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【RE江戸書籍化】異世界から帰ったら江戸なのである【1~4巻発売中】  作者: 左高例
第四章『別れる道や、続く夏からの章』
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外伝『IFエンド/異世界から帰ったのである』



 人生台無しゲーム。

 と、云うゲーム盤がある。異界物召喚士にして、自称クリエーターのヨグが開発したボードゲームだ。

 ベースは双六の発展形であり、遊技者の運命力及びランダム振り幅と環境変化に依る変動やカルマ値も考慮に入れたルーレットによってあたかも人生の再現、或いは異なる人生の道筋とでも云ったような矛盾許容ゲーム展開が発生する。

 マスに記された内容も可視と不可視が混ざり合い、一寸先は闇に突入して辺境地で木材を数えるマップへ飛ばされたり蟹漁船から落ちて振り出しに戻ったりと様々に変化する。 

 台無しゲーム。

 これは、ゲームでありながら決まった台に載せられるのではなく──定められた大きな運命の道筋を辿るのではなく、己の流れを作る力と乱数と未知を押し付け当然にして偶然の人生を再現させる道具なのである。

 神や集合意識、世界法則等による大きな運命の流れと個人が持つ小さな運命の流れは似ているようで真逆だ。

 或いはヨグがこれを作り出したのは真なる運命の流れを持つ誰かを探し当てる為なのかもしれない。

 

 それはともかく、割と世界中でヒットして売りだされているそれを魔王城でテーブルを囲みやっている三人が居た。

 魔王城に二人の客人が訪れてそれなりの時間が経過した、ある日のことである。まだ世界壊しの魔剣は造られておらず、ヨグが転移術式の下準備を行なっていた頃だ。

 ブレザーにミニスカートと云う女子高生めいた格好をした虹髪眼鏡がげんなりした表情で呟く。


「また1進むか……マスは……[振り出しに戻りたくない]。戻りたくないよ!? 当たり前だろっ! ううっあの頃に戻ってたまるものか……クソクライアントめ……そんな量の文章が一ページの広告に入るわけないだろお……」


 何やら広告デザイン会社に勤めていた仕事の記憶がフラッシュバックしてるヨグを無視しつつ、若干離れた位置にあるルーレットに手の代わりに自作の付与魔術用魔女杖で突っついて回すのはイリシアだ。


「2マス進む。[振り出しに戻りたいなら戻ってもいい]……何やら深い感じですね。まあ別に戻りたくないですが」


 最後の一人、侍女のイモータルがルーレットを回して自分に似せた駒を進める。


「7進み[友達が結婚するので刺殺した。二回休み]致します」

「怖っイモータルの止まったマス怖っ」

「見た目とは違い心の中ではドロドロしたものを抱えているのでしょうか」

「と、発言致されましても」


 イモータルは二人を見ながら、変わらぬ無表情で告げる。


「機械人形に運命力は殆どありませんので、単に偶然の結果だと判断致します」

「うう、まあ我も運命力はマイナスってるから碌な結果にはならないけどさ……製作者なのに!」

「わたしは転生分悪い運命が重なってるので今ひとつですね」

「盛り上がらない人生ゲームだなあ。運命神を殺神して力を封印して作ったんだけど」


 などと、基本的に因果が悪い三人は言い合った。

 ヨグが殺害した神の一柱が運命の神である。召喚した運命両断双刃剣によってそれが抹殺されたことで大いなる運命の流れは酷く不完全なものとなった。現在では旅神が運命神の代行を行っているが本来の運命に関する職能を十全に発揮できる事はないだろう。


「くーちゃんが混じれば全員それなりに運命力が底上げされるんだけどねえ」


 ヨグがため息混じりに云う。現在この城にはクロウは単独で出かけている為に居なかったのである。


「スフィばあ百歳の誕生日に行ってますから。一人で大丈夫でしょうか。わたしも付いて行こうかと思ったら全力で拒否られまして」

「移動と防御用に第四黙示の装備を契約させたから軍隊から追い回されても平気だと思うよ。と云うか、くーちゃんが本気で逃げに掛かったら監禁されてようが指名手配されてようが逃げられるのはいーちゃんが知ってるんじゃない?」

「インターポールに捕まってアサイラム重犯罪収容地下墳墓施設に入れられた時も他の犯罪者扇動して自分は手を汚さぬように逃げましたからね、あの人」

「ああ、あの大量に脱走者と行方不明者が出た事件くーちゃんがやらかしたんだったね……」


 実際にはイリシアの魔法もあって大惨事なプリズンブレイクが発生した為にやはり魔女の懸賞金とヘイト値が上昇することになったのだったが。

 ボードのマスでイモータルの駒が結婚式の最中に新郎新婦へリッパーサイクロンしている寸劇を見下ろしながら、思い出したようにイリシアは云う。


「そういえば……はて、もう何年になりますか。二十年以上も昔の話ですが……わたしは、クロウの結婚式が見たかった事があったのです」

「くーちゃんの?」


 聞き返したヨグにイリシアは頷きもせず、顎に手を当てて中空を眺めたまま思い出す。

 クロウと出会って旅をして、既に三十年近い。体は二十歳の時にクロウと同じく老化を止めたが、これまでの魔女と比べれば長生きな方なので思い出すのも時間が必要だった。

 魔女となれば太く短く生きるのが普通であった。最大火力で周囲を破壊し続け、故に最大の戦力で討伐を受ける。身体蘇生と洗脳魔法で死者の軍団を作ったこともあったが、逆に属性を固定する方が世界中には多種多様な能力の使い手がいる為に脆くなる。

 いかに無限に近い魔力を持っていて世界最強の魔法使いとはいえ一人では限界があった。神獣を使役する召喚士や地上に住まう二級神、奇跡を行使する神官に反則能力を持つ武器を操る勇者など、同格ならずとも牙が届く相手が存在するのだ。

 今回は環境激変の被害こそあれ直接的な人死が少なく、常に移動を繰り返して特定の国による追跡を避け拠点を固定せず、また時には変装して普通に街に繰り出すこともあったりしていて大規模討伐軍が編成されづらい為に二十年はクロウと旅を続け、今は魔王城に腰を落ち着けているのだったが。


「こう、クロウが結婚式で幸せそうに笑ってる姿が見たいなと思ってたのです。誰と、と云うわけではないのですが」

「はふーん?」

「仕方ないから自分で結婚してみようかと提案したらメッチャ断られました。おのれ」

「いやまあ分からないでもないけどさ。いーちゃんあれじゃん。くーちゃんの孫娘的存在じゃん。うさぎがドロップするより高度な関係を要するよ」


 小馬鹿にするように言ってルーレットを回し駒を進めるヨグ。つまみを捻る右手は柔らかく白い肌で、生身である。

 止まったマスに[何もない人生に、何もないがあった事を悟った]と書かれていて目を逸らす。


「よし、それなら仕方ない。いーちゃんの頼みだもんねくふふ! ここは我が!」

「馬鹿ですかヨグ馬鹿ですか」

「申し訳ありません、イリシア様と謝罪致します」

「酷いな!? っていうかなんで謝るのイモータル! 我の発言が謝罪に値するとでも云うの!?」

 

 ため息をついてイリシアがゲームを進める。[探しものが見つかった。三億円手に入れる]とあった。三億円の探しものってなんだと思いつつ、手札に紙幣を加える。


「わたしはクロウが幸せな結婚をするところが見たいのであって。ヨグとカナブン、どっちかと結婚しないといけないとなるとクロウはカナブンを選びますよ」

「嘘でしょ!? いや、仮に選んだとしても半々ぐらいに悩んだ末にカナブンでしょ!?」

「測定致しましたところ、99.7%の確率でカナブンが選ばれると判断致します」

「そんなゴルゴの狙撃成功率みたいな可能性で!?」


 どんだけ我のランク低いんだよ……といいながら、未だにスプラッタ劇を続けるイモータルの駒を眺めて順番を飛ばされて自分がルーレットを回すヨグ。

 [友達がやけに壺とか絵画を買わせてくる。金を二百万払う]で手持ちの紙幣を減らした。


「微妙にリアルな数字なのが厭だなあ……それじゃあ、今日くーちゃんが会いに行ってるエルフの何とか云う人は?」

「スフィ婆ですか。わたし的にはもっとも駄目な人材です。論外と言っても過言ではありませんよ。カナブン>ヨグ>スフィ婆ぐらいです」

「下には下が居た!」

「何十年クロウと一緒に居て付き合えてないのですかあのヘタレツンデレは。手に入らなくなってから嘆くタイプとか一番腹が立ちます。今回最後のチャンスですが、九郎が『またな』って言った言葉に連動してスフィ婆が『また』って送り返した行動をキーに、今後くっつこうとしたら肝心な所でトチる呪いが発動するように付与魔法仕掛けときました」

「うわーいーちゃん最悪ー」

「魔女ですから。その思わせぶりな態度とやらでクロウを落とせたら解除されるようにはしてますよ一応」

「無理くさー」


 しれっと真顔で他人の人生に干渉する呪いの術式を準備しているイリシアである。

 彼女とクロウの関係こそ、最初から家族のようなものだったのでそれ以上発展も何も無かったのだから──普通に出会って対等な関係になれたスフィを羨ましく思うこともあった。

 休みの空いた時間でイモータルが淹れ直したコーヒーを飲みながら駒を進める。[絵の才能に目覚めた。二百万貰う]でヨグが払った金を取る。


「買わせてきたのそっちかよ」


 恨めしそうに虹色の渦巻いた目で見た。


「しかしくーちゃんの結婚か。全然想像できないねあの枯れまくりな様子からすると」

「だから見たかったのですが」


 ぼやきながら、休みを終えて血まみれになった駒のイモータルが正確な動作でルーレットを回し、進める。

 彼女が回したマスは運命で必ず訪れるというわけではなく──ほんの一秒でも違えば異なった結果が起こる、単なるランダムの結果だったのだが。


「[未来が分岐する]……と、記載致されてますが」

「うん? なんだろうそのマス」

「ヨグ。何か出てます」


 イリシアがやや警戒したような声で指摘すると、ヨグの頭上に空間投影された看板のような立体映像が浮かんでいた。

 見上げると文字が書かれている。ヨグは眼鏡を正しながら読み上げた。


「[結婚の話をイモータルに勧める]or[勧めない]……? うわっ、これは運命の分水嶺が可視化してるやつだ!」

「分水嶺?」


 イリシアが聞き返す。


「世界だろうと人だろうと、運命ってのは水の流れみたいなもので一番端まで落ちていくように出来ているんだ。多くは運命の支流を選択することなんてできずに、ただ流されて終わる。中には自分で水路を掘って進んだり別の流れを統合したりして進む人もいるけどね。

 そしてこれは明確に、大きな流れの支流に入るか入らないかと云う選択が今あってそれが運命神のジーザスエフェクトで発現してるんだ。よほど運命を見通す特異能力者にでもなければ見えないはずだけど……我も初めて見た」

「このゲーム盤が原因でしょうか」


 イリシアが突付く。一応全国に普及しているものと同じ型のゲームなのだが。

 ヨグは悩みながら、


「大抵の日常で行える選択なんてのは大きな目で見れば何の意味もないようなものだけれど、これが出た時の選択は意味があると言われている。……ああでも、どうしようか!」


 彼女は頭を抱えて机に突っ伏した。


「面白い結果が見たいならイモータルとくーちゃんを結婚させるのもいいんだけど、それは今まさに『選べ!』って指示されてるそれに従うようでムカつくし! でもかと言ってこんな運命に従わないぜって無視したりNO選んだりするのも我がやりそうな行動ってことで見透かされてる気がして腹立つし! っていうかこのエフェクトがムカつくんだよっ! ゲーム脳か!」

「面倒な性格ですねえ」

「何もかもから逆らって生きてきた末路だと判断致します」


 ぐねぐねと選択を迷うヨグに二人が冷ややかな目線を送る。

 天邪鬼な彼女としてはどちらを選ぶのも選ばないのも同様の忌避感を覚えるのである。この場に居ないクロウの意志はほぼ無視されているが。

 

「これがカナブンとの結婚を薦めてみるかどうかだったら面白そうだから迷わずやるのに……」

「全力で止めますけど」

「はっ……カナブンを選ぶか、我を選ぶかの選択を迫れば面白いことになるのでは!?」

「淡い希望に賭けつつ、カナブンが選ばれてもネタで済ませられそうな予防線を張ることで自尊心をカバーしなくても」

「分析しないでよっ!?」


 うがあ、と両手を振り上げて喚くヨグ。

 呆れたように──そう云う表情は血が繋がっていないのにクロウによく似ている──イリシアは肩を竦めて、


「まあ、そもそも話を薦めたところでクロウがイモータルと結婚するとは思えませんが」

「そうだね。くーちゃんの事だから結婚相手と云うと金持ちで寿命の少ない女とかそんなのを選ぶタイプだし」

「イモータルは愛想も無いですし」

「我が娘ながらロボだしねー」


 言い合って、二人は笑った。まあ大げさに選択肢などと云うものが出たがそんなものだ。結局は何も変わりはしないだろうという思いが強い。

 結婚願望が尽き果てている乾いた大地の西部劇で転がる草を食うような草食クロウが今更結婚などするだろうか。

 話を振っておいてなんだが、イリシアにもあまり想像はできなかった。

 イモータルは一礼をして、


「では、どちらでも良いと言うことですねと確認致します」

「うん」

「了解致しました」

「え?」


 こうして、選択肢の一つが発光して浮かび上がっていた看板は消えた。 

 本来とは僅かに異なる流れを進み。





 *****





「──よし、それじゃあそろそろ」


 クロウはそう言って、よっこらと声を上げ椅子から立ち上がった。

 目の前の茶は既に空になっていて湯気も浮かんでいない。名残惜しそうに対面に座ったスフィが見てくるが、自分も若干そう云う思いがあってクロウは苦笑する。

 

「もう行くのか? ゆっくりしていってもいいんじゃよ?」

「なあに、あんまり放っておくと不良娘達が良からぬ事を仕出かすかもしれんのでな」


 殆ど止めれていない監督役だが、それでもクロウがいる故に魔女の被害は少なく済んでいるのである。尤も、彼が居なければ桁外れの犠牲者数を出しつつももっと早くに討伐されていただろうが。

 久しぶりに誕生日で会いに来てくれた長年の友人がまた出るのに、スフィは寂しそうにして云う。


「別に……クロウの責任じゃなかろう。魔王や魔女と別れてお主が好きに生きてもいいとは思うのじゃけど」


 スフィのその言葉に、クロウは軽く二度ほど頷いて草臥れた笑みを浮かべた。


「そうだのう。振り回され引っ張りまわされ敵ばかり作り我儘好き放題をする駄娘だ。碌なものではない」

「……」

「だけど己れの家族だから、あやつを見放したりはせんよ。もうかれこれ二十年以上は居るのでな」

「そうかぁ……」


 やっぱり疎遠か。疎遠になったのがいけなかったのか。口の中でもごもごとスフィは呟きながら強くは言えない。

 クロウが魔女と共に逃亡生活に出たと云う当日はスフィは偶々教会の本部がある国に出かけていたのですっかり蚊帳の外に置かれてしまっていたのであるが。

 それにしてもこの世界の住人が持つ普通の感性に於いては、魔女と行動を共にすると云うのは例えるならば悪魔の毒々モンスターの側に居るようなものなので、まともではない。

 手をこまねいて居るうちにクロウはあちこちイリシアと放浪生活をして、今では魔王城に住んでいるという。スフィからでは会いに行けない場所に行ってしまった。

 だから、


「また、会えるかのう?」


 そう聞くとクロウは軽く応えた。


「生きていれば縁もあるだろう。またな」

「……うん! そうじゃな。また」


 スフィもそう言って笑い返した。

 彼が不老の存在になったのは予想外だが、別れが先延ばしになったことは素直に喜ばしい。またいつか。自分と彼の寿命は長いのだからそのうちにまた関係は変化するだろう。

 そう気長に思えば百年や二百年、どうとでもスフィは思えた。

 玄関から外に出て、空を飛び去っていくクロウへ彼女は希望を秘めて大きく手を振り続けた……。


 いつかなんとかなると思っている、駄目なパターンであった。スフィは何故か寒気を感じて、くしゃみを一つして首を傾げるのであった。


 一方でクロウは上空の風に乗って疫病風装の飛行能力で魔王城へ戻る。

 いかにも怪しげな装備と契約させられたが、移動には便利だった。少々サイズが大きく全身を足元まですっぽりと覆うデザインで歩きにくいのが難点ではあるのだが。


「それにしても家族か……懐かしいような気がする」


 クロウは空でひとりごちる。

 確かにイリシアと旅をする前から彼女とは祖父と孫のような関係だったのだが、


「……」


 何度思い出そうとしても、イリシアと出会った時の事は記憶から抜け落ちている。いつの間にか自然と家族のような間柄になったけれども、用務員と落ちこぼれの魔法生徒がどうしてそうなったのかはわからなかった。

 風により加速を続けて大陸の風景を飛び越し、やがて東部海岸にある砂漠地帯が見えた。   

 遠目に見れば広大な砂漠の遥か先に魔王城が聳えているのだが、周辺の空間はミラーハウスのように歪み反射を繰り返して方向感覚を惑わして侵入者を惑わす迷宮となっている。おまけに地雷などの罠も多く仕掛けられておりかつて討伐に来た勇者も二度ほどここで力尽きた。

 それは上空でも同じで重力方向すら上下左右に入り乱れているこの空は鳥の一匹も飛んでいない。それらの空間操作は全て魔王城のメインコンピューターで行われており、それを制圧しない限り侵攻は限りなく難しいだろう。

 クロウは懐に入れた通信機を取り出し、眉を寄せながら人差し指で操作して繋ぐ。


『着信致しました』

「イモ子か? 砂漠の外まで来てる」

『了解。転移致します』


 明確で短い受け答えがあり、クロウの目の前に空間転移してイモータルが現れた。

 彼女は足場のない空中でもなんと云うことも無くクロウの手を握ると、再び転移能力を発動させてその場からクロウと共に魔王城へ跳躍する。

 二人が来たのは教会堂のような部屋である。魔王城の一室であまり使われていないが、もし城に誰かが攻めてきた時の安全な拠点となる休息地となるべく敢えて作られた場所である。勿論建造から今まで誰一人としてたどり着いていない。

 珍しい部屋にクロウは周囲を見回す。


「む? ヨグとイリシアは何処だ?」

「そこの物陰から様子を窺っておりますと暴露致します」

「あっ、こらシーッ!」

「躊躇なくバラされましたね……」


 イモータルが指を向けた先に置かれた大きなダンボール二つが囁き動いた。

 何をやっているのだとクロウはため息をつく。

 そんな彼にイモータルはまっすぐに向き直り、二歩の距離を離して彼が見上げない程度に向かい合って──唐突にこんなことを言った。


「クロウ様。好きなので結婚しましょうと提案致します」

「……待て。ちょっとな」


 イモータルに手のひらを向けてクロウは片方の虹マークが描かれたダンボールに近づき、術符フォルダから炎熱符を取り出して火を近づけた。


「おおおおい!? ちょっと何するのくーちゃん!?」

「お主の悪戯にイモ子を巻き込ませるでない」

「違うって! 我じゃないよっ!? イモータルの自発的行動だからマジで!」

「自発的にそう行動するようにプログラムしたのか……下衆め……」

「どうして我の信頼はこうも薄いかなあ!?」

「日頃の行ないでしょう」


 隣のダンボールが云う。

 ヨグボールは慌ててキャタピラが出現してクロウから逃げて距離を取った。クロウがしゃがんでいた状態から立ち上がると、やはり少し距離を置いてイモータルが側に立っている。


「クロウ様。提案の妥当性を説明致しましょうか」

「なんかもう……言ってみろ」

「率直に応えまして、お互いにデメリットが無く、メリットがあるので結婚を推奨致します」

「率直すぎるぞ」


 訝しげに眉根を寄せて彼女を見る。

 いつも通りの無表情気味な顔つきのままイモータルは云う。


「ではクロウ様。私達が結婚するにあたり、問題点を上げて頂けると具体的に返答致します」

「そうだのう……己れはもう爺だから今更と云った感じなのだが」

「結婚に年齢制限はございませんと判断致します」

「いや、制限とかではなく気分的に嫁の為にあれこれする甲斐性が湧かぬというか」

「ご安心ください。イモータルは侍女故に、主人に仕えるのが当然です。クロウ様が気を使う必要は無く、私がお支え致します」


 また、


「これまでの生活を変える必要もございません。クロウ様はいつも通りにイリシア様や魔王様と自由にお過ごしください。必要があれば何処となりへお出かけください。クロウ様が望めば三千世界の彼方にも付き添い致します。望めば億万星霜の果てまで留守をお守り続け致します。望めば八百万の援助行動を致します。万敵を打ち倒し平穏な日常を維持致します。イモータルにクロウ様のお望みをお聞かせ致してください」

「いや、待て待て。それでお主に何のメリットがあるのだ。己れは女を満足させる事も、子を成す事も出来ぬぞ。今までと変わらぬ日々を送るのならば結婚も意味は無かろう」

 

 クロウは意味がわからぬとばかりに尋ねた。

 彼が考えるに結婚のメリットの一番は税金だ。魔王城では払っていない。次に財産。クロウは持っていない。或いは老後の不安。不安は不安だが、それは人間のクロウのみにであって機械のイモータルは感じることはないだろう。

 イモータルは頷き、応えた。


「私の学習型自立思考回路では好意と云う感情が理解可能です。そして好意を感じ、互いに問題が無ければ結婚をすると云う論理的な判断を致しました」

「は、はあ?」

「イモータルはクロウ様が魂の底から好きなので、結婚致しましょう」

「……全然わからんぞ」


 クロウが云う言葉に、イモータルは見返して云う。

 無表情には見えなかった。彼女の顔は変わらなかったのに、クロウには感情が見えた。何故か、懐かしく思える。


「一緒に居たいと思います。一秒でも、一瞬でも。そしてより長く。いつかクロウ様が離れ、イモータルを忘れ去られてしまうと思うと嫌です。だから離れないように、忘れられないように……尽くす身ではありますが、ただひとつの欲として──契りを結び致したいのです」

「……」

「クロウ様は八年と四ヶ月二十五日前にイモータルに言いました。この四人の思い出を記録してくれ、いつか語ろうと語り致しました」


 正確にその日数の過去かは思い出せなかったが、[ソーマの夜]と呼ばれる日にそんなことをイモータルに云った記憶はクロウにもあった。

 彼女は続ける。


「それが私のやりたいことだと認識し、お二人と魔王様、それにイモータルを加えた日々を記録しました。しかし、やりたいことの他に欲が出たのです。これからも皆と共にありたい。クロウ様との記憶を続けたい。そう云う気持ちが芽生えていました。これは間違った判断でしょうかと確認致します」

「い、いや……」

「理由をつけろと云われてもこの気持ちは六六六の言葉を重ねても陳腐になります。一緒に居たいと思う理由など、思ったからでいいと判断致します」


 クロウは再びヨグの方に顔を向けると、彼女はダンボールから手を出して横に振っていた。自分の指示ではなく、イモータルの人工知能が自ら判断して行ったことなのである。

 イリシアはダンボールから出て、興味深そうにこちらを見ている。クロウは頬を掻きながら、


「なんかこう、大いにアレな気がせんでも無いが……」

「どうアレなのでしょうかと確認致します」

「お主の事は嫌いではないが、そりゃあイモ子が居れば己れは助かる。飯だって旨いしよろずに気が利く。だがなんというか、こう……」


 クロウは言葉を思いついて、苦々しく云う。


「お主のヒモになるようで、気が引けるのだが……」


 単にそう云う理由だったのだが。


「……指摘致しますに、居候の身なクロウ様は既に扶養致されていますので」

「ぬう」

「クロウ様がイモータルを嫌い、結婚を悪しきものとお考えになるのならばお断り致されても問題ありません。イモータルがっかり致しますが」

「……」

「受けてくださるとイモータル喜んで能力値が上昇致します」


 真顔で空間にグラフを投影して、結婚後のステータス上昇値を解説しだしたイモータルにクロウは軽く頭を抱える。

 未だによく目的がわからないものの、確かにどうやら彼女がそれを望んでいることは確かであるようだった。

 これまで結婚に縁は無かった。相手に責任を持ち庇護して養うにはそれ以前に他に手のかかる事情で一杯だったのである。

 だが今はそう他人に関わらずにのんびりと生きていて、それでいてイモータルには世話になっている。

 また、恐らく今後も彼女には男に縁は無い。魔王の侍女で機械人形となれば当然だ。クロウ以外に相手も居ないだろう。そう思えば、相手の居ない者同士で別に誰に構うわけでもないと思えて──


「はあ……わかった、わかった。この歳になって若い嫁を貰うのも気恥ずかしかっただけだ。お主に不満は無いよ」

「イモータルは十七歳に設定致されていますので」

「そうかえ。それじゃ、結婚するか。それでお主が喜ぶならいいさ」


 呆れたようなため息と共に、クロウは疲れが見える笑みを浮かべて──そう返事をした。

 それを遠くから見ていたヨグが、イリシアにバタバタと近づいて口元を手で覆って云う。


「あれ!? なんか成功してるんだけど!? 結婚しちゃってるんだけどっ!?」

「……ぐうぐう」

「うわっ、いーちゃんがあまりのショックに寝てるっ!?」


 立ったまま目を瞑って居るイリシアをヨグは揺らすが目覚めの気配は無かった。

 彼女としてもまさか成功するとは思わなかったのである。


(自分で作っておいて何だけど確かにイモータルは美人で、スタイルよくして、メイドで絶対領域で無表情系だけどあざとい仕草もプログラミングしていてお菓子はおいしいしコーヒーはおいしいし家事万能かつ相手を立てるスタイル……あれ?)


「完璧ヒロインじゃないかこれじゃあっ!」


 機械工作以外の日常生活がだらしない、チビで眼鏡で性悪なオタクという負け組属性ごった煮にしているヨグは嘆いた。

 まさか自分の理想のメイドロボを作ったつもりが、男にとっても理想的だったとは。

 あまりに他人に縁がないから気付かなかった。

 

「いや、待てよ……とすると、くーちゃんは我の義息子?」


 思案する。

 

「……それもそれで」


 にへら、と口を歪めるヨグの気配に、クロウが身震いする。

ぺたぺたとスリッパの音を鳴らしてヨグは二人に近づき陽気な声を上げた。


「やあやあ、お二人さん。結婚成立とはめでたいね! 結婚カッコマジとなるとお母さんたる我もお祝いしてあげなくちゃ。しょーかん!」


 そう言うと空間に召喚陣を生み出させてB5サイズの書籍を発生させて手に取る。

 婚活マガジン[ゼクシリン]である。婚活天使ゼクシリン──正式にはゼクシエルと云うが、芸名のほうが知られている──が発行している、総合的に結婚関係を特集した雑誌である。

 それに載っている結婚式場の案内記事をぺらぺらと捲って記憶し、ヨグは生身の右手をくるくると動かす。


「ふんふん……よっし術式完成。式場召喚『きみがぼくを見つけたタイムトラベラーズ・ワイフ』!」 


 異界物召喚術。

 ヨグのその能力を適応することで、雑誌に掲載されていた結婚式に使う式場の飾りや装飾品などを別世界の似た物に置換し召喚、配置することで──この教会風だった部屋を一気に改装した。

 殺風景だった部屋は沢山の造花と白いレース生地、絨毯に暖かな照明で一転して華やかな空間に変わった。

 クロウは眉に皺を寄せながらあたりを見回す。いつの間にか自分たちの立っている所が壇上となっている。格好こそ、メイドと青いローブの妙な取り合わせだがまさに式場に入り込んだようである。


「なんとまあ、派手な……」

「さあさあ! 二人は誓いの言葉を言い合うんだよっ! 紙吹雪も八甲田山が埋まるぐらい出してあげるからさ!」

「凄く大きなお世話だ。というか、誓いと言ってもなあ」


 頭を掻く。結婚と言っても互いの関係がそう変化するわけではないのだから、何を誓えば良いのやらと思ったのである。

 イモータルは一歩、クロウに近づいて告げる。


「クロウ様。結婚するにあたり、誓って欲しいお願いを致します」

「確定か。……なんだ?」

「私より先に死んで下さいと要求致します」

「なに」


 イモータルは────


「どうか、私より先に死んで下さい。イモータルは大破しても復旧する不死人形ですが、絶対ではありません。クロウ様は死ににくい体をしておりますが、永遠ではありません。どちらが先に死ぬかは偶然次第ですが、出来る限りクロウ様が先に死んで頂ければとお願い致します」

「何故だ?」

「私が先に機能停止した場合、クロウ様のお世話が出来ません。そして人はそのうちに記憶を薄れさせるものです。クロウ様の中から私が消失するのが恐ろしく感じます。クロウ様が存在しなくなった私を思って苦しむのを忌避致します。

 私ならば最後の部品の一つが因果地平の彼方へ消えるその時まで、クロウ様と過ごした日々を記録し続ける事が可能です。忘れずに貴方を思い続ける事を、私は幸いだと判断致します」

「お主……」

「機械のこの身、残せるものは記憶のみです。クロウ様、私は忘れられたくないと説明致します。故に──私より先に死んで下さいと、お願い致します」


 クロウは己の顔に手を当てて、笑った。


「は、は、ははは」

「何故笑っているのでしょうかとお尋ね致します」

「いや、なんだ。お主も笑っておるぞ。初めて見るなあ……笑いながら死んでくれなんて言われるのも、初めてだ。ははは」

「……?」


 イモータルは首を傾げもせずに、口元に手を当てると──無表情に近い自分が微笑んでいることに、触って気づいた。

 クロウはおかしそうに顔を伏せて、腹を抑えながら笑った。 

 何故か笑いが止まらなかった。何故か、イモータルの願いが嬉しくて懐かしく……涙が出る程に笑った。

 笑い涙を拭いながらクロウは顔を上げて、朗らかに微笑みながら手を差し伸べる。


「──わかった、己れの最期をお主にやろう。だから己れと一緒に生きて、己れが死ぬ時には近くに居ておくれ」

「……はい」


 イモータルも嬉しそうな笑みを浮かべて……その手を掴む。

 愛や恋や情よりも、また違ったような誓いではあったが──二人は確かに、共に生きる事を約束した。 

 それを見ていたイリシアが、顔を向けたまま目から涙が溢れてきた。 

 熱いものを感じる。クロウがああ云う風に笑うのを久しぶりに見て───そして、見たかったものなのだと。


「あ……」

「おや? いーちゃん泣いてるね。わかる。わかるよ? 負け組ヒロインの涙だよねっ! なっかま──痛ァ!? 杖で殴られた!? 我の次元障壁を無理やり馬鹿魔力で破らないでよ痛ァ──!!」


 ばしばしとヨグの超魔導宇宙的科学技術で作られた障壁を薄紙のように破ってヨグをひっ叩きながらも、イリシアはクロウとイモータルから目を背けられなかった。

 口を開き、囁く。


「おめでとう……爺ちゃん……」


 続きが声に出なかったが、胸に何かがすっと落ちて気持ちが軽くなるのを感じた。

 魔女になったが破壊衝動なんて自力の魔法で抑えられていた。もっとやりたい事を見つけたからだ。

 いつまでも味方で居てくれた大事な人が本当に笑って、幸せになる所をずっと探していた。見つけていた筈なのに取りこぼした気がして。

 

(嬉しくて泣くことがあったのですね……)


 いつかした約束──クロウの最期を看取ろうと誓ったのであるが、誰かの役目を奪ってしまっていた後ろめたさがあった。

 それがすっと軽くなり、何故か涙が溢れてきた。

 その時に──。

 イモータルと向き合っていた、クロウの胸元が青い光を発した。

 文字が浮かび上がり魔力を発している。クロウが胸を見下ろして云う。胸の奥、魂に刻まれた魔女の術式刻印。


「これは……不老の魔術文字か? 何故……」


 光は光量を増してクロウの体を包み込み──すぐに消えたが、光から姿を表したクロウは成長していた。

 背丈は百八十程に伸びて顔つきも青年らしい雰囲気になり、上がった視点をきょろきょろと周囲に向けている。年の頃は二十代か三十前ぐらいだろう。服装はもとよりだぶついた疫病風装なので自動でサイズは調整されている。

 ヨグが魔法スマフォを取り出してカメラを向けた。


「くーちゃんがイケメンになった! うわっ……成長したら思ってたより良い感じだくそっ」

「なんだ、背が伸びたのか? 魔術文字が……イリシア、どうなっている?」

「え、ええとちょっと待って下さい」


 慌ててイリシアがクロウの側に近寄り、見上げる背丈になった彼の胸に手を当てて封印されていた付与魔法を探る。 

 柔らかい少年の肌か、枯れた老人の骨ばった肌かしかクロウに触ったことが無い為に少し戸惑いを感じたが。

 

「……魔法が解除されてますね」

「本当か。しかし何故今……」

 

 クロウが少しばかりごつごつとした両手のひらを見ながら、急に成長した体の感触に違和感を覚えつつも首を傾げる。

 いきなり老人にならなかったのは良かったような、釈然としないような気分ではあったが。

 イリシアが顔を落として云う。


「これは……クロウに生きていて欲しいという願いが込められた術だったのです。自分で生きたいと思って、笑って逝けるような価値を自らに見いだせたなら……クロウが本当に幸せになったのならば、それで解ける魔法だったから……」


 それに続けて、ヨグが難しい顔をしながら、云う。


「生きるってことは永遠の命を持つことじゃないんだよ、くーちゃん。誰かと助け合って、生きることの大切さを……君は今、やっとわかったんじゃないかな?」


 二人が云うので、クロウは文字が刻まれていた胸元を撫でた。

 誰かの指の感触が思い出されて、口から何か言葉が出そうで出なかった。

 腕を組みながら感慨深げにヨグは云う。


「まあ我のセリフはFF9のパクリだけど」

「……」


 いちいち台無しな事を云うヨグである。

 

「あ、でも寿命ができたから絶望してラスボスにならないでね? FF9みたいに」

「FFの話題はどうでも良い」

 

 ため息混じりにクロウが言う。大体、人としての命を貰ったキャラがボスになったのはFF3ではなかったかとうろ覚えの知識にあったのだが。

 ヨグは花吹雪をまき散らしながらくるくると二人の周りを笑顔で歩きまわり、


「とにかーく、これでイモータルとくーちゃんは家族になりました!」


 そしてクロウの前で立ち止まって、軽く咳払いをして───珍しく、邪気のない懐かしそうな顔で言う。


「友よ───我の娘を幸せにしてね」

「? あ、ああ。それは勿論だが、なんだその仰々しい呼び名は」

「はるか昔に、会いたくても会えなかった誰かがその相手に送った言葉さ」


 笑いながらヨグは軽くクロウの肩を叩いた。


「んで、イモータルの親の我と、くーちゃんの孫は紛らわしいから娘のいーちゃんも家族ということで魔王一家の誕生です! 家系図的に我が一番上だから家長ね!」

「家長が一番小さいですね」

「よしっ! ハネムーンは地球の日本に行こう! 娘と婿の為だから魔王様頑張っちゃうぞー!」


 などと、久しぶりにやる気を出しているヨグであった。

  

 ヨグ──と言う少女は物心ついた時から己の異常性に気づき、両親の元を離れた。それは異界物召喚術と言う一族の中でも特異な能力によるものではなく、前世の記憶が複数にあった事である。もはや遥か過去に亡くなった両親の顔も名前も思い出せない。

 ペナルカンド世界では魂は輪廻する際に死神から記憶を漂白されて前世を思い出すことは基本的に無いが、時折うっすらと魂に記憶が染み付いている者も居るがそうではなく、ヨグは別の世界で過ごした魂の残滓が残っていた。

 いつかの違う自分の記憶が蘇った影響で現在の親が赤の他人に思えた。そして、自身は特別だと信じいつか役目を果たす力を隠したほうが格好いいので隠して生きて、やがて何も起こらずに自ら行動を起こして魔王になった。過去生のどれよりも力はあったが、物語は無かったのである。

 結果、どちらにせよヨグは孤独となったのであるが、慰みに作った人形が魂を持ち始め、そしてそれが自らの意志で結婚を選択した事により──系譜を続ける家族と言う存在が生まれた。

 そのことを無意識に喜んでいるのだろう。意識すれば、恥ずかしくて叫びだすから。


「ほら、いーちゃんも祝福しなされ! 負け組ってないで痛ッ!?」


 イリシアはヨグに押し出され──殴ったが──今まで視線を見下ろしていたクロウの顔を見上げて、口を何度かぱくぱくさせ、告げる。


「ええと……クロウ……爺ちゃん……いや、その、……『お父さん』、お、おめでとう……ございます」

「お、おお。ううむ、そう呼ばれるのは初めてだが、そうか。孫よりは娘のほうが自然だな」


 クロウも戸惑いながら微笑むと、イリシアはなんとも普段やたら真顔でとぼけているイリシアとは思えないぐらいに、なんとも戸惑った表情で視線を泳がせていた。

 そして、じっと見ている頭に花びらを乗せたイモータルを見ながら、イリシアはなんとも言えない顔つきで、


「お父さんを、よろしくお願いします……イモータ、じゃなく……」

「……無理を致さなくても」

「いえ、ここは無理をしてでも云う所です。幸せにしてあげてくださいね、……『お母さん』」

「ありがとう、イリシア───と、お礼致します」


 そう言って微笑み合うのであった。

 

 ともあれこうして、クロウは限られた残りの一生を共に過ごす伴侶を手に入れた。

 祝うのは魔女と魔王のみであったが、祝福されるのは悪い気はしない。 

 それからの生活が大きく変わるわけではなく、いつも通りに皆で過ごした。

 クロウもイモータルも、イリシアもヨグも、笑うことが増えた。

 そして小さな変化として、クロウを地球世界に戻すための術式作成にヨグがこれまでより真面目に取り組むようになった。

 娘と婿の旅行を早めるためだろう。

 そうして世界を切り裂く鍵、魔剣[マッドワールド]の作成もつつがなく終わり、慎重に作ったのでヨグがそれで手をうっかり切り落とすことも無かった。

 こうして──異なる選択が偶然発生した世界では、魔王城に誰かが攻めてくる前に。



「『始まりと終わりに繋がる九つの物語よ。

 巡礼の道を歩け潔癖たる女。

 逸脱した言葉にて道を語れ男。

 境界の教えは形而上形而下に還る。

 歪曲した亜空を彷徨う運命の持ち手よ。

 自己相似す魂の往く先。因果を結べ。

 存在を了承せよ。

 ───────開け、汝廸むべき扉。転異術式……【保持し呼ばれる場所へ(ホールデン・コールフィールド)】』」



 ヨグの異世界転移術で、四人はペナルカンド世界から離脱するのであった……。

 誰もいなくなって、魔王城は静かに砂漠の地下へ沈んでいく。

 その様子を砂漠の夜闇から見ていた吸血鬼の老人が見送って、欠伸をしてのそのそと去っていった。




 *****




 上越新幹線のゆったりとしたグリーン席に座っている四人が居た。

 他に客は少ない時間帯で周りも気にせずに、声を出して話している。


「おっかしいなあ。くーちゃんの写真を参考にした筈なのにくーちゃんの格好が全然似合ってない……」

「雰囲気が老人ですからね。猫背は止めましょうよせめて」

「そうかのう」


 ヨグとイリシアの指摘に、前の座席から振り返りつつ風邪を引いたようにやる気のない声を出している。

 身長百八十あり、引き締まった体をしているクロウが着ている服は白いスーツに胸元が空いた黒いシャツ。首に相力呪符とアクセサリーをつけている。ホスト上がりのチャラいヤクザみたいな格好だが、表情が眠たそうかつ怠そうなのが究極に似合っていない。

 敢えて言うなら徹夜仕事を終えて朝飯代わりにとんこつラーメンを食ったはいいけど胃痛になってるチャラいヤクザである。弱そう。

 ヨグが参考にした、クロウが二十代後半で仕事をしていた時の写真は目付きもまだ青年並だったのでいかにもだったのであるが。95歳の醸し出す雰囲気が服装を凌駕していた。

 クロウだけではなく、ヨグもミニスカートにジャケット、[シチリア血の掟]と白文字で書かれた黒いTシャツを着ていて日本文化を勘違いした外人の子供みたいなファッションである。イリシアはノースリーブで薄地の縦縞セーターにいつもの魔女衣装を改造して作った切れ込みのあるロングスカートを着ていて、杖も帽子も持っていない。

 日本に来るのでいつもの格好は止めて馴染めるように着替えたのである。髪の色も発光を抑えているが、青髪と光加減で色が変わって見えるブロンドの二人は目を引くだろう。

 

「しかしこう、イモータルの気合が……」


 クロウは隣に座る嫁に目を向けると、彼女はメイド服ではなくゴシックな印象の黒いドレスを着ている。

 ぐっと握り拳を作ってヨグが主張する。


「いや! 今は高身長ゴスロリの時代が来てる筈だよっ! それに実家に挨拶にいくのなら着飾らないとさあ!」

「実家にゴスロリな嫁を連れてきたら驚くだろうが」


 クロウは半眼でそう返した。

 四人はこの世界に転移してきた場所──群馬から東京のクロウの実家へ移動中であった。

 何故群馬かと云うと日本の中心が群馬だからだ。坂上田村麻呂も言ってた。間違いない。

 日本円はヨグが三億円ほど入ったバッグ──正確には2億9430万7500円あった──を召喚してそれから使っている。まったく同じ額が盗まれた事件があった気がしたがさすがに記憶は朧げなクロウである。

 それでとりあえず新幹線の中で予定などを話し合っているのである。イリシアは興味深げに車窓から景色を眺めている。


「クロウ様」


 イモータルから呼びかけられて顔を向ける。


「どうした?」

「似合っていないでしょうかと確認致します」

「いや、似合ってはいるが……」

「いるが……? なんでしょうかと確認致します」

「……お主、結構その服気に入っているのか?」


 妙な迫力を感じる真顔の嫁に、クロウは誤魔化すように言った。

 イモータルは頷きながら、


「機能と云う面では見るべきものはありませんが、自己評価では合格水準にあると判断致します」

「そうか」

「後はクロウ様に褒めていただければ満点に致します」

「まあ、そうだのう。こう嫁が可愛すぎて照れただけだ。お主らしいし、己れも好きな感じだ」

「ピコーン」

「なんか音が鳴った!?」


 どうやら喜んでいるらしいイモータルであった。目が光った。

 後ろの席に座っているヨグが悪酔いした顔で、


「うっわあ……あんまい甘い。娘と婿が仲良すぎて困る。あ、そうだ。我とかの身分偽造というか、役所に登録しておいたから」

「そんなにあっさりできるのか」

「我にかかれば余裕余裕。くーちゃんの出身をハプスブルク家の血を引く江戸っ子に捏造したりもできるよ」

「するな」


 そう言ってヨグは数枚の紙を召喚した。そしてニヤニヤしながら渡してくる。


「はい本籍地に住民票移しといた。夫、[座 九郎]、配偶者[座 イモータル]、娘[座 イリシア]……くふはははは! 映画劇場のセットみたいだザ・クロウにザ・イモータルってさ!」

「ぬう……! そういえばそんな苗字だったな己れ」


 九郎は忌々しい顔で渡された住民票を睨む。久しぶりに見た自分の変な苗字だった。

 昔はそれこそザ・クロウという呼び名だったので無理やり知り合い全員に名前だけで呼ぶようにさせていたのである。

 職場などでもザさんとは呼びにくいので普通に名前呼びをさせていた。異世界に言っても説明するのが面倒なので名前だけで生きてきた。結果、今の今まで忘れていたザ・クロウであった。

 ヨグは他の資料を見ながら笑い声を吹き出している。


「それでくーちゃんの弟がまた映画みたいでもう──」

「己れの弟を名前で虐める奴は東京湾に何人だったかなあ」

「ここには居ませんので我の首を絞めるのを止めてください」


 ヨグの首に手をかけながら、静かな怒り顔で告げるクロウであった。ばたばたと動いてクロウの手からヨグは逃げる。

 舌打ちをして、ヨグに尋ねながら手元の紙をひょいと奪う。


「そういうお主の戸籍はどうなっておるのだ」

「あっ」

「……[ヨグ・フレデリ子]」

「フレデリ子」

「フレデリ子」

「なんで皆で復唱するの!?」

「お主そんな名前だったのか……」


 クロウどころか、イモータルも知らなかった様子で彼女も振り向いてヨグを見ている。

 微妙に他人の名前を馬鹿にした手前、バツが悪そうにヨグはそっぽ向いた。

 だがクロウは苦笑して云う。


「人に言っておいて己れが馬鹿にするわけがなかろうよ」

「ふん。どーだか。割りと内緒な名前だったんだからあんまり言わないでよ」


 拗ねた様子なのだが、クロウは彼女の顔を見たまま言った。


「そういえばまだ言ってなかったな。元の世界に戻したり書類作ってくれたり、世話になった」


 感謝に微笑みながら、続ける。


「ありがとう、フレデリ子」

「……!」


 ヨグは顔をぱっと上げて、頭をくしゃくしゃに掻き毟り、車内だというのに叫んだ。


「んあーっ!! もう、我はそんなありがとうなんて言われなれてないんだから!」

「わたしとの約束を守ってくれてありがとうです、ヨグ」

「作って下さり、ありがとうございます。母上様とお礼致します」

「うあー! うあー!」


 恥ずかしそうに身悶えする魔王であった。それを見て三人は笑う。イモータルも無表情ながら、確かに笑っていそうな雰囲気だった。


 


 *****




 彼に取って家族とは母親と兄の二人であった。


 彼の父親はとても逞しく陽気な人物だったが、決して良い父親ではなかった。 

 仕事はカメラマン。それも海外に居ることが殆どで送ってくる生活費は少なく彼が幼い頃から、兄のアルバイトと母のパートタイムの給金で生活をしていた。

 兄や母が云うには父が送り渋っていたわけではなく、海外の状況が悪く報酬として渡される通貨の価値などの問題もあったらしいが、それならもっと良い仕事を探せと言いたかった。

 その母も体調を崩しやすく、あまり長時間は働けない為に次第に兄が働く時間が増えていった。

 彼が五歳ぐらいの頃は夜中に起きだしてもまだ兄は深夜の仕事から帰ってきていないことなどざらだった。まだその時兄は高校生だったというのに。 

 母も兄も優しかったが、彼が兄の職業がヤクザめいたものだと知ったのは小学校の頃、周りの父兄が彼の友達に言っていたからだった。

 要は暴力団の家族なので関わるなと子供に言い聞かせていたのだ。成長した後で思えばクラスメイトの父兄が云う意見も当然だと思うが、当時の彼は非常に憤慨したのを彼は覚えている。

 ヤクザだろうが悪党だろうが、母と弟を食わせる為に働いている兄を悪く言われたことは酷く心を傷つけた。実際に兄はいつも朗らかだったし、高校卒業後から働いていたが知り合いや友達によく頼られる人だった。

 彼が中学に上がると安アパートからマンションに引っ越した。それも兄の金であった。母にもパートを止めさせて、大黒柱は兄になっていた。時折父は帰ってきて兄や母と楽しそうに海外の話をしていたが、どうも彼は慣れなかった。

 高級取りになっても兄は変わらず家族を一番に考えていた。高校に上がったあたりで、自分の口座に兄が積立貯金を入れていたことを知って尋ねた。


『大学行くだろ? その学費だから無駄遣いするなよ』

『大学かあ……どこの学部にいけば将来お金稼げる?』

『法学部とかどうだ? 己れの事務所でも雇ってるぐらいだから法律は学んでおいて損は無いと思うぞ……まあ、高卒の意見だ。先生に聞け』

『考えておく』

『己れもお前を就職させたら公務員試験でも受けようかなあ』


 などと、二十も後半の時に笑いながら言っていた。

 とりあえず、ひたすら勉強をした。兄はあまり勉強を出来なかったそうだ。やる時間がなかった。中学生の頃から生活費を稼ぐアルバイト漬けであったからだ。遊びに出かけていた姿もあまり見ていない。兄は十代という青春の期間を潰して家族を養っていたのだ。

 そう思うと勉強を頑張るしかなかった。だがもっと遊べと兄から笑われて友人とも過ごしたし部活にも入った。それでも成績はひとつも落とさずに学んだ。兄がくれた時間を無駄にはできない。

 一浪もせずに大学法学部へ入学する。

 そしてその後は兄に話していないが夢があった。

 自分と母を養ってくれた職業に就いてみようと思ったのだ。


 彼はインテリヤクザを目指すようになった。


 だが、大学入試の前に兄は消えた。地元の警察と組関係のごたつきから一時的に身を隠した先のカニ漁船に乗って帰ってこなかったのである。

 死体は上がらなかった。行方不明という形だが絶望的だ。葬式は上げなかったが沢山の人が訪ねてきて励ましてきた。涙ぐんでいる人も居た。兄は人に好かれる男だったのだ。

 母は、


「あの人の息子だから行方不明ぐらい大丈夫よ~」


 と、云うものの寂しそうにしている。当たり前だ、息子が行方不明になって安心など出来るものか。父親が冒険男だったなど何の気休めにもならないだろう。

 そう云う別れがあり、二年が経過しようとしていた。


 彼──座・益太ざ・ますたと云う青年は机からはっと顔を上げた。

 眠っていたようだ。掛けたままだった眼鏡を外して目を擦り、図書館から借りた本を開いたまま顔を突っ伏していた事に気付いて折り目がついていないかやや不安になる。

 タイトルは[正しい利権の貪り方~甘い汁乱舞~]である。半分ほど呼んだが既に4回は『読後焼却の事』と注意書きがあった。大丈夫だろうかこの本。別の意味で不安になる。

 

「……ああ、変な夢見た」


 大嵐が吹き荒れて銃弾と高波が押し寄せる船上から海に落ちて沈む兄の夢だった。うつ伏せになっていたので息苦しいからそんな夢を見たのだろうか。

 時刻は昼下がり。今日は大学も休講だった。益太はのそのそと部屋から出て顔を洗うために洗面所へ向かった。

 母の話し声が聞こえる。電話をしているようだ。兄から体を壊さないような労働をするように、と以前に云われた彼女は近頃何らかの電話連絡役で生活の足しになる程度には稼いでいる。新聞記事かラジオに何らかの情報が掲載された時に指定された相手へ連絡するだけで給料が発生するというシステムだ。怪しいとは思っている。

 顔を洗って、眼鏡の跡が若干ついたところを揉む。微妙に目付きの悪い顔が鏡から見返している。無理やり笑顔を作って練習してみた。

 基本的に人の前では無害そうな薄笑いを浮かべているが、時々悪い顔になる為に知人からは腹黒だと思われているのは心外であった。単にヤクザを目指しているだけだと云うのに。

 ──と、玄関のチャイムが鳴った。


「はいよ」


 益太が玄関先の相手、と云うよりは電話中の母に聞かせて自分から出る。

 つっかけを履いて玄関の扉を開けると、西日が差し込んでいて一瞬目を眩ませた。手で目の上を覆って確認しようとした。目の前に体格の良い誰かの影がある。

 相手が少し躊躇った声で、告げてきた。


「……よう、久しぶりだのう。マ……マス……マス大山?」

「は?」


 誰に呼びかけているのかと問い返そうとして、相手の顔を見たら……どこか、気まずそうな顔をした兄、九郎がそこには居た。

 益太からすれば二年振り、九郎からすれば約六十五年ぶりぐらいになる再会である。つまり、九郎は「目の前にすれば思い出せるだろ」と思っていたのだが弟の名前をど忘れしていたのだ。


「兄貴……?」

「元気にしてたか。なんだ、お主そんなに大きかったかのう?」


 苦笑しながら云う。

 九郎の頭のなかでは弟のイメージはまだ小さい頃でしかよく思い出せなかったのだ。その頃が一番養うのに大変だったからかもしれない。

 彼の、少し草臥れたような表情とジト目気味だが柔らかい表情に益太は家の中へ叫んだ。


「生きてたのか! 母さん! 兄貴が帰ってきたぞ!」


 すると、電話を切った彼女がゆっくりと歩いてきた。驚きよりも微笑みで九郎を迎える。

 九郎は、


(ああ、こんな笑い方をする人だったな)


 と、懐かしくなる。父の出張先の外国が凄まじく危険な状況だと報道を受けても、彼女は決して取り乱したりはしなかった。ゲリラが無差別に住人をやらかしてる地域とかマフィアが無差別に住人をやらかしている地域に頻繁に出入りする父もどうかと思ったが。

 それでも必ず帰ってきたのである。

 母は信じて待つ事に慣れているのだ。だからいつもの様に迎えてくれた。


「おかえり、九郎。風邪なんか引かなかった?」

「ただいま。久しぶり。母さん、マス大山」


 九郎も笑って二人の懐かしい家族に挨拶を返したのであった。

 彼は帰ってきたのである。


「……」

「……?」


 微妙な顔で[溜め]を行っている弟に九郎は怪訝そうにした。

 そして彼は云う。


「マス大山じゃねえんですけど!? 僕は空手家かっ!」

「えっ、ああっ、うむ。すまぬ。ちょっとど忘れを」

「何年も経ってないよね!? 母さんとか父さんも忘れてるのか!?」

「ううむ、確か母さんは[櫻花おうか]で親父は[玖礼ぐれい]だっただろ……フレデリ子ではないが変な名前だな特に親父。確か外国で[灰色狐グレイフォックス]とか渾名付けられてたらしいが」

「僕だけピンポイントで忘れられてるんですけど!?」


 次々に思い出せて来たのに何故か弟の名前がピンと来ない九郎であった。

 苗字とのセットで虐められてた記憶があるからザ・マスタツとかそんなやつかと自分で納得したのであったが。

 

「ザ・マスク?」

「付けてねえよ!」

「ザ・モスクと予想致します」

「イスラム教徒か!」

「ザマの戦い(BC202年)だねっ」

「ハンニバルか! っていうか誰だよ!?」


 次々に聞こえる九郎の背後から掛かる声に、いちいちツッコミを入れていた益太が九郎の背後を覗きこんだ。

 そこには妙な三人の外国人女性が当然のように居る。益太は訝しげな視線を彼女らと合わせた。

 九郎は肩を大きく竦めながら弟と母親に告げる。


「ええと、紹介するからとりあえず家に入るか」


 イモータル達を引き連れてひとまずマンションの居間へ案内する。

 大きめの座卓を囲むように全員が座り、茶と菓子が用意された。容赦なく菓子を口に放り込むのはイリシアだ。挨拶より先に物を口にする女だ。

 九郎が微妙そうな顔をしながら娘を見つつ、弟と母に云う。イモータルを手で紹介しながら、


「こやつが旅先で己れの嫁になったイモータルだ」

「初めましてイモータルです。クロウ様の御家族にも役に立つマルチプルメイドです。どうぞよろしくお願い致します」


 続けて居間にあるテレビに繋いだままのスーファミを勝手に始めだしたヨグへ手を向ける。


「こっちの変な髪はイモータルの母親、ヨグ」

「うあー……くーちゃんスーファミの格ゲー北斗が揃ってるんだけどなんかの修行? クソゲーレビューでもするの? ラオウしゃがまねえ草不可避」


 そしてリスの様に栗まんじゅうを頬張っているイリシアへ向き直った。


「そして娘のイリシアだ」

「この国のお菓子美味しいですね。叔父君。要らないならわたしが貰いますよ」


 益太の菓子に手を伸ばしてもくもくと食べている。

 黒髪ゴスロリのメイド嫁。変な髪色な少女で母親。青髪で益太と同じぐらいの年齢に見える娘。全員外国人風だが国籍すらぱっとわからない組み合わせであった。

 失踪していた元ヤクザの兄が外国人の一家を連れて戻ってきたのである。

 我慢していた益太は叫んだ。


「怪しすぎるー!?」

「実は己れも薄々そう思っていた」

「兄貴! 言っちゃなんだけど非合法イリーガルな匂いがプンプンするんだけど!?」

「むっ。イモータルですよとお義姉ちゃんは訂正致します」

「別に言い間違えたわけじゃねえですよ!?」


 頭を抱える。

 昔からちょっと普通ではなかった兄だが今回は更に満貫で胡散臭い状況である。

 密入国とか違法滞在とか某国の工作員とかNASAとかそんな単語が思い浮かび不安になる。

 するとスーファミをしていたヨグが向き直り、益太と櫻花へニヤついた顔を見せながら云う。


「なあに細かいことはいいでしょ。ほうらうちの娘の持参金もあるよ。怪しくない怪しくない」


 どさりと二人の目の前に、古びた鞄から取り出した現ナマの札束を差し出すヨグ。金に物を言わせる説得術だ。

 だが更に益太は叫んだ。ジェット級に不穏だった。


「絶対怪しいー!! っていうかこの1万円札、描かれてるのが聖徳太子なんですけどおお!?」

「銀行いけば取り替えてくれるって。多分。一応監視カメラ気にしてね」

「古札を千枚単位で交換に来る奴来たら普通に通報されるわ!!」

 

 にこにことその札束を受け取りながら母の櫻花は云う。


「大丈夫、益太。母さん安全なお金のロンダリング先をお父さんから教えてもらってるから。バチカンの教会に預けて世界中の喜捨と混ぜてドルに替えるルートが……」

「僕の家族も地味に非合法臭いんだけど!」

「はっはっは。まあ気にするな」


 騒いでいる弟を宥める九郎である。

 

「何にせよ、生きて戻れたのだから良いではないか。確かに、こやつらは多少問題があるが、それらは別段障害にはならぬ」


 九郎はイモータルの隣で云う。


「何かあっても己れ達ならなんとでも出来るよ。だから安心してくれ──こやつらも、己れの大事な家族なのだからな」

「はあ……ははは、そうだね、兄貴がそう云うのなら」


 益太は笑いながら九郎に応えた。

 彼のこれまで出会った中で、一番頼りになる兄の言葉である。信じるほかはない。嵐の海だろうが銃弾の雨だろうが切り抜けてきた男だ。母は懐かしそうに顔を綻ばせていた。

 ヨグがさっきから北斗格ゲーでシンに惨敗しまくっていて、コントローラーを放り投げて立ち上がった。


「よし! それじゃあ引っ越しの準備をしようか! とりあえず仮住まいとしてこのマンションの隣の部屋買いましたイェー」

「ひゅー。さすがヨグ。引き篭もりの癖に行動力だけはありますね」

「魔王城東京支部として活動させるよっ! さあくーちゃん、イモータル! 我らの現代日本生活はこれからだぁー!」


 そう言って騒がしく玄関へ向かうので、九郎は苦笑いをして久しぶりの再会だった母と弟に告げる。


「どうやら隣に住むようだからのう。いろいろ準備をしてくる」

「兄貴も大変だね」

「まったくだ。だがまあ、騒がしい娘にそれぞれ一人手を伸ばせばなんとか足りるわな」


 彼はそう言ってイモータルの手を握り、二人で立ち上がった。

 

「行こうか、イモータル。あの連中の好きにさせたら魔界になるぞ」

「はい。クロウ様と新居作りに奮起致します」

「……微妙に慣れてたから思ったが、あれだな。嫁から様付けはちょっと変だな」


 彼女は軽く首を傾げながら、しかし淀まずに言葉を口にした。


「では、[九郎]。私はあなたの名前をそのまま、呼ぶ事に致します」

「……む」

「如何致しましたでしょうか」

「いや、なんか……お主から名前を呼ばれたの初めてな気がして……今まで他人行儀だった感じだったからのう。変なことを云うようだが」

「……」


 イモータルはいつも通りの無表情であったが……

 どこか嬉しそうに。

 九郎と繋いだ手が僅かに震えたまま。

 彼の手を引いて進んだ。


「これからも、一緒によろしくお願い致します。九郎」

「ああ、共にな」


 そうして二人は歩みを揃えて行くのであった。

 お互いに当然のような近しい距離で、死が二人を分かつまで──思い出を紡ぎ続ける。







 ────『カニ漁船から落ちたら異世界で、長年過ごして若返って嫁とか作ってやっとこさ日本に帰れたのである』 完












 *****




「ところで兄貴、これから何をして働くんだ?」


「はたら……く?」


「確かカニ漁船から帰ったら公務員になるんだ己れ……とか変なフラグ立てて行方不明になったけど公務員試験でも……ってうわー! 兄貴が突然ふて寝しだしたー!」


「お主……お主……この年になって公僕でせっせと働くとかなめてんのか……老後の余生なめてんのか……」


「まだ三十過ぎぐらいですよね!?」


「年金はもらえぬのか年金は。日本の社会制度はどうなっておる」


「だからまだ若い部類だって兄貴!」


「ご安心ください九郎。働かずとも養う準備は整い致しております」


「イモ子はいい嫁だなあ」


「兄貴、完全に細長い縛るあれだよこれじゃあ!?」



 とりあえずヨグとイリシアは大学生に身分を偽造して編入するようであった。イモータルは主婦としてともかく、身の振り方を考えることになる九郎である……。 





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