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50話『しねいと昔の敵は云う』

 鳥山石燕は震える。

 とにかく震える。もうなんかヤケクソじみた震えを見せる時がある。体がマナーモードに設定されたように諤々し始めたらもはや筆も箸も持てぬ。

 ギランバレー症候群めいた抑えきれぬ発作に苦しむ彼女が求め、


「さ、酒を……」


 と、呻くのであった。

 神楽坂の呪われ怨霊毒悪魔の住まう地上征服拠点こと、鳥山石燕の家に訪れていた九郎と安倍将翁は顔を──片方は狐面だったが──見合わせて嫌そうにしかめる。

 二人が来るやいなや、看病役だった子興が耐え切れずに押し付けて逃げる程の惨状だ。


「この世紀末急性酒に飲ませるのは躊躇いを覚えるほどだのう」


 将翁が持ってきた石燕用の薬──神便鬼毒酒というそれは、薬ではあるが名前の通り酒でもあるのだ。

 神便鬼毒酒とは頼光四天王が大江山の酒天童子を退治する際に、熊野の神から与えられて人が飲むと神通力が宿り、鬼が飲むと体を痺れさせるという神酒の名前である。無論、これはそのものというわけではなく名を肖った薬酒だろうと思われる。

 酒が切れて屍人めいて動けずに寝床から手を伸ばしつつ、石燕の手と頭が震えている。布団から出られないように物を縛る細長いやつで巻き寿司のように包まれているのは本人の意志に関係なく体が暴れだすからだ。末期である。


「ま、仕方ありやせんぜ。酒は百薬の長と云いますが……暫くこの薬を飲ませるために、これまで使っていた薬を抜いておきましたから苦しいのでしょう」

「ちなみにこれまでのとは?」

「痛み止めなのですが、日本じゃあまり見ない種類の芥子から取った乳液を」

「いや、矢っ張り聞かなかったことにする」


 九郎は苦しみ呻いている石燕を見下ろしながらげんなりと応える。

 錯乱してきたようで呻きが意味不明の叫びに変わってきていた。彼女の限界は近い。おお石燕よ死んでしまうとは情けない。そなたが次のヒロインになるには肝機能γ-GTPの数値が50以下になることが必要だ……!

 などと石燕の脳裏に見たことのない王冠を被ったおっさんが語りかけてくるぐらいに彼女は弱っている。


「じゅすへるー! いんへるのさいくだー!」

「なんかもう可哀想ではあるな」

「ふむ、では九郎殿が飲ませてやってください」

「己れが?」

「あたしが下手に口元に手を伸ばしたら、指が食い千切られそうだ」


 冗談めかして将翁は薬箪笥から神便鬼毒酒の入った器を取り出す。

 それは容れ物からして通常の薬とは違うと人目でわかる変わった作りであった。びいどろで作られた暗褐色の硝子瓶に、呪文めいた幻想的文字が書かれた紙で胴の部分を覆い光で変質しないように作られていて、蓋は揮発を完全に防ぐために硬く薄い金属で覆われている。

 匙を使って蓋を開け、将翁がそれを茶碗に注ぐとやや黒ずんだ黄色く粘り気のない薬液が白い泡を膨々(ぶくぶく)と浮かべた……。

 九郎は恐る恐る尋ねる。


「……それ、地ビールだよな?」

「神便鬼毒酒ですが?」

「いや、ラベルに丹後とか書いてるし。[味わいの里]とか工房っぽい名前も……」

「神便鬼毒酒ですが?」

「……はい」


 有無を言わさぬ将翁の冷ややかな声に九郎は己の説を取り下げた。どう見てもビール瓶とビールであったのだが、偶然似ているだけだと思うことにしよう。

 ともあれ茶碗を渡された九郎が石燕に近づくと、彼女は歯をがちがちと鳴らして目は進化放射線を受けたようにぐるぐると渦巻き、とても正気では無さそうである。

 

「おい石燕や。薬を飲ませるから落ち着け」

「く、くくく薬……」

「ほら、口を開けよ。慌てては噎せるぞ」


 それでも意志とは無関係に震える石燕の顔を九郎は片手で抑えて、開いた口にゆっくりと神便鬼毒酒を注いだ。

 口腔と舌に刺すような炭酸の軽い痛みが走り、麦のほろ苦い味以外に、糖分を増すために使われている米の甘みが広がっていく。胃に落ちずに口から喉までで染みこんでしまう程に旨い。


(おいしい、おいしい、こんなにおいしいおさけをのんだのははじめてだ)

 

 壊れた削岩機のように震えていた手がピタ──ッと静止した。

 思考が単純化されてひらがなになっていた石燕の目から涙が溢れるのを九郎は拭いつつ、


「凄いアル中の症状にしか見えなくてつらい」


 と、ぼやく。

 然し乍ら神便鬼毒ビールの効果かアルコールの効果かはともかく、石燕の体から震えが消え、彼女の目は理知の色を取り戻した。

 茶碗一杯の酒を飲み干して彼女は静かに言い放つ。


「お代わりを所望する!」

「そいつは一寸止した方が良い。頼光だって一杯しか飲んじゃいないのだから。今後の経過を見て処方しますぜ」


 既にビール瓶の蓋を器用に嵌め直している将翁はばっさりと断る。

 酷く不満そうな顔になりつつ石燕は溜息をついた。


「しかし美味さとは別に体の奥底から力が漲ってくるような感覚があるよ九郎君……! これまでの薬とは大違いだ!」

「薬といえば石燕。己れが前に飲ました薬は効いたようだが」

「いや、あれは控え目に云って風味がオッサンそのものだから二度と飲みたくないね……」

「……いや、まあいいが」


 確かに風味が悪いのが例の薬の難点なのだが、と頭を掻きながら九郎はそれでも暫く体調は戻っていたようだから良いかと思い直した。

 お房に使った時は彼女が気絶していたから問題はなかったのである。使用者の体質によっては、回復効果こそ変わらないが悪い時は半日近くおっさんの幻覚に悩まされるという事例も異世界の学会では報告されていた。

 ともあれ彼女は布団から飛び出た腕を曲げて簀巻きにしている細長な物質を掴み、


「ふふふ、しかし流石はかの有名な神酒だね。あっという間に体の具合が良くなってきた。こんなヒモなど一捻りで千切れるよ!」

 

 ぐい、と細長いそれを両手で掴んで引っ張り戒めを解こうとする。


「こんなヒモなど!」


 更に声に力を込めて引く。びくともしていない。

 数秒間九郎と将翁はそれを見守っていると、息切れした石燕がちらりと九郎を見た。


「……九郎君、この細い奴を退治してくれないかね! 君の商売敵だよ! いざ!」

「さて、石燕の病気も治ったから呑みにでも行くか将翁よ」

「おっと。それなら贔屓にしている京料理の料亭を知ってますぜ。この季節なら和物に田楽と筍尽くしで……」

「行こう行こう」

「ままま待ちたまえー! 私をこんな所に置いていくというのかね! 連れて行くと色々特典があるのだよ! ええと、使うと雷が鳴る剣とか牢屋にいる竜を仲間に出来たりとかー!」


 見捨てられて布団に簀巻きにされたまま放置されかけた石燕は思わず無駄なアピールをして引き止める。

 仕方なく九郎がしゃがみ込んで細長いそれを解き始めた。


「む、この縄随分と硬く縛っているな」

「縄というほど太くは見えませんぜ」


 将翁から茶々が入れられたが、無視する。

 やがて縛めから解き放たれた石燕は立ち上がって大きく伸びをした。


「んー……すこぶる快調だ! さっきまでの死にそうな体中の痛みと乾きが消えている! なんか逆に怖いぐらい即効性があるね!」

「……おい将翁、本当にその薬大丈夫なのか?」

「大丈夫、ですよ。確りと効いているようだ。脳に──いえ、なんでも」

「脳に!?」


 不穏な部位に思わず九郎と石燕は同時に聞き返した。

 しかし狐面で顔を隠した将翁はどのような表情をしているかも伺えず、諦めたように顔を見合わせる。

 石燕の体調が良いのは事実なのだ。内臓を百舌鳥に突かれているような痛みも、脊椎に走る鈍い圧迫感も、皮膚が布に触れただけで悶絶する感触も、臓腑の奥から腐れていく熱も──消えている。

 まさに神仏が癒やしたとしか思えない程の薬効である。というか、


(そういう薬効だと思いたい)


 と、背中に汗を浮かべつつも石燕は危険な考えは忘れようと努力した。

 ともあれ人は不健康になった時に健康の尊さを知る。そしてそれが治ったならどうするだろうか。


「早速呑みに行こう! 今日は最高の気分で呑めるよ!」


 不健康的な生活態度を取り戻すのだ。下がってくれた肝機能の数値を上げる為に……!

 いつもどおりになって出かける準備を始める石燕に、九郎は呆れる。


「やれやれ」

「ま、大丈夫でしょうぜ。神便鬼毒酒も酒は酒。迎い酒をしてもそう悪くはならない……はず」

「一番憶測で判断しちゃいけない仕事だよな、医者って」


 突っ込みながらも、三人は昼間から酒を呑みに繰り出すのであったという。






 *****


 


 

 またの日のことである。

 潮汐の具合が良く、大川の流域に広く干潟ができていた。

 現代の隅田川に当たるのであるが、今よりも川底には土砂が多く遠浅になっていた為にかなりの面積があったようだ。

 江戸でも春から夏にかけて潮干狩りに適した日中になると、


「芸者も飛び出して」


 貝などを取っていたというのだから、単に食料の確保以上に江戸でのレジャーな側面もあったのだろうと思われる。

 その日、九郎とタマもお房に引っ張られて潮干狩りに来ていた。店主である佐野六科は、


「正直向いてないの」


 と、娘に言われてしまったので店に居残りである。機械的に正確な性格をしている彼は単純作業を繰り返すことは得意なのだが、AIのバージョンが古いのか放っておくと同じ場所ばかり掘り続けてしまうのだ。

 ともあれ三人は裸足で着物の裾を捲り干潟に下りて少し泥に足を埋めながら進んだ。

 あちこちに町人らがわいわいと騒ぎながら貝を掘り出したり、潮だまりにいる小魚を取ったりしている。

 なにせ汽水域が丸々歩けるようになっているのだからあさりしじみだけではなく、鮃や河豚までそこら中に取り残されている。

 子供たちはヤドカリを捕まえて戦わせたり、海鼠を絞ったりととても賑やかである。

 狙う獲物が変わっている者だと、


「おらああ!」


 少女が放った気合の声とともに投げつけた石礫は、干潟の小魚を狙って降りてきた鳥──アメリカ大陸から長い距離を飛び日本に遥々やってきた渡り鳥のアジサシの頭に当たり動かなくした。

 干潟にやってくる鳥狙いの者──それはさすがに珍しいのであるが。


「よっしゃ師匠! 仕留めたぜ!」

「これで三匹目だな。それじゃあ捌きに行くか」

「おう。慣れたものだぜ!」


 と、獲物を吊るして去っていく晃之介とお八が居たが、周りからの視線が控えめに言って蛮族を見る目だった為に声をかけなかった。


「あそこまで飢えてると笑えるの」

「時々お房ちゃんって冷淡」


 やたら辛辣な評価をするお房はお供の二人に笊を渡し、


「とりあえずこれいっぱい取ること。蜊より蛤がいいわ。青柳は食べれる所が少ないから間違えて取らないようにするの」

「わかったが……見分け方は知らんぞ」

「あっ、それなら簡単タマ」


 彼は小さな熊手でしゃかしゃかと周囲の泥を器用に掻き分けてあっという間に二つの貝を取り出して九郎に見せた。


「青柳の方が殻が薄いから、合わせ目を見て殻の厚さを確認すればいいんです」

「ほう……」


 九郎としてはあっという間に貝を掘り出したタマの腕前の方が感心するほどであったが、とりあえず同定方法は把握した。

 青柳とは馬鹿貝と呼ばれる種類で一応食用なのだが砂抜きが難しく、多くは貝柱と一部の身がかき揚げなどに使われている。わざわざ部位を選んで切り分けるのも面倒だし砂が入っているだの何だのと店に出した物に文句を付けられては困るのである。

 と、その時である。


「やあ諸君今日もいい天気だね。ついでに私のおつまみも採ってくれないかね?」


 声がかかった。聞き慣れた、鳥山石燕の声である。

 三人が振り向くと同時に、お房は顎を落として口を開きっぱなしになり九郎は呆けたように若干白目を剥いて、タマは難しそうな顔で口を抑えて俯いた。

 そこに居たのは紛れも無く石燕だった。

 格好も彼女の普段着である喪服である。

 ただし腰から上は。

 妙な折り方をして着こなしているその姿は──干潟に入っても大丈夫なように、太腿の上で裾を折っていた。

 敢えて言うならば、


(ミニスカ喪服……!)


 九郎が昭和感丸出しな感想を浮かべる。ついぞ見たこと無い、石燕の白い太腿と細い膝が太陽の下で眩しい。足先は足袋を履いているようだが余計にマニアックな雰囲気を醸し出している。

 健康的な足の露出と縁起の悪い喪服の奇跡のコラボレーションであった。

 いや、そもそも不健康の代名詞でありアラサーな石燕がこんな際どい足のラインを出しているところで既に奇跡なのかもしれない。奇跡だって魔法だってあるのだ。

 タマは思考回路がショート寸前で、心は万華鏡のように様々に移り変わる思考に翻弄されていた。


「一応美女の太腿で特に石燕さんだと普段は絶対見れない隠された領域ということで良い感じなのかもしれないけれど年増という点を減点と見るかご褒美と見るかは難しい問題であり眼鏡! 喪服! ババア無理すんな! の三大要素が複雑に絡み合った助平と助平くないの絶妙な境界線が判断に難しくいや無理すんなと見るかでも足はめっちゃ綺麗なわけでぬうう見てると興奮するけどしたら負けっていうかなんでだろう胸とか腰とかなら歳相応の色気として魅力に感じるのに年増が見せる太腿に対してのこの罪悪感に似た純情な感情が空回りする感じはうわあああー!!」

「ああっ! タマが発狂して干潟で泳ぎ始めた! ちょっと誰が洗濯すると思ってるの!」


 あまりに複雑なエロスだった為に壊れた。

 それほどまでに石燕のミニスカ喪服は危険な衣装だった。惜しらむはこの場に[青田刈り]の利悟が居ないことだろうか。彼ならば視界に入った瞬間にその場で爆発して死ぬとかそういうリアクション芸を見せたろうに……

 とりあえずいち早く正気に戻った──と言うよりいつもと格好が違いすぎて老化した脳がフリーズしていただけなのだが──九郎が声をかける。


「お主、どうしてここに?」

「ふふふ、なに店に行ったら君達が干潟に行ったと言われてね。これの散歩がてら遊びに来たのさ」

 

 と、言って彼女は手に持った細長い縄を見せる。犬用のリードに見えるそれは下に垂れている。 

 彼女の足元に縄に繋がれた──手のひらほどのヒトデが居た。


「そう、私の飼っている海星、[唐枇杷からびわ]の散歩だよ!」

「ヒトデの散歩ってお主……」


 九郎が正気を疑って眤っとその星形の物体を見ていると、のそのそと僅かに腕を動かして前進している。

 種類は分からないが中心に目のような模様がある海星で、わざわざ石燕が水槽で飼っているものだ。


「酷く地味な絵面だ……」

「まあそれと私も健康を取り戻したからね。こう漲る健康美と若々しさに物を言わせて童心に戻り泥遊びに来たのさ」


 ひらひらと裾をはためかせながら云う石燕をタマは真剣な顔で見ながら、


「………………ある!」

「ちょっと待つの微妙でしょ」

「君達さっきから何か反応が失礼じゃないかね。九郎君ぐらい落ち着きたまえ」

「まあ、意表は付かれたがいちいち石燕の足だの何だのに興味があるわけも」

「大変先生が息してないの!」


 興味が無さ過ぎるとそれはそれで悲しくなる面倒くさい生き物、鳥山石燕。石燕は寂しいと死んでしまうのだ。主にアルコール摂取量の増加で。

 呼吸を取り戻した彼女は、深呼吸で磯の香りを吸い込んで満足気に鼻を鳴らした。

 神ビールを呑んでから体調が不安になるぐらい良くて、なんでもない潮の匂いですら新鮮に感じて機嫌が上昇する。

 わいわいと日常を楽しんでいる町人達すら心安らかに観察出来た。


「──さあ諸君。磯物を採取するには急がねばならないよ? ここはもはや狩場で良い物を奪い合う戦場なのだ。そう、名付けて[奪取海岸]……!」

「青年団が活躍しそうな名前だのう」

「そうね。会話をしていても一銭の得にもならないの。早く獲物を取るわよ、タマ」

「あいあい」


 そう言って子供二人はまだ他の狩人の手が入っていない場所へそれぞれ採取の為に散っていった。

 九郎はそれを見送りながら笊を片手に広がる干潟を眺めつつ、


「さて、どうするかの」

「ふふふ、九郎君容赦なく私を頼ってくれたまえ! 探索の為の道具は用意している! そう、これだ! [道神具棒だうじんぐぼう]~」

「一発ネタじゃなかったのかそれ」

「何を言ってるのかね。これは鳥山7つ道具の一つだよ。道神具棒と、封魔の眼鏡と、……ええと、あと筆、とか」

「半分も決まってないのに7つ道具とか吹かすなよ……」


 呆れつつもL字型に曲がったダウジングロッドを受け取る。

 これは短い方を持って歩くと目的の物が埋まっている地点で左右に開くという霊的探査道具である。現代でも水道局員が地下の水道管を探すために使っていたら夢があるなあと思う。多分遺跡発掘の現場とかで使っていたら第二のゴッドハンドとか言われて有名になる。そんな感じの存在だ。

 

「これが何故鉤型をしているかというとだね、鉤の語源は[懸ける]が転化した[懸き]から来たのだよ。これは二つのものを繋げるという意味があり、掛けて引き寄せるという言葉にも掛かっているね。即ち使用者の運命力の結びつきにより目的の物を宿命的に手に入れることができる道具だということだ。空海もこれを使って湧き水や温泉を掘り当てたのだ」

「真言の人に怒られるぞ」

「ふふふ……運を運ぶと書いて運命!」

「いや書けて無いからそれ。それだと唸ってるだけだから厠とかで」

 

 適当に返事しながらダウジングロッドを構える。

 とりあえずお房とタマが向かった方以外へ歩いて探そうかと思ったのだが、一歩踏み出した地点で、


「む」


 ロッドが反応して左右に開いた。

 石燕も泥を見下ろしながら眼鏡を上げて云う。


「どうやらここのようだね」

「ふむ……ま、見てわかるわけでもないから何処でも良いのだがな」


 九郎は「どっこいしょ」と言ってしゃがみ込む。

 やおら掘り出そうとしたら突然誰か知らない声がかかった。


「──ちょいと待ってもらおうかい。その場所はこっちが先に目を付けていたんだ」

 

 九郎と石燕が振り向くと、そこには胸元だけを短く詰めた袢纏で隠し、下半身は褌一丁という祭りの現場から抜け出してきたような格好の女が腕を組んで藪睨みで見ていた。

 年の頃は三十前ぐらいか。石燕と同年代だろうが、背は高く肌は日に焼けていて腹筋が割れ、脂肪分が少ない絞った筋肉質の体をしているので、日焼けしていなくて見ようによっては少女いやそれは言いすぎだが若い石燕に比べて年上に見える。

 勿論褌女が現れたとて九郎が眠そうな半眼を崩すわけではない。石燕のミニスカの方が心的被害は大きい。

 

「先に、と言われてもな。目印とかあったか?」

「そこに木炭で染めた巻き貝が置いてあったろう」

「む?」

 

 二人揃って足元を見やる。

 果たして巻き貝は──無かった。が、石燕の連れている唐枇杷がもぐもぐと何かに覆いかぶさって蠢いていた。食事中のようだ。好きな食べ物は炭酸カルシウム──まあ貝殻らしい。

 見なかったことにした。


「いや、無いな。別の場所ではないか?」

「おいおい、冗談はよせよ。間違いなくそこで、あたしが目を離していた時に場所を奪った。違うか?」

「これは参ったね。ここは[奪取海岸]だよ? 離れたら奪われるのは当たり前ではないか」


 無駄に戦闘力もないのに挑発的な石燕の言葉に、女はぴくりと目尻を上げる。


「ほう……あたしが誰か知っててその態度なのかい?」

「当然だとも。四谷の味噌煮込みうどん屋の看板娘おみそ君……!」

「違うんですけど!? あと死ぬほど安直だな名前!」


 全力で否定された。

 相手は体を翻し背中を魅せつける。そこには女だというのに一面に鮮やかな刺青が彫られていた。

 

「春秋の頃、呉に住まう李稜はある日海で出会った魔の人魚に魂を売り決して溺れぬ魔術を学んだという。背中に彫った魔人魚の刺青を持つ女と云えば、江戸の角乗り七人衆が一人[海魔女]のお寿サマだ──覚えておきな」


 高らかに名乗りを上げるそれを見て九郎は刺青へ指を差して声を潜めて石燕に尋ねた。


「なあ。あれ人魚っていうか人面魚っていうか、シーマンに見えるんだけど」

「ふふふ九郎君。人魚が上半身から人間だと云うのはまだ知名度が低い形態なのだよ。大体皆が想像するのは人面魚さ」

「なんだかなあ」

  

 まじまじと女の背中を見ながら九郎はやりきれないように唸った。

 ともあれ刺青を自慢し終わった女は再び相対してこちらに高圧的に言ってくる。


「場所を譲らないってんなら、ここは一つ勝負と行こうじゃないか」

「ふむ。潮干狩りの最中に行う勝負といえばあれで間違い無いかね?」


 確認の言葉を石燕が返す。九郎は潮干狩りの最中で行われる勝負など全く知らないので、胡散臭げな顔を向けながらしゃがんだまま熊手で泥を掘っている。


(おっ。蛤ひとつ)


 無言で笊に拾い上げた貝を移した。

 ともあれ、石燕とお寿の間で決闘の雰囲気が高まる。いくら健康になったからといってテンションの高い子犬に負けそうな石燕と、女だてら荒っぽい男の仕事である木場の角乗りをしている鍛えられたお寿では殴り合いの相手にならないと九郎は思うのだが。

 石燕は不敵な顔を崩していない。 


「さて──それでは始めようかね。負けた方は絶対服従……それはわかっているね」

「ああ。磯物いそもん勝負だ! 出ろ、[李愚蝦蛄りぐしゃこ]!」

「行こうかね、[唐枇杷]!」

「なんか始まった」


 闘磯物……それは江戸で行われる小動物を使った闘技の一つである。

 基本的に暇を持て余している江戸の町人らは様々な勝負事を考案して競わせ見物したりする。生類憐れみの令が出た頃には完全に禁止されていたがそれが廃止されて以来またぞろ増えてきていた。座敷で蜘蛛を戦わせたりカブトムシ、クワガタムシを勝負させたり、コオロギ同士の熱い戦術駆け引きの塾さえあったりと様々である。

 闘磯物もその一つで、基本的に海辺でしか出来ないものであるが蟹、ヤドカリなど海の生物を戦わせ合う真剣勝負である。

 お寿が出したのは黄色がかった殻をしたシャコである。もぞもぞと前進している。

 石燕は愛玩ヒトデの唐枇杷。のそのそと前進している。


「唐枇杷は攻撃表示で前進!」

「負けるな李愚蝦ッ蛄ー! 迎え撃て!」

「……地味だなー。あとしゃっこー云うな」


 背中にシーマン彫ってドヤ顔している痛い女と、いい年をしてミニスカ履いたキツい女のバトルは春の日差しの下でのんびりを行われていた。

 九郎はとりあえず勝負から目を離して泥を掘って貝を探すのであった。


「……二枚目。うむ、場所は良いみたいだ」


 砂抜きをして蛤の酒蒸しにしようと思いながら……。 





 *****




「うわあああー!! 李愚蝦蛄ー!」

「弱肉強食だね……!」


 よくも飽きずに半刻ばかりやったものだ。

 何やら勝負が付いたようなので九郎は顔を上げて少し離れた場所で戦っていた石燕とお寿の足元を見た。

 すると石燕の唐枇杷は再び伸し掛かるように蝦蛄に絡みついて、その殻をぞりぞりと削り食っているようであった。腕手に付いている毒棘も刺さりもはや蝦蛄は食われるだけの運命である。

 お寿がびしゃりと泥に膝をついた。悔しそうに顔を歪めて敗北感に打ちひしがれている。大事に二年は世話をしていた蝦蛄が食われていく。冬の海に落ちた時も嵐で流れた木材に体を打ち付けた時も、家に帰れば水槽の中でひっそりと出迎えてくれた蝦蛄。まさかこんなに別れるのがつらいなんて……!


「まさに離苦蝦蛄……」

「巧いこと言った気分かもれないがね。勝者として君の生殺与奪権は私が持っているということを忘れないで貰いたいね!」

「なんでそんなに重い条件なんだこの勝負」


 敗者を見下ろして笑い混じりで言葉を投げかける石燕であった。 

 お寿は歯を食いしばり石燕を見上げて云う。


「くっ! 殺せっ!」

「ふふふ只で死ねるとは思わないことだね! 春画みたいな目に合わせてあげよう! 九郎君が!」

「やらんが」


 悪の女幹部みたいなノリになっている石燕に冷たい言葉を返す。

 しかし当のお寿が顔を羞恥に赤らめ、


「おのれっ! 卑怯な!」


 などとこっちも謎の勢いを持っているので溜息を吐く九郎である。

 しかしこの場所はなるほどダウジングしただけあり、大漁で笊も埋まってきたのでそろそろ上がろうかと思い始めた頃であった。

 石燕が九郎の耳元に顔を近づけて、お寿を見ながら声を潜め内緒話をしてくる。


「勝ったものの特に要求することは無いんだよね。九郎君も充分採ったみたいだから」

「では別に良かろう。場所を返して己れらは移動すれば」

「いや、あの類は勝負事をちゃらにされると酷く誇りが傷つく感じの性格っぽいから。適当に何か無いかな。全裸で敦盛とか。自分の手で自分の鎖骨を折らせて見るとか」

「引くわ……とりあえず己れに任せてみろ」


 えげつない発想に九郎は顔を顰めた。

 九郎は一つ、あまり期待はしていないが試してみるべきことがあった。それはお寿が少なくとも海[魔女]と名乗っているので、極低確率だが彼女が魔女の転生なのかもしれないという考えである。

 それを確かめるには魂の接触行動が必要だ。幾つか方法はあるが、その一つが[互いの頭部を触れさせる]という行為である。

 というわけで、九郎は泥のついた手を拭ってから、


「おい、ちょっと顔を上げろ」

「?」


 九郎は両手でお寿の顔を左右から掴んで頭同士を寄せた。

 それを見て慌てたのが石燕である。


(どんなノボリが立てばいきなりそういう羨まけしからん行動に出れるのかね!?)


 叫ぶ時間すら惜しく何はともあれ割り入ろうと地を蹴った。しかしここは干潟の泥。足袋を履いているからと言ってそう自由なわけではなく、思いっきり転んで九郎の後頭部に頭から突っ込んだ。


「ぬあー!」

「痛!?」

「……きゅう」


 石燕の頭が九郎に直撃して、その反動で九郎は顔を掴んで居たお寿に思いっきりヘッドバッドをかました。

 額を強打されてお寿は目を回して仰向けに倒れる。前後から挟まれた九郎は頭を抑えながら振り向いて、同じく額を赤くした石燕に苛立たしげに声をかけた。


「いきなり何をする」

「くくく、九郎君こそ何をするつもりだったのかね!?」

「頭を触れ合わせれば知り合いの魔女かどうかわかるのだ。この前魔王から聞いてきた。何故か文書で送ってきたが」


 夢が繋がっている魔王は近頃呼びかけに応えるものの、直接会う事は無い。なにやら忙しいらしいが。

 特殊な魔力的繋がりが魂にある者同士はこうすることで魂が活性化して感覚的にわかるのだという。とにかく、頭突きの形とはいえ、お寿と触れても何も共感を覚えなかったので魔女では無い事はわかった。

 ともあれ、勘違いしたやら頭を打ったやらで石燕は──


「──む? 泣く程痛かったか?」

「え? い、いや。そんなことは無いのだが……」


 何故か涙を零していて、本人もきょとんとしたまま目元をこする。

 殆ど転んでいた状態だったので手にも泥がついていて、石燕の顔に泥が付着して九郎は手拭いを懐から取り出して、


「これ、顔が汚れる。ほら、拭いてやるから……泣くなよ」

「う、うん。すまないね九郎君……いや、私にもよくわからないのだがね、涙が出る理由など……」

「病み上がりで精神が不安定なのかもしれんな。今日はもう引き上げるか。立てるか?」

「大丈夫、平気だよ」


 言いながらも、差し出された九郎の手を握って石燕は立ち上がった。

 体に不調はない。頭痛だってしないし腹は減っているし酒は飲みたくある。暖かな日差しと涼しい風に気分が良いはずだが──

 疑問に思っていると、それぞれの方向からお房とタマが戻ってきていた。


「おーい。ちゃんと仕事したかしら?」

「海鼠に渡り蟹まで取れ──ってお房ちゃんなにそれ」

「赤エイなの」


 エイの尻尾を持って引きずりながら持ってきている少女にタマと九郎ははらはらとした。 

 ともあれ、三人分の笊いっぱいの食材を採って、一行は店に戻ることにしたのだった。

 石燕が回収した唐枇杷は満腹そうにして、不思議と模様の目も眠っているように閉じて見えた。お寿は放置したがまあそう強い衝撃でもなかったので大丈夫だろう。

 そしてふと、九郎は帰る途中で思い出そうとする。


(そういえば、己れが最後に泣いたのはいつだったか)


 結局、魔女が死んだと聞かされた時も泣けたものではなかったが。そもそも魔女、最終局面で九郎に[倦怠符]という気力をごっそり奪い捨てる術符を使用して彼を日本に送り出したのだから悲しむ気すら起きなかった。

 確か最後に泣いたのは、


(あいつが死んで……? あいつって誰だ?)

 

 ──思い出せないことを思い出して、九郎はきっと頭の呆けか何かだろうと思考を辞めたが、疑問に思ったことは心に残ったという。

 

  

 

 


 ******



 

  

「ふふふ! 酒! 飲まずにはいられないね! 一発芸[胸の谷間酒]!」

「ぶへひゃはははは!! 石燕さんそれ凄いヤバい素敵タマ! じゃあぼくも一発芸[九郎兄さんの魔羅]」

「なまこ! 股間からなまこ!! ふふふふふげふぉっごふぉっ気管に入った!! 勢いで谷間の酒が零れた! 冷たい!」


 夜。

 酒を呑んで爆笑している石燕とタマ、そして取り巻いて盛り上がっている長屋の面々をやや離れた席で見ていたお房はぼそりと九郎に言った。


「ああは為りたくないの」

「うむ。最悪だな。反面教師とせよ」


 と、乱痴気騒ぎをしている連中を評するのであった。 


「もう一発、[九郎兄さんの魔羅・二つ頭の竜]!」

「ふふふ……死ねい光の者ども!!」

 

 と、言って海鼠二つ使った芸を始めたタマと石燕は仕留めてこようと決めて、九郎は酒杯を置いて席を立ったのであった……。







 


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