RE江戸2巻発売記念『令和の頃、とある飯屋の話』
お知らせの為に更新するのがアレだというのは痛感しておりますが
WEB版をもとにした完全書き下ろし、Kindle版「RE:異世界に帰ったら江戸なのである」の2巻が発売されました!
https://www.amazon.co.jp/dp/B0BNXQ8YDW
2巻では新規イラストキャラとして山田浅右衛門、小唄、お花が登場! 晃之介、新井白石なども登場回です!
挿絵はユウナラさんが31点も描いてくれました! 500円ですばいなう!
ついでに1巻も12月はセールで半額になっております! 同人誌としては破格の売れ筋でコミカライズ間近だといいなあって作者思います!
その記念として1巻外伝のカレーちゃんとのクロスオーバー話を投稿しまし……ごめん
ちゃんと新しい話を書いて宣伝しろよというのはわかります。使いまわしかよと。
ちょっと待っていてください。なにか本で出せないような話書きますので。
お願い:2巻を購入して誤字を見つけた方は、感想欄でも個人メッセージでもTwitterでもいいので教えてくだされば幸いです
支えてくださった読者様方と一緒に作ってる感じの作品だと思っておりますのでご協力頂ければ!(買ってるのがコアなファンばかりだという点において)
「おー、ここじゃのうー。懐かしいのう百年ぶりぐらいに来たのじゃよー」
カレーちゃんは時代がかった古めかしい建物を見上げて、そう楽しげな声を出した。後ろについてきていたドリル子はガイドブックを片手に物珍しそうだ。
カレーちゃんは、とあるFランクの低級小説家の少女である。種族は吸血鬼で、獣耳が生えていて、明治時代から生きていることになっている。
主に『小説家になろう』へと気ままに小説を投稿したり、自分で電子書籍として出版したりしながら年金生活を送っている、見た目は可愛らしい半無職な女の子だ。
彼女は低スペックの作家であるものの、ギリギリで書籍化されたことがあるというかろうじて『小説家』と名乗れる職業だった。ちなみに印税は雀の涙で小説は売れず打ち切られ、とても生活はできなかった。
そんな彼女の小説が、どうもまともではない謎のプロデューサーに目を付けられてメディア化されることになった。その打ち合わせで、大学時代の友人であり同居しているドリル子(本名)と東京に来ていたところであった。
ドリル子は銀色のドリルを頭の左右に取り付けたような髪型をしている若い女性で、彼女は感心したように目の前の建物の情報を本から読み取って呟く。
「へえ。『スケヤ』って全国にある定食チェーン店ですわよね。その本店ってこんなに本格的なお蕎麦屋さんみたいなところでしたの?」
「うみゅ。なんでも江戸時代から続く老舗らしいからの。建物は何度も建て直しておるようじゃが」
飲食チェーン『スケヤ』の本店『助屋』は江戸時代、享保の頃から続く店であり、東京では一番古い蕎麦屋だと言われていてこのようにガイドブックにまで記載される程の名店だ。
江戸時代の間は、まあ人気の名店といった程度だったのだがこの『助屋』が大躍進をしたのは明治時代に入ってからだ。
文明開化と共に急成長を果たした会社『根津産業(現社名・根津ファーム)』と共同で、日本全国へと一気に支店を広げた。根津産業は農畜産業の開拓からインフラ整備、物流を主体に明治政府へと強い繋がりを持ち、関連事業を次々に手掛けて日本でも屈指の財閥になった。助屋はその飲食店部門のトップ扱いであった。
財閥が解体された今でも根津ファームは日本で最も影響力のある大企業の一つであり、助屋も日本の飲食店ではかなり有名だ。とはいえ殆どの町では、スケヤといえば今風の小綺麗なカフェみたいな店舗であり、老舗の蕎麦屋然としたこの店のイメージは無いのだが。
「ふむふむ、江戸時代に天狗が店を繁盛させたとか、将軍に献上したこともあるとか怪しげな話も書かれていますわね」
「それよりなにより、この店は日本で初めてカレーを作って出していたことで最近有名になったのじゃよー」
「あら、本当」
ドリル子がガイドブックに記載されている話を確認する。江戸時代から助屋は挑戦的なメニューを試作しており、ラーメンやカレーを当時提供していた記録も残っているのだから驚きだ。
まあ、そういった変りものの料理は余り流行らずに定着しなかったようだが。ただ、鉄火丼、うな丼、握り寿司などはこの店が最初に出して広まったとされる。
「ま、明治の頃から妙な物を出す店として有名じゃったが。洋食なども出しておったから外国人も食いに来ておったぞ」
「さすが明治生まれですわね……その頃は東京に住んでいましたの?」
カレーちゃんは人間ではなく妖怪の類であるが、明治の東京に現れて記憶も喪失したまま右も左もわからず、たまたま保護してくれた警察官によって戸籍を手に入れることができて、人間としての身分を持っている。
妖怪故にそのまま老いることもなく令和になっても生き延びていて、年金まで貰っているのだから図々しい化け物である。
「うみゅ。友人じゃったお人好しの警察官が行きつけだったのじゃ」
言いながら店に近づいていき、カレーちゃんはキョロキョロと店の周りを見回した。
「なんじゃ。思ったより空いとるのじゃ。明治の頃はもっと行列ができるほど繁盛しておったのじゃが」
「そうですわね。ガイドブックに載るぐらいの有名店ですのに……」
観光案内ガイドブックどころか、助屋紹介だけで本が何冊も出ているぐらいの有名で歴史ある店なのだが、行列などは無くて普通に入れそうであった。
ドリル子が再びガイドブックに目を落として、「あ」と声を出した。
「……カレーちゃん、わかりましたわ」
「なんじゃ? 食中毒でも出して寂れたのかの?」
「その古めかしい本店の周りにある建物が、だいたい全部お店の敷地ですの」
「……」
カレーちゃんはそう言われ、一歩下がって店の周りを見回した。
「……うちの近所にある町民体育館より大きいのじゃ」
「体育館どころか小学校ぐらいありますわ」
二人の住んでいる町が東京から遠く離れた田舎の僻地であることを鑑みても、助屋の本店は広かった。土地代だけで幾らするだろうか。
「め、明治の頃はこんなにデカくなかったのじゃが……」
「そうですの?」
「うみゅ。フツーの古めかしい繁盛しておる飯屋って感じじゃったな。出前をよくやっておったようじゃが」
昔は店が狭くても売上を伸ばすために出前や屋台を使っていたのだが、今は土地を買ってここまでの広さになったのだろう。
二人は入店すると真新しい和服を着たアルバイトらしい若い女がすぐに対応してきた。
古びた眼鏡の奥でどことなく眠そうな眼差しをした、白い房のついた髪飾りを付けている小柄な少女だ。胸から下げたIDカードには『研修中』と書かれている。
「いらっしゃいませー。席へご案内しますー」
「うみゅ。おお、そうじゃ。優待お食事券を持っておるのじゃが、使えるかの」
思い出したようにカレーちゃんは言うと、女店員はど忘れしたように首を傾げた。
「優待お食事券……? そんなもんうち作っとったかのう?」
「なんじゃ知らんのか。これじゃから若者は……」
カレーちゃんは財布からかなり色褪せたチケットを取り出して店員に見せた。とても古ぼけているが、しっかりと『助屋 優待券』と書かれているのがわかる。
それは明治の頃、カレーちゃんが知人とこの店に来ていた際に貰ったものであった。百年以上前の物である。その知人はなにやら店の関係者でもあるらしかったのだ。ちょっとした問題を解決したお礼であった記憶がある。
「よくそんな古いの持っていましたわね……」
「物持ちがいいのじゃ!」
「チケット自体を鑑定団にでも出した方が高値付きそうですわ」
店員はポカンとチケットを眺めた後で、おかしそうに笑った。
「はっはっは。おうおう、確かにこれは昔に作った優待券だのう。懐かしい……よし」
店員はやや離れたところでしきりに汗を拭いながら様子を見ていた、覆面姿のフロアマネージャーを手招きして呼んだ。根津ファームや助屋では本社勤務のエリート社員の多くは覆面を付けているのが伝統である。理由は不明だが社長や会長も男性の場合は歴代ずっと覆面なので誰も文句は言わない。
「こっちのお客さんはVIP席に案内だ。サービスしてやるのだぞ」
「は、はい! 準備いたします!」
「それではお客さん、どうぞ」
女店員に招かれてカレーちゃんとドリル子は店内を進んだ。
「VIP席ですって。カレーちゃん、ラッキーですわね」
「まったくじゃ。というかこんな飯屋にあるのじゃなVIP席。昔はただの繁盛した蕎麦屋だったのじゃが」
「今では大企業の本店ですわ」
日本全国のみならず海外でもチェーン展開しているスケヤは年間数百億円を売り上げる一流企業だ。特に文明開化時から間髪入れずに海外展開を始めたため、欧米諸国では和食というとスケヤが作り出したイメージが大きい。
親日家なシチリアの王女など来日するとよくこの本店を訪れているらしい情報がガイドブックには掲載されていた。赤毛の王女がカメラにVサインをしながら、餅入り稲荷(三個二百四十円)を食べている。
店内は和風の作りをしながらも座敷ではなくテーブルが並び、時代劇で見る『時代考証は間違っているのだが見栄えがいいからテーブルにしている』店のような雰囲気であった。しかしながらこういったテーブル席も江戸時代からいち早く助屋は取り入れていたという。
客入りは八割程度、現在『創業キャンペーン』をやっていて普段から出しているメニューに加え、江戸時代にこの店が考案したメニューを当時のレシピで再現して売りに出している。
この店は新メニュー開発に意欲的なのみならず、歴史が長いので『某文豪絶賛』だとか『某政治家絶賛』だとか歴史上の人物が食べたメニューも残して売りに出していて、マニア受けがいい。
「しかしなんか変わった店ですわね。あちこちに御札が貼られていますわ」
「うーみゅ。明治頃に聞いた噂話じゃと、天狗から貰った妖術の御札で店に使う火や水を出して使っておったらしいのじゃ。しかしそうすると御札を盗もうとする輩が出てきたので、あちこちにペタペタと偽物を貼ったとかなんとか」
今となっては店のカウンターで天狗の厄除け御札がお土産品として売っているぐらい、そういった逸話は有名であった。他にもあちこち天狗の面や団扇が飾られており、この助屋は天狗信仰の強い店であるようだ。
怪訝そうな顔でドリル子が柱に貼られている御札を撫でながら言う。
「本物がありますの? それ」
「ないじゃろー常識的に考えて。天狗なんてフィクションじゃフィクション。そんなもんの使っておった魔法の道具なんて実在せん。ファンタジーやメルヘンじゃないのじゃから」
「……カレーちゃんは吸血鬼で、チュパカブラは実在しているのに?」
「チュパカブラはいまぁす!」
「はっはっは」
おかしそうに眼鏡の女店員が笑っている。二人はエレベーターで四階にある個室フロアに案内された。一、二階は一般客席で三階はスタッフルームと倉庫、四階は要予約の個室と特別室がある。
一階の大衆店と違っていかにも高級そうな落ち着いた作りになっているフロアを、やはり物珍しそうに二人は見回しながら進む。方や年収が百万円前後をキープしているFラン小説家、方や安アパートの大家であってこういった店は普通来られない。
「というかドリル子さんや。お主、昔は金持ちだったのでは?」
「十代の頃までですわ。実家も大阪ですし、東京の高級店なんて来たことありませんもの」
「大阪の金持ちってどんなもん食っとるのじゃ?」
「お好み焼き定食についてくるご飯が白米ではなくて、かやくご飯になりますわ!」
「……」
こいつお嬢様言葉じゃなくて単に関西訛りなんだよなあとカレーちゃんは思いつつ、一番奥まったところにある『天狗の間』に三人は到着した。
部屋の前には流麗なタッチで描かれた女天狗の絵が額縁に入っていて、素人目に見ても上手だと思える。
妖艶な色気と童女の無邪気さが奇妙に重なり合うような女天狗はまるで生きているかのようだ。現代人でも読みやすい署名で『鳥山石燕』と作者名も入っていた。言わずとしれた、江戸に名高い妖怪絵師である。さすがにカレーちゃんは作家だけあって知っている。
昔には鳥山石燕と深い関係があったようで、根津ファームが運営して助屋も協力している『根津博物館』には肉筆画の絵が多数展示されている。石燕だけではなく喜多川歌麿、写楽といった浮世絵もまるで後世に価値が上がることがわかっていたかのように保管されていて、多くの客を呼んでいる。
四階フロア内には中央部に天井の開いた庭園があり、他の個室からは一つの障子戸からその庭が伺える程度だがVIPルームは三方が庭園に囲まれていて、最も楽しめるように設計されていた。他の部屋の窓からは上手く遮るように木や灯籠が置かれていて煩わしく窺われることもない。
「おお! まるで料亭じゃな! ……の、のうお主」
「うむ?」
カレーちゃんは一瞬喜んだ後に不安になって女店員に尋ねた。
「儂らはカレーを食いに来たのじゃが、こ、こんな高そうな部屋に案内されてもそんなに高級割烹料理とか頼めんのじゃよ?」
「カレーちゃん……メディア化の契約金五十万円も貰ったって喜んでたのに……」
「馬鹿者! あの五十万は今年の収入の八割ぐらいになる予定なのじゃ!」
貧乏人故に予算がかなり厳しいカレーちゃんはそう主張するのであった。
彼女の目的は期間限定で出している『江戸カレー』六百五十円だ。それ以外だと生ビール四百円を頼むぐらいだ。
スケヤは基本的に庶民向けの飲食店で、殆どのメニューは千円以下である。しかしながらこの料亭的雰囲気はどう見ても一人あたりお会計千円前後で済むようなものではない。
なにせこの助屋本店は大衆店ながら、歴史上数多くの有名人が通っていたので箔付けとして現代でも著名人が常連となっていて、そういったアッパークラス向けのコースメニューや高級寿司なども提供されているのだ。
それを食べるためのVIPルームはいったいどうやって予約を取るのかほぼ謎に包まれている。助屋か根津ファームの上層部にコネがなければまず入れない。
眼鏡の女店員は朗らかな顔をしたまま気軽にカレーちゃんに言う。
「大丈夫。あの優待券があるなら今日はなにを頼んでも無料だからのう」
正確に言えば料金はかつて優待券を配った、とある名誉会長のポケットマネーから支払われるのであるが、優待券の現存数がほぼないのと使い切れない程度に名誉会長が金を持て余しているのでそういうことになっている。
「無料じゃと!?」
「カレーちゃん、怪しげなカレーじゃなくて一番高いの頼みますわよ!」
「し、しかしのうー! 江戸時代のカレーなんぞ、ここ以外では食えんのじゃし……」
「でも無料ですのよ⁉」
「まあまあ。うちはお持ち帰りもやっておるから、一番高いお膳を弁当にして持って帰ってはどうかのう」
「それじゃ! しかしせめてここでも高い酒ぐらいは頼むぞドリル子さんや」
「そうですわね。なにもお会計を気にせずに頼めるなんて実家に居た時以来ですわ」
「金持ちじゃのう」
「お好み焼き定食のお好み焼きを豚イカエビホルモンミックスでゴージャスに頼んでいた頃が懐かしいですわ」
「お主の実家での贅沢はお好み焼き定食しか無いのか!?」
それはそうと、カレーちゃんたちは女店員が渡したメニューをじっくりと吟味し始める。
「なにをどれだけ頼んでもタダ……凄いのう。このチケットは。悪魔のパスポートみたいじゃ」
「……高いお酒だと一万円ぐらいしますわ」
「お持ち帰りできるかのう酒」
「家近くならまだしも旅行先ですわよ……」
「おや? 旅行者かえ? ならこっちのお土産セットを自宅に配送するサービスもあるぞ。もちろんタダで」
女店員もメニューを覗き込んで指を指すと、そこには様々な食品がお持ち帰りや贈答用として用意されていた。助屋の乾蕎麦、つゆセット。漬物。真空パックの鶏わさやウナギ白焼き。特性薬味。カステラなどの菓子類。根津ファームで助屋用に作られている限定酒などを纏めて送ることができるようだった。
しかも優待券によって無料で。
「おお! これは便利じゃ! 是非送ろう! じゃんじゃん送ろう!」
「だ、大丈夫かしら。なんか、食べ放題のバイキングでタッパーに料理詰めて持って帰るみたいに怒られるかもしれませんわ……」
「安心するがよい。優待券で使った分はちゃんと専用の予算から支払われるから別に店が損するわけではないからのう」
名誉会長の口座から引かれるのであるが、カレーちゃんがどれだけ豪遊したところで大した損失ではないと眼鏡の店員は言う。
「心強いのう! そうじゃ。お主も飲まぬか!? どうせタダなんじゃし!」
「カレーちゃん……店員さんに絡んで迷惑ですわよ」
研修中の札を下げている若い少女なのだからアルバイトだろう。それが仕事中に客に奢られては上司に叱られるかもしれない。飲酒可能な年齢にも見えなかった。身長など中学生どころか小学生ぐらいしか無いのだ。
なおカレーちゃんも見た目は少女だが、飲酒するために免許証やマイナンバーカードを持ち歩いて身分証明に余念が無い。
だが眼鏡の少女は嬉しそうにニッコリと微笑んだ。
「おお、それはありがたいのう。飲もう飲もう」
「ええええ」
「己れのおすすめの酒をとりあえず注文しておくぞ。突き出しでつまみも来る」
そう喜びながら研修少女は言うと手元のタブレットをポチポチと操作して、角樽入り特選日本酒三万五千円を頼んだ。
「いろんなメニューは後から頼むとして……じゃあ儂はとりあえず『江戸カレー』を頼むのじゃ!」
「じゃ、じゃあそうですわね……私は『桑の葉天ぷら』とこの『初代店主作の蕎麦っぽい物体 むじな汁 ※不味いので注意』ってのを」
「ぽいってなんじゃ⁉」
「注意書きまであるのにチャレンジャーだのう……」
「タダだからこそ絶対頼まないものを頼んでみたいのですわ」
呆れ半分で女店員はタブレットで二人の注文も入れておく。両方とも創業キャンペーンの特別メニューで、江戸時代に作られていた料理を再現したものであった。
当時とは材料の質が大きく異なるので完全再現とはいかないが、かなり忠実に──もはや美味であることを無視して──作られている。
まず豪華な、御祝に使うような酒の入った角樽が部屋に届けられた。覆面姿の上級店員たちがせっせと運んで、テーブルにも茹で豆に数の子をまぶしたものや焼き鳥盛り合わせ、ウニとクラゲの和え物などの突き出し品を並べていく。
研修中らしき店員の少女はのほほんと上司らの仕事を見守りながら、角樽から酒を柄杓で掬って三人分盃に入れた。ドリル子などは堂々とサボっている少女の姿に心配そうだが、誰も上司らは咎めたりしない。
「大丈夫かしら。後で怒られないかしら」
「あの娘がVIPのコンパニオン役だとか命じられておるのではないか?」
ヒソヒソと言い合う二人の前に酒が置かれた。
「ま、とにかく乾杯じゃー!」
「豪遊ですわ!」
ぐいっとカレーちゃんとドリル子は酒を飲む。貧乏で普段から缶チューハイや紙パック焼酎ぐらいしか飲んでいない底辺酒飲みなカレーちゃんは、この酒一杯で麦焼酎がどれだけ飲めるだろうかと一瞬頭に邪念がもたげた。
「良い飲みっぷりだのう」
と、嬉しそうに店員の少女も見ている中で、カレーちゃんはやや深刻そうな顔になって酒盃を下ろした。
この味は。カレーちゃんは口元を拭いながら目を見開く。
「……水っぽい。こ、これうっすい水割りとかにしておらんか?」
「む?」
店員の少女が自分の酒をぐいっと飲んで首を傾げる。
「いや、この酒はこんなもんだが……」
「カレーちゃん……安酒の飲み過ぎで舌がバカになっているのですわ……このお酒、いい味でスッと水みたいに飲み干せるからって……ほら、口の中に含んでよく味わいなさいな」
「むう!」
化学合成された酒しか飲んでいないカレーちゃんには高級すぎたようだ。ヤケのように突き出しの豆を食べて、それから再び酒をゆっくり飲んだ。
気にせずに口にいれると、なんの抵抗もなくするりと染み込むように消えていく酒であったが、口の中に塩気と魚卵の風味がある状態で飲むと、それらの味を膨らませて何倍も良くし、そして爽やかな風味と共に飲み込ませてくれる。実に美味い酒であった。
「これは美味いのう!」
「よかったですわ……カレーちゃんが貧乏舌のあまり味蕾が全部死んだのかと思いましたわ」
「失敬な! 儂の繊細な味覚は店のカレーを食ったらスパイス全部当てることもできるのじゃよ! あ、この焼き鳥もめっちゃ美味いのう」
「なんかこの突き出しだけで私とカレーちゃんの注文より高そうですわ」
「はっはっは。カレーとむじな汁を食ったらまた別の食いたい物を注文するといい。寿司でもすき焼きでも」
江戸カレーが六百五十円。なんと怪しげなむじな汁は百円のワンコイン価格であった。味噌汁感覚だろうか。当時の味を再現したはいいものの、あまりに不味いため高い値段をつけたら怒られそうだからその値段なのである。
貧乏人二人が飢えたげっ歯類のように夢中で突き出しのつまみを頬張っていると、注文していた料理が運ばれてきた。
江戸カレーは染め付け皿にカレーライス型として盛られていて、木匙が付けられている。この木匙は実際に江戸で出していた頃、まったく世間では使われていなかったが当時の助屋だけは使っていたとされている。
ルーの色はほぼ真っ黄色で、具として鶏肉、ゆで卵が目立って見える。現代でカレーに使われる玉ねぎ、人参、じゃがいもなどは当時手に入らなかったのであろう、入っていない。
今回のキャンペーンでの開発者はこだわって、使う白米すら当時のものを再現しようと味的に近かった古古米あたりを使おうとしたのだが、関係者一同から引き止められたという。
「どれ……」
カレーちゃんが木匙を持って確かめてからゆっくりと飯をカレーに絡めて掬い取った。
かつてカレーは明治時代に日本へイギリスから伝わったとされる。明治生まれなカレーちゃんも、その舶来品のカレーにドはまりして、戸籍上の名前を『華麗山カレー』などとしてしまったぐらいだ。
カレーちゃんが明治時代に生きていた頃、既に助屋ではカレーは作られていなかった。江戸時代の一時期にだけカレーを出していたものの不評で定着しなかったのだ。文献によってレシピが再発見されたのは近年の事である。
カレーという言葉と料理は十七世紀頃から既に、オランダ人やポルトガル人の記録に出てくる。恐らくなんらかの繋がりで長崎の出島に来たオランダ商人から伝えられ、江戸で作ったのだろうと言われている。
日本原初のカレー。本来だったならば明治時代に作られていた、カエルの肉を使っていたカレーもリアルタイムで食べていたカレーちゃんとしては、更に古いカレーを東京に来てでも食べてみたかったのだ。
小説の仕事をしているときより遥かに真剣な面持ちで、カレーちゃんは江戸カレーを口にした。
「……!」
口腔内にスパークする香辛料と香草がカレーちゃんの脳を揺らす!
普段は四つ入りで三百円前後の安売り複数パックレトルトカレーばかり食べているカレーちゃんだが、カレーを愛している彼女は舌がバカになっていてもカレーを食べるときだけは復活するのだ!
「……鰹と鳥ガラで取った出汁に、摩り下ろしたネギ、ニンニク、ショウガ、クローブ、コリアンダー、ターメリック、唐辛子、ナツメグにシナモン……肉は若鶏じゃなくて老鶏じゃな」
「カ、カレーちゃんが料理漫画の美食家みたいに材料を分析していますわ! あの味噌汁にカレー粉入れただけのカレーを偉そうに品評していたカレーちゃんが!」
「おお、それじゃ! 味噌……じゃなくて味噌たまりも味付けに入っておる。あと味噌汁カレーは山本周五郎の好物じゃぞ。バカにするでない」
カレーちゃんの材料当てを、感心したように店員は目を丸くした。
「よくわかったのう。わざわざこれのために味噌を絞って作ったのだが」
「ふふん。ネパールあたりでは味噌っぽい豆の発酵調味料をカレーに使っておることも珍しくないからの。後はとろみを付けるために葛粉……本葛じゃな。珍妙な取り合わせじゃのう」
「それでどうだ? 江戸カレーの出来は」
嬉しそうに店員が聞いてくるので、カレーちゃんはまた二口三口ぐらいカレーを味わってから告げた。
「絶対評価で六十五点ってところかの」
「あら。厳しいんですのね」
店員がずるっと座りながらコケてしまった。
「うみゅ。なんかのう、日本人好みのカレーを作ろうとして失敗したって感じがするからのう。色々頑張って香辛料を集めたのであろうが、野菜の甘味は足らんしクミンにカルダモンが入っておらんから風味がぼやけておる!」
「ううっ……当時、手に入らなかったのだ……漢方薬としても出回っておらんでなあ」
「クミンとカルダモン抜きで作るならいっそ味をガラッと変えて、シンガポールのラクサカレー風にすればよかったのじゃ。魚メインで作れるしの」
「知らんかったしのう……そんなマイナーな料理……」
何故か店員が落ち込んだ様子で、拗ねたように口を尖らせながらぶつぶつと言っている。
「じゃがまあ、現代のカレーと比較しても六十五点取れるというのは昔のカレーにしてはなかなかのもんじゃな。二百年以上昔に作られた歴史補正を鑑みればもっと高評価になるじゃろ」
「そうであろう、そうであろう」
「でも売れなかったんですわよね……」
「そうじゃな。現代人は……特にここ二十年ぐらいで日本人全体のカレー経験値が、それ以前より大幅にランクアップして『カレーの多様性』を認めるようになってからの六十五点じゃ。スパイスを足したり引いたりして様々なカレーが評価対象になったのじゃな。この江戸カレーを三十年前に持っていったら、SBカレー系の味と全然違うというだけで二十点ぐらいの評価になるじゃろ。ましてやカレーなんて食ったこともない江戸時代の人間なら薬臭く感じたじゃろうて」
「めっちゃ語りますわねカレーちゃん……」
「……的確に当時の評価を当てておる……ウコン(ターメリック)を使っておるから『ウコン飯』とか『ウンコ飯』とか言われてバカにされてのう……」
まるで見てきたかのように失敗した様子を語る店員であった。
その頃は材料を集めるのも難しかったというのに。若鶏を使うなんてとんでもないと農家に反対されて老鶏しか渡されず、本草学者の薬屋と協力して漢方の生薬で使えるスパイスを探し、ただでさえ原材料費が嵩みまくった上に試食でも身内から凄まじく微妙そうな顔をされて店で出したら不味いの臭いのウンコだのそれまでの評判が吹き飛ぶような悪評が立った。
健康にだけは良い、と本草学者に励まされただけであった。
「まあ頑張った努力は認めよう。ウスターソースはないかの」
「おい誰か、持ってきておくれ」
「はっ!」
覆面店員の一人が勢いよく返事をして、すぐ背後のどんでん返しに姿を消してから十数秒でウスターソースの瓶を持って部屋に現れた。
カレーちゃんは江戸カレーにウスターソースを掛け回す。
「あっあっあ~」
まるで作品を汚されたように、女店員が手を伸ばして呻いた。カレーちゃんは気にせずにソースと絡めて食べる。
「うみゅ。美味い。ほれ食べて見るがよい」
「むう」
そういうので、テーブルに置かれていたスプーンを手に江戸カレーにウスターソースを混ぜたものを食べる。
するとぼやけて足りなかった味が、妙に纏まったようになっていた。ウスターソースに含まれる香辛料と、思いの外多い糖分がカレーに深い味わいを足している。
「今どきの若者は知らんが、昔からひと味ふた味足らんカレーにはウスターソースがバッチシなのじゃ」
「ううむ、カレー博士だのう……本当に美味くなっておる」
感心した様子で店員は頷く。あの時代にウスターソースが作れれば……作り方など知らないが。後悔先に立たずだ。
そうしていると桑の葉天ぷらに、怪しげなドロドロとしたむじな汁が運ばれてきた。
ドリル子が自らの前に置かれた、灰褐色の流体が椀に入っている。蕎麦の香りはするのだが、見た目は庭に置いてある植木鉢に溜まった泥水のようだ。
引きつった顔つきになってドリル子がカタコトで言う。
「ナンデスノコレ……?」
「と、とりあえず飲んでみてはどうじゃ?」
「……」
そっとドリル子は椀に口をつけて怪しげな吸い物を一口飲んでみた。
口の中に広がる、ねっちゃりとしてドロドロとした無駄に熱々の半溶け蕎麦と、味噌の塩辛さが舌を刺すような味わい。中途半端に溶け残っている蕎麦麺っぽいぶつ切れの不快な食感をしたものは、噛みしめると中から生っぽいそば粉が吹き出てきた。
「ゔぉえっ」
「ドリル子さん大丈夫なのじゃ⁉」
「まっず……ですわ……」
「はっはっは。企画部の社員たちはこぞって提供に反対したレベルだからのう。まあしっかり不味いと注意書きしておったから、頼む者は自己責任だ」
「まっずいでしゅわ……これにお肉と野菜とか加えて鉄板で焼いた方がいいですわ……」
「お好み焼きにすれば食えるのか……」
ドリル子は耐えきれずにそっと椀をテーブルに置いた。
「仕方ないのう」
そう言って店員は椀を手元に下げ、ドリル子の代わりにむじな汁を飲む。
「うぇ。ひょっとして通には美味しいんですの?」
「いんや、不味い」
「なんでそんなの出しとるのじゃ……」
苦笑いをして言う店員にカレーちゃんが純粋に疑問を聞くと、
「懐かしいからのう、たまに作って食べるのだ。たまにな」
そうしみじみと言う店員の顔は、少しだけ寂しそうにも見えた。
それから絶品である桑の葉天ぷらを皆で食べて、次から次へと料理を注文した。こんな高級価格帯が助屋にあったのかというようなメニューで目を回しそうだったが、カレーちゃんもドリル子もついでに女店員も歓談しながら食べて飲んだ。
ほぼ宴会の状態になって女店員の事も聞いたところ、研修中らしき彼女はこの店で何度も働いたことはあるらしい。ただ問題を起こして何度もクビになっているので、最近再びアルバイトに入っているから研修中なのだという。
「仕事中に客と酒盛りを始めるからいけないのではないかしら……」
「はっはっは。他にも厄介な客を殴って警察沙汰になったり、酔っ払って女体盛り作ったら保健所から怒られたりでクビになったのう。あの時は根津の社長が全裸土下座謝罪会見とかして爆笑したもんだが、二人揃って皿洗いに落とされたりした。お行儀の良い社会になったものだ」
「向いておらんのじゃないかー?」
「おかしいのう。これでも昔は良かったのに……ところでカレーちゃんはなんの仕事をしておるのだ?」
「え、えーと……中華料理屋でバイトなのじゃ」
「小説家でしょう。カレーちゃん、なんか小説家って名乗るの躊躇いますわよね……」
一応カレーちゃんは大手出版社から本を出したこともあるし、現在も個人出版とはいえ活動中なのだから立派な小説家であるのだがどこか本業だと胸を張るのに抵抗があるらしい。
苦々しく彼女は首を振って言う。
「仕方あるまい。物書きとか虚業とかバカにする輩がいるのじゃ! 特に明治頃なんて物書きは人間のクズみたいな評判だったのじゃ!」
「まあその時代の文豪はそういう人も居たでしょうけれど」
「ほう、小説家か。それは立派だのう。おお、なんならうちの店の話を書かんか? 割と山あり谷ありでいいと思うのだが」
「うーみゅ、暇があったらの」
「折角なので連絡先交換しておきませんこと? LINEとか」
「儂、ガラケーじゃし」
「己れもガラケーだのう」
「おばあちゃんですの!? 二人共!」
それでも二人はパカパカ開くガラケーを取り出して、メールアドレスを交換していた。カレーちゃんは単に貧乏だからスマホを買う余裕が無いのだ。
それから飲むだけ飲んで、食べるだけ食べた二人は送迎のタクシーまで呼んでもらった。タクシー代まで店持ちで出してくれた。
「うーぷ、食った食ったのじゃー!」
「それよりカレーちゃん死ぬほど飲んでましたわ……店員さんもだけど。お腹がたぽたぽに膨らんでいますわよ」
「こんな良い思いするなら、明治の頃に優待券使わんでよかったのう! 絶対今の方がお得じゃった!」
「……そうですわよね。何万円分飲み食いしたのかしら……」
幾ら食べ放題とはいえ店側に悪いとドリル子が思うぐらい高い物ばかり注文してしまった。
こんな贅沢はもう二度とできないかもしれない。所詮彼女らは、Fランクの小説家とドリル系ユーチューバー兼安アパートの大家なのだ。普段の食事は一人一食五百円以内である。
名残惜しそうにしていると、店先まで付いてきた女店員がこう告げる。
「ご来店ありがとうな。それでこの優待券は返しておく」
と、劣化しないようにラミネート加工されたカレーちゃんの優待券を彼女は差し出している。
ついでにラミネートに『一年間有効』と書かれ、日付に助屋の社長印まで押されていた。
「また来ておくれ」
「なんと!? ド、ドリル子さんや! これを見てみよ! 鑑定団に出して売るどころじゃないぞ!」
「ここまでされると逆に悪い気がしまくりですわ!」
「いいではないか、いいではないか」
にこやかにチケットを押し付けてくる女店員である。
「その代わり、時々来て飲み仲間になっておくれ」
そう言って女店員は手を振り、わかれた。
タクシーの中でカレーちゃんとドリル子は財宝のような優待券を、煙みたいに消えないかとまじまじ眺めるのであった。
それからカレーちゃんたちは東京での用事も済ませ、地元に帰った。(その間に二回は助屋本店に遠慮なく食べに行った)
暫くして二人の住むアパート『メゾンドビヨンド』に大荷物が送られてきた。お土産として選んだ助屋の食品は明らかに二人で食べきれないほどの量であった。
それともう一つ──紙がたくさん入った段ボール箱もあった。
「うげ」
「なんですの? それ」
「あの女店員……ええと、名前聞き忘れたのじゃ。あやつが送ってきた助屋の資料コピーだのう。これを見て小説を書けって手紙もある」
酒の席の話だったのだが、どうやら向こうは本気のようだ。
「良かったですわね。書くネタが提供されて。それに助屋と深い関係の根津ファームは出版業界でも大手ですわよ。書籍化チャンスですわ」
「ううむ、しかしのう。仕事の依頼だとあまりトンチキな話を書くわけにはいかんじゃろうし……儂、いつも歴史物を書いては『歴史・民族・宗教をスリーアウトで愚弄している』とか『サラッと流すように嘘書くの止めろ』とか怒られておるのじゃが。スポンサーを怒らせんじゃろうか」
自由気ままに指示など無くこれまで書いていた、ほぼアマチュア作家であるカレーちゃんからすれば依頼のような形で提案されるのは不安なものであった。
書いていたら筆の乗るまま勢いで変態を登場させないだろうか。いや、確実に登場させてしまう嫌な予感があった。
「普通にいい話を書くという方法は取りませんの……」
「飯屋の創業話なんて書いてもキャッチーさが無いじゃろ……そうじゃ! 創業者をタイムスリッパーか異世界トリッパーにするのはどうじゃろ⁉ チート能力とか!」
「カレーちゃんの好きにすればいいと思いますわ。あの優待券を取り上げられない程度にね」
──こうしてカレーちゃんは渋々ながら、東京で最古の蕎麦屋について調べて執筆を始めるのであった。
その作品はまずネットで公開され、そこそこのPV数と感想を得ることになっていく。
いつか誰かの過ぎ去った物語がまた紡がれるのだろうか。
思い出の中で眠っていた懐かしい日々が蘇るのを、待っている誰かがいる。
「更新途絶っちゃったのじゃ。義務感があると続かんのう」
「怒られますわよ!?」
【外伝・完】




