挿話『異界過去話/九郎と魔女、魔王と侍女の始まりの話』
砂まじりの風でイリシアがくしゃみをした声が聞こえた。
(魔女と世界を悪戯に荒らし続けて二十年近くになるか)
クロウはそう思いながら大陸の東端、ネフィリム迷宮砂漠を瞑想ゴーレムの上から見下ろしている。
魔女化したイリシアを連れてクリアエから逃げ出し、人に追われ軍に追われ、それらを蹴散らして魔法で世間を騒がし、世界中を旅して回ってもうそれだけの月日が経過した。
イリシアは魔女になる以前よりも多くの年齢を重ねたが、未だに子供のようである。外見も確か、彼女が二十の時に成長を止めた。クロウも旅を始めた時と変わらない。ゴーレムに乗りながら背中のリュックと、腰に帯びた光の魔法剣キャリバーン改を意識した。
ゆるりとできる安息の地など世界の何処にも無かった。
だから、既に世界中から疎まれていると云うのに堂々と居所を知らしめて安住している魔王ヨグの城を目指して来たのである。
軍や賞金稼ぎが攻めてこない場所となると、樹海に隠された[妖精郷]か剣神の守る[実りの土地]か、ここぐらいだ。妖精郷は探しても見つからず、剣神からは移住を断られて戦闘になりかけた。番人である剣神を殺神してしまっては意味が無い。
思惑はそれだけでは無かったが──ともあれ二人は逃げ続けるのに疲れたのかもしれない。
「この砂漠の先に魔王の城があるのか」
「はい。ヘタに攻撃をすると国際条約違反で懲罰的処分を受けるという放置ゾーンですね。まあ条約なんて知らないとばかりに前世で隕石を落として熱核ビームを打ち込んだことがありますが」
「どうなった?」
「こちらの魔法は全てバリアで弾かれて、数日後に寝ていたら衛星軌道上から分子崩壊される因子を打ち込まれて死にました」
「数日後に突然反撃が来るのがえげつないのう」
言い合いながら霞む地平線に目をやる。魔王城ヒポポタマスアングリーの影がうっすらと見える気がしたが蜃気楼かもしれない。全長七キロメートルもある超巨大神獣[ガラガラドン=シュブニグラス=ベヘモス]を石化させ城の土台に使っている尋常ではない大きさの城だ。硬さもあるが、後付け改造した多数の防御フィールドを兼ね備え隕石の直撃にも耐える。
しかし攻撃したのが魔女だったからピンポイント反撃で殺害されたものの、ヘタに国の軍勢などが襲撃に失敗すれば反撃は大規模破壊兵器が周辺国に影響ある勢いで打ち込まれることになるのである。
既に惑星ペナルカンドを一度ならずとも破壊し、神々を殺しまくった魔王だ。慈悲は期待できない。
「しかしながら、つまりはあそこに入り込めればしばらくは安全だということだのう」
「そうですね。クロウの立てた作戦で内部に入って自爆を脅迫材料に使い、生活圏を作り上げます」
「凄まじい不法占拠だが、まあやってみよう」
言って、クロウは荷物を正してゴーレムから器用に飛び降りた。
そもそも魔王城に行こうと言い出したのはイリシアの方だった。彼女は長年の研究の結果、一人ではクロウを元の世界に戻せないと悟り異世界の技術を持つ魔王ヨグと協力を取り付けに来たのである。
一方でクロウも、安全地帯ならば住み込む事に成功すれば逃亡生活から休めるという期待があった。
お互いに諦めに似た感情の元に向かう事になったのだ。
何せ気分次第で世界を滅ぼす、世界の敵殿堂入りな相手だ。協力などしてくれる保証は無いし住まわせてくれる得も無い。
いかに最強の魔法使いである極光文字の魔女イリシアとは云え──争いが本格化して星ごと消し飛ばされたのならば目的を失ってしまう。
しかし、保証はなくとも無駄な自信はあった。
クロウが。
共にあった、最も信頼する味方が「行こう」と言ったのだ。
(だったら、うまく行きます。きっと。恐らく。多分)
それだけでイリシアは妥当性を見出すには充分なのである。
砂漠の入り口にオベリスクが立っている。
かつてこの地を砂漠化させた堕天巨人ネフィリム討伐の記念碑だが今や誰もこれを見に来るものは居ない。
ここに魔王城へ繋がるゲートが仕掛けられている事を、伝神を捕まえて吐かせた。決して信書の情報は外部に漏らさない事を信条にしている伝神だったが、イリシアの[弱化符]と云う神の能力を剥奪させる術符に脅されて、ぎりぎりのラインとして玄関口の場所を言わされたのである。
クロウはイリシアと顔を合わせて頷き合い、オベリスクの一部を爪で引っ掛けて開けると薄型のパネルが出てきたのでそれに付いているボタンを押す。インターフォンだ。
『はい。こちら魔王城と返事致します』
インターフォンから無感情な女性の声が聞こえた。クロウはマイクらしきスリットに向けて言葉を返す。
「あーすみませんが、魔王ヨグさんに代引きの荷物が届いてます」
『了解致しました。どうぞ中へと開門致します』
言うと──砂漠の空間にドアがいつの間にか現れていた。
ぽつんと、背後から見ても薄い一枚の扉が置かれている。
イリシアが前に立ってそれに近づき、ドアを開くと虹色の歪曲空間が広がっていた。内部の様子はまるでわからない。
「……とりあえず行きましょうか」
「ああ」
悩んでいても仕方がない。イリシアとクロウは離れずに扉の内側へ足を踏み入れた。
一歩。
一歩。
歩き中を進むと急速に視界が開けた。
だが──。
離れずに居た筈の二人はそれぞれ別の景色を目にした。
イリシアは漆黒の天球に無数の星が浮かぶ、青白い皿のような限りなく広い空間に。
クロウは古びた教会に似た作りをした無人の一室に。
空間を分けられて──それぞれ送られた。
*****
「───ここは」
周囲を見回す。足元には流体のような、固体のような青く光る不思議な大地が広がっている。沈み込む感覚はないが接地している面から大きく波紋が広がり、波打って揺れているものの足を取られるわけではない。
地平線の先は漆黒だ。いや、それだけの広さがあるかは不明だが、奥行きの怪しい暗黒の空間が天上から覆っていた。よく見れば瞬かない星々の輝きが見える。
薄い大気に低い重力。水中でも火中でも活動できる魔術文字を刻んだドレスを着ているので問題はないが、惑星ペナルカンドでは無い場所であるようだった。
後ろを肩越しに見るが、扉は影も形も無く、クロウも居ない。自分だけが飛ばされたようだ。
「ティンクトゥラ鉱石を主な成分とした名も無き小惑星と説明致します」
イリシアの呟きに応えるように、声。
改めて正面を見ると、先程は居なかった場所に一つの影がある。
エプロンドレスにネクタイ。機械混じりのカチューシャを付けた、長い黒髪の女だ。
侍女が、手を前に揃えてイリシアをじっと見ていた。
る、と音が鳴る。イリシアの持つ魔女杖[エスワード]の先端にある球体が回転を始めたのだ。付与魔法の使用に特化して作られた魔女の杖は、先端の球がスタンプローラーのような役目を持ち空間に魔術文字を刻み込める。
ゆっくりと動かして杖を相手に向けながら言う。
「魔王のメイド──イモータルですね。魔王に話があるのですが取り次いで貰えますか。さもなくば魔王城ごと破壊します」
「勘違いされがちですが、と忠告致します」
イモータルは右手を地面と並行に伸ばして、光を感じさせない目でイリシアを見ながら淡々と言う。
「魔王様は普通に訪ねて、魔王城のアトラクションさえこなせば客として扱うように指示されています。しかし、城ごと破壊して攻め入ろうとする無粋な輩には最大限の反撃をするようにと仰せられて致しております」
「……」
「魔女の力ならばアトラクションを尽く破壊してしまうでしょう。故に、異なる星のこの場所で、代わりのイモータルが魔王様へ辿り着く障害と致します」
言葉を紡ぎながら、イモータルの背中に機械の翼が広がっていく。
それは機関砲だ。背中から伸びたマニピュレータが保持している複数の無骨な火砲が、翼のように左右に分かれて展開されていく。イモータルの基本背部武装[コルタ・モルタハの翼]である。死骸の着物を着る鳥の意味を持つ魔鳥の羽根は、飛行能力と銃撃能力を重ね持つ翼だ。
続けてイモータルの背後に現れたのは巨大な塔であった。城門程もある金属塊が八つ、彼女の後ろに出現している。それらには一門の砲門が付いている。第239番武装[通天神火柱]──誘導する青い超出力レーザーを放つ武装だ。その威力は惑星程度ならばケーキを切り分けるように寸断してしまう。
「おいでませお客様。そしてまたのお越しを来世にて。イモータル・トリプルシックス、ご奉仕致します───フルバースト」
淡々とした声と同時に、イモータルの翼になった機関砲と八つのレーザー光が輝いた。
*****
「ううむ、あっさり分断されたか」
クロウは一人、教会のような場所で立っていた。祭壇らしいところにはスパゲティモンスターの像が掲げられていて机椅子が規則正しく並んでいる。広さもせいぜい三十人ほど入れる程度で、見回しても敵の気配は無くがらんとしている。
壁に張り紙がしてあるのを発見して近づいて確認すると、魔王城における現在地が丁寧に描かれていた。
この部屋は魔王城に於いて終盤となる試練が待ち受けているあたりの手前にある休憩室のようだ。無論、魔王がわざわざ休憩場所を作っているのは遊び心だがまだ誰にも使われたことはない。
トラップや魔物、カラクリ仕掛けに謎解きの半分以上を飛び越えていきなり奥へ転移してきたようであった。
イリシアと別れたのが気がかりだが、
「あやつは己れよか強いから大丈夫だろう、うむ」
クロウは然程心配せずに、順路となっている魔王の間へ続く出口を見た。
動きにくくなる担いだ背嚢を下ろして、道具をチェックする。
とりあえず今は互いを信じてやるべきことをするしか無い。
クロウは必要な道具を取り出し──それを広げた。
「──よし」
レジャーシートである。
防水、防虫の。
低反発素材で作られたそれは丁度人が寝転がるのに適した大きさで、岩山で広げて使っても平気だ。
クロウはそれの上に寝そべってくつろぎだした。
「うまいうまい」
更に寝そべりながら饅頭まで食いだしたのである。
『こおおらああああ!! そこの! 来て早々だらけるなあああ!!』
何処からか声が響いた。スピーカーで増幅された特有のノイズが有る音声である。きんきんと甲高く少女のようであった。
クロウは姿勢を改めようともせずに、二個目の饅頭へ手を伸ばした。
『斬新な方法で侵入してきたから、特別に後半休憩ポイントスタートにしてあげたんだろっ! ちゃんと挑めよあとちょっとなんだから!』
「む、魔王か?」
『はっ……』
と、クロウの指摘に息を吐く声がしてがちゃがちゃとマイクを弄る音がしたと思ったら、今度は野太い声が重低音で響いてくる。
『くくく、我こそはこの風雲城ヒポポタマスアングリーの主にして最強最悪残虐テロ魔王、外法師ヨグなり……! よくぞ来たな人間よ……さあ我の元へたどり着くが良い、その腸をちょうちょ結びにしてくれるわ……!』
「いや、いかぬが」
『何しに来たんだよ!?』
クロウは饅頭を咀嚼したままキリッとした表情で、声の聞こえてきた祭壇のあたりを見ながら言う。
「己れ達は気楽に暮らせる土地を探してきたのであってな。それならばこの部屋だけでも構わぬ」
『堂々と居座る宣言された!?』
声が少女に戻った。
厄介な事にその休憩ポイントでは魔物も出現しないように作ってあるし、スパゲティモンスターの加護で部屋の一角にあるキッチンには自動的にミートボールスパゲティとビールが出現するようにしていた。住もうと思えば住める場所ではあるのだ。
クロウは寝転がりながら道具袋を漁ってあれこれと物を散らかしていく。
「はっはっは。家主の許可を得ぬのは悪いがどんどん住み良い部屋にしていくぞ。ほら室内テントとか建てたり」
『許可取りに来いよ! 手前まで送って上げてるんだからさ!』
投げるだけでテントが出来上がる製品などを展開させつつ、クロウは決意の怠惰を見せつけるのであった。
*****
イモータルの初撃は対象を絡めとる軌道で襲いかかる光速の蒼炎に、電脳圧縮中性子弾の掃射であった。
彼女の基本武装となる背中のアームから翼の如く展開している回転式機関砲は多種多様な弾丸を発射できるが、この時に使用したのは一発毎に弾丸内部に搭載された電子頭脳が最適な軌道へ誘導して着弾補正をかけて、かつ素材に使われている圧縮された中性子は着弾と同時に崩壊、周囲にマイクロブラックホールを発生させて空間を抉り取る。
地上では使用不能な武装の多くをこの小惑星の上では使える。レーザービームに遅れて一門あたり分間8000発の弾丸の雨がイリシアに殺到した。
光速の炎を消し飛ばしたのは発射とほぼ同時であった。イリシアは眼前に防御の魔術文字を展開させつつ口で詠唱した通常魔法[ダークナイト]を発動。
これは光を吸収する暗黒物質を発生させる術だが、それにてレーザーを吸収してかき消した。生半可な術者ならば強い光線は吸収しきれないがイリシアほどに為れば小さめの恒星程度ならば熱と光を包み込む事も可能だ。
闇は逆に光を食いつくすように伸びて通天神火柱へ蛇のように突き進む。レーザーを防いだイリシアは更に眼前に巨大な盾と構える魔術文字を展開している。
中性子弾が着弾。同時に消滅した。マイクロブラックホールは発生しない。
イリシアが創りだした魔術文字に込められた意味は[消滅]。自称、消しゴムである。魔術文字の添削をするために作った術式だが、触れるものを事象の彼方へ消し飛ばす。
弾丸の電脳が障壁を認識。多くの礫は障壁の寸前で上下左右に散らばった。それぞれが異なる判断を下して対象を穿とうとする。また、障壁を展開させたままにする為に半数の弾丸は無意味と知りつつも消滅の文字へ当たり続ける。
イリシアが指を衣服に這わせる。服に刻まれた文字の形と位置が変化して二つが背中へ回る。
[噴出]の魔術文字が背中に移動したイリシアは背後から凄まじいエネルギーを放出させて消滅文字を前面に展開したまま急加速し前へ飛翔した。
エネルギーの放出力で青白い地面が抉れ散る。一秒で亜光速へ到達する移動速度に障壁の裏から回り込もうとしていた弾丸全てを置き去りにして一瞬でイモータルへ接近した。体の反動を抑える術式も込めているし、前方の抵抗物は大気だろうが文字に触れれば消滅する。
機械の反応はそれを冷静に処理。イモータルは背中の機関砲を斉射したまま足に飛行移動用武装[風火輪]を装着して残光を残しながら空へ舞い上がった。コルタ・モルタハの翼を攻撃使用したままの、高機動空中戦型フルバーストモードだ。
接近しながらイリシアはエスワードの先端の球を地面に擦り付ける。ローラープリントされるようにそれは回転してイリシアが通った軌跡に文字を残した。
イリシアは勢いのままイモータルの下を通過。ジェットの放射位置を変えてブレーキをしながら、地面に這わせた術式を開放する。
「弾け、吹き飛べ」
宣言通りにイリシアが通った地面が下から爆発して上空数千メートルまで砕け散った破片を吹き上げた。幾千、幾万の大小様々に質量ある岩塊が超音速で上空のイモータルへ向かう。追いかけてきていた弾丸が何発も破片にあたり小規模な空間爆砕を起こした。
地上で使えば地殻津波を起こす威力で、クロウが近くに居ては使えない魔法である。
続けて舞い上がってくる破片を撃ち落としているイモータルに、術符を向けた。
「[電撃符]」
込められた雷の魔法を発動させると千億光条の紫電が瓦礫の雨を縫うように空一面を埋め灼き尽くす。稲妻に込められた電圧は岩に穴を穿つ威力で数多の中性子弾を絡めとり消し飛ばした。
イモータルは無表情のまま亜空間から取り出した警棒のような形のものを迫り来る雷撃の渦へ向ける。
「[雷公鞭]発動致します」
魔女の雷に匹敵する、雷砲と云った巨大な光の束が発動された。最強故に使われることのない宝貝の名を持つその武装は惑星に穴を開けることさえ可能な出力である。
互いの電磁気が干渉しあってそれぞれの軌道を逸らして曲がる。イリシアの雷撃の渦は宇宙空間へ飛び散り無数の星が穿たれ輝いた。雷公鞭の一撃はティンクトゥラの大地に突き刺さり大穴を開けたが、先ほどイリシアが爆破した傷も含めて徐々に大地は直りつつある。
「相変わらず使えない符です」
「使い方次第だとアドバイス致します」
「そうですね。まあ単なる陽動だったので」
──イモータルのセンサーが周囲に舞い散るティンクトゥラ大地の破片以外の物質を感知した。
イリシアが地殻爆発と同時に撒いていた符だ。大地と雷で隠してイモータルの周囲へ数十の数も浮遊させている。
「[光剣符]」
一斉に術を開放する。
それは術符からレーザー光を放つ術式だ。一枚一枚は短冊程の大きさの符だがそれから放たれる高熱を伴う光は山一つを沸騰させる熱量を持つ。
光速で、イモータルへ向けて時間差も含めて狙いを確実に放たれた。認識よりも機械の処理よりも早く光の刃は対象へ到達し断ち切る結果を発揮する───。
*****
魔王城の主、自称[最強のラスボス]の異界物召喚士ヨグは休憩室を映すモニターを睨みながら眉を寄せていた。
画面には教会風に作ったセーブポイント部屋でくつろいでいる少年が見える。既に一角は自分のコーナーにしていた。茶を勝手に淹れて啜っている。じじ臭い。
相手の意図がわからない。
勝手に住み着くつもりも何も、ここは世界最悪な魔王の本拠地であり胃袋とも言える城の中だ。挑んできた魔王討伐志願者への程よい難易度として作った休憩場所故に、安全は安全だがそれは他の部屋と比較してのこと。
そもそも別にこの部屋から一歩も出ずに、ヨグはクロウを殺せる。指先一つで遠隔から殺害する道具など幾らでも召喚できるし、そんな事が可能だと言うのは世界中の誰でも知っている。
「っていうか普通、一番選ばない選択肢なんだけどね、ここに来るのって。地球破壊爆弾とデスノート持った倫理観の無いゲーム脳の魔王が居る場所なんて」
ぼやきながら手を軽く振ると、空間に小さな召喚陣が生まれて数枚の紙束を現出させてつまみとった。
魔王が使う異世界の物質を呼び出す召喚術のついでとして使用可能な能力が、このペナルカンドを含めたあらゆる世界に於ける書類や書籍を呼び出す能力である。彼女が次元の狭間に作った全ての図書を収集する固有空間と術式で繋ぐことで使えるようになった。
握られたのは手配書──と言うより、国際刑事警察組織による調査書である。
「……魔女の騎士クロウ。出身地不明。都市国家クリアエの元騎士。自己申告による生年から現在の年齢は八十五歳。罪状は動乱、器物損壊、脱走、公務執行妨害、大規模破壊関与など十八の罪状で実行或いは共犯の疑い<※別ファイル参考>。
身長は百六十前後。体型は普通。髪は黒で瞳は赤褐色。剣、銃、魔女の術符で武装しているが積極的な破壊活動は行わないものの目撃した時は近くに魔女が居る可能性が高い為に接触には注意が必要。
身体能力が高く逃走技術に優れている。逮捕歴はあるが収容していたアサイラム地下墳墓刑務所は魔女による奪還攻撃により壊滅的な被害を受け、また本人も囚人を扇動して脱走を行なった。
逮捕するにも、殺害するにも魔女に非常に親しい関係な為に残された魔女の破壊活動に歯止めがかからなくなる恐れもあり、対応は慎重を求められる。また金銭、身柄の保証などでの説得は難しい……」
ヨグは口に出して読んだ後、ちらりと画面に映る怠そうにして寝転がっている八十五歳少年を見る。
「立派な犯罪者じゃん……っていうか? 魔女の騎士って何さ。あのクソみたいな天使の生まれ変わりのオート自爆転生人間にまともな人間がつくわけないし」
魔女の騎士の人格に対してヨグは幾つかの仮説を立てる。
エロ系の契約を受けている愛人。隙を伺い魔女を殺そうとしている刺客。魔女の魔力が目当てな魔法研究者。脅迫されて付き従う奴隷。破滅願望者。虚無主義者。破壊活動愛好家。センチメンタルな偽善者。実は魔女の本体。ただの幼馴染。壊滅的転生人生を歩む魔女に現れた王子。クソイケメンのたぐい。神様から特典を貰った転生者。
「さて、どれかな。どうせ碌でもないやつなのは決まってる。イモータルが魔女を始末している間に、暇潰しでもしてやろう。どうでも良かったら潰そ」
画面を見ながら頬杖をついて、画面に浮かぶ様々なセンサーの数値を藪睨みにした。
「運命の値が高い奴は嫌いなんだ。ムカつくから」
*****
照射される光檻の中心に居たイモータルの姿が掻き消えた。イリシアはそれを認識すると同時にエスワードを盾に足を踏ん張る。
一瞬の間隙も無く百メートルは離れたイリシアの眼前に転移してきたイモータルは、その手に持った精神毒の込められた刀型近接兵装[化血神刀]を横薙ぎに振るったのだ。
イリシアは刀の一撃を杖で受け止めつつ片手に持った術符を発動させた。
「[起風符]」
二人が鍔迫り合いをする間の距離に存在した空気が数億倍に膨れ上がり爆風となって距離をあける、自身は使用した魔法を制御して風を受け流すがイモータルは飛行兵装で体勢を整えようとしても、爆風の後更に巨大竜巻と変化させた風に動きを取られる。
イモータルは射撃を止めてコルタ・モルタハの翼と風火輪の機能を姿勢制御と飛行にリソースを使って空中で安定させる。
その相手にイリシアは再び周囲に散らばったレーザーを連射するが、イモータルは短距離転移を連続して躱し続ける。
光とは発射と着弾が同時になる為に避けることなど不可能。発射角を見極めようにも瓦礫が舞い狂う嵐の中からではできない筈だが──。
残光のようにイモータルが転移した後に小さな黄金色の光が残る。転移した先で腰の両側に付けた二門の、速度と収束率を変動可能なマルチプルビーム砲[金磚]で風を計算して姿勢制御しながら魔術文字を射撃、消滅させていく。
イリシアは相手を見る。イモータルの動きが予測の範疇を超えた正確さで、未来に来る位置を見極めて移動と攻撃を繰り返していた。
フラクタル集積回路による過剰演算能力を視野に発揮させ、搭載された魂に依る取捨選択もあらゆる可能性に合致させて短時間の未来予知を可能にしている機兵侍女の特殊アイセンサー[グレモリーの瞳]による察知能力であった。イモータルの瞳はシステムによって光放ち輝いている。
どうやら正確性の高い予知を行なっているようだとは分かったが、その目が何故かイリシアは気に入らなかった。
「こう云うのは大抵、予知してても避けられない攻撃で沈むものです───[精水符]」
術符を発動させる。するとイモータルとイリシアを巻き込んで、百万立方キロメートルの水塊が場を埋め尽くし水の塊の中に二人を閉じ込めた。
抵抗が多ければ敵のメイン火器は使えないし転移にも制限がかかる。一方でイリシアはドレスに刻まれた付与魔法で抵抗を無視して水中を動けるのである。
イモータルが予想していたとばかりにイリシアに目を向けつつ魚雷を左右の手に持って発射した。弾頭近くから空気の泡が大量に吹き出して水中でも音速に到達する超高速魚雷である。
「無駄を先に知るのはどういう気分でしょうか」
イリシアが次の術符に魔力を込めると二本の魚雷は彼女に到達する前に氷塊に閉ざされて軌道を変え、水に漂い動きを止めた。
己の創りだした水の中ならば自在に凍らせる場所を指定できる。イモータルは全身を凍らせられる前に己から熱を放った。
「対水武装[魃]──水分を分解致します」
日照り神の名を持つその武装は洗濯物を乾かすための機能だがその効果は空まで届き雨雲をも消し飛ばす。周辺の水分が蒸発して上方向へ水蒸気爆発を起こし水塊を割った。
冷静にイリシアは次の布石を放つ。
「未来が見えていても、見えなかったら意味が無いのです」
イモータルの周囲に展開させていた光剣符を発動させる。レーザー光線は水や水蒸気の充満した場所では拡散して効果が薄くなるが───。
大量の水蒸気に乱反射した光線はイモータルの周囲を視界ゼロな光源へと変えた。アイセンサーが灼きつく白に染まる。
「───センサー変更致します」
「遅い」
左右の割れた水の中から、ミサイルの燃料を推進力として飛び出してきた氷の大斧が迫ってきていた。転移をしようとする。しかし、
「見えなければ意味が無い、二度目です」
動かない。胸ぐらが掴まれている。不可視の腕がイモータルの体を固定していた。
遥か離れた位置からイリシアが手を握る動作をしていた。手袋に魔術文字が浮かんでいる。イモータルは無意識にそれを解析した。
「遠近無視に掴み空間固定する能力──と判断致しました」
「きゃっちみー・いふゆーきゃん」
イリシアの真顔のまま呟いたフレーズと共に───身を捩ったイモータルの両腕が斧で切り落とされた。
肩の袖から千切れ落ちて水に沈んでいくイモータルの腕。機械故に出血こそしないが、痛々しい欠損した体になった。
続けて彼女の周囲に無数の氷の斧がピタリと目標を捉えたまま制止し、頸、足、腰をそれぞれ掠めるようにレーザー光の刃が止まった。
「次は足を刎ねます」
イリシアの魔法は侍女の分厚いスカートを焦がしながら告げた。
「その次に首」
続けて言う。細く白いイモータルの首元にも前後から挟み込むように光の刃がかかっている。
脅迫するが如く言う。まったく違う宇宙へ転移させられたので、帰るには相手の協力を得なければ面倒なのだ。つまり、面倒を我慢すれば自力で戻れるのだが。
「残った胴体はブラックホールにでも捨てましょう。しからずんば魔王のところへ案内して貰います。あれ? しからずんばであってたっけ?」
「……」
「では足──」
イリシアがレーザー光の向きを変えてイモータルの足がスカートごと切り取られた瞬間、彼女の両脇を掴む腕があった。イモータルの切り取られた腕だ。
「[大雪山おろし]致します」
「──!?」
判断が追いつく以前にイリシアの体は、遠隔で操られた腕に急激な超回転をかけられて天地を幾度も入れ替え、腕の勢いで巨大な渦を作りつつ地面に頭から叩きつけられた。
瞬時の投技だが回転投げする為の腕力は凄まじい圧力でかかっていて流体の移動に海中竜巻が舞い起こり、常人ならば水圧で即死しただろう。
彼女の握っていた体勢が崩れると同時にイモータルの束縛も解除。全身を刃が切断する前に転移して安全圏へ離脱した。
イリシアを離した腕と、切り落とされた足を呼び寄せて、金属音を立てながら勢い良く自動でそれぞれの箇所に嵌められる。スカートは切り取られて短くなったが瞬時に修復した手足に問題はない。まだ渦の残るイリシアの方へ、背中から展開させたミサイルコンテナを開けて大量の爆雷を発射した。
「[ミサイルストーム]で追撃致します」
百万立方キロメートルの水を全て爆砕する強烈な爆発が水中で弾けた。
*****
休憩室に置かれているミートボールスパゲティとビールに目敏く気づいたクロウは早速それで一杯やっていた。
気分は一人ビアホール。
ミートスパも料理店で出るようなものではなく、甘辛い粘り気のあるハインツ社のケチャップと玉ねぎを絡めて、安い冷食のミートボールを混ぜたチープな味だがこれが良い。
この喫茶店で食うような味のスパゲティの方がビールには合う。
「思えば、己れが若い頃はイタリア料理と言えばこれかナポリタンぐらいのものだったなあ……日暮里で食うナポリタンは旨かったが」
二十も後半になればいろんな国籍の料理店が街に姿を現すようになったが、あまり行くことはなかった。悪いものばかり食っていたわけではないが。背中に刺青入ったおじさん達と野球試合の日にやった飲み会では、目が飛び出るような値段の肉を貰って家に持って帰って成長期の弟に食わせていた。
懐かしむ気持ちでビールを飲んでいると、急に部屋が暗くなった。
激しく部屋を揺らすような轟音と共に部屋の一角に光が灯り、壁が開いて行く。
そこから豪奢で瘴気を纏った巨大な魔人が座った椅子がせり出してくる。青肌で全身から棘や角が生え、目は紫色で瞳が赤く輝き、口からは黒煙を放っている。重厚なローブには[ブッチKill!!]と殺人示唆的な文様が明朝体で書かれていた。
怖気を伴った低音の唸りがその口から聞こえてきた。
『くふふ……人間よ、無礼た真似をしてくれたな……この魔王ヨグ様が直々に相手をしてくれよう───あっこら! ライトを当てるな! 立体映像が乱れる!』
クロウがキャリバーン改を光らせて向けると魔王像仮は薄れて消えて、また普通の女の声に戻る。
呆れたように頭を掻きながら言う。
「何がしたいのだ、お主は」
『こっちのセリフだよねっ!?』
「だからこの部屋に居候させてくれれば。あと勝手に改築させてくれれば」
『どんな図々しさだよっ───っといけないいけない、相手のペースに流されたら……ビールのおかわりを注ぐな!』
「……しまった。魔王よ、トイレはあるのかこの部屋」
『あ、うん。奥の方に。我ゲームとかのマップで生活圏なのにトイレ無いの凄い気になるタイプだから』
などと説明していたらクロウがトイレにのそのそと行って、ビールで催した小用をたして戻ってきた。トイレの中から「我が名はアルテマ……」とか聞こえてきたが、気にしないで出たようだ。
ヨグはイライラしながらスピーカーで怒鳴る。
『そこの! 座れ! 床のマットじゃない、椅子に!』
指示を出されて家主の言うことなので仕方なし、クロウは従う。
呼吸を整える音がして、やがて余裕たっぷりに声をかけた。
『それじゃあ、面接を始めようか。我が答えに満足がするようだったら君ごとき矮小な存在は、まあ何処となりと勝手に住むがいいよ』
「そうか。助かる」
クロウは頷いた。
なんともその表情が気負うとも、勝算があるとも、騙す虚勢とも見えずにただ疲れた風に見えてヨグは感情をゆっくり逆撫でられるような印象を覚える。
『魔女と言う存在に関してだ』
「イリシアか?」
『当代の魔女はその名前だね。元々魔女と言うのは、ペナルカンドで最高の能力と最低のやる気を持った怠惰神が創りだした天使の一種なんだ。世界を終焉に導くためのメッチャ迷惑な存在が縮退天使イリスさ。
かつて天使でありながら神並の力を持った彼女は、魔力と法則の神を殺神して世界に魔法の力をばら撒いた。神の秘跡としてしか使えなかった魔法を広めることで騒乱を起こそうとしたんだね。最大級の魔法使いならばこの星を軽く破壊できる力だ。地球破壊爆弾を抱えてるのは我だけじゃないってことさ。
その時に外の神や天使の軍勢に消滅されかけたイリスは魂を人間に転生させる術を仕込んだ。それから何度も生まれ変わり力を蓄え、天使の力を取り戻し更に凌駕する為の布石だったんだ。
まあ何はともあれ、生きてる限り生まれ変わり続ける限り、世界を滅ぼそうとする為だけに存在する邪悪な世界の敵───それが魔女。こんなことは誰でも知ってるから、誰も彼女を味方したりはしない』
だって、とヨグは言葉を切って芝居がかった口調で言う。
『みんなみんな生きているんだからね! 世界を無意味に滅ぼすような奴を誰が好きになるもんか! ああ、素晴らしい生命。生きていることはそれだけで幸せだ! 人の命は星より重い!』
「……」
『ま──星を無意味に壊したら怠惰神からリセット食らうんだけど。世界を滅ぼす為に生まれたのに、世界を滅ぼしたら親から消される。魔女も無意味な箱庭の人形だ』
あまりにペナルカンド世界が崩壊しそうになった際には他の神からの苦情に耐え切れずに怠惰神が復活させるのが習わしになっている。魔王はその事象改変能力をゲームのリセットボタンのようなものだと認識していた。使う度に、最終的な世界の寿命は削れていくのだが、それを狙っての活動かもしれないと魔王は思っていた。
『そこで魔女の騎士のザ・クロウよ』
「ザ・言うな」
『くふふ。魔王ヨグちゃんからの質問です! 君はなんでそんな性質最悪な魔女に従って、世界中で指名手配されながら何十年も定住もできず、他の友人とも会えず、今までの生活も何もかも取り戻せない暮らしをしてるんでしょーかー!』
「……」
クロウが考える素振りを見せるので、ヨグは更に言う。
『魔女に惚れたの?』
性欲だの情欲だのに囚われて茨の道を行くのか。
『魔女が可哀想だと思った?』
同情して無意味な人形を人だと慰める行為に自己満足を覚えているのか。
『あの子は只の人間だ、平穏を取り戻させてやりたい?』
ヒーロー気取りで二十年も無駄に過ごしたのか。
『家族は自分一人しか居ないから守ってやりたい?』
家族ごっこで孤独を埋めているのか。
『やれやれ、自分は平穏な日常を送りたいだけなのに?』
主体無く、巻き込まれた認識で流されるだけか。
『仕方ないからついていてやる?』
義務感から来るものか。
『退屈しなくて結構面白い?』
刹那的な衝動に身を任せているだけか。
『お前なんかに答えてやる事はない?』
否定するだけの質問に、肯定を返せないか。
ヨグの選択肢は続き、意地の悪い笑みを浮かべて考えているクロウを見た。
『──そんな魔女に無理やりついてやる必要は無いんじゃないかなあ?』
そして、選択を誘導する。陳腐に。ありきたりなものに。
『よし、じゃあこうしよう。今現在、魔女はイモータルと戦闘中だけど……君、魔女を見捨てなさい』
鼻で笑うように言う。
『どうせ生きてても人の迷惑にしかならない女だろ? 何をする必要もない。魔女死んでくれないかな、もう関わりたくないなあって思っていてくれるだけでいいよ。そうすれば君の体に込められた不老の呪いも解いて、死ぬまでここに住ませてあげよう! 破格の条件だね!』
陰湿な笑みを浮かべてヨグは声だけをクロウに伝える。
かなり錆びついてはいるが、彼は運命の流れを変える魂の担い手だ。彼が負けろと願えば本当に負ける可能性も大きく上がるだろう。
だが、それは選択しない筈だ。
(どうせ魔女は見捨てないだのなんだのとクッサイセリフを吐いてくれるんだろうよ、主人公クンは)
唾棄すべきはそんな存在だ。そうなればあっさり始末して、死体を宇宙に送り魔女を煽る方が楽しいかもしれない。
ザンボットみたいに人間爆弾にしてみようか。
死ぬまでといったから一瞬で心臓麻痺させて「はい死んだー!」と笑ってやろうか。
二度と死ねぬ肉塊に変化させてダンジョンの魔物として飼ってやろうか。
散々言葉責めして罵り馬鹿にした後で戦闘力を奪ってこの指名手配者をそこらの街に放逐してやろうか。
彼女は予想通りのテンプレ野郎が───心底嫌いだったのだ。
ヨグはそんなことを考えていると、クロウが声を出した。
「ああ、魔女と居る理由だったな。もう答えていいか?」
『うん?』
「どういうわけで交わしたかは互いに知らぬのだが、変な約束をした覚えがあってなあ」
『魔法の契約で従ってるってこと?』
「いや」
クロウは首を振って懐かしそうに言う。
「どっちかが先に死ぬ時に、側で臨終を看取ってやること。死ぬ時は笑って死ぬこと。……自然にそんな約束ができてな。まあ、死なないまま二十年も経過したものの、なんでか約束は果たしたくて共に居る。それなりに疲れてきたから暫くは休みたいなあと思ってここに来たのだ」
いつそんな事を言い合ったのかもよく覚えてないのに、内容だけはずっと覚えていた。
恐らくクロウは自分が先に死ぬとは思うのだが、その時は笑って悪くない人生だったと伝えてやろうと思っている。内容で見れば犯罪者になってどん底ではあるが、娘より先に死ぬのならばそう悲嘆する事も無い。
死ぬ時に誰か居てくれればそれで怖くはない気がしたのだ。
『……はあ?』
スピーカから魔王の、酷く不機嫌そうな声が聞こえた。
「それに責任の所在を言われても己れには取り様も無いから責められても困るが……む? どうした?」
何やらぶつぶつと呟いている。
ヨグはモニター室で忌々しそうにコーラの氷を噛み砕きながら、すっかり老けこんでいる雰囲気の少年を見て頭に上った血を冷やそうとした。
(腹が立つ。なんでもできて、どこにでも行ける魂を持ってる筈なのにこのショタジジイはすっかり魂の方向性を死ぬことに向けている! 冒険してイベント起きて活躍して英雄になって人生を満喫できる権利を放り出して、もう舞台から降りた気分でいやがっている!)
その胸をぶち抜いて魂を取り出し天ぷらにして食ってやろうかとさえ思うが、ヨグは虹色の髪の毛を掻きむしって胸が押さえつけられるような苦しい吐息を吐き、終わりかけの相手を睨んだ。
自身が持つ運命の流れが非常に強い存在は殺しても死なない。いや、殺そうとした行動を起こした時に邪魔が入ったり死んでも蘇生できる環境が偶然整ったりする法則がある。だが、目の前の彼はすぐにでも殺せるだろう。何せ本人がある程度望んでいるからだ。
だから、
(つまんない。巫山戯るな。つまんないまま絶対殺してなんてやるものか)
運命に逆らうように、そんな事を思った。そしてマイクに向かって喋る。
『どっちにしても、魔女はイモータルに殺されてしまうよ。君の約束は叶わない』
「いや、それはまったく心配しておらぬのだ」
単純に、自慢の孫を誉めるような笑顔でクロウは言う。
「イリシアは強いからな」
『イモータルだって強いさ。何なら賭けるかい?』
「じゃあイリシアが勝ったら二人揃って厄介になるぞ」
『イモータルが勝ったらそうだね、君の魂を貰おうか。天ぷらにして食ってやる』
「水木しげるの漫画に出てくる妖怪か、お主は」
『なんだ、意外と趣味が合うね』
*****
「天体破砕術式[フォールオブヒュペリオン]」
エスワードに込められた口語魔法にて魔女術と呼ばれる禁術指定の大規模破壊魔法が発動する。
宇宙空間にあるスペースデブリを魔力で癒着させて塊にし、土系術式で組成を変えて固めた隕石を対象に落とす魔法である。惑星ペナルカンドでは上空の大気圏とエーテル流体層により隕石の崩壊が起こり想定よりも小規模隕石になるが、この大気の薄い小惑星上では違う。
直径数キロメートル程の巨大隕石が数個、上空から真っ赤に赤熱しつつ落下してくる。転移で回避しても継続的に発生する衝撃波は回避不能になる。
対するイモータルは両手を広げると、手旗信号に使うような小さな旗を二つ広げて上下に合図を送った。
「[盤古旛]にて迎撃致します」
擬似召喚術。異界の道具を組み合わせて作られたその旗によって生み出されるのは世界創造の巨人[盤古]だ。
大地の魔力を吸い上げて現出した大巨人が隕石を受け止めると同時にその眼球を光らせた。盤古の目は宇宙を作り上げた時に太陽になったと言われ、召喚した擬似生命体のそれも恒星に等しい熱量を持つ。
巨人は言葉にならない叫びを上げた。創世から死を約束された存在は熱量を残して断末魔の悲鳴を上げて生み出された意味を発揮する。
質量ある超高温が隕石を舐めとかし蒸発させた。隕石を受け止めた巨人も腐るように死に空間に解けて消え往く。周辺の温度が一時的に三千度近くまで上昇するが魔女と侍女は互いに気にもしない。
「埒があきませんね」
「肯定致します」
無表情のまま小さく頷く両者である。
互いに射撃兵装と遠距離魔法、近接兵装に身体強化と近距離魔法、空間爆砕などの広域破壊攻撃を応酬しあったが互いに致命傷は与えるに至っていない。
未来予知の瞳と光速の876倍で転移可能なイモータルは滅多に攻撃にあたるものではなく、傷も自己修復していく。イリシアの魔法障壁は単純火力では抜けずに破壊しない限り効果を発揮し続ける魔術文字が周囲の空間に刻まれあらゆる攻撃に対応可能だ。
星を滅ぼす程度の威力では互いに効果はない。
「搦手で行きましょうか」
イリシアがそう呟いたと同時──いや、呟く前に、イモータルの腹部に拳ほどの穴が開いた。
光輝かせた未来予知の目を向けながら、イモータルは攻撃を把握できなかったことに疑問を感じる。
するとそれから、イリシアが取り出した術符が目の前で消失する。
「[跳躍符]──少しの時間を過去に遡り攻撃する、過去改変術式です。狙いが甘いのが難点」
「……何か変えたい過去でもお在りで致しましたか?」
「さあ。過去は過去ですので」
イモータルは[グレモリーの瞳]を逆行使用。悪魔を閉じ込めた瞳にて未来ではなく改変された過去を把握させる。二秒後に使った跳躍符の攻撃が二箇所直撃する過去を認識。
亜空武装庫から自動自在に空を飛び相手の首を刎ねる[呉鉤剣]を四本射出し、更に音波兵器で酷い頭痛を与える[頭痛磬]と精神ダメージを与える[落魂鐘]を両肩の上に出したコンポスピーカーで大音響に鳴らした。同じくしてイモータルの胸と肩に穴が空く。
声が届くと言うことは音が聞こえると言うことだ。音波兵器を把握したイリシアが一瞬の頭痛に顔を顰めながら対応の術を発動させる代わりに、跳躍符の使用を行わなかった。過去改変の矛盾が発生してイモータルに空いた穴が何もなかったように塞がる。
剣を障壁で受け止めつつイリシアは再度使用を検討するが既にイモータルは移動している。
真上だ。
「搦手を使うのは賛成致します」
──と、イリシアは気づいた。障壁に阻まれる剣は二本。イモータルが放ったのは四本あった筈だ。意識を向けると剣が刃を地面に擦りながら周囲を走り文字を刻んでいた。
それはイリシアを中心にした陣だ。
「──次元封印兵装[山河社稷図]展開致します」
「これは」
呟きと同時に、イリシアの主観世界が変化した。周囲には岩山と樹木、湖が広がり鳥や虫が飛んでいる。暖かな風が吹いていて草花の匂いがした。つい先程まで、宇宙に限りなく近い青の惑星に居たのに。
歩く。足元は土と草を踏む感触。湖のほとりだ。しゃがみ込むと水はあるが顔は映らず、ぐるぐると周囲の景色を溶かしたように蠢いていた。
顔をあげるとまたどこか景色が変わっている気がするが、違和感を覚える事ができない。
「幻覚……? 或いは結界に閉じ込められましたか。無理やり出ましょう───破壊術式[バトルスター・ギャラクティカ]」
魔力の爆発──。
属性を使用した場合吸収される可能性を考慮して、単純な魔力を開放する破壊魔法を使用する。普通の術者ならば小規模の爆発だが、魔女が使用するとまさに星を粉々に消し飛ばす威力を持つ。
周辺の岩や木が幻覚上だが薄い飴細工のように砕け、解けて消え───そして、また出現した。
爆発の猛威は周囲を一瞬消しただけで、空間に罅も入れられていない。
******
イモータルは地面に落ちている掛け軸を見下ろす。
そこには山河の絵が描かれていて、絵の中心に小さく魔女の姿もある。
魔女が杖を振るい大きな破壊の形に絵が動いたが、ぐにゃりと歪んで再び絵は元の姿を取り戻した。
「大好きな絵の中に、閉じ込められた──と言っても伝わりませんが解説致します」
どこか歌うような、かつ平坦な声音でイモータルはそう呟く。
陣に嵌めた相手を二次元に封印して絵の一部に変化させる特殊兵装が[山河社稷図]である。
この中ではどれだけ強力な力を振るっても、上位次元には届かない。銀河系を消し飛ばす爆発を起こしたところで、銀河系を消し飛ばす絵が描かれたという事実しか発生せずに外の世界には影響を及ぼさない。
「それこそ次元干渉能力のある魔王様なら別と致しますが……」
さて。捕まえた魔女をどうするかとイモータルは考える。例えばこの掛け軸を焼き捨てればそのまま相手は現世とのつながりを失い消滅するのだが。
しかし魔王もこう云うのは面白がりそうだから一応持って帰るか、とそれを持ち上げた時である。
再び絵が変化した。
今度は魔法を使って地形が変わったのではない。
文字が。
絵に、書き文字が浮き出ていた。
『なるほど』
『二次元空間に幽閉したのですね』
『しかしまあ』
『極光文字の魔女に文字が許される場所へ閉じ込めるなど』
イモータルが掛け軸を投げ捨てて火炎放射器を構える。が、発射前に更に描かれた文字を彼女は認識した。
『遅い』
『付与魔法式魔女術[世界暗号]』
掛け軸──[山河社稷図]が真っ黒に染まり、その掛け軸から世界に逆流するように漆黒の墨が凄まじい勢いで溢れだした。
その侵食してきた黒い物体は文字だ。魔女が己の世界に溢れさせた文字を三次元世界に噴出させている。
ドーム状に広がりあっと云う間にイモータルを囲い尽くす。手にした火炎放射器のトリガーを引くが、
「──!」
魔術文字に染まった掛け軸は火炎を弾き無効化する。
続けて銃口を絞り高圧の熱線にして発射しようとしたが手に持った火炎放射器が消滅していた。背中にあった機関銃の翼も消えている。完全に覆い尽くされると光が失われ、イモータルは各種センサーで確認しようとしたが体さえ認識できなかった。計器が示す座標データすら入れ替わる。
危険と判断して搭載された転移装置[無限光路]を使って外側に転移しようとしたが───発動すらしなかった。
『全ては文字で構成された世界になる』
と、文字がイモータルに見えた。
何処に書かれているかさえわからないが、確かに存在する。
『文字にならないものはやがて消え意味を失う』
どういうこと、と声を出そうとしたが言葉が出なかった。或いは出たのに耳が聞こえなかったか。
手を動かそうとした。手が既に無かった。
足を動かそうとした。半ばから消えかかっていた。
体表のセンサーが動きを止めている。動力回路は全滅。イモータルは己の何処が残っているのかさえ把握できない。
この空間では体の情報を文字化できなければ存在を周囲の消失文字に書き換えられて消えてしまうのである。
(プリンターぐらい付けておくべきでしたかと後悔致します)
思考しているのは何処だろうか。イモータルは己の全機能──この考えが停止する前に何とか情報を保存し残さなくてはならない。
体の修復は幾らでも可能だがメインチップと、擬似魂魄が消失したならば完全には元に戻らなくなる。
行う。文字の侵食は二次元──すなわち体表面から派生する。胴体部にあるスパゲッティ・モンスターコードに微量な電磁炸薬を生成。それにて配線の位置を変更し解析した魔術文字を模倣。その周辺のシステムが復旧した。
続けてメインチップをコピーして胸の奥にある無限光路に搭載。再び侵食が始まる。
無限光路の動力は物質化した光のエネルギーだ。それによって造られる影と色は二次元になる。
イモータルは最後の力でそれにプログラミングを施すと残されたキューブ状のエピタフに光の文様が浮かび上がった。
解析した魔術文字で刻まれた、そのパーツを存在させ続ける為の文字だ。不死の存在を確立させる意味を込めた、己を現す文字を刻んだ。
(よかった……消えないで、と……安堵……致し……────)
イモータルはもはや思考プログラムさえ動かすことをも不可能になり───その一つの部品を残して文字の闇に消えていった。
「それじゃあ困るんだよねっ!」
声が響く。
*******
二次元の空間に立体が現れた。
文字情報しか存在しない場に、髪と瞳を虹色に輝かせた女がプールに飛び込んだかのように気軽に出現し、イモータルの核となっている無限光路を掴みとる。
「[二次元入り込み靴]を履いてる限り我に干渉はできないよ。外に出ておいで」
魔王はそう言って見せびらかすように足に履いたスニーカーを見せびらかし、空間を蹴るようにして上方へ向かい文字の渦から抜けだした。
場所はいつの間にか魔王城の一室──魔王の豪奢な椅子がある、薄暗い巨大な広間に移動していた。魔王城の最奥で謁見などを行いそうな場所だが、不便なので殆ど利用しない。
文字の渦は大きめの真っ黒な本の形をしていた。イモータルのピンチを知った彼女が呼び寄せたのである。ヨグはそこから湧き出るように飛び出して、手のひらに収まる程度のエピタフを見て云う。
「ああ、イモータル。こんなになってしまうとは何事か。よいしょ、[時空風呂敷]~!」
無造作に空間から召喚して取り出した、時計の模様が描かれた布切れで無限光路を包むと───即座にそこからイモータルの体が再生して傷ひとつ、服のほつれさえも消えた完全な体で復旧していた。
ヨグの道具で対象の周辺時間を逆行させて身体自体を戻したのである。
イモータルは静かに降り立って、手を前に揃えて一礼をした。
「魔王様、ご迷惑をお掛け致しました」
「よしよし、記憶も平気そうだね」
謝るイモータルとは逆に、機嫌良さそうにヨグは云う。
機械人形であるイモータルが完全に物質でしか無いのならばメインチップごと時間逆行させたのならば記憶や記録も戻るのだが、魂の時間は変化しない。
それこそ自身が作り上げたものに真に魂が宿っている証拠であるのだ。
そして。
二次元の組み重ねで作られた文字の集積物質である、黒本が蠢き、立体を形作る。
それは円筒状に組み合わされ、ゆっくりと他に見ない青方偏移した髪色の頭が現れて全身を這いまわる文字が下に落ちていくと、その場には魔術文字礼装と魔女杖エスワード、帽子を手にしたイリシアが立っていた。
「魔王のお出ましですか」
「そ。我を無駄に殺そうとかしなくていいよ無駄だから」
ヨグは手をひらひらと振りながら牽制する。次元干渉、空間移動に関してはこの世界で彼女以上の存在は神にも存在しない為に、いかなる火力をぶつけようが宇宙の果てまで逃げて行けるのである。
時間跳躍術で攻撃したらどうなるのだろうかと少し思ったが、ヨグは手を向けて、
「ああ、その五番目の策も十二番目の策も無意味だから。それ以外は論外って自覚してるだろ?」
と、見透かした事を言っていたので止めた。
実際の所魔王のこの発言は単にそれらしいことを言ってみたかっただけというブラフなのだが、過去改変攻撃を放たれたとしても無効化する道具は使用している。[障壁ポイント]と云う、ポケットに入れてるだけで作用してくれる絶対防御の不可視バリアを使っているので数秒遡っても意味が無いのである。
ともあれ、ヨグは莫迦にしたような笑い顔で告げる。
「我の干渉で救いだしたけど、見事にイモータルを倒したね。大したものだ。実は君の連れと賭けをしていてね。ちょぉぉぉっとこっちでも思うところがあるから君たち二人の居住を許そうと思うんだけど」
「……わたしの勝ちで得た権益を勝手に使わないで欲しかったんですが、クロウ」
「ん? 君は別の事を望むの? いや話を聞くだけなら聞くよ? イモータル倒した分は生憎先約で帳消しだから対価を貰うけど」
ヨグが軽い調子で云う。
が、このように彼女が誰かの頼みを聞くと云う場合は陰湿な要求が行われる。おまけにやる保証が無い。彼女のみではなく、召喚士と云う人種相手に頼み事をするのは莫迦のやることだとことわざに言われる程であった。召喚士一族はそれだけ自分優先で生きている。
イリシアは何を代償に支払えと云うか様々に嫌な想像をしながら、告げる。
「クロウとの約束を果たす為に。異界物召喚士である貴方の協力が必要です」
「約束ぅ? 確か死ぬ時は近くにいようねみたいな、心中気分のあれじゃなかった?」
「いえ」
否定の言葉を云う。それよりももっと早く──まだイリシアが魔女でなかった頃にした約束を、彼女は守る事を考えてクロウを連れ回していた。
彼の平穏だけを望むのならば別れることはいつでもできた。しかし、手放せば二度と出会えなくなる気がして一緒だったのだ。
云う。
「クロウを元の世界に戻してあげたいのです。元の、日本と云う国に。彼の生まれ故郷に。魔女の仲間だと言われぬ場所へ」
「…………」
無邪気に魔法を習いたての頃、クロウと云う老人の話を好んで聞いて言った言葉だった。
いつか自分が帰してあげると言ったら、彼は大きく笑って「お主は立派な魔法使いになるよ、ありがとう」と言って楽しみにしてくれていた。きっと冗談めかして褒めてくれただけで覚えても居ないだろうが、その時に言ったことは自分は忘れたことはない。
ヨグは虹色に渦巻いた目を開閉させて、邪悪に口を笑みの形に開けた。
「なるほど。ガイア世界の住人を戻したいんだね? ははあ、それなら今のところ我を頼る以外に方法はない。すぐにできるわけじゃないけど、暫く研究すれば生体を世界間移動する術式も作り出せるだろう」
「……」
「いいよ、やってあげる。魔女、君が対価を支払えばね」
「……なんでしょう」
ヨグは喉の奥から笑いが漏れる気がした。彼女はどうこの対価を受けるだろうか。
渋りながら?
断る?
葛藤する?
どう云うわけか、今代の魔女には共にある異世界人が付き従い、その魔女も破壊よりも彼を想っているようだ。
だが魔女の記憶と魂は代々脈々と蓄積されたもので、一人のものではない。
ならば誰かを想うイリシアの考えで、どこまで魔女を捨てられるか。普通に考えれば魔女は誰かの為に請わない。誰かは魔女の為に頼み事をしたりはしない。
──だがこれを彼の方へ追加で要求したら、「なんだそれだけでいいのか」と深々とやられて非常に腹立たしかったものだ。
プライドの塊である魔女が屈辱に顔を歪める姿を見れば溜飲が下がる。偽物の関係を見れば安心が生まれる。
それを見たいと思って───確認するな、と叫ぶどこかの自分の声を握りつぶし──ヨグは親指を下に向けて対価を言った。
「土下座しろ。助けてくださいお願いしますって云え」
イリシアは────────。
******
「くふふふははははっ、ひゃはっはははは!! おンもしろい! もう最高っ! あの魔女がゲザったとか! あははははははは! 馬ァァァァッ鹿みたい! クソッタレの邪悪魔女なのに! いつでも全人類を殺せる世界の敵なのに! 嫌われ者の憎まれ者のはずなのに! まるで人間みたいに、まるで、あ、くふふははは…………ははは……」
魔王の哄笑は、魔女の要求を受け入れた後自室で一人叫ばれた。
「───絶対……化けの皮を剥がしてやるんだから……くそ……」
ヨグは笑ったはずが、どうしようもなく気分が落ち込み、そして───。
******
クロウとイリシアが魔王城に住み込むようになって三日目。
日がな一日中、漫画を読んだりビデオを見たりしながら茶と菓子を食べる平穏な生活が訪れていた。
当初は不貞腐れていたイリシアも平常を取り戻し、好きなお菓子を頬張る毎日だ。彼女と争っていたイモータルも茶と菓子の需要が増えたのでどことなく嬉しそうに用意をしている。
「嬉しそうとか判るんですか? 無表情メイドで」
イリシアから聞かれてクロウは首を傾げながら、
「なんとなく判るぞ」
と、クロウも応える。まるで昔に無表情な女と長く付き合っていたような理解ぶりだが、それを思い出すことはない。
イリシアがジト目のままクロウを見つつ、
「ところで」
「うむ?」
「なんでヨグはクロウの膝の上でハンバーガーを食べているのですか」
指摘した。
三日間。
それだけの間だが、交流したらなんかヨグも馴染んだ。遠慮無くクロウの膝の上に乗ったり寝ていたら枕にしてきたりする。
呼び方も[君]から[くーちゃん]に変わる程だ。これはコミュ障の魔王からすれば相当な変化である。まあただ、人付き合いがない故にチョロかったのだが。
「まったくだ。重いから退け、ヨグ」
「重くない! このメンツでは一番軽いと自覚してるね!」
「一番チビなのだろう」
「子供には困りますね」
「うーがー! くーちゃんもそんな変わらない癖に!」
横にどかした魔王が両手を振り上げ抗議してくる。
クロウはテーブルに頬杖をつきながらちらりと見て笑い気味のため息をついた。
魔王とは数百年の月日を生きていて、生体災害で世界を何度も滅ぼし討伐に来た勇者を尽く殺して君臨している世界最強のラスボスと言われる存在である。
その実のところ、能力はともあれ性格はやたら長い間に孤独と偏屈とゲーム脳を拗らせた子供とそう変わらない存在である。それがこの星を粉々にできる兵器を幾らでも使えるのが脅威なのかもしれないが。
ともあれ、生活を脅かすものではないので……
「まあ、いいか」
クロウは新たな環境でもそう言って、イモータルが無言で注いでくれた茶を飲むのであった。
それから十年。魔王城で平穏な生活を続けて──誰かと誰かが後悔をして別れて、新たな物語の始まりとなる。




