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【RE江戸書籍化】異世界から帰ったら江戸なのである【1~4巻発売中】  作者: 左高例
第四章『別れる道や、続く夏からの章』
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74話『万八楼料理勝負:握ったり酔ったり』

 両国柳橋にある老舗の料亭、[万屋万八楼よろずやまんはちろう]は広い庭園もある大店であり、多くの大身旗本や豪商を客として東西の美味珍味を提供している。

 そして万八楼が有名なのは、庶民や瓦版の記者も招き、大食い、大酒飲み、料理勝負大会などを開きその結果がまた大げさで娯楽に飢えた江戸の町人受けするのである。


 曰く、一晩で酒を一斗九升五合(約三十五リットル)も飲んだ。

 曰く、白飯茶碗六十八杯を、醤油二合で食した。

 曰く、あまりの旨さに観客含め全員が下痢を垂れて帰った刺し身が出された。

 曰く、氷をふんだんに使った菓子が振る舞われた。


 など、様々に噂がある。

 とはいえ幾つかは──或いは全部かもしれないが──明らかにうそ臭い記録も残っていることから、冗談めかしたものだと後世では思われている。

 だが。

 享保の頃──九郎の居るこの江戸にあった万八楼はまさに食の万魔殿、味覚の関ヶ原と呼ばれる料理勝負が日々行われ、江戸に集まる大名が連れてきた各国の料理人がシノギを削り合う場へとなっていたのである。

 松前藩から本場のリス料理を見せてやるとアイヌ人料理人が訪れたり薩摩藩から本場の海蛇料理を見せてやると琉球人料理人がやってきたりと国際色すら豊かであった。どっちも審査員を集めるのが大変だった食材だが。


 そんな万八楼にも九郎は何度か料理人として──別に料理人ではないのだがそう認識されているようだ──足を運んだが、此度は再び招待を受けた。


「『握り飯大会』?」


 九郎がいつもどおり、むじな亭の座敷で相談事の応対についていた時に相手はやってきた。

 万屋万八楼の使いの者である。日頃料理勝負で人を呼び、多数の大名富豪から出資を受けて儲けているだけあって使いの小男も小綺麗な服を着ていた。

 

「はい。主人が九郎殿は物珍しい料理を作り客受けは良いので是非と。店を燃やしかけましたが」

「とは言ってもな。握り飯で大会……? 競い甲斐のあるのかそれ」


 握り飯といえば中に入れる具の違いぐらいだろうか。酷く地味な絵面が浮かんだ。

 今回の万八楼大会ではスポンサーが米屋なのである。新米が入ってくる前に古米の消費を拡大させる宣伝も兼ねている。


「既に多くのキワモ……個性的な料理人が揃っておりまして。九郎殿も握り飯ならば店を燃やさないで済むだろうと」

「警戒されすぎておる。あと今キワモノって言いかけなかったか?」

「言ってません」

「いや、言っただろ。己れを含めてキワモノ扱いしておるだろ」

「言ってません! なんで言ったってそこまで強くおっしゃるのですか!? 意味がわかりません!?」

「急にキレるな」


 誤魔化すように怒鳴る小男の口に、煮染めた昆布を突っ込む。

 もちゃもちゃと町人髷の男は咀嚼して飲み込む。九郎は茶碗に入れた湯を差し出した。相談者に出されるのは茶ではなく湯にしてある。茶は店の食い物を注文した客用だとお房に止められたからだ。

 

「さて──九郎殿も納得いかれたようで」

「キワモ……いやもう何でも良いか」

「優勝賞金は二十五両と、吉備津神社に収められていたと言われる由緒あるカマが送られます」

「カマ? 鎌か?」

「いえ、米を炊くお釜のほうで。鬼が宿っているらしいです」

「……」


 心底いらない気はしたが、賞金は魅力的であるので九郎はひとまず参加を伝えると、使いの男は帰っていった。

 二十五両と言えば悪どい商人が小箱に詰めて送る小判束の一つ単位であり、気軽に悪代官とやりとりをする印象があるものの現代価値に換算して約二百万円程、むじな亭の蕎麦が七千五百杯は食える価格である。吉原の高級な遊女だって一回か二回は買える。九郎は買わないが。

 小遣いとして手に入れるにはなかなか魅力的であった。

 

「ふふふ──宿命とは残酷なものだね九郎君! まさかこのような事になるとは!」


 九郎が斬新な握り飯を考えていると、いつも通りの不敵な笑い声と共に鳥山石燕が九郎の隣の座敷に座った男へ指を突きつけていた。

 彼女は昼間から徳利を片手にしていて肌を赤くし、頭もふらふらと動かした酔っぱらいである。


「そっち違う人だから。こっちだこっち」

「ひい……頭の中から九郎君が呼びかけてくる声がする……!」

「ええい、タマ、水を持ってこい」


 不安定さを見せる石燕を引っ張り、とりあえず座敷に上がらせる九郎である。


「まったく。昼間から酔いどれおって。今更だが駄目人間丸出しだぞお主」

「昼酒が駄目人間……? ふふふそんなことを誰が言ったのかね? 阿蘭陀人から聞いたが、かの大国オスマントルコ帝国の十一代皇帝は子供の頃から酒浸りだったそうだよ!」

「王が酒浸りは典型的な駄目状況じゃないか」

「何せ産みの母親からすら『酒臭いから話しかけんな』とか嫌われてたぐらいで」

「末期すぎる」

「その最期は酔って風呂場で転んで頭を打って死んだそうだ」

「一つたりとも見習う要素が見えぬ」


 いつものように淡々と石燕の話に相槌を打つ九郎。

 それはともあれ、と彼女は九郎に改めて指を突きつけ、


「今回の握り飯勝負では私も出ることになっているのだよ……即ち九郎君の敵だね!」

「なんと、お主が」

「[妖怪握り变化]の名で申し込んだらあっさり通ってね」

「キワモノ枠に入っておるから、それ」

「賞品の吉備津神社から放出品の釜となれば間違いない。吉備津彦命が退治した鬼、温羅が取り憑いていて占いをしたと言われるものだろう。妖怪鳴釜と言ったところだね。これは是非欲しい!」

「……」


 九郎は一瞬考えを巡らせたが、曖昧に笑みを浮かべて言葉にはしなかった。


(よし、手伝うのでお主が優勝したら釜はやるから金だけ貰おう……とは言えぬよな、クズいから)


 どちらにせよ九郎と勝負を行う事に乗り気の様子な石燕であった。


「君と私は戦うさだめにあったのだ! 命を命じると書いて運命!」

「運の要素が消えておるぞ」

「こう、九郎君は最近私を凡骨の駄目喪女だと思っている節があるからね。ここらで一つ勝利を得て精神的優位に立ちたいのだよ」

「正直すぎる。あと喪女て。いや喪服だが」


 喪女と呼ばれるのはこの時代、格好以外の要素は無い気はした。

 それに精神的優位も何も、別段九郎は石燕を侮った覚えはないのであったが。彼女の財力は侮れない。むしろ恩恵を受けている。


「握り飯のような単純な料理だからこそ腕の差が出ることになる……ふふふ、九郎君。勝負を楽しみにしているろ」

「あ、ああ。それより大丈夫か。呂律が怪しいぞ」


 石燕が座敷から立ち上がって颯爽と立ち去ろうとした。が、数歩進んだところで足がもつれて転び、頭を柱に打ち付けた。


「ぬぐああああ……」

「言わんこっちゃない……」


 石燕は店の外で待機していた子興に肩を支えられながらふらふらと帰っていくのであった。

 彼女が飲まなかった茶碗に入った水を一口飲んで、九郎はぽつりと漏らした。


「……まあ、一度ぐらいは勝負してみるか」

「兄さん珍しいタマ。てっきり試合放棄して二十五両小遣いだけ貰えないかな怠いからとか思ってそうなのに」

「いや、勝負と石燕のほうが言っておるぐらいだからな。ここで返り討ちに勝利することで精神的優位に立って今後の為としてみようか」

「……」


 そんなことを云う九郎に、タマは閉口して石燕が出て行った入り口を見ながら呟いた。


「なんでそんなところは似た者同士かなあ」




 *****




 両国柳橋にはその日、多数の見物客が押し寄せて来た。

 握り飯大会。

 それは通りの一部を使って行われるもので、参加者が予め用意されていた屋台をそれぞれ自分用に飾り付けて道に出し、握り飯の屋台を出店するのである。

 食通の審査員ならず、一般の呼び寄せた客がどの店に入り、選ぶかの数を競う大会となっていた。

 質素倹約を勧める幕府としても握り飯の振る舞い程度では咎めも付けられずに、むしろ暇な同心などは見物に来ている。


「結構な人が集まってるのう」


 九郎は通りを見回しながら、調理補助に連れてきたお八に云う。


「そーだな。ま、タダ飯が食えるってんなら仕事休んでやってくる連中も多いからな」


 袖まくりをして細長くて縛る道具で着物を動きやすくしているお八が両手を腰に当てて背筋を伸ばしながら同意した。

 屋台で提供される握り飯は宣伝も兼ねて無料となっている。それに参加者に賞金まで出すのだから豪気な話である。

 複数の米屋が共同で出資、材料の提供をしているので資金には余裕があるのだろう。使う米は幾らでも使用可能だが、


「具などの材料費は自腹を切ること……と、なるならば石燕は有利だのう」


 九郎は離れていても一点が闇からの侵略者が来ているように黒い喪服で目立つ女、石燕を見遣りながら云う。

 幾らヒモにつぎ込もうとも減ることの無い彼女の資金力は脅威である。だがしかし、そこは握り飯と云う単純な題材が有利に働く。


「握り飯に金かけるったってたかが知れてるだろ。大事なのは知恵だって九郎も言ってたじゃねえか」

「うむ。普通の料理では石燕には勝てぬからな。あやつはあれで料理上手だ」

「あれでな」

「あれでだ」


 ぐいーっと腰に手を当てて風呂あがりに冷たい飲み物を飲むかの如く、試合前に徳利を気付けとして飲み干している喪女を指差して二人は呟いた。

 確実にあれな姿ではある。キワモノ枠だ。


「これで出してくる握り飯もキワモノならば楽なのだが……」

「そうなのか? あたしらのところのやつは、どうも普通な具だけどよ」

「……こう云う場において集まった客が求めている傾向がわかるか?」

「えーと……いやあ?」


 お八は首を傾げるので、九郎は指を立てて持論を説明する。


「未知の味への探求だな。万八楼で行われる料理大会なのだから変わった食材使った妙な料理が食えると思っているはずだ」

「それじゃあ駄目だろ。昆布の佃煮はまあ、誰でも食うってわけじゃないけど地味だし」


 小脇に抱えた壺を撫でながら彼女は云う。

 買ってきた昆布で出汁を取って──出汁は店の蕎麦つゆに流用した──残ったものを細かく刻み、蕎麦のかえしと砂糖、酒で煮込んで作っただけの単純なものに胡麻が混ぜ込んだ変哲もない佃煮であった。


「そこだ」


 短く、九郎はお八の言葉に肯定して頷いた。


「良いか。確かにキワモノ枠を集めているだけあって、この大会では普段目にすることのないような具材が出てくるだろう。だが己れが思うに……」


 言葉の途中で、万八楼の店先に設置された壇上に出店する参加者が順番に上がっていき紹介が始まっていた。これは希望者のみだが宣伝になるために挙って行われる。

 顔に刺青を入れ、変わった模様の鉢巻と狩猟着で腰に二種類のナタ、背中に弓を背負った髭の濃い男が片手に今絞めたての茶色く細長い哺乳類を持ちながら云う。


「私はアイヌのウエンチだ! 新鮮なリスを使ったリス握り飯を用意してやる! 先着で生の脳味噌もあるぞ!」


 続けてほぼ全裸で腰に布を巻き付け背中に銛を担いだ、真っ黒で毛深いずんぐりむっくりとした男が上がり、手に持ったにょろにょろとしたカラフルな爬虫類を見せびらかした。


「俺は琉球からやってきた! 本場の海蛇握り飯を食いたい奴は並べ! 毒腺がうめえんだ毒腺が!」


 壇を囲んで見物していた観客は一斉に顔を見合わせて、声を合わせて叫んだ。


「帰れや──!!」


 声が重なり大音響で二人のおっさんへブーイングを飛ばすが、不敵な笑みを浮かべたまま両者パフォーマンスのようにリスと蛇の皮を剥き出す。

 さすがのキワモノにドン引きの江戸町人である。

 お八も若干青ざめて、リスの死骸やら蛇を見ている。九郎が腕を組んで感慨深そうに言った。


「己れが思うに、江戸に集まるキワモノ連中はやり過ぎ方向に突っ走るから敢えて普通で攻める。……というかアイヌのリス料理人とか琉球の海蛇料理人とか、冗談ではなかったのだな……」

「う、うん。九郎。普通が一番だな」

「未知の味を試したいだけではなく、いつも通りの味で安堵感を覚えるために外食することもあるからのう」


 そもそも、あまりエキストリームな味に走っても自分で旨いこと味付けできるかはわからないのである。

 料理に口を出したり自分で簡単なものを作ったりするが九郎は料理人でも美食家でもないのだ。本職と同じ土俵で戦っても勝ち目は薄い。

 なので、負けてもリスクの少ない具材と裏を掻いた安定の品目、あとは宣伝で勝利を目指す予定であった。 

 全身を蟹の甲殻で作った鎧めいた装備で固めた男や、背中に千手観音の手を装着した仏僧など個性的な料理人が並ぶ中で、


(やはり敵となるは石燕か……)


 と、壇近くに居る彼女も九郎の視線に気づいて、にやりと笑みを返してきた。

 

「ああ、石姉持ってる酒を口からこぼしてる、めっちゃこぼしてる」

「みっともないのう……」


 口の端からだらだらと酒を流している三十前後未亡人喪女は目を覆わんばかりのキワモノであった。





 *****




 キワモノ博覧会が終わればそれぞれが屋台の設営に入る。観客の中には奇人変人を見ただけで満足し帰った者も居たが、本番はこれからだ。

 参加する観客は万八楼から五枚一組の切手を受け取り、これはと云う店に切手を渡していく。最終的にその切手を多く集めた店が一等となるバトルロワイヤルであった。全て使い切った場合、再度切手を貰うことはできるがその際には六文の追加金が必要である。

 九郎の屋台はシンプルに、売り子を番台に座らせてそこの前に行列を作らせ順番に渡していく。屋台の後ろで大きなお櫃を用意しており制作係が次々に握りを作って渡していくと云う分業制であった。

 屋台の中には緋繊毛を敷いた長椅子を用意して、茶なども無料で出す落ち着いた雰囲気にしたところもあるが九郎は客の回転率が下がるのを見越して並んで買わせるのみにした。

 また、屋台で作った握り飯を盆に乗せて行列を作らないように通りでひたすら買わせる方法をしている店もあったがこれも行列の集客効果を考えて敢えて不便にしている。

 そして売り子が、


「はい、どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」


 目隠れした髪ながら、にっこりと口元を微笑ませて色白で乙女の色気と可愛らしさを放出させながら男の客を魅了していくお雪と、


「これで一等になって病気のおっとうを救うタマ……ありがとうお姉さん!」

 

 芝居がかった様子で若干垂れ目気味の潤んだ瞳で、それらしい同情を引く設定を演じながら女性客を引きこませる美少年のタマが担当している。

 一度買った客が再び行列の最後尾に並ばんばかりの美少女美少年売り子効果で、行列が殆ど減らない屋台となっているのだ。

 中にはこの店で全ての切手を使う者も少なくない。お雪さんの笑顔のためなら死ねる。タマきゅんが幸せになるのを見守り隊。様々な思惑による客がゾンビのように客として復活した。

 奇々怪々な扮装をしたおっさんの屋台が立ち並ぶ中、とても爽やかな雰囲気で味も素朴ながら安定感ある。売れるわけである。


「……これ詐欺じゃね? 買ってる人、雪姉かタマ公が握ってると思ってるんじゃね?」

「まあいいではないか。指摘しなければ誰も不幸にならぬ」


 せっせと屋台の裏、幕で隠した制作場所で九郎とお八が握り飯を量産していく。

 固めに炊いたまだ湯気の立つ飯に、昆布の佃煮を埋め込むだけだから容易いものである。手慣れた様子で二人は作り続けている。


「にしても、見栄えいいのを売り子に立てるなら、この美少女お八ちゃんを出さないってのはどういうことだぜ」

「いや、お主は握り飯作ってる方が得意に見えてな。ほら、会ったときも握り飯を持ってただろう」

「忘れたぜ。ま、お八ちゃんの握りは天下一だからな。もっと褒めてもいいぜ?」


 少し機嫌が良くなった様子で彼女は小さく笑った。

 九郎は優しい顔をして、桶に張った水で米粒の付いた手を洗いながら、


「さすがハチ子。握り飯と言えばハチ子とお主の両親も晃之介も言っておった。まるで握り飯を作るためだけに生まれたようなおなごだ。ハチ子最高」

「はっはっは。そりゃあ褒め過ぎっていうか嫌だなその生まれた意味」

「では最高最強なハチ子は己れが暫く偵察に行ってくる間、ここで握り飯づくりは任せても大丈夫だな。お主しか頼れぬのだ、頼むぞ」

「おう! ……おう?」


 手を拭いて九郎はお八の肩を叩き、調理場から出て行った。他の店の売れ行きなども調査して適時宣伝などを行わなくては、放置していて勝てると思っては居ない。

 一人取り残されたお八は少し固まって、


「あの野郎……」


 と、九郎が出て行った方向を睨みながらもまた仕方無さそうな顔で握り飯づくりを再開するのであった。

 内職の上がりを駄目な亭主に取られて博打に行かれた女房のような、物哀しい雰囲気が漂っている……。




 *****




 店の者に後を任せて九郎は通りに出た。

 両国の通りは元から見世物小屋や化け物屋敷、屋台に食い物屋、大道芸などが多く雑多な印象を覚える歓楽街であった。

 この日は握り飯大会も開いているのだからより人通りは多く、中には既に早刷りで作られた大会のパンフレットみたいな読み物を片手に回っている者も見受けられる。

 九郎の屋台は行列のおかげで人目に付き、足を止めて覗きこめば見栄えの良い売り子が見えるのでそのまま並ぶ傾向がある。いかに旨いものでも売り子が汚らしいおっさんならば並びたくもならないし、また味も濃すぎる変わった具材を使っているのではなく、日に何合も飯を食う江戸の町人ならば幾らでも食えそうな昆布味が人気を出しているようだ。

 

「今のところ問題はあるまい」


 九郎はそう判断して離れ、他の店を見て回る。

 

「らっしゃい、らっしゃい! 新鮮な山菜が入ってるぞぉーッ! ワラワラビー!」

「げぇーッ! 服に付いた山菜をそのまま握り飯にーッ!?」


 信州の山菜握り飯と云う店ではギリースーツめいた草の生い茂った服で全身を包んだ大男がむしった山菜をその場で飯に入れ込み客の驚愕を呼んでいた。

 つい足を止めた客に半ば無理やりそれを買わせて、恐る恐る客は握り飯を齧る。

 かっと目を見開き、口から米粒を飛ばしながら叫んだ。


「こ、これはーッ! 山菜を下茹でもせずに入れているものだから……苦い苦すぎるぞ山菜握りーッ!!」

「なにィーッ!? 俺様の新鮮さを売りにした山菜握りにそんな弱点があるとは!」


 九郎は遠目で見ながら凄まじく見下した目で、


「みんなああいうレベルだと楽なのだが……」


 などとコメントするのであった。

 どうもこのような、握り飯と云う単純な題に対して珍味に拗らせたようなご当地超人とも言えるキャラ付けで売りだそうとしている店は少なくなかった。

 別の店では、


「千手の握り……! これを食えば現世の罪が許され、地獄に行った貴方の親族さえも罪は贖われるでしょう……!」

 

 鏡を利用してきらきらとした光を放ちながら、背中に大量の腕をくっつけた袈裟を着た坊主が普通に両手で握った飯を売っている。

 これがご利益を見込んでかそこそこ売れていた。免罪飯の贖宥握りと書かれているそこだけ宗教ゾーンである。


「そんな怪しげな仏教があるか」


 とりあえず近くにある、無縁仏だろうが動物だろうが罪人だろうが、死人を全て供養するように建てられた回向院から説教好きな坊主を数名呼んできて説法論議を行わせておいた。

 また別の店では全身蟹鎧のおっさんが必死にアピールしていたが普通に客が来ていなかったので九郎は優しくスルーした。

 

「おや、九郎殿ではありませぬか」

「む?」


 話しかけてきた相手を見ると、[鹿屋]の看板を掲げた屋台にそこそこ人が集まっていた。

 そこでは大店の主自らが握り飯を売り込んでいる。九郎とも付き合いのある鹿屋黒右衛門と云うでっぷりとした薩摩人である。


「なんだ。今度は握り飯も店で出すのか?」

「いえいえ、店の名前を宣伝するための参加で主力商品では御座いませぬよ」


 彼は朗らかに笑いながら売り子に指示を出して店から離れ、九郎に寄ってきた。

 てっきりさつまもん達が奇声を発しながら売っているかと思って見回すがいつもの線が太い怒気を全身から放った兇暴な連中はおらず、十二、三ぐらいの紅顔な少年丁稚達が店で仕事をしている。

 九郎の横に並んで黒右衛門は頷きながら、髭を撫でつつ云う。


「実は薩摩は美少年がそこそこ居るのです」

「マジかよ……」

「しかし何故かあれが後数年すると立派な薩摩人に変化するのです」

「何故過ぎるだろ……どういうことなんだそれ」


 利発そうで純朴に見える少年達が数年後は「おう唐芋」と声を掛けられただけで命を掛けて発狂する存在になると云う。

 恐るべき進化だ。九郎が持つ薩摩人への評価が殆どクリーチャーとなっていく。

 黒右衛門は皿に乗せられた握り飯を一つ九郎に渡して、


「お一つ如何ですかな。九郎殿好みの具ですぞ」

「む、貰おう」


 九郎が握り飯を頬張ると、中から甘味と塩気、程よい脂とひき肉の食感がした。旨い。


「豚肉を微塵にして、それに甘い麦味噌で和えた豚味噌でございます」

「なかなかいけるな」

「江戸で豚肉が流行すれば薩摩の養豚も儲かりますからなあ……」


 とはいえ、獣肉を出す店が一応あるとはいえ江戸の町人にとって豚肉は文化圏外の食べ物で急に流行するようなものではなかった。

 しかし食わず嫌いをせずに食い、今日来た客の三割でも豚肉の味に魅力を覚えれば、江戸ではほぼ唯一購入できるのが鹿屋の塩漬け肉である。

 専売品の宣伝目的で参加しているので企業としては抜け目の無い黒右衛門であった。

 九郎は後で酒のあてとして豚味噌を買おうと約束して別れ、ふと強い風が吹いて立ち止まった。

 鹿屋の屋台裏で九郎の店と同じように幕で隠した部分が僅かにめくれ上がり、褌一丁のさつまもん達が汗だくになりつつ猿轡を口に付けて飯を握っている姿が一瞬見えた。

 握り飯に込める眼光が徳川に対する呪いめいた勢いを感じ、明らかに白米を握る盛り上がりじゃない筋肉が彼らの体で蠢いていた。

 そういえばやけに握り飯が固かった気がする。

 

「……」


 九郎は早足で、近くの茶屋に寄って番茶を二杯飲んで込み上がる何かを堪えるのであった。

 そうして九郎が歩きまわり、やがて目的の場所へ辿り着いた。

 鳥山石燕の屋台である。やけに人が詰まった場所だと、遠目でも思っていたのだがどうやらそれは石燕の店に来ている客の列のようだった。

 どうも正面から偵察するのは気まずい気がして、近くの裏路地へ入り術符フォルダから[隠形符]を取り出し発動させて近づく。九郎の姿は消えているが、実体はあるためにあまり人混みで使う術ではないのだが。

 鳥山石燕の屋台は──率直に云えば豪華だった。綺麗な真っ白の檜造りをした真新しい屋台に彫刻職人を雇った飾りがあちこちに見た目を華やかにして、地面に直接敷物を起き握り飯は笹の葉に丁寧に包んである。

 握り飯の米は他の参加者と変わらず、中身は……意外な事に九郎が買って食っている者を覗きこめば、黒いペースト状のものであった。

 石燕が自ら作った甘めの味付けにしたおむすび用の浅草海苔の佃煮──その名も[ムスビですよ]だ。屋台に広告の絵が貼ってある。『こ……これはただの佃煮じゃ』と云うウリ文句に嘘をつけと九郎は思わず呟き、声が聞こえた客が不審にあたりを見回した。別に嘘ではないのだが、ついツッコミを入れてしまった。

 丁寧に作られているが、そこまで高級なものではない。石燕は具材よりも屋台などの高級感に金をつぎ込んだのである。

 そして売り子が、


「ほら、晃之介殿。笑顔、笑顔──ですぜ」

「は、ははは。なんで俺が……」


 いつもの旅着や袴ではなく、高級な小袖に羽織を着て髪も整えた女性体の将翁と、少し引きつった笑みを浮かべている晃之介が働いていた。

 貸し衣装なのか、落ち着いた納戸色の着物姿の二人ではあるが体つきも顔の作りも整っているために非常に見栄えが良い。

 女らしい曲線が着衣の上からでも判る、狐面を外した将翁が微笑めば妖気にやられて、客の男は握り飯を受け取ったまま放心して次の客に押しのけられる。

 ぎこちないが爽やかな笑みを浮かべている晃之介の列に町娘が並び、購入しながら一言でも二言でも会話をしようと声を掛けて、曖昧に返されつつも顔を赤らめて列を離れ遠巻きに見て再び並びなおしている。中には男も居る。男も顔を赤らめている。晃之介の心がガリガリ削れた。

 

「ぬう……しまった。作戦が被るとは。しかもこっちが上位互換だ……!」

 

 そう、九郎とほぼ似た、まともな握り飯を見栄えの良い売り子に売らせる作戦で成功しているのである。報酬か何かで晃之介と将翁を呼び寄せて来たのだろう。

 しかも屋台などを豪奢に作っている上に大人な売り子を使っているので一般受けの範囲が違う。

 云うなれば九郎の作った屋台は、綺麗どころを集めた学園祭の売店だ。可愛い学生というプレミア感に引かれて客は寄るが、それだけである。

 しかし石燕の店は見た目を飾り付けることで、高級店が売り子にアイドルを使っているというような雰囲気を作っているのだ。無料で配られる握り飯だからこそ、このいかにも普段は食えないようなグレードに演出することで客を呼び寄せている。

 お雪とタマが将翁と晃之介に比べて容姿が劣っているというわけではないが、普段着の二人と飾りつけた二人ではやはり集客率に差が出る。可憐な町娘と女顔の少年に対して、妙齢の貴人女性と二枚目な好青年の若侍が提供する賞品では後者に希少度がある。

 当の石燕は隣の茶店にある外の席で寝転がりながら酒を飲み、繁盛を見守っている余裕っぷりであった。 

 なお、握り飯の作成などにちょこちょこと店と作業場を行き来している子興が、膝上までしか無い丈の改造着物を着て猫耳と尻尾をつけているのだが客は完全スルーしている。 


「師匠ー!! 小生も確実にもてるからってこんな衣装着せたのになんか居ない扱い受けてるんだけどっ!?」

「計算外だったみたいだね」

「責任取る気ないなさては!? 恥ずかしい思いしてるのにいいい!!」


 どうやら経営者様の指図だったようだが。

 涙目で馬車馬のように働く子興へ心の底からエールを送りつつ、九郎は石燕の寝ている席へ座って隠形を解除した。

 突然現れたように見えただろうが、石燕は右目だけを開けたまま特に驚きもしない。


「やあ九郎君。どうだね私の石燕帝国は」

「皇帝が酒浸りなことだけが心配だが、随分繁盛しておるようだな」

「ふふふ、小細工と思うかね? しかし高そうな店で綺麗な店員が居て無料の旨いものが食べられる……考えれば簡単な事だ。売れない要素が無いね」


 自信ありげに彼女は言って、寝転がったまま酒を一口飲んだ。

 ばたばたと動き回っている子興が九郎に気付いたようで声を掛けてくる。


「あ、九郎っち。うわああん聞いてよ先生酷いんだよ小生に辱めばかり……」

「まあいいではないか。似合っているぞ、結構。いい年こいて」

「年はまだ全然大丈夫だよっ! っていうか晃之介さんなんて目も合わせてくれないんだけどやっぱり引かれてるかなあ」

「いやあ……単に照れてるだけだと思うが──っとほら、店の握り飯が無くなるぞ」


 指摘されて、笹の葉で丁寧に結んだ握り飯の山を抱えて子興は再び店に戻っていく。晃之介はやはり子興が近づくとよりぎこちない顔の向きになっている。右を見ても左を見ても巨乳。しかも子興は太腿まで見えている。奥手で純な青年には辛い環境だ。

 敢えて子興が忙しくなるように手伝いを二人以上は雇わなかったのか、とにかく店は忙しそうであった。


「九郎君の店はどうだね? ふふふ、似たような店舗だとしたらそちらの客がこの店を見つけたときに、どっちに最終的につくかが楽しみだ」

「……」


 勝利を確信している様子で彼女は云う。

 九郎は挑戦的な言葉を受けて、珍しく鼻で笑った。彼女の徳利をひょいと取り上げて口を付け酒を飲み下す。


「まあ結果を待て。一つ言っておこう。質が良く、売れている物が勝負に必ず勝つとは限らない……勝負はこれからだよ、石燕」


 言って九郎は立ち上がり、ぽかんと見上げる石燕を尻目に己の陣営へ歩き去っていった。

 それを見送って石燕はくすりと笑い、


「期待しているよ」

 

 聞こえないだろうがそう呟いて、酒の追加を注文するのであった。

 そして九郎の集客戦が始まる。

 いつもなら別に自分が勝とうが負けようが死ぬわけでも無しにどうでも良かったのだが──石燕が確実に未来の勝利を見据えているようなので、覆してみたくなったのである。

 ただの老人の悪戯だ。九郎はひとまず、参加者の観客に声を掛けた────。





 ***** 

 




 さて──。

 この握り飯大会にて、九郎と石燕以外にも多くの美食や凝った握り飯を出す屋台があり、一番旨かったのが九郎や石燕と云うわけではないが、客の投票システムにより勝敗を決して一等に輝いたのは──九郎の店[むじな亭支店]だった。なお命名はお房である。

 中盤で客数が鈍ったものの後半から一気に盛り返し、石燕の店を追い抜いて最も客からの切手を集める事に成功した。

 石燕一行は悔しがるというよりも、感心して万八楼の主人から賞品を受取る九郎を遠目に見ていた。


「大したものだね、彼は」

「九郎のやつ、今度酒を奢ってもらわなくちゃな」

「あれ? 晃之介さん反省会参加しないんですかー? 将翁さんも来るみたいだけど」

「くく、酒なら酌でもしましょうかい?」

「断固遠慮をさせてもらう!」


 一部が豊かな女子会に参加させられかけて初心な晃之介は距離をおいた。女嫌いなわけではないが、一人だけではアウェイ感が強く恥ずかしい。

 そうして大会は終了を迎え、各々屋台を片付け出した。なんだかんだで出店者も楽しそうに終わっている。逮捕者は数名で済んだので成功の部類であった。

 九郎は受けとった賞金を山分けにしようとしたが、


「あー、あたしはそんないっぱい持ってると親に叱られるから九郎預かっといてくれ」

「わたしも一寸、大金は管理が恐ろしくて……九郎お爺さんお願いします」

「これで米沢町の[四つ目屋]で飲ませた女の人を助平にする薬が買えるタマ! ……あ、く、九郎兄さんにやっぱり預けておこうかなー」

 

 女から冷たい目線を受けて──お雪は目が隠れているが──タマは自分も小遣いを預けることにしたようである。

 なお[四つ目屋]は薬研堀近くに実際にあった店で、男性用強精剤の長命丸や、女性用催淫剤の女悦丸、性具や肥後ずいきなどを取り扱っていた現代で云うアダルトショップである。

 九郎は腕を組んで考えながら、


「ふむ、では基本的にお主らが必要と思った時に渡すことにしよう。お雪とハチ子は店で飲み食いしたらその分はこれから支払うから当面気兼ねなく来てくれ」

「おう」


 などと話し合っていると、石燕一行が近づいてきた。


「やあ九郎君」

「石燕」

「こうして数字で表されると完敗だと云うのが納得いくよ。君には負けるね。一体どんな方法を使ったのだね?」

「ああ、それは俺も知りたいな」


 石燕と晃之介が尋ねてくるので、九郎は手を軽くはためかせて言った。

 

「いや、そんな特別なことではないぞ。道行く客に声を掛けてこっちの店に誘導させただけでな」

「それだけで一番になれるぐらい人を引き込めるのかね?」

「ああ。金を渡してサクラになってもらったからな。現金をばら撒くのが一番の宣伝だ」

「……」

「……」

「……」

「……」


 一斉に重苦しい雰囲気になった。

 殆どただで参加できるところが売りであったこの大会で、更に指定された握り飯を買うだけで銭が貰えるとなれば何より選ぶ町人は多かったのである。あと、ついでに利悟に店を十往復ぐらいさせて切手を持ってこさせたのもあったが。

 九郎は気づかず、或いは気にしないで続けて云う。


「更にばら撒くのに使ったのは石燕から貰った小遣いだから負けた石燕にとっては因果応報というか」

「……うわあ」

「……ひっど」

「……それはちょっと」

「うむ?」

 

 九郎が周囲の目線の変化に、きょろきょろと一同を見回すと冷や汗を垂らした顔で馬鹿みたいな猫耳を付けたままの子興が云う。


「つ、つまり九郎っちは、師匠からヒモって貰ったお金で師匠の営業妨害して自信満々に勝利したってわけ?」

「……ええと」

 

 九郎の冴え渡る思考回路は即座に誤魔化す方向へ話を勧めることにした。

 賞品として手に入れた鬼の宿る釜──鳴釜を大事そうに石燕へ押し付ける。いかにも苦労をしたように汗を拭う仕草をしながら彼女に告げた。


「いつも世話になっておるから、お主の欲しがっていたこれを渡そうと思ってな……!」

「無理がある無理がある!!」


 一斉にツッコミを受けたが、石燕は顔を抑えてほろりと涙を流し、


「九郎君……! そんな気を使わなくてもいいのに……! 幾ら使ったんだいお小遣いを足してあげよう」

「気にするでない。己れは別に金が欲しくてやっているわけではないからな。わかるな?」

「わかるとも……! 二十五両あげよう……!」


 何故か石燕には感じ入るところがあったらしい。駄目な男に尽くす女というか、もはや駄目な女であった。

 感動して一応断る九郎の胸元に小判束をねじ込む石燕である。とりあえず金と、嫌なところは似ている二人だ。

 一同はドン引きして誤魔化しきれた様子の九郎を見ながら、


「なんというか……爛れた関係ですぜ、こりゃあ」


 将翁の呟きに全員頷くのであった。

 



 後に九郎は冷静になってこの大会を振り返り、罪悪感から暫く石燕に対応が優しくなった。

 結局──目的のものは手に入ってついでに優しくされることで、勝利を得たのは石燕なのかもしれないが。

 妖怪絵師は計算尽くかどうかわからぬ顔で微笑むのみであった……。




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