魔術師は酒に誘われて身を持ち崩す
章分けで作品を分けています。
大筋としては「勇者が追放を重ねて忘れられる」という話の、6話目になります。
たぶん15話くらい?になります。
前回までのあらすじ『戦士追放済』『僧侶追放』
本項のタグ:「ファンタジー」「追放もの」「勇者」
「勇者は追放を重ねて忘却される」
貴族のみが通える王立魔術学院では、生徒のみならず教師も派閥争いに余念がない。
それを唯一俯瞰して偏らないように調整しているのが学院長ボルテウスだった。
その学院長室への来客は珍しいものではないが、勇者と道化師という組み合わせは初めてのものだった。
しかし、その場に第一王子派と第二王子派に与する教師たちが立ち合っているのは変わらない。利か損か。明け透けな眼差しを浴びながら、勇者は静かに微笑んでいる。
勇者アランドラ。
数十年前に魔王を討ち倒し、その跡地に国を興した勇者の名だ。
青い蓬髪の青年はもちろんその人ではない。それでも会う気になったのは紹介状に記載された賢者の名は覚えがあったためだ。
かつての勇者のパーティであり、勇者の国の宰相だった男。
国が滅んだ際に他国に逃げたという話はボルテウスも知っていたが、関わりを持つのは初めてだ。
それがこの国にとって、二つの派閥にとって、自分にとって、有益なのか害悪なのかを見極めなければならない。
そんな事実に眉をしかめたボルテウスは極力穏やかに声を発する。
「つまり、魔術を身につけたいが旅も続けたい。そのために教師を同行させたいということかね?」
その要望に両派閥から蔑むように見られても、アランドラは穏やかで鷹揚な態度を崩さない。
彼らに対しても穏やかに受け答えしているアランドラが、実は全く相手にしていないことにボルテウスは気づいていた。アランドラの分のケーキを奪い取った道化師は何も考えていないとしか見えなかったが。
「危険領域を踏破するためには、魔術による水分の補給が必須になります。
ですが僕たちは全員がその魔術を扱えるわけでもない。そのため一度こちらを経由して、そちらでも技法を学ぶつもりでいます」
テーブルに広げられた地図上を勇者の指先がなぞり、最終的にその指は険しい山々に囲まれた盆地を指して止まった。
魔王亡き後に勇者が治めていた亡国。
魔物の氾濫により滅んだ、賢者が逃げ出した国だ。
今では魔物や国民の死骸がゾンビ化している。強力な魔物がゾンビ系の魔物を喚び出し続けているともいう。
隣国のほとんどが往来できないように道を潰したため、誰も訪れない危険領域だ。
だが近年、そこからゾンビ化した鳥などが飛んでくることが増えており、諸国により調査団が派遣されるようになった。
中には河川被害はあっても隣国ではなく、直接派兵できない国もある。アランドラはその地から派遣され、各国を巡って危険領域を目指すつもりだと語った。
危険領域の活性化はボルテウスの国でも対処案件だ。
他所の国が威力偵察をしてくれるなら、協力を拒むという選択はない。
ケーキを崩して遊ぶ道化師を連れている理由は全く理解できなくとも、情報は事前にボルテウスのもとに入っていた。当然、両派閥にも。
国外に国の顔という立場を見せる機会と考えているのが、ありありと顔に浮かぶ両派閥にボルテウスはうんざりしていた。どちらの派閥から教師を派遣しても、そちらに与したと見做されかねない面倒な相談だった。
だが勇者の指先と言葉に、もう一つの意図があると気づく。
「……その技法はここでは身につかんのかね?」
描かれた道筋が指し示したのは隣国にある巨大農園。
それは果実酒の酒造場でもあり、その味わい深さは広く知られている。
しかしボルテウスの舌は、味を思い出そうとして失敗した。
学生時代の王子が起こした不祥事から、学院への酒を持ち込みが王命で禁じられて久しい。最後に酒を飲んだのはいつだったかと思いを馳せて、微かに酒の香りを感じた。
「農園から出荷するために酒精で浄化する魔術があると、卸問屋の方に伺いました。
今では見学は許されているので、水生みの魔術に造詣の深い方なら身につけられると期待してお伺いさせていただきました。それが叶えば危険領域での活動がし易くなると思うのですが、いかがでしょうか?」
そんな勇者の言葉が、ボルテウスの思考を上滑りしていく。
彼の視線は道化師が取り出したスキットに注がれていた。正確には、そこから注がれている蒸留酒に。
乗っていた果実をつまみ上げ、ぐちゃぐちゃに崩したケーキに惜しみなくかけられている液体。それが放つ豊潤な香りを求め、ボルテウスの身体は無意識に前のめりになっていた。
しかし彼には学院長としての立場もあり、両派閥からの視線もある。迂闊な行動は学院長の立場を奪い、学院の派閥争いを激化させるだろう。それを経て巣立つのはこの国を背負う未来の貴族だ。
道化師がケーキを捏ねて作った、雑なサバランモドキに摘んでいた果実を乗せる。そうしていながら道化師は、勇者から奪ったケーキに乗っていた果実をつまみ上げた。そしてケーキの上部をクリームを整えてなだらかに仕上げていく。
両派閥にはケーキで遊んでいるとしか見えない道化師。それは勇者への視線も嘲りに満たしていく。
わざわざ隣国に向かう手間と危険領域に向かうリスクに対し、水生みの魔術という難度の低い魔術を求める無能と見ている。
だが、ボルテウスだけは理解していた。
要望のフリをした勇者の言葉が、酒呑みへの誘いだと。魔術で酒を生み出す可能性を誰が得るのか問いかけているのだと。
崩れたケーキが、睨み合いと暗躍渦巻く今の学院であり、頂点の果実はお飾りだと。果実がないケーキが綺麗に整っているのは、お飾りが妨げになっているためだと。
道化師が摘んでいた果実を茶に落とすと、結局二人とも一口もケーキも茶も口にせず席を立った。
「しばらくは街に逗留しています。最適な協力者と祝杯をあげるのが楽しみです」
そんな言葉を残して勇者たちが去った後。
残されていたケーキが捨てられるのを見て、ボルテウスは決意した。
他の誰にも譲るわけにはいかないと。
ただ酒を飲みたくて我慢ができないと口にはしなかったが、それが本音だった。
しかし後に、旧学院長の言葉としてこんなものが残っている。
「酒に溺れて死ぬなら本望だが、教科書や資料に埋もれて死ぬのはゴメンだ」
彼の生涯が本望だと言えるのか、知るのは彼のみである。
魔術師追放はこれでおしまい。
さて、次は誰を追放しようか。




