挿話『異界過去話/ある剣のことと、九郎の選ぶ道』
クロウと云うそこそこ不幸な男が居た。
学生の頃からアルバイトを掛け持ちし家に金を入れ、卒業後は総会屋の系列企業を転々とさせられ、やがて高額の保険金を掛けられて海の藻屑と消えた。
と、思ったら異世界に居たのだが戦争に巻き込まれまくって成り行きで剣を取り、生きる為にいろいろとやった。しかし元の世界に戻れることなく、失意の老後に魔女へ連れ回されて懸賞金こそ掛けられないが国際指名手配犯の一味に認定されてしまっている。
運が悪かったと云う要素もあり、彼はまだ生きてやはりそこそこの不幸に見舞われたりしているのだが。
もしかしたら、どこかで選択を違えていればもっと良い未来もあったかもしれない。
しかしクロウは昔話をしたならばこう云う。
「大変な事はまあいつもの日常だが、別にこれまでも不幸せでは無かったぞ」
恐らくそれは、最後にはなんとかする彼だから言えることなのだろう。
*****
異世界ペナルカンド大陸、東部に臨海する空間歪曲迷宮砂漠──遥か昔に、堕天巨人ネフィリムが現出した為に砂漠化したのだが魔王ヨグが更に空間汚染を施した──場所に、魔王城ヒポポタマスアングリーは存在する。
なおその名称に関しては国際的に無視されているので認知度はゼロに等しい。住み込んでいる居候の魔女イリシアやクロウさえ知らない。ヨグも今更主張するのが恥ずかしくなってきていた。
魔王城は様々なアトラクション全開で訪れる勇者を待ち構えているのだが、生憎と仕掛けを施してから魔王城を訪れる者はせいぜい伝神による郵便物の配達と二人の居候ぐらいであった。
例えばどこかしらの功名心ある傭兵や勇者志願などが魔王を打倒せんと挑むことは無いではなかったが、まず外の砂漠で迷った挙句干からびるのが通常である。空間認識をずらされて意識せずに方向変換される結界に触れて進むことも戻ることも出来なくなる。これを突破するには惑わされる理性を無くし結界の拘束力を超える運命力を持つ者か、魔王城の空間制御ナノコンピューター粒子ネットワークを一斉に無効化するかぐらいしか無い。まあ、後に両方同時にやられたわけだが。
地上に立つ魔王城の仕掛けをアトラクションとすると、地下はダンジョンになっている。趣味で作ったはいいがいざ自分がダンジョンの奥に引き篭もるとなると居住性が悪い為にあまり使用はされていないが。そこにも各種財宝があると喧伝してはいるが、矢張り挑戦者は訪れてこない。
さて……。
暫く前から魔女と共に魔王城に居候していたクロウはそのダンジョンのとある場所に居た。
目の前には分厚い金属製の巨大な扉が壁一面を埋め尽くしており、取っ手などは見えずに押して開ける作りに思えた。なお、扉には「ウラ」と共通認識概念文字が掘られている。
「裏ダンジョンですのでと解説致します」
クロウは手に持った魔力水晶の剣で軽く扉を突きながら振り向いて、声を出した相手に尋ねる。
「それで、どうして己れがここに」
振り向いた先に居た、黒髪の侍女はエーテル光に薄く光っている目をクロウに向けて応える。
「魔王様から指示だと説明致します。クロウ様はこの先にある因果剣アカシックレコードブレイカーをイモータルと回収していただきたいとお願い致します」
「あー……」
クロウは目を細めながら眉を寄せて、
「なんでそのアカシックなんたらを取りに行くんだっけか」
「肯定致します。クロウ様を元の世界に戻すために必要な世界幕を切り裂く魔剣に必要な素材なのだとお教え致します」
「ええと」
言い淀むが、イモータルは言葉を先取りして続ける。
「クロウ様が行く必要があるのか、と云う疑問に関しては、魔王様は現在鍵天使から別の素材を手に入れる為に麻雀でハコにしに行きました。イリシア様は刀身に必要な素材固形ブラックホールの作成を闇魔導師と研究しております。故に、手があいているのがクロウ様だと説明致します。
また、この先の裏ダンジョンは時空間だけではなく因果律さえも乱れ、魔王様も内部の把握が困難であり、アカシックレコードブレイカーが異世界物質ではなくこの世界の物なので召喚も不能。イモータルも目標物の座標が不明な為に転移不可能です。
故に、もっとも運良く見つける可能性のあるクロウ様と、脱出時には転移でお送り致しますイモータルが選ばれ致しました」
「……左様か」
急に手伝わされていることに不満を表そうとしたら、何故か自分だけ働いていないような状況を聞かされてクロウは口を噤んだ。
そもそも──魔王城にイリシアが目をつけたのは、異世界物召喚士である魔王ヨグに協力させてクロウを元の世界に戻すためだったのである。
すっかり年老いて、故郷の記憶も朧気で地球世界よりもペナルカンドで長く生きたクロウだったが、一度だけでも日本に戻りたかったと、
(イリシアが魔女化する前に、そんな事を言った事があったなあ)
それを覚えていたようだ。最初は魔女の魔力を使った魔法でどうにかしようと研究していたようだが、やはり餅は餅屋とばかりに魔王へ挑まん勢いで頼みに来たのである。
気まぐれか企みがあるのか不明だがヨグはサボりながらも時折思い出したかのように異世界へ生物を送る術式と必要な道具の開発を行っている。 なので自分の都合で作成してもらっている道具作りの手伝いをサボると云うのは座りが悪い。
「しかし暇とは云え、己れか。その剣とやらの形も知らんし、魔王ならば良い探す道具やイリシアは魔法が使えるから己れよりうまい具合に行きそうなものだが」
「確かに、お二人の能力ならば通常よりも便利に探索致せるでしょう。しかし裏ダンジョンの内部では事象と因果が崩壊、結合を繰り返し混沌に乱れております。そこに運命力と魂のカルマがそこらのチンピラ並な魔王様やイリシア様が入られるとそれだけでショック死しかねませんと判断致します」
「おい。己れは入って大丈夫なのか本当に」
「危険だと判断致した場合、クロウ様を連れて超空間座標記録装置を最大出力発動、光速の876倍で転移脱出致します」
「安心していい速度じゃないな、それ」
迷いの無い顔で告げてくるのでクロウは額に手を当ててため息をついた。
そして肩を大きく竦めて、
「仕方ない。己れの事だからのう。それにしても故郷か……ちょいと前まではもう諦めておったのだが」
「……魔王様のことですからまたどこかで失敗をして、クロウ様をぬか喜びさせただけになるかもしれないと危惧致しますが」
「はっはっは」
イモータルが無表情で、自分の創造主へ不信感を見せた為にクロウは思わず笑った。
彼女は機械人形で感情回路によって作り出された擬似人格を持っている存在だ──とヨグから説明は受けているが、時折人間臭い。ヨグも完璧なだけの機械は面白みが無いと云う主張なので、作り出された機械人形はプロトタイプも含めて妙な擬似人格を持っているのだという。
しかしこの場合の発言は、魔王のミスによってクロウががっかりするのではないかと云う心配の色が見えて、
「別に気にするな。その時はその時で、また適当に暮らすことにするからのう」
「了解致しました──それでは、出発致しましょう」
そう言って彼女は扉の前に立って、軽く窪みに手を触れた。
すると何らかのスイッチが入ったのか、無駄に不気味なBGMと共に分厚い扉が内側に開いて───
不意に二人の足元が消失し深い縦穴へ落下を始めた。
「ぬう……!?」
「ご安心ください。これが正式な入り口だと解説致します」
「正面の扉は?」
「なんだったのでしょうか、あれと疑問視致します。もともとはただの床に階段を出現させるスイッチを置いていただけだったと記憶致していますが」
魔王の悪戯によって変更されたか、裏ダンジョンの瘴気に当てられて変質したか。
げんなりしながらクロウは既に落下して数秒経過している現状を嘆いた。生憎持ってきた物はイリシアの作った魔法剣[キャリバーン弐式]と術符フォルダしか無く、クロウは空を飛べない。飛翔伝説は存在しない。
すると、スカートを片手で抑えていたイモータルがクロウの腕を掴んで呟く。
「武装ラック2番開放。飛行宝貝[風火輪]使用致します」
言うと、彼女の両足の下に広げた掌と同じ大きさをした一対の歯車が出現して回転をし始め、赤と緑に輝いたかと思えば空中でイモータルと彼女に掴まれたクロウは動きを止めた。
イモータルが666種類持つ武装の一つ、飛行用の物である。風と炎の動力が込められたその歯車は使用者を自在に飛ばせる事ができる。
速度を抑えて縦穴の床まで移動するイモータル。クロウは彼女にぶら下がったまま、
「こんな武装もあるのか。アサルトルンバと戦うときはいつも重火器を使っておるからそれ系統かと思っておったが」
「魔王様が作成致した時に、統一性のある武装の種類を666種と張り切って初期ナンバーは改造宝貝を登録致したのですが、百も行かないうちにネタ切れになりまして。飛行用武装だけでも後半被ったものを含めて4種類存在致します」
「あやつも考えなしに数を決めたりするから……そういえば奴の描いた漫画に登場する四天王も実質三人しか居なかったりしておったな」
「二大巨頭を設定すると一人は既に死んでたり致します」
そもそも考えるのが明らかに大変だというのにその場のノリで設定数を増やしたものだから、後半になるに従い適当な武器が増えていく。アンチマテリアル輪ゴム銃とか、相手を投げ込む用の窓枠など確実に登場しないであろう武装も多々あった。
考えなしの魔王はともかく。
やがて二人は足場に降り立った。クロウが軽く剣を振るうと刀身になっている魔力水晶に光が宿り周囲を照らす。
クロウがもともと持っていた頑丈な剣を魔改造したのがこのキャリバーン弐式であり、刀身は薄い一枚の鉱石で出来ていて柄に込められた魔術文字の魔力で光を放つ事ができる。レーザーガンやレーザートーチとしても使えて、最大出力で発動させれば山を蒸発させる光線を撃てる。
ともあれ、明かり代わりにして周囲を見回す──イモータルは暗視機能があったが──と、横穴のように道が続いているようだ。
「進むか」
「了解致しました」
言ってクロウは剣を懐中電灯のように照らして歩き出した。
そこは人工の廊下としか思えない場所だった。進む右側には何も写さない窓があり、左側には一定の間隔で扉が設置されている。
時折小さな机にくすんだ色の花瓶が飾られていて壁には古ぼけた絵もかかっていた。
木造の床は築何十年も経っているようで、すり減っている。
「……どこかで見た気がするが」
だが廊下など何処も似たようなものだと、さほど重要なことではないので思い出すのを諦める。
「お気をつけ致してください、クロウ様。空間がクロウ様の因果を元に再構成されていると同時に重なりあった元のダンジョンからの次元干渉が行われており、様々な危険が考慮致されます」
「うむ? ……ってイモ子、何をやっておるのだ」
クロウが振り向くと、何故かイモータルは天井を足場に逆さまに立っていた。
重力に逆らっているわけではなく、彼女からすればそこが通常の足場だとばかりに平然としている。
お互いに見上げる形で顔を合わせて、
「クロウ様の認識とイモータルの認識の差異で空間が歪曲され距離や座標基準が乱されていると判断致します」
「お主と己れのこの場所での感覚は違うと云うわけか」
「肯定致します。しかしこのように接点を持てば──お手を借りてもよろしいでしょうかと提案致します」
「ああ」
天井からイモータルが手を伸ばす。そう高くない天井に立っているイモータルとは、互いに手が掴める程度にしか離れていない。染みの見える天井に、黒く滲んだ魔術文字が見えた気がした。
(……?)
気にするより先にイモータルがクロウの手を握ると──ぐるり、と周囲の空間が歪み、最初からそこに居たようにイモータルはクロウの隣で立っていた。
「触れることで座標をクロウ様で固定致しました。一旦離れたら互いの場所がわからなくなっても不思議ではありません。ご注意致してください」
「ふむ、なんとも変な場所だのう」
「アカシックレコードブレイカーが創りだした仮想現実に近しい場所です。それに魔王様の空間操作技術の澱みがこの裏ダンジョンに蓄積し、一種の亜世界を構築致しております───」
イモータルが手を振るうと、そこには彼女の体より巨大なのではないかと思わんばかりの、砲身が十字になった巨大な火砲を片手で構えて前方に向けていた。
「第12番、五連装誘導ビームキャノン[五火神焔扇]──発射致します」
「な」
言葉をトリガーに砲口から白熱した魔法則レイズ粒子の縮退寸前の圧力で発射される。その熱量は打ち出された瞬間に重力場が歪みビーム弾の周囲にはプラズマ化した大気が嵐の如く絡みつく。
自動誘導で攻撃対象の頭部を破壊する機構が取り込まれたそれらの光球は一瞬の停滞の後に急激な加速を生んで前方に居た何かに突き刺さり大爆発を起こした。異界の神話武装を模したその武器は神霊をも焼き殺す過剰火力を持っている。
破壊の爪あとが生々しく残──らなかった、消し飛んだ廊下の先を見遣りながらクロウはイモータルに云う。
「……当たる直前、何かメイドが二体程居なかったか?」
「私達の因果に干渉して記憶に残る存在を実体ある幻影として生み出されていると魔王様からの情報を通達致します。この空間では、顔見知りが現れてもそれらは全て偽物であり──関わると己の因果を歪められ存在情報が書き換えられるのでご注意致してください」
「よくわからんのだが……」
破壊跡に一瞬だけ出現し先制で粉砕されたイモータルの前に作られたプロトタイプメイドロボは残骸さえ残っていないようだった。
イモータルの警告に首を傾げているクロウに続けて説明する。
「因果とは人それぞれが持つ全ての事象を表します。あらゆる過去とそれらに繋がる平行世界も含めて、クロウ様の因果は多数に分岐しております。もしこの空間で異なる選択を行った過去の別因果をクロウ様自身が望んでしまうと、クロウ様は現在の自己否定により消滅する可能性があると判断致します」
「ううむ、危険な話に思えるぞそれ」
「意志を強く持ち、偽物の姿で迫ってくる過去の分岐線をこちらから抹消すれば問題はありません。先程のは、私以前に作られた二体の侍女人形が立場を変えようと空間打撃と空間裁断攻撃を仕掛けて来ましたが、イモータルの能力で防ぎ反撃致しました──」
解説の途中でぴょこぴょこと跳ねながら近づいてくるのは、ぐるぐると光が螺旋状に回る狂気の壮絶の瞳を見せている特徴的な少女──ヨグであった。
「イモータル! 666番目の武装が完成したよ! この新型パーツ[奪聖櫃炉]を組み込めばお前は宇宙を滅ぼす力が」
「665番、[マジカルトカレフ]」
「ぐえっ」
冷静な顔のまま容赦なく創造主である魔王ヨグの額に、福岡の自販機の下などでよく見かけるタイプの拳銃で穴を開けるイモータル。いや、ヨグは偽物なのだが。
ヘッドショットされた妖しげな緑色の光を放つエネルギー炉を持ったままのヨグはさらさらと薄れて消えていった。
「このように事前に対処して行きましょうと注意喚起を致します」
「時々気になるのだがお主ヨグのこと雑に思ってないか?」
「……魔王様バンザイ」
「いやそんな取ってつけたように言わなくても」
相変わらず──いや機械だから当然なのだが──真顔のままでぼそりと云うイモータルに一応突っ込む。
「このような精神攻撃系が面倒なので、豆腐メンタルの魔王様では過去のポエムを朗読する因果が現れただけで地球破壊爆弾のスイッチを入れかねません。
イリシア様では過去と云うより、前世までの魔女の因果が全て襲いかかり体を乗っ取られる危険があるので攻略は困難だと諦観致します」
「うーむ、とにかく気をつけていれば良いのだな。わかったよ」
クロウがそう応えると床から道を間違えたもぐらの如く虹色頭が生えだしてきた。
「イモータル! いつでも豚汁が作れる丸太を装備に加え」
「22番、お掃除兵器[混元金斗]」
さっと取り出した掃除機で偽ヨグを吸い取り無かったことにするイモータルであった。
掃除機によって周囲に満ちていた黒煙と粉塵も吸い込まれ、視界が晴れる。消し飛んだ廊下は跡形もなく、景色は変わっていた。
そこはなんと云うことのない、街中のようであった。地面には石畳が敷かれてあちこちに二三階建ての店舗が立ち並び、街路樹が立ち並ぶ大通りの先には噴水のある公園が見える。
無数の住人らしき人間の姿も行き交っていたが、爆発など気にしていないように通り過ぎて過ごしていた。
クロウは周囲を見渡して云う。
「ここは……クリアエのようだのう。これも己れの因果から再現された空間か」
「そのようだと判断致します。クロウ様、そこらを行き交う人は更に実体の薄い幽霊のような存在だとセンサーに反応致しております」
「ふうむ、何処に目的のものがあるやら……ひとまず進むか」
そう言ってクロウは鞘に収めた剣を杖代わりにしつつ、もう片方の手をイモータルと繋いだまま記憶に残る街を歩き出した。
町並みはあちこちが曖昧になっているのか、数十年前の景色とイリシアと出奔する前ぐらいの景色が入り交じっている。
アカシックレコードブレイカーを見つけるには特異な魂を持つものが直感的に発見しなくてはならず、物理的なサーチは殆ど効果が無い為にイモータルはクロウに手を引かれて周囲を警戒しながら付いていく。
クロウは見回しつつ苦笑いをしながら、
「因果が一番深い場所、がここになって居るのう。故郷の景色などほとんど忘れてしまったせいか」
染み染みと云う。
イモータルは彼が過去に囚われないか不安になり、握る手を僅かに強めた。
暫く進むと、クロウに声をかけながら近づいてくる小さな影があった。
「クロー!」
手を振り、長年見慣れた笑みを浮かべて寄ってきたのはエルフの友人──スフィ、が因果によって再現された相手だった。
イモータルが拳銃を取り出すが、クロウは杖剣を持つ手でそれを抑えさせて──やはりいつも話しかけるように返した。
「どうしたのだ、スフィよ」
「クロウ様」
背後から短く、イモータルの声がクロウに注意を促すが彼は聞かなかった。
スフィの姿をした因果は、クロウとイモータルをそれぞれ見た後にこう言った。
「いろいろお主も大変じゃのう」
「そうだなあ」
「いい爺がイリシアに付き合ってあちこちで大騒ぎしおって。年甲斐を考えぬか」
「まったくだ」
「……」
世間話のようなものを始める二人を、イモータルは見下ろし眺めている。
スフィは躊躇う様子を見せながら、聞いてきた。
「辛かったり、しんどかったりしたら別にそんなことをお主がする必要も無いんじゃよ。私とだらだら余生でも過ごさぬか?」
それを。
クロウが選んだら彼の因果律が変動して魂の存在が揺らぐだろう。主観的に過去に飛ばされて異なる平行世界で生きることになるかもしれない。存在自体が消える可能性もある。
やはり因果分岐体と関わるのは危険か、とイモータルが銃を持つ力を強くしようとするが──不思議と、何故か大丈夫だと思う気持ちが浮かんだ。
彼は笑いながら、
「大変だし、面倒な事も多いがのう、それなりに楽しく笑って生きているから、己れはこれで良いよ」
「……そうかえ」
あっさりと、一瞬だけ寂しそうな目をして因果分岐体は伸ばした手を引っ込めた。
クロウは続ける。
「それに今は探しものがあるからのう。何処にあるか知らぬか?」
「何を探してるか私も知らんがのー、そう云う時は知ってる所を回ればいいと思うんじゃよー」
「そうだな……じゃあな」
会話を切り上げて、軽く手を上げ別れを告げてクロウは再びイモータルを連れて道を歩き出した。
その後姿を見送ったまま、スフィは小さく何かをつぶやき、消えていった。
消える様子をイモータルは確認しながら、共に道を歩く。
「とりあえず知っている場所を探すか。下水の奥にあった臭い漂う市役所の水道管理科作業室とかはちょっと後回しにするが」
「了解致しました」
「イモータル! 新しいカオスヘッドだよぎゃああ!」
再出現したヨグが爆破された。
ともあれ、二人は当ても無いのでクロウの足の向くままに仮想の街を歩いた。
市役所、飲み屋、飯屋、学校、市場、練兵場、公園。
あちこちでクロウは懐かしい顔見知りにあって声を掛けられる。
「おう、クロウ! 将棋打っていかないか!」
「生憎用事があってなあ。はっはっは。結局己れの勝ち逃げだのう」
「クロウ、うちの妹が行き遅れてるんだ! 貰ってやれ!」
「墓場に行くのは御免だ」
「何でしたらクロちゃん、わたくしの鎧壊しの旅に付いてきませんこと?」
「イツエさんは運がマッハで悪いからのう」
などと、素気ない返事を返してクロウは笑いながら、気にすること無く進んだ。
魔法学校に寄ると、校庭の隅で項垂れているイリシア──いや、青髪になった魔女が居た。
酷く絶望した顔で地面に向かって呟いている。
「許さない。許さない。許さない……」
暗い目で只管恨み言を吐いていて──快楽愉快凶悪犯である今のイリシアとは似ても似つかない、悲しい気配を見せていた。
クロウはそれを遠巻きに見て、
「……己れの因果の可能性と云うことは、あのイリシアと関わる平行世界があったと云うことか」
「肯定致します」
「何がどうなってあやつがああなったのか、己れがどう関わるのかは知らぬが……きっと、そっちの己れができることをするだけだろう」
クロウはそう言って、絶望の魔女に背を向けて立ち去る。
顔は若干曇っていたが、足取りに迷いは無かった。彼はイモータルに聞かせるように云う。
「『過去とは椅子のようなもの』という金言を残したのは己れが昔好きだった映画の監督だがのう……」
「椅子──ですかと問い返し致します」
「椅子に座ったままクスリのやり過ぎで死んだ監督が云うから妙に深く思える」
或いは意味などなかったが。
この場所で様々な椅子を見せられても、選んだつもりもなく座っていたのはただの一つなのだからそれ以上の何かは無いのだろうと折り合いがついてしまう。
あの時そうしていれば、と言って椅子を投げ捨てるには年を重ねすぎた。
「しかし、何処にあるのかのう、アカシックレコード大賞」
「アカシックレコードブレイカーですと修正致します」
イモータルは続けて、
「魔王様の受け売りですが──人が因果の中で取れる選択肢は無数にあり、誰もが自分で選んだ道を進んでいると思っています。ですが、選んだのは個人でも定められた運命に従い選択を行った、と云うだけに過ぎないのが殆どなのだそうです。
故に、選んだ道が正しいのか正しくないのか先で悩み過去を悔いる。あの時やり直せれば異なる結果が出せると。最初から全て知っていればより良い未来が作れると──それもまた、歪な運命に従っているだけに過ぎないのだと高説致しておりました」
「魔王の云うことなど話半分に聞いておけ。どうせ何かの受け売りだ。過去を椅子と云うヤク中の言葉とどちらが真実を語っているかなど分からぬよ」
クロウはぼんやりとした口調で云う。
「過去をどうしようとか、これからどうなるのかとか、己れにはとりあえず日々をせめて楽しもうと過ごすだけで精一杯なのだが」
「……それが良いと判断致します」
言いながら、さてこれから何処に行ったものかとクロウは適当に考え歩いていた。やはり下水道か。
そこそこに人通りのある道を進む。人混みに紛れてイモータルに接近しレトロな追加パーツ[こんなもの]を取り付けようとしてきたので壁の中に転移させられていた。これで倒したヨグは8体目だ。魔王のバーゲンセールである。
と、その時。
クロウの横を誰かがすれ違った。
顔は見えなかった。黒い髪が流れるのが、視界の端に映っただけだ。
無意識に手を伸ばしていた。片手は杖剣で塞がっていたから、イモータルと繋いでいた方の手を離して。
「クロウ様──」
声が途切れる。同時に周囲が極度に歪み捩れる。水面に色水を零したように、溶けて混ざり再び静寂が訪れる。
あたりは色を消した。灰色と白色と黒色で構成された懐かしの街は、人気を失っている。いつも生活しているのと同じく動き回っていた人間の幻影はひとつ残らず消えていた。
クロウが一人残っている。
空間反発と因果の別離によって引き離されたイモータルの姿は無く、クロウは失策を悟って周囲を見回した。
「イモ子……いや、大丈夫だ。見つかる」
根拠はないがそうクロウは思った。それに離れても彼女の前に現れるのはIF改造を施そうとするヨグぐらいのものだろう。魔王の死体の山が築かれるだけである。
それにしても、と先程すれ違った黒髪の通った道を見渡した。見覚えがあるわけではなかったが……小柄な女のようであった。
その先で──。
曲がり角に消えていく、揺れる長髪の先と白い服が見えた。
「誰だ」
このよくわからぬ状況で現れた者だ。尋常ではないが、何らかの意味を持つのだろう。
追いかけると──建物の中が見えないガラス窓の一部に映っている景色が見えた。
足を止めてそれを見ると、映像は自分が昔馴染みのオーク神父と共に火山の火口に作られた悪魔的邪教集団の基地を爆破して脱出しているシーンである。爆発し崩れ落ちる山を間一髪で逃れている。
「……こんなことした憶えはないぞ」
呟いて先に進む。前に居た黒髪の誰かを追いかけると、そこにあった水たまりにも色が付き動画が再生されていた。
そこでは青白いローブを着て死神のようになった自分と、不死のデュラハンのイートゥエが愚痴を言い合いながら只管旅を続けている。呪われた自分たちをどうにかする、当てもない世界旅行の一幕であった。
先に進む。また道を誘導するように曲がり角を進んだ人の気配がした。
酒屋の店頭に並べられた空き瓶にスフィの歌を聞きながら眠るようにしている老人の自分が居る。
先に進む。
また建物のガラス窓に大陸東の島国に渡った自分がついに米農家になってそれなりに満足した食生活で定住しているのが映った。
誰かを追いかけ先へ進んだ。
幾つもの反射物に自分のいずれかの可能性が見えた。イリシアと戦う自分が居た。魔王城に攻め込む自分が居た。何事も起きずにペナルカンドのどこかで平穏無事に大往生した自分が居た。嫁を貰った可能性もあり、それは知り合いだったり知らない相手だったりしている。
手を伸ばせば届くような、リアルな映像であったがクロウは先を急ぐ。
やがて──。
入り口のホールが大きな硝子のドームになっているのが特徴の、クリアエ魔法協会へとたどり着いた。
硝子一面に景色が映っている。コンクリートのビル。走る車。どこかで見た学校に通い、着崩した制服で友人と笑う自分が居る。アルバイトの給料が上がって、半額になったケーキを土産に母と弟に買って戻り笑っている九郎が映っていた。
足を止めて──クロウは小さく笑った。
「そんな己れも居たか──キャリバーン弐式、凌駕発動」
剣を構えて唱えると猛烈な光が斜め上に向けて放たれて、硝子作りのホールを蒸発させ吹き飛ばした。
惜しいとは思わなかった。
恐らく手を伸ばし求めれば、因果律に引き寄せられて主意識はあの可能性世界に引き込まれるだろう。元の世界に戻れるわけだ。
だが、
(酷く危険な冒険を繰り返しても、無目的で終わりのない旅を続けても、誰かに看取られて死んでも、人と家庭を作っても、絶望的な戦いに挑んでも──己れはちゃんと生きてきたのだからな)
どこかの可能性はその可能性の自分に任せよう。
己はこの世界で駄魔王とろくでなし魔女とポンコツ侍女に振り回されて生きているが、それなりに楽しんでは居る。
クロウは吹き飛んだホールの先──よく見れば、この世界に来た最初の廊下に戻って進んでいく。
「魔法協会の廊下か……こんな所にさしたる思い出はないが……」
何故か息が切れる。知らず、胸に手を当てていた。
「高血圧か……?」
ぞわぞわと妙な感じがする。
クロウは自発的に魔法協会と関わった記憶はない。彼が依頼の間に立っていた、魔法協会の奥に研究室を持つ告死妖精クルアハの所へ通っていた思い出は消えている。
だが、記憶が消えても──ここは魂の因果に引き寄せられる場所なのだ。
足取りが緩くなる。老人に戻ったような気分だった。天井に輝く、魔術文字の明かりに目眩がした。
やがて──。
もっとも奥の部屋に、誰かが入って扉を閉めた。一瞬だけ黒髪と白い服が見えた。
「……」
クロウは無言でその部屋へ向かって、扉を開けた。
なんということのない研究室だ。魔術文字の明かりが灯り、本棚がひしめき合い、そこらに模様が描かれた紙が貼り付けている。机には付与魔法に関する独自の研究メモが散らかり、開けっ放しの菓子箱と湯気を立てているコーヒーが置かれていた。
そして机の真ん中に全部が赤褐色に染まっている、そう云う色粘土で作ったと言わんばかりの剣の形をした棒きれが突き刺さっていた。
彼はこれがアカシックレコードブレイカーなのだと悟る。
軽く手に取ると陶器のような触り心地をしたそれは簡単に抜けた。刃らしいものも無く、刀身に当たる部分を握ってもどうと云う事はない。
これはクロウと云う男の持つあらゆる事象、可能性、因果が結晶化している。
使用することができれば、己の関わることならばなんでも願いが叶えられるが──それにはこれに記された全てのアカシックレコードを読み取る能力が無ければ使うことは出来ず、それこそ記憶媒体を銀河に敷き詰める程容量のある情報を処理出来なくては不可能だろう。
当然クロウには使えないが、そもそも使うつもりも無い。手にとって部屋を見回した。
「……誰だか知らぬが、案内してくれたのか」
視界の端にだけ現れた誰かを追いかけてここに来たのならばそうだろう。
「思い出せぬ……年のせいか」
どうしてもあの黒髪の誰かがわからずにクロウは軽く頭を抱えた。
そしてまた──。
ふと、背中に誰かが居た気がして、今度はキャリバーン弐式を手放しそれを捕まえた。
長い黒髪をしたその人物は──髪と一部白いエプロンドレスは同じだったが、クロウよりも背の高いメイド服を来たガイノイドであった。
「イモ子」
「クロウ様。お探し致しておりました」
「ああ、すまぬ……のう、少しばかりこの辺りで、お主のような黒髪のおなごを見なかったか。ここまで案内してくれたのだが……」
「エリアサーチ。完了。この亜世界にクロウ様以外の生命体は存在致しません」
「……そうか」
クロウはイモータルの手を握ったままため息混じりに頷いた。
「確かに居たのだ。誰だか覚えていないが、誰かが……」
「……クロウ様。その謎の女性を見たと云う現象について、私のデーターベースに該当する概念を発見致しました」
「なんだ?」
「候補1『脳内嫁』。イマジナリーフレンドの一種で──」
「お主の冷血な判断力には時折感心するわい。もうよい、疲れたから帰るぞ」
本当にくたびれたように、クロウはいつもの眠たげな眼つきに戻ってかぶりを振った。
イモータルは床に落ちたキャリバーン弐式を回収しクロウの手を離れぬように絡めて云う。
「今度は離さないでください。超光速転移致しますので」
「悪かった悪かった」
「それでは行きます。超空間座標記録装置──[無限光路]作動致します」
その宣言と共に二人は空間跳躍をして、裏ダンジョンの亜世界から脱出していった。
クロウとイモータルの因果を軸に生成された空間はそう時間を掛けずに端から剥離していくように消えて行き──。
アカシックレコードブレイカーが刺さっていた机もやがて消えて、残された小さな椅子が、名残惜しそうに最後に無くなっていった。
*****
クロウとイモータルが魔王城に戻ってきた時は、徹夜で麻雀をしてきたヨグと風呂敷にブラックホールを包んできたイリシアが帰ってきていた頃だった。
どれだけ時間が経ったかわからないが、裏ダンジョン内と外では流れが違う。
二人が戻ってきたのを見てクロウと別れた後に数えきれぬ程イモータルに駆除された魔王ヨグは両手を上げて二人を出迎えた。
「やはー! おかえりんこー! ってなんでイモータルはこっちに銃を向けるの!?」
「失礼致しました」
銃を亜空間武装ラックに戻すイモータル。どうせ本体には銃は効かない。
ヨグはクロウの持っている赤くごつごつとしたアカシックレコードブレイカーを見て大きく頷く。
「くーちゃんなら取ってきてくれるって信じてたよ! そうそう、大質量ブラックホール分のエネルギーを柄で保持するにはアカシャ物質が必要だったんだよね」
「いや知らんが。というか何故にブラックホール」
「ブラックホールの向こう側には別の宇宙があるってSFを知らないの? 本当かどうかはともかく、我の能力でその効果を付与させるのさ。さすがに鏡の世界で行き来させるにはちょっと能力の相性が悪いからね。大質量は小質量を兼ねるんだよ」
「ちょっと別の銀河系まで行ってきて固形ブラックホールを作ったので疲れました」
床に横たわって枕に頭を埋めているイリシアがさらりと規模の大きな事を云うが、いまさら驚くようなことではない。
ヨグはどこからともなく様々な道具を取り出した。
「まずはアカシックレコードブレイカーを改造して柄にしようか。そのままじゃとても折れない武器だけどまずは塩を入れたお湯で下茹ですれば柔らかくなるんだ」
「食材か」
ぐつぐつと沸騰した鍋にクロウの持ってきた剣をトングのようなもので取って放り込む。
「更にゆで汁に香草を入れておくと臭みがとれていいね」
「臭みって」
「因果なんて椅子のようなものさ。いつも座ってると臭くなる」
「パクるな」
「さあ! 出来たよ! これで柄と刀身のところを切り落とす!」
「のこぎりでとか」
「見た目はただののこぎりだけど未来デパートで売ってる凄いのこぎりなんだよっ!」
すると本当に、因果を結晶にしたあらゆる事象を内包する虚空物質は科学力によって作られたのこぎりに、刀身らしき部分の根本で切り落とされた。
もろりとした様子で分離するのは揚げたてのドーナッツを千切る様子にも見える、固いのか柔らかいのか不明な感触であるようだった。
「次はこの鍵天使をハコにして巻き上げてきた世界鍵[パーフェクトワールド]!」
もともとは境界の神に仕える天使だったのだが、その当の神が魔王ヨグに殺神されている為に恨みもあっただろう。麻雀勝負──恐らく不正が行われた──の誘いにはあっさりと乗り、そして飛ばされたようだ。
世界鍵は境界神が管理する世界の扉を開閉するためのものだが、神が死んだと同時に扉が失われて鍵単体では効果はなくなっている。
「そのついでとばかりにある金と荷物は?」
ヨグの後ろに適当に置かれたそれらを指さして尋ねる。
彼女は胸を張って、
「さすがにタイマンだったら面白く無いから世界中からランダムでメンツを揃えたのさ。剣製妖精から村雨丸を、旅をしていたオークの神父は身ぐるみを剥いでやったよ!」
「いらんことに巻き込まれるのう……ちゃんと元の場所に帰してやっただろうな」
「うん。元の荒野にパンツ一枚で」
「強く生きろよ……」
ランダムで死ぬほど運が悪いのか或いは良いのか、ともあれ哀れな知り合いのオークの姿が目に浮かんだ。
「この世界鍵と固形ブラックホールを融合させて刀身を作るよ」
「どうするのだ?」
「こうして合成の壺に入れて……」
「急に雑になったのう」
などと遣り取りをしている二人を見ながら、寝転がったままのイリシアにコーヒーを渡してイモータルが云う。
「クロウ様がいらして、魔王様は随分楽しそうにしていると判断致します」
甘くて、昔にクロウの真似をして飲み始めた頃に苦かったので砂糖とミルクを入れていた時と同じ味のコーヒーを飲みながらイリシアは返した。
「クロウはだいたい誰にでもあんな調子ですよ。昔から振り回される人だったみたいで」
「……そうですねと同感致します」
*****
こうして、因果律を操作することでクロウの世界の座標を厳選し、重力極点の裏面に生成したワームホールを利用して世界幕に扉を作り、鍵で自在に操作する目的の[狂世界の魔剣]は作成された。
同時に、余ったアカシャ物質と村雨丸とキャリバーン弐式を組み合わせたアカシック村雨キャリバーンⅢと云う、クロウ専用の武器もついでに出来た。
ここから更に、非生物しか干渉不能であった魔王の能力を限定解法させる術法を作り上げたり、世界干渉による異物排除機能を誤魔化すために魔女が自分の能力を制限する術式を開発したりと着実に[皆で別世界に遊びに行こう]計画は進んでいく。
しかし、魔王は忘れていた。お約束とも言える己が信じるメタな法則を。
キーアイテムが揃えばイベントが起こる。
最後に全てめでたく成功するには、魔王も魔女も因果のめぐり合わせが悪すぎる。
そうして魔王城の三人と一機が、魔王討伐へと訪れた三人によりたまたま同時に襲撃を受けたのは──計画までに後一日あれば上手く行っていたはずの土壇場なのであった……。




