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12話『忍び定例会議~靂への判決死罪~/寿司ィを作ろう』



「はあい皆さん本日お集まりご苦労千万。では早速報告からいこうかい。何かある野郎は挙手しろい」


 幾分早口でありながら喉奥から不機嫌めいた呻きを零しつつ、忍びの頭領はその日も定例会議で集まった江戸在住の忍び連中に話しかけた。

 一同は皆覆面で顔を隠しており、各々の正体はよほど親しくなければ知らないし詮索もしない。どこぞの農村に成り果てた元忍びの里出身で実家から飛び出してきた者も居れば、今でも誰かしらに雇われて隠密の生業をしている者も居る。

 ただ多くは普段、江戸で町人や職人などとして一般人と変わらぬ暮らしをしている者である。そんな忍びの仕事もしない彼らが忍びである証が、或いはこの所属も関わりなく集まる忍び会議に参加することなのかもしれなかった。

 

「人形制作の麒麟児である鞍郎(くらろう)先生に頼んでいた美女木像がとうとう完成したんですよ~! 見て見て」


 覆面の一人──同心の藤林尋蔵が綺麗な紫の布で包んだ一尺半ほどの像を取り出し、それを解いて皆に見せた。 

 そこには無表情ながらどこか温かみのある顔立ちの着物を着た女性が木の削りだしで作られている。かなり精巧であり着物の柄まで丹念に彫られていて、今にも動き出しそうだ。

 この鞍郎という日本橋に住んでいる若手職人、以前に九郎へと依頼して一目惚れした人形を探して貰ったことからその職人に弟子入りした少年であった。めきめきと腕前を上げて名が知られるようになったようである。

 この木像を作る際に、鞍郎は足繁く九郎の貸本屋へと通って店番や掃除をしているイモータルを凝視していて参考にされている。

 制作作業には数ヶ月以上掛かることもあるため、費用も当然ながら庶民では手が出ないほどだがそれよりも大勢の予約があって中々依頼は受けて貰えないのだ。

 尋蔵も貯金をはたいて購入した家宝にしようとしている一品であった。


「うわいいなー! 皆でその子が動き出したときの設定决めてたけどどうなったんだっけ?」


 皆がその美女木像を羨ましそうに見ている中で一人がそう口にした。もはや木像が動き出すのは当然のことのようだ。

 余談だが昔は案外普通に仏像などは国難の際に動き出して鎮めるもの、と認識されていたようだ。例えば平将門の乱ではあちこちで仏像が空をかっ飛んで東国へ向かっていったという説話が残されているし、室町時代の正平地震では地震の原因である龍に対して四天王の仏像が囲んでボコっていたと[太平記]に記録されている。

 名人の作った木像はこのように意思が芽生えて動き出すことがあるのであった。

 ともあれそれを前提として皆で様々に話し合っていたことを思い出し、すぐに数名が手を上げて主張しだす。


「像子ちゃんに感情が芽生えてご主人への愛が生まれるけど自分は所詮作り物の像なので報われないとご主人に相談できず悲しんでいる純愛派! やっぱり正統だろう!」


 一人の意見に対して他の者が立ち上がり拳を握って熱く語った。


「動き出した像子に愛情を向けてどうにか彼女と仲良くなろうとするけど感情を理解できないのでご主人の思いは伝わらない悲恋派! あっ最期の別れの際に少しだけ感情を見せるのはアリで!」

「明るく楽しい性格でご主人と暮らしていたのにある日飽きたご主人に捨てられて理解できないようにゴミ捨て場に置き去りにされて絶望してる彼女を救いたい派! 人間不信になった像子ちゃんの心を癒やすんだ!」


 それぞれが己の理想とするシチュエーションを怒鳴り合い、やがて持ち主の尋蔵が人形を守るように抱きつつ立ち上がった。


「よし! クソ共纏めて表に出ろ! 今度こそ決着をつけてやる!!」


 わいわいと騒ぐ一団を参加していない連中が引いた目で見ている。 


「……こうなるから纏まらなかったんだっけ」

「抑えろ抑えろてめえら。大体その人形が付喪神にでもなって動き出す頃には全員年取っておっ死んじまってるぜい。それにもし人形に人並みの感情が芽生えたら、自分相手に気持ち悪い妄想をしている定収入で顔もイマイチな男より二枚目の金持ちを選ぶっつーの」

「あああああ!! 酷いです頭領!!」

「そういう危険な発言は控えて頂きたい! 問題発言ですよ!!」

「収入と顔はどうしようもないんだからそこを突くのはもう暴力ですよ!」


 微妙に不機嫌そうな頭領のずっぱりと切り捨てる一言で盛り上がっていた忍びらは床に伏して涙を流した。 

 あまりにも哀れだったので慌てて他の話題に持っていこうと、助蔵が手を挙げた。


「え、えーと、そう! 最近出た歌麿先生の新作春画がかなりド助平でした! 一枚だけ持ってきた!」


 紙を広げて見せると忍び一同は品評モードに入って顎に手を当てたり腕を組んだりしながら好意的な唸り声を上げる。

 女性二人が向き合って湯屋にて体を互いに洗っている絵だ。直接的な行為は無いものの、やたらと艶めかしい色気がある。特に春画・役者絵は幕府が使用を制限している赤系の顔料を自由に使えるので、色合いが非常に目を引いて興奮を誘う。


「むっ……いいねえ白い首筋が実に助平だ……それに女同士の絡み……これは流行るかもしれないな! 男の汚いケツを見なくて済むし!」

「一時期流行ったよなー……種付け潰しだっけ? 上から押しつぶしてるから絵の八割ぐらいおっさんのケツな春画」

「あんなの二度と流行らないだろうなー」


 名称はともあれ、江戸時代慶長年間に出版された[肉筆春画巻]などに幾つか掲載されている体位である。

 或いは春画は残っていない物も多くあるので、案外に流行して廃れた可能性もある。


「これ文章も挿れたらもっといいんじゃないかな!」

「こういうド助平じゃなくてイチャつきで来てそうな文章は……やはり霹靂斎先生に──あっ」


 名前を思わず出した助蔵は口を両手で塞いで、しまったという態度を見せた。

 今この会合で、頭領を不機嫌にしまくっている原因である霹靂斎こと、靂の話題は禁忌とされていたのだ。 

 

「ヴぁああ゛ああ゛あ゛……」


 地獄の獄卒が放つような瘴気混じりのため息に、忍びの皆が背筋を寒くさせる。

 

「……あの糞餓鬼五流作家がなんだってぇぇぇ?」

「い、いえ! なんでもないですよ! ははは! 五流作家なんてどうでもいいやつですよね!」


 なんとか宥めようと同調したら、途端に彼はキレた。


「あ゛あん!? てめえ、なんだうちの娘が五流作家風情に手篭めにされて、完落ち雌顔両手二指立てで嫁入り報告してきたことをバカにしてるのかああああ!!」

「うわああけなしても面倒臭い!?」


 甚八丸はおもむろに持ってきた酒をグビグビと覆面の上から飲み始める。

 思い出すのも癪だが、意固地になった娘とその相手の関係が進展したことを報告されたのだ。

 正直娘は振られればいいと思っていた。どうせ振られてもあの容姿で教養も良くて真面目な子だから、幾らでも嫁の貰い手はある。何も五流作家野郎のところに嫁ぐ必要はまったくない。大体、お遊と靂が一緒になればなんの問題もない平凡な夫婦で丁度良かったのだ。

 とはいえ、甚八丸がそう言う度に親子仲はこじれていくわ、何故か他の家族は小唄を応援して家庭内での立場が悪くなるわで手の出しようが無かった。

 それ故にどういう結果になるにしても、指をくわえて見ているしか無かったのだが……

 酒臭い息と苛立った唸り声を上げる彼を見ながらヒソヒソと忍びらは話をする。


「よ、よく靂くん無事だったですね……今にも頭領が始末しに行きそうな不満具合なのに」

「なんでも怒りに任せてそうしようとしたら、靂の後見人である九郎さんが来て頭領を説得だか説教だかして止めたらしいよ。あそこまでこじれたのには頭領の責任もあるってことで。九郎さんと殴り合って一応納得はしたとか」

「殴り合ったんだ……大丈夫? 九郎さんとこじれてない? オレらの仕事結構九郎さん絡んでるけど」


 心配そうに甚八丸を見る。例えば彼の持つ鶏舎に加えて、牛舎も作っていたり、唐柿トマトなどの珍しい野菜も九郎の資本によって作られてその管理に忍びらも関わっている。

 それ以外でも持っている菓子屋の仕入れ、ふりかけ屋を拡大して製造販売も子作り子育てに忙しい夕鶴の手から離れて人を雇っている。細々とした仕事依頼なども振り分けられ、九郎は暇そうにしているが実のところかなり大店と同じぐらい人を使っているのであった。

 

「大丈夫だと思う。殴り合ったあと二人で飲みに行ってたし」

「親って大変だなあ」

「でもまあ良かったじゃない。確かに幼馴染二人を嫁にするなんて前世で国でも救ったのかな?って徳の積み方だけど、誰も不幸にならなくて!」

「あんだけ一緒だったらどうやってもこっちにお鉢は回らないだろうしなー」

「モテ野郎はムカつくけど」

「早く嫁欲しいなー」


 概ね、彼らの靂に対する感情は嫉妬が多いものの諦めもついているようだ。これは「不特定多数の女の子から次々に好かれるやつは腹が立つけど、ずっと長い間付き合いのあった幼馴染同士が結ばれるのは仕方がない」というような感情を共有している者が多いからだ。

 羨ましいが、一応は納得している様子で話し合っていると、ぶつぶつと一人酒を飲んでひとりごちている甚八丸から爆弾が投下される。


「ったくあの馬鹿野郎……九郎も九郎だ……なぁんで自分の姉ちゃんも手伝いで参加させやがるんだか……」

「は?」


 全員の話し声が止まった。


「乙女二人を相手にするのには経験が足らねえってんで、初めての際にはお九姉ちゃんが手伝いに参加したんだとよ」


 五流作家野郎。

 幼馴染二人同時に手を出しただけではなく。

 忍びサークルのお姉さんなお九さんにまで手を出していた。


「はああああ!?」

「あの野郎許さん!!」

「こーろーすー!!」


 色めきだち次々に靂を罵りまくる彼らに、未婚既婚の区別は無かった。

 皆は集まりにはのほほんとしながら覆面被った浅右衛門が居ることにも気に掛けずにブチ切れていた。

 許される世界ではない。当事者である甚八丸などより、よほど義憤に立ち上がる男たちと──助平な想像をして起ち上がる男たちであった。



 その後、靂の屋敷にカチコミに行ってはイチャツイている小唄にお遊と靂の様子を見て打ちひしがれて帰っていく忍びらが見られたという。

 





 ********






 

 長い付き合いの後に結ばれる者たちも居れば、そうでない者も居る。



「クロー! す、す、寿司じゃ!」

「おう。任せろ」


 定期的に何故かスフィは寿司が食いたくなる。九郎は少しばかり奇妙に思いつつも、日本料理が好きなのは喜ばしいことだと納得していた。

 もちろん何かしらに触発されて愛の告白をしようとした彼女がトチった結果勘違いされているものである。

 他の皆も誘うが凄く残念そうな顔でため息混じりに見送られ、土産を買ってくるよう言われて九郎がスフィを連れて寿司を食いに出かけていった。

 嫁たちは、告白に失敗したのだがお出かけにウキウキしているスフィの後ろ姿を見ながら言い合った。


「なんでスフィはあんなにトチるのかしら」

「謎だよなー。手助けしようとしたらあたしらの方が舌がもつれて九郎に伝えられねえし」

「どうやら九郎くんの亡くなった娘みたいな魔女に呪われているらしいよ。何十年も付き合っていて碌に関係が進展しなかった罰だとか。周りにも影響を及ぼしているのではないかね?」

「しかし性根から恋愛弱者でありますからなー。一緒に助平でもすればいいのに」

「じゃっじ、あれでむっつり助平じゃっどスフィどんは」

「まあいいじゃありませんか。スフィ殿は長生きですから、ああいう子供同士の恋愛みたいな関係の時間が長くても」


 などと言ってほのぼの見守ることにするのであった。



 さて九郎は、この時代では握り寿司も無い為に寿司を自作しようかとも思ったのだがふと思いついた。


「そういえば今日は店にイモ子が来ておってな。あやつに作って貰うか」


 近頃は靂が仕事に来れないか、来ても何か疲れ果てたように寝ていることが多いので店番としてイモータルが顔を出していたのである。


「なぬ? そういえばイモータルは料理も得意じゃったのー」

「うむ。さすが専門職だからのう」

 

 なので材料を買って彼女に作って貰おうということになった。

 まずはぶらりと足を日本橋に伸ばして酢と魚を購入する。酢は生産地が限られていて、江戸府内では殆ど作られていないので物流の集まる日本橋で主に買わねばならなかったのだ。

 

「ついでに割りと高いのだよなあ」

「うーみゅ、確かにそこらの上酒並の値段がするのー。これじゃ庶民は買わないのではないかえ?」


 量り売りをしているが一合(180ml)で百文(約2000円)もする高級品である。大和や和泉で伝統的な作り方をされている米酢であり、生産量も少なければ主に消費するのが武家などだから庶民に回る分は余計に高くなっている。

 全国で酒造りの規制緩和が行われ、その流れで酒粕から粕酢を作り始めたことで生産量が格段に上がって値段が下がるのはまだ少し先の時代であった。

 

「だから基本的に庶民だと、酢を使った料理は滅多に食わんからなあ。飲み屋で出てくる(なます)もだいたい煎り酒を使っておるか、梅酢を混ぜておる」

「ほうほう」

「前に豆腐屋で、お揚げに酢飯を詰めた寿司を教えてやった際にも酢のコストが問題でなあ。色々考えて改造した結果、普通の白飯かおからを詰めて売るようになったぐらいで」

「それもそれで美味そうじゃなー」

「うむ。幕府の元お偉いさんの……荻生徂徠(おぎゅうそらい)とかいう男も食いに来たとか言っておったぞ」

 

 ちなみに現在でも産業廃棄物として生産量の多くが廃棄されているおからだが、実は江戸時代から「豆腐屋から出るゴミのようなもの」という扱いであった。

 元側用人である荻生徂徠は貧乏であった若かりし頃におからを食べて飢えをしのいでいたというので、珍しいおから料理を食いに来たのだろう。

 多く買っても何かに使うだろうと和泉酢を柄樽で購入してぶら下げ、魚河岸で魚を見繕う。


「赤身と白身と適当に買うか。イモ子が作ればマズイものにはならんだろう」

「信頼しておるのー」

「あれで結構長い間世話になっておったからなあ。おっ穴子も売っておるぞ。羽田沖で取れたやつか? よし買おう。鰻もいいのう。自分でこしらえると面倒だが、イモ子がやってくれるなら丁度いい」

「お母さんの手間を考えずに晩御飯のリクエストをしてるみたいじゃのー」

「イモ子に物を頼むときはなんか小さい背丈になってからの方がやる気が出てる気がする」


 ヨグの命令に従うように作られているものの、彼女は基本的に人の面倒を見て物事を頼まれることを好む性質が人工知能の傾向としてある。

 クルアハの魂が幾らか彼女の疑似魂魄に混ざっていることも、以前よりも感情に基づいた行動を取るようになった理由だろう。時折九郎の屋敷に来て子供の世話をしたりしている。


「よし。悪戯にイモータルをお母さんとでも呼んでみるがよいクロー」

「仲間に悪趣味だぞスフィ。お主が己れからお母さんと呼ばれたらどう思う。気色が悪──」

「超可愛がるに決まっとるじゃろがい!!」

「趣味がわからん……」

「じゃろがい!」


 強固に主張するスフィ。そんな調子だからさっぱり九郎と仲が進まないのだが。

 さて二人は材料を手に根津の助屋まで行き、その勝手口へと回った。


「あまり気が進まんのだが……」

「子供の振りをすることぐらい、女体化して男を誑かすより何倍もセーフじゃから安心するのじゃよー」

「それを言われるとつらい気がするから止めてくれ」

 

 男の状態で女のときの態度を追求されるとさすがに気恥ずかしくなる。

 女体化している状態では記憶と意識は完全に同一なのに、さほど違和感を覚えずに女らしさを出すことができるのだ。恐らくホルモンなどが脳と精神に作用しているからだろう。


「イモータルのやつも子供の面倒をみたいのじゃが、あまりクローの家庭に入り浸って他の嫁共から鬱陶しがられるわけにもいかんと色々気を使っておるのじゃよ。サービスサービス」

「サービスになるのかのう……」


 あまりに勧められるので九郎は肉体を変化させて、六歳程度の子供に縮めた。

 ゆるゆるになった着物を帯で締めて、持ちにくい魚と酢樽を勝手口近くの土間に置いてから九郎は番台に静かに座って縫い物をしているイモータルの方へと近づいた。

 九郎は咳払いをして、成るべく明るく高い声で言う。下手に言い淀むよりは勢いが大事だ。


「おかーさーん! お寿司作ってー────うわスパークした!?」

 

 呼びかけた瞬間。イモータルの体から青色の火花が多数飛び散り、そして頭からもくもくと煙が吹き出し始めた。

 何かこみ上げるものが爆発したかのようだ。

 同時に、店にやってきていたイモータル非公式ファンの忍び達(人形師の鞍助含む)は彼女の息子? らしい少年の登場に叫び声を上げて卒倒した。

 

「い、いも……大丈夫か?」


 彼女の体から異音がして、首などが僅かに震えた。着物の一部が焦げたような匂いもしている。

 ぎょろりと首を動かし、光の戻らぬ目を九郎に向けて呟く。


「自己修復致しました。再起動致します」

「いや、なんかすまんな」

「問題ございません。イモータルの回路にエラーが発生致しましたが、再起動後のポテンシャルは向上致しております」

「そ、そうか」


 動き出したイモータルはテキパキと店で倒れた者らを起き上がらせて帰らせてから[本日休業]の臨時札を出して店の入り口を閉めた。

 それから再び九郎の目の前に直立する。


(結構背が高いから小さい体だと見上げるのう……)


 と、無言で立ち尽くす彼女を見ながら九郎は思う。

 

「九郎様。大変ご無礼ですがエラー直前の命令をロスト致しました。再びご用件を伺い致します」

「ん? ああ、実はスフィが寿司を食いたいとのことで作って貰おうと……」

「……再びご用件を伺い致します」

「なんで!?」


 用件が全然伝わらなかった。このメイド、まだショートしているのではないだろうかと疑う。


「クロー! 言い方! 言い方!」


 少し離れてスフィが助言をする。それを聞いて九郎は、幼児のように話しかけて欲しいと彼女が思っていることを察した。

 というのも、基本的に彼女は他者の面倒をみる性質があり、それで優先順位もヨグの次に九郎が来るので暇を見つけてはやってくる程度に積極的に彼女は世話を焼きたがる。

 そして子供というものは無数の手間が掛かる代物で、イモータルにとっては相手にとって不足なしとばかりに喜ばしい対象なのだ。

 つまりお世話優先順位の高い九郎の子供を世話したがるのは当然の帰結であり──その九郎当人がお世話すべき子供であるならばそれは大きな欲求を持つ相手になるのであった。

 九郎は怯みつつも言う。


「えーと……お、おかーさん、ぼくお寿司が食べたいから作ってほしいなー……なんで撫でる」

「ありがとうございました。イモータル、かなり満足致しました」

「ならいいのだが。ちょっと待て」

「あっ」


 九郎はさっさと奥に引っ込み、元の体型に戻ってやってきた。

 そこはかとなくイモータルのぴょんといつも飛び跳ねているアホ毛兼自爆スイッチがヘナっと垂れているように見える。がっかりしたのだろう。

 

「それでは早速用意致しましょう」


 イモータルがあまり普段使われていない台所に向かうのでなんとなく二人もついていった。

 綺麗に研いだ米を釜で炊いている間に凄まじく効率的に魚を捌き処理していく。鰻や穴子も串を使って綺麗におろして処理した。九郎の屋敷では皆が料理上手だが、さすがにイモータルの腕前はそれをも凌駕している。

 醤油と酒と砂糖を鍋で混ぜてタレを作り、穴子を煮つつ鰻の蒲焼きにも使う。昼を過ぎて若干鮮度が失われていた白身魚は氷水で身を引き締める、赤身魚はサクの表面を軽く火で炙って酒と醤油を混ぜた液に入れて漬けにする。

 ついでに卵もあったので卵焼きも作った。砂糖や卵は近くの菓子屋に納入するついでにこっちにも保管しているのだ。

 飯が炊き上がったら桶に出して冷風を送り冷まさせ、酢と塩と砂糖を混ぜて酢飯にする。

 酢飯が出来て用意した材料を切って、細い指と白い掌で軽く握った寿司と合わせていく。

 正確無比な動きで九郎とスフィの前に置いた膳に寿司が並べられていった。


「手伝いとか手の出しようが一切無かったのー」

「うむ。寿司マシーンになれそうだ」


 食欲を誘うタレの焼けた匂いをしている鰻と、テラテラと煮汁で光っている穴子。白身の洗いには酢味噌が載せられていて、漬けの寿司には黄色い胡麻が軽く振られていた。そして鮮やかな黄色い卵焼きの寿司。


「むむむむむ……これは美味そうなのじゃ!」

「己れもイモータルの寿司を食うのは初めてだのう」

「全て味はつけられているのでどうぞそのままお召し上がり致してください。おかわりも作製致しますので」


 そう言うので、スフィがまず卵焼きを口に頬張った。

 目を見開く。


「うんっまー!? 卵ふわっふわじゃな!? 嘘みたいな食感なのじゃが! 甘じょっぱくて酢飯にも合う!」

「本来江戸前の卵焼きは魚や海老のすり身に山芋を擦ったものを加えて焼き上げるのですが、山芋が無いために卵で白身魚のすり身と混ぜて作製致しました」

「おお、それで伊達巻みたいな食感なのだな。旨いぞこれ」


 九郎も卵焼きを口にしてあまりの美味に口の中に入れて味わったと思った瞬間には消えてしまうように感じるほど、一瞬意識が飛びそうな旨さだった。

 他の寿司も次々に食べていく。


「煮穴子の煮締まり方も絶妙で口の中でシャリとほろほろ崩れていくのじゃ」

「ううむ、寿司に酢味噌というのもあまり食ったことが無いが、滋味があるのう……」

「この漬け、胡麻の香りが引き立って山葵の辛さが最高じゃな」

「鰻の寿司幾らでも食えそうだ……あ、そうだ。家族の分も残しておかねば」

「ご安心致してくださいませ。今日用意したものは白身魚以外でしたら夜までは腐敗致しませんので」


 保存の効かない江戸時代が故に、江戸前寿司などはどれも一手間二手間掛けてネタを腐らせないようにしていたという。 


「凄いのう旨いのう」


 スフィがモリモリと食べて頬をほころばせている。


「今まで食っていた寿司はなんだったのか……これと比べると刺し身に米粒がこびりついていたぐらいのレベルじゃな」

「そこまで言うかスフィ」

「はっ!? い、いやすまぬクロー。あまりに旨すぎてつい……お、お主のもあれはあれで旨かったのじゃよー?」

「いや、いい。わかっておる。己れだってこの本職の仕事と比べれば、刺身定食を手づかみで食っていたようなものだとは思うわい」

「そこまで言わんでも」


 九郎も敗北感に打ちひしがれそうになる。

 彼とて何も料理下手ではないのだが、特に寿司の修行をしたわけではない。刺し身を切れる程度の腕前と、見よう見まねでシャリを握って載せて出していた程度の素人芸なだけなのだ。

 まずシャリが全然違った。イモータルのは持っても崩れないが口の中に入れるとふわっと散らばる魔法のシャリである。ドヤ顔でスフィに馳走してきた自分が情けなくなってきていた。

 

「し、しかし旨いもんじゃのー。それで保存も利くなら、江戸で売れそうなもんじゃが」


 スフィが落ち込みだした九郎を誤魔化そう話を変える。

 手軽に食べれてなおかつ旨い。それに材料は米と魚がメインなのでそう困らない寿司は流行りそうな予感はしていた。


「ううむ。やはりこの握りというやり方が殆ど無かったものだからのう……誰かにやらせようにもなあ」

「申し訳ありません。イモータルは常時この世界に居れるわけではありませんので、商業となると手伝いも難しいかと判断致します」

「残念じゃのー。これが食える店があったら絶対流行る気はするのじゃが」

「酢の値段の問題もあるからのう。しっかり仕事を任せられる者がいればさせてみるのだが……」

「九郎様。でしたら酢は自作したら如何でしょうか」

「自作?」


 イモータルは頷き説明をする。


「酢は酒が酢酸発酵した結果生成致されます。つまり酒に対して酢酸菌の含まれる液体──つまり酢そのものを投入すれば発酵が進み、酒を酢に変えるのです。酒の度数にもよりますが、酒と酢と水を同じ比率で混ぜて増やす手法があります。ただしこれは発酵の度合いによって味が安定しなかったり、腐敗致したりするかもしれませんが──」

「うむ? いや待てよ。己れだったらある程度発酵の操作ができるな。ブラゼンで」


 試しに柄樽で買ってきた酢と酒、それに水を適当な器に入れて混ぜ、九郎は中の酢酸菌をブラスレイターゼンゼで活発化させてみた。

 菌や毒成分を混合しようとするとうっかりブラスレイターゼンゼの他の毒が混じったりして、死なないにしても妙な効果が現れたりするのだったが元々ある菌類を操作するだけならばその心配は無い。

 本来だったら一ヶ月二ヶ月は掛かる発酵反応を強制的に促進。液体の表面に酢酸菌の塊である膜が現れる。

 これがアルコールや糖分を消費しながら酢酸発酵を繰り返し液体を酸っぱくしていくのだ。まるで早送りをするようにそれらは急速な反応をし、やがてつーんとした強烈な匂いが液体から出てきた。


「どれ……酸っぱ」

「うみゅ……おお、これは酢と呼べる味じゃな」

「ううむ、出来てしまったのう。酢」


 雑にやったら失敗する方法だったのだが、九郎の持つ菌類操作の能力によって案外に普通の酢が完成した。有害菌も見えず、飲んでも問題無いだろう。

 この方法ならば一の酢と一の酒から三の酢が作れる。おまけに増やした酢を元手にして、延々と増やし続ければ酒と水だけで酢が増え続けるので、実質酢の代金は酒の半額程度になるだろう。

 確かに職人が作った酢に比べれば多少味は劣るかもしれないが、日本酒を自作してみた(既に試した)ときよりも酸っぱさという味の傾向がまとまっているせいか、そこまで遜色ない出来栄えとも言える。

 

「クロー酢工場長じゃな!」

「まあ……下手に参入したら酢問屋に恨まれるかもしれんから、まずは身内で使う分といったところかのう」


 九郎がいれば大量生産も可能な上に、他人が真似しようとしても失敗せず発酵も安定できる九郎ほど上手くは行かないので独占企業になれるだろう。

 だがまあ、そこまで忙しく酢を毎日生産し続ける暮らしをしたいとも思わない。自分の能力頼みの商売では、自分以外に任せられなくなる。


「後は寿司屋をできそうな人材か……ん? そうだ。あやつらなら丁度いいかもしれん」


 酢の問題が解決したので九郎も乗り気になってきたらしい。

 寿司を作らせてみようと思う相手もパッと思いついたので、翌日にでも向かうことにした。





 ********





 魚を包丁で捌くその手つきには一切に淀みも迷いもなく、決められた手順で決められた通りに素早くこなしていく。

 厳つい手でサクを押さえているというのに魚の身には潰れも体温も伝わらず、綺麗に薄切りにした鯛の身に隠し包丁まで入れて隣に渡す。

 受け取った女は手早く三動作で刺し身をシャリに乗せて握り、綺麗に整った寿司のネタに煎り酒をさっと小さな刷毛で塗った。先程隠し包丁を入れたところに煎り酒が染み込み、絶妙に味を変える。

 九郎とスフィは受け取った寿司を口に頬張ると、薄切りにして切れ込みまで入れた鯛の身共々、口の中で雪のように消えていく優しい味の寿司であった。単に柔らかいだけではなく、外は固めに中は柔らかく変化を持たせている。

 次のネタとしてハガツオの漬けを厚切りにした寿司を口にする。するとシャリは先程より強めに握っているのがわかったが、その理由は赤身の漬けが口の中で消えるのと合わせて握っていたからだ。ネタによって、同時に口でほぐれるように調整されていた。


「うまー!」

「ううむ、やるのう。本当に初めてか?」

「昨日作り方を教わってから練習したんですよう。ねえ六科様?」

「お雪の特訓の成果だ。俺は特にしていない」

 

 二人が舌鼓を打った寿司を作ったのは、むじな亭の夫婦二人、六科にお雪であった。

 味音痴なのだが魚を捌くことに関しては魚河岸で働いていただけあって無闇矢鱈に器用な六科と、按摩をやっていたので手先の力加減に融通が利くお雪。二人合わせての寿司である。

 酢飯に関しては六科に関わらせず、また目の見えないお雪にも難しいので娘のお風が分量を測って作るようにさせた。お風はそれ以外にもちょっとした煮しめなどは作れるようになっていて、まだ10歳程だが頼れる看板娘である。

 言ってみれば家族で作っている寿司である。味はイモータルに勝るとも劣らない、中々の代物であった。


「元々色々作っている上に、醤油や酒などは蕎麦屋だから多く仕入れておるからのう。漬けや煮穴子などを作るのに調味料が流用できる」

「六科様はお魚を仕入れるのも得意ですものね」

「うむ。店で出すのは構わん。そこで考えたのだが蕎麦に放り込んでスシソバ──」

「お風や。親父がイロモノを作らぬように見張っておくのだぞ」

「わかったわ!」


 と、こうして江戸にて本格握り寿司を出す店が生まれたのだが、そろそろその店が本来は蕎麦屋だったという事を意識する者はあまり居なくなっていた。

 旨いつまみと良い酒が飲めて寿司が食えて、ついでにマズイ蕎麦を出す店である。

 

 その後、店で出した寿司は好評になり客が大勢集まってきた。

 そこで九郎は割りと保存が利く寿司が多いので、人を雇って寿司の売り歩きという形で外で売ることによってむじな亭の混雑を解消しつつ売上を伸ばしたのである。

 赤酢が出回るようになった頃にはシャリの量が倍以上の大型寿司を出す今でいう本当の江戸前寿司が売り出されるようになったのだが──

 九郎天狗が考案したとされる初期の現代に近い寿司に関しては、寿司歴史警察の論点の的に後世ではなっていたという。





 ******





 六科の寿司も旨そうに食べるスフィの笑顔を見て九郎は──


「九郎様。握り加減が弱いです。これではネタを載せた際に崩れ致します」

「難しいのう……」

「今度は固くなりすぎました。次に致しましょう」

「うーぷ……あのさあ、君たち失敗作を我にひたすら食べさせるのやめない? せめてネタも載せてよ……」


 夢世界でイモータルから寿司の握り方を習うようになったという。練習してスフィに旨い寿司を手作りしてやりたいようだ。

 ヨグが不満そうに手取り足取り教えられてる九郎を見ていた。


「九郎様。これぐらいの強さだと手をお借り致します」

「ううむ、これぐらいのう」

「そして手を握り合ってイチャつかないでくれるかな……くーちゃんもっと構えー! 構わないとくーちゃんの寿司屋に笹寿司ごっこしちゃうぞー」

「嫌なごっこ遊びをするでない」


 ※笹寿司。邪悪なる寿司屋。主に食材の買い占めや道路封鎖、漁船の爆破や養殖場への放火、敵対寿司職人の暗殺などを行ってライバル店の妨害をする。

 ヨグは何か悪いことを思いついたように歯を見せて笑いながら九郎に近づいてきた。


「前読んだ寿司漫画でシャリの柔らかさは女の子の胸ぐらいを意識して握ってるって話があったよ! くーちゃん我を参考にしていいよ!」

「ふむ」

「躊躇いなく腹肉をつまむなぁー!」

「なんとなくわかった気がする……!」

「我の腹肉で!?」


 その後、ヨグの腹肉をつまんだ程度の柔らかさを意識して握った寿司を出したらスフィから相当な上達を褒められたので、九郎も喜んでいいものやら微妙な気分になったという。

 


ブラゼンは地味にチート

ちなみに九郎は納豆も作れます。

菌操作で適度な発酵にしたあと再発酵を防げるので、昔の納豆はアンモニア臭がきつくてヤバみがあったのに九郎が作るとそこまで匂いのしない今のパック納豆みたいになるという

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煮あなごは口に入れると消えなくてはならない
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