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14話『忍び屋営業準備中』




 江戸という町で暮らす庶民の男には大きく分けて二種類ある。


 一つは江戸で生まれ育った江戸っ子と、もう一つは江戸で一旗揚げようとばかりにやってきた職人や商人などである。

 特徴としては前者は割と怠け者で、後者はギラギラと働く意欲に燃えている。

 江戸で生まれた男は基本的に昔から住んでいた長屋と、近所付き合いがあるので男一人ならば何はなくとも生きていけるためにブラブラとしていることが多いのだ。人並みに丈夫な体さえあれば、近所を歩きつつ薪割りでも米搗きでも代わってやればその日のメシぐらいは食えていた。

 一方で地方から来る者は目的意識があり、手に職を持っているのだから長屋を借りていずれは土地持ちを目指し励むのである。


 だが……

 この江戸に、少数だが地方からやってきて何かしらの技能も持ち合わせているのに、さっぱり労働意欲に欠けた集団が増えていた。

 時代遅れの忍び末裔らである。


 戦国の世も百年以上昔になり、極一部の武士になった忍び以外は農民なり何なりへと落ちぶれたのであったが、その技能自体はワンチャンス復権を狙ってほそぼそと伝えていた家もあった。その子孫が彼らである。

 しかしながら実家の本業はもはや農民百姓。子供の時分から農作業をするのだが、技能を受け継ぐには鍛錬をしないといけない。農家の長男が碌に百姓仕事もせずに飛んだり跳ねたり修行をしていては世間体も悪いので、次男三男が忍びの技能を受け継いでいった。

 そうするとやがて、忍びのしごとなど無い農家では長男からは子供の頃から働かない弟という冷たい目で見られる、嫁も貰えそうにない農家のせがれという存在が生まれていった。

 元よりこの時代、農家の次男三男など土地も財産も無い家庭内の小作農みたいな扱いである。

 そして厳しい修行の果てに得たのは後ろ指を指されることかと、自分に哀愁を漂わせながら技能を教えてくれた未婚の叔父を思い出しながら彼らは意気消沈していった。


 そんな折に、変わった話が全国の隠れ忍びたちに伝わる。

 江戸では自分らのような忍び連中に嫁を斡旋してくれる元締めみたいな存在がいるらしい。

 それを聞いた全国の忍び連中は、ある者は家族を説得して、ある者は厄介払いに追い払われ、ある者は実家から逃亡し江戸へと向かった。 

 このまま田舎の農村で、使えもしない技能を抱えて嫁も貰えずに同じ境遇の甥っ子に伝えて死んでいく生活に嫌気が差したのだ。

 普通は戸籍として土地土地の寺などに記録され、税を稼ぐべき農家の男がそうそう逃げることはできないしそういう発想もしないものだが、江戸に希望を見出した一心で彼らは故郷を捨てた。無駄に運動能力だけは高かったので関所破りもなんのそのである。


 そんなわけで、江戸ではここ何年も九郎が年季上がりした遊女らで行く宛が無い者を忍び連中に斡旋しているのだったが、その男の数は一向に減らないのであった。

 


「問題はだな」


 九郎が増えた見合いの男名簿を纏めて軽く頭痛を堪えながら、隣で書き物を手伝っていた石燕に言う。彼女は書が上手で癖が少ないので、後々見直す際に九郎にとって読みやすいから手伝いを頼んでいたのだ。

 10歳ほどになる少女の体をしている石燕は細い小首を傾げて返事をした。

 

「何かね九郎くん」

「此奴等が碌に仕事への意識が薄いまま江戸にやってきたということだ。とにかく江戸に来れば嫁が貰えてハッピーエンドぐらいにしか考えてなかった後先の無さだ」

「ふふふ、職業欄に無職が並んでいるね?」

「中には嫁がいれば自動的にメシが出てくると思っていたような輩もいる。細長くて物を縛るアレ志願か。けしからん」

「まったくだね! ところで九郎くんが江戸に来た頃は……」

「確か六科の家でゴロゴロしてたら9歳ぐらいだったお房が自動的にメシを出してくれていたが……いや、それはともかく。甚八丸の農地とて、鶏舎の管理などはあるが無限に仕事を生み出せるわけではないからのう」


 地方からやってくる忍びの若者は大した人生経験も積んでいないので、いざ都会に放り出されてもどう暮らしていいかわからないのであった。

 まだ以前から江戸に暮らしていた忍び連中はそれぞれ仕事を持っていたりしたが、ここのところ無職の難民が増えて見合いをするにもその人物もよくわからない状況である。

 江戸生まれの者のように、薪割りや米搗きを近所に呼びかけて金を稼ぐということもやったことが無い者ばかりだ。多少は仕事を回して飢えない程度に食わせている甚八丸からも、これ以上小作人を増やすのは難しくなると相談されていた。


「男連中に仕事を紹介してちゃんと真面目に働くか確認してから嫁を宛てがい……いかん……人数も増えるとひたすら面倒になってきたぞ」

「九郎くん。なんというか、そこまで責任持たなくてもいいのではないかね?」


 石燕がため息をついている九郎の頬を指で突っつきながら言う。


「男など嫁ができれば働くもの。女は子供ができれば旦那のことなど二の次になるものさ。見合いでくっつけてしまえば後は当人らが上手いことやるだろうね」

「そういうもんかのう……あれ? ひょっとして己れ、嫁たちにとって二の次になってる?」

「うん……まあ。皆も平均して子供たち八割、九郎くん二割ぐらいの愛情の向け方ではないかと思うね。色ボケた夕鶴くん以外は」

「そうか……いやいいのだが」


 何せ一家の大黒柱だというのに子供の教育に悪いからと家を追い出されて労働に従事させられるぐらいだ。九郎は感慨深く頷いた。


「とはいえ雑に見合いを進めるのも、どうも後々に悪いことになったら嫌だからのう」

「江戸で女というのは旦那を選り取り見取りだから、相手が悪ければ別れさせてもいいと思うけれど……まったく九郎くんはお人好しというかお節介というか……まあそれが良いところなのだがね」


 江戸では嫁は別れないだけで旦那に威張れるとか、三人旦那を取っ替えて一番いいのを選ぶとまで言われた程に貴重な存在だったのだ。

 見合いをする方も自分の責任で决めてしまえばいいのだろうが、仲人をしている九郎は少なからず自分にも責任を感じてしまうのだろう。


「ふうむ、どうしたものか……九郎くんが雇うにも限度があるだろうしね。九郎くん自身が雇い主になれば、人柄なども確認はしやすかろうけども」

「己れが仕事を与えるか……助屋なんて臨時仕事しか入らんし儲けも少ない……大事なのは常に仕事がある定収入の職で、それならば女房子供を養うのに十分なのだが……」


 また、店を持っている菓子屋にしても遊女らの雇用先として使っているので、そこに独身男を雇い入れさせたら絶対問題が起こることは間違いがなかった。

 碌に技術も無い、体力だけは健康な男たちを継続的かつ多数雇用する仕事を用意すること。 


「……やってることが異世界の役場で働いていた頃とあまり変わらんな……仕事の斡旋も見合いの相談も受けていた気がする」

「ふふふ、お茶と菓子でも食べながら考えたらどうだね? ちょっと待っていたまえ」

 

 本人が食べたいだけだろうに、石燕が立ち上がってバタバタと部屋を出て菓子を取りに行った。

 暫くして肩を落として戻ってくる。


「買い置きしていたのが無くなっていた……油断も隙も無いねうちの子供たちは!」

「子供だけで無くてお主らもバクバク食うだろうに……まあ十人以上居るからのう。消えるときはあっという間だ」

「また買いに行かないと……慶喜屋と近いとはいえ、多少面倒だね」

「ふむ……待てよ、そうだ」


 九郎は膝を叩いた。不便だと思うことがあるのならば、人数が居るうちに仕事にしてしまえばいい。


「よし。まずは初期投資だな。石燕や、豊房から金庫の鍵をこっそり取ってきてくれ」

「後ろめたいのかね!?」

「果たして儲けが出るか微妙なところだからのう……子供の養育費もあって、豊房は金勘定に厳しいし。まずは事業を初めて取り返しがつかなくなって……というと人聞きが悪いな。軌道に乗ってから報告しようかと」


 結構な財産を持っているのだが、九郎の稼ぎは不定期な上に明確に儲ける仕事など一割程度だ。

 大人子供合わせて二十人の大所帯を抱えているので全員の生活費だけでもかなり出費が多く、管理している豊房が細かく家計簿を付けていた。

 石燕が苦笑いを九郎に向ける。


「どうでもいいけど、少女なお妾さんに他の妾が持っている金を盗みに行かせる絵面というのは如何なものだろうか」


 控えめに言って人間としてどうかと思う所業だった。

 だが九郎も瞑目して考えて、さっと顔を背ける。


「……男が直接、妾の管理している家の金を盗みに行くのもなあ」

「本来は自分のお金なんだけどね」

「家族の為に稼ぐ親父の小遣いなどそういうものだ。まあよい、どうにか少しでも黒字が出るようにすれば豊房もうるさく言わぬはずだ。たぶん」


 そんなわけでやむを得ず、コソコソと九郎は自分で貯金を金庫から拝借していくことにした。





 *******





 新たに飲食店を始めるというのは博打に似ている。概ねそれは現代でも江戸時代でも変わらない。

 特に江戸時代となれば数年に一度は火事による焼失が起こる可能性が高いことも考えれば、店を一件建てれば一生の仕事にありつけるというわけにはいかないだろう。

 しかしながら九郎の傘下と言っても差し支えない飲食関係の店は既に独自の商品と人気を受けているところが3つもあった。


 小麦粉を溶かし焼いたケーキに甘い味付けをしている慶喜屋。これは茶会などに使われる高級菓子で利益が大きい。

 一品料理に加えて寿司を売り出し、うどんなども人気な六科の飯屋。地域密着型ながら結構リピーターも多い。

 そして夕鶴が考案したふりかけ[わかめしそ]を販売している夕九(ゆうここのつ)屋はおかず要らずでメシが食えるので独身者などに大人気だ。

 いきなりの新事業ではなく、事業拡大として既に売れている物の供給量を増やすのならば失敗は少ないのではないだろうかと考えたのであった。 


「というわけで基本的にはこれらの店で扱う商品の売り歩き、及び仕入れと製造の仕事を与える」


 九郎は千駄ヶ谷、甚八丸の土地に建てた掘っ立て小屋である。これも九郎の貯金で作って貰った。

 中には江戸に集まったもののまだしっかりとした仕事が無い者を呼んでいる。なお仕事も無いが働きたくもないので来ていない者に関しては見合い名簿から消すことを通達しておいた。


「働かざる者嫁を貰うべからずだ。百歳越えた己れですら働いているのだぞ。己れが見合いを用意する以上、細長くて物を縛るアレは断固許さん」

「自分がその権利を失ったからって僻んでいるのでは……」

「働き出した途端に無職を蔑む人って時々居るよね……」

「なんか云ったか」

「いえ、何も」


 隣にいる運営役の手伝い忍び、朝蔵と助蔵が囁きあったのを九郎が睨んだ。

 朝蔵は江戸に順応した自由に職を転々としている忍びで、あれこれ仕事の要領がいいのと極少ない忍びの任務、それに九郎の手伝いにもよく駆り出されるので定職こそ無いがなんでもできて稼ぎもそこそこにある。

 助蔵は新参ではあるが協調性の高い男で、人付き合いと愛想がいいので大抵の職場ではやっていける。

 どちらも有能な方の忍び手下であった。おおよそ、九郎が仕事を投げても自分の裁量で活動してくれる。


「やることは単純だ。一つはうちの店で取り扱う商品を天秤棒担いで売り歩く営業仕事。焼き菓子と寿司とふりかけのどれかだな。売れた分だけお主らの儲けになるし、余ったら仲間内に売りつけるか晩飯にでもすれば無駄はでない。要領よくやれば働いただけ収入が上がる仕事だ」


 無駄が出ない、というのは店からしても売れ残りを返品されないで済むので純粋に儲けになる。店の一部ではなく、あくまで仕入先としての関係になる。営業商品を買取型の個人事業主雇用に近い。

 実際、それらの食品は今の所作れば作っただけ売れている状況なので販路を増やすのは単純に利益拡大する算段があった。それに少なくとも忍び連中の繋がりがあるのだから、余程売り込みが下手でも全部商品を売れずに抱えたままということも無いだろう。


「次に仕入れと製造だ。魚市場から若芽(わかめ)や野菜市場から紫蘇しそ、胡麻などふりかけの材料を大量に仕入れてここで乾燥や調合をする。梅干しや魚のひも……乾物も一緒に作ればふりかけの材料になるからそれもだな」

「そこ言い換えなくても」


 家内制手工業では夕鶴のふりかけも生産量に限度があるので、ここでいっそ人を雇って製造から流通までやらせることにしたのである。

 何せ江戸では米社会。庶民も武士も白米を一日五合六合はかっ喰らっているのである。そこに飯にふりかけるだけで美味い代物は、非常な人気があって常に売り切れ状態であったのだ。

 なおコピー商品も様々に現れたのだが、一部は通りすがりのごろつきに悪評を大声で叫ばれて廃業し、一部は客が食あたりを起こして事業撤退した。不思議である。祟りか何かだろうか。

 そのようなこともあり、元祖である九郎天狗謹製のふりかけがシェア一番でありながら供給が追いついていない状況だったのだ。


「また、大量に焼いただけの単純なケーキを作って、それを慶喜屋に卸す。菓子の需要も多いのだが、大量に焼くとなると火事などが問題になるからな。郊外のここで作るのが面倒がなくていい。素焼きのケーキなら軽いし売り歩きもできるだろう。更に小麦は甚八丸の田で裏作として作るものを加工するところまでやる。脱穀から挽いて製粉まで全部だ」


 小麦問屋や粉問屋などは株仲間などの一部の商人が独占販売を行う商品には含まれていないので新規参入が容易でもある。


「挽くってどうやって?」

「農地で使っている用水路があるから、そこに水車小屋を設置するのでなんとかできるだろう」


 江戸時代に田畑の多かった渋谷、千駄ヶ谷の辺りでは小川も多く引かれ、あちこちに水車小屋があったことが絵などにも残っている。

 また幕府は将軍吉宗の時代、米の流通や年貢の増加、新田開発に伴い米以外の穀物を裏作として栽培・消費することを奨励していたので、甚八丸の畑でも小麦を作っている。ただし製粉作業などは手間が多く掛かるので、麦は麦のまま売っていたようだ。

 余談だが甚八丸の土地(というか千駄ヶ谷村)は旗本や代官、或いは幕府の領地ではなく寺社領である。税こそ幕府に納めているが、地主な甚八丸の裁量と口八丁で栽培作物や家畜などの融通が利くのはそれが理由だ。


「砕いた際にはふるいやら()やら使ってフスマも取り除く作業を入れよう。スフィから頼まれておってな」


 当時に流通していた小麦粉は大雑把に小麦を水車の石臼で挽いただけの、麦皮……即ちフスマ混じりのものであまり質は良くなかったという。フスマは割と栄養豊富ではあるが、ケーキにした際には食感が悪いので取り除いた方が良いだろう。

 麦搗きとふるいで完全に取り除けるわけではないが、これまで粉問屋から卸していたものよりは高品質のものが出来上がる。これも手間と時間がかかり、人員が居なければできない仕事であった。 

 こちらで単純な焼き菓子を量産し、店舗の方で焼くのは黒砂糖を生地に練り込んだ少数の高級品などを担当してもらうことになるだろう。


「後は寿司だが……今の所それっぽいのを作っているのは六科のところだけだからな。多少品が違えど、ここで酢飯と酢締めの刺し身を用意して押し寿司にして売り歩き分を作るか。魚市場からついでに仕入れられる」

 

 大勢を雇っている菓子屋や、売り歩きが主なふりかけと違って六科の店は小さい店舗で家族経営なのであまり大きな仕事は回せない。

 寿司を百も握らせるのは時間が掛かるし、材料の仕入れも大変だ。菓子屋もそうだが、製造拠点を町中にすると火事の危険性と焼失したときの損害が増していくのである。

 なのでここで作った寿司を売り歩きつつ、元祖の店は六科のところだと宣伝すればいいだろう。六科が作る寿司の方が実際に食うと美味いのだから客寄せにもなる。押し寿司ならば見よう見まねでも安定した味で出来上がるし、酢を効かせたら日中でも持つ。


「いっそ酢も作っても良いかもな。種になる酢さえあれば増やせるものだから。売るのは株仲間の関係上やらんが」 

「色々やるんですね……」


 呆れたように助蔵が言ってくる。事業拡大するとはいえ、粉挽きから始まるとは思わなかった。人が余れば薪拾いか炭焼きもやるかもしれない。

 九郎は腕を組んで頷き告げる。


「まあ、他に自分でやりたい仕事やれる仕事が見つかれば辞めても構わん。大事なのは暮らしていく為に職を持つということだ。製造業の方は歩合とはいかぬから、日毎に給料をやることになる。何日来ていつ休むか申告して貰うが」


 これらの仕事で雇う男らの勤勉さを測る思惑がある。他所の職場ならともかく、自分の管理下ならば勤務態度も把握しやすい。

 真面目に勤め、金を稼いで嫁や子供を養えるほどに働く意欲があるものをなるたけ優先して嫁をやらねばならない。

 以前にはこういう志願者も居た。


『つらいのとかしんどいのは嫌いなんですが、それでも嫁が貰えますか?』

『うむ』

『私は顔は悪いし体力もない、これまで碌に働いたことも無いけどそれでも貰えますか?』

『そうか』

『……あなたの嫁より美人の嫁が貰えますか?』

『いっしょうけんめい はたらけば もらえるぞ』

『わかりました! お願いします』


 ニコニコとした表情のまま棒読みで告げた九郎は、ナメたことを口にした志願者を薩摩交易船の水夫にして送り出した。根性を矯正する必要を感じたのである。今ではすっかり熟練船乗りになったお八の兄にしごかれていることだろう。

 九郎は座ったまま説明を受けている覆面の男らを見回して告げる。日本全国どこでもどうやら忍び連中は覆面が基本装備らしい。或いは現地である江戸の流行に合わせているのか。


「とにかく、事業拡大の為に道具を揃えたり小屋を建てたりと先行投資はしたのだ。後はお主ら次第。真面目に働き嫁を得るか、諦めて帰るか。強制はせん。仕事内容は単純だから、お主ら以外でも働き手は見つかるだろうし、嫁が欲しいやつも居る。

 稼ぎはそう多くは無いだろう。それに順番があるからここで働いて何年も見合い話が来ないこともあるだろう。だがな、腐らずに耐えてちゃんと働けている者は、何年かかろうが己れが嫁を見つけてやる。それだけは保証しよう」


 九郎が仕事を用意するといっても、確実に赤字があまり出なそうな仕事というとこれらの事業拡大に関する下働きぐらいしか無い。江戸では常に労働人口である男がだぶついていて、安定して勤められる場所など少ないのだ。

 

「それでも働けるか」


 と呼びかけると覆面らは拳を握って震えながら言う。


「働く! 働けるぞ!」

「おれは今まで何の希望も持たずに生きてきた!」

「真面目に鍛錬をして、仕事も人一倍して、それが報われることなんてなかった!」

「ドブさらいでもホトケ洗いでもいい、働いて……やがていつかは幸せになれるという希望があれば……!」


 仕事を見つけられない不器用さを持っているが、故郷を捨ててでもやってきた男たちだ。

 帰る場所などない。引くこともできない。しかしながら進む道を見つけられなかったところで、仕事の手配までして貰ったのだ。

 元来から彼らは従順な性質があった。でなければ時代遅れの忍術など身につけることなどできない。故に、最後のチャンスとも言えるこの仕事を真面目にこなそうという覚悟を决めた。

 九郎は彼らを見回して大きく頷いた。


「ならばよし。まだ準備段階だから、早く仕事を始められるように手伝っておくれ」

「おお!」

「それと、己れは他の仕事もあるのでいつでも見てやれるというわけではない。そこでこの朝蔵が己れの代理人であり親方、全体の管理をするので朝蔵の指示にはよく従うように」

「うえええっ!? あ、あっしですかい!?」


 唐突に責任者に任命されて朝蔵は動揺した。てっきり売り歩き営業のリーダーか何かだと思って呼ばれてきたのであるが。

 そもそも九郎はお助け屋の依頼もあるし、家で子や嫁と過ごしたいしであまりに忙しい状況は望んでいない。今回のこれは農場の手伝い、製品製造、営業、各関係方面への折衝など、飲食店一つ立ち上げるより遥かにやることの幅が多い会社を作るようなものだ。

 九郎は朝蔵の肩を叩いて、


「知り合いの中でお主が一番、様々な仕事を経験しておる。どんな仕事でも臨機応変に対応できるお主なら新事業のあれこれに目が行き届くだろう。給料高く取らすから頑張れ!」

「一番面倒なところを押し付けようとしてませんかね!?」

「それに……お主だったらもう悪事もせんだろうしのう」

「ひっ」


 小声と共に向けられた半眼で笑うような九郎の目線に、朝蔵は背筋を震わせた。

 辻斬りの模倣犯として捕まって危うく火付盗賊改方送りにさせられかけたこと、悪党から雇われて石燕らを誘拐し九郎を罠に嵌めることを手伝ったこと。

 どちらも九郎と関わっていて、見逃されているものの仏の顔も三度まで(ツーアウト)状態であることを改めて自覚した。 

 

(下手に悪どい商売とか横領とかしたら殺されるかも)


 そう朝蔵は身震いをする。

 さて九郎の方ときたら、


(人の役に立つ仕事がやりたがってたから、大人数に頼られる立場になれば落ち着くだろう。要領は良いのだから)


 と、軽く考えているのであったが。 

 朝顔の苗売りなどを九郎も彼に教えてもらったこともあり、基本的に信頼はしているのである。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるとも言うが、九郎という男は大して過去の所業に拘らないところがあった。そうでなくては、危うく殺されかけたことが何度もある影兵衛と友人付き合いなどできまい。

 

「ついでに朝蔵の補佐が助蔵だ。とりあえず困ったことがあればどっちかに相談するように」

「俺の方が困ったらどうすれば……」


 助蔵の弱気な言葉に、背中を叩きながら笑って云う。


「その時は朝蔵と相談し、予算とか必要なら己れに話を持ってくればいい。他の連中も協力しあうのだぞ。なにせ手探りで始める仕事だからな。作業の効率化や必要な道具の提案などがあれば都度用意していくので、嫁や子供に誇れる大きな仕事にしていこう」


 ──こうして、食品の製造、及び売り歩きを行う店を九郎は始めることにしたのであった。


 ちなみに仮の名として、適当に[忍び屋]という屋号を付けた。店が町中ではなく郊外にあって忍んでいるからということだが、明らかに店員が忍者だからだ。





 ********





 

 さて、まずは作業小屋や水車の設営である。

 水車の動力や竈の火力など、九郎が術符を使えば低コスト化できるものもあるのだが、なるべくこの案件では魔法は使用しないことに决めていた。

 大勢を雇うことになる上に最終的には九郎の手から離れても店がやっていけるようにするためだ。なにせ食品という作っても作ってもどんどん消費をされていくものを扱う関係上、上手く軌道に乗れば十年百年と店は続くだろう。そんなに未来まで、九郎が一々術符の調節をしたくはない。

 今雇っている連中や自分の子や孫の世代まで残るかもしれない事業だと思えば、やる気も出来た。


(親父は食品会社の社長……か。怪しい探偵事務所の社長よりは響きも良いな。子供にも仕事を与えられるし)


 そういう思惑もあった。彼は子供への自慢のために仕事をしている。 

 助屋での九郎個人の能力と人脈を生かした仕事など、他の誰に務まるわけでもない。子供というのは親の仕事を継ぐことが多いのだがその点では九郎も心配していた。

 まあ今の所子供らの行末も、石燕と豊房が絵や書の勉強をさせたり将翁が薬の知識を教えたり、お八の実家の呉服屋、サツ子の実家の薩摩屋、夕鶴の仇討ちの名声を聞いての縁組やスフィが歌と琴の指導をすれば食っていくのに困らないだけの技能を身に着けたりはできるのだったが。



 さて建築だが、江戸において大工は高級な仕事。薩摩では武士の仕事。しかし、農村では多少の大工仕事は農民自らやるところも多く、大工の技能を持っている者が何人か居た。

 他の者も人一倍身軽で力持ちではあるので手伝いに駆け回り、効率的に仕事場を作っていく。材木商から買った木材を千駄ヶ谷まで運ぶのに若干難儀したが、甚八丸が牛馬を貸してくれたのでなんとかなった。

 なにせ他人の家ならまだしも自分の仕事場を作るのであるからモチベーションも上がるというものだ。


「ねえねえ、ちょっと広げて休憩部屋も作っちゃう? 本とか置いて休めるようにさー」

「ちゃんと朝蔵さんとかに許可取れよ」

「乾物の調合保管部屋は雨漏りしないように、あと鼠返しも付けとこう」

「甚八丸さんのところに肥えを売るから、厠はしっかり分別しておくぞ。小便は小便壺に保管すればすぐに肥料として使えるんだ。あと尻を拭いた紙は便所の中に落とさないように」


 尿には作物の成長に重要な尿素が含まれている上に、糞便と違って発酵要らずで薄めればそのまま使えるため重要な肥料であった。

 ただ、江戸の長屋などでは糞と同じ便所で処理をしたり、単に盛り土に染み込ませたりしていたので壺に集めるのは集まった農民上がりの忍びの知恵でもある。


「お前ら! 今日の昼飯が来たぞ!」

「あっ……嬉しくて泣けてきた……」

「俺も……」


 彼らにとって嬉しいのは作業中の昼飯である。準備段階では九郎の持ち出し金で、仕事が本格的に始まったら希望者のみ給料からの天引きで昼飯が支給されることになっていた。

 作るのは主に千駄ヶ谷に住む農家の嫁などだ。というのも、事情を知らぬ地元の者からすれば幾ら地主の紹介とはいえ怪しい覆面の男共が謎の作業場を作って黙々と仕事をしているのだ。胡散臭いにも程がある。

 なので地域との交流として土地の者に食事を作る仕事を頼み、顔も繋いでおこうという目的であった。


「さあ皆。握り飯だけは沢山あるから、たんと食べてくれ」

「わああ──!」


 桶に重ねて持ってきた握り飯を手渡す小唄に歓声が上がる。


「ちっちゃいのがネズちゃんでー、大っきいのがわたしでー、形がバラバラなのがお九ちゃんだなー」

「ううっ……俺、女の子が握った白い飯を食うの初めて……!」

「それどころか白い飯すら……!」


 感涙しながらお遊の握った、愛情籠もってそうな握り飯を受け取る。


「こんなのは形はともあれ、食って腹が膨れればいいのだ。なあ?」

「はい! はい!」

 

 ペコペコと頭を下げながらお九の前の握り飯を貰っていく男たち。小唄とお遊はまだ小奇麗ではあるものの農家の娘といった風だが、お九は普通に着物や簪も花魁のように豪華な上に、見たことが無いほどスタイルも良いので直視すら難しいレベルの女だった。

 田舎出身の者にとって、美女なら良いってものではない場合がある。あまりにも普段は百姓女ばかり見すぎて美人女郎などは別生物に見えたりもするのだ。百姓上がり用に、芋女を揃えた遊女屋もあったぐらいである。それでもお九に接する際には、言ってみれば外国人女優と接しているかのように緊張しつつもとんでもない美女と思うのではあった。

 デレデレする男らを勘違いさせないように一応釘を刺しておく。


「ちなみに私は人妻だ」

「わたしもー」

「己れは妾だのう……首切り役人の」


 男らは全員項垂れながらも、儚げな笑いを零して……それでも女の人に優しくされた思い出を抱えながら握り飯を味わうのであった。

 幾つか忍び屋の中では朝蔵と助蔵が提案して九郎に認可を受けた規則が决められていて、例えば悪事には加担しないとか九郎が持ち込む緊急の仕事には手を貸すとかそういうものだがこういうのもある。


 他人の嫁には手を出さない。


 江戸では浮気に不倫も少ないものではなかったし、農村から出てきた彼らからすれば夜這いも(やったことはなくても)常識として知っていたのだが、これだけは守らねば許さぬと九郎もきつく言い含めたのである。見合いに嫉妬からの問題を招かないためにも大事なことであった。

 そして九郎が居ないところで、責任者である朝蔵が更に強く規則を引き締めた。なにせツーアウトな男だ。手下が馬鹿をやらかして責任を取らされたらスリーアウトチェンジになりかねない。特に悪事に手を染めたら始末するぐらいの勢いで全員に血判状まで作らせたぐらいであった。

 というわけで、千駄ヶ谷で手伝う小唄やお遊には和みつつも決して手は出さないようになっていた。


 さて、勢いよく準備を整えていくもののまだ営業を始めていない段階では収入もなく、工事に参加している忍びらに払う賃金が痛い。気前よく払うべきだと思うかもしれないが、大工仕事の相場は高いのでまともに支払うとかなりの出費になってしまう。

 当時の大工の給料を一日で銀5匁で計算すると、60匁で一両になるので12人働かせると一日で小判が消える。しかもその間、九郎の懐は一切増えることがないのだ。

 ある程度は忍びらも、自分らの働く場所を作りそれから仕事で稼ぐのだと納得してくれるので低賃金でも我慢はしてくれる。

 そこで問題は、どれだけ安ければモチベーションが下がらないかであった。


 さすがに食っていけない程度では困るだろうが、食ってさえいければなんとかなるのではないか?と九郎は外道なことを思った。

 元より地方の農村からやってきた者たちで、長屋にさえ住めてないで居たものもいる。甚八丸から納屋を一つ借りて改築し、簡易の寝泊まり小屋にした。 

 そして賃金の代わりに一日二合の白米現物支給を行った。白米の価格は折しも享保末には豊作になり一升あたり僅か70文。二合の配給で給料に換算すると一人あたり一日14文の支払いとなり、非常に安く仕事をさせている。

 とはいえ働くのは田舎から出てきた白米なんて正月でも食ったこともない貧農忍者だ。そうでなくとも、昼飯支給に住居手配、今後の仕事と嫁斡旋を思えば食うだけの配給でも文句の一つも出なかった。

 一方で普通に日雇いでもっと稼げるはずのシティ派忍者の朝蔵は悲しい顔で白米を食っていた。


「無学な農民を騙してる気がするんでやんすけど……」

「不満は出てないから暫くは大丈夫だ。なあに、ちゃんと仕事が回るようになったら正規の給料は払う」


 確かにこんな生活をひと月もしていれば不満も出るだろうが、活発に仕事をしているので基礎工事が終わるまでの期間なら騙されるはずであった。


「くくく……安心せよ。更にやる気を出させる方法は考えてある」

「……一応あっしが現場責任者なんで聞いといていいですか」

「お九が味噌汁を作って励ます。男は勘違いしてやる気が出る」

「別のやる気が出たら困るんですけど!?」


 しかしながら、美人の応援と手料理付きとなるとかなり低コストでやる気の増加が見込まれる。

 そして派遣する女の中で一番心配が要らないのがお九である。なにせ九郎本人だ。もし旦那持ちの女に男を騙すような真似をさせてトチ狂って襲われればコトだが、お九なら簡単に返り討ちだ。

 ついでに忍びの個人個人の様子も直接確認できる。それこそトチ狂って襲うような輩は他で問題を起こされる前に排除しなければならない。


「大体なんすか! お九さん! 山田先生の妾なんでしょうに! よく忍びを惑わしてこき使ってますよね!?」

「あやつは尻軽だから」

「姉だというのにあっさりと! というか止めてください! せっかく誓いを立てたのに混乱が起きますからね!」

「仕方ないのう」


 九郎は案を否定されてため息をついた。

 確かに、他人の嫁や妾には手を出さないという制約を出したのだ。お九の方から勘違いさせるような行動を取り、それで罰を与えるのはさすがに酷でもあった。

 世間体と晃之助からの説教で浅右衛門の妾という立場になったことが自由さを妨げている。


「ならば妹でも連れてくるか」

「妹も居るの!?」





 *******





 [忍び屋]は開店準備に大忙しだった。

 水車小屋に倉庫、作業部屋、仮宿舎、竈の作成。

 石臼、天秤棒、鍋、簀、着物などの用意。

 資材運搬、問屋との交渉、従業員への売り歩きの接客・計算の教育。


 細々とした仕事は朝蔵と助蔵が担当してくれたのでどうにかなったのだが、田舎から出てきてやる気だけはある忍びらも結構な苦労を強いられた。

 それでも不平不満を漏らさずにやっていけたのは、これから新たな仕事を得て、いずれは嫁を貰うのだという未来への展望。

 そして仮宿舎に戻った際に、


「やー皆のもの、お疲れさん。味噌汁が出来ておるから明日への英気を養うのだぞ」

「うおおおおえええええい!」


 そこで味噌汁を作ってくれる少女が居るからであった。

 名を九子(くうこ)。九郎の妹らしい。年の頃は十四歳ほどで、童顔だが胸が強調されている可愛らしくも妙な色香がある娘だ。体型と着物がゴージャスモデルすぎるお九よりは親しみもあった。

 もちろんTS病で少女になった九郎である。昔の九郎は少年の姿だったので女体化した際には印象を変えるため、背の高い大人の女になっていた。今は九郎本体の方が背の高い青年姿なので、逆に少女の姿になれば印象が大きく違ってバレにくい。

 またしても事情は家族と、屋敷に出入りしている茨ぐらいにしか伝えていない。甚八丸などには山で修行していた妹天狗が時々顔を出すようになったと告げている。

 

 飯炊きの時間に九郎が寄越してくれるという設定だが、労働を終えて粗末な掘っ建て小屋に帰ると、美少女が飯と味噌汁を用意してくれるのだ。男らはみるみるやる気に満ち溢れた。

 九子はニコニコと笑みを浮かべながら汁椀に根深汁を入れて並ぶ労働者らに手渡ししていく。


「今日も頑張ったのう。偉い偉い」

「ははははい! ありがとうございます!」

「うちの兄を助けると思って、どうか頼むぞ」

「もちろんであります!」

「怪我などに気をつけてな、疲れは大丈夫かえ?」

「今回復しました!」

「頑張って働いて嫁ができれば、こうして飯を作ってもらえるのだぞ。頑張れ、頑張れ」

「死ぬ気でがんばります!」


 中には涙を流す者も居る。

 彼らの多くは前に述べた出自から、家でも冷や飯食いの碌な扱いを受けたことが無かった。母親からすら褒められたことが一度も無いような男も珍しくない。腹一杯に食事を取るのも、江戸に来るまでは出来なかったしこれまでは働いておらず衣食住に不安があったので満足に食べれなかった。

 それが今は給料こそ出てないが美少女の作った飯と味噌汁をたんまり食えるのである。娘は笑顔を向けて「偉い」とか「おつかれ」とか言葉を掛けてくれるのだ。涙も流れるというものである。

 実質ブラック企業だというのに彼らは「九郎親分は神様みたいなお方だ」と感動していた。賃金を渋っているブラック雇い主なのだが。


 その光景を見て震えたのが、もともと江戸に居てもう仕事を持っている忍び連中である。


「あ、ああああ、ああああああ……お、お九さんの妹さん……?」

「馬鹿な……俺らの女神が増えて……だが俺ら以外に……」

「こうしちゃ居られねえ! あそこで働いて妹さんから味噌汁を貰うんだ!」

「責任者はどこだ!? 朝蔵を探せ!」


 蕎麦代以下の賃金で働く労働者が増えたりした。そのおかげで、ペースアップして忍び屋の体裁は整っていく……







 *****





 味噌汁を配り、慰安の言葉を掛けてから暗くなる前に九子は神楽坂の屋敷に戻って来た。

 豊房が出迎えて部屋に上がった九子に冷酒を持ってくる。ちなみに既に金を持ち出したことはバレていて、呆れられた後である。


「ふいー……やる気を出させる作戦は成功だのう」

「お帰りあなた。得意の誑かしは上手く行ってるのかしらもぐわよ」

「いきなり日常会話から胸を鷲掴みにするな!?」

「腹立たしいわね。わたしより若くなってるのになんでこんなにお乳が大きいのかしら。腹立たしいわね」

「繰り返すほどに!?」

「お八姉さんなんてその姿見たとき心労で寝込んだぐらいだわ。無駄に大きいのだから子供にお乳でもやったらどうかしら」

「出らんわ! たぶん……」


 九郎家の貧乳組からすれば、元男な九郎が女になったら少女形態でも巨乳なのが気に入らないのだろう。

 

「それにしても、あなたがそんなに体張らなくても良いと思うのだけれど」

「いや、直接に店で雇う連中の性格やら真面目さを把握しておきたいと思ってな。江戸に元から居た連中は、最低限甚八丸が保証してくれていたのだが地方から来た連中は違う」

「ふうん。てっきりわたしは、あなたが男を誑かすのが面白くなったから積極的にやっているのかと思ったわ」

「……違うぞ?」

「そうなの」


 九子は真顔で否定した。だがまあ、多少楽しいような気がするのも確かではある、

 もともと九郎は子供の姿を利用して相手の油断を誘ったり、ギャップで驚かせたりもする悪戯心があった。それと似たベクトルで、本当は女ではないのに騙される相手の反応を面白がっているフシはある。

 だが肯定するとまるでそっちの気があるようなので一応は否定していた。


「あやつらの仕事ぶりを見て、茨の結婚相手も探さなくてはなと思ってのう」

「まだ見つかってなかったの?」


 靂が嫁二人を貰ったことで実家を出て生活している茨だが、もう適齢期だというのに嫁の行き先が見つかっていない。

 言葉は少ないが真面目な性格で見た目も良く、九郎一押しなのではあるが……


「条件がのう……茨を嫁に貰ったら、他に絶対浮気をせんような男というのは中々なあ」

「そんなに浮気性の男ばっかりなの?」

「一途なやつは案外に少ないのだ。知り合いでも考えてみよ」


 九子が次々に知人の例を挙げていく。


「例えば晃之助だが、忍びのお花にドキっとしていたしお九にもデレていた。影兵衛はもともと女遊び好きだし、お九の尻を揉んで嫁に刺された。甚八丸はスケベな妄想する度に手裏剣で刺されている。靂は二股。利悟と伯太郎は嫁に義理があるが少女を付け回す。歌麿はお断りされた。浅右衛門も……いやなんでもない。とにかく、本人の性格はともあれまったく他に目移りしない男というのは希少なのだ。それが一概にダメとは言わんぞ。ダメとは」

「自己保身に必死なの……真面目なのはうちのお父さんぐらいかしら」

「うむ。六科は再婚だが一途で大した男だ。ああいった無骨で一本筋が通ったやつがいればいいのだが……」

「面倒ね。もういっそ茨本人に自分の責任で選ばせれば?」


 紹介した場合、責任が仲人にも掛かってくるので躊躇しているのだからいっそ丸投げしてしまえばどうかと豊房は提案した。

 それに茨が見て惚れたというのならば見合いなどよりも素敵な話ではないかとも思える。 

 江戸時代でも恋女房というのは一種の憧れがあるものなのだ。

 だが九子は首を振る。


「それはいかん。なんというか、茨は男を見る目がなさ過ぎる」

「そうなの?」

「うむ。ダメ男好きというわけではないのだが……騙そうとしてくる相手への耐性が殆ど無いのだ。己れがその気になって茨を口八丁で騙せば、ひと月以内に靂の財産土地屋敷を差し出させた上に遊郭に身売りさせてその代金をむしり取れる自信がある」

「そんな最悪な自信は捨てるべきなの!?」


 そこまでやる詐欺師も少ないだろうが。むしろ彼のやり口が酷すぎるだけだ。

 もともと、見世物小屋に小さいときから売られて殆ど社会を知らない上に、逃げ出して靂と共にあまり世間に関わらない暮らしをしていた。男というのも靂と新井白石と九郎ぐらいしか碌に接していない彼女は、悪意を持って騙してくる相手への対処を知らない。


「厄介な相手を選ぶ危険性があるぐらいなら見合いで選んだ方がマシだ。茨にもそう伝えた」

「納得したの?」

「騙されやすいとは心外な、みたいにフンフンと鼻息を荒くしたので、三日ぐらい騙して借金漬けにしてやった後でもう一度諭したら素直に納得した」

「酷すぎるの……」


 茨が明確に騙されやすい証拠なのかもしれないが、自分が嫁いでしまった男の女を騙す手腕に戦慄する豊房であった……




 こうして九郎は新たな店を準備しつつ、茨の相手を探す日々を送っているのであった。 


久しぶりの更新。

普通に考えたら田舎から上京してきた忍びとか身元不詳の無宿人すぎて見合いどころじゃないので仕事をさせてみる九郎。

女体化して働かせる作戦がデフォ。一度襲われるべきだと思う。


リハビリ&フレデリカさん自炊電子書籍化作業中。加筆がかなり多いので中々進まないぜ!

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