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40話『世紀末の流行色』



『野火太郎、山田浅右衛門に曰く、男の持つる和泉守井上真改の切れ味たるや、三胴也と。己の持つ一本差しは無銘なるを誹られもはや強之助に我慢為らぬ。

 浅右衛門が応えるに、然らば汝の刀に泊を付けたるや否や。貴人、三を重ねて九つ切り銘を名乗らん。良き時合いならば正に月の朔日也……』




────浅氏苦楽 作 [血煙本丸佳話]より。





 *****

 




「アサえも~ん!」


 野火太郎やびたろうが情けない声を上げて部屋に飛び込んできた。声といったがやはり情けない顔で抱きつくように、刀の手入れをしていた山田浅右衛門に抱きつく。

 迷惑そうに顔を歪めて、口をひん曲げながら浅右衛門は一応尋ねた。


「どうしたんだい野火太郎くん。また虐められたのか?」

「さっき、強之助すねのすけに持っている刀を自慢されたんだぁ。あいつの井上真改は胴を重ねて三つも切れる凄いものだって! 僕の刀なんて無銘のナマクラだって馬鹿にされて……何とかしてよアサえもん!」

「仕方ないなあ野火太郎くんは……」


 曲がりなりにも剣友だというのに、己の腕前よりも持ち物に拘る野火太郎に情けなく思うことはあるが、このまま泣きつかれていても鬱陶しい。

 仕方ないので何か案を考えてやることにした。とは言え、連載で三度に一度は来る同じ頼みなのでそろそろネタも尽きかけている。

 ごそごそと様々な刀が出てくる箪笥を探って取り出す。


「どろどろん! 歌仙兼定~」

「なあにアサえもん、その刀は」

「これはね、細川忠興が自分の部下三十六人を斬り殺したことから三十六歌仙にちなんで[歌仙]と名前を付けられた名刀なんだよ」

「へえ~」

「つまり野火太郎くんも乱心して偉い人を斬りまくれば、その無銘のなまくらにも何か曰くがつくんじゃないかな? 折しも今月はお正月でお城に人が集まってるし……」




 *****




「あ~、こりゃ限々(ぎりぎり)ですわ。ギリギリ超駄目」


 [為出版]の主から、渡した原稿の内容にそう言われて[アサえもん]の連載を失ったので山田浅右衛門吉時は正月早々意気消沈して町を歩いていた。

 年の頃四十前後の痩せ気味で異様に目つきが剣呑としている、堅気には見えぬ中年である。白い着物を着ているせいか、大悪党の幽霊のようにも見える。

 彼が仕事を首になった版元は今までに何度も際どい出版物でお上に目を付けられている為に、バイオレンスほのぼの物を書いていた浅右衛門の連載も際どい判断をしていたのだがさすがに刀の試し切りで江戸城に押し入る話を出すのは無謀であった。

 というか、


「浅氏先生、何か厭なことあったんですか? 少し本業の方も休んでは……」


 と、心配される始末だ。浅氏と言うのは彼の黄表紙用のペンネームで、浅氏苦楽あさし・くらくとつけている。

 山田浅右衛門は公儀の処刑人を本職としている無役の侍である。当時、罪人の斬首などは同心の仕事であったのだが穢れを多く持つその仕事はやりたくないという声が出るのも、また太平の世となった武士の軟弱さであろうか。

 そう云う時に彼、人呼んで首斬り浅右衛門に代理を頼むということが多かったとされている。斬首役になった同心は手当として二分金が渡される上に、浅右衛門から更に礼金も貰える為に丸儲けなのである。

 何故穢れの仕事を代理した浅右衛門の方から礼金も出るのかというと、彼に頼んだ場合には首の無い骸は浅右衛門が自由にしても良いというネクロ系の取り決めがあったのだ。

 首なし死体を手に入れた浅右衛門は日頃から親しくしている大名や旗本に声を掛けて、試し切りの材料として死体を使った。それにより刀の切れ味を確かめ、また刀剣の格付けも行えたことから多くの礼金を大名などから貰える立場であった。

 例えば録山晃之助も縁のある柳川藩立花家などでは大いに彼を重用し、度々贈り物をしていたといわれている。

 それ故、無役の浪人だというのに代々の山田浅右衛門は裕福な暮らしであったという。

 だというのに彼は、


「金が無い……」


 と、がっかりしている。

 

「去年はとみに仕事無かったから……」


 ここのところ、仕事が減っていたのである。

 彼の収入はつまり同心から仕事を譲ってもらって死体を用意しなければいけないのだが、最近は[切り裂き]同心とかいう、人を切るのが大好きな異常者が出張って斬刑を行っている為に彼に回る数が少なくなっていたのだ。

 これも殺してきた因果が悪い運勢に向けているのかと、年の暮れに家財を売り払って罪人の供養を頼んでいる寺に全額寄付したのだが、あまり運は上向きになっていない。そしてこれがあるから大丈夫だろうと思っていた副収入の書き物が途絶えてしまった。

 元々彼は金こそ多額稼いでいる立場であるが、それ程に執着はなくさっさと使ってしまう性質なのだ。それも供養の為や物乞い、病人にくれてやることも多く、


「浄財」


 と、しているという。

 暮らしが貧しいからといって食うに困るわけではない。仕事柄知り合いは多いし、金持ちの大名などに頼めば食事と金の都合ぐらいはしてくれるだろう。弟子のやっている道場に顔を出せば上げ膳で馳走してくれる。

 しかし、ただでさえ死人の因果を背負っている身としては、あまり生者にまで借りを作りたくなかった。

 誰かから借りずに当面生活する金をどう稼ごうか、ぶらぶらとしながら考える。


(こんなことなら、なまくらでも腰に差しておくんだった)


 刀を質に入れようかと一寸考えて、止める。刀屋の知り合いも多いが、彼の下げている刀ならば二百両か三百両程も質金を渡されてしまう。それでは暮らすに多すぎる。

 儲け過ぎるのも貧乏過ぎるのも嫌で、仕事付き合い以外では人に頼りたくない──浅右衛門は面倒な性格だったのだ。

 僅かな日銭をどう稼ごうか悩んでいると、声が掛けられた。


「お、時間通りだな。よし、早速頼むぞ」

「はあ?」

 

 にこにことしながら彼の肩を叩いたのは見知らぬ親父である。

 彼はひと通り浅右衛門の格好を見ながら満足そうに頷く。


「中々様になっているじゃないか。額布は忘れたのか? まあこっちで用意してるから」

「何を言ってるんだか」

「なァに暗がりに突っ立ってるだけで日当百文だ。せいぜい驚かしてくれよ」

「……」


 浅右衛門は親父が腕を引きながら連れて行こうとしている建物を見上げた。

 化け物屋敷、と書かれた見世物である。

 そして自分の格好──白装束を思い出して、幽霊役の従業員と間違えられていることを悟る。とにかく顔が凶状持ちと間違えられるほどに怖いので適役に見えるのだ。

 だが、


(まあ、いいか。金も貰えるみたいだから)


 と、皮肉げな表情になりながら彼は素直に化け物屋敷へ入っていくのだった。

 死体で日々の糧を得ている自分が、幽霊の振りをしてまた銭を稼ぐというのも何か面白く思えたのだ。




 *****

 

 


 神田にある老舗の蕎麦屋、[木公屋きくにや]で九郎は卵綴じ蕎麦を食べていた。

 大晦日に緑のむじな亭では九郎が仕込んだ煮玉子蕎麦を出したことがあるが、それを食った影兵衛から、


「卵蕎麦なら、[木公屋]のが一等だぜ」


 と、聞いた為に年が明けてふと蕎麦を手繰りたくなったので食いに来たのだ。

 この蕎麦屋、店作りは広くて多くの客を収容でき、品目も蕎麦から盛り切りのめしと様々な種物のおかず、また最近流行りの天麩羅蕎麦なども扱っている。

 老舗となるとあまり流行りに手を出したがらないのだが、特に拘りはなく提供しているようだ。

 実際に店内の客は皆美味そうに食事を楽しんでいる。

 石燕とお八も九郎と同じ座敷に座って居る。お房は店の仕事があるので行かないと、ドライに誘いを断った。

 この三人の組み合わせでも結構出かけることがあるのだ。お八はからかってきたり脅かしてきたりする石燕を苦手には思っているのだが、嫌っているわけではない。

 九郎が思うには、むしろ師匠として尊敬の眼差で見ているお房よりも、お八は彼女を単純に好きでいるように見えた。好きだからこそ何か苦手なのだ。そう云う年頃である。

 

「うま。なんか知らねえけどすっげえ旨い」

「ふふふ、はっちゃん。あまりに感想の語彙が乏しいと叔父上殿みたいになるよ?」

「うっ……それは嫌だな」


 僅かに顔を曇らせて、お八は今度は慎重に卵綴じ蕎麦をすする。


「卵が……うん、ふわっとしてて蕎麦に絡んで……ええと」

「ふふふ」

「これ、これ。わざと難しく云わせようとして困らせるでない」


 言葉を悩みながら選んでいるお八を楽しげに見ている石燕に、九郎もまた少しばかり笑みがこみ上げつつ言葉を放った。


「あまり難しく物事を考えながら食うとまずくなるぞ、ハチ子や」

「むう……」


 やや非難がましい目線を石燕に向けて、お八はつるつると蕎麦を再開した。

 九郎も蕎麦に向き直る。

 しかしながら卵綴じ蕎麦と聞いて、せいぜいが蕎麦のつゆに溶き卵が入っている程度かと思ったのだがこれが違った。

 蓋のついた丼で出されたこのメニューは上から見ると蕎麦が一切見えぬ卵の薄黄色い層で上段が覆われている。

 これは、まず丼に蕎麦を入れその上に板海苔を敷いて、上に[卵ふわふわ]という料理を載せているのだ。

 卵ふわふわとは日本で初めての卵料理とも言われているもので、溶いて泡立てた卵に熱い出汁を混ぜあわせて蒸して程良く火を通したものだ。

 海苔により蕎麦との混合を阻まれた卵に箸を突っ込んで蕎麦の麺を引っ張りだす。

 すると蕎麦の麺に卵ふわふわが絡んで取り出されて、啜り込むと絶妙に味の異なる蕎麦のつゆと出汁の味に卵の柔らか味が中和してまろやかな味わいになり、旨い。

 蕎麦自体も濃い目の味付けにしていることで卵部分の出汁が引き立つように味付けされている。むじな亭の蕎麦とは出来が違う。

 

「本職には敵わぬな」


 言いながら九郎もずるずると食う。

 昼間から酒と一緒に注文した[わさびいも]を摘みながら石燕はよく食べる二人を見ていた。わさびいもは、練った山芋をわさび醤油で食べるもので、粘りと辛味が口の中に残るのを酒で洗い流すととてもよく合う。

 石燕は予め言おうと企んでいたように提案をする。


「腹ごしらえが終えたら二人とも、遊びに行かないかね? 興味深いものがあるのだが」

「なんだ? あたしは別にいいけど」

「両国に新しいお化け屋敷が冬季限定で開演されているようでね。年始めの恐怖を味わいに行こうではないか!」

「お、お化け屋敷っ!?」


 目に見えてお八が怯んだ。

 彼女は以前にお化け屋敷で驚かせ役に棍棒で殴られて以来、どうもお化けというのが苦手なのであった。昔のお化け屋敷は驚かせ方が直接攻撃的なのである。

 九郎の方は目を虚ろにしながら、


「年始めの恐怖……うう、窓が、窓……頭が……」


 などと呟いている。

 一方で道場に居る晃之助は「怖くもないし寒くもないから窓など要らない……」とロシア帝国スヴォーロフ元帥のような事をぼそぼそと囁きつつ取り憑かれたように暗い顔で窓枠を破壊していた。何があったのだろうか……。

 ともあれ、妙な精神汚染を受けた彼はともかく、石燕は指を立ててお八に云う。


「苦手だ怖いとばかり思っていては本質を楽しめないのだよ? なに、今ならお化けの専門家鳥山石燕と荒事担当の九郎君も居るのだ。私達二人が組んで怖いものなど何もない。将軍だってぶん殴ってみせるさ。飛蝗期ひこうきだけは勘弁だがね」

「何処のちぃむだ、己らは。それに飛蝗期が無理やり過ぎぬか?」

「飛蝗こと世界を滅ぼす悪魔あばどん相手には少し分が悪いね。あれは佃煮にも出来ない」


 したり顔で云う石燕だったが、ともあれお八は暫くじっと九郎と石燕の顔を眺めて、


「絶ッ対見捨てたりしないでちゃんと助けてくれよ」

「わかっておる。当たり前だ」

「……へへっ、じゃあ行ってみるか。この才女お八ちゃんが、そうそういつまでも過去に怯えるものかよ」


 と、元気を取り戻したように言うのでなんとも微笑ましくなって、九郎と石燕は顔を見合わせるのであった。

 蕎麦屋を後にして神田から両国まで歩きとなる。

 雪がまだ道の端には残っている寒い日だったが、天気は良かった。ゆっくりとした歩調で三人並んで進む。

 両国橋の途中で、


「おっと」


 呟いて石燕が僅かに躓いたので、九郎がさっと転ばぬように手を貸した。

 彼女は足元を見ながら、


「すまないね。どうも履物の鼻緒が取れたようだ」

 

 お八が袂を探りながら、丁度良かったとばかりに言う。


「布の切れなら持ってるぜ」

「おお、さすが呉服屋の娘だな」

「助かるよ。これを細く裂いて結ぼう」


 三人は橋の隅に行きつつ屈んで簡易的な修理を行うことにした。

 び、と快な音を出して布切れを裂いてそれを履いている鼻緒に括ろうとする。

 だが、手が細かい作業をしようとするとぶるぶると震えだした。


「……九郎君、お酒持ってない?」

「さっき呑んでいたであろう……もう切れたのか」

「末期すぎるぜ……」


 アル中であった。

 十四歳には振り袖でも打ち掛けでも束帯でも縫えて、先は大奥の針子かとさえ言われた才女のお豊ちゃん(石燕のことである)としては、すっかり針仕事をするには手が鈍っていて(正確には酒の飲み過ぎで)歯がゆい思いであった。

 

「仕方ないのう」


 言って、固まっている石燕から布で作った紐と履き物を九郎がぱっと取り上げた。

 お八が意外そうに見ながら、


「出来るのか?」

「旅をしていれば細かい縫い物ぐらいは自分でするものだからな。まあ見ておれ」


 そう言って彼は鼻緒に紐を結びつけようとした。

 すると、カタカタと己の意志とは関係なく手が震えだす。

 寒いというのに冷や汗が流れた。


「……むう」

「お前も駄目になってるじゃねえか!?」

「ち、違う。これはアル中ではなく老人性振戦という加齢によって起こる仕方ないことなのだ!」


 言い訳がましく言う九郎から今度はお八が引ったくる。


「──ったく。まあ見てろって」


 そう言って器用にさっと鼻緒を結びつけて修理をこなした。

 九郎と石燕が「ほう」と息を吐いた。

 呉服屋の娘で十四ほどになるとなれば、意外でもなんでもないのだがこの男まさりで道場などに通っている娘な為に、こういう女らしい事も出来るのかと感心したのである。

 去年の、九郎と出会うまではまったくこのような縫い物にも学ぶのに不満を持っていたのだがそれから心構えを変えたのだろう。


「どんなもんだ」


 得意満面な顔で言うので、どうも可愛さがたまらなくなり、石燕はお八の頭を抱きかかえるようにして、


「ありがとうだね。うん、よしよし」

「あっ、こら止めろよ石姉! 子供扱いはだなあ」

「ふふふ、いいお嫁さんになるよ、はっちゃんは」

 

 などと言うのだから彼女はちらちらと九郎を見ながら赤面してしまう。

 九郎も頷いて軽く目を閉じながら、


「うむ、なんなら己れがそのうち良い見合いの相手を探しておこう」

「ばかかお前は!」

 

 拳を固めて九郎の脇腹をツッコミ程度の威力で狙ってきたので軽く受け止める。握りこぶしの形と振るい方が、しっかりと晃之助に習った格闘に即していて妙な感慨を覚えた。

 そして心外そうに、


「己れはこれでも縁談の仲介は得意なのだぞ。前に嫁をつい三人も見繕った紳士からも、後年孫に囲まれて幸せだと手紙が届いたぐらいでな」

「知らねえよ……」


 重婚可な国だったのだ。さすがに結婚一年目ぐらいはオーク紳士も絞られ痩せ細ってしまっていたのは申し訳なく思ったがそのうち落ち着いたらしい。

 九郎が町に住んでいる間は毎年、農園で栽培しているニャルラトマトやダゴン大根と言った高級野菜と穏やかな近況報告の手紙を送ってきてくれた。元気にしているだろうか……オークは長命種族だから生きているとは思うのだが。

 石燕はおかしそうに笑ってお八を宥めた。


「ふふふ、はっちゃんよ、九郎君は昔からこんなつかみ所のない性格だからね。難易度高いよ?」

「昔からではない。まったく、適当を云う」

 

 急に幼馴染設定が出現した為に訂正を求めたら、小さく綴った冊子をそっと渡された。

 そして耳元に口を寄せて囁く。


「そういうと思ってこれに君の過去録を設定しておいたから後で熟読し憶えておきたまえ」

「己れの昔を作られた!?」

「本気を出すと光の翼が生えて全身が黄金色に輝き──」

「止めろよそういう意味も真実もない設定は」


 言い合っていると、困ったような嬉しそうな綻んだ顔でお八が腕を組みながら言った。


「昔とかそんな付き合いじゃねえのに二人は仲がいいよな」


 何故か嫉妬も沸かなかったが、ぎゃあぎゃあと姉弟か兄妹のような二人は見ていると面白い。

 九郎は頷きつつ、


「ま、此奴とはなんというか……」


 友人、と単純に言えばそうなのだが、もう少し違った言葉がある気がする。

 馬の合うというか、気が置けないというか、遠慮のないというか……

 九郎は何度か言葉を反芻して、口に出した。


「そう、気の触れた仲間と言ったところか」

「……九郎君は時々日本語が怪しい」

「む?」


 どこか間違っただろうか、と九郎は首を傾げた。

 

 


 ******

 

 

 

 両国本町にあるお化け屋敷。それは二百坪の御家人屋敷ほどの広さをしている店を二つ繋げて、店頭に鯨幕を張っていていかにもな雰囲気を出していた。

 三人が近づくと入り口から大急ぎで顔を青くして飛び出してくる男女の姿が見えて、


「二度と来るか!」


 と、肝を冷やした様子で受付に叫んで逃げていった。

 建物の中からは時折悲鳴や怒鳴り声が聞こえる。内容はともかく、中々に恐ろしい出来になっているようだ……。

 早速お八は顔が引き攣って、無意識に九郎の手を握っている。


「さあ、行こうではないか」


 石燕がうきうきとばかりに入り口へ向かった。

 番台に座っている初老で顔色の悪い男が告げてきた。


「入場料は一人三十文ですぜ。出口は裏にあるが、入り口から逃げ帰ってももう一度入る時には別途金を貰いますが」

「いいとも」

「あ、それと」


 受付は九郎の腰に差した刀を軽く顎で指す。

 太刀を持ち歩くのは変だと言われるのだが最近はもはや開き直って九郎も装備している。


「驚いたからって腰の物を抜かないでくだしぃよ、あんさん」

「うむ、わかっておる」


 そう言って、三人分の金を払う。

 入り口の暖簾をくぐって薄暗い屋敷内へ三人は横に並んで入った。

 真ん中にお八を置いてその両方の手をそれぞれ九郎と石燕が握っている。雰囲気を出すように屋敷中を薄暗くして床は軋むようにして、ところどころにある行灯は青い僅かな光を灯していた。

 なるほど、中々に本格的だ。


(魔王の城にもあったな……侵入者撃退用のお化け屋敷が……)


 恐怖心が一定以上になると人体が形を保てなくなって崩壊するという恐るべき呪いが込められた空間だったのだが、肝心の魔王のセンスが台無しなのであまり効果は無さそうだった。ポルターガイストのように乱舞するぬるぬるコンニャクは笑わせにかかっていると思ったのだが、本気だったらしい。

 他にも様々な面白おかしく命を刈り取るアトラクションを地上の城には仕掛けていたが、無慈悲な超広域最上級闇魔法と魔鳥の特攻爆撃により施設の殆どは使われることもなく破壊されたのだった。

 また、お化け屋敷とは別に[呪霊物件]などと呼ばれる悪霊に呪われた家も異世界にはあり、役場で騎士をしていた時は転生神の司祭がお祓いに行くというので不動産の記録係で同行した時は、映画みたいな光景を想像してワクワクしていたら外から幽霊屋敷に放火して全て転生の炎で燃やし尽くして終わり、かなり白けたことがある。

 思いにふけりながら順路を進む。曲りくねって敷地を通過させる道なりになっているので、少しばかり距離はある。

 やがて、入って最初の[怖がらせ地点]とでも言うべき場所に辿り着いた。

 それに気づいたのは、そのあたりだけやや明るくなっているからだ。

 怖がらせるための仕掛けを目に付かせやすくしているのだろう。

 

(さて、唐傘お化けでも出るか、お岩さんが出るか……)

 

 などと九郎が完全に見くびりながら待つ。汗ばんだお八の手が強く握られる。

 すると、


「ウオ゛オ゛オ゛──!! ヴオオ゛──!!」

「うゃあ!?」


 叫びながら現れたのは。

 ほぼ裸に腰ミノをつけて般若面を付けた大男が、叫びながら両手に出刃包丁を振りかざし猛ダッシュでこちらに来るのだ。

 お八は失神寸前に目を囘し、さすがの石燕も妖怪というより暴漢の出現に驚いたようだ。

 九郎も、怖いとかそれ以前に相手が変質者過ぎて慌てて二人の身を守るために、両脇に抱えて道を逆走し、入り口から飛び出した。

 がくがくと涙目で震えているお八を下ろして、思わず受付に怒鳴る。


「おい!? お化けじゃないだろあれ!」

「嫌だな。裸出刃入道ですぜ」

「そんな一寸キモ可愛い鼠みたいな名前の入道が居てたまるか! 危険過ぎるわ!」


 二度と来るか、と言い捨てて去った前の客の気持ちが分かった気がする。

 受付の男はにやにやと嗤いながら、


「ま、見世物のお化けに驚いて逃げ帰ってくるのはあんさんだけじゃ無いんで。怖いのなら止めておいた方が」

「むう……」

 

 九郎は唸り、未だにビクビクしているお八を立たせて告げる。


「本気で身の危険を感じたらお化け役を殴るからな」


 一応断っておく。

 当時のお化け屋敷は物理的打撃を持って驚かす手法も使われていたために、反撃ぐらいはしなければならないのだ。恐怖によって失神することと、殴られて気絶することに違いはないという風潮だったのである。

 男は頷きつつ、


「大丈夫。お化け役共も殴られて喜ぶ奴らばかりでげす」

「それはそれで嫌だな」

「再入場料、また一人三十文頂きましょ」

「いい商売をしているね……」


 石燕はやや苦笑しつつ、また九十文支払う。石燕の財布から金は出ていき、九郎が自分で支払おうとする素振りすらもはや消えている。蕎麦も勿論石燕に奢ってもらった。

 いや、これは交友費を援助して貰っているだけだ。後ろめたいことなど何も無い。例の、縛る道具のような名前の状況では決して無い。

 九郎が己に言い聞かせている間に、怯えるお八に肩を貸すように石燕が隣に並んでその前を九郎が歩く形で再びお化け屋敷を進んだ。

 やや早足で先程の地点まで進もうとする。


「お、おい。あんまり急ぐなよ……」


 気弱なお八の声に九郎は逸りすぎたと思い直し、歩幅を合わせる。

 やがて。

 薄明るい、例の場所に辿り着いた。

 お八の怯えが酷くなり、殆ど石燕に抱きつくようにして引き摺られている。

 来る。気配を感じた。九郎は身構える。


「ゴガアアア゛アア!! アアアアアアア!!」

「ひあうっ!?」


 裸出刃入道が大きな足音を立てて出現。腰が抜けそうになっているお八は顔を石燕の黒い喪服に押し付けた。

 九郎は半身になり左手を前に出して、間合いを測る。

 相手との間合いが一間程に為った瞬間、裸出刃入道はぴたりと走りを止めて、


「真の勇気、しかと見届けた……」


 それらしい事を呟いて道を開けたので九郎はぶん殴り、悶絶する裸出刃入道を道の脇に捨てて、


「行くぞ」

「殴って良かったのかね?」

「いや、我慢しようと思ったのだがつい。後ろから襲い掛かられたら嫌だから」


 浜辺に打ち上げられた烏賊のように床で悶える入道は、


「いい……」


 と、呟いているので気色悪げに三人は眺めて、道を進んだ。




 *****


 


 廊下の行灯に照らされている紙に文字が書かれている。

 石燕が眼鏡を正しながら声に出して読むと、


「この先、毛火けひに注意……?」

「なんだ毛火とは」

「ふむ」

 

 彼女はお八に抱きつかれたまま、顎に手を当てて脳内の妖怪図鑑を捲り該当するものを検索した。

 そして指を立てて言う。


「恐らくは毛火と書いて[けちび]と読むのではないかね? [土佐お化け草紙]という絵巻に載っているものを見たことがある。髪の長い生首と鬼火を合わせた土佐に伝わる妖怪なのだが」

「つまり、生首か火の玉が出るということか? おい、お八よ。予め覚悟をしておれよ」

「お、おう。大丈夫、だぜ」

 

 首をがくがくと縦に揺らして返事をする。顔が青いが、浮かぶ生首を想像したのかもしれない。

 そしてまた進むと、開けた小部屋に辿り着いた。

 入った途端、部屋の明かりが灯った。部屋に居るのは四人。一人は血を流してうつ伏せに倒れていて、残り三人はがたいの良い荒くれ風で倒れている男を足蹴にしながら懐を漁っていたり、水を頭から被ったりしている。

 その三人の髪型が特徴的である。まさに、側頭部を剃り上げて残した毛を火のように逆立てているのである。

 つまりは、妖怪[毛火モヒ]である。


「ヒャッハー! 水だぁ!」

「こいつ水戸の紙金なんて持ってやがるぜ! 今じゃケツ拭く紙にもなりゃしねえってのによお!」

「ぬくもり……」


 ばさばさと乱暴に紙幣を投げ捨てつつゲラゲラと笑い声を上げるモヒカン。

 水戸の紙金というのは、宝永元年(1704年)に発行された水戸藩内で使用可能なお札で、前藩主水戸光圀が作った借金と元禄の地震による江戸の普請費用捻出により藩内で流通する貨幣すら乏しくなった為に代わりに刷られたものである。

 速攻で偽札が大量に出回って犯人を探したら紙を漉く役人自らが偽札を作っていたり、四年後に幕府が紙金を一切禁止したので保証無しで価値が消滅したりと物哀しい存在だ。正にケツを拭く紙以下で、実際に腹が立ったのでこの無価値の紙金で障子を作った藩士も居た。

 小芝居をしているモヒカンを見ながら石燕は苦々しい顔で呟く。


「思ってたのと違う」

「うむ」


 侵入者の言葉に反応するようにモヒカンは足蹴にしていた初老の犠牲者から意識を三人に向けた。

 九郎はその血まみれの爺さんが大丈夫かと心配になったが、血文字でそこらに[たねもみ][今日より明日]などとしっかりしたダイイングメッセージを書いているので、脅かし役の一人だろうと判断して無視することにした。


「なんだてめえら、ここを誰の縄張りだと思ってやがる?」

「縄張りて。この部屋か。いや狭いな、マジで」

「へへへ……水と食料を置いていきな! それも一つや二つじゃない……全部だ!」

「あんまり水と食料を持ってお化け屋敷に来る人も居ないと思うがね」

「ぬくもり……」

「あうあう」

 

 迫ってくるモヒカン達に思わず冷静なツッコミを入れてしまう九郎と石燕。お八だけがなにやらぬくもりを求めているモヒカン相手にマジビビリ継続中である。

 一体これで何を脅かそうとしているのか、やたら絡んでくるモヒカンたちを見ていたら、突然彼らの背後で血まみれで倒れていた死体役の老人がむくりと起き上がった。

 その老人の顔面は半分爛れたように為っており、目元は顔料で塗ったのか真っ赤だ。尖らせた牙をむき出しにして、気づいていないモヒカンの首筋に噛み付いた。 

 ぶしゃあ、と大げさなぐらい血しぶきが口に仕込んだ血袋から飛び散った。


「ぐわあああ!!」

「死体が起き上がったー!」

「ぬくもり……」 

「おぶっげほっおろっ」

「うわっ! はっちゃんが恐怖のあまりに吐きそうになってるよ!」

「早く行くぞ!」


 慌てて九郎はお八を抱いている石燕の手を引いて部屋を後にするのだった。

 残った二人のモヒカンが、口から血糊を滴らせてゆっくりと歩み寄るゾンビと対峙しつつ背中越しに言葉を送る。


「ここは俺たちに任せて先に進みな。なあに、すぐに追いつくさ……!」


 などと言うので、部屋の戸を閉めて早足で進み、途中でお八を座らせて落ち着かせる為に背中を撫でながら九郎と石燕は、


「あのモヒのキャラ付けに何の意味が……」


 などと言い合うのであった。




 *****

 

 

 

 その後も、天井から大量に落下してくる蒟蒻や包丁でジャグリングする鬼婆、のっぺら坊の煮売屋で飲み食いしている百々目鬼と二口女、ロンドン・コーリングのポーズをしている琵琶法師など様々な見世物を見つつ三人は進んだ。

 見世物は恐怖系と言うよりびっくりや、滑稽で面白いものも多かった。途中猫耳を被ってバイト兼ステマしていた子興は爆笑されて涙目で逃げ出したが。

 それら一つ一つにわざわざ叫び声を上げたり頭を抱えて震えたりとしてくれたお八は良い客なのではないかと九郎は思える。

 歩いた距離と部屋数からするとそろそろ最後に近づいて来ているようだ。

 若干血生臭く、部屋の作りは、


「鈴ヶ森みたいだね」

「うむ。血の染みがついた晒し台も置いてあるしな」

「うううう」


 まるで処刑場のようだと言いながら進む。

 すると、部屋の角から白い死に装束を着た男がひょこりと現れた。背は高いが痩せていて、顔色も良くはない。


(骸骨が笑っているようだ)


 と、九郎は感じるような表情であった。柳の下の幽霊めいた仕草をしながら、


「うらめしや」


 と、呟く。

 最後に真っ当な幽霊が出たな、と九郎は小さく息を吐くが、後ずさる音に振り向いた。

 顔を青くして目を大きく見開いている石燕がお八を連れて後ろに下がったのだ。

 幽霊の声は続く。


「恨めしい恨めしいおのれ許さぬ許さぬぞこの恨み貴様の子々孫々骨の髄まで呪い殺してくれる口惜しや口惜しや──」


 単調で早く告げられる怨念の篭った声は重なり不気味に響く。妙なリアリティと威圧感も九郎は感じるのだが……。


「う……」


 石燕が吐き戻さんばかりに口を抑えた。

 僅かに震えている。

 

「おい、どうしたのだ石燕。幽霊が一匹出ただけであろう」

「っ! 幽霊が一匹……そう見えているのかね……?」


 彼女は眼鏡を抑えながら、お八を抱く力を強めて慄く。

 その目が少し光った気がした。

 直視しないように、彼女は指をさして言う。


「私には、百の餓鬼が組み合わさり蠢いているように見えた……」


 部屋の一面を埋め尽くすようにぐちゃぐちゃと絡んだ人を食らう穢らわしい白い子鬼がにたにたと黄色い歯を見せながら恨み言を繰り返し唱えている。

 周囲は鬼火で照らされて爪を剥がれんばかりに引っ掻いた傷だらけの部屋は膿混じりの血が垂れていた。

 百の鬼がびちゃびちゃとそれをすする音も聞こえる。それらを石燕は見て、聞き取ってしまったのだ。

 実際の視覚上に映る物体がどうであるかはともかく、石燕の霊的感性がそう認識した。この世に不思議なものなど何もないと日頃言う彼女だが、幽霊や妖怪が居ることは知っているのだ。それらは触れられて、影響を及ぼされるということも。[居る]が[存在]していないという特殊なものをそう言い表すと云うのが彼女の定義である。

 しかしながら、この百鬼の塊は正気の沙汰ではない。

 地獄に連れ込まれたような気分だった。


「石姉!? 石姉! 大丈夫かよ!」


 顔色を真っ青にした石燕を、お八が叫びを上げて抱きかかえた。

 九郎は肩越しに彼女の様態が酷く悪くなったことを確認しながら、油断せぬ様に幽霊の格好をした男と対峙する。

 彼からは悪鬼妖怪の姿など見えないが、確かに妙な気配は男から感じ取っていた。

 痩せた男は首を傾げ、


「──あれえ? 一寸脅かしすぎたか。感じやすい人って居るんだなあ」

 

 彼はそう告げて、ひょいと肩を竦める。

 雰囲気が変わった。

 石燕はその歪んだ視界で、餓鬼が吸い込まれるように白装束の男の体に消えるのを見て、ぞっとした。

 

「馬鹿な……」


 あれだけの怨念が一人の人間に取り憑いていて平気だというのか。石燕は絶句する。

 彼は石燕の顔を薄暗がりの中じっと見て、


「……もしかして鳥山石燕先生じゃない? あ、それがしは山田浅右衛門なんだけど」


 確認するように、軽薄な笑みを浮かべつつ浅右衛門は声をかけてくる。

 顔色が悪いまま納得して石燕はふらつきながら返事をする。


「首切り浅右衛門……か」

「そうだよ。どろどろーん」


 戯けた薄笑いで両手をうらめしやの形にする浅右衛門。

 しかしながら具合の悪そうな石燕の様子を見て、バツが悪くなり頭を掻く。


「なんか悪いことしたなあ。出口こっちだから早く出たほうがいい」

「うむ、そうだな……む? お主も出るのか?」

「ま、休憩休憩」


 先導するように浅右衛門が出口に向かい歩くので、ぐったりしている石燕を九郎とお八が両脇から支えてお化け屋敷を抜けた。


 

 *****



 雲の隙間から降り注ぐ陽の光が眩しい。澱んだ空気は正月の冷たく澄んだ風に流されて、なんとも爽快だった。

 丁度隣が茶屋だったので、石燕を座らせて茶と団子を注文する。適当に浅右衛門も座った。

 重苦しく肺に詰まった空気を入れ替えるように大きく深呼吸をして、石燕は改めて彼へ向き直る。

 光の下にいれば見かけてもなんら思うところのない、中年の痩せ浪人だ。目つきは相当に剣呑だが、にへら、と口元に笑みを浮かべている為に軽薄な性格に見える。


「いやー労働の後は団子が旨い」


 もぐもぐと食っている彼を横目に、九郎は石燕に尋ねた。


「首切り浅右衛門か……なんか懐かしい親近感の湧くアダ名だな」

「奉行所などの下請けをしている斬首人なんだがね、悪党の首を切り続けているからだろうか……あの悪霊の量は相当なんというか、やばいね。並の妖怪ならまだしも……私から見れば地獄に足が生えて歩いているような厄物だよ、これは」


 ひそひそと話しあう声が聞こえた浅右衛門は茶を飲みながら応える。


「かの鳥山石燕にそう鑑定されるとなんだ、少しは気楽になるねえ」

「悪霊が憑いているって聞かされて気楽になるのかよ?」


 お八の疑問に彼は頷きつつ、


「二つ可能性を思いついていた。今まで切った相手から恨まれているか恨まれていないか。逆に恨まれてないってほうが、むしろ意味がわからなくてゾッとするだろう?」

「そういうもんか?」


 首を傾げる。お八からすれば明るいところで見れば、変なオッサンにしか見えない為に怯えることはない。

 これだけ悪霊に恨まれ呪われているのに当人自体は屁ともしないのは、日頃積んでいる功徳のおかげと本人の達観した悟りにより呪い耐性が完全になっているのだろう。金回りが悪くなろうとも、風邪一つ引いたことがないそうである。


「黄表紙の仕事を首になったもんで日銭稼ぎをしているんだ。読んだこと無い? [アサえもん]って本」

「ああ、あの色んな意味でギリギリの」

「ギリギリ駄目になってさ……うん? 君、妙な刀を持っているなあ。何処のだろう……」

 

 彼は九郎の腰に差している太刀に目をやり、顎に手を当てて観察した。

 刀の鑑定をこれまで千本は行ってきた彼からしても見たことがない拵えである。異世界から持ち込んだものなので、当然ではあるが。


「アカシック村雨フフフーンⅢのことか?」


 一瞬名前が九郎も浮かんでこなかったので早口で誤魔化した。

 浅右衛門は食い入るように身を乗り出してくる。大名から頼まれて刀の試し切りや格付けを行っているだけあって、刀剣マニアでもあるのだ。


「その刀、一寸見せてもらっていいかい」

「別に構わぬが……」


 九郎は腰から外して、ひょいと浅右衛門に手渡す。

 彼は鞘から少し刀身を抜き、刃紋を確認しようとした。鏡面のように研ぎ澄まされた刃が光を反射して輝いている。

 じっと目を細めて確認するに、


「む……凄いな……この濤瀾は助弘の後期に似ているが……ここまでの大太刀を彼が作ったとは聞いて無い……いや、偽物にしてはやけに凄みがある……村雨?……」


 言いながら彼は刀をいつの間にか抜き放ち、一度だけ風を切って振り、すぐに戻した。

 首を傾げて、難しい顔をしている。そして九郎に刀を返して、こう告げた。


「ううん、これは──凄いなまくらだ。いや、なまくらなのに凄すぎると云うべきか……」

「酷い評価だな……結構切れるぞ? この刀」


 九郎がやや戸惑った顔で反論のようなものを口にする。

 アカシック村雨キャリバーンⅢの切れ味は凄いのである。剣に関しては振り回す程度の技量しか持たない九郎でも石や鉄も好きに切れるし、これまでで切れなかったものは魔王城を襲いに来た通常の百万倍の頑丈さを誇る超戦士ぐらいだろうか。

 ナマクラと評した浅右衛門も困り顔で、


「なんというかそう云う気配があると云う某の勘働きなんだけれども、その刀は一度も全力で振るって無いようだ」

「……ふむ」

「そして恐らく、人を切るためや神社に奉納するために作ったわけでもない。何か別の目的で作った気がする。目的に即していない使い方しかされていないものは評価できない。鉈で刺し身を切ったり、髭剃りに蜘蛛切を使うような……あやふやな感じがどうもおかしい」


 千本の刀を扱い千人の躰を切ってきた浅右衛門は素直に感じる事を言った。そこまで刀に深く関われば使い勝手や銘などではなく、本質が見えるのだろう。

 そこまで言って、彼はやはり自分でも妙だと言わんばかりに口元を抑え、もう一度九郎に返した刀を見る。


「──いや、確かによく切れそうな凄い刀であることは確かなんだが……どうも変な事言って悪いなあ。ぱっと見た限りでは誰の作かも分からないというのに」

「別に構わぬよ。確かにちゃんと使うべき時に使えなかった、余り物の刀なのだこれは。己れにはこれぐらいが丁度良い」


 自嘲気味に肩を竦めて九郎は刀を腰に戻した。

 あの魔王城での攻防にて、この剣の真の力を発揮していたならばあるいは敵を撃退しまた魔王や魔女との怠惰な暮らしが続いていたかもしれないが、そうはならなかったのだ。使わなかったのではなく、その時の九郎には使えなかったのである。

 しかしながら不思議と今の彼がそれを持っているのが似合うと思えた浅右衛門は満足したように頷いて、小銭を置いて立ち上がり、またお化け屋敷へ戻っていく。


「それじゃ、色々悪かった。お大事に」


 ぐったりとした石燕は反応もしなかったが、まずそうに茶を啜りため息を吐いている。

 暫く休ませるか、と思った九郎がお八に、


「ところでどうだったか、お化け屋敷は。少しは怖いの克服出来そうかえ?」


 と、聞くと彼女は思案顔で、


「とりあえず、一つの対処法はわかったな」

「うむ?」

「隣であたしより怖がってくれる人がいると怖くなくなる」

「……」


 山田浅右衛門の幽霊にビビった石燕が、気まずそうにそっぽ向いた。

 小声で言い訳のように、


「怖いというよりあれは危険だったんだよ実際私が触れていたら即死だっただろうそう思えば後ろに下がったのは防衛行動であってビビリ腐ったわけではないのだがまあ一々はっちゃんにそう反論するのも大人げないから私としては別に……」

「威厳がダウンしたせいですごく愚痴っぽくなっておる……」

「拗ねるなよ石姉」

「ふんだ」


 子供っぽい仕草の年増女に思わず苦笑いを零す二人である。

 そして、思い出したようにお八が、


「あ、そうだ九郎。その刀なんだけどよ」

「なんだ?」

「使う時に使えなかったって言うけど、多分それはいつか九郎が使うときが来るからまだ持ってるってことなんじゃないかって思うんだぜ」

「……そうかのう」

「よくわかんねーけど、大事にしとけって」

 

 彼女がそういって九郎の背中をバシバシと叩くので、九郎もそういうものかと言葉を受け入れた。

 いつか使わなければいけない時が来たとしても自分に使えるのだろうかと一抹の不安を覚えながら、ぼんやりと空を見上げる。


 同じように己の生き長らえた人生もいつかちゃんと使うべき時が訪れるのだろうか。


 一羽の鳥が弧を描いて飛んでいる……。











 *****




 後日。

 石燕が本屋で見つけた一冊を持って九郎を訪ねた。


「九郎君、例の山田浅右衛門、もとい浅氏苦楽の新刊が出たよ。没を食らった話とは別のものを始めたらしい」

「どれどれ……[ホーレンゲキョ となりの山田氏]、か」

「……ギリギリだよね」

「ギリギリアウトだろう、これ」


 編集会議をだまくらかして発刊したもののやはり内容がギリギリアウトだったので、後で版元が回収に走り回っていたという。

  


 

  


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