外伝『IF/江戸から異世界1:再開編』
※分岐したパラレル世界なので今後の本編に影響する話ではありません
自分の為。己の齎す何かの為。
或いは知る全ての為に自分の魂を悪魔に売り渡し、未来を手に入れる切っ掛けを作った人間が居た。
馬鹿な奴だと九郎は思う。破滅など知っていたのに、自分の責任でも無いというのに僅かな可能性にかけて死後の全てを捨てる覚悟をした。
結果、其奴のお陰で誰も彼もが救われたが、それを知るものは居ない。其奴は歴史にも名を残さぬ、ただ死んだ人間である。
「まったく、若いのから死ににいくものではない」
孫のように年の離れた奴から、借りっぱなしで生きていくには余生はあまりに長い。
だが、死んでしまった者には冥福を祈るしかやれることなど──普通は無い。
問題はその者が契約していた悪魔だ。
契約によるとその魂は転生や解脱すら許されずに、死後九十九年間の使い魔となり地獄へ落ちるとなると──知っている九郎の目覚めが悪すぎる。
幸いにも魂はひょんな繋がりから魔王の固有次元に入り込んだために、すぐには悪魔のものにならない。しかしそれも、魂自身の引力により丁度五年で元の世界に強制帰還して悪魔に奪われる。
固有次元での魂保存に関しては魔王としても別に排除はしないようだが、悪魔の契約に関しては、
「なーんで我がそんな、他人の尻拭いをしなけりゃならないわけ?」
と、言うのでこちらで何とかしなくてはならない。この台詞は、自分の面倒に対する拒否と合わせて九郎にも投げかけたものだったが。
ヨグ──いや、召喚士族全体に言えることだが、彼らは気まぐれで手助けはするものの面倒くさい、やりたくないと本心から思うことに関しては誰の頼みも受けない。それが国家や神であっても、決して。
それでも悪魔との契約を破却する方法は教えてくれた。
[シャロームの指輪]
遥か昔に存在した、歴代の召喚士一族の中でも最厄な能力を持つと言われる、悪魔召喚士シャロームが身につけていた指輪である。
それには彼の魔力術式が込められていて、妖魔から魔王まで悪魔との契約を無視して一方的に使役し、かつ危害を与えられることはないという悪魔にとっては泣きたくなる効果があるという。
あらゆる悪魔から祈りに似た封印処理が施されているために異界物召喚士のヨグでも複製は出来なかったが、実物は魔王城の地下宝物庫に保管されていた。
「つまり、くーちゃんはそれを五年以内に取ってこなくちゃ行けないってわけだ。君をペナルカンドに送って、指輪を手に入れた後でまたこっちに喚び戻すぐらいはしてあげるよ。帰るために時間アンカーを付けておくから向こうにいても浦島太郎にはならないさ。滞在時間分は江戸も年が経つけどね」
「助かる」
「それぐらいは親愛のサービス──ところでくーちゃん。くーちゃんはあの魂をなんで救おうとしているんだい? 義理? 人情?」
意地悪い表情で魔王が問う。所詮、その魂が悪魔と契約し能力を使ったのは自分の為なのだ。九郎が居ようが居なかろうがそれは変わらず、魂を救わなかったところで九郎に現世で何の影響もあるわけではない。死後の魂の行方など気にしても無意味なことだというのに。
彼は気負った様子も無く、いつも通りに当然のごとく告げる。
「いや──単に己れの気分が悪いだけだ。自分の為だのう」
「……くふふ。君が誰かの為にというのは面白く無いけど、君が自分の為にやるというのだから精々面白可笑しく見届けてあげよう──これを持っていくといい」
そう言って、魔王は必要以上に機械の外見をした義手を掲げると、空間が歪みその手に漆黒の刀身を持つ、バスタードソードほどの大きさの剣が握られていた。
見覚えがあるものだ。
魔女が最後に使っていた、[狂世界の魔剣]という固形化大質量魔力ブラックホールを刀身にした剣だ。
「これは宝物庫の鍵にもなっているし、地下は異次元迷路になっていて自動生成される魔物がいるからね。それに特攻のチート武器だよ。使い終わったら宝物庫の中に捨てといていいから」
穢らわしそうに義手に持った剣を九郎に渡した。彼女も、特殊な加工を施してある義手以外で持とうとすると瞬間に魔力を奪われて昏倒するのだという。
中性子星隕石の直撃に耐える魔王特製防壁さえも溶けたバターのように切れる抜身の剣である。九郎は慎重に受け取って軽く振って見た。使い勝手に問題は無さそうだが、それで片手を失っているヨグがマジビビリして離れる。
制作に手がけたのも魔王なのだが、魔剣に「あの魔王をも傷つけた」という箔をつける馬鹿な理由で自分を傷つけようとしたらざっくり手首を切り落としてしまった上に、召喚能力がガタ落ちしたという間抜けな過去がある。
「すまぬな。愛用の刀を失くしたばかりでな」
「愛用と言えばその着流しは[疫病風装]に見えるけど[ブラスレイターゼンゼ]は……」
「知らん。そんなもの知らーん。これはお八に渡した布切れで作ってもらったあの娘のオリジナル衣装だから関係無いのーう」
ヨグが九郎の着ている青白い和服を見て指摘するが、彼はそっと目を閉じて顔を背けた。
ともあれ少し前の事件でアカシック村雨キャリバーンⅢは込められた魔力の凌駕発動により消滅してしまったので、武器は有りがたかった。蒼白の着物もお八により自動発動だった魔力のオンオフを切り替えられるようになりより便利になったのだが。
にやにやとした厭らしい笑みを浮かべて鼻を鳴らすヨグであった。
「ま、いいっさ。とりあえず我から支援できるのはそれぐらいかな。もしかしたらIM-666が修復して戻ってくるかもしれないからその時は手伝いに行かしてあげるよ。貸し一つ!」
「魔王城で酔っ払って己れの背中にゲロした借りから支払っておく」
「わあい黒歴史が一個消えたぞ! ちくしょー」
言いながら彼女が手を翳すと九郎の足元に召喚陣が出現した。
異界同士を繋げて九郎を飛ばす為に作り上げた術式──[新世界の門]である。九郎が地球とペナルカンドの行き来を可能にするが、座標は誰かを基準にしなければランダムで飛ばされる。
蒼白い着流しに漆黒の剣を持った九郎は門に立ち、緊張したでも使命感に燃えているわけでもなく、いつも通りの眠そうな半眼で転移を待った。
最後の別れではないが、江戸の皆に少し出かけてくるとは告げた。過ごした時間はこれまでの人生でも短い場所だが、なんとなくあの場所で骨を埋めるのだと九郎は思っている。故郷には帰れなかったが、場所は似たようなものだ。
しばしの別れとなるが、行かねばならない。
「地下の入り方なんかはペナルカンドに行った時に自分で探してね。こっちとは時間の進みが違うから、結構向こうは変わってるはず。とりあえず、困らないようにくーちゃんと縁が深いところに転移するよう設定したから」
「ああ。なんとかしてくる」
九郎の言葉に、彼女は複雑な笑みを浮かべた。
「──君がそういうのなら、きっとなんとかしてしまうんだろうねえ。ああ、クソ、羨ましいやらずるいやら……道具より魔法よりチートだよ、まったく。さあ開け廻れ世界の歯車、時間の油、運命の火種──ようこそ、新たな冒険の日々へ!」
陣から溢れた発狂した玉蟲が飛び廻るような虹光の乱反射が九郎の体を包む──。
*****
ペナルカンドと呼ばれる異世界、大陸の東海岸に位置していた魔王城の跡地には現在では巨大な都市が出来上がっていた。
時空間汚染されていた砂漠を勇者が神から与えられた超栄光特典で豊かな大地に替え、また大陸中から国づくりの人員を呼び寄せて周囲の小さな国も合併させて一気に版図を広げて帝国を作ったのである。
魔王城跡地には、その首都である[帝都]があり大勢の移民で人種のるつぼになっていた。
帝都の一角、小さな教会と花畑のある場所にスフィと云うエルフの司祭は静かに暮らしていた。
布教も演奏会もあまり開かないが、週に一度子供達に物語を歌い聞かせる事を続けている。また、世界でも有名な絵本[悪戯魔女と苦労の騎士]の作者である事はあまり知られていない。
花畑にある骸の埋まってない墓の前で歌う事は彼女の日課であった。
ここに来て何年経っただろうか。日課を続けながらもそう思うのは、この日は彼女の誕生日だったからだ。
多少成長は見られるもののまだまだ少女としか言いようのない容姿を保っているが、スフィは今年で150歳になる。
最後に墓の主とあったのは、もう50年も前になる。100歳の誕生日の時に、全国で指名手配されていた彼はふらりといつもつるんでいる魔女を伴わずに現れて、スフィの家でごろごろしたり料理を作ったりして祝うというよりもただ怠けに来たような態度で過ごして帰っていった。
暫くして魔王城は壊滅したというニュースが大陸中に流れ、それっきり彼の姿は消えてしまったのである。
伝神に連絡を頼んでも宛名の存在しない人物には届かないと手紙を突き返された。
それから彼女は一人、彼が死んだ帝都で墓守をしているのであった。
死体の埋まっていない墓で歌う。
時折とても虚しくなるが、続けてしまっている。
もし。
もしクロウが生きていて帰ってきたら、自分の墓を見て驚いたり、それの供養をしてる自分にツッコミをいれてくれるだろうと思って。
その時はまた一緒に笑えると思っていた……。
歌が終わり、彼女は踵を返して歩き出した。
数歩、歩いた所で背後から声が聞こえた。誰も居なかったはずの、クロウの墓から土が盛り上がる音と共に。
それはほぼ非難のような苛立った声である。
「ぬう……! 土の中に転移とか舐めてんのかあの魔王め……!」
スフィは足を止め。
「おまけにレクイエムっぽいのまで聞こえてそのまま死ぬかと思ったぞ」
息を飲んだ。
覚えている声だった。
土を起こす音、服をはたく音。
そして、こちらに近づく足音がして、彼女は意志を決め振り向こうとした。
声がかけられる。
「──おう、スフィか。なんだ、お主……大きくなったなあ」
きっと──。
クロウと再び会ったらそれは劇的なものではなく、彼は普段通りにのんびりした様子で話しかけてくると確信していて、それは的中した。
だから返す言葉も決まっていた。いつも通り、笑って、軽口を──
「……ク、ロ──」
これまでに無く下手くそに笑いながら振り向いて、目線の近くなった彼の顔を見た瞬間、スフィは耐えられなく為り涙を流した。
50年前に会った時と変わらぬクロウの姿がそこに居る。声を出して、土の匂いをさせて、懐かしそうにスフィを見ている。
(ああ、かみさま……)
足から力が抜けて、倒れこむように抱きついた。
クロウは慌てて、持っていた抜身の剣を放り捨てて受け止める。剣は刀身を音もなく地面に突き通し、豆腐の上に置いたように鍔元まで刺さった。
スフィが小さな手を彼の背中に回して顔を胸に押し付ける。
「会いたかった──会いたかったぁ……うあ、ああああ……」
ぼろぼろと泪がこぼれ、舌は痺れたように動かず、嗚咽を垂れ流してスフィはクロウに抱きついて泣き叫んだ。
「うぁぁああ……寂しかっ、死んだって、ずっと、ずっと、あああああ……」
「……すまんかったなあ、スフィ。己れも会えて嬉しい……」
「わ、わ、私、ひぐっ、くろ、うあああ……」
クロウは彼女を抱き返しながら、自分も目に熱いものもがこみ上げて、堪えられなかった。
これまでの人生で一番長い付き合いの親友なのだ。
居なくなってもずっと自分を悼んでくれていたスフィには、有り難さと申し訳無さと情を感じ、嬉しくて只管頬を伝うものを感じた。
(古い友人ほど、居なくなった時は寂しいと知っていたのに……)
かつての傭兵仲間が鬼籍に入る度に居場所を失っていくような悲しさを味わっていた事をクロウは忘れていた。
きっとスフィも同じ思いだっただろうに……と、胸が締め付けられる気分である。
……年を取ったら取ったでやはりスフィと気持ちが擦れ違いまくっているクロウであった。
*****
スフィの情緒が安定したのは次の日であった。
再会したその日はとりあえず何をするにもクロウから離れず、クロウが作った食事を口にいれては泣きだし、茶を飲んでは泣きだし、「歳のせいで厠が近いから」という理由で布団を別にするクロウに泣きついた。
朝起きた時にまた泣きながら布団に潜り込んでくっついていたのでクロウは仕方なく、懐に入れていた一文銭に紐を通して、半分寝ぼけているスフィの目の前で揺らし催眠療法を見様見真似で行うことにした。雨次と共に錯乱した者を正常に戻す術として開発したものである。これでお遊の包丁を取り上げることに成功した実績がある。
精神が弱っていたのとクロウが来て安心していたのと寝起きの惚けが重なったことが原因で催眠術にドハマりして、見事に彼女は普段の調子を取り戻した。
「と、年をとると涙もろくなるだけじゃからな!」
などと顔を赤くして言い訳し始めたので、クロウも一安心である。素直に甘えておけば良かったものを。いつも肝心な時にヘタれるスフィも問題だが催眠術で強引に話を進めるクロウも大事な友人への扱いが雑だ。
とりあえず、クロウと彼女はテーブルに向かい合って座り、緑茶を飲みながら話し合うことにした。
「とにかく、お帰り。クロー」
「ああ、ただいまって云うのもちょっと変だが」
「え?」
首を捻って若干口篭るクロウにスフィは問い返す。
「ううむ、後回しにすると余計寂しくなるから最初に言っておくが、己れはちょっと探しものに来たからまた5年後には戻らなきゃならんのだ」
「クローの足を切り落としておけば帰らせんで済むかのう……」
「待て。落ち着けスフィ。その包丁は置け。ほうらこの振り子を見よ……」
瞳に暗い色を灯して刃物を取り出すスフィに慌ててマインドコントロール装置を突き出すが、彼女は大袈裟に肩を竦めて包丁を投げ捨てた。
割りと勢いがついて壁に突き立ってビンと刃が揺れる音が鳴る。
「にょほほー冗談じゃよ。ところでクロー、それはいつぞや言っていた、いつか帰りたかったお主の故郷かえ?」
「うむ。少しずれていたが、己れの故郷には違いないな」
年代についてはもはや諦めた。そもそも自分が帰るに正しい年代など存在しないのかもしれないし、自分があの時代に辿り着いた意味もあったはずだ。
スフィは儚げな笑みを作ってクロウに云う。
「……そこでの話を聞かせてくれんか?」
「そうだな。ま、と言っても己れの体感時間だと一年と少しぐらいだが……」
彼は語りだした。
故郷に戻ったものの知り合いは誰も居なかったので、偶然行き会った蕎麦屋で居候をしていたこと。
手伝いをしながら日々遊び暮らしていたこと。
友人が沢山できたこと。
平和ではなく、物騒な面もあるが騒がしくも落ち着く不思議な土地だったこと。
海に行ったこと。
紅葉見物に山へ登ったこと。
雪が降り熱燗が旨かったこと。
……そして大事な友人が死んだことを苦々しく話した。
「──というわけでな、悪魔に仮契約引き伸ばし中な友人の魂をサクッと開放してやる為の道具を取りに来たのだ」
「お主、どこでも騒がしく生きておるのう」
「己れとしては隠居気分なんだが周りがなあ」
語ってみると一年少しで押し込み強盗や辻斬は連発して襲い掛かってくるわ異様な個性の知り合いができまくるわで濃密だった気もした。
バツが悪い気がしてクロウは逆に問い返す。
「スフィの方は何をしてたんだ」
「お主が居なくなって50年何もせずに、死んでもおらぬ誰かの墓守だけをしていた」
「……」
「……」
「いや、すまん」
「謝るでないわ言ってみてこっちも虚しくなるわい」
「そうか……スフィの姿じゃ老人ホームにも入れな──いや待て振動爆砕スピーカーを取り出すな冗談だ悪かっ」
──その日、帝都の一角にある教会で爆発が発生して近くの通りを歩いているものは驚き振り向いたが、
「なんだ爆発か」
と、すぐに落ち着いてスルーした。
帝都では毎日何処かで爆発が起こる。それも一度や二度ではない。そしてその爆発で怪我人は出るものの死人が出たことがないという都市伝説がある程に、日常的で危険でないものと認識されているのであった。過激派が議事堂を完全爆破したのに何故か誰も死ななかったレベルである。
ともあれ、重ためな想いにも一切気づくことのない上に思考が完全に「ああこの子独居老人なんだな」という風な発言をしたクロウは増幅された音衝撃波でぶっ飛ばされた。
ここまでまったく恋愛的不能なのは、類まれなる才能と云えよう。
スフィが五十年ぶりに感動の再会をしたというのにほんの少しマジギレするのも仕方ない。
半ば瓦礫になった壁の残骸からクロウが起き上がる。
彼の着ている[疫病風装]が元来のものであれば空気の振動を感知して自動で受け流すのだったが、仕立て上手なお八によって改造着流しに拵え直されたそれは意識して自動回避機能を解除できるようになったのであっさりブチかまされたのである。
一見、不便になったように思えるが常に自動回避が発動していれば人混みの多い町などは歩けない為に着るには必要な処置だ。
体の埃を払いながらクロウは、
「あー……なんか久しぶりだなこれ。最後に食らったのいつだっけ? 傭兵の頃飲み会で団長達と比べ息子してたらスフィが通りかかって……」
「思い出させるでない。まあ、ちょっとその時の衝撃で団長のゴールデンボールが片方さよならしたのは悪かったがのう」
「懐かしいな」
「うん」
「……もう二人になってしまったのだなあ」
「ぐすん……あ、でも、オーク神父はまだ生きてあちこち旅をしておるぞ、二十年ぐらい前に墓参りに来た。イートゥエは鎧の呪いは解けたかのう……長いこと見とらんが」
「そうか」
「お、お主は一年、ちょっと離れてたつもりだけど、私はずっと一人だったのじゃよ……」
また泣きだしたスフィにクロウは柔らかな声で云う。
「──なあ、スフィ。己れは目的を果たしたらまた帰らなくちゃならん」
「わかっておる! わかって……」
「向こうはこっちと違ってな、エルフみたいな不老長寿は奇異の目で見られるし歌の神もおらぬ。多分。こっちと自由に行き来できるのは魔王ぐらいで気分屋のあやつでは説得しても行ったり帰ったりは難しいのだ」
「……うん」
寂しさに我儘を言っている己を諭す声音に、スフィも頷く。
彼の人生で、彼の故郷を大事に思うのは当たり前なのだ。束縛する権利は無い。また会えただけでも儲け物なのだから。
クロウはスフィの肩を叩いて、微笑みながら告げた。
「──それで、いろいろ不自由になるだろうし魔王が拒否するかもしれんが……己れがそのへんは出来るだけなんとかしてやるから、スフィも来るか?」
「……え?」
「目立つ姿は隠形符でも巧いこと使えばよかろう。まぁた、お主が己れの架空の墓守を何十年も続けられたらそれこそこっちの気が悪い。老々介護ってのはちょいと絶望的だが少なくとも己れが生きてる間ぐらいは茶飲み相手には──」
喋っている最中で、クロウは彼女の気配が変わった事に気づいて、話を止めた。
「うん……! もうひとりはいやじゃ……くろうがいないと、いやだ……」
……大泣きしたスフィを落ち着けるには、やはり振り子式マインドコントロール装置が用いられた。凄い効果だ。やったぞ雨次お前も困ったら使えと次元の彼方に居る女性関係に悩む子にエールを送るクロウであった。
死ぬほど気分屋で、その気分的に気に入ったのか気に入らないのか微妙な関係のクロウ以外に関する頼み事など聞きそうに無い魔王である。エルフ一人転移させてくれと頼んでも「なんで?」と断るだろう。
しかし説得というか、対価として彼女に言う事を聞かせる手段がクロウは一つ知っていた。
(死後に魂の所在をヨグの側に……ま、死んだ後のことだしのう)
イモータルやヨグに勧誘されたことであった。痛くしないとか三食昼寝付きとか有給もあるとか、様々な条件があるらしいが要するに死んだ後幽霊状態でヨグの世話をする仕事に就かされるらしい。
契約すれば好きな願いを叶えてくれるという胡散臭いことこの上無かったが、いざというときはそれでスフィの分の通行料にすれば良いと考えたのである。
大体彼女の側と言っても漫画読むかゲームの相手かぐらいしかやることは無いのだから。
それはともあれ──
「ところでスフィ。己れは魔王城の地下に物探しに行かねばならんのだが……ここはどこだ? クリアエか?」
「ん? ああ、そういえばクローは50年ぶりじゃったのう。ここは[帝都]と言ってな、魔王城があった地に作られた町じゃよ」
「ええええ……ちらっと教会の外を見たぐらいだが、やたら発展した街に見えたが……ここが魔王城? あそこって地雷埋めまくった砂漠じゃなかったか?」
花畑のある教会の近くは滑らかな石畳の道や数階建ての建物、行き交う馬車に騒がしい商店そして人の群れが見えた。
人口三人な上に張り巡らされた空間歪曲重力障壁で日光も遮られていた魔王城からは想像も付かない、活気のある街である。
「魔王死んでやったー祭りでそこらの神が祝福しまくってのう……移民建国ラッシュで朝と夕方で街の形変わってるんじゃないかって私は住んでて思うたほどじゃ」
「そういえば魔王の奴も街が出来たとか言っておったな……」
「……ところでクロー? 魔王ヨグって……生きてるの?」
「うむ、死んだフリをして元気に別次元に引き篭もっておるぞ──ああ嫌そうな顔するな。一応あまり他所にちょっかいは出さぬらしいからな」
超災害存在の生存に顔を曇らせるスフィに乾いた笑いで返すクロウ。
この世界に於いては便所に吐き捨てられたタンカス以下の忌まわしい存在とされている魔王だが、彼の場合は結構身近に暮らしていたために感覚が鈍っているのだ。
スフィはとりあえず魔王のことは置いておき、クロウの探し物について考えを述べる。
「魔王城の地下か……うむ、入り口に心当たりがあるぞ。[ダンジョン開拓公社]という半国営企業が帝都にはある」
「ダンジョン……開拓?」
「そうじゃな、クロー。買い物にでも行きながら話すのじゃ。ご飯の材料も無いし、元の世界に帰るまでクローが住むための道具も必要じゃろうて」
ここに住むことはどうやら確定されているようだったが、それにツッコミを入れても恐らくスフィを泣かすだけだということぐらいは理解していたし宿無し金無しであることは確かなのでクロウはとりあえず頷いた。
異世界に来てすぐさま知り合いの女性に寝食の世話をされて甘やかすことでその対価を支払う男が居た。
クロウであった。
「認めたくないが我が事ながらもはや……」
「? とりあえずクローはその買い物鞄を持っておくれ」
「……おう、任せろ」
スフィが部屋履きと教会周辺を歩く用のサンダルから、ブーツに履き替えながらクロウに指示を出す。なおこれは作者の個人的見解だがシスター服にブーツはとても良く似合うと思う。数学的に見ても間違いない。
着流しに大きなカバンを担ぎ、そういえば墓に魔剣を放置していたことを思い出したが抜身の剣など持ち歩くわけにもいかない為に放置することにした。鞘を用意しなければならないだろう。その辺に置いていても、この世界の住人では握った瞬間魔力を奪われ気絶するために防犯対策はできているのだが。
顔を洗面所で洗うスフィを見ながら、
「……あれ? この街って水道あるのか。進んでるな」
蛇口を捻って水を出しているスフィを見て口に出した。
彼の居た頃ではペナルカンドにおいて上水道は大国の首都、それも一部地域のみにあるとかその程度の普及具合であった。魔王城は冷暖房完備にウォーターサーバーやアイスクリームマシーンなど幾らでも便利な設備を仕掛けていたが。
顔に白いタオルを押し付けて水気を拭ったスフィが云う。
「うむ。帝都では大部分が上下水道配備じゃな。[おおきなうみ]との契約で海水から塩分を抜いて取水し、浄化した下水を海に戻して循環させておる」
「へえ……あの謎生命体と契約できるんだ」
「それだけ世界的に厄介だった魔王を倒した皇帝に色んな存在から特典を貰えたということじゃな」
「そういえば魔王倒しに来たのって勇者だけじゃなくて召喚士と闇魔法使いも居たけど」
「召喚士は権力や栄光に興味ないからいらぬと辞退して、魔法使いは死んだと聞いておるのう」
「ふうむ」
事実、召喚士という種族は大体利己的な性格をしているものの、世界や社会を支配しようと思う者は殆ど居ない。一人で軍に匹敵する能力を持つ彼らがそこまで危険視されないのはその性格からと言われている。例外が異界物召喚士ヨグや、悪魔召喚士シャロームなどであったのだが。
考察しているとスフィの準備が出来たようで、手を引かれた。
「さ、クロー。いくのじゃ」
「ああ」
教会のドアに掛けている板を[本日休み]にひっくり返して戸締まりをする。
二人は並んで、教会から出る。ふと、お互いの手に感じるぬくもりを意識して思い出そうとした。
(そういえば、スフィと手を繋いだのはいつぶりだったか)
何も言わないでぎゅっと強く握るエルフの少女はそれがいつ以来か確り覚えているが、堪えるような表情を少しだけして、微笑んで引っ張るように歩いた。
クロウはまだ少年の姿であった為に、かつて出会った時のようではなく、他人から見れば歳相応の微笑ましい二人に見えるだろう。
*****
帝都の街はクロウが異世界に居た時の記憶よりもより百鬼夜行度数が増加しているようだった。
歩く者達は犬猫の獣人などはすぐに見かけ、オークやエルフ、竜人に骸骨人や妖精、蟲人に下半身をスライムに沈めて陸上を動き回っている人魚まで居る。人間でも傭兵風の軽鎧男や魔法使い、路上ライブをしている神官に全裸で走る変態と追いかける官憲など様々だ。
人種のるつぼと言うか、ペナルカンド世界の社会性住人の博覧会のようであった。
(石燕が見たら興奮しそうな場所だ……)
そう、思う。
帝都はまったく基盤の無かった土地に発生した謂わば移民の国である為に世界中からあらゆる人種が集まり居住しているのだ。
故に元から住んでいた者達との軋轢などは起こりにくい利点があった。今のところ誰もが新参なのである。
余談だがエルフの国に帰れず、オークにも馴染めない魔女に変身させられた元エルフのオーク男達が救いの地として集まり共同体を作っていたりする。
「凄い所だな……これがあの魔王城のあった場所か」
「人だけじゃなく物も多く集まる交易の場にもなっていてのう。古くからある大国に比べて規模はともかく、世界で今一番盛り上がっている都市であると言われておる」
「確かに珍しい食べ物も並んでいる」
人混みの中歩きながら左右の商店を眺めて感嘆の声を上げる。季節外れだがハウス栽培された果実や新鮮な肉魚がずらりと並んだり、満員に入っている料理屋に並ぶ列やスーパーマーケットのような広い百貨店も見えた。
なんとクロウが居た数十年前には無かった米屋チェーン[奥さん米屋です]という名前の店まである。名づけた奴は阿呆だが、とうとうこの世界でも米が流通し始めたのである。誰かが実りの神から種を貰って栽培に成功したのだろう。
後で買おうと決めつつ、歩きながらスフィに尋ねる。
「そういえばなんか傭兵風な奴とか多い気がするんだが……治安が悪いのか?」
軽鎧をつけていたり、明らかに戦い慣れした雰囲気を出している通行人がそう少なくない数居たのであった。
スフィは頷き答える。
「それが[ダンジョン開拓公社]の契約社員じゃろう」
続ける。
「ここに街を作る過程でな、地下への入り口が三箇所ばかり見つかったのでまずは国の騎士隊が斥候を連れて探検に行ったのじゃ。地下は入り組み、明らかに空間が歪められているほどに広く、現れた多数の魔物に襲われて全滅してしまった」
スフィが以前に読んだ新聞の内容を思い出して語った。クロウは無言で
「魔物と言うのは見た目は魔獣や魔法生物、中には凶暴化した獣人や竜とまで遭遇した報告があるが本物ではない。倒すと姿は消え、魔力の篭った小さな鉱石を落とす。その鉱石は様々な分野に使える新発見の魔法鉱石でな、その何処まで奥かわからぬダンジョンへ次々と討伐採掘へ向かうこととなったのじゃ。
だがなにせ出てくる魔物は強いのだと全滅は免れん。騎士も国が出来たてで練度も低いからのう。騎士が死にまくったらどうなるかクローもわかるじゃろ?」
前に別の国だが、騎士として働いていたクロウは苦々しく云う。
「死ぬ度に保険金やら遺族給付金、弔慰金も出るだろうな……財源は減る上に国力は下がるし世情は悪くなる。貴族制じゃなければ民間からも雇う国家公務員だから今どきはどの国も扱いは慎重にしている。だから戦争時は傭兵が要るんだのう」
「それで国が始めたのが、移民の多いこの国には他所から傭兵や身体能力の高い獣人も多く来ておるからな。それらに下請けさせてダンジョンに潜らせ敵を倒して出た魔鉱を買い取る商売──それが[ダンジョン開拓公社]なのじゃ」
「よくそれで人が集まるな」
「ダンジョンの中には魔物だけではなく様々な道具も落ちててのう。拾った物は会社に渡す義務は無いとして、一攫千金になった者も多い。仕事にあぶれた傭兵などもとりあえず食い扶持に困らぬ程度には弱い魔物倒していても稼げるんじゃよ。
で、そこは魔王城の地下と言われていて最深部には宝物庫があると噂になっておる。無論、辿り着いたものはおらぬが」
「成程……」
クロウは探し物がある場所がそこだと理解した。噂にすぎないが、クロウはそうであると納得が言った。彼も己が時折頷く、
「勘働き」
というものは時に百の情報よりも自信に思っている。
ダンジョンは複雑怪奇に入り組み、またある時間ごとに構造が入れ替わりそれまでの地図を無為にした。奥に行けば行くほど魔物の苛烈さは増し、魔鉱で日銭を稼ぐ為に入っている多くの社員がそれに到達出来ないのも当然では合った。
数少ないが魔王城の地下に埋もれる貴重な道具や深淵を目指している者も居るが、やはり攻略はまだ出来ていない。
「つまりそのダンジョン開拓公社に行って仕事を受ければいいんだな」
簡単に考えるクロウに、スフィは立ち止まって溜め息をつきその場に合った雑貨屋に引っ張り入り込む。
「すぐに行って雇って貰えるわけなかろう」
「そうなのか? 聞いた話だと余所者を雇い入れてるのだろう?」
「馬鹿者。入るにはまずこれが必要だ」
スフィが陳列されている棚から二枚の紙を引っ張りだす。
履歴書であった。
「パンフで読んだ所、入社説明会自体は月に2日開かれておるがまず3日前までに履歴書を送付しなければならん。あれで半公営なのだからのう」
「世知辛いなファンタジー……あれ? 二枚ってスフィも行くのか? ダンジョン」
「……」
意外そうに云うクロウを、ぐいと引き寄せて彼の顔の目の前でスフィは怒ったように云う。
「私だって、元傭兵じゃろう。それに、クロー一人で危ない所を生かせるなんて、私は嫌じゃ」
「……そうだな。己れとスフィは傭兵団でもコンビだったからのう」
「うむ! 傭兵団最強コンビじゃ!」
「いや、あの時一番強かったのジグエンで次にシックルノスケで次がイツエさん……」
「ええいともかく私も行くからな!」
「わかったわかった。大丈夫、スフィは己れが守るからのう」
「……真顔でこういうこと言いやがるのじゃ」
はあ、と疲れたような溜め息を吐くスフィである。
とりあえず履歴書と開拓公社のリクルートペーパーを購入して、食料と生活雑貨を買い込みその日は家に戻ることにした。
予想よりも多く為り風呂敷に包んで背負うクロウだけに持たせるのも難色を示すので、クロウの持つうち一つの買い物袋を二人で持っていると、
「はっはっは。まるで新婚さんだなあ」
などと、なんの気無しに言うのでスフィは、
「みょふー……」
と、頭が茹だった吐息をこぼすしか返事は返せなかった。
クロウはやや陽気だがすっかり枯れた老人に中身がなっているのに、エルフとしてはまだまだ若いスフィは感性が初心なのであった。
「しかし己れの分まで済まぬのう。使ってた口座は凍結されて差し押さえを食らってしまってな」
申し訳無さそうに云う。
世界的人間災害の魔女と連帯罪として、クロウが老後の為に貯めていた預金と年金は全て差し押さえられてしまった。
勿論魔女も魔王もまともな金銭は使用不能であったのだが、それに対抗した嫌がらせで彼女らは魔王が召喚した金や貴金属、宝石に偽札を無料でばら撒きまくって多くの国々の経済を混乱させまくった過去がある。まあちょっと、クロウが自分の口座が使えなくなって苛立ち混じりに提案したら「グッドアイデア!」と躊躇わずに実行されたので強くは言えないが。
スフィは小悪魔的微笑を浮かべながら、
「クローは何も心配することないんじゃよー? 食って寝る分には私が全部小遣いをやるからのー?」
「やめろ結構自覚したらつらい」
「にょほほ~。ま、ダンジョン開拓員は歩合制で要領か運が良ければすぐに稼げるらしいからのう。暫くの辛抱じゃて」
「ふうむ」
片手で詳しく書いてある開拓公社のパンフを見ながら云うスフィ。[信じる者は儲かる][集え若者]など扇情的な単語が入社要項に散りばめられている。
ひとまず二人は家代わりにしている教会へ戻り、まだ夕方であったが早めの食事を取ることにした。
豊富な種類の野菜に肉など様々な材料を買い込み、クローが腕をふるって料理をする。久しぶりに洋食風のものを作ったので、中々のボリュームになった。
「モッツァレラチーズとトマトの子羊背肉リンゴソース入り娼婦風スパゲッティだ」
「んんまいのぉぉ!」
「デザートは雪解けプリン。ゆっくり食え」
「にゅおおお!」
やたらスフィが興奮していた。
彼女もこの数十年、一人飯を少量だけ毎日寂しくもそもそと食べる生活だった為に、手料理の味と温かさに涙を浮かべる。
スフィの体からすると少し多すぎたかとクロウは心配したが、旨そうに彼女は食べきった。ただ、やはり食後は腹がぽっこりと膨れて、横になって幸せそうに呻いていたが。
一段落して茶を飲みながら、二人で向い合って机に座り履歴書を前にして書き始めた。
「ええと……年齢は95と」
「私は150……」
「年齢で落とされないかな、己れ達」
「大丈夫じゃろう、多分。長寿種族も居るし……」
「職歴は……傭兵っていいのか? まあいいか。その後クリアエ騎士で副部長になり職場都合により退職……放浪は抜いてクリアエ魔法学校の用務員……魔女の騎士は書かんほうがいいからこれぐらいでいいか」
「私など傭兵止めてそのまま司祭だから簡単なものじゃな」
「資格か……簿記二級は持っとるが今更使える気はせんな……社会保険労務士の資格もあったがそれがダンジョンに役立つとは思えん」
「司教の資格は取ったが放り出したからのう……埋まってないと寂しいから一応書くか」
などと言い合いながら履歴書を埋めていき、二人分を同じ封筒に入れた。
明日にでも伝神教会経由で送れば、次の説明会には出れるだろう。
*****
それから数日の間クロウは帝都でスフィと観光のような生活をした。
ダンジョンは入り口を国が管理しているだけあって、正式に入社しなければ挑むことなど出来ないのである。焦っても仕方ない。期限まではまだ5年もある。
とにかく着の身着のまま帝都に訪れていたクロウは生活に足りないものが幾らでもある。スフィの金に頼るのは気が引けるが、他に頼れる者も居ない。ディスカウントショップを周り生活用品を揃えた。
やはり、見て回ればクロウが50年前まで居た異世界のどこよりも発展している街に見えて、驚きがあったという。
その日は大通りを大行列が練り歩いているのを遠くから見つけて、クロウが尋ねる。
「何の騒ぎだろうかのう?」
「ああ……多分帝王が街の様子を見に来ているのじゃろう。暇だから」
「暇なのか。帝王なのに」
「政治なんかは議会制じゃからなあ。一応帝王は議会で決まった法に対する拒否特権を持っておるが、大体は丸投げしておる」
「ふうむ」
クロウは少し気になって、スフィを小脇に抱えて疫病風装の効果で空を軽く飛行して高い建物に屋根に上がった。
神輿のような台座の上で、偉そうな王冠を付けたおっさんが愛想よく手を上げて周りを見ている。
「あれは確か……狂戦士化して魔王城を攻めた勇者ライブスじゃなかったか? まだ生きてたのか」
「国を発展させるために寿命を伸ばして貰ったらしいのう。噂によると悩みは水虫じゃと」
「すまぬ」
「?」
かつて殺人水虫をぶつけた弊害かもしれないとクロウは小さく謝った。
ふと、帝王ライブスの視線が屋根の上から見ている、特徴的な──魔女の青によく似た色をしている青褪めた──服を来ているクロウへと向いた。
その笑顔が凍りついた。
首ががくがくと揺れだし、口を半開きにしたままクロウの方を──いや、明らかに[第四黙示]クロウを見ている。百万人力の奇跡が解けた今ではライブスにも致死の疫病を無数に生み出す終末の騎士だ。実際には、今はブラスレイターゼンゼを持っていないのだが。
帝王の指示で神輿が反転して急ぎ足で城へ帰っていった。クロウは半眼で見送りながら、
「なんだ、覚えておったのか、あやつ」
呟いた。面倒事にならなければいいが。
その後で木材と釘、針金などを買ってきて自分で魔剣の鞘を作ることにした。
なにせこの世界の住人が触ると昏倒する武器なのだ。下手に職人にも預けられない。
太い木材を剣で割いて程よい形に整える。まるで水羊羹のような感覚で力を込めずとも木が不気味なほどに切れている。
剣の腹を上下から挟み込むような形で作り、針金で剣の鍔に固定出来るように結んだ。普通の鞘だと振る度に切れてしまうので特殊な構造になっている。
あまり切れ味が良すぎるというのも難点だ。アカシック村雨キャリバーンⅢも相当な切れ味だったが、あれは鞘にアカシックな概念が埋め込まれていたので頑丈だったのである。
*****
ダンジョン開拓公社、人事部。
翌日に控えた開拓員の契約社員講習会の資料を纏めて、手元のぬるくなった茶を不味そうに飲んだ真新しいスーツの女性は新しい茶を入れに立った。
ついでに職場の上司にも茶を入れて出す。茶汲みは新入りOLの仕事である。法律で決まっている。なにせ、一度ごとに特別報酬金が査定で追加されていくのだ。
「課長、明日来る予定の方はどうっすか?」
その課長と呼ばれる役職にある男は昔、開拓員──他所では[荒くれ要員]や[冒険者]などと呼ばれるが、社内では開拓員が正しい──をしていたのだがダンジョン内で罠にかかり、膝に矢を受けて引退して人事部に入ることになったのである。
それだけ他の戦士を見る目が確かだと見られている。やや色の黒い肌をしていて引退した後でもがっしりした体つきだ。
彼は資料を置きながら、
「ただの案山子だな。まったくお笑いだ。魔物が見たら奴らも笑うだろう」
「手厳しいっすね」
苦笑して云うものの、実際に開拓員に為りたがるものは甚だ実力不足である場合も多い。
例えば猪を正面から打ち倒せる力自慢は田舎の村では持て囃されるかもしれないが、馬車並の巨大な体をした回転ノコギリ付き猪が三匹四匹と襲ってくる環境があるとは思っても居ないだろう。
食いっぱぐれた傭兵や基礎膂力の高い獣人などは浅い階層でちまちまと稼ぐのが精一杯である。
本格的に深層へ向かい質の良い魔鉱を採取できる開拓員はそれこそ数えるほどだ。
「あ、そうだ」
女性が別の資料を取り出す。
「締め切り間際に届いたんですけどこの二人組はどうっすかね? 元騎士と司祭……特にこのスフィって司祭は教会に問い合わせたら[奇跡者]に登録されてるっすよ!」
奇跡者と言うのは教会の称号で、単独で秘跡の上位、奇跡能力を行使できる高位神官を指す。スフィのように複数の凌駕詠唱を行えるというのは歌神司祭でもそうは居ない。一つの凌駕詠唱ですら、歌い手の神官が何人も集まり合唱しなければ発動しないとされているのだ。
課長は二人の履歴書を眺めて、クロウの項目で眉根を寄せた。
「元騎士か。騎士ってやつはプライドが高い割にお役所仕事で実力はからきしなのが多いがな、こいつはどうなんだ?」
「そう言われましても……まだ会っても居ないっすから」
「ちっ、仕方ねえ」
課長の雰囲気が変わった。
得物を狙う猛禽めいた目付きになり、まだ筋肉で盛り上がった肩をごきごきと鳴らしながら怖ろしい声で云うので、彼女は思わず一歩引いた。
この部署に来て初めて課長のこの顔を見たが、睨まれては生きた心地がしない。
「俺が直々に"面接"してやるとするか……」
彼女は心底、そのクロウという元騎士を同情した。そして普段は課長が直接はやらない"面接"とやらに付き合わされる自分を。
*****
クロウとスフィはチームで登録されているので同じ部屋で個別講習を受けることになった。
前の長机に眼鏡をかけた筋骨隆々な男と、同じく眼鏡で清潔感のある髪型をした線の細い女性が並んで居る。
男は手元の資料に目を落としながら、
「えーそれでは自己紹介等はこちらの履歴書に書いて貰っているので省略させて頂いて……当社を志望した動機をお願いします」
「普通に面接してるっす!?」
「!?」
「!?」
突然叫び出した女性にクロウとスフィのみならず、男も驚く。
「ど、どうしたのかねオルウェル君!?」
「課長も何普通に面接してるっすか! 元騎士の実力を見るんじゃなかったんすか!?」
「だから面接をして人となりをだね」
「そこはこう、昔使ってた武器とか持ってきて『生半可な野郎はいらねえんだ……俺を倒せないようじゃ役には立たないぜ』とか言って勝負を挑んでいい感じになるものの膝の古傷が原因で負けてしまって『俺を倒すとは大したルーキーだ。普通ならギルドランクEからスタートだが特別にCの実力があるとみなすぜ』みたいな展開は!」
「……君は人事部を何だと思ってるんだ?」
「がっかりっすよ!」
何故か憤慨しているオルウェルという女性を可哀想なものを見る目で皆が見ている。
少々夢見がちな女性であったようだ。ダンジョン開拓公社に務める開拓員は、魔物を倒して金を稼ぎ、迷宮に隠された宝物を手に入れるというヒロイックな職業なのでフィクション、ノンフィクション問わずに様々な本など出版されているので印象が実際とは違うこともあるのだ。
スフィが首を傾げながら、
「ところでギルドランクとは?」
「いやそんなものは無い」
「無いんだ」
「広報誌で一応業績上位は載せているが……とにかく、面接に戻ります」
クロウは営業的な顔を作りながら、適当に答えていった。
面接内容はどれもよくあるものであった。
ダンジョン内で何日も潜ることがあるが年齢や体力的には大丈夫か、とか命の危険と隣合わせの仕事だが本当に平気か、などだ。履歴書の空白期間については聞かれなかった。クロウにばかり質問だったのでスフィは退屈であった。
やがて面接は終わり、問題がなければこのまま入社できるということで説明会に移った。
クロウの方から質問を投げかける。この辺りにあると元より普通の会社ではなく荒くれを雇うものだから、堅苦しい雰囲気は無い会話になっていた。
「障害保険などはどうなっている?」
「任意で加入だ。最初は皆保険に入って貰っていたのだが、死亡給付金を受け取る相手が居ないとかそもそも危険な仕事だから保険料が高くて払い渋る者も多くてな。一応保険会社は複数あるが、開拓公社と契約している保険会社に入れば二割は社が負担する」
「パンフには支給品ありとあったがそれは?」
「支給品は携帯食料……乾燥粥のみ幾らでも。装備品や薬などは自費だ。なにせ、横流しされたら困る。乾燥粥は元開拓員で今はお粥チェーン店を出している者が出資しているが、粥だけだと味気ないので結局自分で買い込んで持ち込むのが普通だ」
「拾った魔鉱以外は自分の物でいいのだな?」
「ああ。その代わり魔鉱は全て公社が買い受ける。魔鉱を別の場所に売ったら規約違反で起訴するが、罪状は国家反逆罪だ。あとダンジョン内で死んだ者の遺品などは専門の店に預ければ遺族に連絡がいって感謝されるぞ。拾った社員証は社に返してくれ」
などと遣り取りをして、後日の研修日を決めてその日は終えた。
二人が部屋を出て行って、オルウェルが課長に拍子抜けした様子で話しかけた。
「なんか普通の人達でしたね。元騎士って云う割には体も小さいし子供みたいな感じでしたっすよ。服は東方のキナガシってやつでしょうか……あ、でもスフィちゃんは可愛かったっすね! スフィちゃんイェイイェ~」
「むう……」
一方で課長は難しそうにクロウが出て行った扉を見ていた。
眼鏡を外して目頭を揉む。
その眼鏡には魔法のような奇跡のような妙な能力がある、ダンジョンで見つかった物であった。
意識して見た物の名前と効果を鑑定できる道具である。貴重なものだが妙な予感がしたので借りてきた。これがあるために、既知外であるダンジョン内で発見された異界の物かもしれない物品にも名前が付けられ、道具として使うことができるのだ。
面接に来る者は武装してくるように連絡されている。現実でも面接官が新入社員のスーツ、時計、カバンを見るように、新たに入る者の装備を見て判断するのだ。
手入れがされていない武器や買って使ったことがなさそうな物は論外だ。真っ当な戦士こそ確りとした装備を整えられる実力がある。
そして──[疫病風装]に[狂世界の魔剣]と見たことも聞いたこともない厄い武装を当然のようにしているクロウは異質極まりない。
「……オルウェル君、あの二人の研修は君が行くこと」
「わっ私がっすか!? ダンジョンなんて潜ったことないっすよ!?」
「他に暇な人が居ない。茶を汲むだけで給料を稼いでないで働きなさい。ダンジョンの浅い所で数回魔物と戦う様子を見て報告書に纏めるだけだ」
「うううう」
呻きながらも上司命令には従う他無い会社勤めであった。
新人の開拓員は魔物との戦いぶりを評価し、明らかに無理そうならば研修期間で契約を終えるようにするようにしているので数回から、多い者で10回程度は評価者が付き添うようになっている。これは向いていない新入社員がすぐに死なない為でもあった。付いて行くのは安全面も考え暇している開拓員を日当で雇って報告させるのだが、勿論正社員である人事部の者が出向いたほうが評価は正確になる。
一応ダンジョンの浅い階層は何故か弱い魔物しか出現せずに、奥へ向かう通路途中であるので誰もが遭遇し倒すことから数もそう居ない。あまり危険ではない場所ではあるのだが。
これは魔王ヨグが地下の構造として最初は楽そうで気が緩んだところをガツンといかせる為に仕掛けた罠で時折強い魔物も沸くようにしているのであった。上の城は攻略される間も無く破壊されたが、地下ダンジョンは大人数が頑張って挑んでいる事実は彼女からすれば愉快だろう。
*****
後日──。
クロウとスフィはダンジョンに潜る準備をして入り口のある建物へ向かった。
準備と言っても今日は研修で日帰りなので大した物は無いのであったが。
入り口は三箇所あり、それぞれの場所は複合施設になっているが、一言で表すならば大きな酒場であった。
ラウンジでは食事と酒が売られていて剣や弓、魔法杖などを持った格好の集団が寛いでいた。それ以外にも癒やしの神や商業神の簡易教会、薬屋に研ぎ屋など様々な店舗が施設の中で営業をしている。
店の入り口でオルウェルと待ち合わせをしていて、合流した。前に見たスーツ姿ではないが、動きやすいジーンズとトレッキングシューズを履いて、背中にリュックを背負っているのでこれから遠足にでも向かうのかと言いたくなる格好であった。あくまで彼女はOLであって、開拓員ではないのだ。
「そ、それでは行くっすよ!」
気合を入れて気負いを持ち、入り口の観葉植物に隠れるようにしていた彼女は二人を連れて奥へ向かった。
酒場の開拓員──成程、これならば[冒険者]と呼ばれるのもそうだなあとクロウは思うような連中が一斉に現れた三人に目を送り──鼻で笑った。
「引率の先生かよ」
「おい坊主に嬢ちゃん、可愛らしいデートなら他所でやりな!」
「君達失礼ではないかね? ああマスター、彼らにミルクを」
ありがちな台詞を言い合った後ヒャッハハハハと笑い合っていた。オルウェルは居心地が悪そうに顔を伏せてずかずかと歩く。
クロウとスフィはなんとも知れぬ顔で周りを見回しながら気にもしないで歩いていた。
すると他の開拓員達は笑いを止めて、顔を見合わせて、
「──とまあ、ここまでが新入りが来た時の定型なので」
「あまり気にしないで欲しい」
「でも子供だけで危ないと思ったらおじさん達に頼って欲しい」
「何だこいつら」
いきなり冷静になった他の社員達を胡散臭そうに見る。きっと彼らも言ってみたかっただけなのだ。
何やら態度の急変に落ち込んでいる様子のオルウェルをスフィと二人で後ろから突っついて進ませる。
酒場の奥には大きな扉がある。ダンジョンの入口だが、かつて騎士が探索を行った時に馬車まで連れて行ったことから入り口を巨大に作っているのだ。
中は洞窟というよりも充分な広さのあるトンネル状になっているという。
膝に矢を受けて引退して門の番人をしている社員に話しかけて研修の旨を告げて、オルウェルは扉の前に立って二人を振り向いた。
「中に入るっすよ……そこからはお二人が前に立ってくださいっす、私戦えませんから」
「ああ、わかったわかった」
「い、一応浅い所だと弱い魔物しか出ないので……ええと、魔物図鑑によるとスネコスリとかそんなのっす。見た目可愛いけど。あ、でも罠は気をつけてくださいね、自然発生しますから一度解除してもまた出てくるんすよ」
スネコスリとは子犬か子猫のような姿をしていて、高速で接近してきて人間の脛にもふりとした体を擦らせる恐るべき魔物であった。
さすがにそれに負ける社員は居ないが、すばしっこいのが特徴だ。倒した時に得られる低品質魔鉱の換金額はジュース一杯分程度である。
そして、オルウェルが扉を開けようとして──クロウが厭な気配を感じてスフィを小脇に抱えて一歩踏み出し、オルウェルの襟首を掴んで横に放り投げた。
「きゃっ!?」
悲鳴が届くか早いか──ダンジョン側からの衝撃で扉は粉砕されて暴威の圧力が床を踏み割る音と、大音響の鳴き声を上げて酒場に突っ込んできた。
巨大な魔物だ。
酒場の開拓員のみならず店の店員らも身構え、漂う紫煙に似た瘴気に顔を顰めて慌てて外に逃げる者まで居た。
魔物は[毒象]──その名の通り、吐息や汗腺から気体状の猛毒を周囲に揮発させる能力を持つ、気性の凶暴な象に似た魔物である。ダンジョンの浅い場所に居るような魔物ではないが──前述したとおり割りと平穏なところにでも突然ケタ違いの強いモンスターが発生するようになっている。
普通の象ですら暴れれば村一つ潰してしまう、獅子や虎よりよほど恐るべき動物である。それが毒の吐息や蒸気をまき散らしながら襲ってくるのだ。
近寄れぬ為に弓や魔法使いの開拓員が攻撃する──体通り生半可な攻撃では仕留め切れないが、集中砲火で末端部の足を破壊するセオリーがある──準備をする。しかし犠牲は確実に出るだろうという冷酷な予想を、手練れの開拓員は感じた。
ふと。
皆の視線が、毒紫煙立ち込める象の背中へ向いた。
風が煙を打ち払い、蒼白い衣服を着た者がその背中に立っているのを見た。小脇に顔を袖で覆ったエルフの司祭を抱えているのは、先ほど開拓員全員が見た新入りの少年である。
扉の正面に立っていて突進の直撃を食らったように見えたが──スフィを抱えたまま[疫病風装]の自動回避を発動させて躱したのである。そして如何な魔物の毒とはいえ、その衣に触れている者に病毒の効果を齎すことは出来ない。
「──ほう、中々油断ならんところだのう」
彼は緊張感の無い言葉を口にして、腰に付けた木鞘から漆黒の刀身を持つ剣を抜き放ち──毒象に突き立てた。
刀身は1メートルほど。それを刺しても通常ならば致命傷になる大きさの魔物ではないが……瞬間、魔物は熱した油が跳ねたような音を立てて消滅した。
[狂世界の魔剣]──その効果により、刺した相手の魔力をブラックホールの重力で奪い尽くしたのである。ダンジョンに現れる魔物は魔力核から投影された生物そのものではない召喚物によく似た存在なので魔力を消し飛ばせば存在が掻き消える。
クロウは足場が無くなったのだがふわりと服の効果で着地して、床に落ちていた大福程の大きさの魔鉱を拾い上げる。これには直接触れていないから魔剣による効果は及ばず、その純度を失っていない。
(魔王は特攻のチート剣とか言っておったが、確かに便利だのう)
なにせ、ダンジョンで発生した魔物が相手ならば大きさに関係なく当たれば即死効果がある剣である。
「さて研修を続けるか……あれ? オルウェルの嬢ちゃんはどこだ?」
「クロー、あそこで倒れておるぞ」
スフィが指さすと顔色を赤青まだら模様にしつつぐったりと倒れていた。
咄嗟に投げ飛ばしたので轢かれはしなかったが、撒き散らされた毒でやられているようだ。本体が消えても毒が消滅するわけではないのだ。
他の開拓員の中にも顔色悪くして床に沈んでいる者も居る。癒神教会の司祭や薬屋が慌てて治療に向かっていた。
スフィがクロウの小脇から下りて、
「仕方ないのう。にょほほ、これも久しぶりじゃ。聖歌──[軽やかなる音楽団]!」
──歌った。
何処からか聞こえる楽しげな演奏と共に、回復効果のある歌声が酒場に響き毒を浄化して蝕まれていた者は目に見えて健常へと治り出す。
歌神司祭の秘跡を知っている者は驚き歌を唄うスフィを見遣る。
[軽やかなる音楽団]の聖歌は確かに癒やしの効果があるが、それは主に気力体力の回復効果であって、傷の治療や解毒などには微力な効果しか発揮しないのだ。
だが、彼女の歌は違った。癒しの司祭が羨む程に、歌の範囲にある者全てを回復させてしまう。
これはスフィがエルフ王族という魔力に恵まれた生まれであったことと、信仰心による秘跡の増幅作用によってだ。
なにせ、毎日墓に向かって歌っていたら大事な人が帰ってきたのだ。
彼女の歌に対する信仰は現在非常に強い。スフィは今や、歌神司祭として最上級の能力を持っているのであった。
クロウがすっかり周囲の良くなった様子を見てスフィの頭を撫でる。
「さすがだのう。これなら酔い潰れても平気だ」
「うむ! 任せておけ。あ、そうじゃクロー。この国でもバンカーバスター売ってるのじゃよ?」
「あれ流行ったのかよ……」
自作の魔カクテルが他国でも売れている事実に顔を曇らせながら、クロウは血色の良くなったがまだ気絶してるオルウェルの首根っこを掴んで足を引き摺ったまま、何事もなかったかのように破壊された扉の先へ進んでいく。
一撃で魔物を倒したクロウと通常ではありえぬ高性能の聖歌を使ったスフィを──唖然と他の開拓員達は見送るのであった。
──後に[深淵到達者]と呼ばれる魔剣士クロウの最初の冒険であったと記録されている。
期間は5年。
目的は宝物庫にある[シャロームの指輪]。
こうしてクロウの江戸から外れた、異世界での日々が始まるのであった……。
*****
一方。
ダンジョンのとある深部にて。
猫獣人の三人組が足音を潜めて道を進んでいた。
[黒猫同盟]と呼ばれる帝都での猫獣人の寄り合い組織に所属する彼らは開拓員として日々お宝を探して潜っている。
このパーティの特徴としてはとりあえず魔物から逃げ回ることに長けていた。彼らは魔鉱による収入ではなく、ダンジョンに落ちているアイテム回収専門の集団であるのだ。
「兄貴、そろそろ帰りませんかね」
「ヒメマルカツオブシを三本も手に入れたんだ。他の仲間に自慢できまさあ」
「馬鹿野郎、この辺りに落ちてたってことはまだあるかもしれねえだろ、ヒメマルカツオブシ」
と、相談し合いながら慎重に進んでいく。
このダンジョンは時におにぎりやパン、ピッツァなどの食料さえ何故か落ちていて、どれも食べられる。彼らもレアなカツオブシを見つけて喜んでいるのである。
ふと。
三人の敏感な聴覚が何かが近づいてくるのを知覚した。
鎧の音がする。
ダンジョンの中で遭遇するのは魔物だけではなく、同業者である可能性もあった。だが油断は出来ない。三人は壁際に身を隠して微かに発光する首から下げた社員証を握って隠した。
がしゃり、がしゃりと音を立てて近づく。
周囲は闇に近いが微かに明かりがあり、猫獣人の視力ならばかろうじて見て取れる。
鎧──。
天井に近いぐらい巨大な鎧が、通路の前から近づいてきた。
そして、その鎧は首が無い。
首は──片手に持っていた。長い金髪をだらりと垂らしている、虚ろな目をした頭だ。
「だーれーかー……いーまーしーたーのー?」
響く掠れた声を出す生首。黒猫同盟三人組はお互いに頷き合って、
「出たああああ!!」
「デュラハンだあああ!」
ダッシュで逃げた。
持った首をきょろきょろと手で動かしながら見回して、
「ああっ!? ちょっと待って下さいまし!? 魔物ではありませんことよー!」
言うが、既に獣人達は逃げてしまっていた。
首が溜め息をついて大きな鎧の体が肩を落とす。落胆の仕草を互いにして目の幅涙を流しながら首は呻いた。
「ああもう、折角開拓員に会えましたのに……社員証を落としたから魔物にしか見えませんわ……」
ダンジョン内で発生する魔物の中には帝都で普通に住んでいるオークやオーガ、リザードマンの姿をしたものも珍しくない。それで魔物か開拓員か目印にするために全社員に与えられたのが微かに光る社員証である。
それを失くしてしまったのだから大変である。デュラハンはペナルカンドに存在するアンデッドの中でも珍しく、お伽話に登場する恐怖の首無し鎧騎士としてしか知らない者も多くいる。
おまけに社員証には旅の神の加護がついており、帰り道の方向を明滅で知らせてくれる機能がついていた。帰り道さえわからなくなった彼女は長い間ダンジョンの中で迷い続けているのである。
呪いの鎧を脱ぐ道具を探すために就職したデュラハンの姫騎士──イートゥエは嘆きダンジョンに咆哮す。
「いつになったら外に出られますのよー!」
******
西方の地方都市国家、クリアエにて。
ニャルラトマト農家をしているオーク紳士が収穫の一息をつくと、見知った顔──と言うか大体オークは似ている──のオークが片手を上げて訪ねてきていた。
分厚い肉に覆われた体格に修道服を重ねてきているそのオークは、旅の神を信仰しているオーク神父である。
紳士は彼の背負う荷物を見て話しかけた。
「やあ神父さん。また旅に出るのかい?」
「うん。今度は少し遠いけど、帝都までね。久しぶりに友達に会って、墓参りをしてくるよ」
「ああ……クロウさんの」
懐かしそうにオーク二人は目を細める。どちらに取っても、大事な友人であった人間の事を思い出して。
特にオーク紳士はもはや孫のその孫さえ居るような身分だったが、最初に結婚したのはクロウが見合いをしてくれた縁からであった。
「それじゃあぼくの分までお願いするよ」
「土産話を期待してくれ」
「ははは、それじゃあ精々騒がしい旅になるように」
「どうだろうね」
言い合って、紳士は神父にもぎたてのトマトを渡し別れた。
農園があるためにこの土地から離れられない彼にとっては、神父に聞く旅の話は格別の楽しみであった。
彼があちこちを回っているのも、きっと自分と同じような人達に面白い話を聞かせているのかもしれない。
そんなお人好しの彼だからこそ長年旅を続けていても死んだり大きな怪我を負うこともなく生きているのだろう。神だってきっと彼を見ている。
旅慣れた歩きで去っていく神父を見ながら、紳士は汗を拭って東を見た。
光の筋が雲間から帝都の方角へ伸びた気がして、帝都での事件の始まりを感じた。
「なんてね」
少しロマンチックだったかな、と紳士は苦笑し、トマトの収穫に戻るのであった……。
******
ある日──或る処にて。
「だぁから、話は簡単だろ? 魔王は探してぶっ殺す、シャロームの指輪は手に入れてクソ悪魔と縁は切る」
少年の声が断定的に云う。
「魔王さんはぶっ殺さなくていいんじゃないかな、お兄ちゃん。お話聞きたいだけだから……それに契約を切ったらアバドンとベルゼビュートが可哀想だよ、育ててくれたんだから」
それを窘める少女の声がする。
「悪魔を可哀想だなんて思うだけ無駄だって。っていうか魔王と話するってもな……」
「いろいろあるよ? どうした小さい頃に私達を捨てたのかとか、お父さんは誰なのかとか」
「どうせくだらん理由だろうし、魔王とまぐわう男なんざヒャクパー碌で無しに決まってると思うぞ」
「お兄ちゃん!」
「あーはいはい」
二人の男女の声を響かせながら、街道を進む足取りは東へ向かっていた。
「ま、とにかく魔王城の地下を探せばなんかあるだろ、手がかり。邪魔する奴は片っ端からぶっ殺すが」
「駄目だって! まずはダンジョン開拓公社っていうのに入ってそれから地道に探して行くんだから」
「面倒臭ぇ……誰かシャロームの指輪を拾って来てくれねえかな。ぶっ殺して奪うから」
言いながら、兄妹は進む。遥か先には帝都の街並みが霞んで見えた。
特徴的な虹色の髪を揺らし、シャロームの指輪を探す者達。
運命は連なり、因果は引き合い、物語は始まる──。
******
「──IM-666修復率2%。高速自己修復モードを強制終了。再起動致します」
つづかない




