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【RE江戸書籍化】異世界から帰ったら江戸なのである【1~4巻発売中】  作者: 左高例
第四章『別れる道や、続く夏からの章』
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73話『助屋九郎の探偵処:人探し、形探しの話』

 

 媚びない表情がやけに目を引いた──。


 赤介と云う少年がその[少女]を目にしたのは、道を通りかかって偶然のことであった。特に彼はその少女を見かけた店には縁がなく、特にこの道をいつも通っているわけではない。今年で十二になる、寺子屋からはある程度の読み書きを憶えて出た程度の経歴を持つ何処にでも居る町人の少年であった。

 家族は苗売りをしている父親と母親、それに妹が居るだけの長屋住まいで、自分も苗の手入れなどを手伝っている。困窮しているわけではないが、着たきり雀の同じ格好を家族全員でしているような家庭が、日本橋にある呉服屋に用事を持つ筈もない。

 その日はまだ寒気の残る三月の事だ。赤介は芋を買いに行ったのである。安くて、甘くて、腹にたまる。江戸でも大人気となっている芋を売るのは同じく日本橋にある薩州の店が有名だ。焼き芋も甘くて旨いが、生の芋を切って少量の塩と一緒に米を炊いた芋飯はどしりと腹に溜まって満足感がある。

 ともあれ家で使う分の芋の他に、自分で食えるだけの残りはあるだろうかと心配しながら普段は目にも止めない店の前を通った。

 その時風がふわりと吹いて、店の表を覆っていた大きな暖簾を揺らした。

 はためく暖簾の中に彼女は居た。白い肌に冷たい目をした、小さな顔の女だった。

 最初は目を疑って、お姫様が店に居るのかと思った。鮮やかに染められた振り袖を重ね着している、背丈も低い彼女はちょこんと店の中の座敷に立っていたのだ。

 

(いや、お姫様がこんな町中に居るわけはない)

 

 赤介は知識はなかったが、そんな気がしたので考えを否定した。十二の子供にしてみればお姫様なんてものは、城の奥底の想像もできないような場所で一生を過ごすものだと思っている。

 数秒。見えているそれだけの時間がこれほどに長く感じることはなかったが、普段の視力の何倍もよく見える程に彼女を注視した。

 媚びない、冷たい表情の女だった。だが無感情には見えない。妙な柔らかな息遣いさえ、離れた赤介には感じられた。

 それから半刻あまりも、店の近くにさり気なく立ち続けてまた暖簾が揺れて少女が見えないかと待ち続けた。店に入ろうとは思えなかった。薄汚い格好の子供が一人、高級な呉服屋に入るのは非常に気後れする問題であった。

 やがて三月の日暮れは早く、日が上に見当たらなくなった事に気づいて芋を買って帰らねばいけない役目を思い出し、心残りを持ちながら去ろうとした時──また風が吹いた。


(居た……)


 また、店の奥に同じように佇んでいる少女の姿が見えた。視線をこちらに合わせているわけでもない。いや、店の者誰とも合わせていないだろう。そんな孤高な、高嶺に咲く石楠花のように感じた。美しいが毒を持ち媚びずに赤く咲いていた。

 口の中がカラカラになった。すぐに少女は見えなくなったが、確かにあの店には居たのだ。頭にしっかりと記憶するように、何度も何度も思い出しながらまるで酔っ払ったかの如き足取りで、芋を買ってふらふらと家に戻った。花と芋の落差を手の中で感じて、夕飯の味も判らなかった。代わりに水をしこたまに飲んで、腹を壊して寝込んだ。

 それから赤介は何度も日本橋に通い、店の近くで息を潜めて暖簾が舞い上がるのを待っていた。風の強い日は特に期待していた。


「あっ……」


 と、声を出して何度か見える事があった。ほんの一瞬だが、やはり彼女は着飾った姿で店に居た。

 どういう娘なのだろうか。呉服屋の店員か。いや、あのような花が働いているとは思えない。常連の客でいつも綺麗な服を買い求めているのか。するとやはりどこかのお姫様だろうか。

 見えない時はそのような想像をして、家に帰っても一晩眠れぬ時もあった。

 やがて桜の季節になった頃だっただろうか。赤介には時々しか見える機会が無かったので正確な時期はわからない。だが、ある日からその少女を見なくなったのである。

 通わなくなったのか、或いは店から居なくなったのか。 

 未練がましく足を運び、ちらちらと眺めている小僧の事を周りも訝しんだがその視線も気にならなかった。店に入って問うて見ようか。そんなことも考えたが、相手がやんごとなき人ならば恐らく怪しい探りを入れた自分の運命は、まあ死か遠島かだろう。それは嫌だった。

 五月になっても、七月になっても──少女は姿を見せなくなった。

 もう居なくなったのだろうか。居なくなったにしても何処に行ったのだろうか。いつまでたってもそれが気になり気が狂いそうであった。

 とうとう彼は頭を手ぬぐいで隠し、着物に母親から借りてきた前掛けをつけてどこかの店の丁稚のような格好をして店の入口に入って周囲を見回したのだが──やはり居ない。

 店員に声を掛けられる前に踵を返して走って逃げたが、一つ確信があった。


「この気持ちは間違いなく恋だ」


 赤介はそれを断定したが、実らぬままに霧消しそうで酷く落胆していたのだが──ある噂を耳にした。

 江戸の街に静かに囁かれる、都市伝説のような噂。

 よくよく入れ替わる三大七不思議がある。その中には奇人変人を語る七不思議もあった。

 武士町人だけで百万。無宿人を含めればもっと居る江戸では一町に一人は奇人が居るほどであった為に、語る者によって七不思議の内容は変化するのである。

 曰く、いつも喪服に眼鏡の絵師に姿を描かれると魂を抜かれる。

 曰く、首斬り浅右衛門に路地裏で出会うと内臓を切り売られる。

 曰く、忍びの集団が江戸で密会を開いている。

 その中の一つ──曰く、とある蕎麦屋には悩み事を解決してくれる助屋が居る。

 そんな噂も、あった。




 *****



「いやまったくそんな屋号を名乗った覚えもないのだが」


 九郎はいつも通り、緑のむじな亭の座敷で頬杖をつきながら、目の前の野菜籠を脇にどけた。

 どこから噂を聞いたか、巣鴨の大きな農家の者がわざわざ九郎を訪ねて相談事をして来たのであった。なんでも、鼠が増えて作物に被害が出ているという悩みだったのだが、九郎が知り合いの豆腐屋に頼んで狐を向かわせて縄張りを作らせることで鼠を追い払ったのである。

 便利屋ではないので助屋の解決方法は助言か、知り合いに丸投げする事が多い。それでも大体の相手は報酬を九郎にも持ってくるのである。現金であったり、物品であったりと別段要求はしていないので様々だが。

 

「兄さんは暇だから人助けしてるぐらいが丁度いいのでは?」

「暇は良いものだぞ」


 野菜籠を取って厨房に持っていくタマに九郎はそっぽ向いたまま云う。

 とは言っても、ここ数十年なかなかに平穏無事に過ごしていたとは言いがたい生き方であった為に、少々虚しくなる希望ではあった。

 特に忙しかったのがイリシアと全国指名手配行脚の旅を行なっていた二十年間だ。生まれたばかりの子供が大人になるまでの長い期間を犯罪者の片棒であり続けたのはあまり深く気にしたくない過去である。


「と云うか、どこから広まるのやら。タマや、何か知らぬか?」

「さ、さあー? 知らないタマー?」

「……」


 ジト目で茶のおかわりを持ってきたタマを睨むが、目線を合わせようとしない。

 問い詰めてやろうと思ったが、九郎の座っている座敷の前に誰かが立ち止まった。

 少年だ。タマよりも少し年下に見える、町人髷をした普通の子供であった。


「助屋の九郎っていうのは、お兄さんですか」

「……否定はせぬが、お主、どこでそれを聞いた?」

「これが表にあったのでして」


 そう言って彼が机に載せたのは、『助屋九郎、お悩み受け付け』と書かれて狸の絵が添えられていた。

 見覚えがある、お房の字と絵であった。


「タマ。フサ子は?」

「石燕先生のところに勉強に……」

「おのれ。何故にあやつはこう、爺を働かせようとするのだ」

「兄さんが連日店で不健康に昼酒を飲んでくだを巻いてたら見栄えが悪いからじゃないかと」

「……」


 こう云う時は日がな一日船を漕いでいても特に何も言われない、九十五とまでは言わないが六十五ぐらいの老体が懐かしくなる。関節は痛み腰にボルトが残り痛風気味だったことを考慮すれば今の方が良くはあるのだが。

 ともあれ、一段と小さな相談者にため息をついて座敷に座るように促した。


「それで何の要件だ?」

「実は、調べて欲しい人が居て」


 と、少年──赤介は事情を説明しだした。

 日本橋にある大店の呉服屋に居た少女に恋をした。だが、彼女はこの四月あまりも姿を見せずに居なくなってしまったようである。その子の素性を調べて、できれば会って話がしてみたい。

 九郎の隣でそれとなく聞いていたタマは、しきりに頷いて、


「うん、うん。今こそ、このお小遣いで買ってきた助平になるお香の出番」

「炎熱符」

「ほあっつ!? 消し炭になったタマー!?」


 要らぬ道具を出したタマのそれを、一瞬の火力で燃やし尽くした。


「お、お礼は……お金を持ってなくて、うちで余った苗を育てた、茄子と糸瓜を持ってきました」

「ううむ、子供ながらこう、真剣だな。となれば無碍に扱うわけにもいかぬが」


 九郎は差し出された、一本ずつの野菜を見て腕を組み唸った。そもそも別に相場があるわけではないし成功した時に礼を受け取っているのだが、こうして最初に渡されるとどうも断るには悪い気がする。

 子供の甘酸っぱい依頼だ。九郎は痒くなるような気分であった。なお、利悟が「どこそこの子供と仲良くなりたい」と言ってきた時は電撃で追い払ったのだったが。

 

「ところで店の名はなんと言ったか?」


 九郎の問に、赤介は指で字をなぞるように動かしながら云う。漢字の店名だったが、植物の漢字は寺子屋ではなく父親に教わっている。苗屋として使うも使わないも含めて、知っていて損は無いと言われたからだ。


「[あいや]……だったっけ。あの、青く染める草の」

「ああ、それは[藍屋らんや]と読むのだ。む、藍屋か」


 知り合いの店の事を言っているのだと気付きはっとした時であった。

 

「ういーっす九郎。お八ちゃん様が遊びに来たぜー」


 と、店の入口から陽気な声を出したお八がやってきた。格好はいつも通り茜色の着物を着ているが、日差し避けに頭に手ぬぐいを巻いているそれが晃之介の弟子らしさを出している。

 手で薄く平たい胸元を仰ぎながら、この店特有の薄い冷気を浴びようとしていた彼女を後ろからタマが捕まえて赤介の前に出した。


「ひょっとしてこの子じゃないかな!」

「ちっとも違うんですが」

「だよね。話を聞く限りじゃいかにもお八ちゃんと真逆な大人しそうなふぐっ、涼しい雰囲気のぐふっ、美少女ごふぁっ」

「な・ん・で来て早々無駄に煽らなけりゃならねえんだおい!」


 後ろから抑えたままの無礼者に肘打ちなどを食らわせるお八である。

 九郎も実は着飾ったお八を見たのかもしれないと少しだけ思っていたので、口に出さなくてよかったと捻り潰されかけている弟分を見ながら安堵の息を吐いた。 

 改めて、お八が九郎の隣に座って事情を掻い摘んで聞くと、首を傾げた。


「んー? そんな娘居たっけか。まあ、あたしは店にあんまり顔出さねえから詳しくは知らねえけど」

「そうかえ。なら店に行って話を聞いてくるか。ええと、後でどうだったか教えてやるからお主の家はどこだ?」

「牛込の長屋で、苗屋の長五郎の家です」

「わかった」


 九郎が頷くが、お八が赤介を指差して云う。


「んで、お前はその相手を知ってどうすんだ?」

「恋を伝えます」

「相手が誰でも? まー知んねえけどいいとこのお嬢様で全然身分違いだったりしてもか」

「それでも、です」

「ははあ……そうこなくっちゃな」


 にっとお八は笑って腕を組みながら感じ入ったように頷く。


「惚れた腫れたにお互いの立場なんて関係ねえわな。伝えるのが大事なんだからよ。……なあ九郎!?」

「金持ちでちょろいと良いな、相手」

「判断基準が最悪すぎるぜ!?」

「そうか?」

 

 九郎は首を傾げる。他人と関係をもつというのならば相手か自分が経済的余裕があると人付き合いも楽になる。貧乏人と貧乏人がつるんでも進む先は犯罪コンビにしかならない。そして、恋人にせよ友人にせよ小賢しくない方が良いのは当たり前である。

 それらを要約するとちょろい金持ちが一番良いということなのだが、率直に言葉を捉えると結婚詐欺師か何かにしか聞こえないのであった。

 タマはお八を哀れんだ目で見ながら、


「っていうかお八ちゃんにも返す刀で刺さってるからねその言葉。伝わってない伝わってない」

「うぐっ」

「負け犬方向で行き遅れたらぼくが貰ってあげるから……ほろり」

「い・ら・ねえ!!」


 と、煽るタマのくびをお八は締め上げるのであった。九郎は相変わらずの眠たげな眼差しで「仲がいいのう」とつぶやいて、お茶を飲み干した。

  




 *****



 [藍屋]は本来九段北にあるものの、日本橋に出した店も繁盛していてどちらが本店かわからぬ程で、お八の家族もどちらにでも泊まれる用意がしてあるから本家が二つあるようなものであった。

 九郎とお八が日本橋の方の[藍屋]へ辿り着いたのはまだ日も空の高い位置に見える時間帯だ。九郎は若干それを気にしながら内心安堵した。下手に夕方によればあれよこれよとばかりに、夕餉の準備をされてそのまま泊まらせられかねない。この店は労働者として九郎を捉えようとしている疑惑を彼は持っている。すなわち資本家だ。革命の際には流血は免れないだろうことを思えば、少しばかり無常を感じる。

 

(いや、打ち壊されるのはまず米屋か……)


 詳しくは覚えてないが、享保の頃にも打ち壊しがあった気がする。歴史はヨグに頼めば聞かせてくれるかもしれないが、戯言が混じるのであまり信用してはいけない。以前に聞いた話では将軍吉宗は全身コスチュームのバイク乗りと共に怪人と戦ったとか言っていた。そんなわけないだろう。

 

「九郎、何を考えてるんだぜ?」

「いや。なんでもない。旨いなこの饅頭」

「おう」


 とりあえず店に入っただけで座敷に上がらせられ、茶と饅頭を出されて持て成されている。饅頭は菜漬けが入っている塩っぱいもので、甘党でない九郎はこっちのほうが好きである。

 ややあってお八の兄の一也かずなりが姿を現し、正面に座る。店の主人は茶会に出ていて不在だがこの長男が店を仕切っても何ら問題は無いぐらいに任されているのである。


「九郎殿、今日はどのような要件でしたか」

「頼まれて人を探していてなあ。今年の三月ぐらいにこの店で何度か見かけたと聞いたのだが、誰か店の者で辞めた者などは居たか?」


 一也は顎に手を当てて従業員を思い出し、


「それからでしたら……お五里ごりと云う娘が、実家の父親が中風でなったそうで、暇を与えて故郷の摂津国へ帰りましたが、ここ数年ではそれだけですが」

「……ああ、その娘なら印象的だったから己れも覚えているが、あのゴリさんは違うだろうなあ……」


 九郎は難しい顔をして、お八と苦笑いのような表情で向き合った。

 お五里と云う店員の娘は気立てがよく優しげで働き者だったのだが、少々骨太で顔つきが猩々というか狒々というか……湘北高校バスケ部の主将めいた、特徴的な娘だったのだ。

 彼女を見た石燕も真面目な顔で、琉球の儀間に伝わる民話[ゴリラ女房]を引き合いに出して解説をしていたが、まあ少なくとも高嶺の花をした少女という印象ではない。

 

「どんな少女なのですか? お得意様ならば記録にあるかと……まあ、普通は明かせないのですが九郎殿は御用聞きですし、身内みたいなものですから」

「そうか、助かる」

「身内みたいなものですから」

「なんで二度言った?」

「一兄……!」

「そしてハチ子は何故に誇らしげだ」


 何か己の知らぬ謀があるような気がしたが、ひとまず要件を優先した。


「背丈は恐らくハチ子より小さいだろう。赤介が小さい女の子と言ったぐらいだからな。それで華美な着物を着て外から見える店の座敷に立っていたそうだ。媚びない顔つきをした、とやたら強調していたな」

「座敷に立っている、高価な着物の、小さい少女……それで三月頃となると……」


 外から覗いた誰かが目撃した場面を想像したのか、やがて一也は膝を打って思いついたようだ。


「さて、もしかして」

「わかったのか」

「恐らくですが。いや、しかし……他人事ながら、大変な相手に岡惚れしたようですよ、その少年は」


 人の悪い笑みを浮かべて、一也はその相手を教える。

 話を聞くと、お八も困ったような顔になり、九郎を見るのだったが……。  



  

 *****




 翌日の昼過ぎであった。

 九郎は牛込にある長屋を訪ねて赤介を連れ出していた。牛込と言われても広く長屋も無数に存在したが、土地の番太郎などに火盗改から貰った手札(名刺のような物)を見せて聞けばすぐに苗屋をしているその場所を教えてくれた。

 赤介を連れて堺町にある、ひと目では何かわからぬような店──[梢屋]に案内した。

 手指を強く握りながら、大層緊張した様子で暖簾を見上げている。


「お主の見た娘はここの看板娘でな。一応昨日のうちに話を通してみたが、来ることは伝えてある」

「あの、助屋の旦那さん」

「なんだ」

「散髪とか行った方が良かったかな」

「……安心せよ、気にするような相手ではない」


 九郎は赤介を押すようにして店の中に入る。

 店内は薄暗く、風もあまり通らないような作りになっている。炭と釉薬の匂いが幽かにする店だった。

 従業員の姿も無く、店の奥で顎の太い老人が一人、筆と小刀を持って木材を削っていた。


「おう、爺さん。連れてきたぞ」

「そうか」

  

 老人はまだ頑健な様子の腰を起こして、大きな箱を持ってかちこちになっている赤介の目の前に来た。

 しゃがむ。墨や漆の染み込んだ皮膚の固そうな手で箱を開けると───その中に、少女の人形が入っていた。

 白木造りで鼻や唇の厚さ、額の微妙な曲線まで作りこまれて黒々とした目をしている、今は簡易の薄い着物を着させられた人形だ。髪の毛などはそのまま生髪を使っている為に特に本物らしく見える。

 九郎はそれを見て、


(まさに、媚びてない顔つきだな)


 と、感想を覚える。人形だからというわけではなく、無感情に作られたのでも殊更美しく見せる表情でもなく、そう云う意図があった顔つきに作られたものだった。

 人形職人の老人、梢屋冬蔵が云う。


「お前さんが惚れたのは俺っちが作ったこの[二号]さんで間違いねえか?」

「う、あ、はい」


 相手が人形と知っていても──赤介は顔を赤らめつつも応える。

 九郎は勝手に板間に座りながら膝に頬杖をついて、


「二号さんと云うのか。なんか、あれな名だな」

「うるせえ。親の俺っちが付けた誇り高い名前だ。こいつも喜ぶだろう」

「そう云うもんかのう」


 ともあれ、じっと二号を見ている赤介に冬蔵は話しかける。


「こいつは見栄えがいいから、呉服屋に貸し出して着物の見世物人形に使われてるんだ。お前さんが見たのは桃の節句に飾ってた頃合いだろう。ええと、蘭語では確か[まぬかん]だとか[まねきん]だとか言ったか、長崎で修行してな」

「菊人形みたいなものか」

「色々作るんだがな、浄瑠璃で使うやつとかも。この前はやくざ者が絡繰人形作れとか無茶言いやがって、まあ適当なガワだけ渡したが」

「……」


 九郎は押し黙る。

 つい最近、任侠力で動く任侠兵器に襲われたのだが世間は狭いものだ。

 

「というわけで坊主。二号さんは人気者だからな、お前さんの嫁に渡すわけにはいかん。そもそも人形は嫁にできん」

「う、うう……」


 赤介が呻く。身分違いであろうことは予想していたが、まさか体が木で出来た相手だとは。

 それでも。

 箱の中でじっとしている二号を見れば、己の人形と云う体にも動けぬ身にも、苦も媚も見受けられずに凛としている様子に見えて、どうあっても美しかった。好きなものは好きなのだから仕方がない気分で、諦めきれなかった。

 冬蔵が赤介の頭に手を置いて、視線を合わせながら云う。


「しかし、俺っちの人形に惚れたってのは良い趣味だ。いいか、お前さん、俺っちの弟子になれ」

「え?」

「人形に惚れるぐれえじゃないと人形は作れねえ。かく言う俺っちだってこの、師匠から譲り受けた[コケシ一号]さんに惚れてから人形職人に弟子入りしたぐれえだ」

「いや、無いだろ、それに惚れるとか」


 取り出して見せびらかした二の腕ほどの大きさをしたコケシ──おかっぱの少女らしい絵が描かれているが、コケシ特有のノッペリした画風だ──を見て九郎は言う。

 だが赤介は頷き、目を輝かせた。


「さすが一号さん……! ものが違う……!」

「え。感じ入る所あるのかマニア同士だと」


 さっぱり九郎は理解出来なかったが、やはり人形に惚れるには特殊な才能があるようであった。 

 冬蔵は機嫌良さそうに言う。


「いいか、二号さんは大きくならねえ。年を取らねえ。呉服だって子供向けしか着れねえし嫁にもいけねえ。じゃあよ、お前さんが成長した後を作ってやればいいだろ。俺っちはもう歳だから娘の行く先を見れねえかもしれないから、後を頼む相手が必要だ」

「じゃあ……」

「人形作りを学べ。見て触って弄って怒鳴られて、それでも懲りずにずっと挑めれば二号さんだってそのうち心を開くかもしれねえだろ」

「は、はい! 頑張ります。頑張ります……!」


 涙さえ流して決意を叫ぶ赤介を横目で見て、九郎は立ちあがり背中を向けて手を振りながら、店から出て行った。

 これで九郎のやれることは終わった。後は赤介が良い職人になれるかどうかだ。だが、恐らく大丈夫だろうと希望的に思う分には良いだろうと思いながら一人、また緑のむじな亭に戻るのであった。


 店で酒を飲んでいると話の顛末を聞きに、お八と石燕に子興が九郎と同じ座敷にやってきた。

 違う店の菓子を買ってきて広げているあたり、店にいるお房から白い目で見られているが。

 落雁をかじりながらお八が言う。


「ふーん。しかしなあ、人形を人みたいに好きになるなんて本気になるものなのか?」


 お八の隣に座る石燕が眼鏡を正しながら、手元の酒を飲み干して応えた。 


「ふふふ、昔から人形に恋する人間、或いは人間を好きになってしまった動く人形という話はどこにでもあるものだ。人形が人間に変化する話もあるね。そもそも人形ひとがたと言うだけあって、人形には人格が宿ったり、人の代わりになったりする事を目的とした物も多いのさ」

「でもなんか怖くないかなあ、小生はちょっと暗いところで見たりしたら苦手なんだけど、人形」


 子興が九郎の隣で酒の相伴を受けつつ、想像して顔を曇らせる。蝋燭や行灯の明かりしか無い室内で見る人形は異様な迫力を持っている。


「怖いと思う心もまた人形に人格を与える要素であるのさ。曰く『仏造りて魂を入れず』とも仏像を彫る仏師には言われることわざだからね。むしろ人形には魂を込めて当然なのだ」

「……お、おい石姉。あたし前に九郎の人形作ったけど大丈夫かな」

「あの人形も夜な夜な動き出して九郎君みたく……怠そうに寝そべって饅頭を食ったりするかもね!」

「ひいっ……」

「いや、怖い要素あった!?」


 などと、女衆三人が盛り上げってるのを聞き流しながら九郎はのんびりと酒を飲みつつ、考え事をしていた。

 人形が魂を持つのが当然。

 と、言うならばイモータルと言う機械人形の侍女もまた魂を持っていたそうなので、得心が行く話ではあった。

 あくびをしながら九郎は眠たげな眼差しを閉じて、ぼんやりと昔の事を思い出していると次第に周りの音が聞こえなくなり──うとうとして眠り始めた。



 ──夢を見る。




 *****





 クロウとイリシアが魔王城に来て、居候するのが許可されたすぐの事である。 


 魔王城にはリビングのような──広さはテニスコート二面分ほどあるが──くつろぐ為の大部屋であった。一面には魔王がよく読む雑誌や漫画が並べられた本棚があり、テレビも四台に各種ゲーム機が取り揃えられている。立派なソファー以外にも寝床となるベッドにハンモック、並べられたパイプ椅子も揃っている。テーブルにはお菓子が山積みでフリードリンクコーナーも設置されているという堕落の園であった。

 そんな部屋の壁際で。

 魔王城の外から持ち込んだ旅用のレジャーシートを敷いてそこに横になっている青髪の女が居た。壁には球形を先端に組み込んだ付与魔法特化型の魔女杖[エスワード]を立てかけてそれに三角帽子を掛けている。

 だらけているようだが、部屋の設備を使わずに一人でごろごろしている。

 クロウはテーブルに同じく付いている、魔王ヨグと側に立つ侍女イモータルと共に背中を向けているイリシアを見ながら声を出した。


「ああっ、寝そべりながら饅頭を食っておる。行儀が悪い。誰に似たのだ」

「いや、君だから。どう考えても。君もしてたからそれ」

 

 ヨグから冷たい言葉が返ってきた。

 とはいえ、イリシアが見せるには近頃珍しい態度であり、クロウには彼女の寝そべりお菓子の反応がどのような感情を表すかは理解できた。


「……機嫌が悪いというか、拗ねておるな」

「わかる? ま、ちょっと我からちょっと交換条件の要求を与えたからね。見事なカウンターで返したってやつ?」

「何をやらしたのだ?」

「それは言えないなあ~。くふふっ、あの魔女がねえ……しかし、まさかイモータルが消滅寸前まで持っていかれるとはね」


 にやにやと邪悪な表情をしているヨグと、クロウからの視線を受けてぺこりと頭を下げるイモータルである。

 クロウとイリシアの二人がこの魔王城に踏み込んだ時にそれぞれ分断させられて、クロウがヨグと益体もない話をしている間にイリシアはイモータルと戦闘を行なっていたようだったがクロウは直接目にしたわけではなく、そこで何があったかは想像するしか無い。

 また、イリシアとヨグが何らかの取引を行なった事も状況は知らされたが詳細は知らされていなかった。同様にクロウとヨグが取引したこともイリシアは知らないだろう。

 ともあれ、ちらりと冷面をしているメイドを見てクロウは一応云う。


「……そりゃあ、悪かったのう。居候先のメイドを消滅しようとするとは」

「うーん、先代までの魔女ならイモータルで完封できるぐらいの性能に作ったんだけど、こっちも計算外だったかな」

「面目ありませんと謝罪致します」

「ま、相性みたいなものだからさあ。でも魔女にはムカついたからちょっと嫌がらせしたら効果的で……もう最高っ! くふふのふー♪」


 どうも物騒な話題だな、とクロウは半眼で肩をすくめる。

 テーブルに積まれた菓子を幾つか取って、椅子から立ち上がった。


「これから厄介になるのにいつまでも拗ねていてもな。ちょいと甘いものでも与えておけばいいだろう。そうだ、お主イモータルと言ったな」

「はい、と返事致します」

「コーヒーは作れるか? あやつの好物なのだが」

「了解致しました」


 すると、テーブルの上にサイズの違う二つのコーヒーミルが転移して現れ、イモータルは背中から伸びたタクティカルアームでミルを回す速度を調節しながら豆を挽き砕き、両手でコーヒーサイフォンを準備しだした。

 湯を沸かして火を付けて挽いた粉を入れ、コーヒーを抽出する。ドリップよりも香りが逃げないのでそっぽを向いたイリシアは気づいていない。

 クロウはてきぱきと淹れる彼女に感心しつつ、


「本格的だな、お主のところのメイド」

「あれー? 我にはチバラキ名産の黄色いパッケージをした市販練乳入りコーヒー飲料を渡してくるんだけどこの子」

「魔王様は甘党ですので、と配慮致しました」

「いや……手間とかさ……別にいいんだけど」


 釈然としないヨグであったが、コーヒーをカップに注ぎ、クロウとイリシア用に無糖ミルク入りにして、盆に載せた。

 クロウも菓子を持って二人で寝そべっている魔女に近づく。


「これ、イリシア。部屋の隅でだらしない。寝るなら布団で寝ろ」

「……ぐうぐう」

「寝たふりをしおって」


 呆れてクロウが、手に持ったスティックケーキを彼女の口元に持って行くと鼻が少し動いて、自動改札のように口にケーキが吸い込まれていった。

 

「この食い意地は誰に似たのやら……」


 少なくとも自分ではない。そこまで甘党ではないのだ。

 ため息をつくクロウの手に、無言でイモータルがコーヒーカップを渡すので今度はコーヒーを口元に持ってくる。

 香ばしく目が覚めるような匂いに、イリシアが目を開けて目の前に差し出されたカップを受け取り、口にコーヒーを流し込んだ。


「おいしい……あ」


 思わず感想を口に出してしまって、イリシアは口を抑えてはっとクロウの隣に立つイモータルへ視線を向けた。

 彼女はにこりともせずに、相変わらずの無表情だったが折り目正しく礼をして云う。


「お褒めに預かり光栄です、と賛辞をお受け致します」

「……むう」


 イリシアが口を尖らせて眉を寄せるのを見て、クロウは笑いの息がこぼれた。

 まるでイモータルが大人の対応をしていて、拗ねたイリシアに皮肉を飛ばしたように見えたのだ。


「はっはっは。ロボットとは聞いたがなんとも人間臭いな、こやつは」

「イモータルは優秀ですので、と自賛致します」

「なんですかクロウまで。……もういいです。わたしだけ機嫌が悪くても損です。ちょっとテンション上げますので。いえー。いえーっ」

「落ち着け。ほら、お菓子をお食べ」

「おいしいです」


 むくりなうと起き出してきたイリシアに、笑いながらクロウは次々にお菓子を与えた。 

 イモータル手作りの菓子は機械ゆえの繊細さで作られた美味で甘党のイリシアの口を喜ばせる。イモータルは佇みながら、コーヒーのおかわりを入れてやる。イリシア好みに淹れられたそれは、旅をしながらでも街に忍び込んでもなかなか飲めない味だ。一度、作ったものを美味にする魔法を発明したこともあるのだが何を作っても強制的に脳が美味と錯覚するような効果になってしまった為に魂の奥底に封印しておいた。

 ともあれクロウも床に座ってイリシアが美味そうに食べているのを喜ばしく見るのであった。安息を求めて魔王城に来たのは正解であったようだ。少なくとも彼女が居てよかったと菓子作りと茶入れの上手な、人間臭い機械人形を見上げながらクロウはそう思うのだった。

 それを離れて、テーブルの上でアルフォート食ってコーラ飲みながら見ていたヨグは、


「……あれ!? いつの間にか我がハブにされてない!?」


 と、一人で現状に疑問を思う魔王城の主であった。 



 出会った頃から、ごく自然に馴染んだ関係であったイモータルだったが──最後の時にクロウの呼びかけに応えず、魔女と共に別れた彼女の声も顔もクロウは見ることはできなかったのである……。





 *****





 九郎がうつらうつらと寝ぼけながら手を伸ばすと、それは温かみと共に握られた。

 眠気で感覚が通わなかった視界が鮮明になり、誰かの顔が見える。頭の上で、猫耳のように二つの山を結っている少女のような顔つきの女──子興だ。

 座敷で九郎の隣に座っていた彼女だったが、泥酔していた様子の九郎に大きめの茶碗を差し出す。


「ぬう……?」

「はい、お父つぁん。晃之介さんが釣ってきた鯛で作った出汁掛けの鯛飯が出来てるよ」

「いつも済まぬなあ。ごほっごほっ」


 寸劇に合わせると、子興は余計に芝居がかった様子で続ける。


「それは言わない約束だよ。お父つぁんの体が一番なんだから」


 子興の言葉を聞きながら意識をはっきりとさせて、軽く頭を振って互いに一息だけ吹き出すように笑った。

 対面に座っている石燕とお八がジト目で並び見ながら、


「なんで君らは即興の親子劇をしているのだね」

「子興ちゃんは自分が親になるのを先に考えたほうがいいぜ」

「だっだれが行き遅れだってー!?」


 などと云うので余計におかしくなって九郎は破顔するのであった。



 ヨグの話ではイモータルはどこか別の空間で自己修復をしている可能性が高く、そのうちにまた復活をするのだという。

 再び会ったのならば彼女にイリシアの最後を聞くのが自分の務めのような気がして───少しばかり、魔王城で騒動の日々を懐かしく思う。







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