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【RE江戸書籍化】異世界から帰ったら江戸なのである【1~4巻発売中】  作者: 左高例
第四章『別れる道や、続く夏からの章』
83/249

68話『芝居の話、遊びの話』

 



 ここ数日は振ってくる大粒の雨が市中を冷やすおかげで、湿気こそ強いものの熱気はいささか落ちて過ごしやすくなっていた。

 雨にずぶ濡れで秋口となると熱い蕎麦が旨い。 

 近頃出している蕎麦は[葱鮪ねぎま蕎麦]を出している。これは、ぶつ切りの根深葱と鮪のトロをいつもの蕎麦汁で煮込んで、臭みを取る唐辛子や生姜を効かせただけの簡単で安い種物の蕎麦なのだが、江戸の庶民の口には合うようでよく出ている。

 脂が多いために醤油が染み込まず、保存が効かないので安売りされる鮪のトロはこのように煮て食べられた。

 現代に比べて脂分の低い江戸の料理の中で──天ぷらなどの揚げ物はともかくだが──庶民に好まれる安くオイリーな料理である。

 最近鮪が大量に水揚げされたので早速材料として取り入れてみたのだが。

 

「鳥系でやっても良いとは思うが、一般受けするのは魚風味だのう」


 なにせ日常的に魚を食べているのだから味に馴染みがあって売れるのである。

 雨の昼間であった。

 九郎はいつもの座敷で葱鮪蕎麦をつつきながらぼんやりとしていた。

 

「しかし暇だな」


 今日はまだ外に一歩も出ておらず、この雨ならば特に出かけることもないだろうと思っているのではあるが。

 お房に言われて昨日に部屋の掃除もしたし、精水符を貼り付けて飲用水を作っている水瓶も磨いた。料理は六科に任せているので手順の再現は一日程度平気だろう。

 後は畳の目でも数えてのんびり過ごすか……と九郎は欠伸をする。

 

(素晴らしい日常だな、うむ)


 平穏で平凡な暮らしを願う九郎は心安らかな気持ちで、ひとまず蕎麦を片付けようと摘んだ葱を口に放り込んだ。辛い葱の味に鮪の脂が染み込んでいて、旨い。

 

「やあ九郎君! 今日も平穏と云う布団で安寧と云う怠惰に浸っているかね!? ふふふ結構結構!」

「己れの平穏はたった今お主の登場で崩された気がするぞ石燕」


 勢い良く声を張り上げて暖簾をくぐり、九郎に会いに来たのは江戸の喪服眼鏡こと鳥山石燕であった。

 蛇の目傘を閉じて座敷に寄ってくる。雨だったからか、歯の高い下駄を履いているものの足元は水で濡れていた。

 手際よく水を張った桶と手拭いをタマが運んできて当然のように座敷に腰掛けて彼に足を洗わせる。


「パシリ根性が身についているというか、下心から動いているというか」

「それより九郎君! 大発表だよ!」

「どうした? とうとう版元がガサ入れにあって潰れたか?」

「いや、奉行所に踏み込まれたのは一昨日だけれど危なげな証拠品は別の場所に隠していたから大丈夫だったようだね」

「天爵堂は締め切りが伸びると嬉しがるかもしれぬなあ」


 江戸の時勢に於いて度々出版に関しては手入れが入るので版元も慣れたものであった。ついこの前、大規模な同人浮世絵即売会を開いたことで色々と問題があったようだ。

 ともあれ石燕は座敷の段差に腰掛けたまま九郎へ顔を寄せて告げてくる。


「ふふふ、実はね九郎君。[地獄先生 鳥山石燕]が芝居になることになったのだよ!」

「……? すまぬもう一回説明してくれ」

「だからね、この私こと江戸に名高き地獄の底からやってきて餓鬼を蹴散らし畜生をなぎ倒し、修羅の道を踏破して人の世に君臨し天に仇なした六道の支配者、地獄先生鳥山石燕──」

「初めて聞いたの」

「多分最近考えたんだろうな」


 目を閉じながら胸に手を当て自慢気にぺらぺらと長い名乗りをする石燕の言葉を聞き流しつつ、お房と九郎が声を潜め言い合う。


「──鳥山石燕を主役にした芝居を作りたいと声が掛かってね。いやはや地獄先生の名も有名になったものだ」

「お主が主役の芝居か……絵描きが主役ってそれで芝居が成り立つのか?」

「ひどく地味になりそうタマ」


 足を拭い終えたタマがいまいち想像の付かない様子で頷く。

 机を前に絵筆を動かしている図が浮かぶが、そんなものを見に来る客は居ないだろう。

 石燕は指を立てて云う。


「だから妖怪絵師鳥山石燕ではなく、地獄先生鳥山石燕なのさ。妖怪変化の類と軽妙な問答をして退散させたり、神仏の加護が宿る札で退治したりと大立ち回りを見せる予定でね」

「ははあ……」

「役者の都合などもあるから鳥山石燕役は男がするようだけれどね。案外これが広まって後世では男として扱われるかもしれない」

「厭な伏線を張るのはやめろよ」


 九郎がジト目で云う。

 出会って一年以上経ち、随分と目の前の奇天烈女な鳥山石燕に慣れてしまったのではあったが、確かに彼の遠い記憶からすれば鳥山石燕と云う絵師は女性ではなかったような気がするのだが。 

 とは言え詳しく調べたことがあるわけでもなく、名前を聞いたことがある程度だったのでどうとも言えないのであった。

 石燕は胸元から紙を取り出して九郎の前に広げた。


「役者がやるとはいえこの私が舞台に上がるのだからね。一応あれこれと口を挟ませて貰おうと交渉したのだよ」

「ほう」

「なにせ最近の芝居ときたら原作があるにも関わらず、要らない要素を付け加えたり肝心の決め文句を改変したり臭い宣伝で見る気を無くさせたりするからね」

「妙に覚えがある話だのう……」


 しみじみと云う。

 九郎も魔王城で居候をしていた時は皆で映画鑑賞などもしていたものだ。年をとると長い時間画面を見続けるのがしんどかったが、いくつかはそんな風なのがあった気がした。

 一緒に鑑賞していた中でヨグが特にキレていた。ハリウッドテイストされるのはともかく、邦画で改悪されるものは更に許しがたかったようで名前を書くと心臓麻痺を起こす手帳に監督を記そうとしていたものだから一応止めた。

 石燕は続ける。


「特に主役の鳥山石燕に関してだ。これで変な人物像を広められてしまってはこの私が後ろ指さされ組として江戸で大手を振って歩けなくなってしまう……闇に生きるはあやかしのさだめか……」

「へえー」

「だから一応人物設定表を作ることにしたのだよ。こう、項目を上げてだね……」


 石燕が広げた紙には箇条書きに、



 *****



【鳥山石燕】

身 長:

体 型:

年 齢:

瞳の色:

眼の形:

髪の色:

髪 型:

肌の色:

表 情:

服 装:

特 徴:

性 格:

背 景:




 *****



 と、ある。

 実際は縦書であるが。


「……」


 九郎はそれに向けていた目を石燕に戻して尋ねた。


「色々突っ込みたいところはともかく。髪の色とか眼の色とかそう云う細かい設定は必要なのか?」


 石燕はふっと馬鹿にしたように笑って眼鏡を指で押し上げながら薄笑いを浮かべ答える。


「九郎君。設定と云うものはどれだけ細かくても困るものではないのだよ。それに芝居となると錦絵に残ったりするのだからそれを描く絵師にもこれらをしっかりと叩き込んでから描かせなくてはいけないからね」

「そう云う割にお主の妖怪画は妖怪の名前しか書いてない上に、説明もなく創作妖怪まで混ぜて出しておるようだが……」

「さあ! とりあえずは試しとして、本体であるこの鳥山石燕の設定を先に書いてから役者用に添削しようかね!」

「そうだね」


 適当に頷く九郎であった。誰が迷惑を被るわけではない。いや、後世の研究家などは困るかもしれないが、困らなければそもそも研究と云う仕事が発生しないわけなので他人の仕事を生むと思えばそう悪くはない。はずだ。おそらく。

 石燕がさらさらと淀みなくその紙に設定──自身を適応したものを記していく。




 *****



【鳥山石燕】

身 長:五尺四寸

体 型:均整がとれて肉付きも良く木之花咲耶姫めいた美貌の持ち主

年 齢:十七(重要)

瞳の色:右目に封印されたアカシャの魔眼は物質の生■■■■見抜く故に妖怪に狙われている

眼の形:菩薩の如き優しげで周囲の人を和ませ眼光で川■■■綺麗になる

髪の色:烏の濡羽色を超越した八咫烏の羽根を罔象女神■■■■のめかみ)が■■■た艶のある美しい色

髪 型:櫛名田姫が髪を解いたように流れる腰まで伸■■■■■■■うも翼■■■広がっている

肌の色:白磁のように純白の肌には■■■■■染■■ど■■■■■■■■■■■■

表 情:微笑むだけで相手は頬を■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

服 装:喪服を常に着用しているのは■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

特 徴:青生生魂製の■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

性 格:淑女■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

背 景:前世は■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

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 *****




「すまぬ、葱鮪汁を零した」

「私の設定がー!」


 見るに耐えない妄言が書き連ねられていた紙が後世に残らぬように、蕎麦の丼を傾けた九郎の優しさであった。

 設定表は敢え無く黒々とした葱鮪汁のつゆで染められて滲み文字の判別が付かなくなる。

 ため息を付きながら九郎は手拭いで無駄なあがきをしている石燕に云う。


「特にこれなんだ。年齢:十七って」

「いいではないか。十七歳とごにょごにょヶ月なんだよ私は」

「わけのわからんことを」


 拗ねた様子でそう云う彼女は、確かに実年齢よりも若く見える。十代は無理だが、と九郎は無言で付け加えながらそう思った。

 どちらにせよ九郎からすれば十七でも二十七でも孫のようなものだ。

 

「孫が有名に……うっ最悪な全国デビューしたイリシアの記憶が思い出される……」

「九郎君が遠い目をしている……」

「どんな小さい町の農協とか漁協とかにもイリシアの指名手配ポスターが貼ってあったからのう……」


 なお撮影者は九郎であった。本人が折角なのでと見栄え良く撮らせた後で各機関に送りつけたのである。印刷には魔術文字が組み込まれていて落書きをすると塩の柱に変化させられる呪いが掛かっていた。

 思い出にふけっていると続けて石燕は袂から今度はヒトデを取り出して九郎の前に置いた。

 全体的に赤っぽい橙色をした星形で中心に目のような模様がついた手ほどの大きさのヒトデである。


「設定はひとまず置いておいて、私の除霊に使う鬼人手だが色々問題があると制作側から言われてね」

「まて。己れはそのヒトデを除霊に使っているのを見たことが無いぞ」

「忘れたのかい? あの九十九里浜で戦った蛸の邪神を倒すべく、小舟に乗って命がけの特攻を……!」

「しておらぬし、やはりヒトデ出てきて無いではないか」


 何やら彼女の脳内では壮大な冒険が繰り広げられていたようである。タマに持ってこさせた酒の徳利を片手に持っていなければ信ぴょう性があった話だろうか。そうでもなさそうであったが。

 うねうねと目の前で動く、どの位置から見ても瞳に似た模様に見られている気がして気味の悪い棘皮動物を箸で抑えながら尋ねた。


「それでヒトデが何だと?」

「この彼は[唐琵琶からびわ]と云う霊験あらたかな人手なのだがね、まず第一に──これは鬼人手とは別の種類だよねと突っ込まれて」

「そこからか」


 オニヒトデは例えるならば足の生えたウニのような、全身を毒の棘で覆われた種類で色も地味な物が多いのだが明らかにこの唐琵琶は違う生き物であった。

 じゃあなんだこいつ、と思いつつ箸の先でつつく。


「更に霊に向けて人手を投げつけるのは絵面が地味だと」

「まあ、そう思うが」

「それで考案したのは!」


 石燕は唐琵琶を自分の右手の甲に重ねる。ヒトデも触腕を指の形めいて動かしてやや同化したように見せた。


「右手に封印された力を使って妖怪を倒すのだよ……! 私の生徒に手を出すな……!」

「よりアウト方面へ突っ込んだ気がしないでもない」

「右ーは……防御を頼む」

「とりあえず止せ。ああもうほら、ヒトデもやる気になってるではないかどうなってるんだこれ」


 めきゃめきゃと手を伸ばして蠢くヒトデを箸で摘んで引き離す九郎。

 

「唱える経なども陰陽道と修験道と仙道と神道を兼ね合わせた固有の詞を考案している」

「道が混じり過ぎだろうそれ。交差点か」

「ちゃんと右手に巻く用の[封黒布]だって作成済みさ。これで真の力を制御しているのだよ」

「……」

「ああ、決め台詞は何にしようかな九郎君! 恥ずかしながら年甲斐もなく──十七歳だけどね──胸が高鳴っているのだよ!」


 目を輝かせながらあれこれと一人で話を進めていく石燕を温かい眼差しで見ながら九郎はお房に酒の追加を頼んだ。


「放っておいていいの?」

「いいの」

「九郎がもう適当な返ししかしなくなったの……」


 つやつやとした表情で語る石燕を九郎は見守るのみであった……。




 *****




 木挽町にある芝居小屋──。

 江戸の四座の一つとも言われた芝居の繁華街で、多くの役者や狂言作家が住み着いている土地である。

 それに伴い芝居の合間に飲み食いする弁当に酒屋や、子役の者が働く陰間茶屋なども盛んで、娯楽に食い物、性風俗と様々な店舗が揃った賑やかな街であった。

 しかし正徳の頃、木挽町で最大の芝居屋、山村座が江島生島事件によって遠島を言い渡され潰れたことから凋落が始まっているのが現状であった。

 これは大奥に務める御年寄の江島と云う女が、墓参りに市中へ出ていた途中で山村座にて生島と云う役者の芝居を見た後に生島を呼び宴会を開いたことから密通を疑われ、厳しく関係者に評定が下された事件であった。

 ともあれ、その事件を皮切りに存続が危うくなっているこの周囲を纏める事になった森田座は逆転の目を狙い他所ではやらぬような芝居に狂言を執り行うことにしているのであった。

 [地獄先生 鳥山石燕]もその一つである。

 江戸ではおどろおどろしい亡者や屍、地獄絵図などは割と定番に売れるモチーフであったようだ。それ以外では仇討ち、心中ものなども人気だが後者は将軍が嫌っているので奉行所の手入れが行われる危険がある。

 九郎と石燕は、子供三人を連れて地獄先生の演目を観にやってきていた。


「なあ石姉。怖いのじゃないよな?」


 と、お八は不安げに九郎と手を繋ぎながら芝居小屋に入っていく。

 席は敷布のある座敷で町人などは普通買えぬ席料の場所だが、石燕の伝手によって場所を取ってある。


「お八姉ちゃんは怖がりね。大丈夫よ。お芝居なんて所詮人間が演じてるもので、脚本があって決められたとおりに動作と言葉を出してるだけなんだから」

「お房ちゃんのこの醒めっぷりが歳相応じゃなくて悲しいタマ」

「楽しみは楽しみなの」


 お房とタマも並んで座る。お房も別に芝居を好まないわけではなく、虚構は虚構として楽しんでいる性質なのだろう。


「ふふふ、さあ見ていたまえ。ここから鳥山石燕の歴史は変わる! 妖怪目安箱は既に家の前に設置してあるから除霊の依頼が来るだろうね!」

「実際来たらどうするのだ」

「指をさして笑う!」

「鬼か」

「そう鬼と言えば芝居の鳥山石燕の右手に封印されているのが大鬼・酒天童子にするか八岐大蛇にするか黒麒麟にするか、はたまた遊星からの物体にするか議論が尽きなくてね……」

「出なくてねと言われても」

「結局遊星からの物体になったのだけれど」

「そっちに行ってしまったか……」


 残念そうにしながら、石燕の猪口に酒を注いでやる。

 そろそろ舞台が始まるようだ。拍子の合図がなり始め、雰囲気づくりの為に松脂を焦がした薄い煙が立ち込め出した。

 地獄先生の一幕が始まる───。




 *****





 一刻ほど後である……。

 演目も終わり、ぞろぞろと芝居小屋から客が出てくる。それらが途切れて最後に九郎ら五人が外に出た。

 一同、瞑目してやや入り口近くに立ち尽くした。

 最初に動いたのはタマだ。おもむろにしゃがみ込んで地面に四縦五横の九字を刻み込んで悔しげに云う。


「くっ……ここもあやかしの瘴気でやられているか……! 結界を張り直さなくては」


 続けてお八が右手を抑えつつ苦しげに云う。


「右手に封じられた天津甕星の欠片が疼く……! やめろ、私に真の力を出させるな、死ぬぞ!」


 更にお房が手をぱたぱたとさせつつ平坦な声で、


「真の力に目覚めた鳥山石燕は背中から烏天狗と蛟龍の翼が生えて瞳は八岐大蛇めいたあかかがち色に輝き知能は思兼命の如くで背中には後光が差して見るものを平伏させるけど何の変哲もない何処にでも居る町絵師で事件にいつも巻き込まれて仕方ないって」

「やめろ! ……やめたまえ!」


 耐え切れなくなった石燕が赤く染めて口元をもごもごとしながらそっぽ向きつつも、子供達の行動を制止するのであった。

 九郎は半分閉じられた目を彼女に向けつつ、


「だから程々にしておけと」

「違うんだ、私はあんなつもりじゃあ……」

「何があれって石燕。言っておくが、お主の普段の言動あんな感じだからな」

「違うよね? あそこまであれじゃないよね?」

「完全再現だ」


 冷酷に告げる。

 地獄先生鳥山石燕は胸やけする程に格好良い内容であったのだ。普段は昼行灯で奇抜な言動をする謎の絵師鳥山石燕を巡る妖怪と神と聖獣と天と地獄とハーレムと転生。まあそんな要素を煮詰めて大真面目に見せられた結果──。

 石燕は照れた。ファッション変人をしていた彼女は客観的に自分が出されたその演劇を目の当たりにし、ついでにちびっ子達から真似られて小刻みに震えて涙目になり顔は真っ赤だ。

 彼女は顔を抑えると消え入りそうな声で九郎に云う。


「私……少し大人しくなってみようかと思うのだよ」

「うむ。人はだれも子供から大人になる。きっとお主は、良い大人になれるよ」


 九郎が優しく肩を叩きながら告げると、三人の子供達も頷きながら石燕を囲み口々に言った。


「封印されし右目は眼鏡を外すことで相手の命のさだめを読み取るタマ」

「封印されし右手は[封黒布]を外すことで霊体を触れるようになるぜ」

「封印されし翼はなんやかんや危機で開放されるから気にしなくていいの」

「容赦無いな君達!? そして封印されすぎだね私!?」


 ここぞとばかりに普段振り回してくる姉的存在をからかう三人であった。

 こうして色々普段の言動を自覚した石燕の、少しお淑やかになった状態はなんとそれから三日も保たれたと云う。無論その後で戻ったのだが。


 なお[地獄先生 鳥山石燕]はそこそこの人気を奮ったのだが、不況の波に耐え切れずに芝居を執り行っていた森田座は、享保十九年に借金のために休座となってしまったという。

 

「それも地獄先生の呪いなのかもしれない」


 と、云う噂を立てたのは二度と芝居化されないことを願った石燕本人だと云う話だが、真偽は闇の中である。













 

 *****




 九郎がいつも通り店の二階で眠りについて、ふと目を覚ますとそこは上空であった。

 いや、正確には上空に浮かぶ籠の中だ。外とはガラスとフレームで仕切られていて、自分は椅子に座って目を瞑っていたようだ。

 

「観覧車……?」


 周囲の様子を見回して九郎は己が乗っている遊具の名前を呟いた。 

 車輪のような形をした巨大な構造物──遊園地にある観覧車にいつの間にか入り込んで眠っていたようだ。

 意識はしっかりしている。寝る前にタマとお房にかき氷を食わせてやり、半分寝かかったお房の歯を磨いてやったことも覚えている。

 

「夢か」

「いや、待ってくーちゃん! その手の痣は!」


 言われて九郎は着流しの袖をまくり見ると、何やら単語が書かれている。

 淡い色が流転し変化している頭を寄せて覗き込んできた少女が騒ぎ立てる。


[MAYBEたぶん STAND]……! これはたぶん新手のスタンド攻げふぃ」

「そんなあやふやなメッセージがあるか」


 九郎は座っていた膝に上半身を載せてきたヨグの口に指を入れて左右に引っ張った。

 江戸に来て、昔の事ではない変な夢を見たならばだいたいこの女がやったことだと経験上わかっている。

 ヨグは九郎の体から離れて対面に座りながら、口元を抑えて不満気な顔を向けた。


「うー。くーちゃん基本的に驚かないから困る」

「そうか、すまぬのう」

「ああっ適当に合わせてもう寝ようと横になりだした!」


 右手のCみたいな形になっている義手の輪っかをカシャカシャ言わせながら文句を云うヨグ。

 九郎は一応寝転がりながら頬杖をついて彼女に尋ねる。


「で、これはなんだ? 模様替えかえ?」

「まあね。ちょっと久しぶりにプレステやっててさ。あ、くーちゃん知ってる? ゲーム機のプレステ」

「馬鹿にするでない」


 憤慨だとばかりに返す。


「最新ゲーム機だろう。己れは持ってなかったが確かCDも再生できるというハイテクなマシンだ」

「くーちゃんの情報の止まりっぷりが悲しい……プレステはもうレトロゲームだよ……ごめんね我がちゃんと未来に送ってあげなかったから」

「それは一応反省しておるのか」

「頑張ってあと三百年ぐらい生きてね……」

「過酷すぎるだろ」


 半眼で告げる。この魔王は別に反省はしていないようだ。それに能力が弱体化している上に転移陣をペナルカンドに放置しているので、いまさら九郎を元の時代に送り返すことができるかは怪しい。

 ヘタをすればランダムで機械生命体しか生きてない怪しげなパラレルワールドなどに放り込まれるらしいが。

 期待するのは既に諦めている九郎は先を促した。


「それでゲームで遊園地作るやつをやっててさ。暇だからその世界再現してくーちゃんを呼び寄せてみたんだ」

「遊園地を作る、ねえ……」


 胡散臭げな目つきで云う。


「魔王城の仕掛けも作っていた時若干疑問に思ったが、お主……遊園地行った事あるのか?」

「し──失礼だな! 我だって遊園地ぐらいあるよ! ゴールドソーサーで百時間は遊んだよ!」


 彼女は必死な顔で義手を使い、九郎の袖を引っ張りつつ主張する。

 ペナルカンドでは普通に大きな都市ならば遊園地も珍しく無かったのであるが。生憎とヨグは行ったことが無かった。魔王に名乗りを上げる以前の人生でも。色々あったのだ。概ね、一緒に行く相手が居なかったという理由だが。

 

「だいたいくーちゃんだって行った事あるの? 聞いた話じゃ日本に居た頃もド貧乏だったんでしょ?」

「ド貧乏とまではいかぬが……まあ、学生時代の修学旅行は金が勿体ないから辞退したなあ」

「思ったより暗い青春!?」

「だが遊園地は行った事あるぞ。バイトだが」


 面倒そうに九郎は思い出そうと頭を掻きながら云う。


「確か入場して、誰のでも良いから園内に落ちてる携帯電話を拾って雇い主に渡せば一個五千円で買い取ってくれる仕事だったのう」

「それ絶対違法性がある組織が裏についてるよ」

「己れもそう思う」


 それなりに転職を繰り返したが、少なく見積もって半分はバックに組とか団とか付きそうなおじさん達が居た記憶があった。

 下っ端だからなるたけ関わらないようにはしていたが。


「ふ、ふん。まあとにかく、くーちゃんは我の遊園地運営スキルを目の当たりにするんだね!」


 そう云うと彼女は観覧車の一室の中で、TVモニターとゲーム機を取り出して起動させた。

 義手の根本にあるパネルを左手で操作するとCの形になっている先端部が引っ込み、五指のある別の義手が姿を出す。彼女は気分や作業によって義手の形を変えているのである。 

 コントローラーを違和感なく握り、件のゲームを始めた。九郎は後ろからそれを眺めている。

 一家全員拉致って「これから貴様らは遊園地を作るのだ」と怪しげなおっさんに言われ、プレイが始まったが……。


「ヨグ。ジェットコースターの周りがゲロの海になっておるぞ」

「うぐ」

「塩辛いポテトと薄いジュースの販売所に苦情が着てるが」

「うぐう」

「……遊園地のスタッフがストライキを起こしたな」

「んがああ! クソゲー! クソゲー!」


 彼女がしくじる度に、観覧車の窓から見える遊園地は荒廃していった。

 コントローラーを投げ出して癇癪を起こしたヨグを見て、九郎はため息を付く。


「遊園地に行ったことが無いから……」

「もうそれはいいじゃん!? はいはいボッチでしたよ! くーちゃんの馬鹿ー!」

「まったく」


 のそりと九郎は起き上がって、中腰で観覧車の中を立ち上がりドアを蹴り飛ばす。

 位置は中空だ。架空の空間ではあるもののリアルな風が籠の中に入ってきた。


「どうしたのくーちゃん。紐なしバンジー?」

「己れが遊園地を連れ回してやる。行くぞ」

「え? ひゃあ!」


 ローブの襟を掴んで九郎はヨグごとひょいと観覧車から飛び降りた。

 地上に落ちる前に速度をゆるめて着地する。

 九郎はヨグに右手を伸ばして彼女の生身の左手を取る。


「ほら、己れのお勧めスポットを案内してやろう」

「え、あー……うん」


 ヨグはなんとも言えない顔になりながらも九郎に手を引かれて付いて行き───


「この便所の物を置く出っ張りや手水場などはよく置き忘れがあってな。喫茶店で店員に『携帯を落としたのだけれど無かったか』と尋ねるのも良いが顔を覚えられるのが難点だぞ」

「携帯が落ちてるお勧めスポットを案内されてる!?」


 それはさておき。

 ヨグと共にジェットコースターに乗り──ヨグは吐いたが──、塩辛いポテトと薄いジュースを買い──ヨグは苦情を入れたが──遊園地のあちこちを回って、彼女はそれなりに楽しそうにしていた。

 そうして再び観覧車に戻り、九郎は眠たげな眼差しだが微笑んで彼女に云う。

 

「面白かったか?」

「不思議と面白かったねー」

「遊園地に行きたかったなら、魔王城に居た頃に言えばイリシアとイモ子とを誘って行けただろうに」


 全国指名手配されているヨグとイリシアだが、彼女らの能力を使えば姿を変えて外に遊びに行くなど容易い事であったはずだが。

 ヨグは「うーん」と唸って、虹色の眼を皮肉げに歪めて応えた。


「楽しめるって保証が無かったからね。我は醒めた性質だから、どこか遊びに行っても面倒だなとか、誰かと宴会していても早く帰りたいなとか思っちゃうんだ」

「引き篭もりだのう」


 呆れた様子で九郎が云う。

 ヨグは背もたれに体重を預けて、天井を見上げながら足の指でゲーム機の電源を落とした。

 一瞬、世界が暗闇に包まれて──あたりはいつも彼女が居る、無数の本で構成された一室へと変化している。


「でも今回は面白かったからこれでおしまいっと。ねえくーちゃん」

「なんだ?」

「世界ってのはさ、誰かが作ったお芝居みたいなものなんだ。運命って脚本に沿って無自覚の役者達は決められた演目を演じている。

 座長が気に入らなければ──芝居を中座するように、謡い手が止めるように、作家が筆を折るように、ブラウザをバックするように、ゲームの電源を落とすように、簡単に世界は無くなってしまう。

 そう思うと誰も彼もが演技をして生きているような気がして、どうもぞっとしないし楽しめない。NPC相手に本気にはなれない。それが我の答えだった」

「……」


 どう答えたものやらと、九郎は押し黙って語る彼女の顔を見ていた。

 ヨグの考えはどこかズレている。ズレてはいけない方向に。気が狂っているのではなく、心底正気のままイカれている節がある。

 既知に疑問を持たずに過ごしているのが普通で、既知から外れた視線を持つのが既知外──そして、それを知った上で更に法則の外へ向かうものがいる。

 ヨグは虹に輝く目を薄く光らせながら、九郎の怠そうな顔を見て自嘲気味に嗤った。

 

「くふっ、嘘だよ。嘘嘘。我が退屈して鬱屈して拗らせた病気みたいな結論さ。まあでも上位存在にじろじろ見られてるってのはぞっとしないから固有次元まで逃げてきたんだけどね」


 けらけらと、何がおかしいのか笑いながらヨグは九郎の周りをうろうろとしている。

 長く伸びた色の変わる髪の毛がちらちらと動き、目についた。


「つまらない世界でも、くーちゃんはそこそこ面白くて好きだからさ、また遊んでよね。ほら」

「時々ならな」


 ヨグが手のひらを出してきたので、九郎はそれを叩くように軽く彼女の小さな手に己の手を合わせた。

 九郎とヨグの手が触れ合うと、彼女は静かに告げた。


「今はこれが、『答え』かな」





「九郎、朝よ、起きるの」


 その日は珍しく、老人性の早起きで普段は目覚めている九郎が朝飯に現れなかったのでお房が起こしに来た。

 九郎は手を軽く伸ばした状態で眠たげな瞼を開き、「おう」と力なく応えて上体を起こした。

 額に手を当てて頭痛をこらえながら、欠伸を噛み殺して九郎は頭もぼんやりした状態でお房に尋ねた。


「のう、フサ子よ。答えってなんだったかのう」

「ご飯美味しい。それが正解なの。さ、早く降りて来なさい」

「……うむ」


 よくわからぬものは、今を過ごす日常の現実より難しいものではないのかもしれない。

 九郎は小さく笑って、背伸びをしながら朝食へ向かうのであった……。


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