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【RE江戸書籍化】異世界から帰ったら江戸なのである【1~4巻発売中】  作者: 左高例
第四章『別れる道や、続く夏からの章』
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79話『雨次少年と小豆洗いの話』

「ふふふ! モチ美味しいね! 正月だけじゃなく一年中食べれたらいいんじゃないかね九郎くん!」


 もっちもちと砂糖醤油に付けたモチを沢山頬張る鳥山石燕に九郎は呆れた顔で返した。


「喉に詰まらせるなよ」

「安心したまえ! この地獄先生鳥山石燕がモチを喉に詰まらせるなど無様な真似をすると思っているのかね!! もし私がモチを詰まらせて死んだら指をさして笑っていいよ!」

「いいからほら、茶を飲んでゆっくり食え」


 九郎が胡乱げな目のまま、濃い目に入れた茶を差し出すと彼女はゆっくりとモチを嚥下して、茶で流し込んだ。

 とりあえず大丈夫そうなので九郎も搗きたてで小さくピンポン球ぐらいの大きさに千切って丸めてある。 

 正月に使う、長屋で保管してある杵と臼でとりあえず予行演習として少量だけモチを作ってみたのであった。

 飾りモチと違って搗きたてのまま、六科が本人は好みでないと云うが手に馴染んだ動きであんこモチなどを作ってお雪、お房に振る舞うのは毎年の楽しみである。

 ついでに石燕と九郎がきたて蒸かしたてのモチを味わっているのだったが。


「モチはカビが生えやすいからのう。搗くのも大変だから保管ができぬとなると年間を通しては難しかろう」

「ふむ、残念だね。週に一度ぐらいは食べたいのだが」

「己れは御免だぞ。週一でお主の死亡判定が発生するのは」

「だから大丈夫だって。私が粗忽者みたいではないか」


 少し拗ねたような顔になる鳥山石燕自称十七歳である。

 幾らなんでも人を老人のように、モチ死の心配をしなくても良いと思うのにと不満に思っているのであった。

 九郎は醤油だけをつけたモチをぐにりと引き伸ばして噛みちぎり、告げる。


「まあ、モチが一年中食べたいのならば佐藤さんに頼むのだな」

「誰かね?」

「佐藤さんは新潟の生まれでな、三十九歳になるまで漁師などの仕事を転々としていてこれはと思った仕事にはつけなかった……。

 そしてある時に友人と始めたのが白玉粉の製造業だ。だが、順調だったのに親会社が倒産してしまい、販売ルートを自分で開拓しなければならなくなった」

「いきなり何の話をしているのかね九郎くん」


 石燕のツッコミが入るが九郎の老人めいた話は続く。


「そして北海道への販売ルートを作るが、白玉は夏の食べ物だからのう。冬向けとしてモチの製造販売を行うことにした。新潟の越後モチは有名だったからな。機械も導入して年末などは大忙しだ。

 次にはモチの通年販売を目指すがやはりカビの問題があった。研究所で佐藤食品はモチにカビを生やさない方法を探り続けた……」

「頑張りたまえ佐藤食品!」

「まずは煮沸消毒で殺菌することを思いついたが、それでモチの形を崩さないようにするとなるとモチ自体を固く作らなくてはならない為に味が落ちた。続けてモチの形を板状にして加熱するレトルトモチを考えだしたが、やはり加熱処理で味が悪い。これでは本当の越後モチとは言えない」

「企業から宣伝料でも貰ったのかね九郎くん」

「科学の力を利用したこともあった……モチに防腐剤を使うんだ。この時に使ったのが酢酸デヒドロと云う薬でな。しかしこれには僅かながら毒性があり、使って出回った後で問題となってしまった。いわゆる[毒モチ事件]だな」

「いわゆると云われても」

「だがそこで佐藤はへこたれなかった。この危機に他のモチ会社を共同で、防腐剤を使わないモチを開発させたのだ。その究極が加熱を使わずに保存できる真空を利用した方法だ。

 これによって、インスタントだったモチは生モチとしても販売できるようになり越後モチの旨さは全国に広まった……後世にモチがいつでも旨く食えるのはこの粘り強い働きがあってこそだな。だからこそ安全に食わねばならないのだ……」


 長い説明を終えて、九郎は少しぬるくなった茶を飲み干した。

 石燕がモチを加えてもぐもぐと咀嚼しながら、無言で彼を見ている。

 九郎は湯のみを置いてそっぽ向きながら、


「……いや、あまりモチに対するネガティブなことを云うなと偉いところからクレームが、夢の中のヨグ経由でこっそり来たような気がしてのう。ちょっとモチの宣伝を」

「九郎くんは時々変なことを云うね。まあ……」



 モチって美味しいよね!

 


 そうして何の関係も無いが日常は始まるのであった。



 

 *****




 千駄ヶ谷にある新井白石先生の屋敷に住み込んでいる雨次の朝は遅い。

 いや、居候同然だから早くあろうとはするのだけれども、なにもない日は夜中まで本を読んでいて、六天流道場に通った日は疲労で泥のように眠るのでなかなか起き出せないのである。

 それで起きてくるのは朝五ツ(午前八時程)になるのだが、これに関しては家主である先生がまた起こしに行かねば起き出さないと云うか、布団に寝たまま本を読んで過ごしているので苦言を云われた事は無かった。

 それよりも早く起きて活動をするのが、雨次と共に居候している茨である。

 日の出と共に起きだし、井戸で頭から水を被り眠気を覚ます。

 手ぬぐいで髪の毛ごと顔を拭くが、ごわごわとした癖のついた髪の毛は何度洗っても鬼の角のように尖る。もうあまり気にしないようにしたらしいが。

 そして納屋から薪を取ってきて竈へ向かう。

 昨日の火種を完全には落とさないようにするのは、最初できなかったが最近は一週間に一度ぐらいしか失敗しなくなった。

 秋はそこらに点火剤となる落ち葉があるので、予め集めておけば楽だ。それを放り込んで火を灯させ、薪で安定させる。

 台所には紙が張ってある。米の炊き方、味噌汁の三人分の分量、包丁で手を切らないように注意……。 

 無駄に達筆な先生や、字が詰まっている癖の雨次、まだ平仮名しか掛けずにバランスの悪い茨の文字ではなく、雨次の母親から別れる前に渡された生活メモであった。

 

「~♪」


 奇妙な旋律を口ずさみながら朝食の準備をする。

 雨次と共に自分を助けたもう一人、九郎先生から教えてもらったあまり言葉を出さなくても歌える音だ。もっとも、教えた彼も「誰が歌っていた奴だったかのう?」と首を傾げていたが。

 彼女を身請けする金を用意したのは半分は九郎先生のようなものだと雨次から聞いているので、茨は彼にも感謝をしているのだと云う。

 釜で米を炊いて、竈から下ろして杓文字しゃもじを飯と釜の内面の間に差し込んで隙間を作り、暫く蒸す。

 その間に鍋に湯を張り、煮干しを入れて出汁が取れたら味噌を溶く。多少味は抜けて上等な実ではないのだが、煮干しはそのまま味噌汁の具にするのだ。

 次に釜から飯を竹籠で包んで保温できるお櫃に移した。むっとする蒸気に腹が鳴るが、我慢。


(これは、いいよね)


 と、思っているように微笑んだ。

 なるべく飯をこびり付かせないように予め隙間を作り蒸らしたのだが、僅かに釜に残った米粒を摘んで食べた。小さな楽しみである。

 棚から小鯵の干物を取り出して三人分炙っておく。

 基本的に家主の都合で漬物や干物など、塩気のある酒の肴が多いのが問題なので時々幼馴染が持ち込む野菜が嬉しい筈である。

 さて、ひとまず朝食の準備を終えた茨。

 味噌汁の鍋を置いた竈の火をまた落とし、とりあえず雨次の部屋へ行く。

 旗本屋敷のような広い家に三人で住んでいるだけあって、部屋数は余っている程だ。

 雨次の部屋は茨のすぐ隣りの部屋だ。最初は二人布団を並べて寝ていたようだが、男女で同衾するのは駄目なので止めさせた。それはもう。

 布団は良い物を使っている。質に出せば一両ぐらいはするだろう。ちゃんと週に一度は干させているし、ふかふかとして寝心地は良い。

 だからか雨次は寝起きが悪い。朝五ツになって自然と起きだすまで、声を掛けてもなかなか起きてこない。茨の朝食の準備を終えても四半刻(約三十分)は時間の猶予がある。

 これは朝晩が寒くなってから見られる行動だが。 

 すっかり朝の支度で体を冷やして、顔を洗って飛ばしていた眠気が再発したのか、もぞもぞと茨は雨次の布団に入り込んで二度寝をする。けしからん。

 試したことがある者は知っているが、眠っている時に布団に入り込んでも滅多に彼は起きない。むしろ抱きついてくる。素晴らしい。けしからん。

 ともあれ、こうして暫く布団の中に収まるのだがあくまでこう、年がほぼ同じ親子というか、飼ってる犬というかそんな距離感なので勘違いしてはいけない。飼ってる犬。なんか卑猥な響きになった。記録しておこう。

  

 やがて雨次が起きだすと近頃は毎朝となっている茨をひっぺがして眼鏡をかけ、のそのそと手水場へ向かう。

 眠いのかこの時の藪睨みみたいな目つきは一昔前に似ていて懐かしくなる。この眠気を呪う自分を嘲るような卑屈な顔も素晴らしい。 

 厠で用を足す。本日一回目だ。回数を記録しているのは健康管理の為であり深い意味は無い。絶対に。

 その後顔を洗って目を覚まさせる。朝の雨次は普段のやや癖のついた髪がよりもじゃりとなっていて少し可笑しい。一度くしゃみをして洟をすすった。いかん、風邪かもしれない。昼に生姜を届けてあげよう。体が温まる。

 彼にいつの間にか起き出してきた茨が手ぬぐいを渡して顔を拭いた。


「ありがと」

「ん」


 くそうなんか羨ましい距離感だなあ……!

 そうして二人はまた朝餉の準備をして、膳に先生の分を盛る。

 二人ならば適当に茶碗にご飯を盛り、その上に魚と漬物を載せて洗い物を少なくしつつ食べるのだが、先生は部屋まで持っていかないといつまでも食べないので用意が必要だ。

 

「爺さん、朝ご飯だよ」

「ああ。おはよう」


 いつもながら声の通りが良いが覇気の無い声が障子の中から返ってきて、二人は膳と熱い茶を入れた土瓶、それに火鉢を持って入った。

 先生は寝転がりながらやはり本を読んでいる。いつも読んでいるので読み尽くさないのかと思うこともあるが、以前に大掃除で探した限りでは私が頑張って読んで十年は掛かりそうな量が書庫に収まっていた。

 寒くなってからは布団か炬燵に入っていることが多い。そこでも本を読んでいる。不健康老人みたいだが、外を出歩かないわけではないようだ。そのときは雨次も茨も連れずにふらりと出て行って、魚を釣ってきたり変な渡来品を買ってきたりする。先生と呼んで教えを受けてはいるものの、完全に趣味人の生き方をしている気がする。

 彼の若い頃の話を知っている人から云うと、学問を修めた頭脳は随一だわ、剣術の腕前はべらぼうに強いわ、それで女にもてまくっていた二枚目だったらしい。ちょっと想像もつかないが、彼の雰囲気似ている孫的な雨次がそうなったらどうしよう。困る。

 とりあえず先生ものそのそと起きだして食事を取り出す。

 この[のそのそ]と云う動作が雨次と似ていていかにも影響を受けている気がする。関係ないけど九郎先生ものそのそしている。甚八丸は朝から鶏小屋を強襲して「ふはは遅ぇ遅ぇ!! お前らより先に俺の息子が好血行だ! こうけっこう──!」などと騒いでいる。母屋から手裏剣が飛んでくる。時々敷地内の長屋からも苦無や分銅が飛んでくる。

 さておき、先生は火鉢を使って炬燵にしてもそもそと朝飯を茶で流し込む。喉に詰まらなければいいが。今年、モチを食べる時は注意しておかないと。

 先生はあまりじろじろと食事を見られるのを嫌うので二人は部屋を出て自分らの分を準備して食べる。

 寒い朝は湯気の立つ味噌汁が嬉しいだろう。

 出汁の煮干しがそのまま入っているやや荒っぽい作りだが、雨次に不満は無い。

 以前に緑のむじな亭に食べに行って、そのとき偶々……なんと云ったか、九郎先生が「六科が初期化しおった」とか言ってたけど、非常に不味い蕎麦を出されたことがあったけどその時もきょとんとしながら普通に食べていた。やや味音痴な気配がする。

 料理の得意さがいまいち効果を発揮しないのは残念なのだけれど、


「うん、美味しいね茨」

「……ん」


 こう、ちゃんと美味そうにするのが美点だと思う。くそう。

 朝餉を終えると茨は昨晩浸けこんでいた洗濯物を絞って干す作業に向かう。

 最初は交代交代やっていたのだが、どう見ても雨次の腕力がひ弱……というか、茨が強いので絞る作業効率的に彼女がやったほうがよいことを指摘されて専業となっている。

 雨次の方はとりあえず動きやすい服に着替える。ついでに厠にもう一度行った。二回目。疚しいことではないので記録しておく。

 天気が悪い日以外の日課になっている走り込みへ行くのだろう。半里程走り、また戻ってくる。

 お世辞にも足の早さは人並みだが、初日は走り続けることさえできなかったのが今ではなんとか完走しきれている。見続けているとその成長っぷりに思わず涙。

 余談だが一度彼の師匠である録山先生と九郎先生の走り込みを見たが、録山先生はどうやって息してるのって速度で九郎先生はなんか飛んでた。なにあれ怖い。

 

「おやー? 雨の字じゃないですか!」


 帰り道で彼と並走し始めたのは読売のお花だ。

 瓦版の取材、出版、配布を行っている女性である。甚八丸とその一派を中心に購読者が居るのだが半ば男一人暮らしな連中が、家に女性が配達に来ると云うありがたみで取っている者が多い。

 読者の一人、先生の場合は単に家まで配達してくれる瓦版が無いので頼んでいる。あの読書老人は読み物でさえあれば面白おかしく事件を書き立てた瓦版でも良いらしい。


「はっ、こ、こんにちは」

「碌先生に言われて走り込み? いやー真面目ですねー!」

「道場で、一番体力、無いですから」


 息が苦しいのだろうが、無理に笑顔を作る雨次。

 こうつらそうだけど頑張っているのを見るのもなんとも堪らない。雨次の周りの景色を絵にして瞬時に保存できるような道具があれば撮影しているだろう。三日ぐらいで部屋を埋める量を。うん。まあ普通だと思う。 

 

「うちに瓦版なら、持っていきましょうか」

「これもあたしの鍛錬だから平気平気! ……む? どうしたんです雨の字」

「あ、いや」


 雨次は視線を逸らした。

 おのれ。

 わかっている。仕方ないことだが、うっかり並走していい感じに揺れていたお花の胸に視線が行ってしまったのだ。男の子だもの仕方ない。

 だが巨乳は滅びろ。いやせめて私が成長するまで凍りづけになっていろ。

 純粋な少年を誑かす年上巨乳は大きな罪だ。つい目が行くのは仕方ない。だが目を行かせないように努力するべきではないのか。ちぎるとか。

 お花など、走って揺らしても胸が垂れたりしない秘伝忍術を使っているという。「教えようか? あ、まだ必要なかったですねー!」とか言ったことは忘れない。くそう。

 ふと。

 ちらりとお花の視線が彷徨った。

 そして悪戯っぽい笑みを浮かべて並走する雨次の手を握る。


「もうちょっとだからお姉さんが走るコツを教えてあげましょう!」

「は、はあ……」

「地面に足を付けるのは一瞬。すぐに蹴り飛び続けるように走るのですよ、試しにあたしが引っ張るから雨の字は足をもつれさせないことだけに集中してください~」

「それはどう───」

「歩法……[絶影]」

「──!?」


 あっくそう雨次の手を引っ張ってとんでもない早さで走り出した!

 雨次は地面を蹴るので精一杯だがお花の早さに牽かれて目を回しつつも走る速度を上昇させる。鍛えた忍び以上に早い。どんどん距離が離されていく。

 記録帳を仕舞って全力で追い掛ける。



「はあ、つ、疲れた……」


 雨次が屋敷の縁側に座りながら、じんじんと痛む太腿に脹脛を休ませて荒い呼吸を続けていた。

 そこにいつの間にか置かれていた手拭いを取って顔の汗を拭くが、ふとその手拭いの柄が幼馴染から借りたものだと気付いて少し顔を歪ませる。

 何故か彼女の手拭いがちょうど良いところに配置されていて、使っては彼女に返さなければならない。そして補給とばかりに新しい手拭いを代わりに置いていく。謎の現象であった。

 しかしやむを得ないかと思って首元などの汗を拭う。すると手拭いの持ち主が姿を現した。


「あ、雨次……毎朝……おつかれだな……! 手拭いの代わり持ってきた……からな……」

「いや、君が使えよ小唄。何故か知らないけど汗びっしょりじゃないか。朝っぱらから」

「ちょっと……久しぶりに限界を越えた全力疾走しただけだから……」

「猪にでも追われたのかい?」

「油揚げを掻っ攫われそうになってな……」


 ぐったりと雨次の隣に座ると、飲みさしだったが升に入れた水を差し出した。 

 それを受け取ると、


「あ、雨次はどこに口を付けて飲んだんだ?」


 などと聞いてくるので、ああ確かに年頃の男と口を付ける位置が重なると嫌だろうなと思っている顔をした。


「そっちだけど」

「そうか。ありがとう」

「なんで聞いた」


 雨次が指をさした方向に口を普通に付けて水を飲む。

 甘露だった。

 朝から走って良かった……!




 *****




 蕎麦屋、緑のむじな亭。

 そこにある助屋九郎の相談所に雨次がやって来ていた。いつものように昼酒を飲んでいる石燕と九郎である。つまみは、モチの欠片を揚げてあられにして塩を振りかけたものだ。

 カリッとした外側に噛みしめると油と中のモチの食感が来て、ぷちぷちとした塩が舌を刺激して、これは作りたてに限る。

 ともあれ雨次の相談である。


「気のせいかもしれないけれど最近、誰かに監視されてるような気がして……」


 切実な悩みであった。九郎は哀れそうな目を向ける。


「明け方にふと視線を感じたり、厠に入っている時に息遣いを感じたり、外を歩いていても誰かが付いてきている気がするんです」

「ストーカー……」

「間違いない! それは妖怪の仕業だよ!!」

「突然興奮するな」


 一番ありそうな意見を述べようとした九郎を遮って石燕が顔を赤らめながら云う。


「姿は見えずとも気配はする。それは恐らく[小豆洗い]の一種だろうね」

「小豆洗い? 聞いたことぐらいはありますけど……」


 九郎はふと、大きな箱に沢山入れたあずきの粒を左右に揺らして波の音を出している図を想像した。

 爽やかな妖怪だ。少し和んだ。石燕の説明が始まる。


「小豆洗いは音を立てながら『あずき洗おうか、人取って食おうか』と歌っている妖怪でね」

「思ったより凶悪だった」

「いや、安心したまえ。これはひとつの属性にすぎない。小豆洗いの本質はつまり、洗っている姿が見えないのに小豆を洗う音が聞こえる。聞こえない筈の声や音、気配を出して驚かせる騒霊の一種なのだよ」

「ほう」

「本来は無害なものだがね、川の害と関連付けられることもある。退治、と云うか対処法は簡単だよ。安心したまえ」


 石燕の言葉に安心したと云うか、微妙そうな表情を浮かべる雨次である。

 当たり前だが、怪しい気配の原因が妖怪だと言われて安心するわけは無い。

 九郎が彼の意志を汲み取って言葉を掛ける。


「まあ、妖怪はともあれ。少し疲れて神経が過敏になっており、有りもしない視線を感じると云うことも考えられるぞ」

「そうなんですか……気にしすぎかなあ」

「誰かに相談したりは?」

「一番常識がありそうな小唄に一応相談したんですが、『安心しろ、お前を見張っている者など居なかったぞ』と、とても自信に溢れた返事が」

「自信ありげすぎる……」


 顔を曇らせる。雨次は首を傾げたが。

 とりあえず九郎はごそごそと紙の束を取り出して雨次の目の前に置いた。


「それより雨次よ。版元から妖怪[影女]と云う物の怪の絵に付ける物語を書いてくれる者を探していてな。お主に仕事をやろう」

「ええと、ありがとうございます?」

「もしかしたら気のせいかもしれぬしな。仕事で忙しければ感じぬかもしれん。気分転換に、と云うのも何だがこの障子の影にのみ映ると云う妖怪物語の参考にして書いてみよ」

「ふふふ、挿絵の方は私が担当したからね。二次元に恋をするような物を頼むよ!」


 と、版元の[為出版]からの仕事を雨次に回す九郎であった。

 相談しに来たのに仕事を貰った雨次ではあるが、文章を書いて金を稼ぐと云うのは当面彼の目標でもあるのでその場は素直に受け取り、家に引き返すのであった。

 彼が帰った後で九郎は酒を飲みながら云う。


「ところで……小豆洗いへの対処法とは」

「簡単だよ。音を出すものがそこに無い、と目視して確認してしまえば音も消え去ると云うものさ」

「そうだろうな。心の疲れもその原因を見つけるのが大事であるし、ストーカーならばそれを捕まえるのが一番だ」


 九郎は笑いながら云う。


「なあに、長生きしていれば監視してくる誰かの一人や二人、対処したこともあるわな」

「おやおや、モテる男は辛いね九郎くん」

「いや、やられる方は気味が悪いものだぞ。発展すると便所に行った回数まで数えて記録されておってな。友人の尼さんに協力して貰って捕まえ、精神修道院に叩き込んでやった」

「精神修道院……」

「入ると綺麗な人格になって出てくるらしいが、時折フラッシュバックして『自分は本当の自分じゃない』とか錯乱し出すのが難点な施設だ。まあ、当時から違法臭かったのだが後々国際的に禁止されたが。詳細は闇に包まれている」


 微妙に物騒な異世界の更生施設であった。

 まあただ、そのようなことをスフィとやっていたので周りからは交際していると勘違いされてドヤ顔するエルフが居たと云うことは九郎も知らないのだが。

 

「ともあれ、大事になる前に雨次の周りを探ってやるか……」





 *****





 風呂から上がった雨次は自室で書き物を始めた。

 やはり上からでは風呂はよく見えないけどこの臨場感が良いと思う。気分的にわたしも脱げばいい感じになるのでは……いや、それでは変態か。わたしは変態ではない。よしんば変態だとしてもちょっとお節介なだけだ。

 ともあれ雨次は行灯をつけて妖怪画を見ながら筆を試し書きの紙に走らせる。内容は小さくて読めないが、きっと理屈っぽいことを書いているのだろう。僅かに笑い声が漏れると、雨次の背中が少し震えてあたりを見回した。いかんいかん。

 雨次は本を読むのも好きだが文章を書くのも好きだ。将来は文を売って暮らしたいと思っていることは知っている。

 しかしながらそれだけでは中々収入が少なく厳しいのだがそれ故に内助の功をする妻が必要になるわけで。

 わたしはまあ、実家の野菜を卸売業の会計をしている収入がある。今は手伝いだから家に預けているが、通いになれば給金として貰える程度には働いている。その収入で雨次を補助すればいい。

 彼はわたしを頼るようになり離れられなくなればいい。別に文が売れなくても構わない。好きなことをさせてわたしが褒めるのだ。なんと完璧な将来設計か。

 多少は添削か代筆程度ならばわたしでも出来るからな。天井からぶら下がりながら文章を書ける程度には。

 

「おい」





 ******





「ヴァラアアアア!!」


「うわああ!? なんだ!?」


 突然天井の方から野太い叫び声と共に、上から何か巨大な物体が落下してきて床板を踏み砕いた。

 その巨漢は体にまとっていた黒装束を脱ぎ捨てると部屋の窓を叩き割る勢いで外に投げ捨てて覆面以外褌一丁になった。

 筋骨隆々とはまさにこれ。体付きが農民とも武士とも違う鋼の盛り上がりを見せる大男──地主の甚八丸であった。

 その正面にもう一人が降り立つ。着地の音も立てずに現れたのは、眠たげな眼差しの九郎である。


「甚八丸さんと九郎さん!? なんでここに!?」

「いや……お主を見張っている者を探しに来たのだが……」


 雨次が風呂に入っている間に部屋を捜索して天井に忍んでいたのであるが。

 怪しいのが雨次を追って入ってきたので声を掛けたらなんか膨れ上がったのである。


「くくくふぅ、ばぁれちまっては仕方ねえな。こうなればお前にも尋ねさせてもらおう……」

「なにがだ」

「モテる男の子って一日何刻ぐらい助平なこと考えてるの? 一刻? まさか半刻?」

「なにが!?」


 雨次が思いっきりツッコミを入れた。

 甚八丸は筋肉を躍動させながら不敵な笑いを上げつつ云う。


「モテる秘訣を探ろうと貴様の生活は監視させてもらっていたぁ……」

「ま、まさかここ数日の視線は!?」

「そぉだ!」

「厠の壁に聞き耳を立てていたのも!?」

「認めたくなぁい……けどこの甚八丸様よ!」


 堂々と自白する巨漢に雨次は戦慄する。 

 自身をストーカーしていた相手が異性であるパターンとマッシブ溢れる男であるパターン、どちらが嫌だろうか。

 軽くトラウマになりそうで目に涙が浮かんだ。


「見ているうちにこの俺様もおちんちんの王国へとぅーいとぅい」

「よし、とりあえず片付けるぞ雨次」

「ぬわあああああ!!」


 九郎が担いで破れた窓から放り捨てた。

 毬を投げつけるように巨体を数十メートルぶん投げて地面を転がる。

 夜闇の中、褌一丁の忍びは、


「覚えてろおぃ! もう来ねえよ!」


 と、言い残して去っていくのであった。

 九郎は塩を撒きながら雨次に云う。


「よし、これで大丈夫だろう。また来るようであればあいつの嫁に告げ口をしてやれ。きっと甚八丸が他殺体で見つかるから」

「友達の父親がそれだと目覚めが悪い気が……」

「ホモに慈悲はない……と、したいが。まあ、許してやれ」


 九郎は少し笑って肩を竦めるのであった。

 その苦々しくも微笑ましそうな様子をした九郎の理由がわからず、雨次は「はあ」と云うしか無かったのだが。

 



 夜道を地主の家まで帰る途中。

 裸の大男は小柄な影に話しかけられていた。


「だ、大丈夫か父さん。凄い勢いで投げ飛ばされてたけど」

「こんなもん唾つけときゃ治る全治一ヶ月ってところだ!」

「大怪我じゃないか!」

「てめえの拗らせた恋の病ほど重症じゃありませぇぇん」

「うっ……」


 小柄な影──忍び装束に身を包んでいる小唄は口をつぐんだ。

 あの怪しげな観察日記を甚八丸が書いていたら気色悪いことこの上無いのだが、良かった。ストーカーの正体は小唄だったのだ。良くはないが。

 尾行具合がヤバくなっているとお花から報告を受けていたので更に格上の隠身を使って小唄を監視していたのだが、彼女が九郎に見つかった瞬間に変わり身を使い小唄を服の中に隠して、脱ぎ捨てると見せかけて外に投げ出したのであった。

 さすがに娘が幼馴染から、変態便所風呂覗きと云う称号を得るのは色恋関係なく避けたかったようである。


「お、親バレしたぁ……べ、別にわたしは変なところ見ようとしてたんじゃなくて、雨次がちゃんと生活してるかぁ」

「あーちなみに監視しながら小唄ちゃんが本日ションベンに行った回数はぁ」

「ぎゃー!! 変態か父さんー!」

「同じことやってんだろうが! しかも他所の子に! 事案発生だぞてめー!」

「うあああ!」


 頭を抱えて悶える小唄の首根っこを掴んで家まで運ぶ甚八丸であった。

 行き過ぎた行為は誰かが止めてやらねば深化してしまう。


(我が娘ながら、こいつ本当に大丈夫か……? ええい、雨次のガキが悪い!)


 などと思いながらさめざめと泣く娘を連れて帰って行った……。




 翌日。

 雨次の朝練が終わったぐらいに、小唄がしずしずとやって来た。

 手には野菜籠を持ってきて俯いたまま汗を拭っている雨次に話しかける。


「あ、雨次」

「ん? おはよう、小唄」

「これ……昨日のお詫びで……」


 と、野菜を差し出す。彼女の手は泥で汚れていた。親に許可を貰って、明け方に畑から彼女自ら取ってきたばかりの野菜であった。

 雨次の手に渡すと小唄は手を合わせて頭を下げた。


「すまん! お前に謝ってばかりの不甲斐ない友達で悪いが、あんな恥ずべき変態行為を……本当に申し訳ない」


 これまでの行為を謝罪した。

 雨次はきょとんとして、困ったような笑顔を作り小唄の手を握って礼の形を止めさせた。

 

(昨日のこととはつまり、彼の父親が監視していたことだろう。それは甚八丸さんがやったことなので小唄は──)


「──気にしてないから、謝らないでくれ」

「ほ、本当か! わたしを……その、変態とか思っていないか?」


(たとえ甚八丸さんが……いや、あの人はアレな性格だって知ってるしそれの娘だからと云って小唄がどうこうしているわけでもないから──)


「小唄も気にしなくていいよ誰にでも、」

 

(親の奇行に困らされるのは)


「あることだって。それぐらい」

「そう、かなあ? ……そうだよな、度が過ぎたぐらいで」


 小唄はいまいち認識のズレに気づかないまま納得しようとした。

 確かに好きな人が気になってその仕草を見てしまうのは大なり小なり狂なりあることだ。少し行き過ぎた嫌いはあるが、変態とまでは行かないだろう。

 そう、雨次も云ってくれている。と、彼女は判断して安堵した笑顔を作った。

 雨次もどうやらこの真面目な幼馴染が沈んでいた状態から気を取り直したようで、ほっとするのであった。


「──おやーネズちゃん今日も早いのね」


 と、二人に声を掛けてきたのはお遊である。相変わらず気楽そうな笑みを浮かべて裸足のまま屋敷の庭に入って手を振りながら近づいてきた。

 

「またまた二人共、手なんか握っちゃって」

「ぬあっ、こ、これはっ!」


 慌てて小唄が雨次から飛び退く。その間に入るようにお遊は立って無邪気な笑みのまま告げた。


「何してたの? 厠の修理の相談?」

「厠?」


 雨次の訝しげな言葉にお遊は頷いて応える。


「うん。厠の天井が壊れたのかなー? この前ネズちゃんが鼠みたいに上って色々弄ってたからさー」

「ああああのそれはその」


 しどろもどろになる小唄だったが、遠くから声が聞こえてきた。


「うぉーい新井の爺さん居るかぁー、厠の屋根の修理しといたぞぉーい」

「あ、甚八丸さん……」

「いやー困るなこの古屋敷。あちこち傷んでるからなぁぁぁ」


 などとわざとらしく言いながら通りすぎて行くのであった。

 舌打ちが聞こえた。

 雨次は周囲を見回すが、にこにこと笑うお遊と安堵した小唄しかおらず、誰がその音を鳴らしたのかも分からない。

 だが、原因不明の妙な気配だけその場に残った。


「……これも小豆洗い、かなあ」


 幼馴染は今日も平和です。







 *****




「茹でた小豆の感触が残ったモチ搗きたて、餡作りたてのあんこ餅! これは美味いね九郎くん!! 幾らでも食べれるよ!」

「喉に詰まらせるなよ、石燕」

「小豆は洗うものではない、煮るものなのだよ! 甘い! モチモチ! んがんぐ」

「石燕? おい、これ! 一気に食い過ぎだ──!」




 モチは用法用量を守り安全に美味しく頂きましょう。

 


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