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38話『万八楼料理大会』


 正月、松の内(七日)を過ぎると江戸の町でも平常の賑いを取り戻す。

 その年、鳥山石燕は病で伏して寝正月となっていたことから、節句祝いの七草粥を緑のむじな亭で食べることとなった。


「せり、なずな……」


 と始まる七種類の植物を下ごしらえして粥に入れたものは、その年の無病息災を祈って食べられる。また、年末年始に多くなる大酒などで弱った胃を休めるという知恵もあるとされる。

 現代でもそうだが、江戸の時代でも七種類セットで販売されていたようだ。

 鳥山石燕の場合、無病息災一歩目から崖下に転落死しかけている状況で、更に年が明けて酒を一滴も飲んでいない──飲んだら死ぬと将翁に脅された──胃腸の状況なので、弱ってるも何も七草粥が貴重な栄養といえるような悲惨さであったが。

 さながら地獄に行きかけ先生・鳥山石燕である。

 七日の朝、起きだしたむじな亭の住人たちに七草粥が出される。

 佐野六科が作ったものだ。さすがに彼でも粥は失敗しない。逆に飯を炊くのを失敗して粥にすることは稀によくある。

 伏していた石燕の部屋に集まり、皆に膳を出した。

 

「……何だねこれは」


 七草粥と称したそれは、どう見ても白粥である。石燕だけではなく、全員分そうのようだ。

 草が入っていない。鮮やかな緑を感じない。

 訝しげに皆の視線が料理人である六科に注がれる。

 彼は鷹揚に頷いて、


「うむ。この何も入っていない粥を七草とするもの……お六に騙されていたのではないかと思っていたが、そうではないらしい」

「話を聞こうかね」

「こういうことわざがあると将翁殿に聞いてな。『無くて七草』」

「『七癖』なの、それ!」


 お房が振るったアダマンハリセンが快音を出して父にツッコミを入れた。

 今年も絶好調のようである。



 ******




 両国柳橋に[万八楼]という料亭がある。


 正確には[万屋八郎兵衛]と言う名だが、この料亭はよくよく催し事を開く店だとして有名であった。

 大食い大会だの、料理勝負だのといったものを行わせてそれを版元の記者などは面白おかしく記事にして江戸に読売を売り歩いたという。

 松の内あけての正月八日。奇しくも八郎兵衛の八と合って縁起が良いとされるこの日にも催し事が開かれた。

 開催者は千葉・下総国野田からの醤油問屋、茂木新左衛門である。

 現代で主に使われている、所謂穀醤が大規模に作られるようになったのは江戸期になり人口が江戸に流入して、それまで主流であったたまり醤油の需要が追いつかなくなった背景がある。

 そこで大量に作る必要があり、江戸の近くである千葉の野田や銚子で生産された。江戸で使われる醤油は、兵庫から来る高級な下り醤油を除けば殆どが野田と銚子のものであった。

 故に、野田の醤油を扱う茂木家直売の問屋は大層な御大尽というわけである。


 彼が万に江戸の料理人から参加者を募り開いたのは、[醤油を使った料理]大会であった。

 いや、正確に言えば[野田の醤油]を使ったものである。美食の素材として己の会社の商品を使わせることで、消費拡大──というよりも、この場合は道楽のための催しである。勝負というよりは、この醤油問屋を満足させる品を出した者が勝ちになる。

 様々な種類の料理を一品作り、番付一等となった料理人には醤油一斗と五両の賞金が与えられることとなっている。

 細かい規則の設定(頭部を破壊されたら失格など)と料理人の選出に於いては[万八楼]の伝手により開催を迎えた。


 その出場枠を、食通として知る人ぞ知る鳥山石燕がひとつ買い取っていた。

 彼女が出場するわけではない。九郎を出させようと企んだのである。


「見物に来ようとしていた本人はまだ寝込んでいるがな」


 会場までやってきた九郎は控え室で誰と無くぼんやりと呟いた。

 年が明けてからろくに腹に飯を入れていないので動き出せもしないし、ましてや料理対決を見に行くなど以ての外だと腹の音を鳴らしながら恨めしげに言う石燕を残して九郎は参加しに来たのである。

 一応、[緑のむじな亭]所属料理人ということになっている。付き添いとして六科も来ていた。今日は店は休みだ。


「それにしても……」


 と、九郎は周りを見回して「ほう……」と感嘆の息を吐いた。

 料理人が集まっているのだろうが、個性的な風貌の者が多い。

 特に江戸という町は、身分が上がれば相応の格式による服装に限定される為に、町人たちのほうがファッションの多様性が優れている。

 勿論、例えば大店の妻がファッションショーのような物を開いてお互いに数百両はする綺羅びやかな服装で競いあったという記録もあるが、貧乏な庶民は庶民なりに髪型や着こなしに工夫を凝らしているのだ。当時の浮世絵を見ても、町人らの様子を描いた絵は隅々まで滑稽とも言えるほどに格好が違う。

 そんなわけで元現代人で異世界帰りな九郎も適当な服装と髪型でもそう目立ちはしないのだが。

 閑話休題。

 それにしても、ここに集まった料理人はちょっと変わっている。

 顔中傷だらけで鈍い光を見せる包丁をべろりと舐めながら周囲を威嚇している明らかに堅気ではない包丁人。

 烏帽子を被って澄まし顔で周りのものなど蝿か何かのように気にしない公家顔の四条流料理人。

 ふてぶてしい顔で控室だというのにガツガツと持ち込んだ飯を食っている少年板前。

 木像に熱心に祈りを注ぐ僧侶風の大男……羚羊かもしかの毛皮の上で血の滴る生肉を食らう野人の大男……全裸の大男……只の大男……。

 まさに怪物級の料理人たちと言えよう。いや、九郎はまったくわからなかったが、雰囲気的に。

 そして、


「おッ! こは九郎どンじゃッどがァ~! もこン来ィよちょったちかッ!」

「ごめんよく意味が通じんかった」

 

 さつまもんが居た。

 いや。

 いやいやいや、と九郎は目を疑った。

 

「……何故にお主が」

「おいにもどげンじゃったか知ゃんがっさ、きなンかおとちかにわッぜかしこしょっつ呑んじょってビンタ打ッたくッたげん痛かち思ちょったら、そいの比べがあっち、けッて鹿屋どンがてそかぁこッ言んじゃがよ」

「ごめんクソの先程も通じない」

「よか」

  

 前はもっと聞きやすい言葉を喋っていた気がするが、何故か友人扱いされてるように親しげに薩摩弁全開で話しかけてくるさつまもんに困惑した。一緒に肝練りに参加したのが悪かったのか。

 異世界に居た頃は旅の神の加護により大体世界共通語が知性ある種族は話せるという便利さだったので苦労することは無かったし、こっちの世界に戻る際には魔王の送還効果か言葉は普通に通じるのだが、薩摩は別カウントのようであった。

 それにしても、狂戦士さつまもんを料理人として派遣するとは、あの[鹿屋]、


(正気とは思えぬ……)


 と、九郎は訝しんだ。

 しかしながら、彼の想像するところでは薩摩はこのようなバーサーカーめいた男が日夜暴れている土地で飯作りなどはやつれた奴隷めいた女がやっているように思えたのだが、実際薩摩では男の料理人が多かったようだ。

 これは極端な男社会であった為に、他人の女に触れれば穢れが移るとされていた為、妻か母以外の女の作った飯は好んで食わなかったのではないかと考えられている。

 包丁のような刃物を使うのも男の役目である。優秀な漁場を抱え、豚などの獣を食べる文化もあり、またいざというときは戦場に向かい皆で食事を囲んで食う為に薩摩武士なら料理技能を覚えているのは当然であった。

 腰に下げているのは包丁でなくどう見ても刃渡りニ尺五寸はある薩摩波平だが。

 

「激戦の予感だな」

「明らかに料理関係ない見た目のやつが集まってる気がしないでもないがの。意外に参加者が多い」

「一日がかりになりそうだ」

「くさやでも焼いて酒を飲みつつ待っておくか」


 九郎は持ってきた七輪を床に置き、炭に火をつけてくさやを炙り始めた。部屋に独特の臭いが篭もり、嫌そうな顔で周囲の料理人が傍若無人な振る舞いをする九郎を見やる。

 控室でくさやを食ってる少年料理人というのもまあ、周りから見れば個性的ではあるのであったが。相伴になった六科も黙々と気にすること無く酒を飲んでいた。




 *****



 やがて開始の時間が訪れる。[万八楼]の主が滔々と料理人の名を呼んだ。

 

「御勝負一番。日本橋魚河岸の鬼包丁、一心次郎!」

「くっくっく! とうとう出番だぎゃあ!」


 鋭く研がれて幾百の血を吸った包丁をやはりべろりと舐めながら武闘派やくざ風の男が現れる。

 場所は万八楼の庭に面する座敷で、庭には調理用の簡易的な台所が設置されていた。そこで料理するのだが、庭を取り囲むように見物の客が押しかけている。

 座敷には四人の審査員──万八楼の主、醤油問屋の茂木、店の常連である同心二十四衆が十五番[美食同心]歌川夢之信、それと近所の食いしん坊の子供が並んでいる。

 子供というは不慮の体調不良で来れなくなった審査員予定であった石燕の代わりに、その辺で急遽連れてきたのである。味覚の違う子供にとっても旨い料理となればそれはすなわち優れている証明……誰かに聞かれた時にはそう答えようと万八楼の主は決めていた。

 この四人が一番の醤油料理を選ぶ。

 

「一心次郎って言えば魚河岸の中でも一等の包丁師だぜ」

「身を削いだ魚の骨を生け簀に入れたら泳いだって噂がある」

「何が凄いって口で『くっくっく』って発音しあまつさえ叫んでるのが凄い」

「ちょっと痛いな」


 観衆が密やかに、堅気でなさそうな男の噂を囁き合う。

 江戸っ子というものは、


「三日魚を食べなければ骨と身が離れちまう」


 と、言うほどに魚が日常食であった為にそれに纏わる料理人というものも、話の種に上がる。

 魚河岸と言えば現在では築地が有名だが、家康の時代から関東大地震で移転されるまで江戸一番の賑いとなっていたのは日本橋の魚河岸であった。

 一日の売上金が千両もあったという話は有名で、魚河岸のそばには新鮮な魚をすぐに料理して出す、[汐待茶屋]と呼ばれる料理店なども繁盛していたという。

 その中でも一等と呼ばれる一心次郎の腕前はどれほどのものか……

 巷の噂に拠れば、午前の間に鮪十匹を切り分けたとか、彼が包丁を入れれば生き腐れの鯖すら刺し身になるとか、その愛用の包丁は正宗の作だとかしめやかに囁かれている。


「さて、どんな料理を見せてくれるものか」

「魚料理で醤油となればやはりあれでしょうな」


 審査員が言い合っていると、彼は持ってきた木箱をおもむろに掲げて、中に入れていた新鮮な魚をまな板に乗せた。

 観衆からどよめきが上がる。かなり身が大きい。三尺以上はあるだろうか。それに見たことのない、身は黒く少しばかり怖い顔をした魚だ。

 名は様々あるが、ダルマという呼び名をこの一心次郎は使っている。

 彼は慣れた手つきで腹をすっと捌きわたを取り除く。肉質は赤身ではなく、薄い桜色をした白身で美しくすらあった。

 硬く尖った攻撃的な鱗のついた皮を剥いでくるくると器用に三枚に下ろしていく。

 目の前で捌いているというのに、血の匂いどころか魚の生臭さも殆ど感じない。

 身を薄く透き通るように何枚も刺し身にして皿に盛り付ける。

 審査員の子供は頬杖を付きながら言う。


「ふうん刺し身か。でも刺し身なんて魚を切っただけだから簡単だよなあ」

「まあよく見てみなさい食いしん坊君。あの一枚一枚むらも無く、また身の筋に沿って切る技術。一片足りとも潰れたりしているものはない。それに盛り付けも見栄えを良くして目を楽しませるように工夫されている」

「そうかなあ? そんなに難しくは見えないけど」


 少年の言葉に、料理中の一心次郎がきっと顔を向けて怒鳴った。


「何だとこのガキ! だったら手前は出来るっていうのか!?」

「出来ねァ!」

「何ィ!? ……いや、本当に何!?」

「一心次郎さんよ、この食いしん坊のガキは料理は出来ないけどケチをつけて開き直るのは巧いんだ」

「最悪だな!」


 言い捨てつつ、彼は締めに大根のつまを皿に乗せて審査員たちに料理を差し出した。


「お待ちどう! ダルマの刺し身だ!」

「ほう……」


 醤油問屋の茂木がまず、刺し身を一切れ取って小皿に入れた醤油につける。

 すると白身だというのに、ぶわりと醤油に脂が浮く程に脂の乗った魚だというのがわかる。茶色い醤油の皮膜が刺し身の表面の脂と混ざり、てらてらと光っていた。

 それを口にすると噛みしめる度に濃い醤油の味に負けぬほど身が濃厚なことに驚かされる。

 江戸の流行としての魚は淡白な味わいであることが多く、鮪のトロなどは見向きもされなかった。これは保存技術の問題で痛みやすかったことも関係しているだろう。

 しかしながら、見た目は河豚刺しの色を強くしたような白身だというのに、脂の味わいが深く食感もぷつりと小気味良い。

 それもギトギトと口に残るような脂ではなく、さっぱりと飲み込めば消えてしまう爽やかさすらある。

 

「旨い……」


 誰と無く審査員が呟いた。

 濃厚な味だというのに幾らでも食べられそうだ。食いしん坊少年など、ぺろりと皿を舐めるように平らげておかわりを催促している。

 なにせ大きな魚だ。次々に捌いて、見ている観衆にまで刺し身は配られて皆舌を唸らせていた。ダルマは深海魚である為に、夜間か朝方の網漁に時折引っかかる以外では揚がらない上に旨いので食べたことのあるものは少ない。

 一心次郎がにやりと笑みを浮かべる。


「おっと、一番手だというのに早速勝負が決まっちまったがや?」

「……いや、それは早計だ」


 美食同心の言葉に、一心次郎は目を剥いて睨みつける。

 同心は腕を組んだままじっと刺し身を見つめて言う。彼はその極上の刺し身に一切れしか手を付けていない。


「確かにこの刺し身の素材は旨く上等なものだろう。だが作り手の問題で十全に活かされているとは言い難い」

「何だと!? この俺様以上に刺し身を作れるやつなんざ……!」

「だったらダルマにあるまじき、この生臭さはなんだ」


 美食同心の言葉にぴたりと動きを止める一同。

 

「醤油をつけずに一度食べて見て下さい」


 と、彼が指示を出すので審査員はダルマをそのまま口にする。

 すると、確かにこの魚に不釣合いな臭いが口に広がり、なんとも言えないまずい顔をした。脂のインパクトと醤油の風味で誤魔化されていたが、冷静にそれを感じてから味わうと、醤油でも紛れない臭いが鼻につく。

 一心次郎は慌てて、


「馬鹿な! ダルマに生臭さなんざあるわけ……!」


 己も一切れ口にして、口を閉ざした。

 確かに、ダルマに存在してはいけない臭いがある。それは魚河岸で働いている一心次郎も知っているものだ。

 

「これは……くさやの臭い!?」


 そう、彼の持っていた包丁や手に、控室で炙られていたくさやの臭いが染み付いているのだ。

 刺し身は素手で生の魚肉を触りそのまま提供する料理。作り手自身が持つ臭いには注意しなければならない。だが今の彼はくさやの強烈な臭いに慣らされて己が臭いを放っているなど、気が付かなかった……。

 巧妙な、場外戦はあの時から始まっていたのだ。


「あと料理する包丁をべろべろ舐めてるのも気持ち悪い気がする」

「確かに」


 おまけに個性まで否定されて、一心次郎は消沈の面持ちで帰っていくのであった。

 


 


 *****




「御勝負二番手、[鹿屋]推薦薩摩料理人、さつまもん!」

「むッ!」


 呼ばれて飛び出たのは相変わらず討ち入り風の格好をしたさつまもんである。 

 [万八楼]を囲む塀に腰掛けて見物することにした九郎も御前試合のような勢いで現れた彼に苦々しい笑みを送る。

 さつまもんのイメージアップ戦略なのだろうか。確かに前、マスコットキャラをいろんなイベントに参加させることで知名度が上がるとアドバイスした覚えもあった。

 そしてからいもんときもねりんでは気狂身の性質上、料理などは出来ないからさつまもんが派遣されたのだろう。

 何から何まで間違っている気がした。

 

「薩摩料理か……さつま揚げぐらいしか知らんが。あ、そういえば[鹿屋]に中華風ハムが売ってたな……今度買っておこう」


 呟きつつ酒を口にした。薩摩は琉球を通して清とも貿易があり、獣肉食文化が根付いている為にそのような保存食も作られているのだ。

 さつまもんは颯爽と料理場に現れて、用意されていた野田の醤油を小皿に注ぎ舐めた。味を確かめているのだろうか。

 露骨に顔をしかめるさつまもん。

 

「かァ~ッ! こんしょおいはわッぜかしおはいかぁ! あもうせんといッちょん使にゃならん!」


 そう謎の叫びを上げて醤油差しに黒砂糖をぶち込んだ。


「……あ、醤油屋の旦那が卒倒した」


 自分の店の醤油を使う料理勝負だというのにいきなり全否定されればこうもなろう。

 薩摩の醤油は砂糖が入っていて甘く作られているのだ。根っからの薩摩武士であるさつまもんはまず醤油を己好みに調節している。いや、薩摩料理を作るのだから醤油自体を薩摩風にするのもありなのかもしれないが。

 余談だが他所の人からすればやたら甘く感じる鹿児島の醤油であるがその分慣れた時の病みつき度合いが高く、これを絡めた刺し身や納豆などは芋焼酎にとても合う。

 黒糖を溶かして再び醤油を舐めて、満足が行ったように、


「うむッ!」


 頷いた。

 そして彼は持ってきた神酒と醤油を入れた小皿、そして何らかの生肉の切り身を出して審査員に持っていった。


「さァッ! 御賞味あれ! これを食って神酒をぐいとやれば心身壮健、精神頑強になり申す!」

「……これなんの動物の肉?」

「食われよッ! いざッ! いざッ!」

「一寸待っていや本当にこれ何のお肉なの!? なんでこの人太腿に血の滲んだ包帯巻いてるの!? 凄く厭な想像しちゃうんだけど!?」

「うわああああ!! 押し付けるなあああ!!」

「帰れや薩摩!」


 強固に謎肉を押し付けてくるさつまもんとの争いが起きて暫く。

 彼は見物に来ていた町奉行所の同心に縄を打たれて店を去っていった……。


「真逆、逮捕者まで出るとは……」


 この料理対決、まだひと波乱あるな、と九郎はしみじみ呟いた。

 なおさつまもんの太腿の包帯は虫さされを掻きすぎて血が滲んでいるのと、出した肉は豚肉の塩漬けであった。ご安心ください。

 


  

 ******




 いけ好かない公家風の四条流料理人は持ってきた鍋に仕込みを終えており、軽く温めて己の料理を出した。

 四条流と言えば将軍や朝廷にも食事を出す料理人一派である。

 様々な分派があり、この男は京都にて修行を積んだようだ。

 本来は関西の味付けを得意とするのに醤油にあわせる為に関東風に濃く張った出汁に、醤油を加えて三つ葉と蕩ける麸を入れた吸い物を出した。

 醤油に負けぬ出汁の味と出汁を引き立てる醤油の味。そして絶妙な濃さを調節する具は美食同心をも唸らせる繊細な味付けだ。

 味わいとしては塩気が強くなるはずなのに見事な調和によって、水の代わりにこの吸い物を飲んで一生過ごせと言われても納得してしまいそうな絶妙さである。 

 塩気の調節については彼の学んだ四条流の一派は卓越しており、


「塩だけを入れた汁で旨いものを作って一人前」


 と、言われるほどである。出汁すら取らない潮汁だけで味を調節する妙技があった。

 ただ、


「江戸って京都に比べて遅れてるけどその分新たな味に対するこだわりは活き活きとしてますね。京都は江戸に比べてとても豊かでとても快適ですけど、やはりそうなることで何か大切な事を失っちゃったんでしょうか」


 などと言うので、審査員観衆含めて、


(うぜえ……)


 と、上方かぶれの料理人へ苛立ちを感じるのであった。




 ******




「雪に染み込ませた醤油の上の、熱々の醤油をかけて……はい、お待ちどう! 焼き氷醤油の出来上がりでい!」

「うむ……これは……」

「醤油以外の何物でもないね……」


 料理勝負は続き、


「醤油といえばうどんの汁! 江戸のうどんはこう真っ黒で葱が合うやつじゃなきゃ!」

「単純だがいい」

「温かいと醤油の香りがよく引き立つ」


 様々な料理人が思い思いの料理を作った。


「寒鰤を醤油で漬け込んで焼いたもので御座い。白い飯と一緒にどうぞ」

「むっ、血合いの味わい、白身のホクホクとした部分に醤油味が染みこんで……」

「うまい……のである」


 九郎の順番は最後だったのでひたすら待つことになった。


「この醤油は出来損ないだ、食べられないよ」

「帰れや!」

「何しに来た!」


 休憩も挟み審査員の腹具合を調整しつつ、


「ダルマの煮付けで御座います!」

「なんで珍食材が被るんだ……? まあ、旨いけど……あれ? 美食同心さんは食べないので?」

「いいえ、拙者は遠慮しておきます」


 やがて、九郎の順番となった。




 *****

  



「御勝負終番手、ただの九郎!」

「只とまで言わなくともよかろうよ……」


 ぼやきつつ九郎は材料と鍋を手に庭に出てくる。

 かなり長く待っていたが、目の前で展開される料理バトルを見ていて暇は潰せた。九郎とて、昔の料理漫画のような展開には中々心躍るものがある。

 しかしながらこの九郎という男、料理の腕はそこそこ上手だが達人とまでは行かない。一心次郎のような包丁さばきも無ければ上方かぶれの四条流のような繊細な味付けも出来ない。

 せいぜいが近所や職場でも評判の料理が得意なお父さんとかそう言ったレベルだ。プロとまでは行かない。

 それでも折角こういう場に参加するのだったならば、

 

(勝ったほうが話の種にはなるわな)


 と、思っている。

 まともに煮物だの焼き物だのを作ったところで勝ち目は無いし、これまでの料理人が散々出した。

 ならば変わり種を出して審査員の意表をつく。

 殴り合い殺し合いの勝負でも九郎の戦法は奇襲と驚かせてからの不意打ちだ。これは実力差体格差があっても通用するものである。料理も同じだ。

 この時代には無い料理を作る。江戸に来てまだ一年経たないが、食い歩きして作られていないジャンルがあることはすぐにわかった。

 鉄鍋に少しの油を敷いて加熱し食材を混ぜ合わせる、炒め料理だ。これは明治期になるまで日本で使われていない。

 九郎は醤油炒飯を作ろうとしているのだ。


「ほう、鉄鍋ですね」

「用意している材料は卵と米に葱か。あんまり大したこたぁねえや」

 

 審査員が言うのを聞きながら、九郎は竈に薪を通常よりも多く放り込む。

 火力が必要だ。店ならば炎熱符で調整できるが、衆人環視の元では使いたくない。説明が面倒なので。

 薪の火がめらめらと竈を焼きつくすように上がり始めて、周囲からどよめきが上がる。当時の料理では火力が必要というものはそう無いのだ。揚げ物にしたって、火が上がっている中で調理をするなどと危険な事はしない。


「はっはっは。燃えろ燃えろ」


 九郎は鉄鍋を火に突っ込んで十分に空焼きする。

 次に菜種油を入れて鍋を回す。本来ならば豚の脂身などがいいのだが、それを入れると醤油の風味に勝ってしまうしこの時代では用意出来ない。具材もシンプルに卵と葱だけにしているのだ。

 一度鍋の内側でくゆらせた油は捨てる。九郎は躊躇わず火の中に油を入れた。

 バチ、と音を立てて火が油で燃え盛る。火力を求めている九郎は、火柱の中で鍋を持っているのだ。


「ようし、よい具合だ……!」


 どうでもいいがこの男、ノリノリである。

 周りから悲鳴めいたどよめきが上がる。 

 ここからは時間との勝負だ。油の塗られた鍋にいきなり醤油を入れる。醤油というのは温めて良い匂いを感じるが、焦がした時にはまたこれが香ばしい。

 だが焦げ付きすぎると苦味が出る。じゃ、と油の跳ねる音を上げて醤油を入れたらすぐに葱、米と順番に入れて全体に味を行き渡らせる。

 最後に卵を入れてかき混ぜ、鍋全体を振るって満遍なく卵を固まらせつつ余計な水分を飛ばす。

 卵と醤油は言わずと知れた最強のコンビである。それに米と油が加わることによる奇跡的な味は江戸ではまだ誰も味わったことがないだろう。味覚が現代人から異世界人となった九郎と違うかもしれないが、シンプルな組み合わせのこれは不味くなる要素がない。

 彼の意気込みに呼応するかのように火力が上がる。


「もっと燃え上がれ! これが己れの……!」


 竈で上がる火柱が炎の龍となり荒れ狂っている! まあその、九郎の脳内イメージでは。

 炎を支配する灼熱の料理人と化した九郎の炒飯が今、完成する────!

 



 ******




 年甲斐もなくはしゃぎ過ぎた九郎が、見物に来ていた火盗改の同心に縄を打たれて役宅に連れて行かれ、竈は消火された。

 本日二人目の逮捕者である。己が波乱になっている阿呆が居た──九郎であった。

 

「あれだけ燃やせばそりゃあしょっぴかれるよな……」

「鳥越神社のとんど焼きみたいだったものな……」


 焦げた庭を見つつ観衆が率直な感想を言う。

 鳥越神社では丁度この日、取り払った正月飾りを焼き清めて厄祓いにする祭礼が執り行われている。

 審査員たちが協議した結果、


「えー御勝負終番手、[緑のむじな亭]佐野六科!」


 勝負が再開されることになった。

 九郎は存在し無かったことにしたようだ。

 勝手に何処かのガキが入り込んで火遊びをしていた。店側が呼んだわけじゃない。俺は悪くないの理論である。

 代役として六科が参加することになったが、六科からしてもさっき火柱を上げていた九郎の事は、


「見覚えがない」


 と、他人のフリである。

 しかしながらこの味に無頓着な男がどのような料理を出すというのか。

 どちらにせよ最後の料理なので催しを終わらせるのが肝要だ。

 六科は店の台所からおひつを持ってきて、玄米で炊いためしを茶碗に盛った。

 それに醤油をさっと掛ける。

 審査員の前に出した。


「食え」

「料理!?」


 一斉に全員がツッコミを入れた。

 六科イチオシの玄米醤油かけご飯である。牢名主の知り合いに教えてもらったという。なお、牢での物相飯に於いて玄米はともかく醤油が出ることは無いのだが、差し入れとして渡されることが希にあったという。

 しかしこの美食対決に出すにはあまりに貧相な品目であった。

 だが一人、茂木新左衛門はめしに醤油を垂らしただけのそれを手に取り、


「これは……単純で手を加えていないからこそ、醤油の匂いが引き立ち……」


 めしを掻きこむ。

 玄米のややぶぎぶぎとした穀物の歯ごたえに辛めの醤油の味が混ざっているだけだが、そのまま味わうよりも魚の脂と共に味わうよりも、純な醤油の味が引き立つ。

 大して旨くはない。だが、だからこそ醤油の旨味だけで成り立っているそういう素朴な味わいだ。


「うむ、私は気に入ったよ!」

「そうかなあ、こんなもの大した──」


 そう言った瞬間、食いしん坊のガキに──いや、めしを口にした万八楼の主にも、茂木新左衛門にも、また観衆の多くにも特殊な感覚が発生した。

 敢えて言うならば、


(ぬるりと来た……)


 とでも表現できそうなものだ。

 口を閉ざしてそこはかとなく不穏な空気が漂う中、[美食同心]歌川夢之信は軽く立ち上がり、


「確かに醤油本来の味わいを最も出すならこれがいいと思いますね。茂木殿もお認めになっているようだから、締めに相応しい一品だったということでよろしいですか?」

「あ、ああ……」

「じゃあ勝負は佐野六科の勝ちということで」

「そうか」

 

 勝利の感慨も特に無いようで、むすりとした表情のまま彼は頷いた。

 他の審査員や観衆はぬるりとした感覚でそれに文句をつけることも囃すことも出来ない。歌川は、とりあえずさっさと終わらせたかったのである。


「褒美品はこちらに」

「うむ」


 一斗樽をむんずと掴んで、五両を懐に入れる六科。

 用は済んだとばかりに、ずかずかと庭から出て行く。

 歌川も、鉄鍋に入れたままだった炒飯を重に詰めなおして帰る準備を手早く整えた。作り方はともかく、美味そうな匂いがして狙っていた食べ物だったのだ。だが、ここに留まって食らうのは不味くなる。

 観衆はよろよろと内股気味に顔を青くして帰って行き、審査員の三人は座ったまま立ち上がろうとしない。

 女将が心配そうに、


「どうしたんだい? 具合でも……」


 と、尋ねるので、答えられない主達の代わりに歌川が、


「最初に食べたダルマという魚、あれは沢山食うと後で尻から脂を漏らしてしまう珍味でしてね。

 拙者は一切れ二切れしか食べなかったからいいけれど、この人達一皿全部食べて煮付けまで口にしたもんで……漏らしてるんでしょう。湯と手拭いを用意するといいですよ」

「知ってたなら食う前に言えよ!?」


 ケツから脂をぬるりと出している全員が怒鳴った。便意のような感覚も無く、するすると漏れだす為に防ぐことなど不可能な状況なのだ。この魚、別名をバラムツともいう。

 バラムツを食ったらおしめを履く、とまで言われている。そうまでして食おうとする美味さはあるのだが……最初に食べた時から尻に直行するまで、料理勝負は長々と続いてしまっていたのだ。

 彼はにいっと頬が引き攣ったような笑みを浮かべ、


「美食は狂気の沙汰ほど旨いってね。それでは、御無礼」


 とだけ告げて、炒飯片手に下痢地獄の店からさっさと立ち去っていくのであった。こんなところでは旨いものも食えない。

 また雪が降りだした。江戸の冬は現代よりも寒い。歌川は「ほう」と白い息を吐き出して、手元の重に温かみを感じる。

 今日は雪見炒飯だ。なんとも、風流である……。



 なお、余談だが後の時代に書かれた[文化秘筆]という文献によると、大食の記録として醤油二合をおかずにめし六十八杯を食った記録が残っている。醤油をおかずにめしを食うには、案外に鉄板であったのかもしれない……。




 ******




「はぁ~……九郎。拙者ァ悲しいぜ。またお前もとうとうやっちまうなんてなぁ。火付けじゃなくて辻斬とかやってくれりゃ、拙者と切り合えて嬉しいっつってんだろう?」

「だから待てよ影兵衛! なんで己れが火盗改に連れてこられる時は、詮議部屋とか白州とかそういう場所じゃなくて拷問室なのだ!? 微妙に既視感を感じる科白を吐いている場合ではない!」


 血の匂いが染みこんで消えない薄暗い責め部屋で、やはり縛られたままの九郎は怒鳴っている。

 自白のための設備だというのに、現行犯逮捕を食らった九郎を連れてきてどうするというのか。このサディストどもめと叫びたかった。

 つい殺してしまう為に拷問が下手くそと評判の影兵衛が沈痛な面持ちで涙を堪えるように顔に手を当てている。


「ところで悪いことと良いことがあるんだけどよ。悪いのは残念なことに箒尻を厄払いで燃やしちまって無いんだ、今はよ」


 箒尻というのは、笞打ち拷問で使う道具のことで竹棒の先端を紙縒こよりで縛ったむちである。基本的に拷問の第一段階はこれで打つことから始まる。

 影兵衛は後ろ手に持っていた黒い艶のある滑らかな皮が巻きつけられたしないを取り出して言う。


「良いことってのは、代わりに拙者が釣ってきた鮫の皮を剥いで撓を作ってみたんだけど、これを試すいい機会だってことだ」

「良くねえよ!? いいから離して話せ! 己れはただ料理をしていただけだ!」


 結局、押し問答をしていたが当日に火盗改に出勤していた同心与力、そして長官にまでささやかな火力で作った焼き飯を食わせて機嫌を取り、油が飛び跳ねて燃えただけ(と、言い張った)とはいえ暫く罰として料理をしないことをきつく叱られて開放されるのであった。

 火付けの罪は江戸では重いのだが、これはまず万八楼の主がこの一件のことで被害は殆ど出なかったのだから大事にならないように火盗改にも寄付を行ったことと、九郎が何度も職務で手伝っていた為身内に近いとして影兵衛が裏で弁護をしてくれたようであった。

 後で二人に、


「すまん、助かった」


 と謝りに行ったが影兵衛などは、


「勘違いすんな。別に手前の為にやったわけじゃねえ。火炙りになって死なれても困るだけだからよ」

「何と言ったかそういうの……」

「手前を殺すのはこの拙者だ。忘れんじゃねえぞ」

「重ねてくるな……いや、とにかくなんだ、感謝しておく」


 などと影兵衛にはそれっぽいセリフを笑いながら言われた。問題は、恐らく殺すというのは間違いでも冗談でも無く狙っているということだろうか。

 万八楼ではとりあえず、次から参加しないでくれと言われた。当たり前だが。九郎と入れ替わりに保釈されたさつまもんが詫びの為に店に入っていったが、中から悲鳴が聞こえてきたので九郎は振り向かずに去った。

 余談だが九郎が家に帰ると、


「おかえり負け九郎」

「お疲れ様です負け兄さん!」

「くくく……ぷふっ。よりによって叔父上殿に負けるのかね九郎君」


 などと言われて、数刻は老人に戻ったように、呆けた。

 また、時々店に[美食同心]が珍しいもの目当てで訪れるようになったという……。

 


 年末年始にかけて火の取り扱いには御注意である。

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[良い点] ゆるキャラ(倫理観ゆるキャラ) [一言] さつまもん…合掌ばい!
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