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【RE江戸書籍化】異世界から帰ったら江戸なのである【1~4巻発売中】  作者: 左高例
第四章『別れる道や、続く夏からの章』
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78話『薩摩と公儀隠密』

 ──襖戸の前で薩摩武士が寝転がり、肘を付いて怠そうに云う。


「あー腹が減ったがよ、台風や火山灰に負けん食いもんは無かかなー」

 

 すると背後の襖を突き破って突然の魔物が他の薩摩武士と同時に現れて怒号が響いた。


「死罪ッ!」


 どか、と云う音と共に寝転がっていた薩摩武士に木剣が叩きつけられる。

 見ていた観客達は、


(なんで……?)


 という感想を一様に覚えたが、舞台の上では異形の宣伝は続いた。


「腹が減ったらからいもん! 痩せた土地でも作れるぜ!」


 出てきたのは薩摩芋を立てて手足を付けたような形をし、腹に[カライモン]と書かれているマスコットキャラクターだ。

 独特のイントネーションで商品を紹介するのが彼の役目である。だから正確に云えば「腹が減ったら」も「はァ↑がへ↑ったら」と云うような薩摩弁である。

 手に持った普通の薩摩芋を見せながら続ける。


「食い方簡単! 釜に入れたら蒸かして鎮! 家老どんも吃驚!」

「マジ幕府滅ぼしたいんだけど」


 紋付き袴を着た男がさらりと酷い発言をする。わざわざ藩邸から呼んできたようだ。それにしてもここは徳川の治める江戸の街だというのにその発言が吃驚である。

 気にせずにからいもんの隣のさつまもんが芋を湯気の立つ釜の中に叩き込んですぐに取り出した。


「ほれほれ旨そうだろう?」

「うむッッ! 良か焼き頃じゃッッ!」


 さつまもんが入れたばかりの芋を齧る。ばり、とかごり、とか云う音が鳴って明らかに火は通っていないが、パフォーマンスに有無を口出ししたらまあ、死罪は免れないだろう。

 

「四つの味から選べるぜ!」


 膳に並べられた、ほくほくした蒸かし芋、柔らかい茹で芋、とろりとした石焼き芋、それに芋の天ぷらを客に見せる。

 

「だが下見吉十郎、てめーは殺す」

「命狙われてたまげたぁ」

「死罪ッ!」  


 人相書とそれに扮した僧侶が、どか、と木剣で打ち倒された。

 手配書に書かれている下見吉十郎と云う者、大胆にも薩摩から芋を盗んで地元の瀬戸内海、大三島などで栽培させた男であった。 

 薩摩から他所への栽培目的で芋を持ち出すのは固く禁じられていて、一族郎党死罪になるような重大事件である。

 吉十郎の命がけな産業スパイ活動により大三島では飢饉が無くなったと言われているが、当然薩摩はマジギレ中である。追手とか掛けているが仇敵の住むのは離島であり、島民全てを味方につけていると云う条件なので暗殺にまでは至っていない。

 

「簡単旨い、からいもん!」

「ちぇいちぇいちぇいちぇ~~いッ!!」


 猿叫を上げて木剣を振りながら背後をさつまもんが通り過ぎて行く。


「兄さん!」

「今日の飯も芋ン屑じゃっど!」

「うぅっわ……ううっわ」


 貧しさに引いた声を出しているのは観客である。薩摩人に比べれば江戸の町人の方が旨いものを食っている。


「からいもん!」


 と、何かの決め台詞のように芋のきぐるみは執拗に宣伝してコマーシャルの舞台を片付け始めた。

 湯島天神で行われた芝居の一幕である。舞台の遠く、高く作られた席に座り見物していた九郎は軽く頭痛を覚えたように目を瞑って額を押さえた。

 長編の芝居を行う中休みに薩摩の交易商、[鹿屋]が宣伝の芝居をねじ込んだのである。


「なにか激しく危険な宣伝になった気がしないでもないのう」

「いえいえ、九郎殿の助言のお陰でまた店の名が売れましたとも」


 隣に座っている鹿屋黒右衛門はいつもながら上機嫌そうに九郎にそう行った。

 

「さすが九郎殿。見世物の幕間に宣伝の小芝居を挟むとは初めての試みですよ!」

「まあ……これで外で出張販売している芋に客は間違いなく手を出すだろう」

 

 浅草紙で包んだ焼き芋を頬張りながら云う。

 またしてもこの日九郎は、鹿屋へのコンサルタントを手伝わされていた。

 近頃、薩摩へのテコ入ればかりしている気がしないでも無かった。薩摩藩士の多くにも顔を覚えられてしまい、道で会うと「おう九郎どん」と声を掛けられる始末だ。仲間だと彼らだけではなく、周辺にも思われかねない。

 しかしながら、


(資本が違うからのう……宣伝に使える金が多いのだからそりゃあ成功するわな)


 などと口いっぱいに広がった甘藷を、濃い目のお茶で飲み込みながらそう思う。

 もとより、砂糖や鼈甲などの販売で儲けている店だ。普通の店は芝居の途中にコマーシャルを入れる交渉などに予算をつぎ込めないのだが、「九郎が提案したことなので」という謎の信頼感で宣伝費を投入しまくっている。

 それで売上は実際に上昇していっているのだから鹿屋は九郎を下にも置かぬ態度でありがたがっているのである。

 

「そういえば九郎殿の蕎麦屋は近頃大々的な売り込みはしていないようですが、宜しいので?」

「うむ……むじな亭のような小さな店だと許容する客量の限界があるのだ」


 九郎は黒右衛門の疑問に返答する。


「やれたとして、毎日店の満席が絶えずに外に行列まで出来るぐらい宣伝したとしよう。一日ではなく毎日だぞ。六科はともかく、店員として働くタマやフサ子の手が回らなくなる。新しく人を雇うにもそう広い店ではないからな。

 それにやれ注文が遅いのなんのと文句も出るだろう。近所の他の飯屋が客を奪われたと苦情を言いに来て余計な軋轢が出るかもしれん。それに対応できる程六科は器用ではなく、己れがいちいち問題を解決していっても大変だ」

「ははあ……」

「あと己れが座敷でのんびりできないのも困る」


 結局のところ、自分が割と面倒なことになってしまうのでやらないという話であった。

 他人の店ならば口出ししてやるもやらぬも相手に任せれば良いのだが、むじな亭の場合は彼の自宅と云っても良い場所なのだ。まったく寂れているのは問題だが、現状でもタマを入れて四人で生活して貯金もできている程度に儲けていれば、必要以上に稼ぐ苦労は要らないのである。

 それでも時々は繁盛する日を作りお房の機嫌を取るのが出来る居候のコツなのだが。


「まあ、それに己れの浅知恵で儲けを出しても他に真似をされるか飽きられれば終わりだからのう。この芝居途中の宣伝もだが、他がこれの真似をして一つの芝居を見せられる間に三度も四度も小芝居を挟まれたら苛つくようになるだろう。そのときは考えたほうが良いぞ」

「成程……まず真似をした店にさつまもんを[営業]に行かせて」

「江戸の恐怖支配が始まりそうな企みをするでない」


 嫌そうに計画を止めさせる九郎であった。

 ──と、そのときに一人の薩摩武士が近づいてきて九郎に声を掛けてきた。

 袴を付けておらず下は褌で、急ぎ走ってきたようである。褌が走ったせいで緩んでいた。伝令役のようだ。


「九郎どん、ちょいと良かか?」

「む? どうしたのだ」

「藩邸の方の公儀人の東郷どんが、頼みたいことがあるち云うちょって、藩邸まで来てくれんじゃろかい」

「……まあ、構わんが」


 九郎もいい加減学んだ。正直云えば面倒で関わりあいになりたくなかったが、断った場合は血を見ることになるのは明らかである。

 暴れるか自刃するか。この前は焚き火に投身したのも居た。薩摩なら珍しくもないが、江戸でそんなことをされても気まずい。


「それじゃあまたな。鹿屋の」

「九郎殿はすっかり薩摩のご意見番ですなあ」

「なんだろう。ここまで欲しくない立場が他にあるだろうか」


 己の生き方に疑問を感じつつも、伝令のまだ若い侍に連れられてその場を離れようとする。

 と、近くの観客が後ろを行こうとしている二人に気を取られて振り返った。

 観客の目の前には伝令の緩んだ褌からぶらりと中の薩魔羅さつまらがはみ出ているのが見えて可笑しくて少し笑った。

 そのとき。

 舞台袖に出て行ったさつまもんがゆるキャラらしいゆるりとした動きで刀に手を掛けながら近づいてくる。


「おんし、褌が緩むのも忘れて己が勤めを果たそうと駆けた武士を笑ったな」

「ひっ……」


 怖ろしい顔つきのさつまもんに町人は怯え竦む。もはやゆるキャラではない。許さずキャラだ。白刃が煌めく。


「ちェええ───いッッ!!」

「うぉぉ落ち着かぬかあああ!!」


 白昼堂々、目の前の刃傷沙汰である。

 示現流での袈裟懸けで斬りかかってきたさつまもんの一撃を慌てて割り込んだ九郎が受け止めて、電撃符で彼の体に電流を流し気絶させた。

 薩摩人は電撃に弱い。これは恐らく現代の鹿児島県民でも電撃には弱いだろう。意外な弱点である。

 倒れたさつまもんの体を見えないところに引っ張って行きながら、


「これは芝居の一環であり事件ではない。気にするな」


 と、フォローしておくことも忘れない。しかしながら鹿屋から来た一行もそそくさと撤退していくのであった。

 九郎も褌を締め直した伝令と共に千代田、山下御門近くにある薩摩藩藩邸へ向かった。


 藩邸は広く、風雅に庭も作ってある。立ち木なども人目につくところには設置しておらず、静かな庭と磨かれた屋敷は血と汗の臭いが染みこんでむせそうな薩摩には見えない。

 借金や苦難にまみれている下の現状はどうあれ、大大名としての格式を守らねばならないのが外様ながら加賀藩に次ぐ領地を持つ薩摩藩としての頑迷なまでの意地であった。 

 

(さながら修羅の国で羅将の居城だけ豪華なような……)


 九郎はそう思いながら客間で待っていると、部屋の戸が開けられて転げながら誰かが入ってきた。

 

「くっ……!」


 肩から床に倒れつつ、悔しそうな声を出すのは見慣れた喪服の女性……鳥山石燕である。

 その両手は縛ることを目的にした道具でくくられて抵抗ができぬようにされている。

 まるで囚われたかのような状況の彼女に九郎が慌てて声を掛ける。


「石燕!? どうしたのだ一体」

「いや、ちょっと変わった登場をしようと思って自分で縛って倒れこんでみたのだよ」

「よし、帰れ」


 冷たく云う九郎であったが、縛る為の細長いやつを自分で外して石燕はちょこんと九郎の隣に座った。


「ふふふ、この藩邸に狩野派絵師の仕事を様子見に来ていてね。屏風絵で担当するのは別の者なのだが大きさや依頼主からの指示を纏めて我が師の元へ届けるのだが……」


 石燕は悪びれもせずに云う。


「面倒な仕事の途中で九郎君が来たと聞いて切り上げてきたのだよ」

「仕事をしておれよ……」

「大丈夫。私の灰色の脳細胞がささっと最適解を見出したからいい感じにちゃんと終わらせたさ」


 楽しみのためならば仕事を早く終わらせる女である。

 九郎は、一応助屋の助手と自称してる石燕だからまあ良いかと諦めに似た感情でそれ以上の追求は止めた。

 

「己れはこれから薩摩のお偉いさんからの依頼があるが……妙なことは口走るなよ」

「安心したまえ九郎君。私を誰だと思っているのかね。この天知る地知る我知る人知る、妖怪絵師鳥山石燕に任せておきたまえ」

「はあ」

「ちなみにこの[天知る地知る我知る人知る]って実質、天地は置いておき人と云うのは会話している相手に限定されてるのが語源だから、ぶっちゃけ私と君しか知らないという事になるのだよね」

「知名度低いのう」

「ふふふ、私は鳥山石燕。そう九郎君に知っていて貰えればそれだけで満足さ」


 彼女はそう嘯いて皮肉げに笑った。

 意味のあるのかないのか不明な会話をしていると、上座の戸が開いて武士がお付きの者を伴って現れた。

 いかにも上級薩摩武士といった雰囲気の侍である。

 薩摩藩公儀人、東郷一学とうごう・いちがくと云う男だ。

 公儀人とは留守居役とも云われる要職で、幕府、他藩との折衝役も兼ねて部下も多い。扶持も五百石以上はあるだろう。芋を食って飢えを凌ぎ、不満を立ち木にぶつけて狂気に生きる下級の郷士などとは格が違う。まあ、彼も立ち木は打つが。

 一学はそれでも、部下では無く外部協力者である九郎に砕けた調子で云う。


「おう、九郎どん。今日はおなごんシを連れちょっとか」

「済まぬな。まあ、手伝い役だ」

「良か良か。九郎どんの連れなら大丈夫じゃが気にせんと」


 石燕が声を潜めて云う。


「九郎君、謎の信頼感があるね」

「本当になんでなのだろうのう」


 体から薩摩人を宥めるフェロモンでも出ているのだろうか。九郎はそうだとしたら凄く嫌だなと思った。


「それで九郎どん、頼み事じゃが良かか?」

「とりあえず話は伺おうか」

「うむ、実はな……藩邸から脱走した犬を探して欲しか」

食材いぬを?」


 思わず薩摩人の食性を思い出して九郎は別の漢字にその読みを想像してしまった。

 なんということだろうか食材の道を逃れた幸運なワン公は貪欲な薩摩人に追手まで差し向けられることになってしまったのだ。

 やる気がもりもり低下していくのを感じながら話を続けて聞く。


「ただの犬じゃなか。琉球経由で阿蘭陀の貿易船から買い取った、南蛮の犬じゃ」

「それ密貿易じゃあ」

「薩摩じゃ日常茶飯事じゃっど」

「……まあ、良いが」

「珍しか形しちょってこまか(小さいの意)犬でよ、おい、どげんじゃったか」


 一学が付き人に問うと、彼が説明しだした。


「成犬になっても大きさは人ん膝ほどまでしか育たず、手足は短く胴体は馬みたいに長かです。耳は上に跳ねてて眼は黒々しちょり、尻尾が無か」

「ふむふむ、こんな感じかね?」


 話を聞いた石燕がさらさらと矢立から取り出した筆を、墨壺にちょいと付けて紙に記しだす。

 薩摩人らはさらりと絵にした腕前に感心して、だいたい絵の通りだと頷いた。九郎は描かれた犬を見て云う。


「これはコーギー犬……とか云ったかのう?」

「公儀人はわしじゃっどが」

「いや、犬種だ。ヨーロッパからわざわざ連れてきたのか」


 それはイギリスなどで牧羊犬として使われる小型犬であった。恐らくは日本で今薩摩しか持っていないであろう。

 珍しい動物を海外から連れてくるのは割と盛んに行われていて、このコーギーも見世物小屋にでもいそうな当時の人から見れば奇妙な風体である。

 一学は説明を続ける。


「こん犬はふとく(大きくの意)ならんっちゅうことで、ある役目があったんじゃ」

「それは?」


 九郎の言葉に彼は声を潜めて云う。


「こいは下手なところに知られたら薩摩存亡の危機、おいも九郎どんも腹ば掻っ捌きかねん大事なことじゃから本当は云ってはならんのじゃが……」

「そんなん聞かせるなよ。己れも切腹要員に入れるな」

「九郎どんを信用して仔細を話そう思うちょる」

「信用するな頼むから」


 しかし焼酎でもキメてるのかと言わんばかりに九郎の話を聞かずに薩摩人は続けた。


「島津ンとんさぁが戦国の世からつこうちょる、薩摩の忍び集団がおる。そこでこん犬を繁殖させて、こまか体を生かした隠密犬にするための訓練をしちょりこれはそんうちの一匹じゃが」

「つまり……さながら[コーギー隠密]といったところか」 

「……」

「……ふふふ」

「無理に笑わんで良い」


 石燕は少し困った顔で九郎に云う。

 

「……九郎君。そういうのは晃之介君が居るときに云ってあげたまえ」

「おのれ」


 ちょっと言ってみただけだと云うのに駄洒落への反応はいまいちだった。


「で、船旅に耐えられるか、江戸の臭いに惑わされぬかと試しに一匹連れて来たら訓練が足りんのかあっさり逃げて行きおった」

「ううむ」


 賢いのか莫迦なのか、微妙な表情で描かれたコーギーの絵を睨みながら唸る。

 おまけに訓練だけは積んでいたので足は速かったらしい。連れてきた薩摩武士も追いつけなかった。その逃した者は追いつけなかったのも足腰の鍛えが足らぬということで、陸路で薩摩まで走り犬を逃した報告へ行かされている。


「下手に幕府側に捕まえられたら密貿易の証拠とあげられかねん。しかも処分するには勿体なかから、荒っぽい藩士を捜索に出させるのも駄目じゃ。それで九郎どんが探して捕まえて来てくれんじゃろうかい」

「逃げたペット探しか……探偵業だのう。まあ、よいさな。これだけ珍しければ見つかるであろう。ただ、もし既に死んでいたらその証拠だけ持ってくるからそれは予め了承してくれよ」

「良か。頼みもうす」


 と、一学も云うので九郎も引き受けて薩摩藩邸を去るのであった。

 帰りを同道しながら石燕が九郎に尋ねる。


「それでこの江戸でどうやって一匹の犬を探すのだね? 聞き込みにしても範囲が広いが」

「なあに、犬の事は専門家に頼めば良いのだ」


 そう云って二人は豊島の辺りへ向かった。

 池袋の辺りは現代でこそ副都心として栄えているが、この時代はただの農村である。このような記述を新宿だの渋谷だのが出てくる度にしている気がするが、東海道と海運によって人の移動が行われていた江戸当時では仕方がないことである。

 そこに、古い屋敷がある。上等なものではなく、簡単な生け垣で囲まれているそれなりに広いだけの屋敷だ。

 住んでいる者は老夫婦に──無数の犬達。

 そして、近頃は夜勤での見廻りな為に昼間はそこに居ることが多い、町奉行所に勤める同心二十四衆が一人、[犬神]の小山内伯太郎が犬を侍らせてごろごろとしていた。

 元々彼の家は五代将軍綱吉の頃は[お犬様]の世話をしていた武士であり、今でも江戸で野良犬になっていたりする犬を引き取って慣らさせ、良い飼い主を見つけて渡すという金にもならない斡旋業をしていた。

 その犬を集めておく犬屋敷とでも云うべきなのがこの池袋にある彼の実家である。


「居るか、犬同心」


 九郎が垣根の外から声を掛けたら、全裸に犬耳を付けた男が縁側からすっと立ち上がった。

 爽やかな笑みを浮かべて片手をあげ、挨拶をする。


「やあ、九郎くんじゃないか」

「石燕ちょっと後ろを向いておけ。ああ、ヒトデは持ってきていたな。うむ」

「ぬあっ、ちょっ、九郎君」


 石燕を引っ張って視線を逸らさせ、彼女の袖口をごそごそと漁ってトゲのついたヒトデを取り出した。


「せっ」

「僕の幼い部分にー!?」


 九郎がぶん投げたヒトデが彼の股間をカバーするように張り付いて毒針が発動するかどうかスレスレの危険性を与えている。

 慎重に刺激しないように引き剥がそうとしている伯太郎に呆れた様子で九郎が云う。


「何故いきなり全裸なのだ、お主は」

「動物と触れ合う時は全裸になるじゃない! くそう剥がれない!」

「全裸で触れ合った結果がその張り付くヒトデだ。懲りろ」


 冷たく云って、ひとまず暫く股間のヒトデと格闘し伯太郎が着流しを来てから石燕を伴って屋敷に入った。

 普段は伯太郎は八丁堀にある町奉行所の役宅に寝泊まりしているのだが、こうして休みや時間があるときは犬屋敷で過ごすのだと以前利悟に聞いたことがあった。

 全裸とは聞かなかったが。

 屋敷の中は大小に模様色も様々な犬が二十頭以上も居て放し飼いになっている。


「いやはや、[犬神]同心の噂は聞いていたが凄まじいね」


 石燕が周囲に集まってきた数匹に指を伸ばしつつ云う。


「あれ? 初めましてかな。こんにちは、奥さん。小山内伯太郎です」

「ふ、ふふふ……困るね奥さんなどとは。未亡人だが子供も居ないのに」

「女児産んでから出直してきてくれない? 不自然に優しくするから」

「露骨に態度が変わった!」


 嫌そうな顔をする伯太郎に石燕が愕然とした。

 九郎がげんなりしながら、


「こやつは女児性愛嗜好があるクソだからあまり気にするでないぞ石燕」

「クソではない、光なんだ。しかしクソと思うのならそう思ってくれても構わない……だがきっと僕の光に付き合ってくれる女児が現れる筈なんだ」

「子犬と爽やかさを餌にして女児を連れ込みあわよくばと云う利悟より危険な男だ」

「こんなのが同心をしなくてはいけない理由とは何なのだろうね……」


 とりあえず石燕からの印象は悪い伯太郎であった。

 これで利悟と違い、世間体はそこそこあるのだから根の深い問題である。陽の変態を利悟とするならば彼は陰だ。


「ともあれ、用事があって訪ねてきたのだ」

「なに? あ、もしかして稚児趣味三人衆の会合──冗談だよ! 刀抜かないでよ!?」

「……まあ、良い。実はな、今、薩摩藩の頼みで犬を探して──」


 言いかけた刹那、伯太郎が指笛を鳴らした。

 甲高い音が響き渡ると屋敷中の犬が集まり、九郎らを取り囲んで睨んでいる。

 伯太郎は指を突きつけて叫んだ。


「薩摩の頼みで、食材いぬを探してるって!? それで僕のところに来たのか! 君は薩摩に魂を売ったのか!」

「まるで悪魔に魂を売ったかのような語感だね」

「似たようなものなのだろうよ……おい、落ち着け伯太郎。話を聞け」

「薩摩滅ぶべし! 薩奸死すべし!」


 完全に興奮状態になってしまった伯太郎に九郎は溜め息をつく。

 以前に九郎と共に行った盗賊退治で、薩摩交易店の鹿屋を救う為に彼の愛犬が一匹犠牲になり、そこまでは良いのだが翌日に礼として犬鍋を目の前に出されたので完全に薩摩は犬食いの敵であると云う認識になっているのである。

 九郎が懐から、石燕の描いたコーギー図を取り出して開く。


「だからな? 薩摩藩が探しているのは脱走したこの愛玩犬で、小さいから食いでもない種類なのだ」


 [薩摩は幕府を滅ぼそうとしている]、[薩摩は戦争の原因]などとプロパガンダを書いた大布を用意し始めた伯太郎にそれを見せると──動きがぴたりと止まった。

 九郎から紙をひったくるようにしてじろじろと見たことのない犬を見遣る。

 胴長で極端の短足、つぶらな瞳に賢そうか莫迦かわからぬ顔。皮があまり気味のぼてっとした体系。 


「かっ……可愛い……」

「江戸の街に逃げたそうで、これが見世物小屋の連中にでも捕まってみろ。一生檻の中だぞ。その前に捕まえて、元の飼い主……薩摩に返さなくてはいけない」

「……」


 伯太郎は心配したように自分にまとわりつく犬の頭を撫でながら、目を閉じて云う。


「本当に、薩摩藩はこの犬を食べたりしないんだよね?」

「ああ。当然だ。己れを信じろ」


 説得のためならばその場凌ぎの調子が良いことをさらりと云う九郎である。

 保証など無いが、それに責任を求められても困るのだ。


「──わかった。ひとまず探すのには賛成だ。よし」


 伯太郎は再び指笛で異なる音程を出して犬に聞かせた。

 すると犬の群れは四方に散り、垣根を乗り越えて屋敷から飛び出て行く。


「野犬捜索指示……嗅いだことのない臭いの犬を探して回るようにしてる。僕も出る準備をしておこうか」

「何というか、犬使いっぷりは相変わらず凄いなお主」

「ふふふ、さしずめ送り犬の大将かね」

「僕らは相棒だからね。……ところでこのヒトデ、まだ剥がれてくれないんだけど」

「唐辛子と山葵をたっぷり溶かした湯につけると剥がれてくれるよ。やりたまえ」

「僕の幼い部分が!」


 冷たく云う石燕のアドバイスに伯太郎は絶望的な気分になるのであった。





 *****





 さて。

 二十数頭の犬による捜索が行われて、一刻と経たぬうちにコーギー隠密の所在が知れた。 

 統率の取れた動きで江戸を駆けまわり、人の数百倍の嗅覚で探されたのだから人足を都合して薩摩藩士で探すよりも何倍も効率が良かっただろう。その点で云えば九郎──妙な伝手が多い彼に頼みごとをしたのは正解である。

 柴犬の箒木ははきぎに案内されて三人が向かったのは更に江戸から離れた中野のあたりであった。

 薩摩でも忍びの里は山中にあると言われているので、騒がしい街よりも山側へ向かっていったのかもしれない。

 三人が目標の居る場所──林道に小さな社があるそこにたどり着いた時、コーギー隠密は駄犬顔丸出しで空を飛ぶ蝶を捕まえようと、短い手足で飛び跳ねていた。

 とても忍犬には見えない。


「は、はわ、はわわわわ……」


 言葉を失って蕩けた様子で見ているのが伯太郎である。

 明らかに正気を失っていて、よだれを垂らし、普段の線の細い中性的な好青年っぷりから見る影もない。

 九郎がとりあえず捕まえようかと前に出ようとしたが、それよりも先に伯太郎が四足歩行で駆け出していた。


「早いキモい」

「人間性を差し出しているね……」


 二人がそれぞれコメントするが気にもせずにコーギー隠密に接近する。

 その駄犬は近づいてくる怪しげな男を見てもうなりもせずに、


(なんやねんこいつ……)


 と、云った顔で見ている。

 伯太郎は抱きついた。


「かーわーうぃーうぃー!!」


 ぎゅっとしたらお日様の匂いがしたよby伯太郎。

 心にそんな言葉を残して、日本には居ない初めて見る小型犬をモフりまくった。


「脱いでいい!? 脱いでいい!?」

「駄目だ」

「くそう……うああ全身柔らかい足可愛い尻尾短いお目目丸い」


 抱き上げて撫で回しまくる。コーギー隠密が鬱陶しそうに軽く肉球で伯太郎の顔を押すが、それさえ快感。

 九郎は嫌な予感を感じて、早々と要件を済ますことにした。


「おい、堪能したのならそれを薩摩藩に返すから渡してくれぬか。礼はなにか用意しよう」

「……」

「まさか……」

「うちの子にする!」

「ほうら駄目な事言い出した」


 再び指笛。既に近くまで寄せていたのか、すぐにその林道に犬の群れが集結してきた。

 ぎらぎらと血走った目で、コーギー隠密を抱いたまま伯太郎は云う。


「どうせ薩摩に返してもいつ食べられるかわからないんだ……この子は見つからなかったことにして僕が預かる事にしてもらいたい」

「そう云うわけにもいかぬだろう」

「ご、五両でどうだ!」

「おやおや? 伯太郎君。君は掛け替えの無い人間の友である犬に、金銭的価値を付けると云うのかね? その理屈なら金さえあれば薩摩人が好きにしてもいいのでは?」

「ぐううう!!」


 石燕の嫌らしい言葉に、伯太郎は歯を噛み締めて睨む。

 

「あんな野蛮な薩摩人達にこの子を育てられるか!」

「いや……ぶっちゃけそこまでは知らんが」

「なら適当な理由を考えてくれよ。野犬の群れに入れられていて捕まえられませんでした、とか」


 物騒な顔つきになってきた彼に合わせるように、周囲を取り囲む犬の群れも唸りを上げだしている。

 冷静ではない。だが正気でもこの選択を選ぶかもしれない。九郎は面倒な事になったと眉を寄せた。

 犬が襲ってきたとして、それを切り抜けて伯太郎からコーギー隠密を奪い薩摩藩邸に帰る……不可能ではないが、石燕が怪我をする恐れがある。

 ひとまず九郎は交渉のテーブルにお互い付かせる為に、脅迫の材料を取り除くことにした。

 術符フォルダから取り出す。


「[電撃符]──上位発動」


 魔力を多量に使う発動で、雷槌が九郎の目の前に突き刺さった。弾けるような爆音に犬は一斉に飛び退いて距離を取る。

 全身の毛を逆立てつつも怯えた様子で再び近づいては来ない。

 動物は人間以上に雷を恐れる。眼前に発生したとなると戦闘意欲を失わせるには十分であった。コーギー隠密は気絶してしまった程だ。


「話をしようか、伯太郎よ」

「……それより、隣の石燕さん、倒れてるけど」

「死ぬな石燕! こんなところで死んでどうする! 己れを置いて先に死ぬな!」


 音と光のショックで鼓動が止まっていた石燕を、慌てて九郎が心臓マッサージで復活させた。冷や汗モノであった。


「ううう、九郎君……あの世で誰か手を振っていた気がするよ……」

「か弱すぎるだろうお主……」


 ともあれ、九郎は云う。


「よいか伯太郎。お主は多数の犬に慕われているが、犬の気持ちなど所詮人にはわからぬものなのだ。お主が良い世話を焼こうとそのコーギー隠密を飼おうとしても、そやつにとっては元の家に戻るのが一番かもしれぬだろう」

「そうじゃ……そうじゃないかもしれないじゃないか! 僕にはわからないよ!」

「甘ったれるな。自分に都合の良いように解釈してどうする……こうしようではないか」


 九郎は近寄り、気絶したコーギー隠密を抱き上げた。しっかり鼓動はありすぐにでも目覚めそうだ。石燕より生命力は高い。

 それを地面に横たえて、伯太郎とやや離れた場所に座り眺めた。


「コーギー隠密が目覚めた時にお主の方へ向かったのならば、己れは見つからなかったと諦めよう。己れの方へ来たならば薩摩へ返す。全て犬自身に決めさせる。よいな」

「……わかった、それなら」


 頷き、伯太郎はじっとコーギー隠密を見た。

 自信はあった。生まれつき犬に好かれやすい体質で、野良犬だろうが噛まれたことなど一度もなく、腹を撫でさせるまでに時間は掛からない。

 自分が犬を好きであるように、犬も自分を好きでいてくれていると信じられる男であった。

 だからコーギー隠密はきっとこちらへくる。

 それでももし来なかったのならば……諦めよう。そう決意を固めた。

 コーギー隠密が起きる。

 手を広げている伯太郎と、九郎をそれぞれきょろきょろと見比べて近づいてきた。

 

(来る、来る、来る……来い!)


 そうして犬は────





 *****





 薩摩藩邸にコーギー隠密を返して、大層に九郎は褒めの言葉を貰った。

 まさか依頼してその日に見つけてくるとはさすがに思っていなかっただろう。

 二十五両の報酬金は藩からだけではなく、公儀人の東郷学一からの礼金も含まれている。

 藩邸に帰ったコーギー隠密は叱られるようなこともなく、皆から撫でられて矢張り何も考えていないように走り回るのであった。

 その帰り道に、石燕が云う。


「しかし随分落ち込んでいたね、伯太郎君は」

「まさか犬の事で負けるとは信じられぬのだろう」


 コーギー隠密は九郎の胸に飛び込んできた。

 随分人慣れした様子で、何故逃げ出したのかは不明だがきっと何も考えていないのだろう。

 ともあれ約束は約束として九郎の依頼は果たされたのであったが。


「しかし、九郎君も犬に好かれる気配でも出しているのかね?」

「うむ? そのことか。それはだな」


 九郎は懐を探ると、紙に包まれた食いかけの芋が出てきた。


「まだ芋は流行りだして間もないから伯太郎も知らなかっただろうが、薩摩出身のコーギー隠密は食わされていたと思ってな。犬は好きなのだ、薩摩芋が」

「それで胸に入れていたから好物のところに来た、と」


 石燕は笑いながら九郎の食いかけの芋を取って、冷めたが柔らかな芋を齧った。


「とんだ手品だ」 

「そうだな。まあ、もしコーギー隠密があやつの手に落ちていたならば、夜陰に乗じてニシンの燻製で臭いを撹乱しながら強奪せねばならなかったから面倒事は避けられた」

「次善策が直接的だ!」


 どちらにせよ依頼は果たすつもりだった九郎である。

 石燕は呆れながら、九郎に云う。


「探し物や無くし物がある時は九郎君に頼めば安心だね」

「別に己れが得意なわけではないがな。頼める知り合いが偶々居るだけで」

「ふふふっそれも含めてだよ」

 

 彼女は九郎の横顔を見ながら、


「それじゃあ私も無くし物があった時はお願いするよ」

「……まあ、己れに探せるものならば良いぞ」


 うん、と彼女は頷いて、


「いつかする、この鳥山石燕の頼み事を──ちゃんと探してくれたまえ」


 石燕はにっこりと笑って、九郎も「ああ」と応えた。

 そしてまたいつもどおり、二人は店に向かって夕暮れを歩いて行く。酒を呑んで話をして、また日常は続いていくのである。



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― 新着の感想 ―
[一言] 薩摩藩は出てくるだけで面白いからずるい。
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