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【RE江戸書籍化】異世界から帰ったら江戸なのである【1~4巻発売中】  作者: 左高例
第四章『別れる道や、続く夏からの章』
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外伝『IF/江戸から異世界4:クロウの帝都なニチジョウ』

 

 小さな花園に囲まれたとある古びた教会。歌神のマークこそかかっているものの、帝都に数多くある歌神教会の中でもはぐれに位置するそんな場所だ。

 せいぜいが週に一度、近所の子供たちに歌と絵本の読み聞かせをする程度の活動をしている教会は、エルフの少女──少なくとも見た目は──が一人暮らしをしていたが、最近になって新たな住人が増えた。

 つい江戸の頃からの習慣で昼酒を飲んで怒られている姿を目撃されるその男は、


「スフィちゃんにヒモができた」


 と、云う噂を呼んだ。

 心配するように近所の子どもや奥様方がスフィに様子を聞いたり本人の為を思って注意を促したりするのだが、クロウの悪い噂を聞くと彼女は意固地になるのですっかりダメ男好きなダメエルフと云う認識が広まってしまったという。

 それはどうでも良いとして……。

 その日の午前中に教会に訪れる客が居た。 

 ドアのノック音に、教堂で寝転がりながら教会周りの草むしり計画を立てていたクロウが起き上がり応対に出た。昨日から計画は進んでいないが。


「はいよ。……うむ? 確かお主はオル子の上司だった……」

「公社人事課のヴェーネンだ」


 日に焼けた厳しい顔をした髭の中年である。いかにもな古強者風な顔立ちをしている彼はきっちりとスーツを着こなしていても戦士に見える。

 実際に昔は冒険者──ダンジョン開拓員の通称である──で現役時はナイフと罠の専門家として活躍していたのだが、膝にアロースネコスリの矢を受けた挙句電流トラップに掛かりついでに近くにあったボイラーが爆発した怪我で引退したのだという。死にかねない怪我だったが、得意としていたトリックで生き延びた。

 クロウとスフィが開拓公社の面接を受けた際に顔を合わせた事があるが……

 彼はちらりと視線のみ一度教会の中に向けて、クロウに尋ねた。


「ここにオルウェルくんが来ていないか?」

「オル子が? いいや。何かあったのか」


 ヴェーネンは頷く。

 

「うちの会社の女子寮は……別居してる妻が管理しているのだがな」

「複雑な家庭事情は省いていいぞ」

「ともかく、寮では保安などの理由もあって外泊や外出の記録は入り口で簡単なものだが取るようになっている。それで昨晩、オルウェルくんがコンビニに出かけたまま戻らない、と連絡があったのだ。もしかしたら知り合いのところに外泊したのかと思って確認に来たのだが……」

「いや、来ておらぬな。他の友人や実家などは?」

「彼女の友人はだいたい同じ女子寮に住んでいるし、実家には寄ってみたが来ていないそうだ。尋ねたことで余計に心配を親御さんに掛けさせてしまってな……」

「確かに夜の帝都は治安が良いわけでは無さそうだからのう」


 クロウは大きく頷いた。まだこの街に来て日が浅いが、ペナルカンドに居る知的種族をボウルで混ぜあわせたように多種多様な移民で溢れかえっている帝都は、決まりこそあれ治安が良いとは言いがたい。

 中には人を食うこともある種族──人狼や吸血鬼なども住人として住んでいる。無論、襲うのは合意でも犯罪とされていて人肉食味の代替食品などが売られているのであったが。

 有名な犯罪組織も存在し日々揉め事を起こしている。毎日どこかしらで爆発を起こす[おはようからお休みまでバズーカ団]やスリの常習が多く在籍する猫系獣人の集まり[黒猫同盟]、人殺し代行暗殺者の派遣会社[スナッフサービス]などである。

 そうでなくとも夜道を一人で歩くのは危険だ。何故ならば暗いからである。暗いと転ぶ。それは太古から続く変わらぬ真理だ。人が街灯を手に入れて夜闇を消そうとしても暗闇は必ず発生して、足を踏み入れたものを転ばせる。それが資本主義の限界だ。

 クロウは謎の毒電波が思考に混じったことに小さく舌打ちをして頭を掻いた。


「確かに心配だのう。オル子はまともに戦えるわけでもない」

「そこらのチンピラにも負けるだろう。開拓員としては底辺もいいところだ。例の身体機能強化ドレスは着ていったらしいが……」

「警察などには?」

「成人が居なくなってまだ一日だからな……中々動いてはくれないだろう。まだ[人捜し屋]の方がいいが、こっちも即日に頼める所は限られている」


 中央市街、港湾区、メインのインフラである帝都線と呼ばれる通り以外はかなり無秩序に建物が乱立し、また行方不明者も多いこの街ではマンサーチ業はそれなりに繁盛している業種であった。

 例えば帝都でもっとも腕の良いマンサーチャーの一人、犬召喚士が開いている捜し屋[シヴァ]などは精度が高いのだが宮仕えの召喚士なもので中々予定があかない。

 クロウは腕を組みながら頷き、


「やむを得ん、己れが捜しに行くとしよう」

「頼んだぞ、捜査費も掛かるだろうから少ないが報酬も出そう」

「よいよい。仲間のことだ」


 申し出を断って、教会の奥──台所で手のかかる煮込み料理、歌神教会直伝のゴーダー風シチューを朝から熱心に作っているスフィに声をかけた。


「おおい、ちょいとオル子が迷子らしいから探してくるからのう」

「わかったのじゃよー。見つけたらオルウェルの分もあるから夕食に連れてきてくれんかのー」

「あいよ」


 そんな軽い遣り取りをして、ひとまずヴェーネンに女子寮の場所を聞きクロウは鞘に収めた魔剣マッドワールドを片手に軽い足取りで仲間の捜索へと向かうのであった。



 

 *****




 開拓公社の独身女子寮は半公営企業だけあって家賃は安いがそれなりの良いアパートになっている。

 入り口に面している部屋に住んでいるヴェーネンの古女房──四十前後の女管理人に軽く挨拶をしてクロウは寮の入り口に立った。

 一応探す当てはある。


「さて……」


 意識を集中させて身に纏っている疫病風装の能力を引き出す。目元に力を入れて注意深く見回すと、ダークライトを浴びた蛍光塗料の粉末が舞うような粒子が周囲に見え始める。

 ウイルスや細菌、微細な寄生虫などの物質を感知する能力である。ある程度情報を絞って注意深く観察をする。

 やがて一種類しかない特異の細菌を見つけ出した。青紫色に光るそれは、オルウェルが着ていた半生体のドレスからのみ検知される特殊な細菌だ。人体にそう害はなく、自己修復に使用される特殊な細胞から出る物体だと判断したので気にしないように彼女には伝えていないが。

 

「昨日の今日だからまだ何とか残っておるな……よし」


 クロウはその痕跡を辿り歩く。

 風の吹き溜まりや道路上では散り散りになっている箇所も多かったが周囲から探して追跡をする。道中にあったコンビニに続いており、そこまでは問題なく行きつけたようである。

 帝都にあるコンビニエンスストアは現代日本の構造と然程変わらない、雑貨や雑誌に食べ物を売っている終日営業の店舗である。飲み物の冷却や弁当の加熱などを魔法で行っている違いはあるが似ているのは収斂の為か、


(案外、コンビニ経営者がこっちの世界に転移してきて広めたのかもしれぬな)


 中で襲われたと云うことは無いだろう。コンビニの入り口付近に見える痕跡はやや大きく、出入りした形跡が見られる。

 再び来た道を痕跡の濃度を意識しながら戻ると、途中で薄れているが寮とは別の方向へ向かった痕が残っていた。

 歩くよりも走って移動した方が現場に残る細菌は少なくなる。オルウェルはここで急に走り道を逸れたように思えた。

 クロウはそれを追跡すると、それほど進まない先で急に彼女の痕跡は消え失せている。

 空でも飛んだように道に残されたそれは消え──いや。


「……血の痕」


 僅かな量の血痕が道に付着している。刺されたとか大怪我をしたといった風ではなく、例えば殴られて鼻血を出したとか、掴まれた時に爪が立って血が滲んだとかそう云う量だ。

 

(事件性が増したか)


 クロウはてっきり酒でも飲み歩いて倒れているのではないかと適当に友人の眼鏡女を基準に考えたが、どうやらそうではなさそうである。オルウェルも酒を飲むが、結構酒癖が悪いのだったけれども。

 周囲を見回す。大通りではない住民の生活水準が入り乱れている市街地である。この辺りならば一人は見かける筈だが、と思っていると路地の影に寝こけている老人を見つけた。

 貧民層でホームレスになっている住人である。

 クロウは近づいて、長いぼろぼろのローブを着ている老人に話しかけた。

 口元まですっぽりと覆ったそれの内側は漆黒の闇で包まれていて、何らかの魔法が掛かっているようだ。人相はわからぬが、節くれだった手足とはみ出した白髪から老人であると判断した。


「おい爺さん。起きてくれ」

「ぐっすりすやすや……うぬぬ、なんじゃ我の眠りを妨げむにゃむにゃ」

「お主はいつもこの辺りにいるのかえ?」

「おおう……もうここに十年……百年、一億光年……はて、どれだけおったか」

「居すぎだろ。いやそれより、昨日あのあたりで金髪のおなごが誰かに攫われなかったか」

「いなご!」

「おなご、な」


 起き上がって叫びだした老人を落ち着かせる。

 暗闇の向こうでぶつぶつと掠れた声が聞こえた。


「見た、見た、儂は見た。星の終わり、宇宙の彼方、神の魔物……」

「大丈夫かのう、この爺」

「昨晩。青紫の衣を来た女は空から現れた竜に連れ去られた。竜には人が乗っておった。髪と目が虹の魔光に輝く……」

「虹色の髪……に、竜。竜召喚士か。よし、わかった。ありがとよ爺さん。今度酒でも持ってくるからのう」


 云って、クロウはその場を去る。残された漆黒のホームレスは再び地面に座り込んで寝息を立て始めた。

 目星がついた。

 幾ら多種族が住む帝都だからと云って街中に竜が突如現れることは無い。一部の巨体な竜人種族が飛行輸送屋をやっていたり、郊外に飛竜に乗るドラゴンライダーが居る噂を聞いたことはあるが節度はあるだろう。

 竜召喚士が居るならば別だ。召喚士一族には常識も節度も彼ら自身が決めた事以外に縛られるものは無い。

 何が目的でオルウェルを拉致したかは不明だが、とにかく次には拠点を探さねばならない。

 クロウは一番近い開拓公社ダンジョン入り口──冒険者の多く集う酒場へ空を飛んで向かった。

 冒険者の酒場とも言えるそこは様々な情報が集まる。その中でも酒場の店主は多くの事を知っていて注文のついでに聞くことが出来るのだ。

 クレジット紙幣をカウンターに置きながらクロウは云う。


「冷えた茶。あと竜召喚士は何処に住んでいるか知らぬか?」


 冒険者上がりらしい、顔に傷のある筋肉質な年増女のマスターはちらりとクロウを見下ろして、氷を入れたグラスに緑茶を注いで彼の前に出しながら云った。


「前に出された竜召喚士の施設警備依頼は満員だよ」

「別件だ。場所だけ教えてくれ」

「……北西区のラクセキ通り、その先に馬鹿でかい箱みたいな建物があって近くにいけばすぐわかるさね」

「そうか。うむ」


 云ってクロウは茶を飲み干し、グラスを置いた。


「中々旨い茶だ。今度また飲みに来る」


 さっさと酒場を出て再び飛行。帝都北西区へ向かった。

 帝都と云う都市は東側に大陸の東端として臨海し、海岸線に沿って南北と大陸横断道路に沿って西方向へ発展し伸びる街なのでその中間である北西、南西は比較的開発が進んでいない。特に曰くつきの住人などが好んでその辺りに移住したので治安も悪化している。

 とりあえず飛んで進めばそれらしい建物はすぐに見つかった。

 第一印象は四角い巨大な石版が地面に置かれているようであった。

 帝都にある大きめの学校を三つばかりくっつけた程度の巨大な敷地に、窓のない巨大な石造りの建物が一つ上に乗っているのである。

 いや、言われなければ建物と云うより古代遺跡の石台とでも見えただろう。

 その屋根の上には複数の竜が乗っており、空を飛んでいるこちらを睨んでいるようであった。クロウはひとまず通りに面している──見回した限りでは唯一の入り口らしい巨大な門へと向かった。門は敷地にではなく、建物に入るものである。

 門番らしき、上級魔法使いに与えられる正装の色付きローブを身に纏った大柄な竜人が立っている。体躯は見上げる程あり二メートル半程だ。手にもつ魔法の杖はまるで丸太のようで、NY市警が持つ警棒より威力があることは疑いが無かった。

 出入口はやはりここにしか無いのか、近くに僅かにヴァオウ細菌が見られる。確かにオルウェルはこの中に運ばれたようだ。

 つかつかと近づいてくるクロウへ、竜人も歩み寄ってくる。


「この施設になんの用だ」


 がらがらとした声色を脅す為に低く告げてくる。二足歩行で体つきこそ尻尾や鱗、ヒレの生えているものの人型なのだが顔面は小さくした竜そのもので威圧感は高い。

 クロウはいつもの眠たげな顔つきのまま要件を云う。


「ここにオルウェルと云う、金髪で青いドレスを来た女が来ているはずなのだが呼んでくれぬか? 己れの仲間でな」

「……知らんな。失せろ」

 

 ばっさりと否定されて睨みつけられる。

 クロウは軽く引きつった笑みを浮かべつつ、竜人を見上げ続けて云う。


「カマを掛けてるとでも思っておるのか? 居るのはわかってるのだ、こっちは。さっさと出すか官憲を呼んできて出させるか選べ。確か竜召喚士は宮廷所属の公務員では無かったな。それに人攫いなどしているのだから後ろ黒いこともあるだろう。そこらの者に金をばら撒いて偽の証言を出させてやれば喜んで捜査騎士団が突入してくるぞ」


 一息でそう告げた。

 帝国では国家公務員として何人かの召喚士を雇い入れているが竜召喚士はそうでない。

 首輪のかかっていない召喚士一族の中でも最大級の火力を持つ者が、国内で怪しげな建物を立てて住んでいる状況だ。胡散臭いことこの上ない。

 竜人はやや考える素振りを見せて、背中を向けた。


「……私は関知していない事だ。上に尋ねて来よう。門の前で待て」


 そう云って、入り口の内開きになっている巨大で分厚い門を押し開けて中に入って行く。

 竜人が門の内側に入った時──。

 ひゅ、と小さな口笛が竜人の口から発せられた。

 その合図で門の左右に控えていた竜──餓竜と云う種類の、獲物の骨まで喰らい血を舐め啜る中型のドラゴン──がクロウに襲い掛かってきた。

 それらに喰われればこの世に痕跡も残らないだろう。この施設は表向き、製薬研究所となっているが探りを入れた者を処理する事となっている。

 だが──。

 硝子細工が叩き壊されたのと似た音を立てて、餌食の少年に噛み付きかけた餓竜が二匹、消滅する。

 彼の手には刀身が近くの光を侵食する程に暗黒色をした長剣が握られていた。

 肩越しに振り向いていた竜人に、クロウがぞっとする冷たい怒りの篭った顔を向けている。 

 

「なるほど。穏便に待とうかと思ったが──迎えに来た相手にこんな対応をすると云うことは、オル子は相当ヤバイ目にあっているのだな」


 足を前に進める。だらりと魔剣を持って門へ向かってやってくる。


「己れが直接迎えに行くことに決めた」

「──! 土系術式[ウォールストリート]!」


 嫌な気配を感じて竜人は門を閉じて内側から更に鉱物系防御壁の発生魔法を展開させた。

 魔法使いの能力で材質や大きさが変わる壁作成術式だが、高位術者にして竜人の彼が使えば厚さ一メートルのケイ素複合セラミック硬材の壁が作り出せ、上位の火竜以外のファイアブレスにも耐え切れる耐火性を持つ頑丈なものが生み出せる。

 それで時間を稼いでいる間に、建物外部のドラゴンが集結して敵対者を襲うだろう。いかにして竜召喚士が召喚していた餓竜を消し去ったかは知らないが、数の暴力でブレスの雨が降れば──。


「──なに!?」


 咄嗟に飛び退いた。防御壁を突き抜けて黒い刀身が生えている。

 それは柔らかなゼリーを割くように縦にすっと振られ、魔力で生み出された壁が一部を残して消滅した。

 レイズ粒子となって消える壁の向こう側から青い衣のクロウが出てくる。剣を握っている手とは反対の手をすっと竜人に伸ばしていた。

 あまりにも自然な仕草だった為に彼はそれが自分のローブに触れるまで驚異とは思わなかった。そもそも竜人の固い鱗に金属に勝る筋繊維、骨格は人間が素手で傷つける事は困難なのである。

 だが、クロウは相手を掴んだと見るや、


「石でも齧っておれ」


 言葉と同時に首元に巻いた術符が光り、強化された腕力はローブを引っ張る勢いで竜人を空中で半回転させ、更に手を振り下ろして床に叩きつけた。

 石造りの床に半径数メートルのクレーターを作る威力である。全身から千切れたりへし折れたりする音が聞こえて竜人の魔法使いは言葉も出せずに床に沈んだまま身動きが取れない痛手を負った。

 クロウは捨て置いたまま、疫病風装の能力で浮遊して高速飛行を行い、施設の奥へと向かう。行く手を阻む扉を切り捨て蹴り破り、慌てふためく職員を尻目に突き進んだ。

 警備隊が剣や杖、時にボウガンなどを持って現れるが、


「[電撃符]──雑魚散らしには丁度良いな」


 閉所をジグザグに跳ねまわる電撃の束が荒れ狂い、施設内は大混乱に陥る。

 奥へ奥へとオルウェルの痕跡は続いている。一部の警備に立っている冒険者など、蒼白の着流しに漆黒の魔剣を持ったクロウの姿を見知っていて逃げる者までいた。

 時折、大型犬程の大きさの獰猛な蜥蜴や竜が襲い掛かってくる事もあったが魔剣で消し飛ばす。

 凄まじいブレスの火力を持つ竜を無数に召喚できる竜召喚士だが、閉所ではそうそう巨大なドラゴンを配置できない。建物ごと吹き飛ばす決断を相手がする前に事を終わらせる為に、ただ急いだ。





 *****




 風の魔法が込められていて一定範囲の別子機間の声を伝える通話機に、初老の白衣を着た男が怒鳴っている。


「なんの騒ぎだ! どうなっている!」

「侵入者です! 門番のドラゴンとバーリさんを倒して施設内に入って──うわあ火を放った!?」


 別の場所からは、


「魔物殺しが来るなんて聞いてねえぞ! 俺ァお腹痛くなったから下りる!」

「しかも騒動にかこつけて刑事騎士団が突入してきてるぞ! ずらかれ!」


 と、冒険者が警備を放棄して逃げる泣き言も聞こえた。

 なにせ相手は開拓公社に入って日こそ浅いが、戦闘騎士団が30人程の小隊で挑まなくては危険な魔物を一撃で消し飛ばす──[魔剣士]だとか[魔物殺し]と呼ばれることもある──とダンジョン関係者には広く知られている。

 それらのことから彼の持つ魔剣は僅かにでも切られたら死ぬ防御不能の剣と噂されていた。実際はダンジョンの魔物や召喚物特攻なだけであるのだが、深く切り込まれれば人間でも魔力を剥奪され気絶、魔法使いや召喚士ならば能力が著しく低下してしまうだろう。実際に魔剣マッドワールドでうっかり手首を切り落とした魔王も、見る影がない程に弱体化した。

 ともあれ、そのクロウの強さを知る雇われ冒険者達の士気低下は著しかった。内部研究の口止め契約込で警備していたが次々に持ち場を離れている。

 おまけにこれ幸いとばかりに違法性を疑っていた官憲が次々に強制捜査に乗り出しているのだからたまらない。

 

「くそっ!」


 男は通話機を殴りつけた。  

 彼の後ろ──広い机に足を乗せて座っていた、虹色の髪をオールバックにしている壮年の男が、虹に輝く目を向けて声を掛ける。


「ほほう。侵入者はアレを取り戻しに来たのか?」

「恐らくはそうでしょう、ミスター・ドラックン。調査によると開拓員としてのチームメンバーのようです」


 恭しい声で応える初老の男。

 机に足を載せている召喚士の男はこの施設──ドラッグドラゴン有限会社の会長である竜召喚士・ドラックンだ。この施設のオーナーでもあるし、研究員全ての上役でもある。

 ドラッグドラゴン社は帝都でも多くの薬局を構える大手製薬会社で、庶民から冒険者まで広く薬が使われている。最近発売されて大ヒット中の商品は[頑張った自分へのトドメ]がキャッチフレーズの睡眠薬などである。

 しかし裏では人体実験に違法薬物の製造開発、人為的小規模バイオハザードなどの発生を会長自ら主導で計画し研究すると云う完全に頭がおかしい系列に入る企業だ。当然何度も司法の手が介入されているがしぶとく生き残っている。

 故に違法性のある医療や薬学に取り憑かれた者は部下に吐いて捨てる程集っていて、オーナーのドラックンもまた薬学者である。

 彼は長い足を机から下ろして立ち上がると、芝居がかった仕草で両手を広げながら扉へ向かい云う。


「おっと、それならば小生が彼を説得に向かおう。この召喚士一族の中でもっとも話がわかると評判の小生ならば彼を同志に迎え入れるかもしれないからね」


 そう云って、新たな研究材料──遺失技術により作られた半生体寄生武装を一時的に保管している最奥へと進んで云った。

 部屋に残された男は、ドラックンの後ろ姿を見送って顔を歪めながら、


「まあ、これで侵入者は死ぬか実験材料送りになるな」


 と、呟いた。魔剣士は竜召喚士──化け物は化け物にまかせて、官憲を騙くらかす為に違法証拠の隠蔽や洗脳薬の噴霧に回らなくては。

 



 *****

  

 



 施設は蜂の巣のように入り組んだ構造をしていたが、クロウは痕跡に残るヴァオウドレスの細菌を辿り確実に目的地へと向かっていった。

 警備員や小型の竜種などと戦闘もあったが、敢えて周囲の研究設備を巻き込む程に派手に破壊して混乱を深めて進んでいる。違法性のある施設ならば破壊したところで賠償請求も困難だろう。


(なんかこうしていると、イリシアと居た時のことを思い出すのう)


 大陸を股にかけて騒動を起こしまくっていた過去を振り返って、毒されているような気分に苦笑する。

 その時の経験から、疚しい事をしまくってる胡散臭い団体相手には暴れて被害を出させてもあまり訴えられないことは知っていた。表沙汰になったらまずい事が多いのだろう。バイオ兵器を研究しているニゴリキ製薬会社をイリシアと二人でモヒカンにトゲ付き肩アーマーを装着して消毒した時も然程問題にはならなかった。

 

(そうか、あの時の施設に似ておるのか)


 高温の消毒用スチームで侵入者に浴びせかけるトラップを顔を向けもせずに氷結符でパイプごと凍結させながら懐かしんだ。

 クランクでひねらなくては開かない扉を切り壊し、怪しげな宝石とピアノの仕掛けを爆破し、ハーブのプランターを蹴り飛ばして緊急スプレーに火を付けて人喰いバイオ肉を焼き払いつつもオルウェルの元へ向かう。

 やがて──。

 扉を開けると、そこはだだっ広い部屋が待ち構えてた。

 印象としては巨大な体育館だろうか。その部屋には怪しげな水槽も見ただけで倫理委員会が発狂しそうな内容の書類が積まれた机も無く、薄暗い空間が広がっている。

 クロウが警戒しながら部屋に入り、中央付近に進むと周囲に無数の輝きが生まれた。

 それらは虹色に発光する特殊な図形を示し、クロウを取り囲むように部屋の外縁に沿ってズラリと生み出される。

 次の瞬間には何もなく広がっていた、と云う雰囲気の部屋はぎっしりと十数体か数十体──大小様々なドラゴンが犇めき合い、クロウに顔を向けて竜の眼光を光らせている。

 召喚された竜だ。本体からの虚像として生み出されたそれらは自らを含め周囲を巻き込む爆炎の──或いは、氷柱状になった唾を飛ばしたり、猛毒の霧を吹いたり、帯電物質の粒子を吐く種類のドラゴンも居るようだ──ブレスを一斉に吐けば、いかに風を読んで攻撃を回避する疫病風装とて閉所では逃げられないだろう。

 足音が聞こえる。クロウは周囲を見もせずに、正面から歩み寄ってくる男にいつもの表情を向けているままであった。

 

「そこの君、武器を捨てて話し会おう。おっと見てくれ、小生は丸腰だ」


 両手を上げて、虹髪に虹目の竜召喚士の男──ドラックンは友好的な笑みを浮かべつつ近づいてきた。

 無論、彼自身が何も手に持っていないというだけで、合図を送れば取り囲んだ竜は一斉にクロウへブレスを吹き付けるだろうが。

 この位置では竜召喚士自身も巻き込まれるのだが、召喚士一族に伝わる魔力防御──白光防護フォロウ・エフェクトと呼ばれる術を使えば自分が召喚した相手からの攻撃は一切遮断する事が可能なのである。

 召喚士は気まぐれだ。いつ攻撃の合図を出すかわからないが、少なくともクロウが攻撃の動作を一瞬でも見せたら容赦はしないだろう。

 手に持った魔剣マッドワールドをクロウは軽く床に放り投げた。刀身が水に沈むのと同じ速度で床に突き抜けて、柄だけ生えたような形になる。召喚竜を一撃で破壊できる武器だが、さすがにこの状況では振り回すにしても分が悪い。

 

「話で済むならそれで良いのだがのう。己れはオルウェルを迎えに来ただけだからなあ」

「オルウェル……? ああ、ヴァオウの宿主の名前か」


 少し考えてから彼は応える。


「彼女とも話し合いを行った結果、自主的に小生らの研究に協力してもらうことになったんだ。おっと済まなかったね、連絡が遅れていたようで」

「ほう、それは初耳だ」

「ここに契約書もある。安心してくれ、この施設で治験や人体提供を行ってくれる方々は皆しっかりと本人の意思確認を行ってから契約している。人道にも配慮して、なんと二日に一度は口から栄養を摂取することができるようにしているのだ。クリーンでホワイトな企業を目指しているからね」


 にこやかに云う竜召喚士に、クロウも薄笑いを浮かべつつ尋ねた。


「ところで何故オルウェルを? あやつはただの町娘だが」

「いい質問だね。小生は質問が大好きだ。人が知識を前向きに動かす創造的行為だからね。故に答えよう。寄生主には然程価値は無いが、彼女が身に纏っている外装──おっと、あれが何か知っているか?」

「[半生体武装幻裳ヴァオウドレス]……と云う名前ぐらいは」

「くかか、そう。幻の衣裳……あれは、異星よりの生物兵器研究者、ニゴリキが作り上げた魔導と科学の融合繊維で作られている。装着者に寄生し様々な恩恵を齎す意志無き生体外装の試作品──[ヴァ]シリーズ[0式]。即ち、[ヴァ-Oオー]のドレスがあれだ。

 パラソル星人とその研究成果は住処ごと魔女に消滅させられたが、その研究資料の一部は流失していてね。街中で見かけただけで確信したよ。運命的出会い! 彼女は小生に研究されるためにあった!」

「……ははあ」


 製作者を、近隣に汚染水垂れ流し問題を耳に挟んだという理由だけで問答無用で焼却した覚えは確かにあった。クロウがではなく魔女イリシアがだが。  

 妙なところで因果が重なるものだ、と感心する。


「それならばオル子の来ている服だけくれてやるからさっさと返して貰おうか」

「いいや。[ヴァ]シリーズの装備は装着者との相性で神経等の融合が行われるらしい。即ちヴァオウドレスに馴染んだ彼女を含めて、一つの研究対象と云ったところか」

「ふむ。それでどのような成果が見込まれる研究なのだ?」

「よくぞ聞いてくれた。これだから質問は素敵だ。質問を止めた人類は死ね! 人類死ね! おっと、まあいい」


 咳払いをしてドラックンは続ける。


「この世界は病気の治療が遅れていると思わないか? 怪我を治す手段はある。オッサン天使の一部を使用したり、癒神の秘跡を願ったり……だが深刻化した病気と云うものを根本的に治療する研究が進んでいない」

「ふむ」

「小生はそれを憂いていてな。この研究施設で、誰にでも使える値段で様々な病気に効果のある内服薬を作成しているのだ。成果も上がっていて各地からお礼の手紙がこんなに!」


 胸元から葉書の束を取り出して己の上に放り投げばら撒く。

 適当に床に落ちた葉書を踏みつけつつ、ドラックンは云う。


「[ヴァ]シリーズによって作られた半生体物質は癌化を防ぎ、弱った内臓を癒やし、老化を止め、血流その他もろもろ──まあつまり、人間に移植すると様々な効果がある細胞に変異させる事ができるのだ」

「それは便利だのう」

「故に彼女の犠牲、いや生贄……じゃなくて、ええと、材料になってもらい、都度皮膚ごとドレスを切り取って組織を研究したり、逆にドレスの上から剣山やプレス機などで彼女の皮膚下の肉と融合させてみたり、どれだけ全身を剥いでも大丈夫か実験してみたり、癌化させる光を放つ石を体内に吸引させて経過を観察したり、一度酸やアルカリで足先から溶かしてみて溶け出した成分の変異を見たり、過度のストレスを与えて自殺を促しそこから回復するか確かめたり、内部循環を確かめる為に己の排泄物のみを与える生活を送らせてみたりと……まあ色々と協力してもらうことで、彼女一人が人生を費やして救える人間の数以上の助けとなる万能の医療触媒を作るためにお願いして、頷いてくれたのだよ。なんと尊いことだろうか」

「はっはっは。そりゃ助かる話だ」

 

 クロウは囲んでいて目を光らせている竜の群れを見ながら、オネガイと云う単語を反芻しつつ笑った。

 満足気にドラックンも嬉しげな笑みを浮かべる。


「判ってくれるか」

「そうだのう。ところで、己れもちょいと病の種類には詳しくてな、ウイルス性ヨブ肉腫病と云う病気を知っておるか?」

「……おっと、寡聞にして知らないな」


 クロウの言葉に病気に興味のある彼は耳を傾ける。

 やや赤茶けた瞳を男に向けながらクロウはいつも通りの顔で言葉を紡いだ。


「これは大陸南西にあるマスニア島でしか見られない奇病でな。一言で言えば空気感染する皮膚癌だ。発症率こそ低いが、脊椎動物ならばほぼ全てに感染する可能性がある。これにかかると顔、手足、羽根などの末端部分の肉が異常に膨れ上がってしまう。内臓転移はしないから切除治療を施されるようだな。放っておかぬ限り病自体の致死性は低いものの、野生環境ではこれにかかると重度化すれば身動きが取れなくなったり口が開かなくなったりして餓死するらしい」

「なるほど……世界にはまだ多くの病に人は悩まされているのだな。だからこそ小生が──」


 言いかけて。

 ドラックンは言葉を止めた。クロウと云う男に虹色の目を向けて、大げさに芝居がかった様子で振り回していた体も動きを止める。

 彼は漆黒の魔剣を主武装としていて、この部屋に入り話し合いが始まった時に投げ捨てている。今も床に刀身を沈めた柄が見えた。

 だが、


「──いつから、どこから……その"鎌"を持っていた……!?」


 クロウの片手に、巨大な黒く霞がかった大鎌が握られている。

 蒼白の衣にどす黒い病原の鎌。赤く光る目をしたそれは終末の世に訪れる者の一人。

 鎌を振って、クロウは云う。



「ブラスレイターゼンゼ────[病状悪禍レベルバースト]」

 


 瞬時感染──そして即座に末期化。

 クロウの合図と同時に、部屋に存在していた全てのドラゴンの体が急速に変異する。全身が沸騰したかのようにぼこぼこと肉が盛り上がり、牙を鳴らし火を吹く口を塞いで目を潰し羽根をぐちゃぐちゃにして爪を肉で埋めた。

 それでいて、どのドラゴンも死に至っていない為に──埋め尽くしてた竜の群れは、蠢く肉塊へと一つ残らず変異させられた。

 自在に病毒を感染、深刻化させる能力を発揮できる第四黙示騎士の鎌──ブラスレイターゼンゼを使用したのである。

 さすがに瞬時に己の竜が無力化されたことにドラックンも慄き怒鳴る。


「──第四黙示だと!? くそ、竜を再び……」


 再召喚をしようとして、失敗を悟った。

 ここにいる竜が殺害されたのならば、死骸も残さずに消滅するのだが今は非致死性の病気で肉塊に変えられただけだ。

 屋外ならまだしも、部屋にぎっしりと埋めていた竜の群れは余計にスペースを取り新たな竜を生み出す空間は無かった。

 ならば一旦消して再召喚するしか方法は無いのだが──


「やらせるか、阿呆が」


 手が遅れている間に接近していたクロウが、疫病の鎌をドラックンの胸に突き立てる。

 それは貫通したり創傷を作ったりはせずに胸に触れると同時に分解され、極細な羽虫が一斉に飛び去るように鎌は姿を揺らいで消した。

 知り合いに召喚士が居るから実感として知っている──と云うよりわりと世界的に知られているが──召喚士は、よく油断する生き物なので強大な能力を持っていても不意を打てば倒せる。

 クロウは云う。


「召喚士は説得とか説教は無駄なのは知っておる。故にもう関わる意識を無くする為に、お主に24種類の重篤精神病を仕込んだ。1つずつ、自分の体で実験して治すのだな。治療法を確立すれば人の役に立つぞ」

「……」


 ドラックンは全身を痒みが襲う。

 歓喜の喜びと皮膚下に百足が這い回る怖気。

 酒に酔った頭に薬がバッドトリップした脳みそ。

 内臓がひっくり返る吐き気に涙腺から泪が止まらない恐怖。

 単語を発せられぬ失語症に全能感虚脱感自殺志願に多重人格──様々な要素が一瞬で到来して。

 ……発狂した。


「あひははっはっかかかかかかかっかかかかいききいききききっっかいくこここここここくけけけけけかきういあいはいっき」


 奇声を発して床をのたうち回り、肌を掻きむしり体液を垂れ流す。 

 召喚術のコントロールも失い次々に肉塊が消滅していくが、再召喚できる理性も残っていないようであった。

 召喚士はその虹眼虹髪で外部から及ぼされる精神作用を防ぐが──体に直接病原を打ち込まれては耐えられない。

 クロウは手元からブラスレイターゼンゼを消し床に落ちていたマッドワールドを拾って奥へ向かう。

 すれ違いざまに吐き捨てるようにドラックンへ云う。


「まったく、こんなばっちい武器を使わせるでない」

「おっぺけぺっぽーあじゃらかもくれん……」

「……さて、オル子を迎えに行くか」


 あっさりと狂人を無視して部屋を出る。

 自分でやっといてなんだが、心を真っ直ぐにして立ち直ってくれることを祈ろう。今後一切関わりあいにはならないで欲しいが。

 広間を抜けて進めば、やがてオルウェルの痕跡が残る部屋の扉を見つけた。金属製の頑丈な扉で金庫のようになっている。

 クロウは鍵穴らしき箇所にマッドワールドの刀身を突っ込んで捻りを加えると、円状の穴が開き鍵が破壊された。 

 扉を引いて中に入る。すると、


「ほ、ほあああ!」


 叫びながら涙目のオルウェルが鉄パイプで殴りかかってきた。

 クロウは半身をずらし避けて彼女に足を引っ掛けて転ばせ、腕を回して動きを止めさせる。


「これ、落ち着け」

「ふぇっあ、あれ? クロウさん……?」

「うむ。迎えに来たぞ」


 オルウェルはクロウの顔を見たら安心したように、眼鏡の奥の瞳を潤ませた。


「怖かったっすよー! なんかドラゴンに攫われるし! ドラゴンに睨まれながら変な契約書作らされるし! 閉じ込められて縛られるし!」

「もう大丈夫だ。怪我はないか?」


 クロウはオルウェルの手首に残っているロープの痕に目を落としながら尋ねた。

 彼女はそれを擦りつつ、


「このヴァオウドレスの袖が刃物みたいにジャキーンて変形して縄とパイプを切って、なんとか逃げようと待ち構えてたんすけど……」

「鉄パイプよりその袖の刃の方が強力な気がするが」

「いやあ、さすがに刃物で斬りかかるのは気が引けて……」

「それもそうか」


 言ってみればオルウェルは、冒険者であるものの普通の女でしかない。ダンジョン内では荷物持ちや周囲の警戒などを担当していて戦闘は殆どしないのである。

 逆にわりと普通の人間であると云うのに、躊躇いなく拉致組織にカチコミを入れたり、邪悪な召喚士を精神崩壊させたりと、


(己れの方が毒されてるかのう)


 と、少しクロウは苦笑いを浮かべた。

 

「ともあれ、拉致った連中は己れがなんとかしてきたからさっさと帰るとしよう。お主の寮の管理人なども心配していてなあ」

「そ、そうするっす。ここの連中あからさまにおかしいっすもん。まずは血を体重の10%ぐらい抜いてみようとか話し合ってたっすもん」

「死ぬなそれ」

「生理食塩水を代わりに入れるから大丈夫とか言ってたけど……わたしは注射が苦手っすよ!」


 早めに助けてよかった、と安心しながらクロウはオルウェルの手を握って部屋の奥へ向かう。

 随分と施設内を進んでここに辿り着いたが、大ボスである竜召喚士を無力化したとはいえ彼女を連れて同じ道を引き返すのは難しい。

 すらりと抜き放ったままの魔剣を壁に突き立てて、四角に切り取り蹴り飛ばす。

 するとそこは入り口の門とは反対側の外と繋がっていたようで、夕暮れになった街が二階ほどの高さから見えた。


「行くぞ」

「はっ……ええ!?」


 オルウェルの腰を抱えて、クロウは疫病風装の効果で風に乗り空へ舞い上がった。

 上空を飛行しながら一直線に街を進む。オルウェルは片手で眼鏡が落ちないように抑えながら、


「うあー……わたし空飛んだの初めてっすよ!」 


 ダンジョン内でクロウに掴まれて飛行移動したことはあるが、帝都の上空を飛んだ経験は無かった為に彼女は小さく見える町並みや体に感じる風、夕暮れに染まる海などを見回して感嘆の声を漏らした。

 昨日にドラゴンに連れ去られた時は夜だったし、恐怖で何がなんだかわからなかったが……

 不思議とクロウに掴まれて飛ぶと、落ちそうだ、などと云う不安も起こらずに安心する。

 

「クロウさん、ありがとうっす」

「気にするでない。子供を助けるのは大人の仕事だ」

「子供じゃないんすけどね……お酒だって飲めるし、就職だってしてるんすよ?」

「はっはっは」


 そんなことを言い合いながら、二人は帝都の夕空を暫く飛ぶのであった。





 *****




   

 とりあえず寮の管理人にオルウェルの無事な顔を見せた後で、スフィの教会へ彼女を連れてきた。

 今日は一日かけて作っていた料理ができておりオルウェルにも振る舞うためである。

 白い皿に盛られた濃厚なシチューを匙で掬って口に入れると、オルウェルは顔に赤みが差すほど喜ぶ。


「んー美味しい! スフぃたん料理上手っすね!」

「にょほほーそれほどでもじゃよー」

「こりゃ旦那さんになる人は幸せものっす」


 にこやかにオルウェルが言い、スフィと二人で小皿に入れたシチューをつついているクロウへと顔を向ける女子勢。

 視線に気づいたのかクロウは手を振り笑いながら、


「そうだのう。でもスフィが今更結婚できるか怪しいが。すっかり己れもこやつも独身拗らせた爺婆でなあ」

「ふぎゃー!」


 クロウの気のない言葉に威嚇するスフィである。 

 額を抑えながら軽く頭を振りオルウェルが呟く。


「駄目っすこの男……手遅れすぎる……」

「クローはダメなんかじゃないんじゃよー! 付き合い長いからこれぐらいでへこむか!」

「そしてこの子も面倒くさい方向に拗らせてるっす!?」


 などと言い合いながら、シチューをぱくぱくと食べているオルウェルはふと気づいた。


「そういえばクロウさん、随分小盛りで食べてるっすね? おいしいのに」


 ぴたり、とシチューを突く手の動きが止まり、彼は誤魔化すような笑みを作りながら云う。


「己れのような老人は少ない飯で十分なのだ」

「そうっすか?」

「うむ。しかしほら、スフィの奴が沢山作ったのだからたんとお食べ。もっとお食べ」


 と、クロウはオルウェルの皿にお代わりを鍋から注いで渡した。

 首を傾げながら、それでも味は良いので彼女は食事を再開する。


「しかし変わったシチューっすね? ひき肉が入ってるっすよ」

「ゴーダー風のシチューじゃよ」

「へえ、聞いたこと無いなあ……どんな材料で作ってるっすか?」

「ばっ……聞くでない!」


 クロウがその質問を制止したが、得意気にスフィは語りだす。


「別に凝った具材ではないがのー。ひき肉に塩辛にジャムにタクアン、大福とか蝉の抜け殻などがメインの味付けじゃな」

「……」

「……だから聞くなと」


 中々進まない食事を、相変わらず木匙で突きながらクロウはぽつりと呟いた。 

 スフィの料理が下手なわけではない。味付けが壊滅的とか食材の選択が最悪とかそんなわけではなく、このゴーダー風シチューの正式な材料がそれなのである。普段彼女が作り日常的な家庭料理はそれはもう愛情たっぷりの素敵なものなのだが、二週間に一度ぐらいこのシチューが出現するのが問題なのである。

 むしろその材料を使って美味を感じられる領域に持っていけるスフィの腕前が良いのかもしれないが。

 それでもどうしてもクロウはこのシチューには苦手を感じてしまうのであった。

 なお、タクアンや大福などの名称はずっと以前からこの世界に流入して定着した料理の名前である。

 動きを止めていたオルウェルだが、


「……まあ、美味しいからいっすよ」

「結構たくましいのう」


 と、再びシチューを食べ始めるのであった。味は良いのである。味は。

 とりあえず老人は沢山食べる若者が嬉しいのか、次から次へとお代わりをさせるのであった。




 *****




 食事を終えて、ついでにオルウェルは風呂まで借りて上がった時合であった。

 彼女が入浴している間に衣類の選択は済ませておいたので、来た時と同じヴァオウドレスを着ている。

 風呂あがりに頭にタオルを引っ掛けて教堂に行くと、クロウが手招きしているので近づいた。


「どうしたっすか?」

「いやな、お主の着ている服がどうも特殊らしくて今回は狙われたのだが……まあ、あの召喚士がまた来ることは無いと思うがのう。一応、その服について色々調べておこうと思ってな」

「はあ」

「と云うわけでこの用紙を渡しておく」


 そう云ってアンケート用紙のような項目が並んだ紙を手渡された。



【ヴァオウドレス着用チェックシート】

 複数の項目が当てはまった場合は医療機関で一度精密検査を受けること。


・最近疲れていてもやけに気分が良い。

・夜寝る前に自分が何者かわからなくなる。

・物事を決めるときにどこからかささやき声が聞こえる。

・他人に服を触られることに忌避感を覚える。

・生肉や血が好きなど味覚が変わった。

・脱いでいても着用時と感覚が変わらない。

・脱いでいると落ち着かない。寝る時も着てしまう。

・というか脱げなくなってきた。

・資本主義に限界を感じる。

・銀河皇帝ドリルガッデムの復活を予期した。



 などと、30程の項目を確認してオルウェルは顔色を青くして震えた。


「……ひょっとしなくてもヤバイ症状出る可能性があるっすか!?」

「念のためだ、念のため」


 不安がるオルウェルにひらひらと軽く手を振って告げるクロウ。一応、装着者の意識を奪うような自我はこの半生体装備には含まれていないようだが。

 机に向かってペンを動かしているまま受け答えするクロウに、オルウェルはそれを覗きこんで聞く。


「ところで何を書いてるっす?」

「これか? 日記だ。何故かスフィから交換日記を申し込まれてのう」

「同棲してる相手と交わす段階のものじゃなさすぎる……」


 付き合いは数十年単位であるはずなのに、何故か小学生並のアプローチである。

 しかし今日はいろいろあって日記のネタにも困らないのではないかとオルウェルが上から内容を読むと、



【今日は拉致られたオルウェルを迎えに行く途中で怪しい研究所を半壊させたが、まあいつもと変わらぬ日常だった】



 とだけ簡潔に記されている。

 酷く微妙な顔つきになりながら彼女は云った。



「日常、日常ってなんだ日常を知りたい」


 

 今日もペナルカンドは誰も彼もが歪に異常な日々が続いているのであった。






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