恩返しをしたいらしい
童話や寓話をネタにしていますが、いろいろ原作を無視している気がします。
お暇な方はぜひ原作も読んでみてください。
本項のタグ:「童話・寓話」「原作要素は薄め」「鶴の恩返し」「巻き込まれ型主人公」
ある日、家に帰るとリビングにそれがいた。
染めているのか長く白い髪。化粧が下手なのか慣れていないのか、目元の黒いアイシャドウが隈に見える童顔。鶴の刺繍が入った白のジャケット。下に見えるシャツには『つくね』と大きく書かれている。白のホットパンツから伸びるのは黒いストッキング。膝上まである黒のロングブーツが、リビングのテーブルを踏み締めている。それでも目線よりも頭が下にある、小柄な体格。女性といえばいいのか、少女といえばいいのか微妙なところだ。
来客予定もない家に勝手に上がり込んでいる彼女に心当たりはない。
強盗にしては無防備だし、泥棒にしては開き直りすぎだろう。
どちらにしても鍵のかけてあった家にどうやって入ったのかわからない。帰宅した時も鍵はかかっていたし。
最近暑くなってきたので窓は開けてあったが、うちはマンションの8階だ。外壁を登るにしても降りるにしても、そんな装備は見えない。
「先日お世話になった鶴です! お礼に来ました!」
そんな風に観察していたら、彼女は勢いよく頭を下げた。
何を言っているのかよくわからない。
「先日お世話になった?」
「はい! お世話になりました!」
「鶴って、鳥の鶴のこと?」
「そうです! お礼が言えるように、頑張って人型になりました!」
言われた言葉を反復してみても、全く意味がわからない。
そもそも鶴を助けた記憶もないし、それ以前にこの辺で鶴が見られると聞いたことすら無い。
ふと、こういう変な設定で人を騙して笑いを取るような動画を見たことを思いだした。
だとすると実家の誰かが合鍵を使って家に上げたのだろうか。探してみれば隠しカメラのようなものが見つかるかもしれない。
そうでなければ、そのふりをして実家の誰かを騙しているのか。
まぁどちらにしても。
「詐欺だよね」
「鶴です!」
ああいう動画ってヤラセとかシコミとかじゃないのか。
満面の笑みを浮かべて元気に答える彼女を見ながら、役者って大変だなぁと感心する。
だがそれはそれ。
帰宅して意味不明な動画撮影に付き合う義理もない。懸命に演じている彼女には悪いが適当に無茶振りして、ボツにしてもらおう。
「本当に鶴なら飛べるよね? 飛んだら話を聞くよ」
そう言ってベランダの窓を指差した。設定としてはそこから飛び込んできたとでもいうつもりなのだろう。
彼女の視線が移動していくのに合わせて、首がつられて動いていく。振り返るように開いたままの窓に向かい、窓辺に下がったプランター、部屋の照明を辿って、再びこちらに向いた。
ホラー映画で見るような、首の関節がおかしな動きだ。映画で演じていた女優も実演していたのだろうか。ほぼ真後ろを向いて、顎をそのまま上げるように視線を再び合わせてくる。逆さまになった笑顔はホラー映画そのものにしか見えない。
役者の身体は根本的に一般人とは違うのだろうか。
「わっかりましたぁ! ちゃんと見ててくださいね!」
どうやら身体の構造だけでなく、思考回路も一般人とは違うらしい。
そんなのは無理だと言われると思っていたのに、迷いのない彼女のブーツはソファーを踏み越えてベランダへと邁進する。
そして、そのまま止める暇もなく、ベランダの手すりを飛び越えてしまった。
あまりに迷いのない行動に、しばらく呆然とする。
だが、すでに彼女の姿はない。
下にマットがあったとしても、あれほど迷いなく飛べるものだろうか。
そんな風に思いながら、ベランダの手すり越しに下を覗き見る。
マットはなかった。
代わりに、視界の隅を移動しているものが見えて、そちらに視線を向ける。
鶴だ。
本物を直接見たことなんて一度もないが、映像で見る姿そのままの姿をした鶴が、大きな羽根を広げて飛んでいた。
その鶴は、まるで自分がここにいることを主張するように二度三度と旋回して、少し距離をとってから真っ直ぐに突進した。
隣の家のベランダに。
どうやら隣も窓を開けていたのだろう。
突然飛び込んできた鶴に驚き、悲鳴が上がっている。
暴れ回っているのが隣人なのか鶴なのかわからないが、少しすると先ほどまで家にいた彼女の声が聞こえてきた。
「これで私が鶴だと信じて貰えましたかっ!」
「意味わかんないっ!」
隣人が困惑した怒鳴り声も聞こえる。
ネタ動画の撮影ではなく、本当に鶴だったのだろうか。
少なくとも飛んでいたのと、飛び込んだのは本物に思えたし、人が落下したような跡はどこにも見えない。
本物の鶴なら迷わずベランダからだって飛びたてるし、舞い戻ることができても不思議はない。
鶴が人になるという意味のわからないところについては、他人が家に入り込んでいたという不安に比べれば些細な話だろう。
先程の会話の続きをしようとして食い違っている声も、全く問題なく元気な様子だ。
もしも本当に万が一にだが、彼女の言うように鶴だったならば人間の顔なんて区別がつかないのかもしれない。もしかしたら鳥頭で顔を忘れている可能性もある。どちらにしても恩人に会うのは難しそうだ。
そんなことを思いながら、そっと窓を閉めた。
明日からは出かける時も窓を閉めておこう。
巻き込まれ型主人公(隣人)の物語は、また別の機会にでも書くかもしれません。
恩返し系を読むと「どうやって家を知ったのか?」という野暮なことが気になったりします。
また「別種族で人の顔の見分けができるのか?」とか。まぁ、そもそもツッコミ入れるのが無粋なジャンルという気もしますが。
昔読んだ「鶴の恩返し」では、鶴がトラバサミに挟まれた挿絵があった気がします。
本文でも罠にかかったという記載はあった気がしますが、どんな罠か説明はなかったかも。
気になる人は原作を読んでみるのもいいかもしれません。




