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挿話『異界過去話/チョコレートの日』



 その[いつも]が[ずっと]になればいいと彼女は願った。





 *****





 遠く北の空を細長い蛇が飛んでいる。

 いや、体躯に比して太さが細いというだけで実際には大木より太いのだろう。長さは都市の大通りより伸びているに違いなかった。背中に生えた豪奢な羽根を動かさずに、空を這い飛んで行く。

 それを眩しげに見上げるが、誰も騒いでいない様子なので男はこれも日常なのだろうと判断して首を下げ、買い物を再開した。

 人種のごった返す通りには様々な店舗がおおよそ違法的に乱立している。

 傭兵風の格好をした男が多く道を歩き、彼もまた軽装にしているがそう見えた。

 幅広で自身の身長ほどもある櫂のようなものを斜めにして肩に担いでいる。買い物に出かける護身用には巨大な武器だが、見た目よりは軽いし、呪われている気配に近づけば気づく。呪いの武器なんてものを持っている相手にわざわざ揉め事を持ち込む奴も居ないと判断してのことであった。

 古に退治された邪悪な堕天巨人の大骨で作られた巨杖ネフィリムボーンの呪いは彼には効果を発揮しない。その理由はわからなかったが、まあ便利なのでどうでも良いと思っている。


「おーいクロー!」

 

 突然、背後から己の名を呼びながらとてとてと駆け寄ってくる少女を、黒髪の青年は腰を屈めて視線の高さを合わせた。

 頭2つ分程も身長差があるのだ。青年も背は高い方であるのだが、それにしても少女は幼い容姿である。

 

「どうしたんだ、スフィ」


 パーカーに似た修道服を着た少女にクロウは問い返す。淡い白金色の長髪をふわふわと動かしながら近寄ってきた少女は、両耳が長い。

 これはエルフと呼ばれるペナルカンド世界における種族の身体的特徴である。人間種族に良く似た体の作りをしているが、概ね細い体つきと金か銀混じりの髪色、長い耳をしていて寿命は何倍も多い。

 彼女とは傭兵仲間であった。このような幼い少女が傭兵というのも奇異に見えるが、クロウよりも年上なのだという。尤も、前線に出て殴りあうのではなく、後方から魔力の篭った歌を唱えて士気を上げたり怪我を癒やしたりする歌司祭という職業なのだが。

 ともあれ、馬が合うのかクロウとは団の中でも親しい関係であった。

 息を切らせてクロウの目の前に辿り着いたスフィは、膝に手を付きながら呼吸を整えた。


「まったく、買い物に行くならわしも連れて行かんか! お主は世間知らずなんじゃから」

「ああ、悪い悪い。お菓子ならちゃんと買ってやるからそう怒るな」

「わぁいおっ菓子~……違うわ! お主が攫われたり騙されたりせんようにじゃな」


 腕を振りながらまるで保護者のような事を言うが、外見からの体格はまるで逆である。

 クロウは背の高い二十代の青年に見えるし、スフィは控えめに見て十歳前後だ。それに幾ら年上だからといって、言葉だけ似非老人弁にしているものの行動や仕草、思考などが成熟しているようには見えない為に、団の中でも大人ぶった子供扱いをされているのである。

 呪いの武器を担いだ傭兵男と少女シスター。攫われたり騙されたりするのは確実に後者である。

 思いつつもクロウは苦笑したまま、


「わかったわかった。ありがとうな、スフィ。ほら、己れが迷子にならない用に手を繋いでくれ」

「まったく仕方ないのう、クローは」

  

 にんまりと笑って少女は傭兵の差し出された手を握った。

 二人は並んで歩き出す。

 人にぶつからぬように気をつけてスフィの歩みに合わせのんびりと市を進みながらクロウは呟く。


「買い物ったって晩飯に使う調味料を買うぐらいなんだがな」


 材料自体は大口で仕入れているものを拠点にしている食料庫に保管していて、それを使えばとりあえずに料理は出来るのであったが。


「それはいいのう。クローの料理はうまい。それに手際もいいと女衆も言っておった。お主、前は料理人じゃったのか?」

「バイトで色々やったからなあ。料理は適当だけど、材料切ったり煮たりするのはあれだ。なんというか、昔やった特殊清掃業務の経験で。だから洗濯も得意なんだ」

「詳しく話さんでいいわい。いやマジで」


 スフィは嫌な想像をしながら半眼で呻いた。

 いろいろ出身に謎なところがあるクロウだが、スフィ共々所属するジグエン傭兵団はだいたいそんな連中の集まりなので彼の過去を気にされることは少ない。

 中には貴族の次男以降、魔法協会の追放者、癒し系オーク神父などもいるごちゃ混ぜの集団なのである。スフィも末席ながらエルフ族首長の血を引いていたりする。

 そんな傭兵団なので日常を過ごすには様々な問題が多発するのだが、その中でも小器用に立ち回り雑用をこなして胃袋を掴んでいるクロウは割りと好かれる青年であった。

 戦場に出るとクロウは死なないように、必ず二人以上で行動する事を決められているぐらいである。後方に下がっている事も多い。その際は、歌で援護するスフィの護衛という立場になる。

 ともあれ、彼は基本的に料理当番なのである。スフィが彼を見上げながら、


「今日の夕食は何にするんじゃ? お、見てみよあの魚屋の広告! ツインバスターローリング油圧式万力蟹が入荷しておるぞ! 蟹汁はどうじゃ!?」

「蟹かあ……蟹はちょっといい思い出が無いなあ」

「そうなのかえ?」

「蟹漁船から行方不明になっても保険って下りるんだろうか……?」

「なんか深刻じゃのう」


 ぼんやりと魚屋の店頭からはみ出すほどに巨大な蟹を見ながら、げんなりした気分で頭を振った。


「この前麦味噌があるらしい事を聞いた。米はないのが残念だが。晩飯はほうとうにしよう」

「ホートー?」

「大鍋で作る料理は楽でいいなあ」


 素直にそう思いながら二人は歩いた。

 ふと気になったことをクロウはスフィに尋ねる。


「そういえばさっき、空に羽根の生えたデカイ蛇が飛んでいたが……あれはなんだったんだ?」

「なぬ? ……しまった、もうそんな季節か……忘れてたわい」

「おいおい、何かマズいことでもあるのか?」


 少しばかり不安になってスフィに視線を落とすと、彼女はきょろきょろと通りの様子を伺っている。 

 やがて視線は先にある、持ち帰りの菓子を店頭に並べてる[甘味処・血みどろ]という店に止まった。


「買うものがある!」

「そうか、もうお菓子を我慢できなくなったのか。でも別の店の方がいいと思うが」

「ええい、すぐに戻るから……そこの公園で少し待っておれ!」


 言われて、クロウは仕方なく公園に向かいベンチに腰掛けた。背負っているネフィリムボーンは外して適当に立てかける。呪われてると、盗難の心配が無くて便利だ。

 小さな公園であった。遊具などは何もなく、花壇とベンチが数個あり、街灯が一つあるだけのぽつんと混雑した街で空隙のように存在している場所である。 

 クロウはベンチの背に両肘を乗せて、座りながら空を仰ぎ見た。遠くに行ったが、まだ空飛ぶ蛇の尻尾が見えている。

 

「そろそろ一年経ったっけか」


 ぼんやりと呟いた。 

 現代日本から異世界に突然迷い込んで、なんやかんやで傭兵に入って仕事をしていた。馴染んだかというと不思議なぐらい馴染めたのだが、故郷が懐かしくもある。

 

(随分と遠くに来たもんだ)


 帰る手段も方法もわからない。それが有るか無いかさえも。だから暫くはこうして金を稼ぎ、世間を知って行かなくてはいけない。

 その為なら料理だって作るし雑用もこなす。魔物と命をかけて戦うなど狂気の沙汰だと思っていたが、案外持ち前の図太さで何とかなった。幸い便利な武器も手に入ったのだ。立てかけている相棒を意識した。

 お伽噺になるほど昔、世界を滅ぼすために生まれて勇者に退治された巨人の骨を、闇の魔法使いが魔導の杖に仕立てあげたものらしい。だがクロウには魔法は使えないので、バットのように打撃武器として使っている。軽くて木製バットのように振れるが、壊れることはない。

 だが、と苦笑する。


(こんなもので武装した魔物や武装盗賊と殴りあうなんて、日本に居た時からすれば馬鹿みたいな話だ)


 一年も傭兵をしていれば慣れてしまったのだろう。北の荒れ狂う海を進む蟹漁船だって二日で慣れた。多くを望まなければ人生は簡単に納得が出来る。

 日本で見る空とこの世界で見る空は繋がってさえ居ないけど、青ければ同じと思えばいい。

 などと、考えていると再びぱたぱたとした足音を立ててスフィがやってきた。

 彼女は手に何か持っている。先ほどの菓子屋で買ったものだろうか。花のような笑みを浮かべながら、クロウの目の前で止まった。


「すまぬなクロー。今日はチョコレートの日だったのじゃ」

「チョコレートの日?」


 問い返すと、自慢気に指を立てて解説してくる。


「うむ! お主はどうせ知らんじゃろうが、今日は異性にチョコレートを送ると願いが叶うかもしれないという特別な日なんじゃよー。毎年あの蛇が飛んで宣伝しておる」

「へえ……バレンタインみたいだな」

「と、云うわけでクロー。私からチョコを受け取ったら、半分こして返すのじゃ。そうすると、貰った側も両方願いが叶うかもしれない御利益に恵まれるぞ」

「わかった」


 そう言って、スフィがチョコレートを渡してくる。インゴット状の固めなチョコレートケーキであった。

 半ばから軽く折って、半分──少し大きい方を──スフィに返す。


「はい、どうぞ」

「よろしい。よいしょっと」


 受け取ったスフィはクロウの隣に座って、チョコケーキを両手に持ってモグモグと食べだした。

 小動物のようなその仕草に微笑ましいものを感じながら、クロウも片手で齧る。ほろ苦くて甘いケーキだ。


「ありがと、スフィ」

「にょほほ気にするでない。若人に甘いものを食わせるのは婆の楽しみじゃからのう──これ、何を笑っておる」

「いや、すまんすまん。しかし本当にありがとうな」

「どうしたのじゃ?」


 クロウは笑いながらスフィに向き直って、


「いやほら、己れってこっちに来てさっぱりわからない事ばかりだったし、足手まといだったけどスフィはいつも助けてくれたからさ。今日もチョコレートの日を教えて貰っただろ」

 

 と、云う。

 スフィはぽかんと口を開けて、やや顔を赤らめそっぽ向いた。

 傭兵団内でも子供扱いされることが多かった彼女は、拾われて新入りとして右も左もわからない状態のクロウに優越感を感じて色々面倒を見てやっていたのだ。

 クロウは子供扱いするものの、スフィを馬鹿にしたりすることはせずに良く褒めた。それが嬉しくてなんとなくいつも近くに居るようになったのだが。

 真っ向に言われると恥ずかしい気分になって顔を背けるのであった。


「そ、そういえば、クローは何をお願いしたのじゃ?」

「ん? あーそうだな。じゃあ、スフィの願いが叶いますようにってな」

「……馬鹿者、自分の事を願わんか」


 言葉尻が弱くなっていくスフィにクロウは首を傾げながら、まあとにかく故郷に帰る願いをするにはあまりに製菓メーカーの陰謀臭い祭りな為に恩人へ願いを渡したのであった。

 しばし無言でチョコケーキを食べ終え、クロウは手と口元が汚れたスフィをハンカチで拭ってやった。

 途中で恥ずかしがってスフィはハンカチをクロウから引ったくり、自分でごしごしと拭いたのだが。

 そして立ち上がり、


「それじゃあ買い物続けようか。ああ、そうだ。スフィの希望通り蟹も買おう折角だから。蟹入りほうとうなんて食ったことないけど」

「うむ。行くぞクロー」


 そうして二人は手を繋いで再び歩き出した。

 ぎゅ、と大きな青年の手を握る小さなシスターは口に残るチョコの甘味を感じながらどこか眠そうな青年の顔を見上げる。


(……願い叶うかな)


 2つ分の思いを込めて、祈る。 





 *****





 魔法協会は元々刑務所だった建物を利用して作られている。

 それ故に個室の数が多く、その尤も不便な場所にある第一独房の奥まった狭い部屋が付与魔術に関する研究室として与えられていた。

 殆ど誰も立ち寄らない部屋である。付与魔術を研究している者はこの国で一人しか居らず、それが告死妖精だとすればもはやこの研究室は怪談の領域、近寄ったら寺の住職に怒られて親戚を集められるレベルであった。

 そんなところに気無しに立ち寄るのは騎士団で働いているクロウという男ぐらいである。


「クルアハ。居るだろう? 入るぞ」


 軽くノックをして確定的な判断をし、部屋の扉を開けた。

 とにかく研究室の主──告死妖精クルアハは無口なので、部屋の前で返事を待つなど無意味であることは既に付き合いから知れていたのだ。

 部屋の中は明るい。光る魔術文字が電灯代わりに使用されている為だ。この照明術式は魔法協会や役場内でも使われていて、その功績から研究室を得ることが出来たのだという。

 座れば地面に届くほど長く切り揃えた黒髪の、白磁で出来た人形めいた白く無表情な少女が机に向かって黙々と本を読んでいる。

 クルアハだ。

 クロウは机の上に積まれたチョコレート菓子の山を見ながら僅かに顔を顰めた。


「良く食えるなそんなに」

「……問題無い」


 ぼそりと、口が動いたのか動かないのか程度の小声で短く発声する。

 彼女は甘党でこの時期──チョコレートの日近くなると店で売っているチョコレートをコンプリートせんばかりに大量に購入して自家消費するのである。

 酒や飲み物も甘いものを好むのは妖精の性質なのだと云う。

 本に目を落として無表情のまま口にはチョコバーが咥えられて改札機のようにさくさくと入っていく。

 クロウは歯ぎしりするような仕草で顔を歪めた。


「うう、ところで治安維持騎士団で消費した術符の補充を頼むぞ……」

「……甘味苦手?」


 彼が何やらチョコの匂いにげんなりしている様子だったので、ふとクルアハは尋ねてみた。

 時々呑みに行ったりする程度の仲だが、つまみ等で甘味が出されても特に彼は気にせずに食べるタイプであった認識なのだが。

 ちなみにこのクルアハからしてみれば唯一の酒呑み仲間なクロウなのだが、これは彼が日本人的な社交辞令で「今度呑みに行こう」などと云う内容を口にしたところ、実際に呑みに連れて行くまでそれから毎日何処かで会っていつ行くのか聞かれたというちょっとホラー気味な事が始まりで、飲み仲間となったという。

 クロウは首を振りながら、


「いや、己れは役場内でもあちこち仕事に出向くから知り合いが多いのだが、その分女騎士の連中にチョコを貰ってな。これその場で食べないといけないルールだから一日に何度もするとキツい……」

「……多量獲得?」

「うむ。スフィには毎年貰っているのだが……今年は他に8人ぐらいだな。血糖値が心配だ……」


 やや青い顔でため息混じりに云う。

 バレンタインであるのならば持ち帰りが効くのだが、この世界ではその場で半分に割って食べなければ願いが叶わないとされているのである。

 ちょっとした日頃のお返し感覚でチョコを差し出されるのでクロウもさすがに辟易している。

 年齢的にも中年もいいところなので、甘いものばかりは健康も不安だ。

 既にチョコの香りを嗅ぐだけで酷く気分が悪くなっている。

 何故か本から顔を上げてじっとクロウを正面から見ているクルアハがいた。

 無表情だが、不機嫌に見える。

 そして口を明確に動かして言葉を放った。


「……ずるい」

「ずるいって言われてもな。っていうかお前のほうが量的には多く食べてるぞ」


 なんか妙な感想を言ってきたクルアハに、クロウは憮然と返した。

 彼女からそんな事言われるのは初めてな気がした。

 クルアハはクロウの反論にきょとんとした様子で、細い首を傾げながら言葉を紡ぐ。


「……ずるいなんて言ってない。私は妖精で魂が無いからずるいなんて思わない」

「珍しく長文を喋ったと思ったら苦しい言い訳だった……」

「……問答無用」

 

 再び凍った表情で手元の本に目を落として、がりがりと音を立ててチョコレートを齧るクルアハ。

 クロウは、


(余程チョコが多く欲しいらしい。ただで貰える己れが許せないようだ)


 と、判断して機嫌を直せないかと考える。

 そして、持ち歩いているビジネス騎士カバンに菓子が一つ入っていることを思い出した。


「そうだ、クルアハよ。[ハンマーの山]、[ドリルの里]というチョコ菓子を知っているか?」


 問いかけると、彼女はすっと菓子を詰んだ中から二つの箱を取り出した。

 ハンマーの山は取っ手のようなクッキー部分と、槌の形をしたチョコレートが付いている菓子。

 ドリルの里は捻れた円錐状のクッキーの表面にチョコが張ってある菓子である。

 これら二つはチョコ菓子の中でもロングセラーであるのだが、どちらが正統派なのか議論が尽きずに時折殴り合いの喧嘩に発展する原因にさえなっているのである。

 

「この前騎士団内でもそれが原因で、どっちが良いのか喧嘩が起きてなあ」

「……両方美味」

「まったくだ。同じようなものだというのに狂信者は聞かない。己れが調停を頼まれてな、争うぐらいならこれを食えと言ったのだ」


 そう言ってクロウが取り出したのは細長い円柱状の菓子である。[ト]というカタカナに似た形をしたものが紙製の箱に詰まっている。

 

「その点トンファーはすげぇよな。最後までチョコたっぷりだもん」


 それは別のメーカーが出しているトンファーの形をしたチョコ菓子である。クッキーを筒の構造にしてチョコを包んだヒット商品だ。

 然し乍ら理解は得られなかったので消沈して持ち帰ったものだったが。


「チョコレートの日は異性に渡すのだろう。己れからお前にプレゼントだ」


 そう言って封を切り、トンファーチョコを取り出す。

 てっきりクルアハが受け取るかと思ったら、「あ」と云うように口を開いて出してきた。

 仕方なく彼女の口に突っ込むと、ぽりぽりと食べ出した。

 ぽりぽり、ぽりぽり。

 一本、食べきった。


「……追加要求」

「なんかルールが違う気がする」


 釈然としない気分になりながらも、鳥に餌をやる気分で次から次へとトンファーチョコをクルアハの口に挿し入れていく。

再び小気味良いリズムでトンファーが口に収納されていく。なんということでしょう、これが匠の技──!


(面白い)


 クロウもつい愉快になって次々にクルアハの口に運んでいった。

 彼女が齟齬に気づいたのは最後の一本になってからだ。

 慌てて半分程のところでスティックを噛みきり、顔を離す。


「……半分贈呈」

「偉いなあと褒めるべきなのか」

「……何事祈願?」


 クルアハが問いかけて来たのを、クロウは苦笑しながら単純な疑問として問いを問いで返す。


「お前は何を願うんだ?」

「……妖精には魂が無いから願い事は叶わない。だから何も」

「ふぅん? そんなものか?」


 クロウは意地悪そうにしながら、残った半分のトンファーチョコを口に放り込む。


「じゃあ己れは、あんまりこれを長年続けても健康に悪そうだからな。チョコレートの日の廃止でも願うか」

「……それは良くない。こんなにチョコが盛り上がる日は無い。貴方がそれを願うなら、私は継続を願う」

「ほら、ちゃんと願い事あるじゃないか──ぐ」

「……」


 クロウの言葉に、クルアハは無表情のまま、彼の顔に本を押し付けるようにして遮った。

 笑いをこぼさないようにしてクロウは、


「悪い悪い、すまんな。そうだ、週末にでもいつもの飲み屋に行かないか。奢ってやるから」

「……委細承知」


 クロウはそう言って研究室から出て行った。

 クルアハは机に置いてある茶を一飲みして、口の中に残るチョコ菓子の味を嚥下して、誰も居なくなった部屋で呟いた。


「……いつも、貴方は変な事を言ってくる」


 そして、じっと彼が出て行った扉を見つめていた。



 

 *****




 空間歪曲迷宮砂漠の果て、メガシャークの巣である時間輪廻海域に面している、爆散重力光幕に囲まれた魔王城に居た時のことである。


「きゃぴる~ん☆ くーちゃんせんぱぁい! 我はこの日の為に手作りでチョコ作ってきました~ん! 食べてくださぁい♪」

「キモッ」


 魔王ヨグがセーラー服を着てそんな事を言ってきたので、黒髪で無表情なメイドと将棋を打っていたクロウは素直な感想を述べた。

 魔王である彼女の見た目は髪の色こそ虹色であるが、少女と言って差し支えない年齢なのだが己よりも年上だと理解しているクロウはまったくそう感じなかったようである。

 クロウやイリシアとは別の方法で不老化しているらしく、記録によれば百年以上前から生きているのだ。

 打ちひしがれたように両手両膝を床に付けて唸る。


「酷くないかな!? 我の肉体年齢は17歳で固定されてるのに! ボンキュッボンないーちゃんとも違う清純属性なのに!」

「いやすまん……己れはただキモいと感じただけでお主に対してどうというわけではないのだ……キモい」

「追加ダメージ! 追加ダメージ入ってるよ!」


 喚く魔王を無視してクロウは将棋を打ち続ける。相手のメイドが実力を合わせてくれている為に結構良い勝負をしていた。

 対人戦で手加減されると拗ねるクロウだが、そもそもメイドである彼女はIM-666(イモータル・トリプルシックス)と云う名の魔王が作った機械人形なので、コンピューターを相手にしているようなものだ。

 だから負けても腹も立たない。


「クロウ様。王手、致しました」

「ぐ……ちょっと待て。二手巻き戻してくれ」

「了解致しました」


 メイドが精確な動きで盤上の駒を元に戻す。そう、相手は機械なので待ったを使っても気に病む事はない。

 ジト目で対局を覗き込みながら魔王は云う。


「くーちゃんも情けないお願いしてないで構ってくれないかなー」

「うるさいのう。それで、何だと? すまぬが最初から聞いておらなんだ」

「酷いなあ! くーちゃんにチョコ作ったから食べてもらおうと持ってきたの!」

 

 魔王が差し出すのはハート型をした平べったいチョコレートで、表面にホワイトチョコで荒々しい明朝体で[愛しの九郎へ]と書かれていた。

 受け取ったクロウに対して魔王が得意げに解説する。


「知ってる? このペナルカンドでは元々チョコの原料のカカオは栽培されてなかったんだよ」

「ではどこから来たのだ?」

「くふふ、実はこれ、くーちゃんの世界から齎された食べ物なんだ」


 魔王がきらり☆とセーラー服でポージングを決めながら言うので無性に苛つくが、我慢した。


「ほら、くーちゃんの世界にもあるじゃないか。チョコレート記念日的なの」

「バレンタインな」

「そう。全然関係ないのにチョコレートの守護聖人にさせられてる人の日。

 でさあ、くーちゃんの世界にいる神様の一柱が『チョコレートの神って言ったら僕なんですけど!? ちくしょうこうなれば別の世界で僕が流行らせてやる!』ってこっちに渡ってきたんだ。

 それが空飛ぶ羽根の生えた蛇でチョコレートの守護神、ケツァルコアトルさん」

「あの蛇、己れの世界の奴だったのか……」

 

 毎年空を飛び回ってチョコレートの日を知らせる蛇を思い出しながらクロウは呟いた。

 ケツァルコアトルはアステカ神話に登場する一柱で王になった時は人にカカオ、トウモロコシの栽培を教えたり生贄の儀式を止めさせたりした農耕の穏やかな神なのだが、しょっちゅう喧嘩をして世界を滅ぼしあってるテスカトリポカと云う神がマジ怪しい呪いの酒を差し出して来て、疑いもなく飲んだら酒乱エロ属性に目覚めてドン引きされアステカの地を去ったと言われている。

 ちなみに現在の地球世界は太陽神争奪戦で四回滅んだ後の五回目である。

 クロウは気になったことを魔王に聞く。


「っていうか、そんなに気軽にこっちの世界に来れるのか」

「神霊や悪魔だったら結構簡単みたいだね。ただこっちからあっちに戻るのは大変だから創作物の依代を使って分霊的にこっちの世界に来てるのも居る。向こうの人間もくーちゃん以外に居るんじゃないかな? 13年に1人ぐらいの割合で迷いこんで来るみたいだし」

「そうか……長生きしていたが会うことはなかったな」

「ま、いきなり地球の人が流れ着いても運が良くなければそうそう長生きは出来ないね。くーちゃんみたいなのが特別なんだよ」


 ずるい、と口を尖らせて魔王は告げる。 

 クロウ以外にもペナルカンド世界に馴染んだ人間は確かに存在している。例えば地球と同じ名前の料理でレシピ本を作り流行させた者や、科学を発展させた者。

 元の世界にあった物語を書いて本を売る三流作家や、街に見えざるピンクのユニコーン教会を建てて布教した教祖など様々に生きていた者の痕跡が見られる。

 しかし魔女や魔王と当然のように関わっている彼はまた特別なのだろうと魔王は思っている。

 その特別さは彼女がメタな視点から[主人公力]と呼ぶ、魂の力である。

 魔王である自分には無いものだ。


「──元の世界に帰った人も居ないしね。このペナルカンドは数多ある世界の中でも吹き溜まりというか、ゴミ箱の底というか……流れ堕ち易いけどカオスな世界法則になってて出るのは大変なんだね」

「お主はひょいひょい他所の世界に行っているようだが」

「我は擬人化した特異点だから平気なのさ! ってとにかく、そのチョコを食べて欲しいなあああ!」


 話を戻されてクロウは手に持ったチョコを訝しげに眺める。

 そして先程から黙ったままであった侍女にひょいと渡して、


「イモ子や、ちょっと毒とか入ってないか分析してくれ」

「安定の酷さ!?」

「了解致しました」


 彼女は亜空間倉庫から瞬時に解析用のバイザーを装着する。バイザーというが、モノクルの形をしたそれがあたかも最初から付けていたように虚空から出現して自動的に目に嵌められた。

 

「──解析致しました。カカオ・バター・砂糖の他に血液及び魔学物質アンドロギニアンが含まれて居ると判断致します」

「……血と、もう一つは毒か?」

「肯定致します」

「イモータールー! 主の空気を読んでそこは黙ってて欲しかったなあ!」


 涙目になって無表情の侍女に非難を浴びせるが、クロウの目は冷ややかであった。

 

「毎年渡しておらんのにいきなり作ったとかなると怪しいであろう。いつもお主らの悪戯を受けているのだからな……っていうか血液ってなんだ。サイコか。引くわ。イモ子、処分しろ」


 彼の指示に魔王の作ったチョコレートは彼女の所持する亜空間に収納された。掃除道具からティーセットまで仕舞っている便利な倉庫である。

 魔王が恨みがましそうにしながら、


「ぐむむ……いーちゃんも作って無かったからなあ、あの子願いは自分で叶えるとか言って」

「あー、あやつと出会った学校で働いてた頃は糖尿なりかけだから止めてくれと全部断っておったしな」

「イモータルは冷血だし」

「イモ子の良い所は機械だから嘘を付かないことだな」


 正座したままの侍女を褒めると、彼女はぺこりと頭を下げた。


「お褒めを預かり致します。ところでクロウ様。IM-666もチョコレートの日にちなんでココアなどをご用意致しましたので、ご賞味いかがでしょうかと伺い致します」

「うむ? そうか、では貰おうか」


 魔王城では食事や茶汲みなどは侍女の仕事で、自ら進んで茶を用意してくる。

 以前魔王が自動調理器を開発して自慢気に披露したら、次の日には爆破されていた事があるぐらいこの仕事に誇りを持っているのだという。自動茶汲みルンバはオリハルコニウム弾で蜂の巣にされた。自動大根おろし器は空間圧搾大匙で消し飛ばされた。

 亜空間から取り出したのは飲みやすくきりりと冷えたアイスココアである。

 将棋に熱中してて喉が乾いていたクロウは受け取り、


「うむ、うまい」


 と、口に含んだ。

 甘い味が粘膜に染みわたる気配と同時に、異常な脱力感が体を包む。


「ぐぬ──?」


 酒を飲み過ぎて意識が朦朧としている時のように、体が熱く吐き気とめまいがして、眠たい。

 

「ちなみにそのココアの材料は魔王様のチョコを使用致しました」

「騙された──!?」

「クロウ様に処分しろと言われたので、再利用という処分方法を選択致しました」


 無機質な言葉が耳に届くと頭のなかでがんがんと反響して意識を刈り取ろうとしてくる。

 毒──いかなる効果かわからないが、碌でもないことはすぐに分かる。

 

「くふふふ、大丈夫だよくーちゃん」

「魔王──う、ぐ……お主はいつもいつも……」


 狂気を孕んだ魔王の言葉が布に染みこむ粘液のように脳が蕩ける感覚を伝える。

 クロウの半ば閉じられた目のすぐ前に、魔王の虹色をした瞳が瞳が瞳目目目目目目……

 正気を削る魔王の瞳にクロウは抵抗を奪われたまま晒されてしまい、それが効果を発揮する。


「君を元の世界に飛ばす為に、我と魂の接触点を作る術式をかけるだけだから」

「…………」


 故に触媒として魔王自身の血液を入れていたのであるが……

 もはや魔王の言葉を把握することも理解することもクロウには出来なかった。


「眠るといい。起きた頃には終わってるし──汝は何も、思い出さない」

 

 クロウの意識が──完全に途絶えた。

 

「さって、いーちゃんに見つかる前に、ちゃっちゃと済まそうか。イモータルは適当にあの子を誤魔化して時間稼ぎしといてねー」

「了解致しました。念の為にこの部屋を次元隔絶封鎖処理致します」

「あーだめだめそれだと怪しすぎるから。いーちゃんだったらチート魔力で強制的にこじ開け兼ねないし。イモと蛸とカボチャでも煮込んで食べさせとけば暫く大丈夫でしょ」


 魔王の助言に一礼して了解の意志を示した。

 術式の作業は集中して行うために魔女イリシアに邪魔などされたら困るのである。そも、クロウを元の世界に戻すために魔王と組んだイリシアであるのだが。

 空間転移で部屋から消えた侍女を見送って、少し寂しそうに魔王は呟いた。


「怠惰と停滞の狭間に止まっていても我は構わないのに──人はうつろうものなんだね、くーちゃん」


 そしてため息混じりに、


「──甘いなあ」


 と、言った。





 *****





 よく晴れた日であった。

 節分も終わり春の兆しが見え始めているが、まだ朝晩の空気は冷えている。

 その日も緑のむじな亭に石燕はやってきて、九郎に勿体振りつつ一つの包みを渡してきた。


「やあ九郎君、今日は珍しいものを持ってきたのだよ」

「うむ?」


 彼が包みを開けると、猪口ぐらいの大きさの黒褐色で平べったいハート型のものが出てきた。

 どう見てもチョコレートであるが、江戸時代には無いはずだが、と九郎が目を大きく開けて、ひっくり返したりして裏表を眺める。

 石燕が得意げに指を立てて云う。


「これは[しょくらあと]という菓子でね。阿蘭陀からも輸入はしていない非常に貴重なものなのだよ」

「どうやって手に入れたのだ?」

「ふふふ、輸入自体はされていないのだが、商館長カピタンが個人的な贈呈として長崎奉行に上げたものなのだよ。私は少々長崎奉行に顔が利いてね、大金と引き換えに融通してもらった」

「また妙な趣味に金を……」


 呆れて九郎は腰に手を当てて胸を張り自慢している石燕を見る。

 実際にチョコレートの日本の伝来として記録に残っているものは、長崎の遊女が阿蘭陀人に貰い受けて記録に残した寛政の頃だと言われているが、石燕がこうして手に入れている物は長旅をする船乗りの為に薬としてそれ以前から阿蘭陀人が持ち込んでいたのだろう。

 彼女が長崎で絵や蘭学の勉強をしていた時に何やら巡り合わせで長崎奉行に貸しを作った事で分けてもらえることになったのだ。

 当時のチョコレートは液状だったのだが、わざわざ石燕が油分を含む醍醐と砂糖を加えて練り固形チョコに加工したのである。

 

「しかし、ハート型であるな」

「ふむ。紅毛人達の国ではこれを心臓の形と言っているらしいね」


 九郎の疑問に石燕は、ひょいとチョコを掴んで上下逆さまにして見せた。


「恐らくは命の象徴である、生命の実──すなわち、桃を表しているのではないかと私は思うのだよ!」

「桃か。確かにひっくり返すとそうなるな」

「ふふふ、日本では桃太郎の話が有名だね。流れてきた桃を食べたお爺さんとお婆さんは若返る。イザナギも黄泉の国から逃げる時に桃の実を投げつけて最後に逃げ切っている。大陸でも仙人が食らう不老長寿の実は桃だ」

「あー……確か女の胸の形という説もあったぞ」


 ぼんやりと九郎が呟くと、


「え!? 今誰か神聖なるおおぱいなりの話題出した!? 出しました!?」

「いや勘違いだ帰れ仕事しろ」

「タマー……」


 はしゃいで湧いて出た少年を追い払った。

 石燕は微笑みながら、


「さて九郎君。この菓子、名前を[しょくらあと]というがこれは何故だと思うね?」

「うむ? 妙なところに目を付けたな。確か……原料がカカオと言ってな。現地語がまた別の言語に訳されて、まあこの日本に来た頃にショコラとチョコレートが混じり伝わったのではないか? いや知らんが」


 九郎は聞きかじりですら無い、適当な返答をした。チョコやショコラはだいたいカカオの読み違えだと記憶はあったので、そのへんだろうとあたりを付けたのであるが。

 だが地獄先生は違った。主に脳のネジの規格が。

 彼女は指を振りながら解説しだす。


「いいや違うよ九郎君。違わないのかも知れないが、これはもっと重大な理由があり日本では[しょくらあと]と呼ばれているのだ」

「ほう。どのような?」

「私の瑠璃色の脳細胞によればこの単語は[しょくらあ]、[と]に分けられる。ふふふこれでピンと来たのではないかね?」

「いや、さっぱり」

「つまり[しょくらあ]とはね九郎君。妖怪[しょうけら]が訛ったものではないかと思われるのだよ!」

「ええええ」


 心底違うと思うのだが、まったく意識していなかった組み合わせに九郎は呻いた。


「そう考えれば残りの[と]と言うのは漢字で書くと[戸]、つまり[三戸さんし]を表すことは明白だ。

 三戸と言うのは道教における伝承でね。人間の体内には上戸、中戸、下戸という三匹の虫が生まれついて存在していると言われている。

 これらは庚申の日に体内から抜けだして天帝、或いは泰山府君に宿主の悪事を告げ口し寿命を縮ませるという役割を持つのだね。

 告げ口に行くのは宿主が寝ている間だから庚申の日は寝ずに過ごすというのが庚申待と呼ばれる徹夜の儀式だ。しょうけらは屋根の上に乗りそれを見張る妖怪なのだよ」

「ああ、うむ」


 九郎は軽く頭を抑えながら、一応問いかけた。


「それで、何故この菓子にしょうけらの名が?」

「良い質問だね。庚申待と言うのはその夜に寝ない事が肝要だね。だからそれを行う貴族らは茶を飲み眠気を抑えて夜を明かした。

 このしょくらあとにも茶と同じく眠気を覚まし、また血流を促進して元気づけ甘味は苛立ちなどを抑える効果があるのだよ! 昨晩試食して私自ら実感した。

 つまり、しょうけらと三戸に備える庚申待の為に使われる菓子で[しょくらあと]と呼ばれているのではないかと提案する」

「提案されてもな」

「では文献に書き残しておこう」

「後世を混乱させようとするな」

「しかし庚申だと五行では金行になる……甘いという味は土行に分類されるのだが……いや、五禁によれば甘味が金行だから、摂り過ぎると良くないということかね?」

「考えすぎてもこじつけ以外の何にもならんと思うが……」


 ぶつぶつと考察を続けている石燕を見ながら九郎は茶を一口啜った。

 新しく変えたばかりの心底苦い茶が口に染みて、顔が綻ぶような美味さだ。薩摩から取り寄せた[鹿屋]の茶であった。

 石燕はやがて己の中の定説が如何様に纏まったのか、顔を上げて再び九郎にチョコレートを渡してきた。


「ともあれ、これは九郎君に食べて貰おう。庚申待をするのも男と相場が決まっているからね。生命の象徴の形もしているから、九郎君の健康を祈って」

「不健康なのはお主の方であろう。貴重な物なのだ。若い者が食べると良い」

「私が九郎君にあげたいのだよ」

「……そうか」


 九郎は平面な桃形のチョコを受け取り、二つに割った。

 ぽかんと見ている石燕に半分を返して云う。


「昔、己れの古い友人が教えてくれたことでな。こうして、渡されたこの菓子を半分にして返すとお互いの願いが叶うそうだ」

「ほう。それは夢想的で良い祈願方法だね」

「……ああ、己れもそう思う」


 九郎は目を細めて、ずっと昔に空飛ぶ蛇の下、チョコレートケーキを分けて食べた友人の事を思い出した。

 若い頃から老人になるまで長い付き合いだったが、魔王のところで厄介になってからは疎遠になってしまった。

 しかしそれでも、まだあの日のことは覚えている。

 どこか懐かしそうな表情の九郎を見ながら、石燕は一口でぱくりとチョコを頬張った。


「甘くて美味しいね。私は人生に於ける幸せの一割は甘味だと思っているよ」

「そうかえ」


 九郎も同じくチョコを口に放り込む。 

 苦味に混じりヨーグルトに近い酸味、そして上品な和三盆の甘さが口にふわりと溶けて染み込まれるようだった。

 

「さて。私と九郎君、あと皆が健康で居られますように、と」


 手を合わせながらそう願う石燕に、九郎は苦笑を返す。


「欲張りな願いだな」

「そうだとも。私は強欲なのだ」

「そうか。己れの分もお主が願ってくれてるようだから……」


 九郎も石燕に倣って、手を合わせて軽く目を閉じた。

 遠く離れた友人の事を思う。

 あの世界で仲が良かった彼女の事だ。自分が居なくなった事を気に病んでいるのは想像が出来た。優しい子だったのだ。

 今は何をやっているかわからない。長命種族だから生きているのだろうか。願いが別の世界に届く保証も叶う根拠もないが。


(スフィのやつが風邪などを引かないように……)


 とりあえず、異世界に残してきた友人の為にそう願った。


 如月の半ば──江戸の空は青く済んでいる。










 



 *****




 魔王城が破壊され、時空間汚染されていた土地が浄化されてそこに国が作られた。

 第一級殺神罪であった魔王を打破した勇者には多くの神から栄光が与えられ、世界中から人が集まり国づくりが行われて大都市となる。

 あらゆる人種が集まり発展させるその都市は[帝都]と呼ばれた。

 東の島国との交易拠点にもなる帝都はあっという間に大陸中の都市と結ばれて国を広げていく。

 目に見えて日毎に増え広がる街並みはこの世の最盛を思わせるほどであったという。


 そんな帝都のある場所で。

 小さな花畑に囲まれて、綺麗に手入れされた墓が一つあった。

 墓の下には骸は入っていない。

 昔、縁があって借りたままだったハンカチが一枚埋められているだけだった。


 墓の近くにある小さな教会には小柄なエルフのシスターが一人住んでいる。

 別の国では大司祭にまでなった歌神の修道女であるが、隠者のように暮らしていた。

 教会に来る子供たちに毎週、悪戯好きな魔女と苦労人の騎士の物語を歌って聞かせている。

 魔女という存在は死んで魂まで別の世界に行った事で急速に忘れられているのだが、歌にしていた彼女が語り継いでいたおかげで、絵本のお伽噺にもなっていた。

 

 いつも、自分で作った墓に歌を唄っていた。

 骸は無いけれど、確かに死んだのだと言われている大事な人の墓に。

 彼が若い頃から付かず離れずの付き合いがあって──。

 世界中から指名手配されててもひょっこりと遊びに来たりしていた友人だった。

 墓を作って最初のころはひたすら泣いていたが、やがて彼女は泣かなくなった。


 しかし年に一度。

 墓の前でチョコレートケーキを一人で食べる時だけは泣いている。

 これからも、ずっと。忘れないように。




 羽根の生えた蛇が今年も空を飛んでいる──



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