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【RE江戸書籍化】異世界から帰ったら江戸なのである【1~4巻発売中】  作者: 左高例
第四章『別れる道や、続く夏からの章』
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70話『七夕の頃の話』

 

 時は七夕の頃であった。

 七月から初秋とは云え、日差しは真夏のそれと何ら変わりなく、江戸中の水路から湿った生暖かい空気が立ち上り夜となれば蒸し暑いことこの上ない日が続いている。

 その日は緑のむじな亭も昼営業のみで夜は貸し切りとなっていて、節分の祝いに長屋の者達が集まり宴を開いていた。

 しかし外と比べて店内は涼しいものの薄暗く、幽かな雰囲気に包まれている。

 ぼそぼそと誰かの語り口が聞こえて、皆がそれを聞きながら薄ぼんやりと明るんでいる蝋燭に照らされた顔を眺めていた。


「───それで、大奥で聞いた話なのですが……」


 語り手はお雪だ。彼女の真っ白な肌が青行燈でこの世のものとは思えぬ、妖しげな色に見える。

 

「まだお江戸の城に天守があった頃。大奥の御末をしていた、お初と云う女の子がおりました。彼女は町人から召し上げられた娘で、折角江戸城にこれたのだからどうしても天守閣に登りたいと思っていました……」


 江戸城の天守閣は明暦に起きた大火事で焼け落ちたまま再建はされていない場所である。 

 御末、と云う立場はつまり大奥に仕える雑用係で、町人上がりの娘などが多かったと言われている。器量良しや教養に優れていなくとも、その実務能力を買われてこの職の為に大奥に呼ばれることもあったそうである。

 

「しかしながら、奥に住まい公方様に御目見得も叶わぬ身分。到底天守に登らせて欲しいなどと頼めるわけもございません……」


 彼女の語り口に、九郎と二人羽織をしたような格好で彼の懐に潜り込んでいるお八は嫌な汗が既に吹き出ている。

 まだ怖い要素は無いだろうに、と彼女の頭に顎を乗せながら九郎は話に耳を傾けていた。


「ある日。お初の姿が見えなくなりました。奥と表は御錠口で塞がっていて出入りはできず、どこかに居るはずだと同僚が中を探したのですが見つかりません……」

「あうう」


 不穏な事態にお八の息が荒くなってきている。

 

「余談ですが、大奥で人が消えるのは……珍しいことじゃございません。例えば──厠の穴に落ちてしまえば、江戸城ではくみ取りはせずに埋め立ててしまうので二度と出れず、躯も見つからないのです」


 それを聞いて情景を想像し、息を詰まらせたのはお房である。

 深く暗い縦穴。叫べども声は届かず、祈っても願いは叶わない。足元の汚泥に沈み、やがて上から土を被せられる。

 悪臭以前に空気さえ存在していないそんな場所に──無数の人が居る。

 息苦しい気分に胸元を押さえる。脂汗を掻いた彼女の額を、隣に座っていたタマがひんやりとした手で触れた。不思議と落ち着き、


「ありがとうなの」


 と、殆ど聞こえぬ程の声音で囁く。

 タマはにこりと安心させるように笑い、手に持っていた物を彼女の目の前に見せる。


「こんにゃくタマよ」

「殺すわよ」


 彼をお遣いを頼むと何故か余計に一つこんにゃくを買ってくるのだが、なぜだろうかとお房は疑問に思いつつも横に置いていたアダマンハリセンで突っつく。

 お雪の話は続く。


「何かしら……そのような、口にするのも憚れるような場所に落ちてしまったのならば、知らなくても良い事に触れかねません。お初の捜索は打ち切られてしまいました……。

 そして彼女が居なくなってから十日後。公方様が天守を仰ぎ見れる、お庭に出ていた時に声が聞こえました……」


 一旦話を止めて、すっと部屋は静まり返った。

 そして、


「初はここに! 初はここに!」


 お雪が叫んだ。一斉に聞いていた長屋の連中などは驚いて飛び上がらんばかりである。


「その叫びと共に、お初が天守からお庭に落ちてきました。ぐしゃりと地面に潰れた彼女の体は血だらけだったそうでございます。さて……お初がこの十日、どこで何をしていたのか。どうやって天守に上がって、なぜそこから落ちてきたのか……そして、最後に叫んだ声は、彼女のものだったのか……どれひとつとしてわかることは無く、彼女は埋葬されたそうでした……お終いです」


 彼女が語り終えると、手元にあった蝋燭の火に線香を翳して火を移し、別の蝋燭を灯した。

 語るごとに火を消していく百物語ではなく、語るごとに火を灯していく逆百物語──と言うほどでもないが、節分で集まった長屋住人達の雑談雰囲気作りであった。

 僅かに明るくなった部屋で長屋住人で錆取り師の亀助と指物師の辰彦がお互いに向き合って震える声で軽口を言い合う。


「おおおおやおや~辰の字、随分と涙目になってるじゃねえか。いい年した大人が怖い話で泣くってどうよ」

「なな泣いてません~そう言う亀公も褌が若干湿って臭いんですけどー」

「こ、これはお雪さんの美しい声で興奮した淫汁ですうー」

「じゃあ俺もお雪さんの御仏みたいな姿に感動した涙ですうー」


 お互いに震えながら言い合う。両方共膝が笑っているし鳥肌が立っていた。


「……どちらかと云うと亀助はアウト気味だからな、それ」


 二人の遣り取りに九郎が呆れてツッコミを入れる。

 そして胸元に居るお八の襟首を掴んで引っ張り出し、呆れたように見る。


「こっちは気を失っておるし……」

 

 そもそも話の肝は何故か行方不明で天守から落ちてきたお初が不思議だと言うものなのだが、お雪の脅かす大声で耐え切れなかったらしい。 

 頬を引っ張り伸ばしてみたり、額にこんにゃくを当ててみたりするが起きる気配は無い。

 九郎は暗くなった外の様子を見ながら仕方無さそうに言う。


「やむを得ん。己れが家まで送っていくか」

「それがいいの。どうせ起きてもあんな話を聞いた後だと、お八姉ちゃんは一人で歩けないの」

「雑魚すぎるタマ」

「言われ放題だのう……」


 いつもの気が強そうな印象を受ける表情が完全に呆けた状態で口を開いたまま寝ているので、威厳も何もありはしない。

 しかし子供らしくて良いと、微笑ましくなるのはずっと昔の事を思い出すからだろうか。

 お八を背中に担ぎながらぼんやりと記憶も朧気な過去を口にする。


「確か……己れの故郷の弟も怖がりなのに怪談が好きでなあ」

「へえ」

「何とかがわ、何とかとか言う怖い話のおっさんをよく聞いていたような記憶がある。はて、なんと言う名前の怪談作者だったか……年を取ると思い出せなくて困る……皆川亮二だったか?」

「いや、知らないの」


 今度ヨグにでも確認を取ろうと考えを留めておく九郎であった。なお、それを聞いた夢の中で「そんなサイボーグ兵士とか出てきそうな怪談は嫌だよっ!?」とツッコミを受けることになるのであるが。 

 九郎がいつも通り、気だるげながら重さを感じさせない足取りでお八を背負って入り口から出て行くと長屋の男衆は思案顔で唸り声を漏らすのであった。


「あそこまで安全と言うか手を出す気配の無い送り狼もそう無いよなあ」

「九郎の旦那は本気で枯れてるからな……でかいのに」

「多分九郎は女の子とカナブンの区別もついていないの」

「お房ちゃん、それは酷いですよう。ねえ六科様」

「不明だ」


 などと言い合って、微妙な空気が広がっていた。

 なんだかんだと一年以上身近に過ごしている長屋の者共は九郎の残念な気質に対して、諦念に似た感情を覚えているのである。

 枯れ木に肥えや水を与えても芽吹くことが無いのは悲しいことかもしれないが、花咲翁の民話もあるぐらいだ。無意味と誰が言い切れようか。


「──ま、当人らが満足ならそれでいいか」

「それじゃあ次の話行こうぜ。そう、あれは俺が冤罪で島流しにあった時に役人の手違いで女の罪人だけが住む小島に流された時のこと……」

「お前その『女だけの環境にひょんなことから入り込んだ俺』って設定好きだなー」

「この前も女薙刀道場に通うことになったとか話作ってなかったか?」


 などと再び物語を再開していると、再び入り口が開いて誰かが入ってきた。


「ふふふ! 幽霊妖怪百物語ならばこの江戸に名高き生きた妖怪絵巻こと、鳥山石燕を呼ばないとはどう云うことだね九郎君!」


 キメ顔で眼鏡を抑えるポーズを決めつつ現れたのは相も変わらず黒尽くめな石燕である。

 彼女は注目を浴びたことに満足しつつも、きょろきょろと見回して首を傾げる。


「──あれ? 九郎君は?」

「今さっきお八ちゃんを送りに出て行ったが」

「あ……そうなんだ」


 一気にテンションが下がる石燕である。

 それでも一応お房の隣に座りながら、


「なんなら送り狼の妖怪話でも語ろうか?」

「いや、今は辰の字の女罪人島が面白そうだし……」

「そうかね」


 意気をくじかれて、九郎が残していた酒をとりあえず飲むのであった。

 お房が師匠の背を撫でる手が妙に優しくて酒がしょっぱかったと云う。




 *****




 お八の実家、呉服屋の[藍屋]は日本橋にある。

 当時の呉服屋と言えば[越後屋][大丸屋][白木屋]などが江戸での三大名店と言われていて大名、大奥などにも服を卸し繁盛をしていた。

 藍屋はそれほどではないが、どちらかと言えば庶民や商人向けの服を扱っていて古着屋をしている支店なども持つ大店であった。

 向かう途中でお八は目を覚まして九郎の背中から降りたが、薄暗い道を意識するとどうも足が強張るので彼から手を引いて歩き家に戻った。

 彼女を連れて暖簾を下げた店に入ると、


「これは、これは九郎殿」


 人の良さそうな風貌の店の主人、芦川良助がにこやかに娘と九郎を迎え入れた。

 彼はもともと浪人であり、江戸の小さな呉服屋であった藍屋に婿入りして一大で大店に盛り上げた男であるが、とても元武士には見えぬおっとりとした風貌である。

 しかしお八の兄などはどれも威勢がよく気の強そうな目つきをしているので、恐らくは彼も長年商人をしていて角を削られた雰囲気をまとっているのであろう。

 九郎は歓迎の様子を見せる彼に手のひらを向けつつ云う。


「ああうむ。ハチ子を送って来ただけだ」

「まあまあ、それはそうとしてどうぞこちらにお上がりくだされ」

「いや別にそう構わんでも」

「まあまあ。御食事の用意がすぐにできますので。酒もどうぞ。たんとどうぞ」


 などと、九郎を引っ張り込むのである。お八も「にしし」と笑いながら九郎の袖を引く。

 

(どうも大店の主人となると強引なところがある気がするのう)


 薩摩からの品を売る鹿屋との共通点を見出しながら九郎は奥の座敷に案内されるのであった。

 鹿屋に関してはその場の商品アイデアを買い取らせて珍品を貰っているという商談に近い気分なのだが、この店で歓待を受けるのは以前に盗賊を二度捕まえてお八と仲が良いというだけなのでどうも来る度にもてなされるのに後ろめたさを感じるのである。

 藍屋の者達からすれば押し込みで殺されるところをあっさりと解決した九郎はこの上ない恩人に当たるので、むしろ彼をこの家に住んでもらいたいとさえ思っているのであったが……。

 九郎は有耶無耶のうちに連れて行かれた座敷で、目の前に出された絢爛豪華な膳を見て渋い顔で呟く。

 

「やはり後ろめたい」

「鯛? 鯛がご所望ですな。今すぐ用意を!」

「いや待て。十分だ。うむ、そうめんが美味そうだな」


 そうめんに生姜を利かせた出汁を絡めた小鉢を手に取りながら九郎は遮った。

 柔らかな麺によい塩梅の風味がよく合い、旨い。


「そういえば長屋でもそうめんを供え物にしていたが、なぜだ?」

「それはですな」


 九郎の疑問に良介が答えようとしたが、お八が勢い良く身を乗りだした。


「あっ! あたし知ってる! ごほん。織姫が織る白糸に見立ててそうめんを飾るようにしているんだぜ」

「そうかえ。ハチ子は物知りだのう」

「うぇへへ……はっ!? 子供扱いすんな!」

「いらぬ知識ばかり取り入れて、残念な石燕のようにはなるなよ……」

「厭な大人扱いもするなよな!?」


 本気で危惧してる様子だったのでお八が噛み付くように食って掛かった。

 良介が咳払いをしながらちらちらと九郎を伺いつつ、


「まあお八にはしっかりした相手をですな……」

「心当たりがあるのか? 何なら己れも探して見るが。こう見えても縁談を纏めるのは得意でな」

「しゃー!」


 何故か威嚇するお八だが、よくあることなので九郎も殊更気にしない。


「思い返せば若い頃から、会社の仕事で無宿人ホームレスと大陸方面の女を法的に結婚させる事業を……いやあれはマズい仕事だったな。うむ」

「違法性しか感じないぜ……」


 二十代まで現代日本で手広く仕事をしていたので、中にはそんな怪しげな業務経験もあるだけだ。決して九郎が犯罪すれすれな仕事ばかりしていたわけではない。

 

「聞く度に違う仕事してたみたいだけど、どうなってるんだぜ」

「昔は病身の母と弟を養うので実入りの良い仕事を転職し続けていたからのう。何とか弟も十八歳になって少しぐらいの貯金は残してやれたが……それから別れて元気にしていただろうか」


 思い直しても顔も朧気になった家族ではある。どちらかと言うと忙しく働き回っていた別れる前より、弟も小さく母も少し若かった頃のほうが記憶にあった。

 少しばかりしんみりとした空気になったので、九郎は笑うような吐息を一度零して酒を飲んだ。


「ハチ子は家族は大事にするのだぞ」

「……おう」


 神妙に頷く。


「己れに比べてここの主人は大したものだ。ええと、全員で八人……いや、七人子供が居たのだったな。皆立派に育てて」

  

 うっかりお七も数に入れかけて訂正する九郎である。お八にそっくりな顔体つきの彼女だが、一応は無関係だ。確認を取って家庭の問題になっても困るので九郎からは言わない。

 藍屋では上から男が五人、女が二人の兄妹が多い家であった。家や支店を継ぐには十分な人数である。それぞれ、藍屋の若旦那をしている長男の一也かずなりから順番に七を抜かして数字が名に付けられている。

 その内のお八の姉であった、お六は六科の亡妻でありお房の母親だった。

 一人早世したとは云え──河豚毒が原因である──大勢の子供を育てるのは大変な苦労があっただろうと素直に感心する。

 すると若干二人は気まずそうにそれぞれそっぽ向き、


「ああーっと。まあ四郎兄まではな」

「ええその、まあそう中々でして」

「?」


 言い淀んでいる様子に九郎が訝しげにする。

 と、その時。

 

「旦那様」


 と、部屋に番台をしている初老の男が入ってきた。

 良介は振り向いて聞き返す。


「どうした」 

「丁稚がこのような物が裏口に差し込まれていた、と」


 そう言って差し出された紙を広げると、整った筆書きでこう記されていた。


『明け方までに裏口に一両を包んで出すべし

 さもなければ火を付ける』


 脅迫状──であった。

 良介は苛立たしげに顔を顰めて番台に云う。


「悪戯だろう。こんなちんけな要求をする相手が火付けなどできる筈もない。放っておきなさい」

「は、しかし万に一つ……火が付けられでもしたら……一両ぐらいでしたら」


 困ったように番台も云う。

 実際に火を付けられたならば、この店に住まう藍屋の家族や下働きの身に危険が及ぶことは云うまでもなく、財産といえる布や糸も全て燃えてしまいかねない。

 それだけではなく不審火を出した店が再び日本橋に新たな店を普請できるかどうかも疑わしい。

 一度燃え広がれば一町が焼けるのも珍しくはないのである。まったくの通りすがりの放火とはいえ、余計な恨みを買いかねない。

 それを一両で防げるのならば……と番台が思うのも当然ではあった。

 九郎がその紙を見ながら、云う。


「一両ぐらいとは云うが、この辺り中の店に同じ事をやっているのだとしたら十件回れば十両だからのう。しかしその分通報の危険は上がるが、考えなしなのか何なのか」


 九郎は懐から十手を取り出して番台に見せ、云う。


「裏戸に何か挟んで置いてくれ。下手人が取りに来た時にとっ捕まえておこう。店に火をつけられたら困るからな」

「おおっ、やはり九郎殿は頼りになります!」


 番台と良介が頷き合う。

 初めてこの店に、影兵衛と共に来た時から御用の手先をしていたとは思っていたのだが、やはり十手持ちとなるといかにもと言った信頼感があり、思わず嬉しくなるのである。

 実際のところ同心付の手先が持つものは正式に公儀から拝領される十手ではなく、これは影兵衛が作らせた鋼製の私物なのである。岡っ引きなどと呼ばれる者は身分を証明する手札と云う名刺のようなものを貰い、このような装備は個々が用意するのが常ではあった。

 九郎の場合十手の他に大太刀を持っているので大層変わり者──あまりに堂々と持ち歩いているので浪人の類だと思われたりする──に見える。


「よぉし、それならあたしも師匠に習った[しゃがみ小拳連打]で悪党の急所を破壊して……」

「お主は寝ておれ。しかし……」


 九郎は良介を伺うように見て渋面で、


「この店、悪党に狙われる匂いとか出しておらぬよな」

「出してないと信じたいのですが」


 今回で九郎が関わる三度目の事件であったので、不安になるのであった。




 ******



 

 悪党退治に意気がるお八に、「起きているとお初の霊が屋根から飛び降りまくるぞ」と脅してやったら布団に入り込んで出てこなくなったので一安心をした。

 裏戸が見える藍屋の屋根上に座り、薄く灯した行灯に酒を入れた銚子を二つばかり引っ掛けて、じんわりと蝋燭の熱で温まった上酒と炙った畳鰯などを食っていた。

 裏戸には包み紙が挟まっており、外から引き抜く者が現れるのを待っているのである。

 

(良い酒ならばのんびりと、一晩中飲んでいられるな)


 などと空になった銚子に角樽から新たな酒を注いで、また行灯に掛けて温める。

 誰かと飲む酒も良いが一人で飲むのも偶には良い。

 

(七夕か……天の川が見える。銀河皇帝ドリルガッデムの母星もあの中にあったりしないだろうか)


 などと取り留めの無い事を考える。 

 異世界ペナルカンドに度々侵略しに来る別宇宙の宇宙的存在ドリルガッデム。魔王城決戦に途中参戦して魔女と吸血鬼の超魔導大戦に巻き込まれ宇宙規模で消し飛ばされたらしいがまだ復活の兆しがあるらしいことはヨグに聞いていた。どうでも良すぎて九郎はあっさり興味を移し、夏の星座を適当に探す。

 涼しい風にぬるく旨い酒。満天の星空で飲むには幾らでも飽きが来なかった。

 海の端が明るんできた暁七ツ(午前四時)、ようやく動きがあり九郎は酒盃を置いてよろりと立ち上がった。

 薄暗い裏戸に中背程の男が駆け寄り、挟んでいる包み紙を抜き取ったのだ。

 その場で確認しようと男は重量感のある紙を開くと──


「!? なんだこれは!」


 中に入っていたのは形こそ似ているが、薩摩の小判と呼ばれる──呼ばれるよう流行らせたいと鹿屋が企んでいる──魚肉のすり身を小判型に揚げたさつま揚げだったのである。

 驚愕する男の背後に、屋根から飛び降りた九郎が降り立つ。


「おい」


 声を掛けると、男──三十前後のこれと言った特徴のない、卑屈そうな顔つきの男である──は何やら叫び、逃げるのか九郎を突き飛ばすのか迷ったように足をもつれさせて掴みかかってきた。

 慌てずに九郎は眉を顰めて、


「これ」


 と言いながら右足で相手の足を横薙ぎに蹴り飛ばしつつ、左手の掌底を相手の右側頭部に軽く押し当てた。

 見事に足払いと頭を抑えられて地面に転び倒れる男。

 九郎は懐から十手を取り出し、柄の部分に付いている捕縄を伸ばして倒した男の腕を手早く縛り上げた。


「よし、と。目を回しておるようだな」


 混乱と頭への衝撃で失神している男をとりあえず店に入れてから番所に連れて行くか、と九郎は落ちていたさつま揚げを拾って食いながら縛った男を持ち上げて裏戸から入るのであった。





 ******




 逮捕した男の名は、五平と云う。

 率直に言えばお八の兄であった。

  

「……ええと」


 早朝から家族会議が始まった。お八とその両親、そして本店に務める一也が集まり頭を抱えている。

 他に次男から四男の三人は別の店に寝泊まりしているので不参加だが、居れば似た反応をしていただろう。

 縛られたままふてくされている五平と他の家族へ視線を行き来させながら九郎は尋ねた。


「もしかして己れ、何かこう家族の特殊な小遣い譲渡方法とかの邪魔を?」

「いえ、違います。この愚息をとっ捕まえて頂いて感謝の極みです」

「何やってんだ五兄……」

「野垂れ死んだかと思っていたら……」


 兄妹から辛辣な目線で見られているが、舌打ちをして五平は顔を背けた。

 お八の母、お夏が困った顔で云う。


「五平は、放蕩が収まらず幾ら説教しても直さないので懲らしめる目的で勘当をしていたので……」

「渡された支度金を持って上方へ向かったとは聞いたのですが、まさかこんな帰りかたをしてくるとは……」


 勘当と云うと、親子の縁を切る事である。

 江戸の法では[縁坐]と呼ばれるものがあり、これは重大な罪人では親兄弟にまで罰が与えられるというものであった。

 それでも子がどうしても手の付けられない暴れ者であったりした場合に、親や親戚が予め届け出を出して縁を切り罰を及ばなくさせるのが勘当である。

 軽い勘当と重い勘当の二種類があり、後者は特に[久離]と呼ばれて住人として登録されている人別帳に久離札が掛かり、戸籍から外される。こうなれば久離を受けたものは無宿人扱いになるという重いもので、久離札を掛けられる故に[札付き]の暴れ者と呼ばれるようになるのである。

 五平の場合は軽勘当だが名主にまで届け出をしている正当なものである。

 朝から疲れた吐息を漏らして良介が、


「仕事も覚えず、金を盗んで、悪い仲間と付き合い、博打で借金をこさえ……お六が生きていた頃はまだ良かったのですが、亡くなってからはもう手が付けられず……」

「なんというかお六さん相手なら妹思いの兄だったとか?」


 九郎の疑問に一也が応える。


「いえ、単にやらかす度にお六から傷めつけられていたので控えていたのでしょう」

「『馬鹿にでもわかるようにするには、想像以上の痛みを与えることなの』……ってあたしが小さい頃に言ってたっけ。六姉」

「人の親の台詞じゃないなそれ……」


 今は亡きお房の母親を想像して、嫌そうに九郎はかぶりを振った。言ってはなんだが会わなくてよかった気がする。

 ともあれ両親は双方げんなりとした様子であった。


「叱ることもしました。褒めることもしました。言って聞かせ見てやらせ、寺子屋にも通わせ他の子供と学ばせ広く考えるように為ればよいと……しかしどうあっても五平は悪びれるのです」

「どうしたものやら……」


 もう三十になる子供の為に、何ができてどうすればようのかと初老の夫婦が嘆いている。

 九郎をして、朝からやたらため息が出そうな案件ではあった。


「言わせて於けば……」

  

 と、五平が呟き、皆の視線が集まる。

 彼は苛立ったように歯を食いしばり、睥睨した眼差しで告げてきた。


「俺が悪いことやって何が悪いんだよ!」

「悪いだろそれ」


 思わず九郎が言うが、無視された。


「そうやって正論とか、常識とか、お六の暴力とかで俺を縛るんじゃねえよ! 俺はもっと好き勝手に生きてえんだ!」

「つまり?」

「女は好きなだけ買いたいし、仲間の前で散財して自慢だってしてえし、そのために金が必要なら用意しろってんだ なんで俺の邪魔をするんだ!」

「ええと、さっき言ったとおりちゃんと教育してこれか?」


 一応確認の為に尋ねると、両親と長兄は顔に皺を寄せながら深く頷いた。

 別段特別に何かをしたわけではない。他の兄妹と同様に、叱って褒めて愛情を注ぎ物事を教えて育てて来た筈だった。

 しかし何故かとんでもないろくでなしが出来上がってしまったのである。

 

(まあ……珍しい訳ではないが。恵まれているのにチンピラに落ちる者は)


 呆れたような気持ちで、両親に聞く。


「どうする? 火盗改に連れて行ったら遠島ぐらいにはなるかもしれぬが……放火未遂だからのう」

「う、うう……すみません、九郎殿。親としては勘当した息子とは云え……」

「そうだろうなあ……でもこのままでも困るだろう」


 身内の犯行なので内証にして放免しても問題は無いが、度々問題を起こすようならば──それが他の店に及べば、どちらにせよ捕まるのも時間の問題だろう。

 

「ちっ! あーうるせえうるせえ! 今に見てろ! この店に一番迷惑が掛かる方法でとっ捕まって打ち首になってやらあ!」

「こう言ってるからなあ」

 

 やけになったように叫ぶ五平である。

 厄介な身内は仇より辛い。これが子供ならまだしも修正できるかもしれないが、三十路男が喚いているのだから見苦しいとしか言いようが無かった。

 ──と、さっきから俯いて歯ぎしりの音を立てていたお八が立ち上がった。


「いい加減にしろよこの馬鹿兄貴! 見るに耐えねえ!」

「んだとこのチビ助! 餓鬼は黙ってろ!」

「うるせえ! おい九郎! この馬鹿連れて師匠の道場まで行くぞ!」

「別に構わぬが、何をするのだ?」


 お八は立ち上がって、睨んでいる実兄へ指を突きつけて怒鳴った。


「六姉みたいにぶん殴って性根を叩き直してやんだよ!」


 


 *****




 縄を付けたまま五平を運ぶのは、暴れるわ叫ぶわで面倒極まりないので九郎が頸動脈を締めて気絶させた後で簀巻きにして運んだ。

 とりあえず九郎が付いているので、と他の者の同行を断って連れて行くことにした。

 六天流の朝の道場は、晃之介が朝の水浴びを終えて肉の味噌漬けと根深汁、固めに炊いた飯を食っているところであった。

 

「別にいいんじゃないか」


 あっさりと試合を認めて、飯を三杯食った後で道場に出た。

 道着に着替えたお八と、町人の装いをした五平が対峙している。

 並べてみるといかにもお八が体格で不利なのは瞭然であった。いかに五平が鍛えていないからと言って、お八の体重より五割は重いだろう。なにせお八は十四で彼は三十だ。大人と子供の戦いと為ればとても勝負にならない。

 道場内に唾を吐かんばかりにやさぐれている五平は、


「お六みたいに意気がるのはいいけど本気で泣かすからな、餓鬼」


 と、自分より年齢が半分以下な妹相手にガチな様子であるようだった。 

 それだけで九郎はなんとも切ない気分になる。油断をしろと云うのではないが、もっとこう男として無いものだろうか。意地とか。


「上等だ! こっちだって泣いて謝るまでぶん殴るから覚悟しろ!」


 お八も勝つ気は充分のようである。

 

「じゃあお前が負けたら着物ひん剥いて箪笥まで全部引っ張りだして売り飛ばした金で吉原に行くからよ」


 などと五平も云うので晃之介が九郎に囁きかける。


「よく知らんが、なんであんなに全力でどん底な性格に振り切れてるんだ? あいつ」

「己れが知るものか」


 晃之介も嫌そうな視線を五平に向けて、とりあえず審判役──というよりも号令を掛けた。


「始め!」


 云うと無造作に──洗練された動きではなく、単に近づいただけと云った様子で──五平が間合いを詰めて容赦なく蹴りをお八に向けた。

 妹の腹目掛けて突き出すような蹴りを迷わず打てる男である。とりあえず九郎は、お八が倒れでもしたら遠慮無く五平をフクロにしようとは思っている。

 だが普段晃之介の体捌きを見ているお八からすれば、不健康な悪党崩れの中年が放った蹴りなど鈍く感じられる。

 受け止めもせずに一歩踏み出しながら避けて、五平の軸足になっている左足の太腿に固めた拳を打ち下ろす軌道で抉りこませた。


「おらァ!」


 叫びと同時に力を込めて捻りを加えた一撃は、ぴんと張った筋繊維の隙間を通りお八の力でも激痛を与える。

 転びそうになる五平は咄嗟にお八の体を掴もうと手を伸ばすが──


「馬鹿が!」


 伸びた五平の指へお八の拳が叩きつけられた。

 体の末端、指への打撃ならば少女の力でも十二分に痛打を与えられ、突き指の衝撃に思わず手を引っ込める五平である。

 崩れた体勢で動きが止まった五平に続けざまに、股間、鳩尾、喉と弱い部分へお八の手加減抜きな打撃が入る。

 九郎は見物しながら、


「えげつない攻撃を教えるなあ」


 と、晃之介に云う。彼は頷き、


「女の体格でも威力が見込める箇所を狙わないとな。それでもなるべく徒手空拳は避けろとは言ってるんだが、お八は割と気に入ってるようだ」


 正中線の急所を撃たれた五平は床に倒れ、体を抑えながら咳き込む。 

 鍛えもしていない箇所を容赦なく殴られたのだから大人でも堪えるのは当然であった。

 それにお八が的確に脇腹、太腿などを踵で勢いをつけて踏みつける。とても立ち上がりきらないまま、五平は打撃の痛みだけ増えていく。

 十四の少女に啖呵を切って殴り負けた挙句、ストンピングの雨を振らされて悶え苦しんでいる三十路男が居る。


「予想より情けないな……」

「ああ……」


 二十と九十五の男二人が微妙な表情でそれを見ていた。利悟ならば喜んだかもしれないが。お八はギリギリ許容範囲の年齢だ。

 やがてうずくまって動かなくなった五平から離れて、息を切らせたお八が額の汗を拭いつつ言葉を掛ける。


「ど、どうだ……はあ……妹に殴られるなんて、みっともねえだろ!」

「……」

「ちゃんとしろよ! 親父とお袋泣きそうだっただろ! 別にあんただけ虐められたとか、不幸だったとかそんなわけでもねえだろ! まともじゃないならまともになる努力をしろよ! 好き勝手に生きるだ!? 十四の女に喧嘩で負けるような男が好き勝手に生きられる程世の中甘くねえんだ馬鹿が!」

「……」


 五平は顔だけ上げて、云う。


「……お六もいつも、俺が馬鹿をしたら殴り飛ばして説教をしてたんだ」

「そうかよ」

「あいつが止めてくれてたから馬鹿でも屑でも、道だけは外さなかったのに……なんであんな強えやつが死んで、俺が生きてるんだろうな……」

「そんなこと知るか! 誰だって好きで死ぬわけでも嫌いで生きるわけでもねえぜ。ただな、あんなちんけな犯罪してるを六姉が見たら確実に死んだほうがマシだってぐらい殴られるだろうよ」


 妹に殴られ。半分も生きてない少女に説教され。死人に依存していた事を自覚され。

 五平は大きく息を吐いて、顔を抑えた。

 お八は疲れたように笑いながら、


「師匠の言ったとおりだな。拳を通じて分かり合うこともある……って」

「あ、いやすまん。あれは冗談だ」

「台無しだぜ……」


 そうして暫くし……。

 五平はうずくまった体勢から起き上がり、俯いたまま云う。


「お八に殴られて、色々思い出したこともある。とりあえず、犯罪はやめることにした」

「そうかえ」


 彼は顔を上げて、憑き物が落ちたように、


「自分のこれからの生き方を考えてみようと思うんだ。せめて、あの世に行った時お六に殺されない程度に」

「そうしろ」

「だからとりあえず実家から小遣い貰って吉原に行きつつ悪友に金をばら撒くのは続けても大丈夫な線だよな?」


 九郎と晃之介は振り向いてお八を見た。 

 彼女は頷き、首を掻っ切る仕草を見せる。

 それに納得してとりあえず五平をもう一度、九郎と晃之介でボコっておいた。


 長年お六に殴られ続けても直らない性根は、今更なのであった……。 





 ******





「そういや、親父達と九郎が話し合ってたけどあの碌でなしはどうしたんだぜ?」


 後日。九郎とお八が暇なので食べ歩きに出かけていた時のことである。

 実家にも姿を見せなくなった兄のことを思い出したかのようにお八は九郎に聞いてきた。

 九郎は頷き、


「ああ。己れから話を通してとりあえず出稼ぎに行かせた。今頃薩摩との交易船に人足として揺られているだろう」

「船乗りになったのか」

「船に乗ってさえしまえば、悪所通いもできぬし悪い仲間とも会えぬ。豪遊もできんし周りはツッコミが死罪級に厳しい薩摩人だ。ちょうどよかろう」

「そーだな。まあ遠くで元気にやってると信じて二度と顔見せない事を願うぜ。あんなんでも兄貴だからな」


 島流しよりは罰でないだけマシだと思ったのだろう。両親の許可を取って鹿屋に話を通し、薩摩行きが決定したのであった。

 別に薩摩行きが厳罰みたいなものだから行かせたわけではない。単に遠くまで連れて行く船便の知り合いがそれだっただけだ。


「昔から跳ね返りは船に載せろと言ってな。とは言え素人が鮪漁船に乗っても邪魔だから徐々に慣らして行くのだが」

「はあ……」

  

 それにしても、と九郎は続けた。


「ハチ子も強くなったな。腕っ節もそうだが、ちゃんと心が成長しておらぬと説教もできないものだ」

「なっ……ふ、ふん。当たり前だっての。あたしだって、なんかこう落ちこぼれた気分はわかるからよ。でも自分でどうにかしたいって思うのが大事なんだって……九郎と会ってから考えてさ」

「そうか」


 九郎は自然と、お八の頭を撫でていた。

 短く結んだ髪が軽く乱れて、「ああもう」と不満気な声を上げたが彼女は止めようとしない。


「そうだなあ」


 九郎はなんとなく、出会って一年少しの少女が成長したことが嬉しくなったのである。

 子供はすぐに成長して大人になる。いつか追い付いて、追い越して……置いて行かれるような気がして、嬉しさの中に寂しさも感じるのであった。 




 ******




 一方その日の夢の中で。


「くーちゃん! くーちゃん! 冷やかしでフリーメーソンに入会しようとしたんだけど、なんか間違ってフリーソーメンとか云う秘密結社に入っちゃったみたいでそうめんがやたら送ってくるんだけど! いい加減飽きたよ!」

「なんで夢の中にまで粗品が送られてくるのだ……」

  

 自分よりかなり年上の筈だが、相変わらず落ち着かない学生のような魔王ヨグに呆れる九郎。

 どこかの碌でなしのように、成長して大人にならない者も居るのである。

 九郎は仕方なしに、夢でヨグとそうめんの笊を突付いて消費を手伝うのであった。 

 

「……茹で加減が雑だ」

「お、同じだよ誰が茹でてもこんなのっ」

「イモ子も早く帰って来ぬかなあ。ヨグが作るより良い筈だが」

「うう、イモータルもどこで自己修復してるのかなあ。見かけたら教えてよ?」


 ぼやいて、自分が魔王城での妙な付き合いも気に入っていたように懐かしんでいる事を思って、九郎は小さく笑った。

 秘密結社のそうめんはなんとも言えず、割と普通の味であった……。 

  


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