村の未来と別れの時
奴隷を差し出す必要はなくなったものの、貧しい村の暮らしを良くするにはどうすればいいのか?
「エリンから聞いたと思うけど、この村をどうしていくか、皆が望むように手助けしたいとわたしは思ってる。正直、この村のある場所は、周りとの交流を取りづらいし、ベナトリアの人間も魔族を好意的に受け入れる状況にはない」
フィルはあえて現実を正直に言う。
「これから先、この村の存在が公になったとしても、暮らしがすぐに改善することは無いと思う」
村のことをひた隠しにしたり、奴隷を差し出す必要はもうないが、それと暮らしの問題は別だ。フィルとしては、奴隷にされた子供たちの捜索と救助、そしてこれまでの扱いに対する補償として、ある程度の援助は考えている。しかし、それも一時的なものだ。
地理的に不便で、これといった産業もなく、しかも人間側の魔族への偏見は根強い。村の存在が認められても、それだけで交流が進むと考えるのは、あまりにも楽観が過ぎる。
「わたしとしては、サエイレムに帰ってきてはどうかと思ってるけど……もちろん、これからもここで暮らしたいのならそれも認める」
サエイレム港の荷扱い量は増え続けている。この村の住人を全て受け入れたとしても、働き口を斡旋することはできる、と思う。しかし、本人たちがそれを望まないのなら無理強いはできない。
「フィル様、ありがとうございます」
ドルグは、小さく息をついて口を開く。
「エリン様からサエイレムに帰ってきても良いと聞いた時は、嬉しく思いました。しかし、我々は戦争で同胞達が苦しむ中、サエイレムを捨ててここに逃げてきた者です。正直、帰ることに対する後ろめたさや、村を割ってしまう事への不安もあります」
ふむ、とフィルは腕組みする。
難しい問題なのはフィルもわかっていた。全員が快くサエイレムに帰ることを希望すれば話は簡単だが、そうではあるまい。希望者だけをサエイレムに帰すにしても、あまり村の人口が減りすぎれば、ここでの暮らしが成り立たなくなってしまう。そうなると、帰りたい者と残りたい者で対立が生じることも有り得る。
「なるほど…でも、ここで暮らしていける?」
「暮らしは何とかなると思います。ただ、フィル様のご心配のとおり、周囲との交流は進まないでしょう。この村と外とを隔てる広い森は、身を隠すには役立ちましたが、村から出るのも村を訪れるのも大変です」
「そうね…」
通り抜けるのに馬車でほぼ1日かかる広い森は、確かに難物だ。道を整備したところで距離の問題は変わらない。しかも、街道の中継点でもなく、わざわざ訪れるべき理由もないとなれば、この村に外から人が訪れることは少ないだろう。
それでは、この村の貧しい暮らしは何も変わらない。いっそ、強制的にサエイレムに連れ戻した方が、結果的に良いのではないか、とも思ってしまう。
「閣下、提案してもよろしいでしょうか?」
声を上げたのは、ラナスだった。フィルが頷くと、ラナスはフィルの隣に進み出て言葉を続けた。
「この手つかずの森は、貴重な財産です。それを生かしてはどうかと思います」
「…詳しく聞かせて」
「はい。閣下もご承知かと思いますが、エンケラを含むベナトリア南部地域は、帝国でも有数の穀倉地帯です。ですが、長年に渡って開墾が進められてきた結果、土地の大半は農地となり、大規模な森林は、ここのようなルブエルズ山脈の山麓一帯に残るのみとなっています。そのため、燃料や建材などに使用する木材が慢性的に不足気味なのです」
「それなのに、どうしてこの森林に手が付けられなかったの?」
フィルは首をかしげる。森林から供給される木材は、農産物に匹敵する商品価値がある。市民生活に必要な薪や建材だけでなく、金属精錬のためには大量の木炭が必要だし、船の材料としては大木から採れる大きなサイズの木材が欠かせない。この地域に限らず大規模な森林のある場所が限られている帝国では、民需・軍需の双方で需要はあったはずだ。
「レントやこの村を含むルブエルズ山脈の一帯は、前総督の命令により、外からの人の立ち入りが制限されていたので、森の利用を進めることが出来ませんでした」
おそらくは、白骨街道の存在と、そこを軍事利用していることを隠すための措置。大グラウスの発案というより、この地域を良く知るルギスの献策だろう。結果として、この地域のことを語ることはベナトリアでは半ばタブーとなった。それが今回の奴隷売買の隠蔽にも一役買っていたというわけだ。
「もし閣下の許しを頂けるなら、今後、本格的にこの森の利用を進めたいのです」
「なるほど、この村をそのための拠点にしようというわけね」
「はい、いかがでしょうか?」
フィルは、ドルグに目を向けた。
「ドルグ、どう?」
「…森の利用、ですか…」
ドルグはそう呟いて考える。村でも森の木々を伐採して利用してきた。だが、それは家を建てたり畑に獣避けの柵を作る材料、そして日々の煮炊きや冬の寒さをしのぐ燃料として必要な分だけだった。だから、ラナスに森の利用と言われても、それがどう収入につながるのかイメージがわかない。
「村の皆だけで木々の伐採や運搬をするわけじゃないわ。人間の労働者もここに来て、一緒に働くことになる。もちろん、人間がいきなり村に入り込むのは難しいだろうから、まずはこの村の近くに人間の住む開拓村を作って、一緒に働くところから始めることになる、そんな感じかな。伐採した木材は、一定の寸法に加工して荷馬車で運び出し、木材を扱う商人たちが買い取る。」
フィルが、少し具体的な方法を話して聞かせた。
「村の収入は、村の者たちが働いた賃金、木材を売って得られた収入の何割か、…あとは、働く人間たちに宿や食事を提供すれば、それも収入になるでしょうね」
やり方としては、フィルがサエイレム港を拡張した時と同じだ。村の男たちの働き口を作ると同時に、女性や子供には労働者の暮らしの面倒を見てもらう。そうやって、村全体に利益が落ちる仕組みを作る。
「…むぅ」
ドルグは低く唸って眉間に皺を寄せた。フィルの考えを全て理解できたわけではないが、確かにこの村で売れる商品になり得るのは、立派な森の木々くらいだ。それに、大々的に木材を切り出すには、村の者たちだけではとても手が足りず、人間たちを受け入れなければならない必要性もわかる。
だがその反面、人間たちを村に受け入れることは不安だ。フィルのことは信頼できると思っているが、ここにやってくる人間全てがフィルのように魔族を対等に扱ってくれるとは限らない。
村が栄えなくても、ここでひっそりと暮らしていくという選択肢もあるのではないか、そうも思ってしまう。
無言で考え込むドルグが不安を抱いていることは、フィルにもわかった。彼らが人間を信用しきれない今の段階で、人間を受け入れる前提の話に素直に頷くことはできないのは当然のことだ。
小さく息をついたフィルは、ラナスに言う。
「この村の者たちは、人間に騙され、大切な子供たちを連れ去られてきたわ。今すぐに人間を受け入れろというのは難しいかもしれない」
「…そう、ですな…」
ラナスは肩を落としてフィルに同意する。
「だけど、そうなると村は貧しいままになってしまうわね…」
「フィル様、よろしいでしょうか」
それまで黙っていたグラムが口を開いた。
「木材の産出を始めるには、この村までの街道整備が必要です。まずは、この村の者たちに街道整備の仕事に就いてもらい、賃金を支払うと言うのはいかがでしょうか。街道の設計や作業指導のため、数人の技師たちを村に入れる程度なら、この村の者も不安がることはないでしょう。街道整備の仕事を通して、少しづつ人間と直接接する機会を増やしていけばよいのではないかと」
それなら、とフィルも思う。
「ドルグ、どうかな?」
「はい。それなら大丈夫だと思います」
やや安堵した表情のドルグに、フィルはやや厳しい口調で言葉を続けた。
「…技師たちに危害を加える者が出ないよう、保証してもらえる?」
これまでのことを考えれば、村の者の中にも人間に敵意を抱く者はいるはずだ。だからと言って派遣した技師たちに何かあれば、人間と魔族の感情的な対立が生まれ、この計画は水泡に帰してしまう。
「もちろんです。人間たちの安全については、私が責任を持ちます」
ドルグもしっかりとフィルと目を合わせて答えた。
「ありがとう。それならあとは任せます。グラム、ラナスやドルグと、今後のことについて良く相談して。それと、村の者たちの要望はできるだけ尊重してあげてね」
「はっ、承知しました」
早速、丁寧に自分の考えを説明し始めるグラムに、この様子ならもう細かい口出しはいらないだろうと思ったフィルは、そっと部屋を出た。
今後、ベナトリアとアラクネ領を結ぶ交易路として白骨街道を整備する構想が本格化すれば、この地域に、もっと人も魔族もやってくる。すぐに村の暮らしが楽になることはないだろうが、将来は決して暗くないはずだ。それまで頑張ってほしいと思う。
そして翌日、フィルたちは村を出発することにした。まだ旅は続くのだ。リンドニアからアルテルメへ向かわなくてはならない。名残惜しいが、あまりのんびりしている時間はなかった。
身支度を調えたフィルがメリシャと手を繋いで外に出てみると、フィルたちの馬車が広場に引き出されていた。御者台にはすでにパエラが乗り込んでおり、リネアが馬車の扉の前に立っている。エリンもゼラの手綱を手にして待っていた。
パタパタと足音がして、馬車の周りにアニアとエナに連れられた子供たちが集まってきた。シアとテオ、そして警備隊のところから連れ戻した子供たちだ。
「フィル様たち…行っちゃうの…?」
フィルを見上げるシアの表情は、寂しそうに曇っている。
「うん、まだ旅の途中だからね…」
フィルはポンとシアの頭に手をやり、優しく撫でる。
「お別れなの…?」
テオも少し潤んだ目でフィルとリネアを見上げた。
「大丈夫。しばらくしたら、また様子を見に来るから」
フィルは、シアとテオの前にしゃがんで視線を合わせる。
「ほんとに?」
「約束する。また必ず来るから。それまで、元気でいるんだよ」
シアとテオをぎゅっと抱き締め、他の子たちも順番に抱いてあげる。恐縮した親たちが慌ててやってきたが、リネアとエリンがやんわりと制してくれた。
そして、別れの時が来る。護衛の騎兵と騎乗したエリンに囲まれ、ゆっくりと3台の馬車が動き出す。
フィル達が乗る馬車は真ん中だ。前後をきらびやかな馬車に挟まれて、余計に質素に見えるが、やはりパエラが手綱を取る乗り慣れた馬車の方が落ち着く。
「またねーっ!」
「きっとまた、来て下さい!」
見送りに来てくれた村人達、もちろんアニアやエナの姿もある。フィル、リネア、メリシャも、車内から彼女たちに手を振り返し、さようなら、またね。と声を上げた。
「行っちゃった…」
馬車が小さくなり、森の中へと消えるまで手を振っていたアニアは、ポツリとつぶやいた。エナも隣で寂しげな表情を浮かべている。
「総督様かぁ…フィル様って、本当は、私達なんかが会えないくらい、偉い人なんだよね」
「全然、そんな風に見えないけどね…」
くすりと笑い合う。
「でも、フィル様みたいな領主様なら、安心して暮らせる気がする…いつか、サエイレムにも行ってみたいね」
「うん。きっと、いい街なんだろうな…でも、どうやって行くの?遠いよね?」
「フィル様は、また来るって行ってたじゃない。一緒に行きたいって言ったら、連れてってくれないかな」
「普通はダメだと思うけど、フィル様なら、連れてってくれそうな気がするね」
2人は冗談のつもりだったのだが…
それから、半年ほど後のこと-。
約束通り、フィルは先触れもなくふらりと村にやってきた。護衛もなく、連れているのはリネアとメリシャだけ。
馬車も使わず、森の方から歩いてやってきたのが、まず不思議と言えば不思議だったのだが、フィルの来訪に驚いた村は大騒ぎとなり、そんなことは誰も気にしなかった。
フィルたちは、大喜びのシアやテオ、子供たちと遊び、ドルグから村の状況を聞き、村の暮らしが少しづつ良くなっていることを喜んでくれた。
翌日、フィルの帰り際。
アニアとエナは、自分達もサエイレムに行ってみたいとフィルに頼んでみた。ダメで元々と思っていたのだが、それなら2~3日遊びにおいでよ、と意外なほどあっさりフィルは了承した。
…だがおかしい。サエイレムまで、たった2~3日で行けるはずが…
そして……ティフォンの姿をとったリネアに乗せられて、空高くに舞い上がった2人は、巨竜の背の上で絶叫を上げることになった。
次回予定「フィルの故郷」
魔族の村に関わる騒動は一件落着。舞台はフィルの故郷、リンドニアへと移ります。




