6話『駝鳥の話』
「くっ……根津のヤクザ天狗に借りた犬は期限が過ぎて持ち帰られてしまった……! 買い取ると言ったのに……!」
両国の見世物小屋で興行主である通称[濡れ手]の吉佐は歯噛みしながらそう呟いていた。
彼は近頃、大枚をはたいて購入した浦島太郎の物語を語る鶴という非常に物珍しく、或いは縁起の良い鳥として武家や大名が高額で求めてくる算段もあった見世物に逃げられてしまっていたのだ。
耳の穴から会話する報歌郎位徒初音耳作(実在の人物)と九郎から借りた普通の犬に、姿を消した靂が声を担当した見世物でどうにか誤魔化してきたがそれも昨日までであった。
いつまでも靂を貸しておくわけにもいかないので予め期限を決めていたのだ。伯太郎の方も、自分の犬を引き取らせる先としては見世物小屋は論外だそうだ。それに、喋らなくなった犬を預けてはひどい目に合わされるかもしれない。
「だが次の見世物が長崎からそろそろ届くはず……! 今度は駝鳥だが、餌代が嵩むのが難だな……渋柿を集めておかねば……ある程度稼いだら好事家に売るか……」
基本的に巡業というか、長崎からの見世物興行は寄る先々の大きな町で行うのだが大体は江戸が終点になる。これ以上北に行っても労力と採算が合わないため、ここで最後の一稼ぎをしてまた引き返すかお役御免になる事が多かった。
声に出しつつ計画を確認していると、手下であるガラの悪い男が慌てて駆け込んできた。
「てぇへんだお頭! 板橋あたりでで駝鳥を入れた籠が転げて、二匹とも逃げちまいやがった!」
「なんだと!?」
板橋というと木曽路こと中山道で、江戸から一番近い宿場町である。両国から10km程度の距離だろうか。
見世物の動物を運ぶ際には東海道ではなく中山道をよく使われた。というのも、距離が長く道は険しいのだったが関所が東海道よりも厳しくなくて、宿の値段が安い。それに東海道と違って川を担がれて渡ることが無く水の氾濫で足止めされることも少ないので安定して進めたのだ。
「なんでも内側で二匹が喧嘩をした勢いで籠を蹴りつけられて壊れたとかで……」
「馬鹿野郎! 駝鳥は死ぬほど凶暴だから一匹ずつ積めって言っただろうが! くそっ……飯の種が……いや、それよりも」
吉佐は口を手で覆って脂汗を額に浮かべながら、興行の失敗より危険なことに思い至る。
駝鳥は言わずもがな大型の鳥類である。重さは二十貫(約75キログラム)にも達して運ぶのに苦労したほどだ。その巨大さを売りにして人を面白がらせるのだが──大きいということは力が強いということだ。
彼も動物を見世物にしている興行主の端くれとして、駝鳥に蹴り殺された同業者の話を聞いたことがある。実際に足は太い上に鋭い彫刻刀のような爪が生えているのを吉佐は見ていて、「蹴られたら死ぬな」と納得したほどだ。
そんな野生動物が江戸近郊に放たれた。しかも二匹。
もしそれが農民や町人を襲って──いいやそれだけならまだしも侍を蹴ったり大名行列に突っ込んだりしたらどうなるだろうか。
道中でさんざん、吉佐本人は居ないが一味は興行を行ってきていて駝鳥を持って江戸に向かっていることは一目瞭然だった。
そんな中で江戸で駝鳥による傷害事件が起きて、俺の駝鳥じゃないとか知らないとか言い訳ができるはずもない。
例えば荷車で人を跳ねれば死罪か遠島になるほど、江戸時代では業務上過失致死の罪は重かった。
(まずいぞこれは……)
吉佐は駝鳥が走っているところも見たことがあるが、少なくとも人間が追いつけるような速さではない。
ついでに大量の餌が必要ということは、その餌を求めて広範囲に走り回るということでもあった。
そんなものを一介の興行主とその手下が探して捕まえられるだろうか。
まだバックレた方がいいかもしれないが、もし被害が出た場合は二度と江戸では商売できなくなる。下手をすればお尋ね者である。
「こうなれば……天狗に頼むしかねえ……!」
********
九郎の疑似労働店舗[船月堂]では今日も今日とて、出勤すれば働いていることになると信じている男二人が無為な時を過ごしていた。
しかしながら貸本屋としての体はしっかりとしている。本は作者別に丁寧に棚に並べられ、おまけに表面を薄く研磨して新品同様になっている。小口に九郎の店の商品であることを示した印が押されて転売防止を狙い、貸し借りしている本の一覧は清書されて冊子としてだけではなく入り口付近に張り出されている。
それらを全部整えたのはこの店に不定期に訪れる女中のイモータルである。九郎の嫁たちや小唄も最初はどうにかしようとしたのだが、男二人から「自分らでやるから信じて任せてくれ」と云うので手がつけられないままだった整理整頓を本職の女中に丸投げした形であった。
一応は店の中を整えつつ、あまり繁盛しない程度に宣伝などは控えているのであったが。
その日は靂が書き物をしている隣で、九郎の着物を着たままなお九がカラー雑誌を手にしながら指示していた。
「よいか。いい感じに訳して書くのだぞ。
『生まれたばかりの赤子との生活注意点
・赤子が欲しがるだけ母乳をやること。
・暑くも寒くもないようにしてやること。
・おしめは濡れたらすぐ取り替えること。
・赤子がうつ伏せになったりして窒息しないようにすること。
・赤子とたくさん触れ合うこと』」
「一気に言わないでくださいよ……っていうかなんですかこの作業」
「育児本の出版だ。まあ、内容はイモ子が持ってきたひよこクラブの丸写しなのだが。これは売れるぞ多分」
お九が手にしているのは未来の日本で出版されている育児雑誌であった。それの内容を口述し、靂にこの時代でも通じるように書き直させているところである。
子育ては殆どの女に直面する問題である。しかしながら大体は経験者による助言程度の情報で右往左往する母も多い。九郎の家とて、大勢が協力しなければ──いや、しあってなお大変である。
そこで江戸でも初めての出産育児に関する本を丸パクリで出すのは、嫁たちへのさり気ないフォローである。そういうのは初子が生まれたあたりでやれという話でもあるが、思いついたのだから仕方がない。
「どうでもいいですけど、これ僕の名前で出版しないでくださいよ。内容は九郎さんが決めてるんだから」
「ふむ。では架空の女流作家ということにしておくかのう。挿絵は歌麿に頼んでおこう」
「あとなんでいきなり女体化してるんですか」
男用の着物そのままに体だけ女体になっているので、全体的に細くなって着物が緩まり、かつ胸元だけが窮屈そうに谷間を覗かせていた。
「イモ子が菓子を作るというのでな。甘い食い物はどうも女になっていた方が旨く感じるのだ。味覚が変わるのだろうのう」
奥にある茶の湯を沸かす程度にしか使わない竈でイモータルが材料を買ってきて調理をしていた。砂糖を熱した甘い匂いが漂ってきている。
「……最初の頃は性別変えるとやたら痛いからやりたがらなかったのに」
「慣れた」
「嫌な慣れだ……」
おまけに当初は女として行動するのにもどこかギクシャクしていたのだが、近頃は自然と性根の悪い女のような行動をしている、と靂はため息をついた。
「お待たせ致しました。黒糖クリームあんみつだと紹介致します」
「おっ来た来た」
和服の上に割烹着のような前掛けを身につけたイモータルが、二人分のあんみつを白い椀に盛って運んできた。
寒天と茹でた赤えんどう豆、干し柿、求肥、こし餡、剥いたみかん、牛乳豆腐が色合いよく配置されていて、上に黒糖を混ぜた薄褐色のクリームが添えられている。
靂も特別甘いものを買って食うほどではないが、そもそもこの甘い菓子の少ない時代では甘い物を嫌う者も少ない。見ていて唾が口の中に溜まった。
「寒天・求肥・牛乳豆腐・黒糖クリームは多めに作り致しましたのでお土産にお持ち帰り致してください」
「おう、うちのが喜ぶ。お初とか子供らも甘いものが好きでのう」
「それでは名残惜しいですが、イモータルは一時帰還致します」
「おや? 帰るのか。一緒に食って行かぬのか」
頭をぺこりと下げるイモータルに名残惜しそうにお九が云う。
彼女は真顔のままで淡々と理由を告げた。
「魔王様が現在入浴を終了したものの、髪の毛を乾かすことを怠ってゲームを始めましたもので。このままでは風邪を引く可能性があると判断致します」
「あやつも子供ではないのだから……まあ暫く放って置いても大丈夫だろう。イモータルの淹れた茶が飲みたいのう」
「……仕方ありませんと優先順位を一時的に変更致します」
侍女としては茶を頼まれた際には主人のメンツにも関わるので決して断ることができない要求なのである。
鉄瓶に入れた水を即座に白熱する金属棒型兵装[火尖槍]で沸騰させ、店にある安物の茶器とそれなりに高級な茶葉を使って適切な温度に調整した湯を注いで茶を淹れた。
お九は茶を一口すすり、満足そうに頷く。
「うむ。旨い。それからこのあんみつがまた良いのう。餡の重くて甘いのと、クリームの軽くて脂肪分が補完しあって、果物の爽やかさと寒天などの歯ごたえがまた……」
「確かに絶品ですけど……なんというかお九さん」
「なんだ?」
「女性から世話をされずとも大丈夫といった感じでここに来てるのに、思いっきりこの女中の芋子さんから施しを受けているような……」
「はっはっは。大丈夫だ。今この状況では、施しを受けている男はお主一人だし」
「ひどい」
靂は急に居心地が悪くなった。気兼ねなく、ちょっと社会的にアウトサイダーな男二人の仕事場だったというのに九郎がお九に変わっただけで人をからかってくる性悪女とのマンツーマンになってしまう。
「ほらほら! 見てみろ靂。イモ子は旨い食い物を食うと目が光るのだぞ!」
「なにそれ怖っ……」
お九が膝をついて座っているイモータルに、匙であんみつを食べさせて靂に見せた。確かに彼女の目が点滅しているようだった。
きっと九郎と古い知り合いであるらしいこの人形みたいな女中も人間じゃないんだろうなあと軽く引く靂であった。人外の天狗と人形と楽しいおやつタイムである。
その時、
「すみませーん! 本返しに来ましたー! あとこれうちの秘伝の編み方で作った細くて軽い鎖帷子をお九さんにお土産に──」
覆面を被った常連の忍び、助蔵が本を片手に店にやってきた。
時折彼らは結婚相談とついでに店にお九かイモータルが居ないか期待してやってくるのである。彼らにとってお九は美人なのに親しみやすいお姉さんで、イモータルは無口無表情だが不思議な気品のある憧れの女性なのだ。
正直、あまりにモテなさすぎる独身忍者たちにとっては自分らを不審者のように見てくる女以外にはすぐにチョロる性質がある。まあ、その不審者に見られる原因は覆面に八割方原因があるのだが。
その日も声にどこか弾みを持たせて店の暖簾をくぐり──
番台で左右をお九とイモータルに挟まれて、目の前で彼シャツめいた男物の着物を着崩しているお九がイモータルにあーんして食べさせているシーンを見ながら「やれやれ仕方ないなあ」みたいな白けヅラをしている靂を直視してしまった。
「シャバアアアア!!」
「うわああクナイ飛んできたああああ!?」
靂のすぐ近くの番台へと、鉄で叩いた音と共に金属が突き刺さった。
深々と刺さるクナイから顔を上げると既に入り口に助蔵の姿は無く、クナイには紙が縛り付けられている。嫌な予感を覚えつつその紙を開くと「今晩夜道を歩くのを待っている」と書かれている。
「……すぐさま投げてこの文書ついてたってことは、いつか使おうと用意していたってことですよね」
「人気者だのう」
「僕も鎖帷子、用意しようかなあ……! あと暫くは日が落ちる前に帰らせて貰いますので」
まったくもって靂にとってお九は厄介な相手であると感じた。そもそも、小唄やお遊の行き過ぎた靂を巡る仲違いを止めるためにお九という自分と親しいという設定で付き合いを始めたのが間違いだった気がしてくる。
そんな彼のぞんざいに扱う態度がまた忍び達の勘違いを招いて殺意を増させていくのだが。かと言ってお九と仲の良いフリをしても死罪。袖にした扱いをしても死罪。彼には逃げ道が無い。
悲しい気分になっても、イモータルの作ったあんみつは旨くてため息が出た。
「靂様。口元にクリームが」
「はっはっは。子供みたいだのう。そんなに旨いかよしよし」
お九が笑いながら靂の頭をがしがしと撫でて、イモータルがハンカチでクリームを拭う。今度は手裏剣がどこからともなく飛んできて番台に突き刺さった。
「番台の傷も増えたなあ……」
そのような日常を送っている船月堂であった。
それから暫くし、イモータルが帰っていきお九も九郎の姿に戻ると靂もほっと落ち着いた。
そうして再びひよこクラブの江戸ライズ作業を二人で進めていると、見世物小屋の興行主である吉佐がやってきたのであった。
「逃げたダチョウを探してほしい?」
「へえ」
と、九郎の店へ頼みに来た吉佐は頭を下げて頼み込んだ。
それはさておき、九郎は頭のなかでダチョウの姿を思い浮かべながら尋ねた。胴体が丸く、首が長く、細長い足で背中に人とかゴリラとかを載せて走る動物だ。
「前は喋る鶴で今度はダチョウ……どこから捕まえてくるのだ?」
「駝鳥の方は、南蛮人が長崎屋に売ったものをこっちが買い取ってるんでさあ。他にも薩摩からゴホンゴホン」
「……まあ、どうでもいいが」
どうも怪しい密輸ルートが存在しているようだ。
薩摩の場合琉球貿易も行っているのでそれ以外のルートで貿易をして他国の品を自然と手に入れても誤魔化しが利くのである。
失せ物探しという依頼はこれまでも受けたことはある。中には近所の子供が、飼っていた猫が居なくなったので探してほしいという頼みもあった。しかしまあ、ダチョウは初めてである。
「受けても構わんが……そのダチョウが何処か江戸から離れて遠くに逃げたという可能性もあるぞ」
「そ、それならまだ構わんのですが、江戸の町中に来て暴れられでもしたらと思うと……」
「仰天はするだろうなあ」
「近くに居た罪もない者が何人死ぬことになるやら……」
「そこまで危険か!?」
どちらかと言うと九郎は牧歌的な印象を覚えていたので、ダチョウと阿鼻叫喚の図がどうもしっくりと来なかった。
「ともかく。範囲と期間を決めて探させて貰うぞ。それで見つからずとも活動費は貰うからのう。こっちも人を使わねばならんのだから」
「へえ……わかりやした。それでお願えします。それと、どうしてもヤバイ時以外はなるべく生け捕りで……」
「わかっておる。まあ……とりあえずはやってみよう」
「お頼みしやす……! このままだと蹴り殺される被害者が……!」
「そんなにか」
ひょうきんな顔つきをしていた記憶のあるダチョウとかけ離れた危険度であるようだ。
とにかく、吉佐の方も人を出して探してみると店を後にしたので九郎も仕事を始める。
「よし。では己れは狩りの達人である晃之介に声を掛けてくるから、靂は甚八丸のところへ行って暇な忍び連中に伝えてもらえ。忍びが居所を見つけたら晃之介を呼んで生け捕りにさせよう」
「え。僕が忍びの方に行くんですか。いやちょっと今は……」
先程、お九とイチャついて脅迫されたばかりなのだ。噂が広まっていれば非常にまずい。
特に甚八丸に関してはここ数年ひたすら靂と折り合いが悪い。年頃をとうに過ぎた娘を預けているのに祝言も挙げずにキープしつつ他の幼馴染とも一緒に暮らしてかつお九まで親しいのだから当たり前であるのだったが。
「だから妙な噂が広まる前に己れの仕事の話を広めておくのだ。助蔵だってお主を抹殺することより仕事があればそっちに参加するはず」
「ううう……嫌だなあ抹殺」
「あと甚八丸の嫁は『お義母さん』と呼ぶと凄い喜んで味方になるから積極的にな」
「結婚詐欺師やってる気になってくる」
「ならとっとと嫁に貰ってやれ」
「まだちょっと……今それを選ぶとお遊が自殺しそうで……逆を選ぶと甚八丸さんに確実に殺されますけど」
「命の儚い状態だのう……」
お遊は攻撃的な奪い合いこそ何年ものメンタルケアでかなり削がれたものの、それでもまだ過激なところが残っているらしい。
疑似家族状態で維持するのがお遊にとっては安定状態なのだが、そうしていると小唄関連がこじれだす状況であった。
「とにかく、忍びの方は任せたぞ。甚八丸とも仲良くなれるように努力をしろ。なんなら女体化させてやろうか」
「どっちを? ……どっちをですか……どっちにしろ遠慮しときます」
********
九郎が六天流道場を訪れると、ちょうど弟子である中山新助と菅山正太郎の少年二人が組打ちをしている最中であった。
道場の屋根の上で。
木剣と六尺棒をそれぞれ両手に一本ずつ持ちながら、お互いの武器を抑えては奪い合ったり蹴りや体術を交えて剣を振るい、三角になった屋根から転げ落とそうと戦い合っている。
なお、落ちた場合のために道場の周りの地面には大量のマキビシが敷かれていて、受け身を取らねば危険だ。
子供二人は必死な顔になって実戦形式で戦っていた。
「相変わらず梶原一騎のプロレス漫画みたいな修行をしおって……」
「む? 九郎か」
近くの木の上から監督をしていた晃之介が飛び降りて着地し、九郎の隣に立った。
年の頃は三十前後になり、顔つきもかなり精悍になっている晃之介は笑顔で九郎の背中を叩く。
「どうした? お前のところの子供を入門でもさせに来たか?」
「げほっ。むう……お八あたりはさせたがっているのだがこの修業を見ているとどうもなあ……」
なにせ、十代から入門して週に数回通う程度のお八でさえ五年もすればそこらのチンピラや無頼などは相手にならない程度に強くなれたのだ。
息子にもそういう強い人物になって欲しいと思うのは親の愛情だろう。ただし、その修業の過程で血の小便が出るまで鍛え上げられたり重りをつけて川に叩き込まれたり胸が大きくならないぐらいしんどい思いをしたのは、経年によって美しい思い出に変わっているのだろう。
九郎の屋敷には三人の男児がいるが、将来何になるにせよひ弱ではいけないというのは嫁一同も同意していることではあった。
「過保護だけが親の役目じゃないぞ。男というのは自分を守れて、更には大事な相手を守れる強さが無くてはな」
「うーむ……」
「ちなみに幼いうちに修行を開始したほうが、この辛い訓練が普通なんだ……と認識して訓練についていけるようになるぞ」
「そういうところだぞ。ヤバイのは」
洗脳とも言える。晃之介自身が父から幼少時より修行を叩き込まれたので疑いもせずに強くなり、同じく常識からズレた危険度と大変さの修行を自分の弟子に施しているので子供以外の弟子が殆ど続かないという。
確かに強くて損はしないのだが、六天流は江戸時代にそぐわないレベルの強さを求めている。
実際新助らはまだ年こそ十歳前後なものの、そこらの道場で鍛えた大人では相手にならないので影兵衛は大層喜んでいた。
「あいつらも筋がいい。子供は素直に成長するからな」
「靂は?」
「……靂も実戦だとやる気を出す方なんだ。多分。修行には付いてこれてたからな」
晃之介も僅かに言葉を濁した。靂の方も道場での試合だと、お八にもお七にも小唄にもだいたい負けが込んでいた。
しかしながらどこか試合では躊躇っているような様子であったので、知らない刺客などと戦う際にはちゃんとやれるのではないかと師匠も思っている。
そもそも生半可な肉体では修行に付いてこれないので、落ちこぼれなかっただけでもそこらの者よりは強いはずであった。
「新助は父親譲りの剣術だな。恐らく父親にも稽古されているのだろう。あと負けん気が強くて向上心が高い。正太郎はどちらかと言うと柔の技が得意で、武器の奪い合いやつかみ合いになると有利が取れる。少し弱気ではあるがな」
「ちゃんと見ておるのう。これでもうちょっと怪我の心配が無ければのう」
「どこの道場だって怪我の心配はあるものだ」
「ところで長喜丸は?」
「……絵を描いている。いや、もう言うまい。せめて次男の虎次が武芸を励んでくれれば……!」
「一応絵師も親の仕事を継ぐようなものだろう」
納得させるように云うが、悔しそうではあった。
一応嫁である子興が絵師だから偏見こそないが、まだ世間では浮世絵師というとそこまで社会的に高い立場にない職業である。長喜丸は武芸の才能というか六天流で重要な体幹の感覚に優れていたので、その才能は惜しいのだろう。
幸いなことに一人っ子ではなく、五年ほど前に九郎が差し入れした蛇酒のお陰で次男の虎次も誕生していた。そちらを鍛えるつもりであるようだ。
「ところで何の用だ?」
「立ち話もなんだからと言って茶でも勧めるものだぞ」
「ははは。わかったわかった。義父上殿」
冗談めかすように晃之介は言って、屋根の上の二人に休憩にするからと呼びかけた。
二人は稽古を止めて、屋根の縁から地面に飛び降りる。マキビシが落ちている地面に踏まないように着地して、竹ぼうきでマキビシを片付け始めた。
「完全に慣れておる……」
うちの子供がこんなヤバイ特訓に馴染むのだろうか。九郎はひたすら心配であった。
道場の中で子興を呼んで茶を用意させる。土産としてイモータルの作ったこし餡を手渡すと彼女は一口つまみ食いをしてから小躍りして喜んだ。
「わあ、これあれでしょう。お父さんのお友達の女中さんが作ったやつ。美味しいのよねえ。あんまり会ったこと無いけれど、会う度にお菓子食べさせてくるから覚えてますよう」
「そうか、そうか」
「お姉ちゃんって感じよね。見た目的には小生の方が年上なんだけど」
「うむ……」
イモータルは同じくイリシアの生まれ変わりである歌麿にも菓子を延々と与えていた。
その行動は魔王城で四人で暮らしていたときにもよく見られ、もっと言えばイモータルの魂の一部になっているクルアハがよくイリシアにやっていたことだ。
少しばかり感じ入ったように九郎は頷いた。
「それで、晃之介。用事というのはだな……」
と、ダチョウが逃げた旨を彼に教える。
「ダチョウ? というのは流石に見たことがないな……」
「外国の鳥だからのう」
「で、旨いのか?」
晃之介が目を輝かせて聞いてきた。彼にとって概ね野生動物は食料である。
特に強い体を作るためには肉が必要という考えが彼にはあり、江戸に住んでいても野山に出かけて狩猟をよく行っている。
「ダチョウだからのう。腿肉が旨いと聞いたことはある」
「それは楽しみだな!」
「いや、見世物小屋の動物だからな。生け捕りに頼むぞ」
「なんだ、残念だな」
「ただ……見世物にした後は好事家に売るらしいから、上手いこと交渉できたら己れが買って食うか」
九郎がそう云うと、晃之介は嬉しそうに胸を叩いて「捕まえるのは任せろ」と約束するのであった。
それから弟子二人と走り込みと称して板橋近辺へと彼は探しに出かけていった。
靂の方もどうにか甚八丸と交渉して、暇な連中を山菜採りのついでに山へと探しに行かせることにしたらしい。
ただし巨大な鳥を捕まえる経験は忍びとて無いことなので、見つけたら晃之介へ報告するという方法になったようだ。
そうして二日ほど時間が経過した。
********
助蔵が仲間の忍びと共に巣鴨の野山に探しに出かけたときである。
ひとまず靂への八つ当たりと九郎の依頼に天秤を掛けた結果、こっちで活躍した方があわよくばお九からご褒美の可能性もあるので彼は真面目に探していた。
以前にも頼まれて火付盗賊改方の長官を調査したときも、多少ゲロを吐くことはしたものの目の前でお九が握った握り飯を食わせて貰ったことが彼の中では成功体験として刻まれているのだ。
そんなこんなで探していると、
「──居た!」
と、仲間が遠くを指差した。
目を凝らすまでもなくそこには二匹の巨大な鳥が固まって座っている。大きさは甚八丸のところで飼っている烏骨鶏の比ではなく、子牛ほどもあるように思えた。
何より目を引くのが鮮やかなぐらい青い首と、血のように赤い肉垂が顎の下に伸びていた。まるで口から火を垂らしているようだ。
彼らの目の前にいるのはダチョウではなく、火食鳥と呼ばれる鳥である。
インドネシアあたりに生息している地球上で二番目に重い種類の飛べない鳥で、西暦2004年には世界一危険な鳥としてギネスブックに認定された動物だった。
ところが日本ではこの火食鳥がダチョウという名前で江戸時代初期頃に持ち込まれており、その後もオランダ商船は「日本人はなぜか知らないけど気に入ったみたいだ」「闘鶏とかやってるからなあいつら」と火食鳥が喜ばれたと見て何度も持ち込んできている。
そのうちの二羽が今、逃げ出して巣鴨の山に潜んでいるのである。
「よ、よし! オレが見張ってるから助蔵! 道場の先生呼んでこい!」
「……」
「助蔵?」
だが助蔵は向かわず、懐から捕縄を取り出して火食鳥を睨んだまま目を光らせた。
「まさかお前……!」
「ここであの先生に捕まえてもらっても、お九さんの評価はあの先生のが上がるだけだろう。あの先生、美人の嫁さんが居る癖にお九さんが時々訪ねてきてからかっているらしいんだぞ……! 許せねえ……!」
「完全に私怨じゃねーか! そもそもあの先生二枚目だし強いし仕方ねえよ!?」
「お九さんは俺に優しくしてくれる貴重な女性なんだ……! ここは俺が活躍をして活躍を聞かせるためにお茶するんだ……!」
「目標低いな! いや止めとけって二匹居るんだぞ!? 一匹ならともかく……!」
「二匹目はお前がやるんだ! さあ捕まえるぞ!」
もう一本縄を取り出して仲間に渡し、助蔵は云う。
「俺らみたいな、実家でも疎まれて、女の子からは避けられて、役に立つかわかりもしねえ忍びの芸を覚えてるだけの碌でなしだけどよ、少しは自慢できるようなことをやりたいだろ!」
「助蔵……! わかった。やろう」
「よし、行くぞ。まずは俺が────」
助蔵が言いかけた瞬間、仲間が叫んだ。
「──危ないッ! 避けろ!!」
「え?」
彼が振り向くと、いつの間にか飛び上がって足の裏を見せている火食鳥がやけにゆっくりと見えた。
足はかなり太くて鱗が生え、鉤爪が刃物のように飛び出ているところまで見えた。それが近づくまで一瞬だ。体を動かす暇はない。
火食鳥の走行速度は時速50km。最大体重は80kgに及ぶ。一般的な鳥類は骨の中身がスカスカで空を飛ぶために軽量化しているが、火食鳥などの飛ばない種類の鳥は骨密度も高い。
そして何より性格は用心深いが気性が荒く、巣に近づいたことで攻撃される現地人も居るという。
(避け──無理──凄い速──死──!?)
最大限体重を込めた飛び蹴りが、助蔵の胸に叩き込まれた。
どう、と肉を打つ音と鮮血が舞い散り、肺が潰れたような呼気を吐きながら助蔵は背後に吹き飛んだ。
「助蔵ォ!! うおおおくそッ化物め!!」
もう一人の仲間は手のひらに隠した鉄菱を火食鳥に投げつけるが、蹴り足を振り回すようにして弾き飛ばされてしまう。
それでも警戒した様子を見せたので一目散に彼は吹き飛んだ助蔵を担いで逃げ出した。
(背中から襲われたら死ぬ!)
そう思いながらも助蔵を見捨てることもできない。荒い呼吸をしていて、爪が食い込んだのか出血も胸から見られた。
「死ぬなよ!」
「お……九……」
「呼んでやるから! 少し待ってろ!」
──そうして、負傷者を担いで甚八丸の屋敷に駆け込むまで声を掛け続けた。
*******
火食鳥による犠牲者が出て今際の際にお九を呼んでいるという連絡が屋敷に来たので、お九と医者の将翁、それにスフィは急いで甚八丸の屋敷へ向かった。
甚八丸に様態を聞くと、
「とりあえず処置しといたが、蹴爪が深く胸に刺さらなかったから一命は取り留めたところだな。あいつ鎖帷子着てたから。だが心の臓を打ったせいか脈が不確かでな……」
元々助蔵は鳥取藩出身で、鎖帷子を作っている職人の家系だったらしい。体の邪魔をせずに軽いもので、普段でも着ていられるのが売りなのだという。
それでも時速50kmからの蹴りは体に堪えて、肋骨がへし折れて心臓も衝撃で弱っているようだ。
「任せておけ」
と云うお九は二人の回復役を連れて病室に入る。
そうすると枕元で声を掛けていた仲間の忍びが励ます。
「ほら、お九さんが来てくれたぞ。こんなところで弱ってる場合か」
「う、ううう……」
「よしよし、もう大丈夫だ。フォーメーションで行こう」
「なんか便利なフォーメーションじゃのー」
「とにかく治療ですぜ」
そうすると、お九が患者を膝枕してやりつつ快癒符で体力回復。
スフィが頭を撫でつつ耳元で精神を落ち着け、麻酔効果のある歌を静かに囁く。
そして将翁が肋骨を触診して痛覚が麻痺している状態で矯正。打ち身に利く湿布をして保護。胸に食い込んだ傷を縫合。
強制催眠フォーメーションを使う三人だが、こうして術と歌と外科内科による治療フォーメーションも組める便利な三人組である。
「後は脈を正す薬ですが……こいつが死人でも起きそうなぐらい苦えのが問題なんですがね」
胡乱げな半分目の光が無い眼差しで助蔵は自分に施される治療を受けていた。
柔らかい太もも! スフィの美しい囁き! 将翁のエロい手つきで触診!
(怪我して良かった! 怪我して良かった!)
怪我の功名というが、思ったよりも嬉しい状況だった。
というか弱ったフリをして同情を引こうとしていたところも、実のところ無くはなかったのである。多分3日もすれば勝手に起き出して来ていただろう。
「そんなに苦いのかえ?」
お九が将翁の取り出した丸薬を珍しそうにつまんで見る。
「ええ、そりゃもう」
「ううむ。どれちょっと気になる……」
と、少しだけしゃぶるつもりでお九が丸薬を口に入れた。
病人以外が摂るべき薬ではないのだが、毒を無効化する体質なので平気なのだ。
するとすぐにお九は顔を顰めて手のひらに吐き出す。
「うえっぺっぺ。苦すぎる……」
「苦いので患者が吐き出してしまうのが問題なんですが」
「ううむ……おい助蔵。ちゃんと飲めるか?」
助蔵は。
お九がつまんでいる、唾液で濡れた丸薬を前に躊躇いなく口を開けた。
「ご褒美です」
──苦さで悲鳴が上がったが、彼は決して吐き出そうとしなかったという。
様態の安定した助蔵はさておき、どうやら六天流道場にも連絡が行ったようで晃之介が狩猟用の縄を持って駆けつけてきた。
「なるほど。人を半死半生にするほどの凶鳥か。楽しみになってきたぞ!」
「早速見かけた巣鴨へ行ってみるか。己れも念のために行こう」
「お九さんも? 危ないから待っていた方がいいぞ」
と、お九は今女装していることを思い出した。
着物まで完全に女物を身に着けているので、ちょいと変身解除して姿を現すわけにもいかない。
だが依頼を受けた責任者として見届けもしないのもどうかと思って、
「いや、ついていく。九郎に任されておるからのう」
「そうか……それにしても九郎のやつは何をやってるんだ? お九さんに頼んで本人は」
「あ、いや、うん……ええと……薩摩人とチェストしてるんじゃないか?」
将翁とスフィが後ろでくすくすと笑っていた。
「なんなら私もついていってやろうか? 鳥を見つけたら大声で気絶させてやれるがのー」
「いや、スフィは待っていてくれ。毎回頼むと沽券が……」
「ふみゅ。ま、鳥ごときが相手ならくろ……オキューなら大丈夫じゃろ」
「お九な」
そう言って、現場に居合わせた忍びの先導でお九と晃之介は火食鳥を捕まえに向かった。
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さてはて、火食鳥は一日に20kmあまりも餌を求めて歩き回るという。
しかしながら一行が現場に戻ってきた際には、まだ二匹はそこに残っていた。体の大きな方がウロウロと周囲を歩き回り、小さい方が座ったまま動かない。
「なるほど、大きいな」
「ダチョウというか火食鳥というやつだのう。確か」
「そうなのか? 火を食うとは珍妙だが……火を吐いたりはしないのだよな」
「うむ。だが蹴りが強力らしいな」
物陰に隠れて様子を伺う。
二匹同時に相手をすると、一匹を捕まえても逃げられてしまう可能性がある。
「! しめた。デカイ方が離れていくぞ。興行主から聞いた話では、毎日柿を二十も三十も食うらしいから餌を探しておるのかもしれん」
「なるほどな。ではまず残った小さい方から捕まえるか」
「む。そうだ。晃之介は術符が使えたよな。ええと、九郎から預かってきた」
もぞもぞと股ぐらに手を突っ込んでお九は術符を取り出し、晃之介に渡す。
妙にホカホカした術符を手に取って、晃之介が一瞬硬直してから慌てて取り落とす。
「いや待て!? どこから出した!?」
「はっはっは。太腿に術符入れを巻いておるだけだ」
「なんというか……いや、その……」
男形態だと腰に巻いているのだが、女装すると帯が豪奢になるために巻くことができない。なので太腿か胸の谷間に術符フォルダは入れることにしているのであった。
恥ずかしそうな顔をしている晃之介は指先で術符を摘んで拾い上げる。
(からかい甲斐のある男よ)
お九は内心でほくそ笑みつつ、晃之介が術を発動させて薄く透明化するのを見守った。
それから晃之介は姿のみならず足音や草木の揺れる音も立てずに小さい火食鳥へ近づいていく。
(飛べないならば足を縛るだけで大丈夫そうだな)
そう判断してまずは手ぬぐいで一気に火食鳥の視界を奪う。
慌てて立ち上がった火食鳥の両足に縄を掛けて両足首を縛り付けた。頑丈そうな足首をしているために容赦も不要だ。きつく離れないようにして、身体自体を地面に横たわらせた。
目が見えず、足が動かせなくなった火食鳥は観念したように動きを止めている。
(ん?)
晃之介はその火食鳥が座っていたところの落ちている奇妙な物体に目を奪われた。
同時に、ガサガサと凄い勢いで近づいてくる何者かへの対応が遅れた。それは晃之介へ向かってくるのではなく、姿を消していないお九に襲いかかりに行っていたのだ。
「お九さん! 危ない!」
「む……!」
と、襲ってくる火食鳥に気づいたお九は──攻撃を受け止めようとそちらを向いて足を踏ん張り、両腕構えて待ち構えた。
女体になっても怪力と徒手空拳の武芸の心得がある女である。
それに多少傷を負っても自己治癒力でそのうち傷跡も残らないように治る。そういう算段があったので、強力な蹴りを受け止めて捕まえようと考えたのだ。
しかしながら、それは晃之介には看過できないことだった。
彼からすれば背こそ高いが華奢な女が、男一人を半殺しにする一撃を受けようとしているのである。
おまけに彼女は子興こそ苦々しく思っているフシがあるが、彼女の義父であり自分の親友である九郎の姉なのだ。
一瞬の確認で、大きい方の火食鳥の足に生えた鋭い爪が見えた。人体へ突き刺さるに十分な尖り方をしている。
晃之介は隠形符をかなぐり捨てて最高の速さでお九を庇いに向かった。
「おおおお!!」
叫びを上げて、手を伸ばす。
自分が受け止める準備を整える暇はなかった。お九の帯を掴んで自分の方へ引き寄せ、誘導するようにこちらへ向かってくる蹴爪の前にもう片方の手を割り込ませた。
ざくりと、手のひらを火食鳥の爪先が貫通して二人の目の前に血で濡れた爪が見えた。
鳴き声を上げて連撃でもう片方の蹴り足が来る。晃之介はそれをいなして足首を掴み取った。
「両足貰った!」
晃之介は血だらけで掴んでいる足と合わせて器用に片手と歯を使い縄で縛り、横倒しにする。これで体の構造上起き上がるに起き上がれない。
「ふう。恐ろしい蹴りだった。どこぞの切り裂き同心ぐらいの威力があったな……」
冷や汗を拭う晃之介に、ぽかんと見守っていたお九は軽く困ったような表情をして、手ぬぐいを取り出した。
それを血だらけの晃之介の手に巻きつけて仕方なさそうに云う。
「まったく。無茶をしおってからに。すまんのう。己れが付いてこなかったら怪我もせんかったろう」
「いや、気にしないでくれ。貴女を守るぐらい、俺にとっては当たり前のことだ」
「おっ? なんだ口説き文句か」
「ははは。子興殿には内緒にしておいてくれ。ところであれはなんだ? 宝石か?」
晃之介に言われてお九は小さい方の火食鳥が居たところまで行くと、そこには楕円形の翡翠色をした玉が三つ置かれている。
「これは……卵じゃないか?」
「こんな色の卵があるのか。ということは……卵を守っていたのか」
「そうかものう。海の向こうから連れてこられて、見世物扱いをされて逃げた先で卵を産んだところだったかもしれんが……」
そう思うと少しばかり哀れに思えるのだが。
「──だからといって野放しにもできん。残念だがのう」
「……ところでこの卵、旨いのかな」
「ちょっと湿っぽくなってるところだから自重しろ」
「とりあえず九郎に毒味させてみるか。あいつは何を食っても死なないから」
「……」
特に晃之介にとっては、何度も行ってきた狩りの一回なのであまり思うところはなく、味だけを気にしているようだった。
こうして捕獲された火食鳥は興行主に渡されて、無事に見世物を開くことができたという。
その後の火食鳥に関しては九郎と晃之介が共同で購入し、美味しく調理された。
絶品のジューシーな赤身肉をしていて、思わず食べた二人は、
「しまった……! あの時食った卵を孵化させて育てればもっと食えたのに……!」
「勿体無いことをした……!」
と、嘆くほどだったという。
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「やれやれ、風呂に入るときが一番厄介とは」
火食鳥に怪我を負わされた翌日。
晃之介はその日も汗を流すために湯に入ることにしたが、その手にはまだ包帯が巻かれている。
ひとまず将翁に診てもらったものの、骨などにも異常はなく爪先が貫通しただけであったが、創傷は深いので暫くは安静が必要とのことだった。
それでも片手を使わないまま鍛錬をしていたのだが、汗臭いので風呂にはちゃんと入るようにと子興に言われたのだ。
そしてその際には傷が濡れないように気をつけることも。
晃之介の家の風呂は、沸かした湯を大きな盥に入れて水で薄めて入るものだ。片手を上げたまま桶に入れた濡らし手ぬぐいで鍛え上げた体を拭う。
色々と面倒であった。いつもならば水を頭からかぶるところだが、片手を庇うというのは結構に大変だ。
(これなら長喜丸でも誘って背中を洗わせればよかったか)
明日からそうしようと思っていると、浴室の木戸が引き開けられる音がした。
足音からして子供ではない。
(なるほど。子興殿が背中を流しに来た、というわけだな)
晃之介は納得がいったというふうに涼しい笑みを作った。
(うちの嫁御殿は気の利く美人で最高だな! それに胸も大きいし!)
そう思いながら晃之介は悪戯でもしてやろうと考える。
大体、奥手で女性経験も殆ど無かった晃之介と同じく男性経験が無かった子興の夫婦生活に於いて助言してくれたのは両方に経験豊富だった歌麿である。
彼から習った技術で、振り向きつつ事故に見せかけて胸を揉むという虎振弐の方という技があった。それを使うときだ……!
大事なのは下に垂らしていた片手を軽く振り上げつつ、手を上げて挨拶をする素振りでそのまま胸を揉む。
晃之介は座っていたので、立ち上がりつつその動作をして──背後に近づいていた巨乳をキャプチャーした。
「……いきなり大胆だのう」
「!? ぶはっ!? お、お九さげほっ!?」
後ろに居たのが裸のお九で、呼吸が乱れて思いっきり咳き込んだ。
そして裏返った声で叫ぶ。
「なんで裸でここに!?」
「いやーお主が手を怪我してて難儀しておるだろうなあと思って、己れのせいでもあるわけだしのう? からかい……じゃなかった、介護に来たのだが……」
非常に大胆に思える行動だが、そもそも江戸では多くの湯屋で混浴であり九郎お九も裸を晒す忌避感があまり無くなっている。なので本人的に悪戯の範疇でセーフらしい。
むにゅり。
まだ手が胸に触れていることに気づいて晃之介は凄まじい速さで手を背中に隠した。
すると殆ど背丈の同じ晃之介は、モロにお九の胸へ視線が行ってしまう。
「ほう。ほうほうほう……」
お九の視線が、そこはかとなく下を向く。
「……思ったより元気そうだのう」
「はああああ!」
「壁を叩き壊して逃げていった!?」
晃之介は涙した。なぜ涙が出るかわからないが、胸の中は罪悪感と謎の焦燥感でいっぱいだった。
一刻あまりも近くの野山を全裸で走り、冷静になった晃之介は家に戻って土下座してまず子興に事情を説明し、何事もなかったことを弁明する。
とにかく謝らねば、妻以外の女と裸で風呂場に二人きりになるとは浮気と思われても仕方ない行動だ。バレるとかバレないとかの前に謝ることを選ぶ男であった。
それを子興は深々と頷いて夫の言い分を信じる。
「晃之介さんが何もしてないのは十分わかりましたよう」
「子興殿……」
まるで観音様のような顔だと晃之介は思った。うちの妻はこんなにできた妻なのだ。なんとありがたいことだろうか。
そして一転。今度は夜叉のように冷たい顔になり晃之介は背筋を震わせる。
「それよりあのお父さん──じゃなかったお父さんの姉。あの女。人の旦那にちょっかいを出して調子に乗って……」
「し、子興殿?」
嫁が凄まじい怒りを持っているのに、他人事ではない気がして顔を青くした。
「相当痛い目に合わせないといけないみたい。二度と女を武器にできないぐらい怖い目に……でも無駄に強いし……」
「……」
「よし。晃之介さん」
「は、はい」
「次にあの女が迫ってきたら襲うフリをして怖がらせてあげなさい」
「な、なにを!?」
「女に生まれたことを後悔するぐらいの恐怖を与えてあげれば二度とやらなくなるかもしれないから……!」
「いや、それはちょっと……俺はそういうことは」
「晃之介さん」
「はい」
何か。
異様な魔の力すら感じる気がする今の雰囲気の子興には逆らえずに、晃之介は頷くのであった。
新連載「陽気なシスターが聖地を目指す~この世界は異世界であり現実の宗教・民族・国家とは関係ありません~」という冗談みたいなタイトルの話を投稿しました
https://book1.adouzi.eu.org/n9700el/
舞台は異世界の11世紀フランス。シスターの少女に転生憑依した日本人男性の田村はエルサレムへ向かうことに
魔法やスキルやステータスの出る転生ファンタジーというベタなジャンルで書いてみた軽いノリの作品になりそうです
一話ごと短いけれど第一部完までは毎日投稿ですので年末年始の暇つぶしにどうぞ
よいお年を!




