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【RE江戸書籍化】異世界から帰ったら江戸なのである【1~4巻発売中】  作者: 左高例
第四章『別れる道や、続く夏からの章』
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59話『絵師達の日常』




 梅雨の季節である。

 さすがにこの季節となれば、活気があり初夏から晩秋まで祭りを繰り返す江戸の町も道行く人は少なくなる。

 傘は普通の町人が持つには高く、レンタルや長屋で共有の一本などという程度の普及であったし、着物を濡らしてまで外を出歩くのはそれこそ日々の売り歩きをする棒手振りぐらいだろう。

 雨で日照りが無いのでむしろ魚や野菜は瑞々しく、外に買いに出る事も無いからこの季節は売り歩くには良い商売になったという。

 さて……。

 長雨が続くと、ある特定の目的を持つ者には利点がある。

 それは、他人の家を訪ねる際に在宅している事が多いということだ。

 現代のように、向かう前に電話をかけて──などという事ができない時代であるので、これは特定の業種にはありがたい事であった。

 九郎も関わるそれは──絵描きへの版元からの催促である。


「ここぞとばかりに使われておるなあ……」


 九郎は和傘を差して雨のしとつく中を歩きながらぼやいた。

 いつの間にやら、[為出版]と云う物語ものの黄表紙や奇妙画などを広く手がける版元の日雇い労働者になっている現状に憂いたのであった。

 九郎がこうして原稿の遅い絵師や作家を訪ねて催促に回るのは珍しくない。最初は小銭稼ぎに、顔見知りであった版元の編集者田所無右衛門に頼んで雇われていたのだが、いつの間にか面倒な作家に回す要員として職場では認識されたようである。

 何時の時代でもそうだが、早くてそこそこの作品を出す作家は非常に重宝がるのであれどもそうそう居るものではない。

 九郎が担当を任されているのは、特に偏屈であったり、催促しても「もうちょっとできます」と一週間同じ事しか言わなかったり、賭博や遊芸にのめり込んで本業を疎かにしたり、酒浸りで正気で居る時間が短かったりと……まあ、問題のある相手の回収をすることになっていた。


「まあ、知り合いに会う口実だと思えばよいか」


 老人は付き合いの途切れない友人が何よりも大事になるのである。

 その点で言えば自由に足腰の動く体をしている己は恵まれていると、九郎は思う。

 九郎も若い頃は午前中に仲間の神父と銀行強盗に巻き込まれ、午後からは司祭に教会同士の聖戦を手伝わされて、終えたら妖精の友人と地下80mにある店へ夕飯を食いに行き、その途中で騎士団長に絡まれていつ行っても乱闘が起きてる飲み屋へ梯子をかけて、帰り際に事情聴取で警察に引っ張られていっていたデュラハンの身柄を引き取りに行く──などと騒がしく友人付き合いをしていたが、年を取ればそんな事もできなくなっていた。

 

「まずは……麻呂か」

 

 石燕の弟子であるお調子者の若者の姿を思い出して、ダウナー系になる麻を煎じた薬でも持って行こうかと考慮するのであった。

 北川麻呂と名乗る絵師の住屋は根津にある。

 何十年も前から壊れかけの外観のまま建ち続けている長屋の一つに彼は住んでいた。

 そこには彼と同じような売れない絵描きや、偽坊主、食い詰め浪人に寝たきりのうどん職人など──まあ住んでいる者もそう上等な身分では無かった。完全に寝転がった体勢のままうどんを捏ねる職人には、九郎も舌を巻いたが。

 ともあれ、誰が管理しているのかも怪しげなその潰れ長屋に寄り、北川の棟へと向かった。彼の住んでいる部屋は家賃を倍払っているかは不明だが、隣との境界となる薄壁が取り壊されて広い部屋にしている。雑多な道具を散らかす為かもしれないが、そのせいで近所の長屋連中が集まる集会所代わりにされていたりもする。

 この日も中に何人か居るようで、騒ぎ声が聞こえてきた。


「いけ! 麻呂のくもじい!」

「クソっ! なんてデカさだ! 負けるな、俺のぴたぱか!」


 酒でも入っている熱狂さに九郎は立て付けの悪い引き戸を軋ませながら中を覗き込む。


「おい、麻呂ー。仕事の催促に……ってお主ら、何をやっておるのだ」


 見ると、男数人が集まって紙を折り作った箱を覗き込みながら騒いでいた。

 新たな客に誰も気にすることの無い様子なので、ひょいと九郎も上がり込んで立ったまま見下ろすと、


「……闘蜘蛛か? ははあ、暇な奴らだ」

「あっ担当すぁん! そんなことより見てくれよこの麻呂のくもじいの雄姿を!」


 はしゃいだ二十前後の青年──麻呂は筆さえ持たずに箱の中で互いに威嚇しあっているのか、困惑して向かい合っているのかわからない蜘蛛を応援していた。

 江戸時代、太平の世となれば暇を持て余した遊びが多様化しており、現代から見てもよくわからない流行があった。

 蜘蛛などの虫を戦わせたり、以前に石燕がやっていたように海産物を戦わせたり、蚤の跳ねる高さを比べたり、鶉を捕まえてきて泣き声の美しさを競ったり──これは武士にまで流行り、鶉調教師まで現れた──と、勝負事も多かったという。

 しかしながらその箱の中で戦っている蜘蛛は、


「蝿取蜘蛛と足高蜘蛛では勝負にならんだろう」

「くっそこの麻呂眉毛め! どこからそんな巨大蜘蛛連れてきやがった!? こんなの見たことねえ!」

「はぁっはっはっかはっげほっ気管に唾が! おほん! これは麻呂が島流しをされている時に南方より流れ着いた木の実を持ち帰ったら住み着いた最強の蜘蛛なんだ! 凄いだろ、格好いいだろー!」

「うむ?」

 

 麻呂が使っているのは普通の足高蜘蛛なのであるが、部屋に集まった連中は化け物か妖怪の幼生を見るような目でそれを見ているので九郎は首を傾げた。

 

(そういえば、こっちに来て足高蜘蛛など見たことはないが……)


 と、思う。

 現代日本では当然のように人家に住み着き、害虫駆除などに役立っていて[イエグモ]と呼ばれる程に身近になっているが、本来アシダカグモは外来の種でこの当時ではまだ日本に生息していないのである。

 初めて国内で確認されるのはこれより百年以上も後になるが、麻呂が偶然海流に乗って流れ着いたものを部屋に住まわせているのだ。

 箱に入れて猫の髭らしき、細長いが硬さのある白い糸で突付き戦闘意欲を促している。

 背中からべしべしと叩かれて仕方なさそうに足高蜘蛛は前進して、さすがにこの巨体には敵わぬと跳ねる動きでぴたぱかと名付けられた蠅取蜘蛛は箱の端へ逃げていった。

 麻呂は腰に手を当てながら高笑いする。


「ふぬはははははは! 麻呂の大勝利だ!」

「規格違反だろ!」


 素浪人風の男が勝ち誇る麻呂に不満を言うが、彼は怯まない。


「黙れぇ! 勝ちは勝ちだ! だって麻呂勝ったんだもん! 武士に二言はあるまいな! 約束通りお前様の持っている吾妻形は麻呂の物だぁ!」

「くっ……このかつて殿より拝領した由緒正しい吾妻形をこんな春画師に……!」

「そんなもの上司から貰うな。そして奪おうとするなよ……」


 九郎は哀れを含んだ呆れ顔で、浪人が奪われそうになっている吾妻形を見ながらげんなりと言った。

 吾妻形とは張り形の一種であり、所謂男性用で女陰の形を模して作られた竹輪めいた物品である。江戸に於いても、元禄期に出された好色本にその存在が記されている。

 無論、武士が持っていれば大層に体裁が悪い為に隠されてしかるべきものではあった。薩摩などでは目にしただけで腹を切らされかねない。

 しかしながら、貸し借り業の多い江戸とはいえ、そのような性具を他人同士で渡しあうのはどうも九郎としては閉口する気分であった。

  

「せめて湯で煮て洗えよ。性病が感染るぞ」

「さすが担当さん! 助平淫具にお詳しいのですねえぇえ! おい木っ端ども、この担当さんはあれがミシャグジさま並の最強階級だからひれ伏せよ」

「はぁ~!」

「拝みだすな。ご利益は無いぞ」

 

 白い珍棒の神様の化身を見る目になった集団に九郎は嫌そうに手を払う。なお、元は賽の神や石神、蛇の神なのであって男性器ではないが隠喩めいた勢いで通じているようだ。

 数人の、九郎とは何の関係も無い男どもが手を上げて聞く。


「担当殿! 性病に掛からぬようにするにはどうすれば良いですか!?」

「遊女や陰間を抱くな」

「身も蓋もない!」

「我らに坊主のような禁欲を強いるというのか!」

「……まあ、後は股間を清潔にしておけ。殺菌と言ってな、細かなごみや虫がついて病気になることもある。それらを洗い流すためにわさびとからしを溶かした湯を盥に張って尻と前を綺麗に洗うといい」

「なるほど!」


 勢い込んで、部屋に居た男どもは早速実践しようと外に出て行く。

 無論さほど真面目に助言したわけではなく九郎の適当かつ粘膜を痛めつければ性欲が減退するだろうという大雑把な見通しから出た言葉であった。

 暫くして仲間を殺されたステラーカイギュウのような悲鳴が聞こえてきたが、無視した。簡単に人は罪から目を背けることが出来る。

 

「それで絵は出来たのかえ?」

「かぁ~! 蜘蛛の世話がなければなー! もうちょっと麻呂の遣る気が出てれば今頃完成してたのになー!」

「ふむ、では完成したらこれをやろう」


 九郎は懐から一枚の札を取り出して麻呂の前でひらつかせた。

 彼は訝しげにそれを見て、書かれた文字を読み上げる。


「『肩たたき券』……? ふう……麻呂にそんなもので遣る気を出させようとか臍から利根川が湧くよ」

「大自然か」

「もうちょっと先生の下帯とかさあ! 房楊枝とかさあ! そういう素敵な気分とか色々盛り上がる道具を用意してくれないと!」


 過剰な要求をする麻呂である。房楊枝とは当時の歯ブラシのようなもので、もはやそれを求める彼は珍しいことにあの駄美人として残念な知名度のある石燕の熱烈にして少々行き過ぎたファンなのである。本人からはパシリ扱いを受けているが。

 九郎は半眼のまま、押し戻された券に目を落として言う。

 

「これ、石燕から肩を叩いてもらえる券なのだが」

「よっしゃ半刻待っててすぐに完成させるから!」


 身を翻して絵筆を取り描きかけだった作画にとりかかった麻呂に、ため息をつく九郎であった。老人には真心の篭った贈り物、として渡された肩たたき券であるが、体が若いとそうそう肩も凝らない上に正直按摩のお雪にやって貰ったほうが上手なのであまり使っていない。

 まあ、麻呂がこれを石燕に使うと肩をぽんと叩かれて左遷か破門か取材旅行を言いつけられる気がするが。そういう意味でも肩たたきに使えるのである。

 

(しかし、相変わらず汚い部屋だのう)


 元からあちこちの板は割れ、畳は剥げて障子は虫に食われているのだが、そこに顔料を溢したり版木の屑を放置したりしている。まりもが群生しているのかと思ったら米粒に黴が生えているだけのようであった。

 そしてそこかしこに、気配を感じる。


「ごきぶりも多いのう……よく平気にしておる」

「江戸に住む貧乏人には貴重な栄養で御座った」

「食うのか」

「冗談でげそ。さすがになァ……信濃者じゃあるまいし。あ、船虫なら極限の漂流生活の末に食べたけどマジあれ死ぬほど臭くて無理だった……絶食させて糞とか抜いても死ぬほど臭かった……」

「あまり聞きたくない情報だのう。しかし長野県民……いや信濃者は虫に強い」


 などと言い合う。船虫は肉の臭いがどうというよりも、臭い自体を発生させる器官を持つために食用には向かない。

 なお長野県民に偏見があるのは九郎の見解であるが、この当時江戸には信州から多くの流入者がやって来ており、また大食らいであった為に信濃者は何でも食うと川柳で読まれる程であったのは確からしい。

 壁を這う黒き害虫を、箱の外に出た足高蜘蛛が素早く近づいて捕食している。

 

(あれが居着いているのも餌が豊富だからかもしれん)


 動きに感心して蜘蛛を観察しながら待っていると、茶の一杯も出されないまま──まああまり飲みたい環境でも無いが──麻呂の絵は完成した。


「出来たー! 題して[女郎蜘蛛]! ふぇへへへへ我ながらこの腰のくびれと腹のぽっこりと女体の融合がなんとも……」

「ふむ、どれ……ううむ、やはり絵は巧いのう」


 九郎が渡された絵を確認しながら唸る出来栄えだったので素直に褒める。

 そこには写実にも見える黒い毛の生えた蜘蛛の体から、女の腰から上が生えている所謂蜘蛛女の絵が描かれていた。

 為出版では夏に向けて妖怪物、かつ売れ筋の良い美人画を合わせた[物ノ怪娘画説]を複数の作者から絵を買い取って出す予定である。

 それにしても、芸術視点の無い九郎でもわかるぐらいに色めいて匂い立つ女の姿を描く麻呂は、やはり腕が良い。

 色気があるだけではなく、牙の生えた鬼のような蜘蛛女からは男を食らわんとばかりの欲を感じる。


「うむ、これならよかろう。ほら、肩叩かれ券だ」

「わーいなんかちょっと言い方変わったような気がするけどこれで先生からぐふほふほ……はっ! 先に肩を感じやすいように鍛えて於いた方がいいかな!? 担当様どうすれば肩を性感帯に出来る!?」

「そうだのー、確か肘で肩を擦ればいいと聞いたことがあるぞ」

「有り難い……! とう! あれ!? とう!」


 九郎の雑で根拠も無いアドバイスに従い、なんとか肩に肘をくっつけようと手を振り回す麻呂から視線を外して、受け取った絵を濡れない葛籠に入れてさっさと長屋から出て行くのであった。

 外では暇を持て余し治療法を試そうとした男どもが股間を広げて雨で冷やしていた。なんともこの世の終わりのような長屋だ、と九郎は苦笑をこぼしつつ足早に立ち去る。

 

「さて……次は」


 


 *****





 日本橋の街道筋から外れた、小道の裏。 

 勝手口の木戸や水甕、張替えの板切れなどが雑多に路上に置かれているおおよそ界隈の店に用がある客が通らぬようなところにその店は構えている。

 [狂雲堂]と屋号の書かれた古びた看板を出しているそこは、盗むものも居ないのか店先に鏡を置いてあることで鏡屋だと知れた。

 江戸の商業区とも言える日本橋に店を出しているが大店というわけではなく、元からそこに土地を持っている為になんとなく店を開いているような、中古の鏡を取り扱う場所である。それでも中には由緒ある鏡工が作った物品もあるために、稀に大尽が訪れて高額を落としていくこともある。

 そう云う店をやる気があるのか無いのか分からぬ態度で営業しつつ絵描きをしているのが、佐脇嵩之と言う男であった。


「店主、版元からだが……っと」


 九郎が傘をたたんで店に入ると、中はじっとりとした湿気がむしろ肌寒いほどで、土間に棚を並べて鏡を置いている店内は薄く水が張るように濡れていた。

 無数に虚空を映す鏡もどこか淀んで見える。

 どこかで水滴の音が聞こえると同時に、奥から陰気な銅を飲みたての閻魔じみた低い声が聞こえた。


「いらっしゃい、と鏡でも買ってくれるなら歓迎するのだがね」


 大きな姿見の前にある番台に座り、浄玻璃の鏡に照らされた罪人でも見ているかのようなきつい眼つきをした三十半ば程の中年が佐脇嵩之である。

 こう見えて、というべきか見たままというべきか、江戸でも妖怪絵師として有名な人物でよく鳥山石燕と並び表されることがある。が、同じ狩野派に所属しているというのにお互いに顔を合わせたことは無い。別段、どちらが避けているわけでもないのだが天命的にすれ違っているのだと石燕は言う。

 絵師の中では納期も守るのだが、いつ見ても不機嫌そうに見える顔つきと彼に纏わる妖怪の目撃情報、それと話が長いことで担当に回されたのである。

 しかしともあれ、


「……なんで店の中がこう水浸しなのだ?」


 と、九郎は疑問を口にした。

 長雨続きではあるが浸水するような勢いではなく、特にこの辺りは大店が多く地主に金があるだけあって、溝の整備も万全に行われていて捌けが良い。

 だというのに彼の店は敷居の内側までも、泥臭くなる程に水が篭っている。

 嵩之は手にしていた本──意外なことに料理本であった──を閉じて物憂げに言う。まあ、彼のような強面で低い声の男が口にすれば物憂げというより、倦怠した獄卒のような声音であるのだったが。


「どうも、自分は良くない物に取り憑かれたようだ」

「うんまあいや前からそんな気はしていた」

「いや、それとは別件で」


 彼は髪に纏わり付いた湿気を払うように首を横に振った。丁度、遠雷の光がうっすらと店内を照らすと鏡の反射で小さく人影が見えた気がしたが、すぐに見えなくなる。

 噂だが、どうも彼の店には亡くなった奥方の幽霊が住み着いているのだという。

 目撃した者は何人も居るし、九郎も茶まで出されたのだが店主である嵩之自身は一切その気配を感じたことがない。鏡に映って彼に姿を見せたことも無ければ、こっそりと食事の膳を用意していることもなく、ただ訪れた客にのみ目撃談が上がるので不気味なのであった。

 ともあれそれとは別件に、と嵩之は言う。


「自分に取り憑いたのはこれだ──[濡れ女]」


 そう言って、彼は版元に渡すための墨絵を見せた。

 人面蛇身の女妖怪が描かれており、達筆に[濡女]と名が付けられている。

 九郎は異世界に居た蛇人種族を思い出しながらまじまじとその絵を眺める。


「濡れ女と云うより……蛇女のようであるな」

「これは河原や海辺に良く出る妖怪だからね。蛇は水に関係している。またこれは女の執念や妄念が妖怪化した姿であるとも言われていて、妬みや恨みの感情もまた祟り神である蛇だ」

「ふむ……確か坊主に恋い焦がれて蛇になったのは清姫だったか」

「それに自分は鏡屋をやっているからね。鏡と蛇とも関わりが深い」

「そうなのかえ?」


 九郎が首を傾げる。

 何か関連性を想起しようとしたが、今ひとつ浮かばないようである。

 嵩之は近くにあった文箱を取り、中から筆を取って半紙に何かを書き示す。

 どうでもよいが、


(妖怪絵師というのは己の本分になると説明したがるなあ)


 と、九郎は思いながらも字を眺めた。

 店内の、薄暗いが行灯の明かりが鏡にいくつも映り気分が悪くなるような朦朧とした明るさに黒蛇がのたくったかに見える字が見える。


「鏡の語源については前に話をしたが覚えているかい?」

「ああ……確か水面に映った影を見る事から、[影見]から鏡になったとか」

「それとはまた別の説でね、蛇は様々な呼び名がある。[み]とか[じゃ]とか[はは]……その中には[かが]と呼ぶ事もあるんだ。そのかがの目は閉じたりせずに物を反射して映すことから[かがめ]と来て鏡になったとされる……という話もある」

「ほう」

「実際に日本中には蛇信仰があちこちに残っているのだけれど、その中には蛇神の祟りを収める為に池や沼──水地に鏡を落とすという風習も沢山残っている。他には……鏡餅は蛇がとぐろを巻いた姿を模して作られた──というのはちょっとこじつけがましいかな」

「あれは普通に銅鏡を重ねた形だと思うぞ」


 本人もさほど真剣に考えた説ではないのか、「まあね」と気無く返される。

 

「ともあれ、濡れ女はこうして他人の周りを湿らせて弱らせたり、生き血を啜ると言われている」

「それでどうするのだ? それに取り憑かれた時は」

「ふむ……そう思って用意したのだが」


 彼は陶器の器を取り出すと、そこには立派な太さのなめくじがいた。

 九郎はぬめぬめと這うそれを見ながら、


「ああ……確か蛇は蛙に勝つがなめくじに負けるとかそう云う話があったなあ」


 所謂三竦みだ。しかし長年の疑問として九郎は首を傾げ、


「そういえばなめくじが蛇に勝てるのかのう? いや、どこか南方に居そうな巨大なやつではなく普通に日本か大陸に居る種類で」

「いや、聞いた話だと琉球辺りにはなめくじを食う蛇も居るらしいが」

「駄目じゃないか」

「そもそもこの三竦みの元になった言葉が[関尹子]という秦代の学書でね。そこには『蝍蛆食蛇 蛇食蛙 蛙食蝍蛆 互相食也』とある。書かれているのは蛞蝓じゃなくてむかでだよ」

「まったく関係が無いな蛞蝓……どうして蛞蝓になったのだ?」


 嵩之は難しそうに眉間にしわを寄せて、煮え切らない口調で云う。


「はっきりとは判ってないのだけど……これは自分の考えだが、日本では蛇と百足は因縁が深くてこの二つだけで関係が完結し蛙が置いて行かれそうだから間に一見関係なさそうな蛞蝓を置いたのではないかな」

「ほう」

「俵藤太の百足退治伝説では男体山の蛇と赤城山の百足が戦ったし、蛇が川の神なら百足は鉱山の神と近い位置にいて争いが起きやすい。毘沙門天の使いが百足で同じく七福神で人気を争う弁財天の化身は蛇だ。こうなってくるとどうも蛙が怪しくなる」

「確かに蛙が一転地味になったな」


 蛇と争うような大百足だと、蛙が勝てるような気がしないで九郎は頷いた。

 嵩之はため息混じりそこらに置いてある鏡に目を向けながら、


「ま、しかし百足も探そうとなるとこの雨の中大変なものだから、代わりに蛞蝓を用意したのだがそれでどうにか嫌がって去ってくれないかなあ、濡れ女」

「どうだろうのう……あ、絵は貰うぞ」


 九郎は若干湿気でたわんだ濡れ女の絵を葛籠に入れて保管する。

 すると嵩之が再び思いついたように、


「そういえば女妖怪と蛞蝓の関係性についてもここでは触れておこうか」


 などと、まだ語る内容がある様子だったので九郎は肩をすくめて仰ぎ見ながら、


「……己れから言えることは、雨が止んだら雨漏りは直せということだよ」


 と、言った。

 見上げると、天上の染みは一面に広がりそこかしこから水が落ちてきている。

 これでは鏡の保管環境にも良くないだろう。

 雨で蒸れるわ、客は来ないわと退屈していただろう嵩之は諦めたように再び寡婦男用の簡易料理本を開きながら、


「善処するとしよう」


 諦めてそう云うのであった。

 濡れ女が実際居るかどうか……それは不明だが、とりあえず佐脇嵩之は水滴る店内で、退屈しているのであった。




 *****





 神楽坂にある血みどろ死霊のはらわた地獄編記念館こと、鳥山石燕の屋敷。

 まあそんな呼び名は半分ぐらい九郎が広めているのであるが、残り半分は本人が自称しているので良いのである。

 一年中不吉な雰囲気を周囲に撒き散らしているそこは確かに誰もが呪われていると口にすることで真に呪いを得ているのかもしれない。

 版元の者が催促に訪れると必ずと言っていいほど出掛けているのだというが、不思議と九郎は自分が訪れた時に石燕に留守を食らったことは無い。

 その日も九郎やってくると、


「ふふふ待っていたよ九郎君!」


 ──石燕が布団から顔を出して出迎えた。

 玄関の段差に座り込んで九郎は云う。


「いや……寝ていたよな」

「寝てないよ! 布団で待機していただけ……あっなんか別にいやらしい意味じゃなくて」

「口元に涎」

「はっ!」

「寝癖も酷──あ、いやそれは元からか」

「むう」


 少しばかり拗ねた顔になる石燕である。

 のそのそと薄手の夏布団から這い出て石燕はずいと近づいてきた。

 

「しかし良いところに来たね九郎君。ほら、見たまえ! 希少品の蜂蜜酒を手に入れたのだよ! 綺麗な黄金色だろう? 石笛も用意しているからね!」

「何を召喚するつもりだ」


 白い徳利に入れられた蜂蜜酒をくゆらせながら石燕は上機嫌に云う。

 江戸の頃には蜂の巣箱を利用した養蜂が開始されていて少ない数だが一般にも蜂蜜を得ることが出来た。それまでは山に入る者か、貴人しか殆ど口に出来なかったようである。

 蜂蜜酒は簡単にいえば水を加えて糖度を下げれば自然発酵を始めるので簡単に作れる原始的な酒なのである。なお、現代では無許可でアルコールを発酵させ作るのは違法なので行ってはいけない。うっかり蜂蜜に水を混ぜたまま放置したり、果実ジュースにイースト酵母をこぼしたまま忘れて置いておく事は許されない。

 ともあれ、九郎の足拭きに水を張った盥を子興が持って来たので手ぬぐいも受け取り、軽く泥を拭って上がり込んだ。

 

「飲みに来たのではなく生憎と仕事の催促だ。まったく、お主ときたら軽くすらすらと描けると云うのに十日期限を与えたら十日目に描いて、二十日期限を出したら二十日かかるときたものだからのう」

「作家なら当たり前だよ」


 悪びれもせずに云う。

 

「しかし今日は虫に縁がある気がする」

「そうかね? 虫といえば──」


 石燕がふと思い出したように、


「三尸の虫と云う人間の悪行を報告する虫を見張るしょうけらという妖怪が居るのだが私の説によると南蛮の菓子[しょこらあと]はそれに関わる──」

「待て待てもうその話は聞いた上に季節外れだ」

「こうやって同じ話を繰り返すことで時間が進まず輪廻しているという現象が起きている振りをしようと思ったのだが」

「意味が無さ過ぎる……何に対して抵抗しておるのだ」

「婚期! 婚期に対してですよね師匠──いひゃああ!? 家守やもりを投げないでぇ!」


 余計な口を挟んだ子興の胸元に三寸程の家守がシュートされてばたばたと暴れ帯を緩め脱ぎ取り出そうとした。

 なお彼女はすっかり九郎の不能具合と性的安全性を知っている為に風呂あがりに彼が家に居ても平然と歩き回るほど慣れているのであった。

 そう云う妙にずぼらなところが婚期を逃す原因ではないだろうか、と九郎は冷静に観察する。

 

「とにかく、物の怪娘の絵は出来ておるのか?」

「ふふふ勿論だよ見たまえこの───絡新婦じょろうぐもを!」

「あ、それ麻呂と被ってるからボツで」

「……こ、こんな事もあろうかと実はもう一つ用意していたのだ! これならば大丈夫だろう濡れ女!」

「そっちは佐脇嵩之と同じネタだのう。当然ボツで」


 自信満々に石燕が取り出した絵を却下する。

 何せ、様々な妖怪娘が掲載されるというのが売りの本になるので被り物には少しばかり厳しくしなければならない。

 それに妖怪絵師として知名度のある石燕と同じ妖怪を載せた作者は比べられたり、勘ぐりを受けたりもする可能性がある。故にそのへんはよく石燕に頼むように──と、版元から言われている九郎であった。

 一方でボツを食らった石燕は、拗ねるでも怒るでも遣る気を無くすでもなく──ぽかんとしていた。

 そして難しそうな顔をして口元に手を当てて顔を背けて何事か呟く。


「勘が外れた……か。ふむ、成る程。良い兆候だね」

「石燕?」

「いや、大丈夫。そうだね九郎君、今から構図を考えてさっと墨絵で描いてしまうから少し待っていてくれたまえ」


 彼女はそう言うと、筆を軽く咥えて腕を組み、じっと紙を向いて目を閉じた。

 さらさらといつも描く石燕がしっかりと考えているのを見るのは初めてな気がして九郎は声をかけずに、やや離れた場所へ移動する。

 

「……昼寝でもするか。子興や、できたら起こしてくれ」

「はいはい。あ、先生が寝てた布団敷きっぱなしだからそこ使っていいよ?」

「そうだのう」


 言って九郎は掛け布団の上から寝転がり、暫く目を閉じていると雨の音が心地よく意識が朧気になっていくのを感じた。

 布団からは少し甘い匂いがする。


(あやつが菓子か、蜂蜜酒でも零したのかもしれない……)


 思いながら、殆ど音を立てない寝息をついて九郎は眠るのであった。





 *****




 

 クロウが目を覚ましたのは顔にかかる影によってだった。

 安楽椅子に身を任せて午睡に浸っていたのだが、別段未練も無く目を開ける。


「起こしてしまいましたか、と反省致します」


 涼やかな声がかかった。人工音声ではあるが最大限人間に近づけていると製作者のヨグは主張するが、本体の性格──と言ってもいいかもしれない高性能なAI──からすると、いつも冷静で断定的な言葉遣いをする。

 目の前に居て薄手の掛布団を両手で広げていたのは、黒髪を腰まで伸ばした細身のメイドである。

 魔王の侍女である機械人形──イモータル-666であった。

 クロウは欠伸を噛み殺しながら云う。

 

「イモ子か……いや、丁度起きようとしたところだった。つい静かだと寝すぎてな」

「左様でございますかと安心致します」


 小さく腰を曲げて礼をする。眼つきはどことなくジト目に見えるがロボットなので気にしても仕方がない。

 頭を掻きながら午睡の間見ていた夢が解けて消え行く感覚に頭を振った。なんでもない日常を過ごしていた気がするし、このような安楽椅子に座ったまま幸せな老後をしていた夢であった気もした。或いは今も夢なのかもしれない。

 考えても詮無いことだ。

 イモータルがじっと彼を見ながら尋ねる。いつだって人間に尋ねることからロボットの仕事は始まると言わんばかりに。


「寝起きのコーヒーなどいかがでしょうかクロウ様と伺い致します」

「うむ、頼む」

「了解致しました。少々お待ち致してください」


 そう言って彼女は部屋──魔王城の広間である。そもそも住んでいる人間が三人しか居ないので無駄に巨大な城だが半分以上はダンジョンで居住用の部屋数は少ない──に亜空間から取り出したコーヒーセットを用意して豆から引いて淹れ出した。

 何故か彼女のマスターであるヨグだけが注文するとインスタントコーヒーを用意するのだが、クロウが居る時はしっかりと手間を掛ける。ヨグとしてはインスタントコーヒーなのに何故かやたら旨いので文句が言えない。不思議だ。

 コーヒーの匂いが立つ中でクロウは聞いた。


「お主が帰ってきておるという事はもう祭りは終わったのか?」

「肯定致します。先に荷物を持って空間転移で帰還致しましたので、すぐに魔王様とイリシア様も帰って来られると判断致します」


 祭り、と云うのは魔王城から遙か離れた商業都市の一つで行われる同人誌即売会の事である。

 年に一度行われるその祭りには世界中から人が押し寄せて出版物の販売を行い、その数日の期間だけで都市には数百万の人が集まると言われている。

 魔王でありがらサブカルチャーを好むヨグも気が向けば自作の本を売りにその祭りへ出向くのである。今回は魔女イリシアも一緒であった。

 期間のあいだは、価値観が絶対な事に定評のある商業神の加護によって都市内ではほぼ全ての暴力行為や犯罪行為が抑制される為に、世界的かつ多くの神々から莫大な懸賞金と栄光特典を付け指名手配されている魔王と魔女も堂々と姿を現すことが出来る。

 いかなる賞金稼ぎや国家の軍隊、暗殺者に天使が訪れようとも会場で誰かを傷つけたり攫ったり捕まえたりする事は不可能なのである。金が集まれば集まるほど、流通が発生すれば発生するほど神としての能力が上昇する商業神の決めたルールを破る事は魔王にすらそう簡単ではない。

 クロウがついていかないのは、年をとっていると祭りのような騒がしいことは苦手になるとか、指名手配犯と共に居るのを見られるのが面倒だとか──そういう理由ではなかったが。 

 前についていった時に、見知った顔のデュラハン少女がぎっしりと薄い本を紙袋に詰めて購入しているのと出会ってお互いにバツが悪い気分を味わったからであった。

 本人は、


「こ、これはダムの写真集とか、詩集とかですわ!」


 と言い訳がましく主張していたので確かめることはしなかったが。

 思い返しているとイモータルからカップを渡された。


「どうぞとお渡し致します」

「ありがとよ」


 クロウがコーヒーを飲み、その良い匂いで昼寝の眠気を醒ましていくと、少し離れたところにある空間が薄皮をめくるように剥がれて、得も知れぬ音と共に扉が出現した。

 魔王ヨグの持つ空間転移道具[遍在扉]である。

 がちゃりと向こう側から開けられて、虹色の髪をしたにやにやした笑みの少女とどこか消沈した青髪の女が入ってくる。

 

「ただいまー♪ くふふーあー楽しかった」

「おのれ」

 

 機嫌の良いヨグと対照的に、イリシアは短く恨み事を云った。

 クロウはそちらを見ながら告げる。


「おかえり。どうだった?」

「我の本は売れに売れたよー! ちょろいちょろい!」

「ううむ、あの若干不快な気分になる日本の料理漫画を、登場人物を属性コテコテにした少女に変えただけのパクリ作品が……」

「嫌味で文句をつけるキャラは高飛車お嬢様、トラブルメーカーはドジっ子、薀蓄は眼鏡キャラと目隠れ! そうするだけで気分がささくれ立たない料理漫画が出来上がるのっさ!」


 自信満々に云う魔王は、即売会に出す度に長い行列が出来上がる大手のサークルであった。

 無論知名度補正もある。世界中に名をしれている大悪党が出す本というだけで、内容はともかく買ってみようという層も多いだろう。

 なお、魔女狩りが盛んに行われている魔女に比べて魔王と云う存在は懸賞金と神々の特典こそついているものの各国あまり討伐の手が伸びない。

 理由は藪をつついて蛇を出すのが恐ろしいからである。かなり昔のことだが、まだヨグが引きこもらずに世界中で悪どい活躍をしていた時などは世界中の精鋭戦士に魔法使い、神官などを百万規模で集めて彼女を討伐しようとしたら──空からスペースコロニーは落とすわ軌道エレベーターは倒すわは地殻が見えるほどミサイルは打ち込むわと反撃の規模が桁違いで魔王に一太刀も浴びせられなかった上に世界中が滅びかけたのですっかり国々は遣る気を失ってしまった。敵に回すには失うものが多すぎる。

 当時ほどの力は無いものの、今でも魔王が空間歪曲迷宮砂漠に地上地下ダンジョンまで用意して待ち受けている魔王城にまったく誰も敵が来ない理由であった。

 一方でサークル初参加のイリシアは自作の本の在庫を抱えてげんなりしたまま帰ってきた。


「……売れなかったのか」

「おかしいこんなのは」

「やっぱり無理だったのだ、巨大ロボによる巨女リョナオリジナル小説は」

「ぜったいじだいがくる」


 死んだ目をしながらイリシアは虚ろに答えている。魔女化して以来一番ダメージを負っているかもしれない。

 魔王を伝説の大悪党とするなら魔女は現在進行形の指名手配凶悪犯なので、知名度というか現実で迷惑を被っている連中から冷たい目で見られて集客効果は無かった。

 その上に──ヨグはイリシアの本を手に取り捲りながら云う。


「ただでさえ即売会でオリジナル小説ってジャンルがきついのに巨女じゃあねえ」

「世界侵略を企む謎の巨女組織と戦う正義の処刑ロボ[トーメント]による長きに渡る戦いの始まりの一巻目だったのですが」

「長きに渡るって……プロットちゃんと練って着地点考えてる?」

「……」


 無言であった。


「率直に申しまして、まだ駄目かと判断致します。甘いケーキでも食べてその設定ノートは押入れにでも保管致しましょう」

「いつか絶対巨女ブームは来ると信じて」

 

 未練がましく言いながらも、イモータルの用意したケーキセットにとりかかるイリシアであった。

 クロウは一応彼女のそれを読みながら、小さく笑って言った。


「いや、来ないだろ巨女ブーム」





 *****





 目が覚めたのは揺さぶられてだった。

 振動の次に声が届いた。陶器に入った鈴を鳴らすようなからころとした声は子興のものだ。

 そんなに長く寝ていたつもりはないが重くなった瞼を起こして九郎は石燕の布団から身を起こした。


「疲れてるの? 九郎っち」

「いや……まあちょっとそうかもしれぬな」


 過去の異世界での事を夢で見るのはそう珍しいことではないのですぐに意識をはっきりとさせる。

 自分には絵心も文章力も無いが、どの世界でも人は創作を楽しんでいるものだと懐かしさと共に浮かぶ思いであった。

 

「石燕の絵が出来たのか?」

「うん。ほら、師匠」


 子興が云うとにやりと笑った石燕が九郎へと一枚の女人の描かれた絵を見せた。

 薄影のようでありながらはっきりと視覚に訴えかけてくるその絵は、童子のような髪型をした女であったが──腰から下の胴が広げた反物のように長く、建物を突き抜けて伸びていた。

 

「妖怪[高女]……巨女の流行りは来ると勘が告げているよ!」

「こねえよ」


 思わず夢の続きのように冷淡に言ってしまったが、ひとまずその絵は受け取るのであった……。





 *****





 後日。

 読売の訪問販売をしているお花の瓦版を見て九郎は飲んでいた茶を零した。

 内容としては、


 [江戸で巨女流行! 女相撲の見世物が郊外で連日開かれ、笑い絵としてもあちこちの絵師がどんどん描いている! 縦長巨女と全体肥大巨女など様々な派閥争いが激化……か?]


 と、世間の風俗を切り出して書いているのであったが、九郎としては開いた口が塞がらぬ様子であった。

 思わず既に亡きイリシアを思い、働いているタマの方を見ながら、


(来たわ、巨女ブーム……)


 などと謝るやら既に死んでいて悲しいやら、不思議な気分になったという。

 江戸に於いては美人画の絵柄流行として、十八世紀頃に十頭身で長い手足の女体が流行した時期があったのは事実だ。

 この流行に、低頭身巨乳な女体を主に描く麻呂は反発して後に自分の絵柄を流行させ返すという熱意を見せたのも、また実際にあったことである……。







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