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挿話『異界過去話/九郎と魔女、それと誰かの物語』


 大陸の西方に幾つもある都市国家群。そのうちの一つ、地方都市クリアエが新たに国へと成り上がったのは近年のことであった。


 独立戦争は笑えるほど大袈裟な物だった。

 この世界ペナルカンドに住む人間は戦争を祭りと似たものだと思っている為に、まったく関係ないのに双方に義勇軍援軍同盟軍と次々に人員が増加されて大規模になることが多々ある。

 戦いの神は戦争を煽るわ戦時需要で商業の神も油を注ぐわ、日頃魔法を研究している魔法協会員はここぞと実践するわ、どさくさに紛れて人肉食種族も参戦したり、通りすがりで巻き込まれた召喚士が無差別攻撃を始めたり、いきなり降臨した癒やしの神が全軍回復させたりと……

 恐ろしくカオスな状況が続くが、だいたいそのうち飽きて終わる。一級神格である怠惰神の影響を受ける為と神学家の間では主流の説だが、詳しく怠惰神を調べようとするとやたら面倒な気分になるのではっきりとはわかっていない。

 ともあれこの戦で都市軍側に雇われたジグエン傭兵団は活躍を大いに認められ、見た目こそ野盗の衆だったが元々貴族の三男以下が集まって傭兵団を構成していたため、独立後は騎士団として抱えられる事となる。


 その中に飯炊きクロウとかぶん殴りクロウとか呼ばれる、日本人の男も居た。

 異世界人な為に身分は怪しいものがあったが戦後のどさくさに紛れてそのまま騎士になったのである。なにせ馬鹿に騒ぐ戦争なのでどさくさ具合も酷い。どさくさで大臣になる奴も居たぐらいなので、異邦人が騎士になるぐらい容易かった。

 正式に国に所属する騎士になったクロウは小器用だった為にあちこちに騎士団内で職場を転々として地道に昇進していった。世渡りの才能はそこそこにあったようだ。

 彼が騎士となって多くの年が経過したある時、騎士団長から直々に任務が申し付けられた。

 それによりクロウの悪名は一気に騎士団内どころか国内にも広がることとなる。


「百人斬首のクロウ」


 それがその男の二つ名であった。



 *****



 経理課騎士団に領収書を通しに行き、わりとあっさりと接待費として落とせたことに安堵しつつも、怯えた経理課の新任騎士の表情を思い出してクロウはため息をついた。

 今の彼は少年の姿ではなく、アイロンの掛かった騎士制服をきっちりと着こなしているがどこか全身から草臥れた雰囲気を出している中年で、襟元にある階級章から[副部長]だとわかる。

 目元に皺を寄せているから目つきが悪く見えるが、疲れているのでもはや気をつけることもなかった。

 騎士総合役場の廊下をつかつかと歩くが前から歩いてくる他の騎士が、露骨に彼を避けて行く。生活保護課の騎士は直前で角を曲がり、健康増進課の騎士が別室に逃げ込んだりするのも見えた。

 現在、この国の全騎士団の中で最も恐れられている男。

 それが[百人斬首のクロウ]である。


(仕方ないけどな……)


 皮肉そうに笑って肩を竦めると、すっと後ろから近づいてきて彼の隣で歩みを寄せてくる人影が居た。

 クロウに比べ頭ひとつ分程に小さい、レースやフリルの多くついた白いドレスを普段着としている女であった。

 その知り合いの名を呼んだ。


「クルアハ」

「……疲労回復」

「おう、すまんな」


 言いながら彼女は治癒が込められた魔法の符を渡してきた。

 魔法協会所属でマイナーな術式である付与魔術担当研究員、クルアハだ。

 足まで届く長い黒髪をした、陶製人形のような整った顔をした女性である。服装もあって、まさに人形に見える。一見人間だが、黒い眼に金の瞳が鈍く光っているのと、髪に隠れているが小さな妖精光翼が背中にあるのが特異な外見だ。

 付与魔術とは術式を魔術文字にして物質に書き込み、任意に発動させる技術である。遠い昔には付与魔術士が集まり魔術文字を書き込んだ紙で作られた紙片都市サイタンと呼ばれる街を作るまで発展したのだが、焼き芋からの出火による大火事で都市と魔術士ごと焼け滅んでしまった。

 後世の研究に依ると、誰かがやるだろう防火対策とほぼ全員が思っていた為に疎かになりこの惨事を招いたのだという。

 焼き芋に滅ぼされた術式という不名誉な呼び名がついたせいでそのまま廃れた魔法である。

 クルアハはじっとクロウを見上げながら、何を考えているのかわからない無表情のまま言う。


「……休息推奨」

「うむ。わかっている。次に休暇返上して働いたらぶっ殺すと部長にも言われているしな」

「……残業禁止」

「まったくだ。己れは残業してまで首を斬る相手を探しているともっぱらの噂になっていてな。いい加減世間体がヤバイ。素直に家に帰ってハムでも食おう。なんか知らんがめっちゃハムを贈り物で貰ったのだ」


 恐らくは賄賂代わりだろう。率直に現金で賄賂を渡してきた相手の首を斬ったクロウの噂は既に広く知られている。

 ハムならば丁度今は季節の贈り物として選ばれやすい。贈り物を送った相手ならば良心の呵責が生まれるだろうという期待が篭っている。

  

「……料理予定?」

「おう。食いに来るか……って肉は食えないんだったな。やっぱり外でケーキでも食うか。己れはこれでも、甘いものに目がないというほどではないが、鼻がない程度には好きでな」

「……いく」


 クロウは疲労回復の符を首元に張りながら、クルアハに歩幅を合わせて街へと向かう。

 騎士団内ではほぼ孤立してしまっている為に、最近彼は誰かと食事や遊びに出かけるということもほぼ無くなった。

 クロウの立場など気にしないと言ってくれる元同僚達も居るのだが、むしろ今付き合うと彼らに悪い噂が出そうなのでクロウの方から暫く離れるように告げているのだ。


 クルアハは騎士団と関係の無い、個人的な友人である。

 種族が告死妖精という特殊な生まれであった為に人付き合いが殆ど無かったのだが、役場の仕事でクロウから術符の発注を受けた事により縁ができた。

 告死妖精とは誰かの死の淵に耳元で相手の名を呼び死後の世界に連れて行く妖精だ。妖精種族が魔法協会に所属しているのは珍しいが、中には変わった妖精も居るのでそれの類だと思えば格別の個性というわけではではない。

 死の間際に訪れるということから曲解されて、告死妖精に名前を呼ばれると死ぬという噂が生まれた為に恐れられているのだ。

 口を開くだけで怖がられるので、クロウの近く以外ではほぼ無言である。また、それ故に声を出さなくとも使える付与魔術に傾倒したのではあったが。

 クロウとしては、クルアハと親しくなった後で告死妖精種だと聞かされたのだが、


「それってこの国の大臣がゾンビである事よりヤバイのか?」


 と、いまいち恐れの波に乗り切れなかった為に普通に付き合っている。夏場になると大臣の腐臭がきついことの方が重大な気がした。昨日夕飯に猿の脳味噌食ってた。痒くて旨いらしい。

 特に最近は、クロウもまた他の人に避けられる存在になっていた為に親近感が湧いたのか、クルアハと一緒に居ることが多い。

 

「仕方ないよな。厭な仕事だから。首切りなんて」

「……不況時代」

「騎士なのにリストラされるってのも、そりゃあ皆嫌がるって」


 命令で100人の首切り(リストラ)をしなければならないクロウは大変に恐れられているのであった。

 

 彼の役職は人事部・副部長騎士クロウ。この世界に於いて騎士とはだいたいサラリーマンと同義であった……




 *****




 百人斬首などというおどろおどろしいアダ名を付けられているが、クロウはまだ百人切ったわけではなく、切る予定があるというだけだ。

 まずは早期退職者の希望を取って自主退職を勧めた。騎士の解雇とはいえ国営なので退職金も失業給付金も出る。

 それでも半分に満たない人数しか集まらない。当たり前だが。続けて騎士団員の家族構成や収入をリスト化していく。同時に街の求人情報なども調べあげ、失業後の再就職先を確保。実家が何らかの経営をしている者などには、その後の支援を約束に退職を迫る。

 女騎士などはいずれ寿退職してしまうパターンが多いために、クロウは結婚適齢期の女騎士にお見合い紛いのことまで手伝ってやり何とか仕事を辞めさせていく。中にはセクハラだとか、


「くっ! 殺せ!」


 などとお決まりの科白で抵抗する女騎士も居たが心優しいオーク紳士を紹介してやった。三人ぐらい居た。オーク紳士の数は合わなかったので、三人押し付けることにした。すまないと思っている。

 手に職がある人間はいいのだがそうでない者も騎士団には多い。就職セミナーの他に職業訓練校のパンフも取り寄せて騎士団内で配布する。

 また、特に戦闘力だけで騎士になったような人物は迂闊にリストラすると盗賊に身を落としてとても厄介な為に注意が必要だ。

 

 クロウに与えられたリストラ権とでも呼ぶべき人事の権限は非常に強力で、書類だけでリストラ人員を決定し通すことも出来るのではあったが、百人全員の面倒を見んばかり走り回る彼は相当にお人好しである。

 だんだんと呼び名が[百人斬首のクロウ]から[就職指導のクロウ]に変わってきた。地元の大学にも呼ばれて民間就職のための講演会なども一度開くことになったという。

 その日もようやく、嫁の実家が魚屋をやっているという男性騎士を説得して頷いてもらい安堵して帰宅していた。

 途中でクルアハに出会ったためについでに酒でも飲みに行こうと飲み屋に向かう。

 座敷のある店だ。椅子に座ると髪の長いクルアハは地面に垂れてしまうからである。 

 蜂蜜酒をちまちまと飲みながらクルアハが尋ねてくる。この妖精、酒は好きなのだが甘いものを好んで飲む。


「……仕事順調」

「おう。かなり人数は上がってきたな。99人達成までもうちょいだ」

「……百人斬首?」

「最後の一人は己れが辞表書くつもりだ。そろそろ仕事も辞めどきだろう」


 ビールの追加を注文してそう言った。

 長年勤めた騎士だったが、まあそこまで未練は無い。少なくともリストラ達成後の居心地の悪さを我慢することを考えれば。

 相変わらず無表情のまま、小首を傾げてクルアハは言う。


「……辞めたらどうするの?」

「珍しく文を喋ったな。そうさな、ニ、三箇所ぐらい行ってみたい場所があるからな。旅に出る」

「……そう」


 これまでは世話になった傭兵団と騎士の仕事で忙しく、元の世界に戻る手がかりを探すことさえ出来なかったのだが暇ができ、退職金も多く貰えるのでこれを機に旅をしようと決めたのであった。

 年齢もそろそろ旅に耐えられる限界になってしまう。中年となり肉体のピークはとうに過ぎ、全盛期よりも体力も腕力も落ち込み続けているのだ。

 手がかりというのは世界の境界を司る神の信仰中心地と、召喚士の里と言われている辺境の地だ。

 聞いた話によると召喚士一族の中には異世界からの魔獣を召喚する者も居るというのだ。元いた世界と何らかの関わりがあるかもしれない。

 

「……旅終了後?」


 その言葉は、つまり旅で成果が上がらなかった時の未来を尋ねている。

 確かに元の世界に戻れるとは限らない。しかし宛のない放浪を続ける程にもう若く無い。

 だから、帰れないのだとわかった時は、


「あー、その時は……まあ戻ってきて適当に暮らすさ」


 諦めよう。クロウはそう思って大げさに肩を竦めた。

 この旅も、帰る努力を何もしなかったという後悔を持ったまま老後を過ごしたくないという意識が働いているのかもしれない。

 クルアハは相変わらずの無表情のまま、


「……そう」


 と、だけ呟いた。

 そして旅に出る日に、クルアハは付与魔術で作った光り輝く剣をクロウにプレゼントした。

 

「己れが持つにはちょっと格好良すぎる剣じゃないか?」


 苦みばしった中年であるクロウが、いかにもなピカピカな拵えで伝説っぽい名前まで付けられた西洋剣を渡されて照れたようにそう云うのだったが、旅でも役に立つ魔法の剣で彼は何度も助けられることとなった。

 旅は長く険しい。治安が良いとはいえない世界で、危険な昨日から未知の明日へ毎日身を削りながら進む。

 決してクロウは強いわけではない。この世界では人間種族の戦士としても並程度の強さしか無いだろう。これまでに戦場に出たことが何度もあり、己の実力は知っている。魔法も使えなければ神の奇跡も起こせない只の男だ。

 それでも意志を両足に込めて、幾度も危機に陥りながらも彼は探しまわった。

 いつか帰る場所を。




 *****




 結局、あれから元の世界に戻ることが出来なかったクロウは渋々とこの世界に定住することにした。

 年も50を数えただろうか。古傷が痛む為に旅はもう無理だろう。

 しかし純粋な人間種族で、50歳を超えていて魔法資格の一つも持っていない男の再就職は厳しいかに思えたが、昔リストラする際に世話をした元同僚たちが何かと伝手を当たってくれて、都市内の魔法学校用務員を勤めることになった。

 週五で校内の清掃、備品の補充や修理などの仕事を行う。薄給だが、独り身にはちょうどよかった。

 休日になると家にクルアハや、傭兵時代の仲間で今は街の教会でそれなりにお偉い司祭になっている歌神官のスフィが訪ねてくるので茶を飲んでほのぼのと過ごした。

 このスフィという女が耳の長い長命種族で見た目は少女だというのに実年齢はクロウよりも遥かに高く、


「クロー、茶を飲みに来たんじゃよー。お、相も変わらずクルアハも来ておるのかえ? にょほほ、お主の寿命ももうすぐじゃなあ」

「お主は変わりもせんお子様っぷりだのう。昔己れに『すぐに[せくしーだいなまいつ]になるから待っておれ!』などと言っておったのだが己れの寿命の方が早いわ」

「むむむ……計算違いだったんじゃよー。ぷりちーぼでぃーはもう飽きたんじゃよー」


 などと爺婆の言葉を漫画的表現にしたような喋り方をするので、次第に対応するクロウも爺むさい口調に感化されたという。

 スフィが来ると大体クロウと二人で喋ったり将棋を打ったり、機嫌がいい時は酒を飲んで歌を詠ったりしていた。

 クルアハはだいたい無言で茶を飲んでいるだけだったが、年をとると気兼ねなく近くに人がいるというだけで何となく安心するものである。


 そんな生活が十五年は続いただろうか。

 クロウの人間の友人も次々と鬼籍に入りだしたが、彼自身は最近発症した痛風以外は元気に過ごしていた。よくつるむ友人二人はまったく老けないのだが、不思議と気にならずに楽しく過ごしていた。

 大きな事件も起きずに日常を過ごす。何もなかった昨日に安堵し、何もない明日を迎える日々だ。それを平穏というのだろう。

 クルアハは思う。


(いつかこの人が幸せに死ねたら、最後のその時に名前を呼んであげよう)


 自分の種族の性質から、一度もクロウの名を呼べていないのである。

 クロウも、クルアハが自分と一緒に過ごすようになってそんな事を考えているのを察している為に、


(まあ、死に水を取るのが此奴なら、己れの人生も満足の終わりだろう)


 と、そう思えるようになった。

 死ぬのは怖くない。それは老人にとって、最も心強い思いだ。


 ある年のある日。

 クロウも定年退職間近な年だ。髪も真っ白になり体も破れ凧のように骨ばっているが、年の割には元気であった。

 最近では昔に貰った剣の鞘を杖の形にクルアハが拵えなおしてくれた為に、それを持って仕事に行くことが多い。

 年を取りどんどん物臭になってきたクロウの家をクルアハが掃除していると、彼はある少女を家に連れて帰ってきた。

 黒髪をお下げにした、魔法学校のローブを着ている気の強そうな子供だ。


「おい、クルアハ。一寸よいか」

「……どうしたの」


 エプロン姿のクルアハを見て、少女は身を引いてクロウの背中に隠れた。

 黒い長髪に死を見る金の魔眼を持つ妖精。それは一種類しか居ない。


「告死妖精!? じ、爺ちゃんお迎えが来てますよ」

「ええい、そう怯えるでない。あれとはもう相当古い知り合いだが、己れは今だにピンピンしとるのだ」


 クルアハは首を傾げつつ回りこむように少女を見て聞く。


「……どなた?」

「うむ、己れが用務員をやっておる学校の生徒なのだがな、名をイリシアという。魔法がド下手過ぎて校舎裏で練習をしていたのだが、マッハ級に邪魔だったので連れてきた」

「ド下手などと言わないでください」


 頬をふくらませて非難する少女、イリシア。

 今年度魔法学校に入学し、属性調査試験により八属性全てに適応する天才魔法使いの卵だと注目されたのだが、致命的なまでに術式構成の才能に難がありまともに魔法が使えない、通称[聳え立つ八本のクソ]イリシアと呼ばれる落ちこぼれ生徒であった。

 唯一出来るのが魔力の単純開放による爆発なのだが、そんなものを練習されても地面にクレーターは残るは備品が吹っ飛ぶわで異常に迷惑なのである。


「そこで、クルアハの付与魔術でも教えてやればと思ってのう。あれは基本的に大人しい効果だから。学校でも色々試したらしいが、付与魔術を使える教師は居らなんだ」

「だって付与魔術って焼き芋に負けた魔法系統じゃないですか」

「……本人次第」


 じっとイリシアを見ながら告げる。言葉少なな彼女の発言を、最近では以心伝心になっているクロウが代弁した。


「ほれ、クルアハもお主がやりたいなら教えるがやりたくないなら別にいいと言っておるぞ。どうするのだ?」

「うう、やります。やりますよ。倉庫を爆破した私のガッツを舐めないで頂きたい」

「爆破するな。己れは今から修理業者に依頼に行ってくるから、クルアハ。後は頼んだぞ」

「……委細承知」


 そうしてクロウは、偶々知名度の低い魔術系統の使い手と知り合いであったために、イリシアをクルアハに出会わせたのである。

 ただそれだけの出会いだった。


 それから──。

 イリシアは殆ど毎日のようにクルアハに教えを請いに訪れるようになった。

 クルアハ自身クロウと会ってから大分喋れるようになったとはいえ口頭説明は得意でなく、教えるのに時間が掛かる。それでも、お互いに根気強く授業を重ねた。

 二人の様子を、魔法に関しては一切才能が無い──地球人だから──クロウは茶を飲みながら離れて見ているだけだったが、同じ黒髪の少女二人なのでまるで姉妹のようにも見えて微笑ましかった。

 クロウの日常が少し騒がしくなった。

 

「のう、クルアハ。己れはよくわからんのだが、イリシアの魔法はどうだろうか」

「……相性最適」

「そうか、そうか。いや、学校でも見かけると最近は明るくなっていてな。杖を使わず筆を使う魔法使いなど珍しいが……」

「……教え甲斐がある」

「お主相手にも初対面以外物怖じせぬからな。まったく、話してみればお主もただの娘だというのにこの街の連中の恐怖感はよくわからん。ゾンビ大臣など肉が腐り落ちてスケルトンになっても大臣を勤めてるのに誰も気にせんのだが」

「……わたしも気にしてない」

「うむ。ま、今更どうでもいいことであるな。水羊羹でも食うか? 最近はすっかり食うのも硬いものより柔らかいもの派になってな」

「……食べる」


 また、ある日はクロウが昼寝をしている間にイリシアとクルアハが会話をしていた。


「……爺ちゃんという呼び名」

「ああ、それですか。爺ちゃんは学校では誰にでも爺ちゃんって呼ばれてますよ。……ところで師匠は、爺ちゃんの恋人とか義理の娘だったりしたんですか?」

「……告死妖精にそういう感情は無い」

「そうですか。いえ、雰囲気的に、爺ちゃんの家族みたいな感じがしたもので」

「……ただ、相手をしてくれるから居る」

「爺ちゃんの事が好きなんですね」

「……私には魂が無いからわからない」


 クルアハは椅子に腰掛けたままうたた寝をしているクロウに、毛布をかけながら無表情で云う。


「……終わりの時まで一緒にいたいだけ」


(そういうのを、好きという感情なのではないでしょうか)


 若いイリシアはそう思うものの、お人好しで働き者の老人に関わる時には告死妖精という死の象徴の種族である彼女がとても人間らしく思えた。

 何十年と一緒に居て生まれた絆は恋とか愛とかではなく、もっと特別なものなのかもしれない。


 イリシアは口数の少なく無表情だが自分に魔法を教えてくれた、同じ髪の色で姉みたいな師匠が好きだった。

 魔法も使えず体力も衰えた老人だというのに、誰からも頼られて何かと解決する面倒見の良い爺ちゃんが好きだった。

 その時のイリシアは、幸せだった。




 *****



 

 奇妙な三人の関係がどれだけ続いただろうか。

 そのことをクロウやイリシアが後に思い出そうとしても、まったくはっきりしなかった。

 日常が終わったその日のことさえも。


 ある日、クロウは剣を杖に町に出ていた。ちょっとした買い物だ。最近は買い物にもクルアハが同行して買い物カゴなどを持ってくれる。

 時々顔見知りから冷やかしに、


「爺さん、後ろに死神が憑いてるぞ!」

 

 などと声を掛けられるが、


「おう、お主の後ろにも……あっ、本人には見えて居らぬか。すまんすまん」


 などと返して脅かした。なにせ、告死妖精に憑かれた老人が云うのだから信憑性があって恐ろしい。

 人混みをすり抜けて町を歩いていると、なにやら先で騒ぎが起こっているようだ。

 都市国家の中心地にある公開処刑場だ。革命には処刑台がつきものであるという言葉通りに、この都市国家の独立に於いても多く利用されたサービスである。

 そこに磔になった娘が居た。

 見知った顔だ。

 孫のように可愛がっていた少女である。見間違えるはずがない。昨日までは真っ黒だった髪が、染めても決して出ないような鮮やかな青色に変わっているが、確かにイリシアだ。

 

(イリシアが……処刑台に?)


 クロウは慌てて、随分久しぶりに走り息を切らせながら処刑台の近くに駆け寄った。

 すぐに兵士が道を塞いだが、クロウは兵士の胸ぐらを掴んで怒鳴る。


「おい! どういうわけだ! 何故あの娘を処刑台に乗せている!」

「なんだ爺……アレの関係者か? 魔女だよ、魔女の転生体。青い髪を見ればわかるだろう。国際法で処刑が決まってるんだ」

「馬鹿な」


 魔女という存在がある事はクロウも知っていた。

 魔法使いの女の事ではなく、魔女と呼ばれるその存在は転生を繰り返し、無限に近い魔力で世界に災厄を振りまくという災害のような人物だ。この世界で青い髪をした人間は魔女しか居ない。

 神殺しにより手に入れた能力で行使する特殊な魂の転生により、ある日突然それまでの髪色が突然青に変わるのが魔女の魂が覚醒する兆候であるとされている。

 何度も転生し現在に至るまでに行った悪行から永劫国際手配を受けていて死刑が義務付けられている。それも魔女が力を蓄えてからでは遅い。今代の魔女は本人すら気づかない間に、早朝に発見した親が即座に縛り上げたのは僥倖であるとも言える。

 かつて魔女に大きな被害を与えられている魔法大国の影響が大きい国柄であったことも、対応の早さを加速させた。あっという間に話は進み昼前には処刑台の上である。

 聞けば、周囲の大衆は露骨に悪意を処刑台のイリシアに向けて囁いていた。


「魔女だってよ。小さい頃は髪の色を隠して擬態してるんだろ? うちの子があんな化け物じゃなくて良かった」

「現れる度に町や国を滅ぼしてきたって伝説だぞ」

「早く殺せよ……ガキのうちに始末付けられて幸運だ」

「噂によると、魔女が告死妖精に魔術を教わっていたらしい……」

 

 ざわざわと、毒気を持った醜悪な言葉が重なり、処刑台にいるイリシアへ周囲からの殺意が向けられた。

 姿が人間と変わらなくとも、この世界に於いては魔女とは凶暴な獣と何ら変わらない扱いなのだ。同情の眼差などひとつも向けられない。死刑にするのは当然の存在である。

 いかな魔女といえども、魔法の発動媒体を一つも持っておらず、口を塞がれ指も動かせなければ魔法など使えない。

 念入りに裸に剥かれて縛り付けられているのだ。クルアハに習った術符の一枚も持っていない。

 

「処刑が始まるぞ」


 言葉に、はっとクロウは顔を向ける。

 槍を持っているのは処刑の執行人──ではなく、町人にしか見えない夫婦であった。

 クロウはそれにも見覚えがあった。イリシアの両親だ。

 いつか会ったことがある。娘が最近は楽しそうにしている、あなたのおかげだと嬉しそうに挨拶をされてお礼の葡萄酒を貰った。どこにでも居る、娘とも仲の良い夫婦だった。

 魔女の関係者でないことの証明の為に、夫婦が槍を娘に突き刺す役目に任ぜられたのである。

 だが、救いようがないのが──その夫婦は、憎々しげに、或いはこれで嫌疑から開放されるという嬉しさの混じった表情をしていて、娘に槍を刺すという行為を自ら進んで行っているようであった。

 もはや、あれは娘ではないのだろう。彼らにとっては。化け物が娘のふりをしていたという、悍ましい認識だ。

 クロウの視線が、イリシアとぶつかった。

 ぼろぼろと涙を流しているその娘は、縛られた口をもごもごと動かしてクロウに何かを伝えようとしている。

 いつも無口な相手と接していたクロウにはすぐに言いたい事がわかった。

 彼女が頼れる大人は、もう他に誰も居ないのだ。

 クロウは処刑場の周囲を塞ぐ兵士の脾腹に剣の柄で当て身を入れる。手加減などは無かった。


「がは……」


 と、声を上げて崩れ落ちる兵士を弾き飛ばして処刑台に走り寄る。

 足腰は萎え、心肺は荒く酸素を求め、全身の骨も関節も酷く傷んだが、老人と思えぬ速度で処刑台へ向かう。


 その時、クルアハはクロウに遅れた。

 告死妖精は死が間近な人間が近くに居るとその名前が強く意識に浮かびあがる。

 だから処刑寸前のイリシアの名が浮かばなかったのが不思議に思っていたのだが。

 クロウが走りだした途端──彼の名がクルアハの意識を支配した。普段、名前を呼ばぬように思い浮かべることはしていなかったというのに。

 彼は死にに行ったのだ。寿命ではない、自らが選ぶ失い方の為に。

 クロウが叫ぶ。


「よさぬかぁっ!!」


 凄まじい声量であった。

 まさか魔女の処刑を邪魔されると思っておらず、一瞬対応の遅れた兵士らは次のこの心臓を鷲掴みにされるような怒鳴り声で、更に動きを止めた。

 駆けた。

 魔女がどうとか、法がどうとかは関係が無い。

 大人として、目の前で泣いている子供を助けなくてはならない。それが出来るのは自分しか居ないのだ。

 ただそれだけなのである。


 少女は安心したように、普段からは想像も出来ない早さで助けに上がってきた老人に涙顔を向けた。

 頼れば何でも面倒そうに一緒に解決方法を探してくれる。時々作る料理が美味しくて。本当の家族のように頼りになる自分の味方になってくれる人だ。

 イリシアの前に彼は立って、戒めを解く為に剣を抜こうとした。

 そのとき、老人の背中から突き刺された槍が腹を貫通して、イリシアの眼前まで突き進み──咄嗟にクロウは槍を手で掴んで押し止めた。

 瞳孔の開いた目で、クロウの腹から生えた槍の穂先をイリシアは見て固まった。

 両親が突き入れる刃を少女に触れさせるわけにはいかない。

 彼は片手に持っていた剣を抜き放ち、強く握りしめて込められた魔力を最大出力で開放する。


「キャリバーン──発動……!」


 言葉とともに刀身から放たれるのは、松明の数百倍にもなる暴力的なまでの凄まじい光だ。

 クルアハが旅の為に作ってくれた魔法の剣。光るという単純な付与魔法を持つが、野宿をするにも相手の視界を奪うにも様々に使い道があった彼の愛剣である。

 そして処刑の様子を固唾を飲み全ての人が見守っていたために、直視すれば目を潰す光をほぼ全員が受けて悶え苦しんだ。例え、目を閉じていても目蓋を透かして届き視界が効かなくなる程である。

 平気だったのは、クロウに目隠しをされたイリシアと特性を知っていたクロウとクルアハだけだった。

 キャリバーンを振るい、腹を刺す槍とイリシアを縛る縄を切り裂く。

 そこまでで、クロウは全身からどっと疲れが吹き出し、体温が急激に低下していく感覚を覚えた。

 死が迫っている。


「よいか、イリシア、クルアハに逃がしてもらえ。あやつは信頼できる」

「い、嫌です。爺ちゃんも一緒に逃げましょう!」

「己れはよい。いいな、逃げるのだ」


 急いで言い聞かせているクロウと震えるイリシアの前に、クルアハが立った。

 彼女は首元に符を貼っている。[相力呪符]というオリジナルの術式で、使用者が必要なだけ力を増加させる、というものだ。状況次第では己の限界以上に力を発揮できるが、体に来る負担も大きい。


「……」


 クルアハは無言で二人を両肩に抱いて、風のような疾さで処刑場から逃げ出した。まだ誰も視力は復活しておらず、呪詛のような呻きが聞こえるだけで目撃される事は無かった。

 この符を使わなくては、非力な妖精の体では人を抱えて逃げることなど出来ない。

 人気の無い道を通り、廃墟の建物が並ぶ郊外に向かう。クルアハはその間ずっと無言だった。

 一つの廃工場でクルアハは限界が訪れて、動きを止める。足が動かなくなっていた。地面にクロウを寝かして、


「……」


 イリシアに顔を向けて頷いた。クロウに回復の魔術をかけろと伝えたのだが、彼女はそれを察したようだ。この弟子はクロウほどではないが、無口な彼女の意志を読み取ることができる。

 刺さりどころが良かったのか若い頃に鍛えたおかげか、その両方か或いは単なる奇跡か──普通の老人ならばショック死か失血死しかねない怪我だが、クロウに息はある。

 まだ彼の死は確定していない。

 

「わ、わかりました!」

 

 慌ててイリシアは魔術文字をクロウの体に直接刻み始め、傷の治療を始める。

 妖精種であるクルアハから見ればすぐに分かったが、魔女化の影響でイリシアの魔力がとてつもなく増加している。己も超えている程に。


「ク……!」


 こみ上げる衝動にクルアハは口を強く抑える。

 黒い血液に似たエーテル流体がだらだらと抑えた口の端から垂れていた。

 一瞬でも口を開けばある言葉が自動的に発せられてしまう。それを抑えるのに、クルアハの体は崩壊という代償を受けているのであった。


(名前を……呼んではいけない)


 告死妖精がクロウの名を呼べば、彼の死は確定されてしまう。それが告死妖精の能力であり、役目だ。

 生物というよりも概念体である妖精は通常死ぬことはない。

 だが、己の存在理由を否定した時に矛盾を抱えて消滅するのだ。

 告死妖精が死を否定するのは、それ程に重いことだった。


(この人が、普通に老衰で、笑いながら幸せだったと死んでいくのならまだしも……)


 誰かの為に死にに行くなどという、命を諦め、責任を被り、己の胸に何もかも思いを仕舞ったまま死んでいくのは嫌だ。

 単純に、嫌だからクルアハは使命に逆らうのである。

 イリシアは振り向き、口から血のようなものを流し続けている彼女に気づいた。


「爺ちゃんの血は止まったけど心臓が弱って……師匠!? そんな、師匠まで」


 足の先はもう光の粒子──この世界の普遍魔法則粒子であるレイズ物質に変わり消滅し始めていた。体の内部が概ね消滅した為に、外側も消え始めているのだ。

 這いずるようにクルアハはクロウに近寄る。

 失血しすぎたのだろう。今だにクロウの名が己の意識を支配しかけていることから、まだ死が彼を奪おうとしているのがわかった。

 付与魔術は回復に強いものでは無く、せいぜいが外傷の治癒か疲労回復が限度なのだ。

 震える指先をクロウの胸に近づけるが、触れた途端左手が砕け散った。


「わ、私がやる! どうすればいいですか!?」

「……」


 そっと、飴細工を触るようにイリシアはクルアハの残った右手を取った。今にも壊れそうで残酷なほど軽かった。

 イリシアの指先から流れ出る魔墨で己の開発した魔術文字をなぞらせるように動かす。

 何故この術を作ったかその時はわからなかったが、なんとなく今になってクルアハは理解できた。


([存在概念]の魔術文字……それによる不老の効果。ずっと、彼と過ごせてたらいいと思って作った)

 

 理論は完成していたが、告死妖精という種族の魔力が合わなかったのか単純に魔力量が不足していたのか、発動は不可能ということで今まで忘れてさえいた術だ。

 イリシアの魔力ならば出来る。瞬間的に彼の体調を最良にするだろう。

 複雑な紋様だ。時間を掛けて、クロウの胸に刻む。

 消え行く光の中、クロウとの思い出だけが浮かんだ。


 

 *****

 


『はじめましてだな、君がクルアハか。いや、今度の鎮圧任務で部隊に回す装備に魔術符ってのを使いたくてな。己れは庶務課騎士のクロウだ。宜しく』


(最初は話しかけてくる奇特な人間というだけで特に何も思わなかった)



『怖がられてる? 見た目がなんか……髪を垂らした幽霊の事をなんと言ったか……そんな感じだからなお前は。可愛い服と髪型に気をつければいいんじゃないか?』


(よくわからない事を言うけど、そのうち居なくなるだろうと思っていた)

 


『うわ、昨日の今日で随分変えてきたな……あれ? 妖精の羽根があるな。妖精だったのか? まあいいけど可愛いと思うぞ、うむ』


(何となく、付き合いは続いて)



『旅の成果? あー、いや今回はあんまり。次は頑張るって。はっはっは、ありがとな』


(帰ってきては顔を出してくれた)



『ううむ、菓子作りはもうお主に勝てぬな。なに? 喋り方が爺さんみたいだと? ……スフィの影響だろうか』


(そのうち同じ家で料理をしたりするようになった)



『しかしあれだのう。己れが死んだらお主泣くだろ。泣かない? ああ感情無いんだったか。長い付き合いになると結構お主も感情豊かに見えるがな』


(やっぱり彼の言うことはよくわからない。告死妖精が死で泣くなど。感情があるなんて……)



『お主が先に死んだ時は己れは泣くかもしれんな。年を取ると涙脆くなるから困る。妖精は死なない? いや、案外隕石が落ちてきて死ぬかもしれぬだろう』


(それでも、彼のことをわかりたいと思ったから、最後まで一緒に居ようと決めた)




 *****




 クルアハの思い出は魔術の事以外では、殆どはクロウが一緒だった。

 死ねば全てが消える。

 妖精というのはこの世界ペナルカンドでは魂が無い概念存在だ。

 そしてペナルカンドに於いて記憶とは魂に刻まれる。

 概念体として存在している間は現実の情報として他人に認識されるのだが──


 クルアハが消滅した時、魂が存在しない彼女に関わった記憶は全ての人間から忘れられる。


 弟子のイリシアからも、数少ない付き合いのあったスフィからも、思い出の大部分であったクロウからもだ。

 それがこの世界の法則であった。


(こんなに誰かを想っていても、魂が無いなんて)


 儚い存在である己の身を恨んだ。

 もし、自分が人ならばどれだけ良かっただろうか。死んでも彼の記憶に残る。彼と同じ時を過ごして、一緒に老いて死んでいく。それだけで良かったのに。

 クルアハは魔術文字を刻みながらそう思っていた。

 助けてもクロウから忘れられるというのに、どうしても彼を死なせたく無かった。幸せになって欲しかった。

 

「む……」


 クロウの意識が戻るが、顔は真っ青だ。まだ彼は死にかけている。

 殆ど滲んだクロウの視界が、黒い髪の少女を見て安心させるように、感覚の無い手を上げて軽く当てた。

 彼女の頭を撫でようとしているのだ。


「やっぱ……泣く、よなあ……」

「……!」

「己れの事はいい……無理するな」

「…………っ」


 クロウの言葉に、叫びを上げたかったが、クルアハは必死に口を閉ざした。

 

(……わたしは泣いている)


 目の前の人に死んで欲しく無くて、目の前の人から忘れて欲しく無くて、どうしても両立しない悲しさに顔を歪めて涙をぼろぼろと流している。

 ずっと彼と過ごしていたのだ。

 魂が無くとも感情ぐらい生まれる。

 それに気づこうとしなかっただけだ。


 クロウの開いた目が、再び閉ざされて彼は気を失った。

 やがて、魔術文字が完成する。クロウの全身に文字が這うように蠢き、八色の淡い輝きを見せ始めた。

 クルアハの意識からクロウの名も消えた。彼の死は去ったのだ。

 安心したように口を開けると、我慢していた血のような流体で咳き込んで咽た。

 エーテル流体が吐き出されて床に落ちると同時に空間に溶けて消え、クルアハは体重を失う。


「師匠! 次は師匠を助けます、どうすれば助かるか教えてください!」

「……もう、無理……ありがとう」

「助かりたいって! 言ってくださいよ!!」

「……わたしは幸せだったから」


 彼女は残った手で弟子の頭を撫でてやった。一秒にも満たない時間で、手は消滅する。

 胸から下も全て消え失せていた。どう手をつくしても、彼女は消えるのだ。二人の記憶からも、永遠に。

 魂の無いこの身は転生神の輪廻に乗り生まれ変わることもない。別の場所、何処か似た姿で再生されるが、記憶も想いも無い別の個体としてだ。

 それでも奇跡があったなら──二人と同じ人間になりたかった。

 

「私は、魔女なのに……助ける方法もわからないんです……! 師匠が居ないと何も出来ないんです……」


 世界最強の魔法使いである魔女が滂沱の涙を流している。魔女化により、魂の記憶の継承が行われ、幾度の命に於ける最高峰の魔導が知識として流れこむが、今この場で消滅しそうな妖精を救う方法は無かった。大好きな師匠と過ごした日々に勝る幸せな記憶は無かった。

 どうにもできない絶望に染まる彼女を安心させてやりたくて、告死妖精は微笑んだ。

 笑うこともできたのに、もうクロウに見せられないのが残念だった。


「……聞いて。楽しいと思うことをいっぱいしなさい。好きに生きて、好きに死ぬこと。辛いことがあっても、最後は笑って──」

「うう、やだあ、おねえちゃんも、一緒が良い……」


 ぐずぐずと、いつも小生意気な態度だった弟子が駄々っ子のようになっている。

 遺言のようだが、決して相手に記憶されない虚しい言葉だ。こんなに饒舌なクルアハを初めて見たが驚く事もできずにイリシアはただ泣くことしかできなかった。

 言葉は残らなくても、残るものはある。

 この可愛い魔女に教えた魔術は誰に教わったか覚えてなくとも、彼と彼女のこれからを助けるだろう。

 思い出の代わりに道を照らす灯火を。


「……ごめんね……出来ればこの人の名前、呼んであげて……わたしの、代わりに……」


 そこまで告げると、クルアハの顔が石のように色を失い、光の粒となり空間に溶けて消えて行く。


 同時にクロウの体を包む光が光量を増して閃光が周囲を包んだ──。




 *****


 


 クロウが意識を戻したのは閃光が収まりすぐにだった。

 体の痛みが消えている。むしろ、妙に軽く調子がいい。むくりと上体を起こして周囲を見回す。

 青い髪の少女──イリシアが眩さで目が痛いのか擦っていた。


(そうだ、イリシアを助けて……)


 慌てて見回すが、どこか廃墟のようである。

 ふと自分の掌が皺も無いつるりとしたものに変わっていることに気づき、首を傾げる。

 やがて視力を回復させたイリシアが、


「……あれ? 爺ちゃん──ですよね。どうしたのですか若返って」

「若返っただと?」


 クロウは慌てて、握りしめたままだった只の剣を手に取り、鏡の代わりに覗きこむ。なんの変哲も無い普通の剣だが、よく磨かれていて自分の顔を写した。

 そこには随分と若い、自分が中学生ぐらいの頃の顔つきが写っている。

 ぺたぺたと顔体を触り、腹部に手をやる。べたりとした血の跡があるが、傷跡などは残っていない。


「お主が治してくれたのか?」

「ええと、どうやら魔力跡を見るとそう……みたいですね。無我夢中というやつでしょうか」

「何故に若返っておるのだ」

「魔力の流し過ぎで加齢まで回復したのでは? いえ、調べなくてはわかりませんが」


 何故か治した筈の本人もうろ覚えだという。

 自分も確か、彼女を助ける為に槍で刺されたあたりは覚えているのだがそれからどうなったのか曖昧だ。二人で生きているという事はなんとか逃げれたということなのだが。

 一度死にかけたせいか、記憶が混濁する。或いは痴呆か健忘症が進んだのかもしれない。様々に思い出そうとしてもどうもうまくいかない。


「──爺ちゃん。……泣いているのですか?」

「む……?」


 クロウは顔に手をやると、目から涙が溢れていることに気づいた。

 悲しいわけではない。泣く理由が浮かばない。それでも涙が止まらなかった。

 

(年を取ると涙脆くなるとは言ったが……?)


 ふと、そう考えたけれど──誰に言ったか思い出せはしなかった。

 だが。

 泣いてばかりは居られない。これから、イリシアと国から逃げ出す必要があるだろう。

 クロウは涙を拭いて立ち上がった。体には力が漲っている。そしてやけに、熱い。

 いつから持っていたかわからない名前も無い剣を腰に帯びて、ほぼ裸のイリシアに今まで着ていたゆったりとしたフード付きの外套を貸してやった。


「気にするのは後にしてとにかく行くか。なに、動くには老人より若い方が便利ではある」

「はい。爺ちゃ──いえ、クロウ」

「……なんで呼び名が変わったのだ?」

「見た目の年頃は同じになりましたので。これから宜しくお願いします、クロウ」

「ふむ。まあよいか。では、旅に出るぞ」

 

 クロウはイリシアに手を差し出した。彼女は首を傾げつつ尋ねる。


「どこを目指して?」

「さてな。ゆるりと帰れる場所にさえなれば、どこでもよいさ」


 そう言い合って、クロウとイリシアは歩き始めた。

 後に世間を騒がせる[極光文字の魔女イリシア]と[使い魔の騎士クロウ]二人の物語はここから始まったのである。


 二人はこれ以前にはどういう関係でこうなったのか語らない。

 何故か記憶の齟齬が多くて忘れていることばかりだからである。


 しかし、大事な何かがあったのだろうと想う事がある。クロウは泣き顔を、イリシアは笑顔を見た時に、ふと胸によぎる誰かを。 


 


 *****

 




 当代の魔女はお目付け役とでも云うべき騎士が居るためか、残虐性は低いがそれでも世界のあちこちで騒動を起こして迷惑をかけていた。

 保護者なら止めろと関係者は云うのだが、基本的に世界最高の魔力を持つ魔女は自由奔放すぎるのでクロウの手にも余るのだ。魔女の身長がクロウを抜き去ったあたりから説教も聞かなくなってきた。

 むしろだんだん感化されて、開き直って逃げれば楽勝だなとか、バレないようにやればいいかとかクロウも危険な思考に染まりかけては素に戻ったりしていた。恐らくは慣れと諦めだろう。

 ほぼ枯れていたクロウがわりと活発な性格に子供返りしたのは、このあたりの破茶滅茶騒ぎのせいだろうか……。

 お互いに喧嘩したり説教したりすることもあったが、家族のように離れなかった。


 ある事件は都市国家クリアエにて行われた。

 魔女の出身国であるのだが、再び舞い戻ったかと思えば日夜謎の騒ぎを起こしている。

 この都市で一番大きい歌神教会にて行われていたライブコンサートに乱入して毒豚の血をまき散らし周辺を制圧。歌手を脅迫して反体制的な曲をデス声で歌わせていると兵士が乱入、また内容はともかく聖歌中であるという神官の反発から始まった暴動中に会場を爆破してダッシュで逃げたのだ。

 イリシアを小脇に抱えたまま走り去るクロウに容赦無い銃弾の雨が軽快なBGMと共に降り注ぐ。


「ギターケース型マシンガンって実在してたのだな。いや、実在してたとしても神官が使うなよ」


 感心と呆れを見せながらクロウは足を止めないように正確に逃走ルートを選ぶ。

 正確にはギターケースに込めた使用者の信仰から来るジーザスエナジーを音速で連射している神聖な武器なのだが、まあ見た目は変わらない。

 飛来する弾丸は魔女が氷の障壁を展開することで防いでいる。[氷結符]と呼ばれる魔女の基本的な属性符だが、彼女が全力で使用すれば数秒で大洋すら凍らせられるという。


「こりゃあー! クロー! 待たんかあー!」


 聞き覚えのある高い声が背後から飛んでくる。クロウが走りながら首だけ後ろに向けると、古い友人である司祭がぷんすかと怒りながら追いかけてきていた。 

 相変わらずの少女体型にぶかぶかのゴージャス修道服を着て、いかにも重そうなアンプを置いた馬車の荷台に仁王立ちしている。


「クロウ。スフィ婆様が追いかけてきてますよ。お茶にでも誘って怒りを宥めたらどうですか」

「あやつが説教音源オメガスピーカーを持ってなければそうする。鼓膜が破れても即再生させる魔力でたっぷり三時間は話を聞かされるからなあ」

「にょほほ! 官憲には突き出さんが魔女共々とっ捕まえて単独ライブにご招待してくれるわー! やれ、爆撃部隊!」


 クロウの行手から現れた複数の男たちが、軽快なBGMと共に歌神的射撃体勢デスペラード・ポージングでギターケースから爆発物を投射する。

 煙の尾を引いて接触爆砕神罰弾が飛来してくるのを見て、クロウは叫びつつ強化された身体能力で壁を蹴り三次元に逃げまわった。


「うわ、さっきから昔に映画で見たことあるぞ、そのランチャー!?」


 この日も、町の一角が吹っ飛ぶような騒ぎとなるのであった。


 

 世界各地を周り、長年好き勝手に様々な悪戯を行ってきた魔女(本人も後に不老化)とクロウの迷惑物語。

 それは空間歪曲迷宮砂漠に囲まれた魔王城に押し入ったところ、現代のお高いネットカフェみたいな設備でやたら居心地の良いそこに寄生的な形で住み込むまで続いた。


 その後も怠けた生活のアクセントとして時々魔王と魔女が世界に愉快犯的な天災を起こし続けていたので、そのうち討伐されるのも当然の流れではあったが……暫くクロウはこの地で過ごすのだった。


 


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[一言] アニメ化されたら絶対に観たい話し。
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