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【RE江戸書籍化】異世界から帰ったら江戸なのである【1~4巻発売中】  作者: 左高例
第四章『別れる道や、続く夏からの章』
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56話『薩摩クールダウン大作戦』

 前回の物語における筋道をまずは云わねばならぬ。

 ここのところ清々しい気分で勘働きが優れるようになった九郎は心配事に見切りをつけた。

 そしてそのまま灰色の脳細胞がある事実を照らしだしたのである。

 彼と縁のある魔女イリシアの転生体──彼は残りの余生を人の寿命で終えるためにはそれを探さねばならない。

 占いや運命力などの条件に一致する者が一人捜査線上に浮かび上がった。  

 禿頭の壺振りの男──調べたところ、名を入蔵いりぞうという。二文字も合ってたのでこれは確実だろうと九郎もようやく尻尾を掴んだ思いであった。



 まあ当然そんな今まで素振りも無かった男がイリシアな筈もなく確かめた挙句に失敗を確認して九郎は酷く落胆していた。





「もう怠い。完全にやる気失くした」


 徳利から直接酒を煽っては机に突っ伏して呻く九郎を、お房とタマは心配そうに見ている。

 ひそひそと口元を手で覆いながら話し合う。


「九郎兄さんどうしたタマ?」

「なんか探しててようやく見つけた大事な人が居たんだけど別人で振られて落ち込んでるみたいなの」

「恋人とかそういう?」

「禿げたやくざの男らしいの」

「どういうことタマ……」


 事情を詳しく知らねば意味の分からぬ落ち込みっぷりであった。

 もはや彼は困り果てて、己になどイリシアの転生を見つけることは不可能なのではないかとすら思い始めている。 

 あと石燕の占いはもう信じない事に決めた。占いというか、籤引きだったのだが。

 いっそ、


(イリシアは成仏をしたのではないか……)


 と、思うほど、前世の知り合いなどという不確かなものを探す難しさに疲れていた。なお、仏門ではないので成仏はしないのだが。

 どうもいつもに増して怠そうな九郎に、お房は茶の湯を出した。


「ほら、九郎。昼間っからお酒飲んでると先生みたいになるのよ」

「うむ……」

 

 茶を啜る。酒の甘く醸しだされた味が熱く苦い湯で流れて、「うう」と息を吐いた。

 中々に店の中でしなびているとどうも辛気臭くて困る。お房は九郎に、


「それでお茶最後だから、また新しいの買って来て欲しいの九郎」

「そうだのう……そろそろ新茶の季節だしのう」

「ほらほら、やることが出来たなら起きなさい。まったく、腐れてばっかりじゃつまらないのよ」


 そう言って九郎を引っ張り起こし、履物を履かせて外に追い出してしまった。

 よろよろと歩きながらも、やがて日差しを眩しそうにする九郎に後ろから塗笠を渡して、九郎は薩摩の茶を売る[鹿屋]へ向けて仕方無さそうに向かった。

 手慣れた様子で彼を仕事に向かわせるお房を、


「まるでおっかさんだなあ」


 と、タマは感心するのであった。

 




 *****





 ちょうど、時期は水無月の朔日ついたちである。

 朝晩は涼しいものの昼間はうだるような日差しがあり、風が吹く川沿いはマシだが肉体労働者は汗を浮かべる陽気となっていた。

 黒袴の同心らも手ぬぐいを顔に当てながら足早に道を進んでいっている。

 九郎が日本橋へ両国方面から回って向かうと、足軽侍を伴う駕籠が急ぎ足で江戸城へ向かって運ばれていた。

 駕籠からは僅かに水が垂れていて通ったあとに小さく水溜まりが出来ており、そこに小さな子供などが冷たそうに素足をつけて騒いでいる。

 加賀藩にある氷室から運ばれてきた氷を入れているのである。

 毎年、水無月の朔日に到着するように、江戸の大通りを回って城へと収められる。

 徳川の将軍が口にするものだが、一部の大名や大身旗本はその氷の僅かな欠片を拝領して有難がった。それの手に入らぬ町人らもこの時期になると凍み餅や雪餅を食べていた。

 これらは氷を使った菓子ではなく、乾燥餅を氷に見立てたものである。


(氷がこう貴重だと大々的に氷菓子を作って売るわけにはいかぬな……)


 一応、九郎は持つ氷結符で幾らでも製氷可能なのであるが、下手に広めたら面倒になるだろう。

 知り合いに振る舞う程度はいいが、店で出すのは止めておいたほうが良いと一応決めた。


 さて……。

 九郎が[鹿屋]に到着すると、何故か番頭が即座に彼を奥の間に通した。

 薩摩営業会議室に通されてしばらく待つと、でっぷりとした店の主・鹿屋黒右衛門が慌ててやってきた。


「これは九郎殿、良い時にいらっしゃいました助けてくだされ」

「いや己れ新茶買ったら帰るから」

「……火腿をまた提供しますので」

「とりあえず話は聞こうか」


 薩摩産の豚ハムで懐柔される九郎である。江戸で手に入る貴重な豚肉だ。

 何故かこの鹿屋の御意見番になっている実態に九郎は内心妙な気分であった。雑に決めたアドバイスを相手が何故か気に入り、そこそこに当たるのだから不思議なものである。

 実は……と、額の汗を拭いながら黒右衛門が切り出した。


「薩摩武士の方々が凶暴になってきまして……」

「元からだろそれ」


 つい、反射的に九郎は悩みを切り捨ててしまった。

 そんなどうしようもない風土病のようなものを相談されても、対処のしようがない。

 そもそも薩摩の武士達は凶暴に──いや、薩摩めいた武士になること以外を禁止されているのだ。

 奨励ではなく、禁止である。

 六歳から鍛えあげられた洗脳とも暴力支配とも言えるその教育により、生き残るものはより薩摩を拗らせ、耐えられぬものは発狂するか途中で死ぬ。そのような土地なので今更凶暴と言われても九郎にはわからぬことであった。

 その辺はよく理解している黒右衛門もやはり困り果てた顔で、


「いえ……確かに酷いのは前からなのは重々承知しておりまして……実は[からいもん]と[きもねりん]の着ぐるみに入る者を立ち代わりにしているのですが、この暑さで相当参っているようで……」

「ああ、作ったの冬だったからのう」

「しかし一度仕事を引き受けた以上不平不満を口にすることは二枚舌の罪で死罪! となれば皆一日ごとに堪忍袋を温めつつ、明け方には立ち木に打ち掛かり憎悪を晴らす始末……この前に三日連続で着ぐるみを来た者など松の木をその三日で打ち倒してしまう怒りっぷりでして」

「嫌なマスコットの中身だな……」


 しみじみと九郎は呟く。

 薩摩では明確な階級社会があるものの、公然と嘘をつく者、約束を破る者は上下の区別無く誉を無くしその罪は家族にまで及ぶとされている。

 また、当人が約束を果たし殉死した内容を他の武士が反故にするような行動も法度とされた。


「このままでは不満が燻りあの唐芋侍共が江戸の市中でいかなる狼藉を働かないとも限りませぬ」

「それをされると印象が最悪にまた戻るのう」

「既にこの辺りの野良犬の姿が消えた、と時折通りの向こうから凄い目を光らせて小山内同心が見張っておりますし……」

「もう遅かったか……」

「試し切りするのも食らうのも藩邸でして欲しいのですが……」

 

 大店で敷地内に貸長屋や植木などを育てる広い庭もある鹿屋では幾人も薩摩の者を住まわせている。これもまた藩からの達しであり、武士社会の薩摩では商人たる彼には逆らえぬことである。 

 これも彼は薩摩藩に交易としては赴くものの決して再び住むことが出来ない理由でもある。藩内では武士が内職として行う為に様々な職業が町人には制限されており、彼らが少しでも機嫌を損なえばその場で無意味に死罪となり兼ねない。

 無礼な町人を一人切り捨てたとて、唐紙一枚の報告で済ませてしまうのは薩摩と他幾つかの藩ぐらいだろう。

 九郎は荒くれの気を紛らわせる方法を考えて一応聞く。


「酒宴を振る舞うなどで誤魔化せぬのか?」

「最初に機嫌は良くなるのですが体が熱くなり酒気に乱れだすと下手に棒状のものでもあれば死人や片輪が出かねない状況でして……」

「進化の袋小路に入った生き物のようだのう……」


 九郎も何度か薩摩人との飲み会に参加したことがあるが、嫌な緊張感があって楽しめたというわけではなかった。宴会の真ん中にぶら下がっているきもねりんの影響も少なくはなかったが。

 薩摩人というか殺魔人と云った殺伐っぷりである。

 

「何が奴らをそうまで狂気に走らせるのだ」

「はあ……暑さは薩州のほうがきついですから、ともかく常日頃の窮乏への不満や何かと圧力をかけてくる徳川への不平、痩せた故郷の土地に理不尽な上下関係、毎年やってくる台風に降灰……江戸に上がっているからといってそうそう性根から染み込んだそれらは憎悪となり染み込んでいるのでしょうなあ」

「これはもう己れが解決できる問題ではなかろう」


 げんなりと九郎は云う。政治や土地の問題が根にあることは個人でどうこう出来はしない。

 何か一時的でも良いから気を晴らさせるものでもあればいいのだが……


(美味いものでも食えばいいのかもしれんが、薩摩の好みは知らんな……)


 幸せな気分になる食べ物。将翁にでも聞けばそれらしいキノコを紹介してくれるかもしれないが、トランスした薩摩隼人が江戸城に殴りこみをかけたら事である。

 

「そういえば鹿屋。お主のところでは加賀藩の氷は手にはいらんのか?」

「とんでもない。あれは将軍御用達の物で、とても私どものようなケチな商人には……」

「ふぅむ……では徳川の将軍ぐらいしか口に出来ぬ氷菓子でも食えれば、少しばかりは幕府への溜飲も下がるのではないかのう」

「それは確かに……用意できるので御座いますか?」

「ま、ちょいとな」


 九郎は出処を探られても面倒だと思い、皮肉げに小さく笑みを浮かべて声を潜め云う。


「ここだけの話、己れは妖術使いなのだ。秘密にしてくれよ?」







 *****




 

 江戸市中を修羅界に変えんばかりに荒ぶる薩摩藩士を鎮まらせる為にかき氷でも作ってやろうかと思ったが、シロップを九郎は作成することにした。

 糖蜜だけでも良いかもしれないが、せっかく作るので一手間かけてみようという気になったのである。

 この男、前に何か失敗して遣る気を失っていても、新たな仕事を与えればとりあえずは気分を取り戻す性格なのだ。

 ともあれ、かき氷にかけるとなると柑橘系の色鮮やかなソースがぱっと思いつく。


「木苺ぐらいなら今の時期に生ってるはずだのう」


 そう思い、タマとお房を連れて山野に取りに行った。こういう作業は子供の方が効率よく採取を行ってくれる。 

 周囲の実を絶滅させんばかりに笊いっぱいの実を楽しそうに集めてきた二人は、掃除や潮干狩りの時もそうだがやはり性根が老人化して細々としたことへの集中力が維持し難い九郎とは、ものが違う。

 幾つか口に放り込んで甘みと酸味を味わいながらむじな亭に帰り料理をする。


「まずは水に実をつけて沈める。潰さぬように解してくれ。中に虫が居るかも知れぬ」

「はぁい」


 二人は盥にひたした水の中で木苺の笠を開いて整える。それぞれ、黄色と赤色の苺に分けてある。

 

「水から出したら上に砂糖と刻んだ梅干しを解し水に溶かしたものをふりかける」

「甘いの作るのにしょっぱい梅干しかけていいの?」

「大量の砂糖の前では隠し味みたいなものだ」


 鍋に入れたそれらに味付けを施す。砂糖は色を出すために白砂糖を利用した。製法に手間が掛かる分黒砂糖よりも高価だがこれでも輸入に頼っていた時期よりは庶民の手に入る価格になっている。

 梅干しを入れたのは隠し味もそうだがその成分で果実の発色を良くするためである。九郎爺ちゃんの知恵だ。


「──で、果実から水が出たら更に少しひたる程度に砂糖水を加えて煮こむ。あくは取ってと」

「甘い匂いがしてきたタマ」

「これを漉して冷やしておく……次は氷だな」


 九郎は桶に用意していた一度沸かした綺麗な水に氷結符を触れさせて手頃な大きさの氷塊を作った。

 二人の子供らが感嘆の声を上げる。


「六科はそっちを器に削るのだ」

「わかった」


 と、一つを六科に渡すと彼は包丁でしゃりしゃりと一定の早い感覚で端から氷を薄く切っていく。味音痴ではあるが、包丁さばきは中々のものである。

 九郎も氷塊を削るが、包丁では滑って上手く切れないので太刀であるアカシック村雨キャリバーンⅢの根本で削り落としていく。もはやかき氷器代わりの名刀であった。

 日本では古来より貴人はこのように削った氷に甘い葛液か蜂蜜をかけて食っていたものの、氷室を用意するか富士山より駆け足で運ぶかしか夏場に食えることは無く、庶民が食べることはなかった。

 ともあれ、二つの椀に氷が山盛りにされ、九郎は冷やした赤と黄褐色のシロップをとろりとかけて二人の前に出した。


「わあ……」

「へえ、凄いの」


 目を輝かせて子供二人は、白い削り氷にかけられた鮮やかな色のそれらを見て、楽しそうに言った。


「雪の上にしっこしたみたいだ!」

「こっちは血尿なの!」

「もうちょっと考えてものを言っておくれ……」


 あんまりな評価であったが、子供はしっこネタが好きなので仕方なくもあった。

 とりあえず、二人は木匙を手にかき氷の上を掬い取って口に入れる。

 そして頬を抑えて、なんとも言えない表情をした。


「冷たい! 酸っぱくて……甘いの」

「美味しいタマ……今ぼく凄い贅沢してる!」


 しゃくしゃくと口に入れては体を揺すらんばかりに喜んでいる二人を見て、九郎と六科はほっこりとした感情になる。


「ちょっとタマ、そっちも頂戴」

「はいお房ちゃん、あーん」

「あら美味しい。色が違うと結構味も変わって感じるのね」

「応じた……だと……!?」


 甘みのためならデレをも厭わない姿勢にタマが若干驚きつつ、それぞれの杯の物を二人で味わっている。

 

「良い喰い付きだのう」

「うむ。俺にはこれで充分だが」


 ごりごりと余った氷を噛み砕いている六科である。そして彼は、


「呼──……」


 と、少し変わった呼吸を整える。そういえば、火の前にいつも居る割には汗をあまり掻かない男だと九郎が思って何気なく彼の腕に触れると、


「体温低っ? おい、どうなっておるのだお主の体は」

「冷えている血を循環させて体を冷やしている」

「それって意識的に出来るものなのか?」

「やってみたら出来た」

「……」


 謎の体質と言わざるを得なかったが、彼には避暑はあまり必要ないようである。

 やがて丼器に盛られたかき氷の半分も食べると子供二人の頭に強烈な痛みが襲ってきた。


「あいたたたた!?」

「将翁さん呼んでー!?」

「……十も数えれば治るから落ち着くが良い」


 まあ、予想はしていた。薩摩者どもも頭が冷える思いになるだろう。  

 涙目になって悶える二人は本当の兄妹のようである。

 九郎は小さく、おかしそうに笑った。


「──そう九郎君は笑顔が一番だよふふふ」

「……どこから登場しておるのだ石燕」


 二階に繋がる階段から見下ろしていた石燕を睨み上げる。

 彼女は無意味に胸を張り、


「なに、不思議なことではない。遊びに来たというのに私を除け者にして苺狩りに行ったというので不貞腐れて九郎君の布団で昼寝していたのだよ! よく寝た! 幸せな夢を見て終了だったね! 起きたら一人で泣いてたよ!」

「メンタル弱いなこの妖怪絵師……」


 降りてきながら堂々と情けない宣言をして彼女はかき氷の器を手にとってさくさくと食べ始めた。


「うむ美味」

「せ、先生気をつけるの。毒が入っているの」

「安心したまえ。私は二日酔いで元から頭痛気みゅああああ!」

「情けないのう……」


 即座にキンと来た彼女は額を抑えてのけぞる。

 

「ふ、ふふ……九郎君、叔父上殿に聞いたが物珍しい氷菓子を荒ぶる薩摩人に振る舞おうとしているらしいね」

「そうだな。暑っ苦しい連中だが少しは腹が冷えるだろうよ」

「しかしこのままではいけないと私は思うよ?」

「む?」


 九郎は二つの赤と黄色に染まった器を指さして云う。


「薩摩では穢れに関しての忌避感が強くてね。赤は血の色、黄は尿の色と云うのは確かに意識してしまえば気になるものなのだよ。木苺の色は温州みかんよりも濃いからね」

「あやつら罪人の生き肝を追いかけて奪い合う民族だったが。いやしかしそうケチをつけられたら己れも黒右衛門も困る……」


 と、少し思い悩む。

 食べ物に汚い表現をしたいわけではなかったが、当時の食卓の色合いは現代に比べても地味な色が多かった。瑞々しい赤色やくすんだ黄色を、ぱっと食物以外に思い浮かべてしまうこともあり得なくはない。

 それに氷にかけるシロップとしては、白砂糖で作ったそれは甘みよりも酸味が感じられ食べる者によっては酸っぱすぎる、ということもある。砂糖は充分に使ってあるのだが、氷の冷たさが味蕾を麻痺させる為に甘さを感じにくくなるのである。こと、かき氷のシロップに関しては天然の砂糖水よりも合成甘味料のほうが素直に甘さを出せる。

 

「大丈夫、私にいい考えがある」


 石燕はそう言って、にんまりと笑みを作った。




 *****




「もう来ないでって言ったのに……」

「いや、それは済まぬが……」


 恨めしげな声で料亭の主が九郎に云う。

 一人ひとりがゴッサムの精神病院で収監されているような状態にある、江戸に住まう薩摩藩士を宴会で集めた場所は両国にある[万八楼]という料亭であった。

 ここでは珍料理披露会や大食い大飲み大会、美食対決などが行われる江戸に於いての食のイベント会場のようなものである。

 以前に九郎が来た時に堂々と炎を巻き上げる炒飯を作ろうとして現行犯逮捕された為に、九郎は出入り禁止になったのであったが、この度は鹿屋と薩摩藩家老からの申し入れで呼ばれる事となった。 


「今度は火を使わんでくださいよ」

「わかっておる」

「あと珍しいものだったら記録に残しても?」

「己れの名を権兵衛とでもしておけば別に構わぬ」


 言い合って、九郎は盥に載せて薄紙を被せた氷を片手に、もう片方の手に真新しい大木槌を持って広間へ向かう。

 その後ろにシロップと器を運んでいるタマが助手としてついてきていた。

 見送りながら万八楼の従業員などは、


「まるで打ち壊し一揆だな……」


 と、物々しい雰囲気に、笑うことすら出来なかったようである。

 さて。

 広間では薩摩藩士の中で特にここのところ精神に異常を来たしている者と功労者合わせて十六名。そして目付け役に御手廻頭と御台所頭が全員、背筋を伸ばして岩石を削りだしたような顔で座っていた。

 黒右衛門が部屋の外で膝を床につけて頭を下げながら、


「準備が整ったようでございます」


 告げると、「うむッ!」と、御手廻頭から声が上がった。


「吾ら! こンびは黒右衛門がとこン二才が富士ィン氷とっくいちおのれらに食わすち云うちょる! ヌシらン二才とかぁらンわっか男がよっせやらんじ吾らに将軍よかよかもンをやっちが!」

「御手廻頭殿~! 徳川の将軍よかわっぜか喰いもンがでっと、己らでわくっちよかでございますか!?」

「よか! 吾ァがくっちいけんもなけりゃ、残しちおっもんでんなか!」

「冷ンか焼酎もわざいか準備しとります、飲んでくだァさい」

「きもねりんも連ィ来やよかったっちよ」


 と、偉い立場にある御手廻頭が居るにも関わらず、敢えて打ち解けた身分の差がないような雰囲気であった。

 仲間内なので砕けた薩摩弁で言い合い、意味もなく大笑いをする藩士達。

 なお、九郎が妖術で氷を作り出したのではなく、富士山までひとっ走りして取ってきたということになっている。実際に富士から氷を取ってくる場合は大八車を各町でリレーのように引き継いで大急ぎで運ぶので、これもまた得ることは非常に難しいものであるが現物を用意されている以上信じる他はないだろう。

 そして厨房から九郎とタマがやってくると、ぴたりと声が止まった。


「どうも。うむ? 今日は静かだな……」


 九郎が訝しむが、異郷に入ったようないつもの感覚は無く何故か皆澄ました顔をして動きを止めていた。

 

「ささ、兄さん氷が解けないうちに作りましょうよ」


 タマがまだ変声前の高い声で云うのを聞いて、薩摩藩士達は意味深に深く頷く。

 女を嫌う──正確に言えば、結婚前の若武者である[二才にせ]が極端に嫌う──気質があるので手伝いはタマを連れてきたのであるが。

 もちろんこの日も、タマは一目で男──まあ、可愛らしい顔をした少年とわかる服装をしているので女と間違われることはない。

 女は甘えと安らぎを与える。これは厳しく強くならねばいけない薩摩と反対の概念であるから嫌うのであるが……

 あくまで、現実では一説としてであるが──美少年はいいよねという風潮もあった。

 九郎が声を潜めて黒右衛門に聞く。


「おい、これはどうしたのだ?」

「多分タマ君をお姫様的存在と認識したのでしょう。薩摩人の貴重な状態ですよ」

「まじかよ……」


 九郎は呻く。彼ら薩摩藩士達は姫の前でやや緊張しているのであった。彼らは同族と敵に対しては野獣殲滅狂戦士であるが、それ以外の部分ではお固いのである。

  

「さて、それでは今から氷を割るので少し待っていてくれ」


 九郎はそういうと薄紙を剥がして、盥の中に入った氷山のような塊を見せると、薩摩藩士から「おお」と声が上がった。

 彼らは氷塊を見たことがない。鹿児島では、薄く霜が張り何寸かの霰雪が積もる程度しか降らぬし、江戸で大雪が降ったとて氷の形に固まったものは見ないだろう。

 いかにも重そうなそれを片手で軽々と己等よりも小さな九郎が持っているのも驚きであった。

 彼はそれを広間の外──中庭の地面に置いて、餅つきのように木槌で殴り砕いた。

 岩を叩くのと等しい音と共に、尖った氷塊の先端から砕け散り周囲に氷の粒子が舞い散る。それだけで少しは涼しくなるようだった。

 唖然と見守る薩摩藩士の前で剛力に物を言わせて何度も叩き付けて細かな粒へと砕いていく。離れた場所から見ている万八楼の主や女中達が、


「ああ、勿体無い」


 と、飛び散って地面にも落ちる氷を見ながら云う。

 そして九郎は、


「とりあえずこの程度で。タマや、盛ってやれ」

「はい」


 そう指示して氷の粒を器で掬いあげてタマが用意する。

 人数分氷を切っていたら大変であるし途中で溶けるということで一気に砕き用意することにしたのである。

 タマは器に盛った氷に白雪色のシロップを手早くかけまわして準備をした。

 これは石燕から貰った[白牛酪]という牛乳から作られた滋養強壮の薬に糖蜜を混ぜて伸ばしたものだ。

 ひんやりとした器をタマから渡された藩士達は物珍しげにそれを見ながら、またそれでいて嬉しそうであった。

 全員に行き渡ったのを見て、御手廻頭が見回し、


「いただき申す!」


 怒鳴り声の如く云うと周りの者も喉が張り裂けんばかりに唱和した。

 そして匙で恐る恐るかき氷を救って口に入れ──


「んんんんんんん……甘かァァ……!」

「おいは初めてこげんもんを食いもうしたァ~!」

「唐芋ン飾りを着せられた時は腹ば掻っ捌こうかち思っちょったが、ありがたかァ~!」


 中には、芋以外で甘い物を食ったのが久しぶりなのか初めてなのか、泣き出す者まで居た。

 荒く細かいが噛みごたえのある氷の粒に、ぬめりとした甘い乳のタレが冷やされ撹拌され、さながらアイスクリームとシャーベットを合わせたような味になっているのである。

 氷菓として初めて味わうそれは、いかな武骨者の薩摩人にとっても甘露と言える旨いものであった。

 そこに更に、


「ささ、旦那さぁ方、氷を浮かべた焼酎も用意しています」

「よかなァ!」


 そう言って欠片の大きい氷で割った焼酎を黒右衛門が用意して次々に回す。

 初夏の暑さなど吹き飛ぶようなひんやりとした酒に薩摩人は大喜びである。顔額に茶碗をくっつけて冷やしたり、少しずつ啜って有難がるなど非常に喜んでいる。夏場にこれは大名でも味わえない妙であろう。

 ぐい、と冷えた焼酎を最初に飲み干した男に、


「良い飲みっぷりでござんす~」

 

 と、慣れた様子でにこにことタマが酒を更に注ぐ。酌の手は得意なものである。

 そしてタマから微笑まれ密着されるような距離で酌を受けたからいもんの中の人は、がくがくと破局噴火で鳴動した桜島の如く震えて「かたじけない!」と、声を発してまた酒を飲む。

 見ていた他の薩摩人も次の瞬間一気に酒を飲み干して、ちらりとタマへ視線を送るが彼はやはり一人ひとり褒めながら丁寧に酒を入れて回る。

 若干冷静にアイスシャーベットを食べている御手廻頭と御台所頭以外で謎の対抗意識が勃発した。 

 飲む。酌を受ける。飲む。酌を受ける。酒の味と冷えて飲み口の良いこともあり、タマは大人気にあちこちをちょこまかと動きまわる。

 薩摩人は酒を、水か飯のように飲む。だがそれでも限界量には個人差があるのだろう。

 最初に、


「う゛~む」

 

 と、言って酔いで目を回して倒れこむ。

 狙いすましたように近くに居たタマの膝に頭を乗せて。

 

「おやや、ちょっと急に飲み過ぎですよーう。冷やした手ぬぐいでも……」


 膝枕をしながらでも優しげに笑っているタマを見つつ、左右の薩摩人ががばっと勢い良く立ち上がった。


「よか」

「この気違いは少しばかり疲れた様子じゃ。奥で寝かしてくっ」


 そう言って両側から男の腕を掴んで奥の部屋に連れ込み、襖を閉ざすと、


「きええええぇぇー!!」


 猿の雄叫びが薩摩めいたような強烈な叫びが聞こえてきて、どがっと物音がしたかと思ったら男二人は戻ってきた。


「起こさんでやっといてくぃ。死ンほど疲れちょる」

「はぁい」


 何が起こったかは気にしないでおこう。

 薩摩人は美少年を愛でるが紳士協定が破られた場合には制裁が行われるのである。

 ともあれ、御台所頭が氷菓子を食いながら、


「そげんいわば、こん菓子の名前はなんち言っとか?」


 九郎の方を向いて尋ねて来る。

 む、と顎に手を当てて考えるが、木槌で砕いているのでかき氷とは微妙に違うものであり、特に名前のあるものではなかった。かち割り氷にしても細かくて味付けも異なる。


「ここで出すのが初めてでなあ。良い名前は無いものか」

「そいなら……白くて……砂糖といえば奄美じゃが、あっこは大隅国じゃから……うむっ[白隈しろくま]でどうじゃろうか!」

「良か名じゃ!」


 御台所頭の、甘い練乳のようなものを混ぜたかき氷風のものに名づけたそれを九郎は何やら過去──或いはこの国の未来を思い出しながら、


「なんか名称を先取りしてしまったかもしれぬのう」


 そうそうこれから作られるわけではなかろうが、薄ぼんやりとした記憶にそんな名前の氷菓が合った気がして、呟いた。

 御手廻頭は黒右衛門を見遣り、


「白隈に合った着ぐるみも作らんにゃのう!」

「は、はい」

  

 そう言うので、ひとまず彼は文箱を取り出して筆と手紙にさらさらと絵を書く。文字だけではなく図を描いて説明することもある彼のような様々に手がける商人は、意匠もある程度出来る。

 そしてデフォルメされた太ってとぼけた顔をした白い熊に頬を朱で塗った絵を描いて見せた。


「これでどげんでしょう! 名づけて[しろくまもん]!」

「関係ない別のところにまで後への影響を出しかねんのう……」


 しみじみと、九郎はそういうのであった。 

 




 *****




 薩摩人達との酒宴も終えて、九郎とタマは帰路へついた。

 それなりに皆、特別な氷が食えるという事実に満足を覚えて溜飲を下げる結果となり、成功を収めたと言えるだろう。

 何故薩摩人のメンタルを自分が世話してやらねばならんのか若干疑問に思えたが深く考えたら悲しくなるので、そのあたりは黒右衛門への請求で吊り合いを取ることにする。

 二人は途中の茶屋に何気なく立ち寄った。

 前掛けをかけたそこの娘に九郎が茶を頼みつつ、


「そういえばまだ己れは食っておらぬな……雪餅はあるかえ?」

「はい、まだありますよー」

「ではそれを二人分」

 

 注文すると茶と雪餅が運ばれてきた。

 冬の寒い時期に餅を外に出して中身の水分を抜き乾燥させたもので、水につけるだけで簡単に半ば解けたような餅に戻る。

 これに黒蜜と黄な粉が乗っていて、薄く切られた餅は小さいが結構旨い。

 

「手伝いご苦労であったのう、タマや」

「いいってことです!」


 ぺろりと雪餅を舐めるように食べきって茶を半分ほど飲み、盆に置いた。

 

「しかし兄さんの不思議な術は便利ですねー」

「うむ、これか」


 九郎は術符フォルダから氷結符をひょいと取り出して軽くタマの湯のみに触れると中の茶を冷やす。

 術符の効果を大して発揮は出来ない九郎だったが、この氷結の術だけはそれなりに使いこなせるようである。この辺りは本人の気質や感覚に依るものなのであるが。

 冷たくなった茶で嬉しそうに口を潤すタマに、九郎は言う。


「己れの術というわけでもないのだがな……これをくれた奴がおってなあ」

「どうな人だったのです?」

「そうだのう、孫のような、娘のような、妹のような奴だった。己れより先に死んでしまったがなあ……」

「……」

「一度助けられた子供は、次は大人になっているものだからもう守らなくても良いと……率先して死にに行ってしまった」


 魔王城で一戦終えて、事象の収束が起こりかけて何もかも終わりそうになっている合間に──。

 最後の時、彼女は九郎の体力を奪い取り、一方的に別れだけ告げてイモータルと共に戦場へ出て行ったのだ。一番弱い九郎が出張るなと、故郷に魔法で帰す昔した約束を果たすからと言って。

 

『いつかどこかでも、風邪などひかずにお元気で──爺ちゃん』


 そう彼女が告げた時の顔を九郎は覚えていない。体が動かずに見れなかったのである。

 ため息をつく九郎を心配そうにタマは見る。


「それで其奴がどこぞで生まれ変わってでも居ないかと思って探していたのだが……そうそう見つかるわけもないのう」

「候補が禿げたやくざだったタマ?」

「うむ」

「あんまりすぎる……妹さんはそんな容姿だったのです?」

「いや、まあ石燕を若々しくして可愛くしたような美人だったが」

「それ聞かせたら石燕さん泣くから言わないであげて」

「性格がやたら行動的な阿呆だったからのう。生きてたらお主あたりを紹介していたのだが。いけに……いや、丁度破れ鍋に綴じ蓋で」

「嫌な予感しかしないタマ」


 などと言い合う。

 魔女と付き合うのに一番重要なのはリアクション芸である。その点で言えばタマはいい感じに巻き込まれてくれそうではあった。

 

「そういえばどうやって生まれ変わりかどうか探そうと?」

「ああ、それはこうやって頭を当てるとなんかわかるらしくてな、魂の共鳴といったか」


 そう言ってタマの額に軽く頭突きをするように当てた。

 瞬間、互いに船酔いに似た感覚が訪れ──

 




 *****






「あーやばっ複垢バレた……警告来てるわ……どーしよ」


 魔王の固有次元、書庫にある机でノートパソコンを弄っているヨグである。

 最初はノーパソを作ろうとしたら何故かノーパンになる呪い付きのものが出来上がってしまったのだが、ようやく改良して作り上げた。ネットワーク接続は魔法スマフォから取っている。

 どんどん豊かになる引き篭もり生活を送る彼女であったが、神も悪魔も承認なしでは入れぬその固有次元の上の方から脱力した九郎が降ってきて彼女の机に落ちた。


「ぎゃー! くーちゃんどこから出てきてるの!?」

「だるい」


 深海から釣り上げられて気圧の差で死にかけた鯛のようにぐったりと机に横たわる九郎である。

 ぎりぎりでパソコンを避難させたヨグがペンタブで九郎を突っつくが動かない。


「もーどうしたんだよくーちゃん。飢饉でも起こった? コレラでも流行った?」

「そういうわけではないが……おいヨグよ、イリシアの転生見つけたのに何も起きないのだが……記憶も無いしどうしろと」

「あ、見っけたんだ」


 九郎は云う。

 非常に近しい存在で、いつ頭が触れてもおかしくはなかったのであるが──タマ、玉菊という少年にイリシアの魂が入っていたのだ。

 性格も性別も違うのでまったく候補からは外れていたのだが、確かに何処か似た因果の繋がりがある相手ではあった。玉菊を楼主から土壇場で救ったように、あの時も九郎はイリシアを処刑から助けて──


(助けて……あれ、己れその時に死ななかったか……?)


 魂の共鳴により記憶の一部が鮮明になって覚えた妙な違和感を覚えたが、思い出せそうな欠損している妙な気分で、ひとまずは置いた。

 その後に家族のようになったのも似ていたけれども、タマとは考えても居なかったのである。

 そして彼であるとわかっても、タマは本人もよくわからない涙を少し流しただけで、性格が変わる訳でも無く意識は彼のままである。そこは少し、九郎も安心した。 

 ともあれヨグは九郎の報告を聞いて首を傾げた。


「あれ? おっかしいな。人間化したいーちゃんの魂と共鳴させれば感化されて戻るはずなんだけど……」


 ぶつぶつと俯きながら呟く。


「まさか我との魂の繋がりが干渉を……? だとすると召喚可能になってるんだけど……試しては無いな……いや、ともかくちょっと調べさせて」


 そう断って、未だに痩せたセイウチのように横たわる九郎の体に触れるヨグ。

 魔力の流れと魂のイデアを確認しているのである。単に彼に自覚が無いだけで不老の魔法が解けている可能性もある。

 

「んーこの微妙な感じは……」

「もうなんか怠いわ己れ。この勢いで事件に巻き込まれ続けてたら不老でもそのうち死ぬだろ多分」

「それはそれでこっちとしても困るんだけど……ははぁん、わかった」


 そういうとヨグは笑いながら肩を竦めた。


「くーちゃんの世界にいーちゃんの魂を飛ばすときにさ、何らかの影響で魂が二つに分かれたんだねこれは」

「……と、いうと?」

「そのタマって子ともう一人、半分ずつの魂が誰かにあるんだ。いーちゃんは二人に転生して──というか一人辺り半分しか元の魂がないから、その体に居るはずだった魂と共存してるんだよ。前世の記憶だってこれじゃ戻らないさ」


 そう魔王は九郎の魂に残存するイリシアの影響を診て判断する。

 魂は器にあれば一つだが、それ自体になった時には存在があやふやになり分化や融合も可能になる。

 イリシアの魂は二つになったが故に、九郎と共鳴して彼の魔法を解くには一人では足りなかったのである。


「つまり、もう一人いーちゃんの転生者を探せば大丈夫だよ、くーちゃん」

「一人見つけるのにこうも大変だったのだがのう……」

「なに、前も言ったけど我らの因果は繋がってるからそのうち出会い──君が望めばその通りに、望まなければ誰かの最善通りに進むのさ」


 ヨグのその言葉に、九郎はしんどそうに、ため息を吐いた。





 *****





 緑のむじな亭には時々薩摩人が訪れるようになった。

 とはいえ、タマが接客をしているここでは大人しいので常連が増えたというだけだが。

 全体的に顔が南方系に濃くていかめしい薩摩人の見分けが付かずに密かに甲乙丙で数えている九郎とお房であった。

 

 江戸ではよく事件が起こり、九郎がそれに巻き込まれ解決することもある。この時代では世界的に治安がいいとはいえ、故に盗賊は出るし火事は起こる。

 それでもこの店は平和に今日も営業をして、タマも忙しくも楽しそうに日常を過ごしていた。

 もしかしたら──。

 イリシアとも、そうやって平和に過ごせる未来があったのかもしれないと思うと、九郎は少し物憂げな気分になる。

 自分とイリシアと、……もう一人、誰かも居た気がする感覚が、近頃頭をよぎる。皆で平和に……


「はい、兄さん。新茶淹れたよー」


 はっとして九郎は前に出された湯のみを受け取り、ほろ苦い笑みを浮かべる。

 何故かその顔が泣きそうに見えてタマは不思議そうにした。


「おう、ありがとうな……」


 九郎はタマの頭をくしゃくしゃと撫でてやると、弟のような少年は嬉しそうにする。

 

(……まあ、よいか)


 刻まれた因果により平穏に生きられなかったイリシアが、生まれ変わってここで楽しく毎日を過ごしているというだけで、救われた気がして──九郎は老人のように、顔に皺を作った。

 こうして、九郎の魂を縛る枷が片方だけとれた──それだけの、いつもの日常であった。


 







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