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挿話『異界過去話/お見合いサイクロトロン』

 緑のむじな亭が表店にしている、裏長屋に住んでいる辛助は塩問屋に通いで働き、あちこちの訪問先に塩を売って歩く仕事をしている。

 鯰のような髭が生えていることもあり、知り合いの中では[鯰の塩辛]などと渾名を付けられている。

 ただ、本人は捨て子で寺に引き取られ育ったので、あまり生臭は食わない。単に食い慣れていないのだという。

 性格は口下手なのだが真面目で、人付き合いが悪い訳ではない。他の長屋の男と混じってむじな亭で飲むこともあり、九郎とも知り合いであった。

 彼と、大川沿いにある飴売り茶屋[ふる屋]の娘とで見合いをする事になった。

 この店は飴を売り歩いていた店主が腰を悪くしたので空き家を買い取って飴を売る茶店にしたという、何処にでもある茶屋である。二、三度ぐらいは九郎も店に入ったこともあり、素朴な感じのする娘も見たことはあった。生姜を効かせた飴湯を出すので子供らを連れて行くに良い店なのだ。

 そこの娘が気になっている、という話題がむじな亭の飲み会で上がって他の男衆にからかわれていた。

 やれ、


「早く告白してこいよ!」

「いやいやここは古めかしく文でも送れ」

「駆け落ち! 駆け落ちしろ!」


 などと、人事なので好き勝手に助言にもならぬことを言われる。

 到頭とうとうどうにかしなければ根性なしの屁垂れだという論調にまでなったものの口下手でまともに女を誘えない。

 どうしようとなって頼ったのが誑し込む能力が高いと思われている九郎であった。

 

「仕方ないのう」


 と、言いながらも九郎は二日程で話を纏めてきたのである。

 彼はその[ふる屋]とは面識がなかったが、茶葉問屋の大旦那とは将棋仲間であった為に、そちらに話を聞きに行ったところ、件の茶屋もその問屋から茶を仕入れているという。

 ならば話は早く、[ふる屋]の店主と親しくしている番台に話を通して向こう様の娘に好いている相手や恋仲の影が居ないことを確認させる。

 問屋の大旦那も九郎もそうであるのだが、年を食い暇になるとこのような事は楽しく進めてしまうのであった。

 そして特に辛助が相手でも問題ないことを確認し、ひとまず見合い話を進めたのであった。

 

「ありがとう、九郎の若旦那」

「よいよい。全く、本当はこういう段取りは大家の六科がするものだが……」

「あの人に期待は……」

「難しかろうな」


 言って、九郎と辛助はお互いにむっつりした顔で厨房に居る六科を見て苦笑いを浮かべて、辛助は心なしか軽やかな足取りで店を出て行った。

 その様子を見ていたお八とお房が、


「なんかこう……手馴れてるなー九郎」

「軽く世間話するようにお見合いを決めてきたの」


 彼は肩を竦めて手を払う仕草で振る。


「ま、昔取った杵柄だのう。もう何十年も前だが知り合い五、六人は見合いの相手を見つけてやったことがあってな」

「へえ。本人はお嫁貰ってないのにお節介な男なの」

「うるさいわい」

 

 お房の言葉に苦々しく返す九郎。

 その頃は異世界に居て、骨を埋める覚悟もしていなかったので嫁を作る気がまるで無かったのである。

 家族を作ればそれを捨てて元の世界に戻る事ができるかわからなかったからだ。諦めた頃にはすっかり壮年な上に収入も少なく、家庭を持つと謂う状況ではなかった。

 

「九郎兄さんもお見合いしたりしなかったんですー?」


 皿を洗っていたタマが仕事を終え、茶を九郎の前に置きながら窺うように聞いてきた。その言葉にぴくりとお八が背筋を動かして緊張した面持ちで耳を傾ける。バレバレな動きだったのでタマはぶふっと小さく笑いを零した。

 九郎は気づかずに、腕を組んでやや仰ぐように思い出し、


「うーむ、上司とかから話を持ちかけられた事はあったが大抵断っておったし……あ、いや、1回だけしたのう、見合い」

「な、な、な、なんだと!? 誰とだ!? どうなった!?」


 がたりと音を立ててお八が立ち上がり、九郎に近寄る。

 彼は謎の勢いを持った彼女に押し留めるように手を向けて、


「いや……どうともならんかったのだが。確かあれは──」


 言いながら、九郎は数十年前の記憶を思い浮かべた。

 




 *****






 異なる宇宙。異なる次元。異なる時空。三千大千の吹き溜まりにある世界。そこはペナルカンドと住人に呼ばれている。


 様々な神が存在するその世界での一級神格存在・命名神と云う神が世界の名も名付けて、あらゆる者からそう呼ばれるようになった。

 宇宙の彼方までをしてペナルカンドであるのだが、普通にそれを差す場合は神々の無秩序な暴走混沌箱庭とも言える惑星ペナルカンドを指す。巨大な大陸と大洋、島々を居住地とし環境整備して様々な人間や動物、ケイ素生命体や霊的存在が入り乱れ好き勝手に生活している。


 ペナルカンド世界は神に護られているものの壊滅災害の危機がしばしば発生する。

 生物を絶滅させかねない存在が幾度も発生し、その度に勇者や英雄と呼ばれる超存在や神々が対処していた。


 有名な災害存在として挙げられる一例としては──縮退天使イリスとその転生体の魔女。地枯らしの堕天巨人ネフィリム。殲滅機神シュニン。魔人にして悪魔召喚士シェローム。世界を核の炎で灼いた外法師ヨグ。断罪する悪聖人アルフルケス。狂わされし剣神イグスラ。星喰らいの神竜エンシェントアースドラゴン。海水ネットワーク生命体[おおきなうみ]、未来の終末に訪れる第四黙示など──

 死んだり抗ったりあまりに酷いと蘇生神に一斉復活させられたりしながらこの世界の住人達は今日も生を謳歌している。

 ただ、死ぬことも多いが転生という現象が一般にも浸透しているので死生観は少しばかり特異になっていた。

 そんな中、長寿のエルフと呼ばれる耳長種族では不慮の死が無ければ生のサイクルが長い為に、多種族に比べて特に誕生日を祝う習慣があった。それも、毎年は多すぎるということで十年に一度に。

 

 大陸の西方に位置する都市国家クリアエ。つい最近に騒乱を終えて国際的な認証を受けて国家に成り上がった街である。

 今だに治安は不安定だが、新たな国を発展させようとしている活気と騒がしさに溢れている。新興国で商業系の都市国家によくあるのだが人種も様々に流入してきており、その内の一人──異世界からペナルカンドにやってきてあれよこれよと過ごしているクロウからしても、


「百鬼夜行のような……」


 と、印象付けられた。

 クロウは夕暮れの雑多な町並みをすいすいと歩きながらも、そう思っていた。見慣れたとも言える光景だが、感想は変わらない。

 その日は仲間の誕生会があるのだが仕事が立て込んでいて少々遅れていた。先に始めているだろうが、急がねば怒られてしまう。思いながら繁華街の大通りを外れて、テナントビルの地下に作られた店へ階段を下りて行った。

 中規模の飲み屋を貸し切りにしている集団は数年来の仲間であった。

 集団は少し前まではジグエン傭兵団と呼ばれていた。今は多数の団員は騎士団として国に雇い入れられている。クロウもその一人だ。それ以外にも、平和になった国で店を開いたり、教会を手伝ったり、旅に出たりと別れたものもいる。

 それらの多くが集まるのは久しぶりで、誕生会という名目だが同窓会気分でもあった。

 クロウは店の扉の前で佇んでいる修道服の幼女を見て意外そうに声をかける。

 夕日に淡く色づいた白金色の髪が特徴的な知り合いであった。

  

「スフィ。どうしたんだ、外にいて」

「遅い! クローが遅いから始められんで待っていたのじゃよ!」

「ええ……っていうか主賓がなんで外で待つんだよ」


 腰に手を当てて頬を膨らませている、女子児童という言葉がそのまま適用される姿の少女──スフィにクロウは頭を掻きながら返事をした。

 彼女の誕生日会なのである。クロウの到着まで開始を遅らせるのはともかく、本人を外で待たせることもないだろう。

 何故かスフィは目を逸らしながら、


「そ、それは……」


 と、言葉を詰まらせた。

 クロウが来るまで始めないようにして欲しい、と頼んだのは実のところスフィなのである。

 折角皆が祝ってくれるのに、最初からクロウが抜けているというのは寂しい気がしたのだ。

 仲間達は生暖かい目でその願いを受けて、それなら余った時間で会場の飾り付けをするから、とスフィに外でクロウを待たせたのであった。

 幼女は咳払いをして、


「とにかく! わしの誕生会はこれから始まるのじゃ。ほれ、一緒に入るぞ」

「わかったわかった」


 誕生日だというのに怒らせてはいけないと思って九郎は其れ以上の追求を止め、二人並んで店の扉を押して入った。

 店内は暗かった。この都市でメジャーな付与魔法光源は消され、採光窓は閉ざされ、ずらりと奥のカウンターへ向けて蝋燭が立ち並び、ちろちろと小指の先ほどの火を灯している以外に光はない。

 それぞれ一本ずつ蝋燭が置かれたテーブルに座っていて一言も喋らない三十人程の人間は皆真っ黒のフード付きローブを被っている。支え棒でもしているのか、一様に頭の先が三角形に膨らんでいた。

 クロウとスフィが一歩進むと、金属を擦り合わせる音と共に室内の灯りが減った。

 鋏で蝋燭が一つ消されたのだ。


 更に一歩。金属音。


 一歩。金属音。


 歩──音。


 しゃり/と謂う音/共に/光は消える。


 進む度に部屋全体は暗くなるが、カウンター近くまで辿り着いてクロウとスフィは目の前にある蝋燭に目を見張る。

 生首──虚ろな目を開けっ放しにした女の、首から上が置かれていてその頭に蝋燭が載せられているのだ。

 その後ろで黒い祭服を着た巨漢の神父がぬっと立ち上がる。

 蝋燭に照らされたその頭は──牙の伸びた猪に似ている。オークという獣人の一種だ。


「さあ」


 その口から低く、嘲る響きを持った声が響く。

 どこか息苦しく火で生暖かい空気に更に重圧を掛ける声だった。

 

「生誕の、祭礼を始めようか──」


 クロウとスフィはお互いに目配せをして、小さく頷き手を構える。

 行動に移すのは同じだった。二人の口から全く同じ言葉が叫ばれる。


「──なんの儀式だこれー!?」


 ツッコミを入れた。

 その言葉に周りの黒フード達から笑い声が上がり、店中を覆った暗幕が落とされる。

 カウンターに隠れていて劇的に出てきたオーク神父もはにかんだように頭を掻いた。集まった皆も何故か用意していた黒服を脱ぎ捨てて次々に、


「スフィー誕生日おめでとー!」

「おめでとうスフィ!」

「ハッハッハ久しぶりに聞いたな夫婦ツッコミ! やっぱうちの団はこれがねえと!」


 笑いながら蝋燭を片付けたりテーブルを戻したりして宴会の準備を整え直す。

 当のスフィが手を振り上げて近くに居た中年男、ジグエンに怒鳴る。


「こぉりゃー! お主ら! ちょっと目を離した隙に何を悪戯しておるのじゃ! というか夫婦じゃないわ!」

「ぷっふースフィたん顔真っ赤ー!」


 冷やかすように言いながらおどけて逃げまわる中年。

 彼こそクロウやスフィが所属していた傭兵団の団長で、現政権の正騎士団一課(戦闘、警護担当)部長のジグエンであった。異世界に迷い込んだクロウを拾った恩人でもあるのだが、世間知らずなクロウと未熟なスフィは彼によってよくからかわれていた。

 しかしだんだん世界に慣れてくるとクロウも性根が落ち着いているので、


「うわ、デコに蝋燭の痕ついてるぞイツエさん」

「え、本当ですこと!?」

「無駄な演出するから……」

「わ、わたくしだって悪趣味だと思いますわよっ!」


 マイペースにカウンターに置かれた生首と会話していた。その横で首無しの二メートルはある巨大な全身鎧が右往左往している。


「ちょっと待ってて、ぼく傷軟膏を貰ってくる」


 慌ててオーク神父は店の奥に薬箱を取りに行った。



 気品のある少女の顔をしたその首は名をイートゥエと云う、デュラハン化した姫騎士である。クロウには発音しにくいからイツエと親しみを込めて呼ばれている。お返しにクロウもクロちゃんと呼ばれているが。

 ある国で起こった戦争に於いて、第二王女である彼女が戦場で騎士として出陣した──そういう伝統があった──のだが、敵に捕虜にされた際に、


「くっ! 辱めるぐらいなら殺しなさい!」


 と、お決まりの台詞を言ってみたかったので言ったら本当に斬首されたという残念な姫騎士である。

 破壊不能だった呪いの鎧ごと埋められて蘇生した頃には国は滅んでいて、とりあえず鎧を何とか脱ぎたいのでその方法を探して旅をしたり傭兵として金を稼いだりしている。なお、鎧がでかいだけで体は人並みに小さいらしい。

 そして数年前まではクロウと同じ傭兵団に所属していたのであった。

 オーク神父の方も旅の巡業神父だったのだが、偶々通りかかった時に、


「君、いいカラダしてるね! チームに入らないか!?」

「いや、ぼくは争い事とか苦手で……」

「大丈夫大丈夫! 筋肉があればなんでもできる! それに頑丈な後衛職とかマジ便利だからさ!」


 無理やり団長に勧誘されて仲間になったのであった。オーク種族の性格は両極端で、山賊などをしている荒っぽい者か、押しの弱い気弱にすら見える者かに別れる。彼は後者で人に頼まれると嫌と言い難いのであった。

 なお、オーク種族は特有の個人名をあまり持たない文化だ。区別としては職業や性格などを名乗るようにしている。だから神父のオークはオーク神父であり、他にも例えば野獣オークとかオークシェフとか塩オークなどと呼んでそれを名としている。

  


 ともあれ、傭兵団が解散してから、イートゥエは鎧の呪いを解く方法を探すために東方へ、オーク神父もよくよく旅に出ているので久しぶりに見かけた面々であった。

 スフィの誕生日にかこつけた集まりに手紙で呼ばれたのである。

 首無し大鎧の体に首を持たせて器用に自分の額に軟膏を薄く塗るイートゥエに、クロウは顎に手を当てながら感心する。


「いつも思うが器用だなー」

「体の方は体の方で見えてないのに思う通り動くのですわよ」

 

 デュラハンは首が見てないところでも体は半自動的に行動を続けることができるという。

 そして頭を首の切断面──白く濃い蒸気のような靄が掛かっていて断面は見えないが──に置き、お気に入りのマフラーを巻いて固定する。背の高さは軍馬乗用の大型魔導鎧で2メートルを越えるというのに少女の顔というアンバランスさがある。

 ジグエンを叱るのを諦めたスフィが近寄ってぺしぺしと鎧を叩いた。


「しかし久しぶりじゃのーイートゥエも。何処に行ってたのじゃ?」

「海を渡って東方の島国に行ってましたの。ほら、うちの隊に居たニンジャの……なんて名前だったかしら」

「なんじゃったかのー?」


 話題に出しかけて頬に手を当てて首を傾げるイートゥエ。手を当てなければ首が落ちる為に癖になった仕草である。

 クロウと神父がすっかり影の薄かった忍者の名前を忘れている二人に教える。


「シックルノスケだろ。ユーリ流鎖鎌術とか謂うのを使ってた……」

「そういえば彼は来てないみたいだね」


 きょろきょろと見回す神父だった。

 なお、実際にはこの会場にユーリ・シックルノスケは来ているのだがナチュラルに潜んでいるので誰も気づいていない。戦場では裸で飛び回るために目立ち、日常では地味すぎて忍ぶと評判の忍者なのである。

 ともあれ名前を聞いたもののニンジャの詳細を思い出すことを諦めたイートゥエは咳払いをして、


「とにかく、ニンジャから東方のサムライファイターには[斬徹剣]という硬い物でも切れる剣術を使う達人が居ると聞いたので、鎧を壊して貰おうと探していたのですわ」

「ほー。しかしまだ着てるってことは……」

「ええ……結局駄目でしたわ。探しに探して切れる者は見つけたのですけれど、この鎧は鋭い切断力に対しては切断面を流体状にして瞬時に修復するようになってますの。鎧ごとわたくしの体を真っ二つにしたのにすぐにくっついて……斬られ損でしたわ!」

「アンデッドって頑丈だな。ジグエン団長の必殺剣[ゴーレム爆砕伝記]で壊そうとした時も中身に衝撃だけ通って骨がべっきべきになってたけど」

「痛いものは痛いんですのよ!」


 腕を組んでクロウを見下ろしながら抗議する。

 死者は魂を運ばれ転生することが宿命付けられているこの世界でも、己の魂を死体や無機物に移し延命を行う者も居てそれらを不死者アンデッドと呼ぶ。名義的には不死であるものの寿命が遥か長くなっただけで死はいずれ訪れるし、死に至る殺され方もある。また、不死化には幾らかその後の制限がある──生殖が不可能になる、多くの国では税金が増えるなど──為に、その後に良い頃合いを見て死を取り戻す者も居るという。

 イートゥエの場合は彼女の実家に伝わっていた呪いの魔導鎧[ネメシスアドラスティア]による強制効果でデュラハン化しているのであった。死に急ぎたいわけじゃないが、もう何年も風呂にも入れていないし鎧は生活に不便だしで早く外したいのである。

 思い出したように身をかがめて、


「そうでしたわ。スフィにお誕生日のプレゼントを持ってまいりましたの」

「お! すまんのう! ありがとーイートゥエ!」


 嬉しそうに見上げる少女はわくわくした表情を隠そうとしない。

 苦笑しながらも床に置いていた物を持ち上げ、


「お土産みたいですけれど東方で手に入れたもので……これはポールアクスの一種で[方天戟]といいますの。意匠が秀逸ですわ! これを差し上げますわ!」

「プレゼントに文句を謂うつもりは無いけど重くてデカイんじゃよ!?」


 明らかにスフィの体よりも巨大で重量のある戟をすいと取り出したので思わず下がる。

 どう見てもスフィでは持ち上げることさえ出来なさそうだ。

 言われて、イートゥエはさっと冷や汗を掻きながら目を逸らした。


(……カッコいいから思わず買ったけど、スフィには無理ですの!)


 と、いうことに今更気づいたようである。


「ち、違いますわこれはその、冗談ですのよ。本当はこっちのお面を差し上げますわ」


 言い直して道具袋を漁り、取り出したのは顔の目元から上を覆う形になっている半面である。白い作りに赤い隈取がしており、上の方にちょこんと耳が突き出している。

 クロウはまじまじと見ながら、


「狐面か? へえ、お祭りみたいだな」

「ふふふ、それだけじゃありませんことよ」


 そう言ってイートゥエはスフィの顔に面を近づける。すると、紐も無いのにぺたりと彼女の顔に面が張り付き──、

 ぼふ、と小さな煙が上がると、スフィの腰からふさふさの尻尾が飛び出て、手が丸くデフォルメされた獣の肉球つきの手になっていた。


「このように変身する道具なんですの! あら可愛らしい」

「ぬあ! なんじゃこりゃあー! 肉球、肉球があるぞクロー!」

「わかったから押し付けるな」


 ぐいぐいとクロウの腹を押しまくるスフィの両脇に手を入れて高く掲げるように抱き上げる。

 すると周りの目線が狐スフィに集まり、歓声が上がった。


「あのあざといエルフ今度はケモ属性まで手に入れてるぞ!」

「ぶっはははははスフィ可愛ゆっ!」

「スフィたんイェイイェ~」

「スフィたんイェイイェ~」

「ハッピバースデー、ディアスフィたーん!」


 皆から持て囃されているスフィは顔を赤くして持ち上げているクロウへ振り返り、


「こ、これ降ろさぬかクロー!」

「はっはっは。新しい宗教でも開ける勢いだな」

「まったく……ま、まあ皆が祝ってくれるのは嬉しいがな!」


 降ろされたスフィに今度は神父が、


「それじゃあぼくからはこれをプレゼント」


 と、取り出したのは硝子の瓶に入れられた、氷の結晶に包まれている樹の枝であった。

 硝子越しにも冷気が伝わるが、中に溶けた水が滴っている様子はない。


「おおっ! これは永久樹氷じゃな! 氷竜山脈に行ったのかえ? ありがたいのう」

「うん。麓の集落にまでね。山は怖くて行けなかったよ」


 寒気を思い出した神父はその巨体を怯えたように震えさせる。

 永久樹氷と言うものはエンシェントアイスドラゴンが生息する大陸の北にある山脈で取れるものだ。その雪山では凍りながらでも成長する樹木が一見枯山の白骨樹のように伸びていて、長い間をかけてドラゴンの精霊力を浴びた樹氷は解けない氷と化する。

 神父は旅神の信仰者な為にあちこちを旅して回っているのである。旅記なども出版していてそれらは全て司祭としての活動にあたる。中には危険な場所を選び冒険をする者も居るが、このオーク神父は体力と腕っ節こそあるものの臆病で慎重な性格なので基本的に町から町への旅を主にしていた。

 北国の珍しい物を受け取って嬉しそうにしているスフィに、クロウがしゃがんで懐から己のプレゼントを取り出した。


「スフィ。これは己れから」

「おうありが……む? この小箱は……」


 彼が渡したのは濃紺色の布で出来た手のひらに乗るぐらいの箱であった。シックな作りであるが手触りのよく高級感があり、開く切れ目が横についている。

 中に小さな何かが入っているようだが……


「実用性のある物を、と最初は思っていたんだけどな、やっぱりお前が喜びそうな物は何かって真剣に考えて……知り合いとかにも聞いて選んだんだ」

「ク、クロー……これはまさか」


 口をあわあわさせながらスフィは真剣そうな顔のクロウと小箱へ視線を行ったり来たりさせた。

 周りも冷やかさずに神妙な面持ちで二人を窺っている。

 その小箱は──丁度、指輪のケースに見えた。

 それに気づいた途端茹だったスフィの頭が著しい混乱に包まれる。


(ここここここの朴念仁オブザイヤーに選ばれたこやつがいいいいいや待て! 別にこれは婚約とか結婚とか金婚記念とかそういう指輪じゃなくて誕生日なんだけどそれってやっぱりそういう)


 当のクロウ──スフィの視界からだと美化五割増し──が目を細めた笑みを浮かべて、


「さあ、スフィ開けて確認してみてくれ」

「うみゅー……」


 もはや大変な状態だった。

 大変な状態だったがなんとか震える指で小箱を開けると──中には宝石のようなものが一つ入っていた。

 クロウは頷き、説明する。


「己れからのプレゼント──超高級のど飴だ」

「ダメだこいつううう!!」


 スフィのみならず周りからも凄い怒鳴られてクロウは理不尽を感じた。

 折角最近知り合いになった菓子好きの妖精からオーダーメイドの店を紹介されて作ってもらったのに。

 

(やはり模写コピー用紙と文房具のセットとか、商品券一万クレジット分とか実用的なものにしておくべきだったか? いや、歌神司祭にとってはのど飴も実用的かつ甘いという完璧だったはずだが……)


 微妙に怒られる反応だったのでクロウは何処を反省すればいいのかと悩んだが、ポイントがずれているのであった。

 

「プレゼントもいいけど片付けも終わったからそろそろ乾杯しようぜー!」


 ジグエンの提案で一同はとりあえずそれぞれ並べられた席に座る。

 上座はスフィでクロウも近くに座っていた。全員の前に少しだけ白く濁った酒が入れられたジョッキが置かれている。スフィだけは紅茶にちょっぴりブランデーを入れたものだったが。

 元ジグエン傭兵団の定番になっている特殊な酒である。

 質量よりもアルコール量が多いという謎の魔法酒[濃縮アルコール2000%]を、異様に体に水分が吸収されやすいスポーツドリンク[やったぜ水中毒]で割った危険なカクテル──その名も[バンカーバスター]。飲み口が柔らかいまま致死量のアルコールを摂取出来てしまうという恐るべき飲み物であった。

 ジグエンが手にジョッキを持ったまま立ち上がって、


「えーそれではこの度スフィの誕生日と皆の健康を祝って──乾杯!」

「乾杯!」

「プロージット!」


 ぐい、とジョッキを煽り──


「そして即死!」


 誰が叫んだか、全員で叫んだか、基本的に人間種族の皆は即座に腰砕けになる。酒に強いオークと不死化しているイートゥエは平気であるが。

 意識は朦朧となり、呼吸は絶え絶え、動悸は脳に響き、粘膜が焼けている。とにかくヤバイ状態だ。このままだとジミヘンめいた死に様になってしまうだろう。

 溜め息混じりに呆れたようにスフィが立ち上がる。


「この馬鹿共は学習をせぬからのう。聖歌──[軽やかなる音楽団]!」


 と、彼女の歌が始まった。歌い手一人だけだが、何処からか様々な楽器の穏やかで癒される伴奏も聞こえてくる。

 歌神司祭に与えられた秘跡サクラメント、聖歌である。これにより効果を齎されたものは、体調回復や戦意高揚などの様々な恩恵を受ける。

 戦時中から幾度もスフィが傭兵団を助けてきた後方支援能力であるが、一番多く救ったのは飲み会の度に死にかける急性アル中の集団の内臓だろう。

 むしろ何度も打ちのめされて復活しているので彼らの肝臓はどんどん強くなっている。騎士団内でも元ジグエン傭兵団が酒に強く、飲み会では絡んで他の騎士を酔い潰させてくるので[アルハラナイツ]という嫌な称号を与えられている。 

 スフィの歌で徐々に回復してきた皆が赤ら顔で笑いつつ起き上がりだす。


「俺たちは訓練されてるからな……!」

「よし! 儀式終了!」

「さあ宴はこれからだ!」


 クロウも軽く頭を抑えながら酒臭い息に顔をしかめつつ、新たに注がれた真っ当な低度数の麦酒で口直しをする。水のように爽やかな味に感じられた。

 

(スフィが回復させてくれると思わなければとても一気飲みなんてやれんが……これ後々体に悪影響ありそうだよなあ)


 この悪習とも言える急性アル中イッキスタートは、[バンカーバスター]のカクテルを開発したのがそもそもクロウな為に彼も抜けられないのであった。敵に送りつけて酔わせたところをガツンと夜襲かけるためのものだったのだが。

 テーブルに並べられたケーキや豚足を切り分け各人が皿に取っていく。ジグエンが豚足片手に神父に絡んでいるのはいつものことである。豚足を丁寧にナイフとフォークで食べるのはイートゥエぐらいだ。おもむろに握って引っ張ったり噛み付いたり顔と手を汚しながら豚足を食べているスフィの顔を時折拭ってやる。周りの皆も豚足で盛り上がってくる。

 やけに豚足を始めとする豚肉料理が多いが、つい近頃家畜にかかる感染症で大量の豚が廃棄処分になったので表で流通できない加工済みの豚肉を騎士団の面々がトン単位でちょろまかし一部を持ってきたのである。毒素が出る前に加熱加工したものだから食べても平気だ。

 そうこうしていると入り口の戸が開いて誰か入ってきた。

 紺色の制服を着て帽子を被った姿の営業スマイルを浮かべた男だ。


「こんにちはー、伝神でーす」


 謂う。

 ペナルカンドでも最も多くの人が目にしたことのある神──偏在するメッセンジャー、伝神である。

 大抵何処の街にも居て、手紙を届けたり通話機を持ってきて遠隔の人物から言葉を繋げたりするという便利な神だ。幾らか制限があるが、大陸の反対側でもメッセージを届けることができる。ただしそれ以外は届けないし他人に検閲させることも決して無い。

 彼は古めかしい黒電話を取り出して、


「スフィさんにフローライトさんから通話が届いてまーす」

「おっ。姉上じゃな。祝電かのう」


 いそいそと席を立って通話機へと向かうスフィ。

 クロウの隣に座っていた神父が感嘆の溜め息をついて、


「スフィさんがエルフのお姫様って本当なんだね……」

「ん? 確かにそんな噂はあったけど……」

「フローライト様っていうと今の女王だよ、エルフの」

「へえ……」

 

 麦酒を飲みながら、黒電話に話しかけているスフィをちらりと見やる。

 エルフの国では基本的に寿命が長い為に治世も長くなり、他の王族がいざというときの予備元首などという役目にならなくとも良い為にスフィも国を離れて一人暮らしをしている。種族間の争いも少なく、町内会長程度のノリで王が決まるのがエルフの社会であった。

 会話をしている様子のスフィの顔が、最初は懐かしげだったのに徐々に険しくなってきていることに周りの人間が気づきだした。


「は? 結婚? しとらんが……」

「そろそろ良い人をって私まだ若いし……」

「アラフォーってどこでそんな言葉覚えたのじゃ!」

「はいはい分かった分かった! 探しとくからその話は終わり!」


 次第には怒鳴りだす。なお、今日はスフィ40歳の誕生日である。見た目は女子小学生低学年だがクロウよりも年上なのだ。

 元傭兵団の面々も、「エルフ社会でもあるのか独女問題……」「俺も親が孫の顔を見てから死にたいって言っててさ……」「なんで前衛職なんて選んだんだろあたし……筋肉女の需要は特殊じゃん……」などと顔を曇らせる者が出てきている。

 妻帯者も居た堪れなさそうにしていた。全然気にしていないのか食べることの方が大事なのか、イートゥエは相変わらず豚足の山を減らしていっていたが。

 

「はあ!? 母上がこっちに!? なんでさ! お見合い写真持ってくる!? ちょ、そんな勝手に……! え? なにもう10クレジット無いから通話切れるって女王なのに小銭ケチってないでよ! ちょっとー!」


 口調が素に戻りつつ叫ぶが、通話機からは無慈悲な伝子音が聞こえるのみであった。

 ぺこりと伝神は頭を下げて、


「またのご利用をー」


 とだけ告げてさっさと出て行く。

 酷くげんなりした顔のまま固まっていたスフィに、クロウが慰めの声をかけた。


「ま、まあ気にするなスフィ。まだ全然お前若いだろ」

「うー……! むー……! 腹が立つが……それより母上がこっちに向かっておるのが不安じゃ」

「スフィの母さん?」

「そうじゃ。まあ一言でいうとその場のノリだけで生きている、脳味噌を婆様の胎に置き忘れてきたような女でのう」

「酷い言い草だ……」


 スフィは溜め息混じりに毒を吐く。 

 

「先代の王……私の父がキャバクラで遊ぶ金を手に入れる為に樹齢500年の霊樹を切り倒して業者に売った罪で禁固500年になって王をクビになったのをいいことに、自分も世界中を放浪の遊び旅に出て以来見とらんが……」

「父親も大分アレだな……言っちゃなんだが」


 そんなんで大丈夫なのかエルフの国、とクロウは思った。

 スフィは諦めたような笑顔を見せて、


「ま、そうそうすぐに来るわけはないしのう。今日は誕生会じゃし忘れて楽しむことにするんじゃよー!」

「あ馬鹿そんなフラグ立てたら──」


 クロウが言い咎めようとしたと同時に、伝神の出て行った扉が蝶番を破壊せんばかりの勢いで内側に開けられた。 

 

「スフィーちゃーん! わたしの可愛いスフィアライトちゃん! 誕生日おめでとー! 今日で立派なジャスフォーねー!」

「ぐえーっ!」


 入ってきたのはエルフ種族の女だ。そのままの勢いでスフィに抱きつき引き倒す。

 クロウが十人並の感想で表現するならば美しい女であった。腰まで伸ばした癖のない銀髪を揺らしながらスフィに抱きついている彼女の無邪気な笑顔はスフィと似ている。

 美幼女であるスフィを大人にまで外見を成長させて胸を豊満にさせればそうなるであろう容姿の女──明らかにスフィの母である。

 そして、彼女に続いて入り口から異形の者が二人、武装したままぬっと店に入ってきた。

 一人は白い毛並みをした人獅子ワーライオン種族である。体つきは筋骨隆々の人間に似ているが首から上は立派な鬣のついた獅子になっている。手には天井まで届く長大なクレセントアクスを持っている。

 もう一人は──形容するのは難しいがデフォルメしつつ縦に伸ばしたペンギンに似た姿をしている鳥人種族である。赤い顔をした頭部には帽子に似た兜を被って、手に持つ武器はあからさまバズーカ砲であった。

 バズーカ砲と言うのは機神を崇めている工業都市でバズーカ博士が作った前衛的な目覚まし装置なのだが、抗えぬ速度で軍事転用されることになった魔力砲弾発射機の通称である。

 然し乍らその二人の獣人、

 

(かなり、手練れている……)

 

 と、元傭兵の皆はその二人の実力を一目で判断した。

 潰され頬ずりされていたスフィが無理やり母親を引き剥がし、彼らを指さして尋ねる。


「は、母様。その二人は……?」

「そうねースフィにも紹介しなくちゃ。わたしの義姉弟きょうだいなのよー」


 彼女がそういうと大きく頷いて白い人獅子が咆哮の如く名乗りを上げる。


「我こそは三姉弟が兄、カンヌなんぬ!」


 そう言ってクレセントアクスを掲げる。続けて鳥人間が、


「俺様は燕人・ハルヒ!」


 バズーカを天井に向けて斧に交差させるようにした。鳥の種類としてはペンギンでなく燕だったらしい。

 その中央にスフィの母が入り魔法の発動媒体用に見える装飾剣を交差の中央に伸ばして打合せた。


「そしてわたしは長女のルビーよー」


 三名は唱和する。


「我ら生まれた時は違えど、死ぬ時は共にあらんことを……!」


 ルビー、カンヌ、ハルヒの三姉弟はそう言ってポーズを決める……!

 

「アホかあああ!!」


 叫びと同時に歌神司祭の固有技能、指向性音衝撃波をぶっ放して三人をぶっ飛ばすスフィ。

 壁に叩きつけられて──ルビーは男二人がクッションになって庇ったが──倒れ伏した三人に腰に手を当てたスフィが謂う。


「どこぞで男を引っ掛けたとか詐欺にあって内臓を売ったとか野生のオークの集落を消滅させたとかならともかく、なんで他種族と義姉弟なんぞ作っておるのじゃこの馬鹿母はー! っていうか誰だよこのおっさん達!」

「なにそれ怖い」


 オーク神父がぼそりと彼女の言葉の端に反応する。世間ではオークの扱いの差別的酷さで国際問題になっているというのに。 


「ふ、ふふ。さあ皆、誰かと聞かれたらー?」


 ゆらりと立ち上がって三馬鹿は不敵に笑いそれぞれの武器を構える。


「ルビー!」

「カンヌなんぬ!」

「ハルヒ様だ!」


 早口で言って素早くそれらを再度掲げ、


「我ら生まれた時は違えど、死ぬ時は共にあらんことを……!」

「誰が名乗り直せと言ったああ!!」


 天井ネタでもう一度ぶっ飛ばされた。爆笑する傭兵団の面々。すでにそれを肴に宴会を再開していた。全裸になって居る者も多く見られる。

 身内の恥を始末しようとしたスフィは肩で息をしながら涙目になりつつ睨みつけた。 

 頭の中身におがくずが詰まっていてそれを蟲が餌にしている程度の知能しか無いと思っている母だったが、まったく意味がわからなかった。

 誰だっていきなり暫く見ていなかった母が義兄弟を連れてきたら詐欺か宗教か低脳を疑う。

 スフィは肩を怒らせながら振り返り、


「ええいツッコミが足らん! クロー! お主もなんか言ってやれ!」


 と、家族の問題とは関係がないのにクロウに呼びかけた。

 スフィが振り向いた先で、てっきり呆れているか半眼になっているかと思っていたクロウだったが……彼は目を見開いて義姉弟をじっと見ていた。 

 驚いているような、嬉しそうな不思議な顔だ。

 スフィにも見たことがない。


「クロー……?」

「ん? あ、ああ。そうだな。何もそんなに怒らなくていいんじゃないか? はるばる誕生会に来たんだし……」


 そんなことを言って、クロウは倒れている連中に近寄って手を差し出した。


「大丈夫か?」


 妙な優しさを見せるクロウにスフィは訳のわからぬ嫉妬のようなものを感じる。

 そいつらは敵でこれから縄で縛って馬車に括りつけ地面で削りながら大陸の果てに送り返す相手だというのに。

 何故クロウは手を差し伸べるのか。


「あ、ありがとー」


 言って、手を握ろうとするルビー──をスルーしてその後ろに居るハルヒという燕人間を引っ張り起こした。

 

「うわっ! 結構手触りいいなこれ!? 羽毛か!」

「なんだテメエ!? 何しやがる!」

「まあまあ、ほらこっちに来て飲めよ! おーいすまんこいつにタフルトをジョッキで!」


 クロウは店主に飲み物を注文する。タフルトとは乳酸菌飲料と健康飲料を混ぜた淡い黄色のドリンクである。名前こそ違うが、日本で有名な乳酸菌飲料会社の本社にある喫茶店で飲めるあれだ。

 偶々この世界にも似たものがあったのである。

 何故かいきなり引っ張られて歓迎を受けて困惑しているハルヒ。

 実はクロウという日本出身の男──元の世界に居た頃は大のヤクルトスワローズファンなのであった。

 往年の関根監督時代から応援しており、現代でも活躍しているマスコットが登場した年も覚えていた。出てきたその前の年と翌年にはスワローズが日本一に輝いていたからだ。

 そんなわけで自分の名前とも似ている球団マスコットそっくりの燕人、ハルヒを一目で気に入ったのである。テンション上がっているのである。

 なお、もう一人の人獅子カンヌも某球団マスコットに酷似しているが権利関係がより複雑なので仔細は伏せる。

 

「やっぱりお仕事でやってるのか? なあちょっと腹触ってみていい? 年俸いくら?」

「なんだこいつマジで……あ、美味いなこれ……」


 ハルヒに構いまくっているクロウを、げんなりして半眼で見ているスフィに、ルビーが後ろから抱きついて声をかける。


「ところでスフィちゃん。お見合いのことなんだけどーとりあえず目ぼしいエルフと他種族を108人分ぐらい候補集めてきたわー。おすすめの樹人種のクリストウッドさんとかー長生きだし渋い俳優さんよー」

「ええい、お見合いなどせんわ! 番う相手なんて自分で探すから大きなお世話じゃ!」

「もう! 行き遅れる子に限ってそんなこと謂うのよー! ぷんぷん」


 凄まじくいい年をして可愛子ぶる母親に対して、死ぬほどどうでも良い気分になった。

 ルビーは我儘を謂う娘を叱る気配で腰に手を当てて胸を張り、


「とにかく、スフィちゃんがお見合いしてる姿を見せてくれないととママ帰りませんからねー! 『後は若いお二人で……』って言ってみたいのー」

「だからせんと言っておろう」

「あ、帰らないってのは百年単位で付きまとって毎日お見合い話持ちかけるわよー」

「……」


 エルフは嫌がらせにしても何にしても寿命が長い所為か気も長い。なにせ先代王からして霊樹を切り倒しておいて「五百年あれば再生するから大丈夫だって!」と弁明したので禁固五百年の刑に処されたのだから。

 うう、と唸ってどうしたものかと彼女は悩み周囲を見回す。

 そしてスフィは、いつになく良い笑顔で燕人間にワカマツがどうとか云う謎の話題を振っているクロウへ駆け寄って、シャツを引っ張り母親に、


「ちょっとタイムじゃ」


 と、告げて少し離れた所で声を潜めて相談する。


「のうクロー、これこれ謂う事で私の母が見合いを薦めてくるんじゃが、どう断ったものか……」

「なんだそんな事か。それならいい考えがあるぞ」

「本当か!」


 クロウは頷き、告げる。


「要するにだ、スフィが独り身だから心配してお節介をかけてくるわけで、まずは知り合いと適当に付き合っているとか嘘をついてこの場を誤魔化すわけだ」

「ふむふむ」

「それで後日関係はどうなったか、とか聞かれたら別れたとか合わなかったとか言って無かったことにする。次にまた見合いを薦めて来そうになったら別の奴とくっつきそうな振りをしてその場を凌ぐ。そしてまた別れたと報告する。これの繰り返しにより恋愛能力の無能さを知らしめるわけだ。次第に『ああこいつに見合い薦めても駄目なんだろうな』と親も諦めるって寸法だな」

「……」

「この手法は生活保護費の不正受給にも応用されていてな、職安で紹介された仕事を尽くクビになるか不採用を受けるように振る舞い、無残な結果だけを残して申請すると就業能力が無いと判断されて保護金が降りる可能性が──なんだその詐欺師を見るような目は」

「クロー……お主その悪知恵を悪用しておらぬよな?」

「するかよ!?」


 完全に胡散臭い者を見る目になっていたスフィにクロウは否定を入れた。

 単に彼は役場の騎士をやっているからそういう詐欺行為に詳しくなっただけである。断じて結婚詐欺師などになる男ではない。まじめに働く公務員なのだ。

 

「この場合は……適当に、知り合いと見合いをやる予定が予めあったとか言えばいいんじゃないか? 見合いさえすればひとまず満足だろ。後で聞かれたら駄目だったとか裁判中だとか言っておけばいい」

「ふ、ふん。それなら! 言い出しっぺのお主が見合い相手になって貰うが良いな!?」

「ああ、別にいいぞ。説明の手間も省けるし」

「うぬ゛ー!」

「なんでキレてんのこの子……」


 しれっとした顔で引き受けるクロウに、演技とはいえ見合いをすることを申し込んだスフィは己のなけなしの勇気を貶された気がして肉球でぽかぽかと彼の肩を叩いた。クロウは柔らかくて和んだ。

 この「ままごとに付き合う」といった余裕がまったくもって気に入らなかった。

 ともあれ彼女はクロウの袖を引っ張り、母親の前まで連れてくる。


「母様、どおおお……しても、お見合いをやりたいというのなら私はクローとするのじゃ」

「あら」


 ルビーは無害そうな営業スマイルを浮かべているクロウを見上げて口に手を当てる。


「あらあらあらあら。貴方、スフィちゃんの良い人だったのー? ねえねえ、スフィちゃんのどこが好きー?」

「そうですね、よく気がついて人の事を思いやれる性格とか、気が強くて人とぶつかることもあるのですがお互い思いやって歩み寄ることができたり、小さな子供に優しくて頼られる所とか……」

「あー! あー! うー! 五月蝿い真顔で変なこと云うなー!」

「ぐっ……何故なんだ……」


 素直にクロウが、小学生の通信簿をつける気分で彼女の美点を上げていたら理不尽に怒られて背中に上ってぐいぐいと首を締められた。

 自分で紹介しといてスフィの顔は真っ赤である。

 周りで見ていた、大体の事情やら双方の気持ちやら把握している仲間たちは顔面筋に必死に笑いを堪えるように命令してぷるぷる震えている。

 なお、スフィは自分がクロウに好意を持っている事を誰にも気づかれていないと思っているが、クロウ当人以外の仲間は当たり前のように知っていた。紳士淑女協定により見守るかさりげない手伝い以外の行為は禁止されているが。


「それでお仕事は何をー?」

「ええ、この国で騎士をしていまして。まだ役職者という訳ではないのですが……」

「まあ公務員。収入の方も安定してるわー。あ、でもお付き合いをしているのに改めてお見合いというのもおかしいかしらー?」

「いえいえ、ご存知の通りこの国は数年前まで政情不安でして、まだ正式にという形でもなかったので」

「そうなのーうふふ、ならわたしに任せて! 良いお見合いのセッティングしちゃうから!」

「はっはっは」


 クロウはしれっとした顔のまま遣り取りをする。

 スフィの好ましい点。騎士をしている。スフィとは付き合っていない。それだけしか言っていないので何も嘘はついていない。これは詐欺ではないのだ。表情に後ろめたい感情や欺瞞の色が浮かぶわけもなかった。

 嘘発見器にも引っかからないしイタリアのギャングに顔を舐められても気づかれないだろう。

 

「それじゃあスフィちゃん! 追って日取りとかは知らせるわ! これからママいい場所の予約とか入れてくる! これがわたしの誕生日プレゼントよー!」

「あーうん、そりゃどーも」

 

 クロウにあっさり騙されまくっている母親に微妙な感情を浮かべながらスフィは生返事をした。

 そしてルビーは二人の義兄弟を連れて嵐のように店から立ち去っていく。ハルヒが出るときにクロウが名残惜しそうにしていたが。

 どこか疲れた空気になっているスフィに、クロウはなんとなく話題を振った。


「……そういえば結婚詐欺で相手が金持ちの場合、職業は公務員より医者って名乗った方がいいらしい。診療所を開けばすぐに稼げるからと開業費とかを実家から搾り取れるとか。中流以下は公務員で鉄板なんだけどなるべくマイナーな省庁に勤めてる設定のほうが」

「クロー。お主やってないよな? 妙に手馴れている気がするぞ」

「やらんやらん。女から金を騙し取る生活などやれるはずがないだろ、己れが」

 

 半眼で否定するクロウの言葉はなるほど、彼の人格からすれば説得力のある言葉ではあると不承不承頷いた。

 ただ理由あれば口先だけで金を集めることも、恐らくクロウは可能なのだろうとは思ったが。

 

「ま、お見合いの時になれば適当に雑談で時間潰して最後は己れが丸め込むから気にするな。それよりほら、誕生日会を続けようぜ」

「うーむ。そうだのう、頼りにしておるぞ、クロー。馬鹿は忘れてお酒じゃな! 皆! 呑んでおるか!」

「大変だ団長が一発芸でケツから酒飲んで死んでるー!」

「馬鹿が!」


 かつての上司相手に皆一斉に吐き捨てる。

 再発生した患者の救助に再び聖なる歌が室内に響くのであった。少なくとも、ケツに酒瓶突っ込んでいる人を癒やすための歌ではない上に短期間に急性アル中が二度ネタなので神の判定により完全回復とまではいかなかったが。

 いつも通りに、或いはいつか通りに元ジグエン傭兵団の面々は大いに飲み、笑って宴を過ごした。

 異世界人クロウもすっかりその空気に馴染んでいて、素直に楽しいと思える日々であったという。




 *****




 宴が終わり、何人かは店で潰れて床に沈んだままだが、その他の者は己の家に帰る時刻だ。

 クロウなどは翌日に仕事がある為に頭痛薬[頭脳洗感がある]というものを飲んで安アパートに戻っていった。逆に不安になるぐらい二日酔いが来なくなる薬だ。ラベルに[比較的安心][当社比五割]などという文字が並んでいるのが非常に怪しい。製造元は何度も薬事訴訟を起こされている製薬会社だ。しかし効果が確かなので使うものは多い。

 スフィは教会近くに一軒家を借りていた。司祭ならば教会で寝食を得ることができるのだが、自立した生活を好む彼女は一人暮らしである。

 送ってくれたイートゥエに茶を勧めたが、夜風を当たりたいということで玄関で別れることになった。

 スフィから見上げたら聳え立つ壁のような姫デュラハンは手で髪を掴んで首をぶら下げて目線を同じ高さに合わせて、


「クロちゃんとのお見合い、うまくいくといいですわね」


 と、悪戯っぽく笑うので、スフィは鼻白んで返す。


「うまく破綻させるのじゃよ」

「あら素直じゃありませんこと。ふふ」


 そう言ってイートゥエは濃紫色の鎧を動かして、闇の中に溶けていくように帰っていった。夜中に路上であったら知り合いでも驚くだろうな、とその後姿を見ながらスフィも家に入る。

 寝るために服を着替えて狐面を外して髪を梳かし、顔を洗って鏡を見た。

 不機嫌そうな、しかしもんにょりとした笑いと表情が融合してなんとも奇妙な顔をしている自分が睨み返していた。

 思わず鏡の自分に、頬をつねりながら真顔でツッコミを入れる。


「可愛くないのう」


 そしてふらふらとベッドに向かって、頭から布団に飛び込んだ。 

 顔を柔らかな兎毛布団に押し付けたまま、声を上げる。


「あ゛ー」


 吐き出す言葉と同時に一度肺の空気を抜いて、埃っぽい空気を吸い込みちらりとベッドの端にあるテーブルに置かれた超高級のど飴──値段は聞かなかったが、スフィも知っている菓子のオーダーメイドをしている有名店の依頼料は彼の月給の3分の1ぐらいはかかるらしい──を見る。

 枕を持って後頭部を抑える。布団と枕に挟まれて声を出した。


「なんっであやつはああも馬鹿なのじゃ……!」


 いつものほほんとしているクロウの顔が頭にこびりついたままである。

 これは良くない兆候だ。これまで何度もあるが、寝不足だったりぬか喜びの夢を見たりする。


「なんでこうもスルーしとるのかー! というかなんじゃ、私に魅力が無いとでも……」


 言って、彼女はもぞもぞと己の体を動かした。


「魅力……魅力ってなんじゃったかのう……くそー」


 明らかにそれが原因だということはスフィにもわかっていた。

 胸は平坦、尻は薄い、太腿は細い、顔は子供、腹筋が無いのでお腹はぷにぷにの幼児体型。

 これに並々ならぬ魅力を感じるのはある種の病気である。無論、ペナルカンド世界でもそのような趣味の人間は居るが、やはり同じように世間体は悪い。

 もしスフィの容姿が一桁年代の幼女ではなく、クロウと同じ年代……いや、女子高生並……ギリギリで人間の十代半ばぐらいあればまだ枯れてないクロウも好意に気づいたかもしれないが。


「というかあれじゃな……クローは故郷に年の離れた弟が居るって言っておったから完全にそれの対応じゃな……」


 彼が子供の相手も慣れていることも理由の一つだった。年が一回り離れた兄弟が居たのだという。基本的に兄属性なのである。

 ふにふにと己の体を触りながら出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる己の母親を思い浮かべる。それでいて頭がパーで預金がたんまりあるのだから男にとっては最高の物件かもしれない。

 実際、彼女の義兄弟二人は知り合ったものの「この姉ちゃんほっとくと危ない」という理由で旅に同行しているお人好しの保護者なのであったが。

 いや、彼女の知能指数はともかく、体型を形作る遺伝子は引いているはずだ。

 

「おっきくなればクローも気にしてくれるのに……」


 そう言って、心の中で可及的速やかにナイスバディになれることを祈りながら、彼女は眠りについた。




 *****


 


 数日が経過し──。

 見合いの会場はオーク神父とも関わりのある旅神の教会であった。信者が旅ばかりしていそうな信仰だが、旅の拠点となる教会は多くの街にある。

 それに旅の神は運命の神でもあり、出会いには深く関わる。正確には運命神は別に居たのだが、大分昔に魔女に殺神されてしまって空いた運命神の役割を旅神が仕方なく担っているのである。彼はやれやれ系のイケメン神だと言われている。

 故に見合いの場所と選ばれるのもわからなくは無いのであったが──

 白く飾り付けられ、花で満ち溢れた教会で鐘が鳴り響く。鳩とかは勿論空に飛び立っているし、柔らかで心落ち着く薄い青色の光は最近市場にも出回りだした付与魔法による魔術文字の光明だ。まさに良日といったシチュエーションである。

 絨毯が敷き詰められた道を歩いてきた、普段の修道服に比べることさえできない豪華なドレスを着ているスフィと年に一度着るか着ないかの儀礼用騎士服のクロウが壇上に上がり、オーク神父の前で顔を見合わせる。

 会場には仲間連中がきっちりとした礼服で集い、神妙な面持ちでそれを見ていた。新婦側の席にはハンカチで涙を拭いているルビーが、新郎側の席には無表情で勝手に切り分けた大きなケーキをもしゃもしゃ食っている告死妖精クルアハとデュラハンのイートゥエが見守っている。

 流れている冷や汗をハンカチで拭い、神父が手元のカンニングペーパーを見ながら厳かな声を出す。


「えー、汝ら二人、良き時も悪しき時も、富める時も貧しき時も……」


 それが始まると同時に、クロウとスフィはまったく同じ動作で大きく息を吸い込んで手刀てがたなを入れ、叫んだ。


「なんの儀式だこれ──!!」


 どう見てもお見合いじゃなくて結婚式だった。スフィは怒りのあまりに被っていたベールを床に叩きつける。

 超スピードと催眠術に騙された気分で思わずツッコミのタイミングを測ってしまっていた二人は、集まっている全員に向けても指をさして怒鳴る。


「ネタ振りが長いんだよ! お前ら人をハメるときは奇妙な一体感を見せるなおい!」

「オーク神父! お主も司祭なら自分の教会で悪ふざけをするでないわ馬鹿たれ!」

 

 同じ神職のスフィに怒られて脂汗を流したまま巨漢のオークは目を逸らす。

 基本的に善良な性格をしているのだが、周りの仲間から悪戯を手伝うように頼まれると一応断るのだが皆は折れるまで頼み込むので仕方なく手伝うことが多いのである。

 特に今回は、


(エルフの皇太后様に頼まれた事を断ったら他のオークが犠牲になるかもしれないし……)


 と、罪の意識を持ちながらも彼は言い訳を心の中でしていた。

 

(そもそもクロウくんとスフィさんはお似合いなんだから……)


「聞いておるのか! 神父!」

「……えー、ではビンゴゲームに移りまーす。皆さんビンゴ用紙をお手に」

「無理やり披露宴まで進めやがった!」

「しかもビンゴ用意しておる!?」


 会場の皆がビンゴ用紙を取り出している。すでに飲酒を始めたものも居た。ジョッキでコーヒーブランデーを飲んでいたクルアハは、ビンゴを初めて見るものらしく、隣に座っているイートゥエにルールを教えて貰っている。

 彼女はアンデッドだけあって、一般に忌避されている告死妖精も平気そうだ。


「この数字を潰していって縦一列か横一列揃えば景品が貰えますのよ。揃ったらビンゴって言いますの」

「……ビンゴ」

「早!? まさかのルール無用ファイトですわ!?」


 説明を受けながら、まだ始まっていないのに数字を消していったクルアハがビンゴ景品でエルフの国銘菓マナケーキ一年分を手に入れていた。 

 呆れた様子のクロウの袖を引き、困り切った顔のスフィが見上げている。


「クロー……」

「大丈夫だって。ちゃんと己れが有耶無耶にしてやるから」


 安心させるようにクロウは微笑んだ。

 

(こんな子供に望んでない結婚なんてさせられるかって)


 相手が誰だろうがスフィが嫌がるのならばクロウは邪魔を手伝ってやるだろう。大統領だってぶん殴ってやる気分だ。

 頼もしい事を云うのだが、凄まじく微妙な気分になるスフィであった。


(なんじゃこの男……そりゃ頼んだのはこっちだけど……)


 せめて自分と同じく混乱し狼狽してくれればまだ可愛げがあるというのに、と腹が立つ。

 そもそも。彼には立場上盛大にツッコミを入れたものの、これを台無しにする作戦を立てていた。

 これだけ大掛かりな仕掛けなのだ。もしこれがいつもの面子でやるドッキリだったならば完全すぎる情報封鎖によりクロウも知れなかっただろうが、今回は別の人間も居た。

 彼が近頃仕事の付き合いで知り合った友人、クルアハは感情が薄くドッキリのノリなどわからない。クロウが問えば招待状を貰った件をあっさりと教えた。

 後は街に滞在していたハルヒを連れ出してタフルトで買収し詳細を吐かせたのである。

 布石は打ってある。

 その時、二人の前にがっしりとした体にスーツを纏っている人獅子のカンヌが立って凄みを聞かせた声で、


「笑止! 有耶無耶にするなど罷り通らぬ。我が姉上の娘の見合いとなれば、我が子のそれと同じなんぬ! さあ、互いに誓うんぬ!」

「スフィちゃん、指輪はママが用意したわー」


 その後ろからルビーが顔を出してペアリングを取り出した。

 指輪から感じるどす黒いオーラにクロウとスフィはやや引いた。


「は、母様、それは……?」

「婚活天使ゼクシリンの呪……加護がついた指輪よーお互いの絆になるわー」

「嘘じゃー! 明らかに罠じゃー!」


 いきなり怖ろしい物を出されて全力で拒否するスフィ。

 ゼクシリンは結婚に関する天使であれこれと結婚から新婚生活までサポートする、若い女性にアイドル的な人気の天使であった。ただ本人は婚活しているのに全然結婚出来ていない。「ゼクシリーン☆」と云う決めポーズはいろいろキツイと評判だ。

 娘の手を握って力を込め、無理やり指輪を付けさせようとしているのでクロウは見かねてスフィを抱き上げて離れた。

 彼は愛想の良い笑みを浮かべたまま、


「はっはっは。まあお見合いなのですから後は若い二人に任せて」

「じゃあせめて指輪入れて写真とってこの書類にお互いサインするだけだからー!」

「せんと言っておろう!」


 スフィをお姫様抱え──ウェディングドレスなので引っ張ると破れそうだから自然とその形になった──をしているクロウを逃がさないように、ルビー三姉弟が取り囲む。

 屈強な獣人二人に、ルビーはかなり高位の精霊魔法使いである。騒動になればそこそこ腕の立つ人間のクロウではすぐに取り押さえられるだろう。

 物々しい気配に、会場の皆が乱闘なら参加しようと様子を窺う。基本的に彼らはクロウとスフィの味方だ。クルアハは座ったままケーキをひたすら頬張っていたが。

 抱いているクロウを見上げてスフィが心配そうにするが、彼はなんとも無い様子で、


「ところで見合いの相手となる己れの事は結構調べたみたいだな。役場の騎士からも」

「そうよースフィちゃんの旦那さんになる人なら、少なくとも優しい子がいいもの」

「己れもあんたらの事はちょっと調べさせてもらった。国際手配犯の[世直し三姉弟]と云うらしいな」


 クロウが指を鳴らすと同時に、式場の入り口が大きな音を立てて開かれ、今すぐ戦場に出られそうな重武装した集団が室内に突入してきた。なお、指を鳴らしたのは合図ではなくそろそろ突入準備ができたような気がしたのでやってみたらタイミングが偶然合ったのである。 

 その先頭にいるロングコートを着た壮年の男が手帳を開き見せながら胴間声でがなり立てる。


「国際刑事警察組織のディンゴ警部だ! そこの三人! 世界各地での暴行や動乱、扇動など複数の罪で逮捕する! 大人しく縛を受けろ!」

「ええー!?」


 悲鳴を上げるルビーと、今度は彼女を守るように武装警察の前に出るカンヌとハルヒ。どことなくハルヒなどは後ろめたい気分で目が泳いでいる。

 そう、クロウは予め警察に通報して三人が現れる場所に警官隊を呼び寄せていたのである。なにせ、調べたところ思いっきり特徴的な三人の手配書が見つかったからだ。彼女らは犯罪者でもあったのだ。

 信じられないといった目付きでスフィが慌てて母親に怒鳴りつける。


「こ、こ、このバカ女! 次はいったい何をしやがったのじゃ!?」

「違うのよスフィちゃーん……わたし達はただ世の中を正そうと、あちこちで悪そうな領主や役人を縛って棒で叩いたり、義勇軍を意味もなく作ってみたり、難民を連れて大移動しただけで……」

「正すのは自分の頭と心だけにしとかんか、ばかもの!!」

 

 この女の頭を切り開いて中に詰まってるだろうオガ屑を燃やしてやろうかと本気で思う。

 夫と一緒に五百年ぐらいエルフの国に監禁していて欲しかった。国辱的存在である。

 新婦席に隠していたクレセントアクスとバズーカ砲を取り出して弟二人は警察を睨み返す。


「姉上を捕らえることなど我らが許さぬ! このカンヌの刃を受けたいものからかかってくるが良いんぬ!」

「へっ! 燕人ハルヒ様が居る限りは姉者には指一本触れさせねえぜ!」

「そうねーここで捕まった面白く無いわー。ルビーちゃん頑張らないとねー」


 三人はそれぞれの武器を掲げて、


「我ら生まれたと──」

「総員確保!」


 名乗れなかった。軽鎧にハルバードやトンファーで武装した警官隊が叫びを上げて突撃をする。

 さて、入り口と壇上にいる三人の間には一般参加の仲間連中が集まっていたのだが──突撃に巻き込まれて思いっきり体当たりを食らったり踏まれたりした。

 特に、酔っ払って床に寝転がっていた元団長ジグエンはめっちゃ蹴られた。

 そしてキレた。


「なんだ喧嘩かコラアアア! すっぞテメエらアアア!」

「ああっ、団長がテーブル振り回して警官無双し始めた!」

「こいつら全員ぶちのめして[バンカーバスター]飲ませてやるぁぁぁああ! お前らも手伝え!」

「なんだかわからねえけど、あれね! 略奪婚ってやつ!?」

「よく知らんけどとにかく暴れようぜ!」


 程よく酔っ払っていた大半のメンバーとの間で乱闘騒ぎが起きた。ジグエンなど数人の警官を持ち上げてぶん投げまくっている。急に覆面以外全裸になったのはシックルノスケだろう。それにカンヌとハルヒも飛び込み暴れまくるのだから事態はカオスになりつつある。

 クロウはアルハラ騎士団がまた始末書を書くだろうなあと顔を歪め、


「なんか滅茶苦茶だな……後始末も面倒だし、このまま二人で先におさらばするか、スフィ」

「そうじゃのう」

「おっと、二人は行かせないわよー」


 と、脱出しようとしたクロウとスフィの前に魔法発動媒体の宝剣を持ったルビーが立ち塞がる。

 見た目こそ華奢なエルフだが、彼女が精霊魔法を使えば空飛ぶ翼竜すら風の束縛で捕らえられる魔力を持つ強力な魔法使いである。

 スフィは少し迷ったが、笑みを作ってクロウに告げた。


「クロー。礼を言ってなかったのう。のど飴、ありがと」

「気にするな」


 そう言って薄緑色の超高級のど飴を取り出し──スフィは己の口に放り込んだ。

 本当は貰って嬉しかったのだけれど、肩透かしな反応をしてしまった誕生日のプレゼントだ。だがそれにはクロウの思いが詰まっている。小さい子だから甘いもの、歌で喉を傷めた時の為に喉に優しいものを送ろうと真剣に選んだのである。

 嬉しいという感情が浮かんだのはその場ではなく、後でのことだ。いつだって自分は後で大事なことに気づいてしまう。

 清廉な味がするそれを舐めながら彼女は息を吸って聖譜を唱える。


「聖歌[神への復讐行進曲]」


 続けて演題を唄う。想いと、信仰と、魔力を込めて秘跡を越えた奇跡を起こす為に。


凌駕詠唱オーバーソング[無音天使の(サイレント・ナイト)]──」


 始まる。それは歌で、曲だ。

 そして歌でも曲でも無い。


 音が消えた。会場で暴れまわる誰もが感じた。己の耳で音を感知できなくなったのである。

 疑って耳を押さえる者も居る。だが何も音がでない。周りで出る音だけではなく、己の体から出る血流の音も何もかも聞こえない。

 叫ぼうとした者がいるが声を張り上げても一切音は生まれない。風さえ止んだようだ。

 あまりに何も聞こえず、耳が痛くなる程である。

 ルビーがぱくぱくと口を開け閉めしているが当然何もできない。魔法で何とかしようとしても、発動しない。

 歌の神が遣えし無音天使の力を現出させて273秒の間、周囲全ての音の上位に無音を発生させるという奇跡であった。

 音の無い演奏という特殊な音楽である。神や世界に抗う者にさえ音楽はあり、歌神はそれを認めている。

 これにより、使用中は殆ど全ての魔法や秘跡などは言葉を発して使わなければならない為に使用不能になるのである。

 更に音が一切無いという事は脳が混乱を起こして周囲への認識力を下げる。もともと入り乱れての騒動だった喧嘩が更に混沌とした状態に、音も無く続いていた。警察も指示を出そうにも声がでないのでどうしようもない状況だ。


 クロウはスフィを抱いたまま軽く走って壇上から降りる。口を開けて手を伸ばすルビーだったが勿論言葉は出ない。

 マイペースにケーキを食べ続けていたクルアハが指を伸ばして照明にしている魔術文字に魔力を送ると、狂ったミラーボール状態になって周囲へ光の異常点滅で二人の姿を隠した。彼女が扱う付与魔法は数少ない無詠唱の術である。

 軽く振り向いて彼女を見ると、無表情のまま手を振っていた。

 そうしてクロウとスフィは教会を抜けだしたのであった……。




 *****


 


 ウェディングドレスに騎士服というあからさまに目立つ二人は教会からやや離れた飲食店にとりあえず逃げ込んだ。

 外では周りの目線が痛かったのだ。適当に入った店は[キングジェネラル]という大層な名前だが、全国チェーン系列の店である。

 抱きかかえたままだったスフィを椅子に座らせてクロウは対面の席についた。


「重かったかのう?」

「全然。羽根のようだったな」


 気取った仕草でわざとらしく言うのでいつも通りスフィも笑った。


「にょほほ似合わん似合わん。アラサーの男が云う言葉ではなかろう」

「ジャスフォーのエルフに言われたくはないって。ま、とにかくメシでも食おう」


 注文を取りに来た店員がまじまじと二人の格好を見つつ伝票を持ってきた。


「えーと己れはギョーザとカタヤキソバ」

「私はギョーザだけで良い」

「はいよー。注文、バリイー、コーテルリャンガー!」


 謎の厨房用語で繰り返してコックに伝える店員。

 サービスで出された水出し茶で喉を潤して一息ついた。


「そういえば悪いなスフィ、お前の母さん通報して」

「よいよい。あんなバカ女は百年ぐらい収監されてくれたほうが私も国の皆も安心じゃ」

「そっか」


 安堵の吐息をしてクロウは飲み干した茶のお代わりをケトルから注いだ。

 ふと気になってスフィが彼に尋ねる。


「そういえばお主は……その、結婚とか考えた事は無いのかのう?」


 問うと彼は少し目を見開いて驚いたようにして、香油で整えられた髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きながら複雑そうに云う。


「あー、いや……己れってその内故郷に帰るつもりだけど、嫁が居たら帰る気が無くなりそうでさ」

「嫁も連れて帰ろうとは思わぬのか?」

「うーん己れの国の法律とかが多分難しい……なあ」


 結婚をする気はない理由のもう一つは異世界人を日本に連れてきても戸籍のない不法入国外人となり不自由な思いをさせる上に、再びこっちの世界に戻れる保証も無い一方通行になる可能性もあるからだった。

 無論、まだ日本に戻る方法も見つけておらず、公務員で金を貯めている段階なのだが。

 面倒な事情があるのだとスフィは悟るが、茶で口を潤しながら話題を変える。


「……それと、これはあくまで参考までなのじゃが」

「うん?」

「クローはもし結婚するとしたらどういう女性がいいのかのう? い、いやこれは老婆心からいざというときは今日の礼に私が知り合いの間でクローのタイプが居ないかさり気なく探しておいてやるための質問じゃから何も怪しい事は無いのじゃよ?」


 早口でまくし立てる。よし、何も不自然ではない感じでさり気なく彼の好みを聞き出せたと彼女は内心喜んだ。凄まじく不審な態度だがクロウは持ち前の鈍感さを発揮して何も疑っていないのがある意味悲しい。不能系男子とか呼ばれているだけはある。

 これで、できれば年上だけど背が低くてつるぺたが好みとか言わないだろうか、とさり気なく期待する。

 クロウは首を傾げながら、


「そうだなー……まあ、一緒に茶を飲んでのんびりできる相手がいいとは思うな」

「なんじゃそりゃ……発想がもう爺じゃぞクロー」

「ほっとけ」


 がっかりしたような、しかし巨乳好きとか言われないで良かったと安心したような妙な気分になった。

 二人の注文していた料理が届いた為に、礼装に合わぬ庶民的な料理を旨そうに食べたという。

 話はそこでおしまいである。この後もゆっくり食事をして久しぶりにクロウを家に呼び穏やかな休日となった。

 それは彼と彼女がずっと過ごしていたいつもの日常であった……。






 ******





「確かあれは──」


 お八やタマにせがまれて九郎は数十年前の見合いを思い出そうとした。

 まだ若い頃と言ってもいいかもしれない。いつも仲間内で事件を起こしまわっていた酷く騒がしい日々であった。

 そんな中、日常的な騒動で起こったお見合いというイベントは……


「──燕の、マスコットが……ああ、そうだ。己れはヤクルトファンだったんだ……」


 一番印象的だったのがハルヒであった。随分前なのでもはや断片的にしか思い出せないのだ。

 彼は数十年ぶりに自分が好きだった球団の事を思い出して軽く目頭を抑える。あんなに一生懸命観戦していたのに、思い出すことさえ随分と無かったのである。

 回春して泣きだした九郎をお八が慌てて顔を覗き込み心配するが、彼は胸のつかえが下りたような笑顔で、


「懐かしい事を思い出してな。見合い? ああ見合いなら逮捕者が多数出たぞ」

「見合いで!?」

「持ち込んだ酒に火がついて教会──寺も焼け落ちたしな」

「見合いで!?」

「まったく──見合いはもう懲り懲りだのう」

「どんだけ特殊なの」


 白い目でお房から睨まれて九郎は肩を竦め、手元の水出し茶を飲む。

 茶を見ていると、あの小さな友人は元気にしているか考えて、懐かしくて少し泣けてしまった。

 彼女は紅茶派だったが、一緒にいると良く緑茶に挑戦してすっかり口慣れてくれた一番の茶飲み友達だったのである……。

 茶柱が立って、すぐに沈んでしまった──。





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