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【RE江戸書籍化】異世界から帰ったら江戸なのである【1~4巻発売中】  作者: 左高例
第四章『別れる道や、続く夏からの章』
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外伝『IF/江戸から異世界6:ダンジョンエンカウント後編』

 スフィが──と云うよりも、彼女が所属する傭兵の隊がクロウと云う男を見つけた時の事である。

 彼は大層場違いな格好で、野原の真ん中に寝転がっていた。

 サスペンダーで胸元まで覆うゴム長を履いていて首元と頭にタオルを巻いている。シャツやタオルは海水でぐっしょりと濡れていた。内陸の野原だと云うのに。

 あたかも漁船からそのまま現れたような様子であったのだが、一応生きていた様子だったのでスフィが気付けの歌で起こしてやると、


『……?』


 彼は周囲を見回して、スフィや他の傭兵隊──クロウの基準で言えば西欧人風の顔体つきの者達を見て、まずこう言った。


『しまった、ロシアかここは』


 蟹漁船から転落したクロウはロシア国内に流れ着いたのだと勘違いしたのである。それが彼の異世界で第一声だった。

 クロウは軽く焦っていた。事故ではあるが不法入国だ。ついでに高卒な彼が喋れるロシア語は、職業柄身についた『埋める』とか『沈める』とか『拉致』などそう云う物騒な単語しか覚えていない。中国語も似たような程度しか使えない。役に立たない語学力である。

 しかしながらペナルカンドに流れ着いた者は異世界人だろうと言語は通じる。暫く話してクロウは状況に納得し──騒いでも仕方がないと思えば当たり前である──傭兵団に厄介になることにした。

 無一文で身寄りも無いクロウだが、健康な体さえあれば傭兵などと云う職業は誰にでもなれる時勢であった。装備を借りて傭兵の一員として、主に最初の頃は後方警護や雑用などを主に行うことになった。

 突然日本から異世界に飛んで兵隊になった彼だったが、それを嘆いたところで現状はどうにもならないのはこれまでの若干怪しげな職業遍歴から十分に悟っていたのですぐに馴染んだ。

 

 クロウの面倒を見るのはスフィの仕事だった。

 最初はなんで私がこんな世間知らずの唐変木を、と面倒臭がっていた彼女だが、記憶でも失ったかのように何も知らないクロウ相手に授業を続けているうちに親しくなって行った。

 そもそも見た目が人間で言うと年齢ひと桁台なスフィはいかに成人女性とはいえ、傭兵団内でも一番の末っ子扱いをされていたのでそんな彼女でも年上ぶれて偉そうに接する事ができ、素直に聞いてくれるというクロウに悪い気分はしなかったのである。

 次第にクロウも隊に慣れていった。

 戦闘はともかく、料理やら活動経費の帳簿計算や、鎧や衣服に染み付いた頑固な血汚れを綺麗に洗ったり、色々埋めたりと自分ができる事を次々とこなしていたので重宝がられるようになった。小さな金融会社の事務や特殊清掃の仕事経験が生きたのである。

 

 彼は己の身を守れるように剣も習った。とは言え、隊長が使うのは叫びながら思いっきり振り回すという単純なものだったが、それ故に体格が良いだけのクロウでもすぐに覚える事ができた。

 しかしながら彼が前線に出ることはまだ無かった。仲間たちは競って敵に突っ込み、新入りなクロウに手柄を渡すまでもなく戦場の小競り合いで戦いを重ねている。

 近くの都市が宗主国に宣戦布告して独立を表明したことで、ペナルカンドではよくあることだがとんでもない勢いを持ち戦火は拡大して傭兵は仕事にあぶれない時期だったのである。

 エルフの国を家出して旅をしていたスフィもまた、クロウと同じように行きがかりで隊長に連れ去られて傭兵になったのだが。彼女の場合は広域に効果のある聖なる歌が便利であったからだ。多くの国軍はそのために軍楽隊を編成して戦場に連れてくる習わしがある。

 クロウの戦場での役割はそんな後方で援護するスフィの護衛が主だった。

 そして、ある時の戦いでのことであった。

 

『クロウ!』


 声が響いた。隊長の声だ。彼は戦士であり、命名神の秘跡を使える信徒でもある為にその術の一つとして誰かに[命令]するときは離れていても声を届かせることができる。


『伏兵が矢を撃ってくる! スフィを守れ! スフィは戦いの歌続行!』


 その時スフィは[戦場でワルツを]と云う聖歌を詠唱中だった。身体能力の向上や意気高揚のメジャーな戦闘用聖歌である。

 彼女の能力ならば音の衝撃波を出して飛びくる矢を防ぐことも可能だったが、前線で苦戦中の味方にこの援護を中断させれば被害が広がる。

 スフィは森の中、開けた場所で歌を響かせていた。歌いながら空を見上げると、黒い礫が無数にこちらに放物線を描いて飛来してくるのが見えて歌を止めかける。十や二十ではない。相手はただの弓兵ではなく、土属性の魔法[ブロークンアロー]による大量の石製矢弾での面制圧投射だ。

 逃げるかどうかをスフィは思う。それなりに仲の良い傭兵仲間だが雇われの身で命を懸けてやる意味はあるのか。

 思っていると、後ろから彼女の目の前に長身の男が立ちはだかった。

 両手に分厚い篭手を付けたクロウだ。


『盾は無くてな。己れがなんとかするから続けてくれ』


 言うとクロウは拳を握り構えて落ちてくる石の矢をじっと見た。

 体に突き刺さる衝撃をこらえ、矢を腹から背中に貫通させ、二本に一つは篭手で弾く。殆ど偶然篭手に当ててるようなもので跳弾がまた体に刺さるが、彼はその場を動かなかった。

 目の前で致命傷となり得る量の尖った石の矢を体に受けた彼をすぐに回復の聖歌に切り替えて癒やしたかったが、そうしようとすると彼は顔だけ振り向いて大丈夫だと伝える。

 伏兵の魔法使いが斃されたのはすぐだったが、それでも前線が切り抜けるまでスフィは盾の役を終えて血まみれの針鼠みたいになり足元で転がるクロウを歌いながら見下ろすしかできなかった。

 気絶した彼の治療を終えて意識が戻ったのがその夜である。死ななかったのは運が良かっただけで、一つでも当たりどころが悪ければ命を失っていただろう。

 相変わらず平然と笑いながら、


『いや、あの状況だと己れも避けるほど逃げられないっていうか』


 彼はそんなことを言って、心配してずっと側にいたスフィに応える。


『それでもお主だけでも、物陰に隠れるとか出来たじゃろ。私だって、命を懸けていいものかと思ったのじゃが』


 クロウは腕を組みながら悩ましげに、


『うーん、深い理由があって助けたわけじゃないんだけどな。ほら、スフィには世話になってるし』

『世話なあ……』

『だからまあ、己れが守れるように近くに居ることだな』

 

 いつか──少し昔に言ったことがある、弟が学校でいじめられた時の慰め程度の軽い言葉をクロウは彼女に言った。

 どこか得意げな気負わない雰囲気の言葉であった。

 スフィも何故か安心して笑いながら、


『お主も世間知らずな上に大して強くはないのだから、死なぬように私の目の届くところに居るのじゃぞー』


 そう、返した。

 それから傭兵隊で暫く転戦を繰り返すが、大体は二人は近くで戦うようにして──。

 三十年あまりも、腐れ縁は続いていた。

 いつかクロウがまた死にかけでもしたらその時には絶対に助けると誓っていたのだが──彼が街を魔女と共に逃げた時に、後悔で塞ぎ込んだと云うのに。

 

 今この場で──目の前の彼の死体を見て、スフィは……。




 ******




 赤い水溜りが床に出来ている。

 それは両足、左手を切断されたクロウから流れでた血液だ。

 一体どれだけの量が流れて、そして今も傷口から出ているだろうか。少なく見積もっても、危険な量であることは明白だ。

 目撃したオルウェルは異常事態へ脳が付いて来ず、頭の中が真っ白になっていた。

 彼女は何の因果かダンジョンに潜り魔物と戦う、冒険者などと云う命の危険がある職業に付いている。

 しかしそれでも、戦うと云う事は殆どしたことはなかった。前線に立つのは今倒れている手練れのクロウと云う戦士で、オルウェルはおまけと言うか荷物持ちの賑やかしであった。

 何度か低級の魔物に襲われたこともあるが、彼女が実感として覚えた危険というのは打撲とか擦り傷程度のものである。 

 手足が一瞬で切り飛ばされるなどは理解の範疇外であった。

 そもそもほんのニ、三ヶ月前まではオフィスで働くただの事務員だったのだ。


「───!」


 オーク神父が大音響で悲鳴を上げて駆け寄ったのも、どこか他人事のように見つめながらも彼女は魂の奥底から湧き出る寒気と震え──死の恐怖に脳が動き始めた。

 出会ってそう長い付き合いではないが、あのクロウを瞬時に殺害たらしめた相手だ。次の瞬間には自分の首が飛んでいるかもしれない。

 殺されかねない恐怖にオルウェルの体を包むドレスはきつく全身に巻きつき、筋肉の動作を補助する効果を発動し始める。

 オルウェルが次に思ったのは、もはや本能的な事であった。

 生存本能に従って動く事だ。

 頭の中に何かが囁きかけるように選択を迫る。


(逃げ切れるか? 否、不可視の攻撃がこの直線の通路を飛んでくるかもしれない)


 クロウに見繕って貰った歩き易いトレッキングブーツの靴底に力が籠もる。


(攻撃を防げる? 否、理解不能な一撃を受け止めれば二の舞いになる)


 背負っていたリュックが身じろぎもせずに落ちた。肩紐がドレスの変形した鋭利な刃物で断ち切られている。

 オルウェルは虚ろな表情のまま前傾姿勢になっている。


(ならば、次の攻撃を受ける前に───打倒するしかない)

 

 そう云う言葉を──。

 何かが、彼女の脳に語りかけてきた。無意識にオルウェルはそれを選択してしまう。

 意志は動きを呼び、同時に彼女の足元から爆ぜた音がなった。オーク神父がその音に気づく前に、姿を消している。

 異常な加速が一歩目から掛かる。地面を超強化された脚力で蹴る度に体にまとわりつく風が圧縮され薄い蒸気へと変わり雲のように変わった。

 通路を直線ではない。壁。床。天井。目に映らぬ速度で三次元的に位置を変えながら相手の居る位置──50メートルを進む間に音速へ到達する。


(やらなきゃやられる、やらなきゃやられる)


 頭が上手く働かない今、彼女はその強迫観念に取り付かれている。

 ヴァオウドレスによる反撃本能を過剰に強化して恐れからくる身体のリミッターをカットし、全身の衝撃を無視した超人化の能力であった。

 

「オル──」


 神父の叫び声よりも早い。彼から見れば突然オルウェルが消えて廊下のあちこちが爆ぜながら前へ進む影が見えた程度か。

 

「うああああ!!」


 涙を流し、奥歯をがたがたと震わせながら、死への恐怖を振り払う為にオルウェルは敵──世話役侍女人形ミザリーへその後方頭上から徒手で襲いかかった。

 だが──ミザリーへ触れるその手前で彼女の前面を黒い布が覆う。

 それごと打ち破ろうと腕を突き込むが、手応えは無く吸い込まれる錯覚を覚えた。

 声が響く。


「感覚断絶兵装[六魂幡]……」


 それが黒布の名だ。

 離れた位置のオーク神父からは、布に一瞬突っ込んだオルウェルがそのまま目標を見失い、地面に勢いを保ったまま墜落する姿が見えた。

 突き出していた腕は肩まで一気に砕け、床を転がりながら三人の方へ全身の骨がへし折れる音を出しつつ吹き飛んできて──彼女はぴくりとも動かなくなった。

 

「オルウェルさん!」


 神父が駆け寄り抱き起こすが、目を見開いていても何も見えておらず、聞こえていない。心臓だけは動いていて血を流しているが、一切反応を返さなかった。

 遠くから反響する、ぼそぼそとした声が聴こえる。


「びっくりした……」


 のそ、と足は見えないが、黒い立体の影めいた姿がこちらにゆっくりと近づいてくる。


「五感と意識をそれぞれ……殺したのだけれど……するまでもなく……死にそうね……えへ」


 ずるりと──。

 引きずる音を立てながらミザリーは向かってきている。

 オーク神父はオルウェルを抱えたまま急いで倒れたクロウと、放心しているスフィの元へ戻って怒鳴った。


「スフィさん! 起きて! 意識をしっかり!」

 

 叫んで肩を揺らし目覚めさせようと試みる。


「このままじゃクロウくんも死ぬ! 逃げるんだ! だから起きてくれ!」


 必死に、背筋に感じる寒気に冷や汗を流しながらオーク神父はがなりたてるが──虚ろな表情をしたスフィは目を覚まさない。

 目の前でクロウが即死させられたと思い込み──ショックで思考が停止しているのだ。

 ずるり、ずるりと背後から音が迫ってきている。オーク神父は祈るように云う。


「まだクロウくんは死んでないんだ! 早く連れて逃げないと!」

 

 云うが、声が届かない。歯噛みして顔を歪めた。

 二人。

 自分を含めて二人いれば全員で逃げ切れるすべはあった。しかし、彼の手がいかに大きくても全身複雑骨折のオルウェルとほぼダルマ状態のクロウ、それに精神崩壊しているスフィの三人を同時に運ぶのは無理だ。

 

(まずい……全滅……?)


 ぞっとした。

 全滅を免れる手はある。

 最も運びにくい、手足の散らばったクロウを見捨てて他の二人を連れて逃げる事だ。

 二人とも今は無力な女性であるし、咄嗟に彼女らを救ったクロウの意志に則っていないとも言えない。それにどうやら相手はクロウが目当てのようで、今この場ですぐに殺されるとも限らない。

 オーク神父は───決断をした。

 振り返って、既に彼我の距離が当初の半分ぐらいまで近づいている相手にスコップを持って駆け寄った。

 10m程離れた位置で立ち止まって、スコップを横に構えて叫ぶ。


「止まれえええ! なんなんだ君は! いきなり襲ってきて、何が目的なんだ!」

「……?」


 動きを止めたのを見て表情に出さずに彼は安堵し、声を張り上げる。


「クロウくんの知り合いか!? まずは出会ったら挨拶をしてから要件を言え!」

「ああ……」


 ミザリーは再び、真っ黒な一張羅の隙間から白い手を出した。

 そこには特殊警棒のような物が握られている。


「時間……稼ぎ……?」

「っ、そうだよ!」


 開き直る。腰は引けていた。呼吸も自然と荒くなっている。スコップを持つ手に汗が滲み、オーク神父は相手を睨みつける。

 ミザリーはにたりと笑いながら、軽く警棒を掲げた。


「ミザミザの……目的は……ご主人だけなのに……」

「自分のことミザミザって云うの!?」

「それが……なにか?」


 心底不思議そうに首を傾げる相手に、オーク神父は会話を続ける為に言葉を選ぶ。


「いい名前ですね!」

「死ね……ミザミザを……褒めていいのは……ご主人だけ……」

「失敗かよ!?」


 無難な選択を選んだつもりが速攻かつ無駄に地雷を踏み抜いたようであった。


「邪魔……お仕置き打撃兵装……[打神鞭]……」


 二人の距離は10m離れていた。だが、その距離からミザリーが掲げた警棒を振り下ろす。

 すると、その棒は異常に伸び、かつ十程に枝分かれして棍棒の威力と鞭の弾力を伴った強烈な打撃の雨を、対峙するオーク神父に振らせた。

 スコップで頭を防御するが、


「がは……!」


 オーク神父の体に何発も鞭がめり込む。それはオーク種族が持っている分厚く強靭な筋肉と脂肪の鎧に、鉄より強固な骨を持ってしても耐え難い威力を持っている。

 腕に当たれば衝撃で肘が開放骨折を起こした。

 胸元に突きこまれた一撃は肋を砕き片方の肺に損傷を与えたらしく、血の味がこみ上げる。

 膝の接合部は圧し潰されて砕け、体重を支えるのがひどく苦痛になった。

 鼻先にいれられた一撃で顔面のパーツが歪んだのではないかと云う強烈な痛みは涙に血が混じり視界を赤く染めた。

 めりめりと体中が千切れるような音を立てて、オーク神父は膝をついて血混じりの胃液を吐瀉する。

 一瞬で彼も重傷になり、己の無力さに彼は奥歯を噛み砕いた。


「まだ、だあああ!!」


 動かなくなった片足代わりにスコップを杖に使い、彼は立ち上がって行く手を阻んだ。

 彼から攻撃を行える余力など何もない。ただの肉の壁だ。もはや逃げることもできない。故に、覚悟が決まったように喉の奥から唸り声を出して相手を睨む。


「どいて……」


 再び攻撃が飛んできて彼の体を打ち据え、あまねく体中に怪我が及ぶ。

 倒れそうになっても体を支え、凄絶な顔で立ち続けた。とてつもなく痛み、今にも泣きそうだったが、涙さえ見せずに。

 ミザリーはやや眉根を寄せたようにして、云う。


「無意味……」

「さあね! 本当に無意味かどうかはわからないさ!」


 ただのハッタリだ。それでも彼は言葉を紡ぎ語りかけた。


「一秒でも時間を稼げばクロウくんが目を覚ますかもしれない! スフィさんが気を持ち直して二人を治療するかもしれない! オルウェルさんが真の力か何かに目覚めるかもしれない! 未来は無意味かどうかなんて決まっていない!」

「どうせ……そんなことは起こらない……」


 哀れんだ顔でオーク神父を見るミザリー。

 機械人形にもそんな感情があるのか。何故か笑い出したくなる気分だった。


「そんなことに……痛い思いをしなくても……寝ていれば……ご主人だけ連れて行くのに……」

「それはさせない!」

「弱くて……怖くて……震えているあなたに……何ができるの……」

「うるさい!!」


 オーク神父はスコップを構えて、顔の穴という穴から血を流しながら歯を食いしばって告げる。


「そりゃあ確かに僕は弱いよ! 喧嘩なんて苦手だし、危なくなったらすぐに逃げる! 旅をしていたら怖いことだって幾らでもあって泣きたくなるさ!」

「……」

「それでも! 僕は友達を見捨てたりはしない! 絶対に大事な人を置いて逃げたりはしないんだ!」


 体中が悲鳴を上げていますぐに床に転げまわるほど苦痛だった。

 どう考えても勝てない、痛めつけられるだけの相手と向き合っていて土下座でもして謝りたい気持ちだった。

 後ろに誰も居なければそうしていただろう。

 だから今は、譲るつもりは一つもなかったのである。


「どちらにせよ……あなたの望みは……叶わない……」


 再び彼女は打神鞭を振り上げる。

 もう一撃に耐え切れる体力はなかった。故に、意地と根性で意識ある限り受け止めてやろうと吠える。


「叶わないなら、僕がお前を倒してでも叶えてやるんだ!!」


 戦えなどしないが、自分に攻撃が向いている間は一秒でも二秒でも皆を守る事ができる……だから、彼は立ちはだかる。

 

「───よくぞ吠えましたわ!!」


 高い声が響いた。 

 同時に天井の一部が砕けて巨体が落下の速度でオーク神父の前に降り立った。

 全身を角張って黒紫色の大鎧に身を包んだ彼と同等の背丈を持つ騎士である。

 首元にちょこんと乗った頭は小さく、長い金髪で少女の顔をしていた。 

 彼女をオーク神父は知っている。故に、叫んだ。


「イートゥエさん!?」


 かつて傭兵時代、そしてそれからも多少付き合いがあったデュラハン化した不死身の姫騎士、イートゥエである。


「挨拶は後! 友達として加勢しますわ! 喰らいなさいな、土系術式[グレイブエンカウンターズ]!」


 彼女が腰に帯びたワンドを持って呪文を唱えると、ダンジョンの床が無数に巨大な墓標のように隆起して凄まじい勢いで正面のミザリーへ大量に打ち込まれる。

 渾身の魔力を込めた攻撃は半ば通路を埋めて無理矢理に相手を後退させた。


「そして!」


 イートゥエはごついガントレットで覆われた手で自分の長い髪を引っ掴むと盛大に振り回して、思いっきり後方へ投げつけた。


「こンの───お馬鹿があああ!!」


 彼女の生首は遠心力と腕力を加算した勢いで──へたり込んでいたスフィの額に思いっきり己の額を合わせて頭突きをかました。

 めちゃくちゃな威力である。スフィの額が割れて血が滲む。

 イートゥエは床に落ちた頭で、突然の衝撃に意識を戻しかけている彼女に怒鳴りつける。


「貴女は! 何をやっているんですの! 今ここで、貴女の大事な人が死にかけてるんですのよ!」

「死に……かけ……」


 スフィは口を動かして、顔を青くして呼吸が浅くなっているクロウを改めて見下ろした。

 イートゥエの言葉は続く。


「ずっと大事に思っていて! 手に届かなくなってから嘆いて! そしてまた会えたのに失うんですの!? ふざけるな馬鹿娘!!」

「失う……厭だ……」

「嫌ならしっかりなさい! 今彼を救えるのは魔女でも誰でも無く、スフィという信頼された仲間しか居ませんのよ!? ここで彼を見殺しにしたら、一生貴女の事を許しませんわ!」


 不死者の一生と云う、矛盾した永遠の期間を恨まれて過ごすことに怯えたわけではない。

 いつだってスフィは何かに怯えて生きてきた。怯えて、逃して、手を伸ばすことを諦めて後悔に沈むだけだった。

 彼が死なないように守ると云う約束はいつの間にか、彼からずっと見守られているうちに果たせていなかったのである。

 だから、いまは。


「──!」


 スフィは血が滲む程に固く握った拳で、己の右頬を全力で殴り気を入れた。頬骨も拳骨もひどく痛み、頬の内側が歯にぶつかり裂けて血が出る。


「わかっておる! 助けてまた、これから私とクローの約束を始めるんだ!」


 共にあることを誓って、願ったそれを叶える為に。

 息を吸う。そして吐き出して、魔力を高める。 

 普通の[軽やかなる音楽団]の聖歌では治せない。あれは自然治癒が可能な範囲での体力と怪我の回復で欠損は不可能だ。

 オーク神父が応急的に手足を切り口に揃えて、既に血で染まった布で固定されている彼を見ながら、とても昔に彼から矢の雨を庇って貰いその時も血だまりに倒れていた事を思い出した。


(あの時から始まったのに、私はちっとも成長して居なかった)


 泣きそうになりながら呼吸を整えていると、前方で岩の砦が砕け散る音が聞こえた。


「面倒……ご主人以外……排除……」


 岩を打神鞭で打ち砕いたミザリーが再び近づいてきている。膝をついたオーク神父の前では首なしの鎧が対峙した。

 首だけのイートゥエは声が届くように叫ぶ。


「魔導鎧[ネメシス=アドラスティア]───防性展開なさい!」


 彼女が指示を出すと大鎧はその装甲板を展開して周囲に広げ道を塞いだ。

 表面積は数倍になっただろうか。ただでさえ巨体な鎧が左右に歪で巨大な刃翼を背負ったような形になり、更に足のスパイクと刃翼を床や壁に突き刺して体を固定している。

 その分本体の装甲は薄くなっているが防御範囲はまさに壁である。

 魔導金属で作られたその鎧は用途に応じて姿を変える特殊な能力が付与されているのだ。伊達に彼女の祖国で前線送りする姫に着せる性能ではない。

 

「うざい……」


 ミザリーは壁となったネメシス=アドラスティアに打神鞭を振るう。

 無数の打撃音が容赦なく連続して響き続ける。

 酷く強力な打撃を乱打すると云う単純にして厄介な強さを持つその武器が鎧や刃翼を殴りつけるが、衝撃は吸収されて鎧を破壊するに至らない。

 吸収した衝撃は地面に触れている両足と杭、そして、


「中の体が酷いことになってる感触が……」

 

 イートゥエの生首が半泣きだった。欠陥としか言い様がないが、この鎧は鎧自体を守る為に装着者を犠牲にする。そのために衝撃でミンチになっても復活するデュラハン化させられるのだが。

 呼吸と魔力を整えているスフィを見ながら、鎧の首元から噴水のように血が噴き出るのを感じて顔を歪める。

 鎧全体に浴びせられる打撃でむしろ押されてきているが、無理やり体を起こして立ち上がったオーク神父が力を振り絞って後ろから抑えている。


「まだですの!?」

「────よし、待たせた!」


 スフィの体から神霊効果の輝きが蛍火のように舞い上がった。

 白銀色の髪をなびかせて彼女は胸に手を当て、歌を紡ぐ。

 クロウを、仲間を助けるための───いま初めて歌えるようになった奇跡の歌を。



「聖歌[軽やかなる音楽団]、凌駕詠唱────[ただ、つむぐせんりつ(アウェイク)にみをつくし(マイソウル)]」



 彼女の聖言と共に、淡い黄色の光が膨れ上がり遮蔽物を無視して周囲一帯を包み込む。

 軽い、と云うよりも緩く優しい歌が聞こえる。特別な危機に流れるでも無く、聴くものを大層感動させる激しい戦慄でも無く───心が安らぐ、柔らかい音だった。

 歌の効果範囲は上書きされた空間に飲み込まれてオーク神父とイートゥエがあたりを見回す。ミザリーも攻撃を一旦止めたようだ。

 

「ど、どうなってますの?」

「聖歌の奇跡……それも最上級の物だ……」


 周囲の空間には茶菓子や握り飯が出現してぷかぷかと浮き、枕や布団などもそこら中に転がっていた。

 暢気な夢の中と云った様子にダンジョンの中は様変わりしている。

 オーク神父は自分の怪我だらけの体を見下ろした。すると、こんなゆるい空間に怪我は相応しくないとばかりに───急速に治癒が進み血の痕さえ消えていく。

 彼だけではなくイートゥエも鎧の中が急速に肉体の回復を始め、倒れているクロウばかりか聴覚を奪われた筈のオルウェルさえ無傷へと戻っていき、またその気絶して死の寸前だった表情も安らいだものへと変わっていった。

 

「なに……?」


 空間の強制変更にミザリーは不快そうに視線を動かしながら、思い直して再び打神鞭を振るった。

 だが、伸びて相手を打撃する筈の武器はその効果を発揮せずに素振りに終わる。

 

「どうして……」


 ぬるりとした動きで近づき、鎧を広げた首無し騎士へ直接打神鞭を叩きつける。

 しかし当たるとポムフと云った軽い音とクッションを叩いたような反動が生まれ、殴ったところから小さな光の花びらが飛び散ってすぐに消えるだけで一切の損傷を与えられなかった。

 攻撃が現象領域で無効化されているのである。この凌駕詠唱によって創りだされた仮想空間では、いかなる攻撃もすべてキャンセルされてしまう。

 

「完全回復と戦闘強制停止、凄まじい効果の奇跡ですわ……」


 イートゥエがため息混じりに、瞬時に重傷者を復帰させた術式を見て感嘆する。

 この世界では回復魔法などは自己治癒程度しかメジャーではなく、また癒やしの神の高等司祭でもこれほどの重傷を即座に治す事はできない。非常に高価な回復の魔法薬を使えば可能だが、三人分それを買うだけで土地付きで家が購入できるだろう。しかも、この奇跡は効果範囲にいれば人数の制限はほぼ無く全員に及ぶのである。

 なお、デュラハン化と云う彼女の状態異常に似た体質はそれが解除されるとそのまま死にかねないので残したまま体の怪我だけは治っているようだ。

 オーク神父が戸惑っているミザリーを一応注意しながら、


「文献に載っていたのを見たことがある程度だけど、これまでこの聖歌が使われた事例は殆ど無いはず」

「どうしてですの?」

「使えないんだ。奇跡認定された司祭どころか、一国の大きな神殿に集まる全部の歌神司祭が集まって合唱してもこの奇跡は発動しなかったそうだよ。それほど使い手を選ぶんだけど……スフィさんは一人で……」 


 多くの神に対する信仰から能力を発揮する秘跡や奇跡があるが、その中でも最上級でお伽話のように知られている聖歌である。

 理念だけでも広めようと歌のメロディ自体は古くから歌い継がれていた、誰でも聞いたことがあるようなありふれた優しく暖かな歌。

 人はそれを[世界を平和にする歌]と呼んだ、願いの欠片を実現する奇跡であった。

 

(クロー……)


 スフィは歌いながら、クロウを見て泣きそうな笑い顔を浮かべる。


(ごめんなさい、ありがとう──まだ、私は一緒に居ていいのかな……)


 近くに居ようと約束して、一緒に居たいと願ったというのに。

 彼の肝心なときに共に居れなかった自分だが。

 これから、そうありたいと……ようやく思っても良いのだろうかと、スフィは想った。


「う……」


 と、呻きながら身じろぎをしてクロウが繋がった左手で頭を抑え、上体を起こした。

 体とともに精神を癒やす効果もある聖歌なので気絶からもすぐに目覚めたのだ。オルウェルは癒やされすぎて鼻ちょうちんを浮かべているが。

 クロウは優しく響く歌声に、スフィを見つめて何事も無かったかのように──いつものように眠たげな笑みを浮かべつつ云う。


「何度か思うたが、スフィの歌は聞きながら死ぬには勿体ないのう」


 若い頃、異世界に現れ流れるままに生活を始めたものの現実感は無く、なんとなくで命を張った事があった。

 その時も死にかけて諦めかけ、起きる前に聞いた歌で引き戻されて思った感想である。

 親切で背伸びしたがりで得意げでクロウの側で笑いながら歌っている声が綺麗な……そんな大切な友達が無事で、クロウは安堵に微笑んだ。

 スフィは涙に耐え切れずに、聖歌は途中で終息して周囲の亜空間が薄れて元のダンジョン内部へ戻った。

 その場で俯いて声を殺し、泣き出したスフィにクロウは立ち上がって軽く背中を撫でてやり、前に出て魔剣マッドワールドを立ち尽くすミザリーに向ける。


「イモ子の姉か親戚か知らぬが、躾ができておらぬようだ」

「……」


 合わせて、クロウの左右でスコップを構えたオーク神父と頭を乗せたイートゥエも杖を向ける。オルウェルは鼻ちょうちんが割れて二つ目を膨らませていた。

 ミザリーはゆらゆらと左右に揺れながら、何も映さない赤黒い瞳を向けてこくりと頭を下げた。


「こんにちは……ミザリーです……ご主人」

「挨拶からやり直した!?」


 オーク神父が自分で少し前に指摘しておいて何だが、今更名乗ったのでツッコミを入れた。

 クロウは剣を構えて言い返す。


「ご主人だかなんだか知らぬが、己れはクロウだ。生憎とメイドの知り合いはイモータル一人で充分でな」

「クロウ……ご主人……えへ」


 裂ける程に口を笑みの形に開き──彼女は嗤った。


「えへ……えへへ……別に……ご主人がどう思おうと……構わない」


 黒い体から白い手二本、真上に掲げて不気味な喜色を見せながらミザリーは云う。


「どう思っていようと……何をしようと……ご主人の意志に関係なく……無償の奉仕をするから……」

「迷惑すぎる」

「ご主人と……ミザミザだけの世界に……そのうち……連れて行ってあげる……でも今は……」


 彼女の言葉の途中で、前方と後方──通路のそれぞれが隔壁のようなもので閉鎖された。

 いつの間にかイートゥエが天井から現れた穴も、黒々とした糖蜜のような結晶で埋められている。

 ミザリーは己に内蔵された固有兵装を展開する。


「[247F°]……」

 

 唱えると──密閉されたこの空間の温度が華氏247度(摂氏120度)にまで急上昇した。高温のサウナ状態である。


「熱っ!?」

「うっ……呼吸が」


 体の小さいスフィなどは涙が蒸発して顔を抑え、うずくまる。

 空気が乾燥しているから火傷こそしないが即座にオーク神父の身につけている金具やイートゥエの鎧などは熱を持ち始め出す。暑さのあまりに寝ていたオルウェルがだらしなくなっている。


「それじゃあ……また……ご主人……」


 言って、彼女は影に染みこむように足元へ沈んで消えて行き──


「暖房切ってからいけ、この駄メイド」


 それより早く接近したクロウが半分以上地面に沈みつつあったミザリーにマッドワールドを振るう。

 間一髪──で、失敗して彼女の右手だけがぼとりと切り落とされて地面に残ったが逃げられたようである。

 舌打ちをするが、それよりもこのサウナをどうにかしなければならない。氷結符で冷やせばすぐだが……


「と、とりあえず脱出しよう。皆、集まって」


 息が荒くなって顔の汗を拭っているオーク神父が呼びかけて集合させる。いい加減、オルウェルも眼鏡の金具が熱を持って火傷して飛び起きたようだ。顔に痕が残っている。

  

「なんすかこれ……」

「本当にアレだのうお主」

「アレじゃな」

「アレだねえ」

「アレですわ」

「何がっすか!?」


 ともあれ、全員は手を握り合って一纏めになる。

 オーク神父は聖なるスコップを握りしめながら旅の神への聖句を唱えて、一日に一回限定の術を使用する。


「それじゃあ一旦戻るよ。……[リターナー]」




 *****




 旅神の奇跡の一つ、[リターナー]。

 それは事前に用意した拠点へ、手を繋いだ仲間ごと転移する高等の奇跡である。

 制限として拠点を作った時から一日以内でなければ帰れないのではあるが、これを使えば帰還の時間を一日縮めることができる非常に便利な能力である。

 無論、秘跡の上位である奇跡に認定されているだけあって上位の神官でなければ行使はできないのであったが。

 イートゥエも連れて五人が戻ったのは大穴を降りる前──帰ることがあったら、昇るのが大変そうだからとオーク神父が仕掛けていた──に食事を取った部屋であった。

 清涼な空気が肺に入って、それぞれ大きく深呼吸をしつつ座り込んだ。


「前から思ってたけど、イツエさんって深呼吸の意味あるのか。首離れてるのに」

「気分的な問題ですわ! 問題ですわ!」

「あっなんか懐かしい……若返ってからは、ええと確かどこかで」

「初対面ですわ! 初対面ですわ! まあクロちゃん若返って可愛らしく!」


 がしっと肩を掴んすっかり背まで縮んだクロウを、有無言わせぬ顔で眺めるイートゥエである。

 定期的に知り合いに会って回るオーク神父と違い、放浪生活が多い彼女は以前に住んでいた街にも中々寄らなかったので顔を合わせるのは久しぶりであった気がしたが──


(いや、同人誌の即売会で……あっ)


 クロウはそれとなく察して、出会っていないという方向で話を進めることにした。誰とて会いたくない場所があるのだ。


「それにしても懐かしいメンツでダンジョンに来てますのね。そちらの女性は?」

「わ、わたしっすか。オルウェルって元開拓公社人事部の者っす」

「わたくしはイートゥエ。家名は故あって名乗れませんが不本意ながらデュラハンの開拓員ですわ」

「デュラハン……? ダンジョン内を徘徊してるデュラハンに追い掛け回されて死ぬかと思ったって報告が何件か上がってたような……」

「道を聞こうとしただけですわ!」


 と、二人が交流を始めた横でクロウがオーク神父と笑いながら、


「いやあ、今回も死ぬかと思ったのう」

「はははいつもながらピンチだったねえ」


 などと談笑していると、一人沈んでいるスフィにクロウは気付いて、声を掛けた。


「うむ? どうしたのだスフィ。腹でも冷やしたか」

「……ごめん、なさいクロー」

「?」


 首を傾げるクロウに、スフィは続けて謝る。


「私がしっかり、クロウが怪我したらすぐに治さないといけなかったのに……頭が真っ白になって……クローが死んだと思って……」

「スフィ」

「クローは私を守ってくれてるのに……私は全然駄目で……ごめん」


 クロウは困った顔で彼女の頭に手を置いた。


「何を言っておるのだ、お主は。しっかり治して貰っただろう。ありがとよ」


 それに、と続ける。


「咄嗟のことで混乱するのは当たり前だ。己れだって焦って判断をミスることも何度だってある。あの時最適な行動があったと思い返しても、そんなもん忙しいその場で選べるわけは無いのだ。よいかスフィ」


 スフィの顔を起こさせて、クロウは目をわずかに細めながら、少しばかり自嘲を含んだ笑みを浮かべて言った。


「生きてさえいれば失敗ではないから、大丈夫だ。お主はちゃんとできたではないか」

「クロー……」

「そうだな」


 彼は思いついたように提案した。


「これからも危ない事があるかも知れぬからな────己れを助けられるように近くに居てくれるか、スフィ」


 そう言われて。

 ずっと昔に、言われた言葉が浮かんだ。 

 

『だからまあ、己れが守れるように近くに居ることだな』


 と、その時とは真逆で、同じ内容の約束を彼から持ちかけられて、スフィはまたクロウの胸元で泣き始めてしまうのであった。

 大泣きを始めたスフィの涙の理由を察せずにクロウは慌てて、


「スフィ? どうしたのだ。ええと、オーク神父、甘いものをここに」

「いやクロウくん空気読めよ」

「これで平常運転だからクロちゃんは困りますわ」

「悪い人っすねー」

 

 何故か仲間には非難轟々であったのだが。

 なだめながら、クロウは遠い目で以前を思い返した。


(生きていれば失敗ではないか……己れは、失敗させてしまったからな……)


 あの時ああしていれば。

 もっと別の方法を選べたならば。

 早くに気づいていたら。

 握った手を掴み続けていたとしたら。


 大事な相手を失うことは無かったと云う後悔が浮かび、今はその迷いを振り切るのであった。




 *****




「外ですわー!!」


 その後。

 とりあえず今日のところは帰ることになり、そわそわとしたイートゥエを連れて出口に向かって酒場につくが早いか、彼女は外に飛び出した。いや、正確にはダンジョンで失くした社員証の再発行手続きがあったのだがオーク神父とオルウェルに丸投げして出たのである。

 開放された空間にこれまでになく爽やかな気分になりながらも、ですわですわと叫びながらくるくると一人踊っている。

 明らかに通行人に注目されているがもはや気にしない。久方ぶりの外だ。もう何ヶ月彷徨っていたか、時間感覚すらなくなっていた。

 目元が赤いままだがようやく気を取り直したスフィが苦笑しながら、


「これ、イートゥエ。悪目立ちしておるのじゃー」

「高貴なわたくしのオーラが溢れでているのですわ! ああこの開放感! 鎧ですけれど!」

「まあ……良かったのう、出られて」

「大変でしたのよ!? 穴掘りで進んでたら後ろから落盤してきて掘り続けるしかなくなって暑いわ暗いわ狭いわ……どこかで聞いたことのある声が土越しに聞こえなければ今でも蟻みたいな生活でしたわ!」


 テンションが上って自分の髪の毛を掴み鎖分銅のように振り回しているイートゥエ。

 明らかに不気味を通り越してそれ系の魔物みたいなのでとりあえず止めた。


「あー……そうじゃ。今日は食材が余ったからうちで飯にするが、お主もどうじゃ?」

「あら。そういえばスフィの教会ってこの街にありましたのね……でも」


 イートゥエは頭を振った。正確には手でシェイクするように。


「今日のところは一旦、賃貸のマンションに戻りませんと……その、家賃とかの滞納が問題になってる可能性が高いですわ」

「あーそうか……大変じゃのう。とりあえず、一段落付いたら顔を見せてくれ。住所を教えておくのじゃよー」

「ええ。それではまた、必ず」


 彼女はそう告げて、ダッシュで自宅へ向かうのであった。その足取りもどこか空の下の地面を懐かしむようで、浮かれている。

 酒場から遅れてオルウェルとオーク神父が出てきたのを確認して、クロウはスフィに声を掛けた。


「さてと、帰るか。スフィ」

「そうじゃな! 私達の家に!」

 

 この日の冒険はこうして終わり、いつもの教会へと向かうのであった……。

 二人の距離は、半歩ほどスフィの方から近くなって。





 ******





「……」


 とりあえず全員無言だった。

 スフィの教会に皆であれこれ買い物もしながら戻ってきたら、そこにリュック一つだけ持ったイートゥエが先に待っていたのである。

 クロウが怠そうな目つきで尋ねた。


「どうしたのだ」

「マンション……家賃滞納で追い出されてましたの」

「まじっすか」

「しかも既に業者に、最低限の身分証やら書類以外すべて処分されていて……処分費が敷金より掛かったからって請求書まで渡されましたわ……」

「もしかして無一文……?」

「わたくしが集めてた同人誌……じゃなかった、趣味の個人出版物まで捨てられていて……ショックで……っていうか他人に見られましたの……」

「あーうん、その、なんだ……ドンマイ」


 あまりにも哀れなので、イートゥエは当面の間スフィの教会に厄介になることになったという……。



 

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