラメア、聞こえてるからね」

 フィルは、じとりとフラメアを睨む。


 だが、その会話が聞こえていた周りの市民たちは、会話の内容よりもリネアの名前に反応した。ざわめきが広がる。

「おい、あの娘がリネア嬢らしい…」

「魔族の身なのに、初めて会ったフィル様を命がけで助けたんだよな」

「あぁ。あの娘がいなければフィル様は命を落とされていたって話だ」

「そりゃ感謝しないといけないねぇ」

「今やフィル様の一番のお気に入りらしいぞ」


「な、な…」

 小声で囁かれる自分の名を耳にしたリネアが、慌ててフラメアに詰め寄る。

「フラメア様!どうして私のことが…?!」


 だが、フラメアはバツ悪そうにすいっと目を背けると、乗ってきた馬にサッとまたがった。

「あー、リネアちゃん、そのあたりのことは、後で説明するから。…フィル様、私は先に屋敷に戻っていますので、ゆっくりお越しください。ではっ!」


「逃げたな」

 くるりと馬の首を回らせて走り去っていくフラメアの後ろ姿を眺めながら、エリンが呆れた表情でぼそりと言った。

次回予定「リネアの噂」

サエイレムから遠く離れたリンドニアで、どうしてリネアのことを誰もが知っているのか。

その真相は…?

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