10話『掌編IF/石燕ルート/九郎とレッタさん』
すまぬ……作者風邪気味で今回短いIF番外編です
レッタさんは陽気なシスターの方の主人公、TS転生者です
IF1
『鳥山石燕(30歳)と結婚することになった話』
「──ん?」
九郎は目を覚ましたら、目の前で寝ている女性の姿を見て首を傾げた。
死人に着せるような真っ白い浴衣を左前に付けている、髪の毛の長い女性だ。色の薄い唇から小さな寝息を立てていて、体からはどこか焼香に似た匂いがするので益々葬式中に抜け出した死体のようだった。
体は江戸の女性基準からすれば少し高い背丈に、肋が見えるほどに痩せているというのに胸や尻にはしっかり肉が残っているという不思議かつ病的な体型をしている年増女だった。
「……石燕?」
九郎が呼びかけると鳥山石燕は「む」と小さく呻いて、額をこすりつけるようにして九郎に抱きついてきた。
「うーん……頭痛い……九郎くんお水……」
「まったく、だから昨日あれほど酒は程々にしておけと……」
そう呆れたように叱りながら、枕元に置いた術符から九郎は精水符を取り出し──はて、と首を傾げた。
あくび混じりで石燕が顔を九郎から離して、にへらと笑みを作った。
「わかっているとも。だが毎日楽しいのだから、酒も進むのは当然ではないか」
「……毎日悲しくても酒を飲んでそうだがのう」
苦笑いをして九郎は術符を石燕の口元に持っていき、冷たく旨い水を飲ませてやった。
符を直接咥えてちゅうちゅうと水を吸う石燕の姿は大人の女というにはだらしがない。
記憶がやや混乱していることを自覚した九郎は確認するように考えた。
(そうだった。石燕を嫁に貰ったのだったな)
あまりにも──精々九郎の住処が、よくよく酒を飲みがてら泊まりに行っていた石燕の屋敷に正式に移ったということ以外はさほど変わらない毎日なので、つい忘れてしまっているのであった。
「今日も元気だお水が旨い! よし、九郎くん! 迎え酒と行こうではないか!」
「仕方ないのう。健康のために将翁に貰ったどくだみ酒でも飲むと良い」
「あれ飲むと苦臭くてうぇーってなるので嫌だよ!」
爛漫に笑って騒ぎ出す、大人気のない三十路の嫁が九郎はなんとも無し、可愛らしく思えて仕方がないのであった。
事の起こりは少し前、石燕がモチを喉に詰まらせかけた事件からだった。
危うく死ぬところであったが、偶々その場に居合わせた九郎が居たことで命が助かった。
窒息する石燕の口を大きく開かせ、上向きにして九郎が思いっきり口づけして喉に引っ掛けたモチを吸引したのだ。掃除機で吸い込む応急措置の人力版である。
並の身体能力ではない九郎の肺活量で石燕はどうにか生き延びることができたのだが、病気も快方に向かっていた石燕が久方ぶりに感じる現実的な死の実感であった。
「こ、このままでは三十路処女で駄目な女というだけの存在で死んでしまう!」
そう危惧した石燕は恥も外聞もなく九郎に泣きついた。
「頼むから嫁に貰ってくれたまえええええ! このまま死ぬのはやだああああ!」
「切実だが少し落ち着け!」
「お金かね!? お金なら全部あげるから! 沢山稼ぐから! 捨てないで! 九郎くんしか居ないから!」
「人聞きが悪すぎる!」
というようなことを喚き散らしているのを関係者に目撃されまくって、これで責任取らないのもどうよという空気が即座に出来上がってしまったのである。
あれよこれよという間に、石燕と祝言を挙げてしまった。
この段階ではショックを受けたのは精々がお八ぐらいであったが、彼女としても自分はまだ小娘であり、大人な石燕と自分を比べれば間違いなく石燕がお似合いだというのも理解できてしまい、諦めもついた。初恋だったお兄さんは先に結婚するものである。
こうして、九郎は石燕と共に暮らすようになった。
「はい、九郎くん! 朝ごはんを作ったよ!」
「うむ……」
旦那と同じ時間に起きるという新妻らしからぬ生活習慣な石燕が、頑張って二日酔いを抜きながら朝食を作った。
硬めの粥に、昆布の佃煮、刻み沢庵、落とし卵入りの味噌汁。
金持ちにしては質素な食生活だが、胃にすっと落ちていくようなメニューは酒を飲んだ朝に優しい。具体的に言うと酒を飲んだ石燕に優しい。
「いやあ、遅くなってすまないね。調子に乗って新婚だからって夕鶴くんを蕎麦屋の店員に貸し出していたが、思った以上に家事はしんどいものだ! 今日呼び戻しに行こうではないか」
「そうだのう。朝はともかく、夜になるとお主が台所で酒を飲みながらツマミを作っているのは見ていて危なっかしい」
「心配してくれるのかね?」
「お主が迂闊なところで死なぬように見張るのが己れの役目だ」
肩を竦めて九郎はそう告げた。
そんな彼の前で石燕が顔を押さえて照れたように体をくねらせながら、
「九郎くんが見張ってくれているのならば、怖いもの無しだね!」
「危ない真似はするなよ。あと夜寝ているときに無呼吸症候群になるの怖いから止めろ」
「それは寝ているときだから治すに治せないよ!?」
朝飯を片付けて、九郎はニコニコと笑みを浮かべている石燕から茶を淹れて貰って啜りながら隣に座った彼女に聞いた。
「さて、今日は何をしようかのう」
「そうだね……まずは朝風呂でも入ろうかね。それから、九郎くんと二度寝! その後で蕎麦屋に夕鶴くんを迎えに言って、そこの座敷で依頼が来ないかお昼でも食べながら待とうか。何も無さそうだったら、妖怪探しに行こう。首切絡繰屋敷に化け猫が住み着くようになったと噂を聞いたよ! それから、それからお酒を買って屋敷に戻って……月見酒をして……」
「ま、昨日と然程変わらぬな」
楽しそうに予定を語る石燕を、なだめるように九郎は肩を抱いて軽く叩いた。
本当に彼女は嬉しそうで、とても暫く前まで病気で死にかけていたとは思えない。
死病に犯されていた鳥山石燕は己の最期を未来視で見てしまい、絶望と皮肉の世界で死を待っていた。
だが運命に無かった存在である九郎の干渉により、体調が回復して彼女が見た未来とは異なる道を歩むことになった。
九郎の持ってきた薬と術符でどれだけ彼女の死病が治ったかは不明である。
どれだけ寿命が残っているのか、彼女自身にもわかることではない。
ただその日が来るまで彼女は楽しく笑って過ごしていく。
「よし、では今日も──明日も、いつものように九郎くんに世話を焼かれてしまおうかね!」
「やれやれ……まあ、好きな女ぐらい幾らでも世話をしてやるさ」
「ん!? 九郎くん今なんて!?」
「小遣いをくれと言ったのだ」
「ふふふ、好きな男にぐらい幾らでも貢ぐとも!」
「それはどうも駄目だな……」
九郎も笑みを返しながら、二人は今日も日常を過ごしていく。
江戸に居たと巷説に残る九郎天狗、その暮らしは様々な物語が残されている。
複数人の美女を嫁にしたとか、そこらの女を取っ替え引っ替えにしたとか、はたまた実は女であったとか、天狗だから嫁も妖怪変化であったなどとある。
その中でも、普通に一人の恋女房と所帯を持ち、二人は楽しそうに江戸を遊び歩いて事件を解決して回ったとされる話もあるという。
・この世界線では妾・浮気イベントが発生しません。
・度々訪れる石燕が死亡する可能性に立ち向かう必要があります。
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IF2
・この物語は同作者「陽気なシスターが聖地を目指す」とクロスオーバーでTSシスターピエレッタちゃんが出てきます
『セックスしないと出れない部屋』
「……」
「……」
九郎は眼前にぶら下げられた看板を胡散臭げに眺めて、顔を顰めた。
気がつけば居た部屋は窓の無い正方形の箱型で、部屋にはキングサイズのベッドが置かれている。少し離れたところに申し訳程度のカーテンで覆われている風呂もあって、シャワーが壁にかかっていた。
そして隣には見たことのない金髪で修道服を着たシスターが、九郎と同じく胡散臭げに看板を見上げている。
(誰だ……知らんのう)
シスターといえばスフィだが、この場合は知らない相手だった。透き通るような肌をした西洋人である。
見た目の年齢は十代半ばか後半だろうか。ふと、視点の高さで自分も十代前半程度の容姿になっていることに気づく。シスターの見た目は、まあ可愛いと言っても差し支えのない部類だろう。ぽかんとした表情をしていて、そしてこちらに顔を向けた。
「なにこれ。ヘイ、オタク何か知ってる? ドッキリ番組か?」
「いや……まあ、こんな悪戯をしそうな奴に心当たりはあるが、己れの仕業ではないぞ」
「ところでそちらさんはどなた? ええと見た目からしてお侍さん? 平安京の? 官位幾つよ」
「京都ではないが……己れは江戸で商いをしている九郎というものだ。お主は?」
「オレっちはフランスでシスターをしてるピエレッタちゃんだぜ。んー? っていうか鏡ねえな……ヘーイ! カイムー! オレのマイエンジェール! 聞こえねーかー!?」
お互いに名乗った後でピエレッタと言うシスターは大声で叫んでみたが、虚しく部屋に響くだけだった。
「ホーリシット。オレの頼みの綱な天使様からも連絡がこねえぜ。バランガバランガ」
「……」
少し頭が宗教ヤってるんだろうなあと九郎は生暖かい目で見ながら、部屋の扉に手を掛けた。
「手の込んだ悪戯を仕掛けられたのかのう……ちっ」
ガチャガチャノブを回すが部屋のドアはあきそうに無い。
九郎は舌打ちをしてドアに蹴りを何発も叩き込む。木製の材質ならば破壊できる脚力で、部屋全体が揺れるような音が響いたがドアは凹みもしなかった。
「開かねえなあ。シャッガンでも無理そうだぜ」
「ちょっと危ないから下がっておれ」
九郎は術符を取り出してドアにかざす。
「わお。すげーマホー。相当スキル鍛えてるな」
次々と巻き起こる炎、雷、水からの氷結、更に温度差での破壊を試みるが、隙間ひとつ生まれない。
「──ブラスレイターゼンゼ」
更に疫病の鎌を取り出して強腐食性の毒をドアの隙間に染み込ませるように浴びせかけるが、ガスが発生するだけで材質に一切変化は起きなかった。
「クソ。あの魔王の仕業だろうが本気を出しおって……っと! しまった、毒ガスが出たか!?」
毒から発せられる異臭に九郎が振り向く。自分は毒無効だが、この密閉空間では他人にとって猛毒になりえるだろう。
だがピエレッタは顔をしかめて手を翳す。
「[解毒]っと! どうやらマジで閉じ込められたみてえだな」
彼女の持つスキルの聖医術を使って毒が分解されて清浄に戻っていく。九郎は胸を撫で下ろした。怪しい術の使い手らしいが、自分もそうなので珍しいわけではない。お互いにそう思った。
江戸に天狗が居るならフランスに妙な回復魔法を使うシスターが居ても不思議ではない。実際、フランス王の中には手で触れただけで病気を治したという逸話を持つ者も実在した。
「ううむ、己れの怪力と術ではどうにもできぬようだのう。お主は何か特殊なことができるか?」
「うーん……残念ながらオレっちってば、鳩や蛇を呼び出したり傷を癒やしたりするぐれえしかできねえなあ。ま、水と食料と火には不足しねえか」
「便利は便利だのう。しかしどうやって出たものか……」
「方法は書いてるんだけど、まあもののズバリ実は問題があるんだ」
「ん?」
九郎が首を傾げると、ピエレッタはベッドに腰掛けながら指を立てて言う。
「オレの持ってる[聖乙女]ってスキルだと、粘膜接触した男は呪われて死ぬらしくてな。まあつまり、出るためにやむを得ないとしてオレとセックスしたらオタク死ぬぜマジ」
「……マジか」
「マジマジ。いや、貞操が惜しくて言ってるんじゃないんだぜ。九郎っちがどちらさんかは知らねえけど、なんというか不幸なことになるから良しといた方がいい。セックスどころかキッスしたりシックスでナインなことしてもアウトらしいぜ」
シスターが指で輪っかを作ってズボズボともう片方の指を出し入れする動作をしながら真顔で説明する。
どうも見た目は清楚な美少女といっても差し支えないのだが、言動やら仕草が限りなく残念だと九郎は思った。自分では嗜好れないタイプといったところだろうか。女として見ずに友人として見れば好ましいのだろうが。
「これでも己れには嫁も子供もおるのだ。他所の女を抱いたことが原因で死んだら情けなさすぎる。方法を考えよう」
そうして二人はどうにかセックスをしないまま脱出できないか探り始めるのであった。
部屋の棚や隙間を探し回り、風呂場にある上下水道はこじ開けて内部を蛇で探索したり、広げようと破壊したりした。
鉄板でも焼ききれるぐらいに炎熱符の出力と指向性を高めて、扉のみならずありとあらゆる場所を壊そうと試みる。
休み休みすればいい案が浮かぶかと、何事も無く鳩や蛇を焼いて腹に収めてベッドで並んで睡眠も取った。その際に、食料はあるけど塩分は不足気味になることを確認しあって早い脱出をお互いに誓う。
互いの発想や落ち着きから、
((年の割にしっかりしたやつだな……))
と、思うのだった。九郎はもちろん、このピエレッタは転生者でありまったくもって言動から察することはできないが精神年齢は七十を越えている。非常に軽薄な言動だが前世で中年になっても老人になってもこの調子だったので変わらないだけだ。
しかしまあそれどころではなく、様々な方法を試した結果。
「……ダメだ。こうなれば外からの助けを願うぐらいだが、これだけ本格的に監禁している状況では難しいのう」
「マジかよ。オレが何をしたってんだ。ヤハウェ様ブッダ様助けてくれー」
「微妙な二重信仰だのう……」
途方に暮れてお互いにため息をついた。
或いは聖乙女のスキルが無ければ、やむを得ない事としてセックスは既にしていたかもしれない。その程度には割り切っている二人なのだが、命が懸かるとなればお互いに慎重である。
「何か裏テクとかねーんですかね九郎パイセン」
「裏テクのう……うーむ己れが女体化してレズるとか……いや、元男がそれやって呪われないか確証がなあ」
「便利なパワー持ってるなあオタク」
実際試してアウトだったら危険なため、あまりピエレッタと接触するのは気が引けた。
「……待てよ? 女同士セックスの可能性があるなら……よし、ピエレッタよ。いい案が浮かんだぞ」
「オレもだ。まずは悟りを開く。そして解脱する」
「それは後にしろ。いいか、お主の鳩召喚でも蛇召喚でも良いが、それで呼び出した動物同士に交尾させるのだ。セックスしないと出られない部屋とあるが、人間同士とは書いておらぬだろう?」
九郎の提案にピエレッタは目を丸くした。
「……そんなんでいいのか?」
「ダメだったら悟りを開いて解脱すればよかろう」
「ヤケクソだな……ま、いいぜ。それでダメだったらヤーさんに苦情入れちまおう」
ピエレッタは手早く鳩を二匹召喚し、オスとメスであることを確認してから命令をした。
「頼むぜ鳩ちゃん達。それはとても気持ちいいことなの」
扉は開いた。
「それじゃあな九郎っちさん。おフランスに寄ることがあったらシクヨロ」
「暇があれば寄ってみるかのう。お主こそ江戸に来たら案内してやるわい」
「じゃーなー」
「達者でな」
さてはて、二人はまったく異なる世界、違う時代から来ていたのでもう出会うことはないのだが──
お互いに「変なやつも居たものだ」と記憶だけは残してそれぞれの場所に戻るのであった。




