5話『喋る鶴と舞い踊り』
太平の世。日本全体で言うと貧しい地域も多く、戦が起こらないというだけで決して恵まれているわけではない時代だが、江戸や大阪など都市では庶民も健康な体さえあればそれなりの暮らしが送れた。
その日暮らしでも腹は満たされている江戸の庶民は娯楽に飢えていて、中でも見世物小屋は人気のある商売であった。
「片端者を見世物にした小屋は好かぬが、動物系ならば安定だよな」
お九は両国の見世物小屋の列に並びながら隣の靂にそう告げた。胡乱げに靂が彼女を見上げる様は、まるで蚤の夫婦のようである。
江戸の男よりも頭一つ分背の高いお九は目をよく引き、時折彼女を見かけた知り合いの町人が挨拶に近寄ってきては隣にいる靂を見つけて露骨な舌打ちをし、ガンを飛ばして去っていく。
開演一番に二人はやってきたので、周囲は混雑していた。
「っていうかなんで僕と見物に来てるんですか。嫁さんと子供連れて行ってくださいよ」
「偵察だ偵察。前にうっかり連れて行ったら手長脚長の片端者が見世物になっていてのう。豊房や石燕などは平気なのだが、他の女からは不評すぎる」
当時の見世物というと、農村などで生まれた奇形児を食わせるにも困るので人買いに売りつける例も多くてそういった者が集められていた。
靂の妹分である茨も同じような出自で、もし見世物小屋にいるままだったならば蝋石を削って作った牙に牛の角でも飾られて鬼娘として見世物になっていただろう。ついでに怪力でも披露すれば大いに盛り上がるものであった。
とはいえ流石に見世物人間は好き嫌いが別れるだろう。お八などは育ちが良いものだから露骨に嫌がる。
「動物系でも、虎を連れてきたというので皆で見に行ったらなんというかデカイ猫に縞模様を描いただけの代物で、反応に困っておった……己れも気まずかった。だからまずは偵察だ」
「じゃあなんで女装してるんですか……」
「昼間っからぶらぶらと見世物小屋に来ていたら己れが遊んでいるみたいに見られるからだ」
「今更……」
「それに女形態だとよく知り合いに絡まれて鬱陶しいからのう。男避けにお主を連れてるわけだ」
「僕への殺意がどんどん上がっていってるんですけど。その知り合いの方々からの。最近は出歩く際に懐に本を入れてるぐらいですよ。腹を刺された時用に」
「なあに晃之介から切り紙の免許は貰ったのだろう。そこらの一般人ならば楽勝ではないか」
「明らかに狙ってくる人は一般じゃなくて訓練を受けている怪しげな忍びなんですけど!?」
靂が大きくため息をついて頭をがりがりと掻いた。
このような天狗怪人が化けた女に騙されている男連中も可哀想ではある。ただお九もこの状態で色々と男を釣って頼み事などをしているので、バラすと業務上差し支えがあるために秘密になっている。探偵業は忍び連中の情報が重要なのだから。
それにしても靂からすれば、この高身長に物を言わせて人を子供扱いしてからかうし大人気なくベタベタしてくるお九のどこが忍び連中から気に入られているのかさっぱりわからなかったので不思議に思っている。ただ背の高い美女で流されやすくて距離感近くてセクハラに寛容なお姉さんなだけなのに。
はたから見れば靂という男は、幼馴染三人を行き遅れになるまで付かず離れずでキープしつつ、遊びのような仕事をして食うに困らず、やたら忍びたち憧れのお姉さんであるお九と親しく、謎の美人女中イモータルが店に掃除に来てくれるというけしからぬ者であった。
「それはともかく、今日の見世物は確か『喋る鶴』だそうだ」
「喋る……カラスあたりなら鳴き声で真似することもありますよね」
「うむ。しかし鶴が喋るのは……あまり想像がつかぬな」
お九が首を傾げると、靂が補足で説明をする。
「鶴の恩返しとかあるじゃないですか」
「いや、あれは完全に人に化けておるであろう。お爺さんが玄関を開けたら鶴がダイレクトに恩返しに来たわけじゃなく」
「凄くぎょっとしますよねお爺さん……」
「実際問題、鶴が喋れるのかのう」
「まあ……鳴き声がギリギリ念仏かなにかに聞こえるとか、腹話術で喋っているように見せるとかじゃないですかね」
そんなものか、とお九は肩をすくめる。それでも子供にはウケるかもしれない。しかしながら全員連れ出すとなるとかなり大変ではある。上の子は歩けるとはいえ。
余談だが乳幼児である自分の子供や、産後の嫁が感染症にかからないように大気中の病原菌を尽くブラスレイターゼンゼが吸収しているので、ここ数年江戸では風邪を引く者が激減したという。
入場料の十六文をお九が靂の分まで払う。受け取った見世物小屋の男はお九と靂を交互に見て靂に舌打ちをした。がっくりと頭を垂れる靂。女に支払いをさせるクズだと思われたようである。
「だからお九さん。僕の分を払わないでいいですって……」
「何を言っておる。店の主人が番頭を連れての見物だぞ。主人が払ってやるに決まっておろう」
「世間体が最悪なんですよ。この前ベタベタしてきたとき、匂いがついててうちの連中に問い詰められるし……」
「はっはっは。甲斐性を見せるのだ。しかし女体化すると体臭まで変わるとは不思議だよなあ……味覚なども変わって甘いものが好きになるし」
そう云うお九は慶喜屋で購入してきた鈴カステラを袋から一つ取り出して頬張る。鈴の金型にいつものケーキ液を入れて焼いただけの新商品だが、見た目が良くて小さく個別にでも売っているので売れ筋商品になっている。
男状態だと、まあ旨いとは思うものの多くを食べるには渋い茶が必要に感じるが女形態なら幾つでも食えそうであった。
「あんまり食べると太りますよ」
「うるさいのう。ならばお主も食え」
「うぷっ」
お九が指でつまんだ鈴カステラを靂の口に押し込んだ。
不承不承咀嚼して不満そうに、面白がるお九を睨みあげる。周囲からは舌打ちが聞こえた。いちゃついている小僧に思われたらしい。
「いらないなら持って帰ってうちの幼馴染に食べさせるのに……」
「はっはっは」
「というかお九さん微妙に行動がアレですからね。九郎さんがそういうことしてたらドン引きな絵面になると思うと本当に気持ち悪いですからね」
身長六尺の偉丈夫が部下の男に手づから口に菓子を運んで食わせる! どう見ても衆道関係である。恐らくそうなれば靂の拒否も深刻になるだろう。
だがお九は得々と語る。
「男の姿でやるやつがあるか気持ち悪い。女の姿でやるのは冗談だから良いのだ」
「良いのかなあ……」
「実際この姿で男をからかうとアタフタして面白いしな。嫁持ちのやつとか。晃之介も」
「やめてあげてくださいよ本当に。っていうかやめてくださいよ僕にも」
そのようなことを話しながら薄暗い見せ物小屋に入る。中は通り抜けできるように入り組んでいて、遠くにせり上がった台座があってそこに布と鳥かごが被せられていた。
「あの台座の下に人が居て喋るんでしょうか」
「お主な、出て来る前にケチを付け出すな」
言いながら進んでいき、男が台座近くに現れた。
「此の度お見せするのは松前にて捕らえられた人語を喋る鶴! 彼の地では経立と呼ばれる長生きした動物変化の妖怪がございますが、鶴は千年生きるというのでまさに長命にて化けた怪鳥でございます! それでは御開帳──!」
と、男が布を開けると木製の格子籠に入れられた鶴がおり、足を丁字になった棒に括り付けられていた。
棒が縦に伸びて鶴が止まっているものだから、下の台座から声を出せばすぐにわかるだろう。ロウソクの明かりで照らされた大きな白黒の鶴が嘴を開くと──
『昔昔、水の江に浦の島子と云う若い男が居た。男は鯛や平目を釣って生活をしていたが、あるときに助けた鯛や平目から誘われ、常世の国にある竜宮城へと向かっていった。そこでは鯛や平目の舞い踊りで饗され──』
そう、口から人間の言葉を。
いや、文章になった物語を語りだしたのである。内容はどうやら浦島太郎のようであった。
声質は低い男の声であるように思えたが、鶴は首を上げて高い位置から語っており、実際に頭の上から声が降り注ぐように聞こえるので本当に喋っているようにしか思えなかった。
その鶴の声に見世物小屋に入っていた客は驚きどよめいた。お九と靂もびっくりして耳を澄ませて聞いた。
『竜宮城では毎日鯛や平目料理が出されて、それを食べながら鯛や平目が踊るのを見ていると得も知れぬ残虐な気分になったが浦島は三年あまりも常世の国で過ごしていた。そして帰る際に匣を渡されて常世の国に戻りたいのならば開くなと姫に言われ──』
「微妙な脚色が入っておるが、さっぱり原理がわからん。本当に鶴が喋っているのでは?」
「そんな……鶴の口からあんな明瞭な言葉がどうやって」
「スフィでも連れてくれば良かったかのう」
そうして見ていると、どうやら見物に来ていたまだ小さい子供が、鶴が本物かどうか疑ったのか持っていた指先ほどの小さな粟餅を投げつけた。
餅は偶然ながら非常に正確に鶴に飛来して赤色の肌が見える頭にこつんと当たる。
『痛っ。誰だ今なんか投げたのは。ついばむぞコラ』
鶴は当たった箇所を押さえるような仕草と、羽で飛んできた方を指し示してそう言葉を放つ。
明らかに意思を持った喋り方であった。会場が一気に湧き上がった。
「喋ったあああああ!?」
「うわああ化け鶴だあああ!」
──大いに盛り上がった見世物小屋は話題を呼び、翌日からは見物料が倍額になっても満員御礼であったという。
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それから後日、感心した九郎が家族を連れて見物に来た。
これには子供のみならず嫁たちも大喜びで鶴の語る浦島太郎を聞いていた。豊房・石燕・将翁のオカルト組は正体の考察で盛り上がるし、お八にサツ子は子供たちと一緒になってはしゃぎ、夕鶴は九郎と並んで背の高い体を活かして見たがる子供を肩に載せてやっていた。
スフィもじっと確認し、
「確かにあの鶴の口から声が出とるようじゃな、クロー」
と、スフィも鶴が人語を確かに喋っていることを保証する。
「鳥には声帯が無く、鳴管という器官を震わせて音を出すのじゃがこれの形状か筋肉の付き方次第では人の声に似た音を出せるのじゃな。まあ、そこは突然変異でもあり得なくはない話じゃが鶴自体が意思らしいものを持って喋っているという点は異常じゃのう。ひょっとして魔女の呪いで人から鳥に姿を変えられたのではないかえ?」
「うちのイリシアではないだろうな……まあ、まさかイリシアが変身させた何者かが、異なる世界でこの時代に現れることなど偶然でもあり得ぬだろうが」
その時、江戸城で一人のオークがくしゃみをした。
まさに被害者が暮らしているとは、何度も会っているのだがつゆ知らずに九郎はつぶやく。
「しかしあの鶴はなぜ延々と浦島太郎を繰り返しているのだろうな……」
「ふふふ九郎くん! 浦島太郎は類話として日本中に似た話があるのだよ! その中では最後に玉手箱を開けた浦島太郎は老人になり、更には鶴になって飛び立っていったという話もあってね。案外あの鶴は変身した浦島太郎なのかもしれないね!」
「ほほう」
「ちなみに多くの話では浦島太郎の番になるのは龍王の娘ではなく、女体化した亀でね。最後に鶴になるのは亀と共に末永く生きるためという説と、鶴と亀では生息地が異なるので二度と会えなくなることを暗示しているという説があるよ!」
「確かに鶴は海にはおらぬよなあ……」
石燕の仮説を聞きつつ、九郎は今日も浦島太郎を語る鶴を見遣った。
ふと、鶴と目があった気がした。
だが後ろからの客に押されて、九郎家族は前へと進ませられて外へ向かっていく。この日も満員で、江戸中から見物に来ているのではないかというほどなのだ。
「父さま! あれ可愛いね!」
「はっはっは。お初よ、そうだのう。よし、今晩忍び込んで捕まえてこよう」
娘に言われてにこやかに云う九郎を嫁らがつねって止める。
「やめなさいよねあなた」
「マジでやるなよ旦那様」
「代わりに自分がお話をするでありますよ! よく喋る夕鶴お母さんであります!」
「わたしが薩摩の、くらげと猿が龍宮城に行く話をしてあげる」
「ならば石燕お姉ちゃんが本当は怖い! いんすまうす竜宮城で夢にまで出てくる恐怖を……!」
「それより和歌の勉強でもどうですかね。興味があるうちに覚えておけば役に立つ」
などと子供らと盛り上がりながら九郎一家は見世物小屋を後にするのであった。
翌日の早朝。
九郎の枕元に例の鶴が立っていてじっと寝ている彼を見ていた。目を開けてまず飛び込んでくる鶴の姿。九郎は言葉を失ってしばらく硬直した。
『どうも。浦の島子と申す者だ。貴殿が噂の厄介事を請け負う天狗、九郎という人だろうか』
「話しかけてきた!?」
思わず飛び起きて後ずさりに鶴と対面する。近くで見るとかなりの大型で、立っていると床から四尺は体高があるだろうか。
九郎は感情の読めない鳥の表情を見ながら言葉を返す。
「う、浦の島子というと……浦島太郎か? ええと、本人が鶴になって飛び去ったという」
『左様。もう千回以上季節が巡った過去になる』
「まさか石燕の推理大正解か……」
この人語を解する鶴の正体はまさしく昔話の伝説に出てくる浦島太郎本人が鶴に転じた姿のようであった。少なくとも、本人──本鳥?が云うには。
「その浦島がどうして見世物小屋に?」
『長生きして昔を忘れぬように時折ああして言葉に出して語っているのだが、それを人間に見られたところ珍しい鳥として捕まってしまった』
「なるほど、それで己れに助けを……っていや、自力で逃げ出してるなお主」
足には括り付けられた縄は無い。どうやら夜は外しているか、解いてやってきたようである。
朝に今が大人気の喋る鶴が逃げたとなれば興行主は大慌てになるだろう。
『貴殿に頼みがあってやってきた。竜宮へもう一度行き、心残りを消したいのだ』
鶴の言葉に、九郎は神妙な顔をした。
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浦島は元々江戸に来る予定だったようだが、様々な事情があってなかなか訪れられなかったらしい。
九郎の噂を聞いたのは蝦夷地に渡っていた頃。同じく人語を喋るシトゥンペカムイという黒狐の神霊から、それなりに信頼できる人間として紹介されたという。シトゥンペカムイは狐仲間である将翁の知り合いで、蝦夷地の薬草を採取したり高麗人参を植えてみたりと阿部一族が活動していたもので縁ができたという。
一度だけ鬼に囚われた将翁を救うため、シトゥンペカムイは九郎を呼びに来たこともある。
ともあれ半ば妖怪のような自分の話を聞いてくれるのならばと九郎を頼りに来ようとしたのだが、江戸近郊では良くない噂があった。
鶴の旅団に語られる話だと、近年は狩猟で鶴を取る者が多いのだという。
主に趣味の狩猟を連発する将軍吉宗と、野生動物なら取ってしまう晃之介のせいだろう。
せっかく江戸に来てもうっかり殺されてはたまらないとばかりに躊躇っていたところで、見世物屋に売られたのを幸いと江戸にやってきたのだ。
そこから九郎を探そうと思ったが予想以上の人の多さにとりあえず芸を見せていたところ、それらしい人物を見つけたので脱出してきたところであった。
『とりあえず子供たちを離させてくれないか』
「えー」
「えー」
やってきた浦島を饗さずに話を聞くというのも何なので、居間にて茹でたそら豆でも出しながら話を聞くことにしたが興味を持った子供らにベタベタと体を触れられることになっていた。
『羽をあげるから持っていってあっちで遊んでおいてくれ』
バサバサと鶴が羽ばたくと抜け落ちた羽が舞い散り、子供らは遊ぶようにキャッキャとそれを拾って遊んだ。
「それでお主、ええともう千年以上も前だったか竜宮に行ったのは。随分長生きをしてきたようだが……何をしていたのだ?」
『人から鶴になったせいかあまり方向感覚に優れなくて、あちこちを飛び回っていた。竜宮を探していたのだがそれも見つからず……』
「気の長い話だのう」
千年も昔となれば奈良時代以前になる。
そんな時代から人語を喋る鳥はずっと孤独に竜宮を探し続けていたのだろうか。
『竜宮で暮らしたいわけでも、人に戻りたいわけでもない。だが心残りがある。ひと目で良いからもう一度だけ見たいのだ』
「ふむ……乙姫様をか?」
多くの話では乙姫や女体化した亀と結婚して幸せな暮らしを送っていた浦島は、一度地上に戻りたいと言い出して関係が破綻するのである。
あるいは地上に出てすぐに諦め竜宮に戻る選択が取れたかも知れないが、玉手箱を開けた浦島は老人となり、そのまま死ぬか鶴へと変化して飛び去る。
それからずっと竜宮に残してきた嫁に会うために千年以上も探し続けてきたのだとすれば……哀れな話であった。
だが浦島は鶴が豆鉄砲を食らったように首を傾げてから云う。
『いや、鯛や平目の舞い踊りをもうひと目見たいと』
「そっち!?」
『そっちって云うが実際凄いんだぞ! 金が取れるぐらい! 鯛や平目がシャッキリポンと踊るのを見ながら鯛と平目の刺し身をシャッキリポンと食べれて! どうもあれが気になって仕方ないのだ! 長い鶴生活をしていてもそれだけが気がかりで』
「竜宮の雇用形態どうなっておるのだ。踊り手が食事に出されるってなんか人間に置き換えるとグロいぞ」
確かに魚は同じく海にいる魚を食べて生きているし、竜宮に住む龍王などもそうなのだろうが。
何も踊らせなくてもとは思う。
『この際竜宮にはいけなくてもいいから、どうにか鯛や平目の舞い踊りを見る方法は無いだろうか。竜宮を探すのは、それっぽい海域へと人魚の肉を食って不死になった尼さんに頼んで体に石とか括り付けて探しに貰いに行ってから百年以上陸に上がってこなくてなんか怖いし』
浦島の証言に石燕と将翁の顔が引きつった。
「それ八百比丘尼じゃないかね……不老不死を活かして海底探索しているとか……」
「昔に一族の者が会ったことがあり、同じく旅をしているので度々顔を合わせていたのですがここ暫く見かけないと思えば……」
『とにかく! 鯛や平目の舞い踊りを見て刺し身も食べたいのだ!』
「うわこやつ条件に刺し身までさり気なく加えよった……ううむ……」
『あ、これ一応お礼に持ってきた。北の大地の川とかに落ちてて』
浦島が嘴で羽の付け根あたりを漁ると、親指ほどもある大粒の砂金がボロボロと出てきた。見世物屋に見つからないように忍ばせていたものだ。
まばゆい黄金の輝きを見た豊房が滑り込むようにして砂金を確保し、満面の笑みで頷く。
「助屋九郎にお任せなの」
「現金だな!?」
「だって金よ。金には目が眩むわ。まぶしいもの。仕方ないことなのだわ」
「ううむ……しかし北海道にはこれだけの金か……金欠になったら渡ってみてもいいかもしれんな靂でも連れて」
とりあえず九郎は浦島の頼みを引き受けることになるのであった。
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さて、鯛や平目の舞い踊りを再現するにあたり、嫁らの知恵も借りつつどうにかしなければならない。
となればまずは浦島にその鯛や平目の舞い踊りとやらを証言して貰わねばならなかった。
「まずその踊りというのはどういうものなのだ? 水の中で追いかけ合うように泳ぐとかか?」
『いや、こう尾びれで直立して他のヒレなども手のように使って……まるで人間のようで……それで滑らかで……ケ───ン!!』
「鳴き声を上げるな!」
『すまん。言葉に詰まるとつい喉が疼いて』
「しかも語彙が少なすぎてさっぱりわからん……」
「仕方ないよ九郎くん。そもそも千年前の漁師だよ? むしろ言葉が通じているのが不思議なぐらいだ」
『まあ……言葉は時折人の話などを聞いて覚えてきたからな。納屋とかに忍び込んで作物を頂きながら』
「害鳥だこいつ!?」
本人がやたらと見たがっているものの千年も鳥生活を続けてきたので学も無い浦島は、さっぱりとその良さどころか情景すら説明できないという事態になったのである。
これには流石に一同困った。曖昧な当人しか覚えていない思い出の風景を見せてくれと言われても、なかなかに難しいものがある。
「料理はなんとかなると思うのよね。お八姉さんとサツ子が作れば。お刺身得意だものね」
「任せとくんだぜ」
「やっぱり問題は舞い踊りの方か……こうなれば、例のフォーメーションを組むしか無いかもしれん」
九郎は皆に目配せをした。
例のフォーメーション。それは一人に働きかけるメンタル系の集中攻撃である。
将翁の怪しいお香とスフィの洗脳音声、それに九郎の銅銭を揺らす催眠術を仕掛けて完全な催眠状態に陥らせることができる。
「それで記憶を呼び覚ましてあたかも追体験しているように感じさせてみよう」
「なるほど。一番キツイお香用意しておきますぜ」
ということになり、試しに一度浦島相手にやってみることにした。
しかし──
『うう、変な匂いがするしなんか頭が痛いが……』
「……効かぬのう?」
「鳥だからじゃないかのー。人間と鳥類では効く薬の種類も、物の見え方や音の聞こえ方も違うじゃろ」
「失敗か……」
と、人間とあまりにかけ離れた生態であったために、万能と思えた完全催眠は効果を発揮しなかったのである。
そうしているうちに石燕と豊房が提案してきたのは、紙の束であった。
「動いている映像が見たいなら作ればいいではないかね。というわけで私考案のパラパラ漫画で作ってみたよ!」
「凄いわねお姉ちゃん。本当に動いてるみたいになったわ。これ売れるかもしれない」
「おお、その手があったか」
二人が用意したのは白黒で書いた鯛と平目の絵を微妙に一枚ごとに構図を変化させ、それを連続で見せることで動いているように見せるパラパラ漫画であった。
石燕の方は今は持っていないが昔は未来視で現代の技術も学んでいるため、そのような発想ができたのだろう。
紙束はそれなりの厚さがあり、筆の早い二人が即興で用意したのだろう。石燕と豊房は画風も似ていて、更にデフォルメも上手である、
子供らも集まって、まるで紙芝居のように全員が絵の前に座って注目している。
「はい、それじゃあ流すよー」
と、石燕が言いながら器用に指先で一枚ごと紙を流していく。
最初は鯛と平目が円を描くようにぐるぐると回り動いた。それだけで子供らは大喜びをして、大人たちも珍しげに注目している。
「ほう……ん!?」
突如、鯛と平目に細長い手足が生えて立ち上がった。子供らがざわめく。
半魚人のようになった二匹の魚は手と手を合わせて怪しげな踊りを披露しだす。邪教の儀式というのが第一印象だ。恐ろしげなBGMを面白がったスフィがわざわざ鳴らし始めた。
「……!?」
突如、踊り狂っていた二匹が何かに気づいたようにこちらに顔を向ける。
それから指を突き出してお互いに騒ぎ合い、それから紙の中からこっちへ迫ってくるように近づいてきた。
ひたひたと近づき、絵に書かれた魚類二匹の姿が大きく描かれていく。
そして紙に張り付いたような魚眼のアップが最後の一枚を占めていて、あまりの迫力に子供のほとんどが泣き出してしまった。
「ぷふー! どうだね!? どうだね!? 鯛や平目の舞い踊り!」
指を向けて石燕は大笑いした。
「怖いわ! ああもう、子供が泣き出したではないか。漏らしてる子もいるぞ。まったく。大人でもビビる。お重あたりだったら漏らし──」
「あなた? 誰かしらそのお重って」
「……惜しげなところで漏らしかねない、という話だな。うむ。さて、どうだった浦島。あれを見ながら刺し身でも」
『あんなおどろおどろしい舞いじゃないよ!? 動いてるところには感動したけど!』
「動きは悪くなかったか……」
確かに、江戸時代……どころか、それよりも千年以上昔の人に見せればパラパラ漫画のアニメーションでも非常に不思議に思えるだろう。
「だったらもうちょっと綺麗に作ったらいいんじゃないかしら。こういうのって歌麿のほうが得意よね。作るの疲れるし歌麿に頼んだらどうかしら」
「作るの疲れるのが本音だのう」
「お九になって適当に餌でもぶら下げたら描いてくれるんじゃないかしら」
「ちゃんと報酬を渡すわい。下手に色気を出したらあやつガチで迫ってくるからな。冗談の通じぬ弟だ」
というので、ひとまず吉原にいる歌麿に依頼しに行くことにした九郎であった。
*******
途中で両国近くも通ると、まさしく見世物小屋が暴動寸前といった様子で大騒ぎになり、喋る鶴を楽しみに江戸から集まった町人らが殺気立っていた。
見なかったふりをして立ち去ろうとしたが、どうやら代役として初音耳作が出て誤魔化すことにしたらしい興行主の張り上げた声が聞こえてきた。
「あの耳で喋る芸人まだおったのか……」
少しばかり興味を引かれたが、ひとまず歌麿のところへと向かうことにした。
喜多川歌麿は、北川麻呂という石燕の弟子であったスケベ絵師から薫陶を受け、技術などを豊房から学んで独り立ちした絵師である。
とはいえ未だに知名度は低い。というのも、出版統制で絵師の所在を曖昧にするため、画号を使い捨てにして誤魔化したりしているので歌麿という名で作品を残しているのは、吉原を足抜けして故郷へ戻ったふたよへ個人的に送った絵ぐらいだろう。
それ以外の真面目なときは鳥山石燕の弟子ということで鳥山木燕とか、豊草という名を使って活動しているが基本的に親しい者は皆歌麿と呼んでいる。元々九郎が名付けた仮名であるタマという文字も含まれているので本人が気に入っているのだ。
さてそんな歌麿は時折根津に顔を出したりしているが、吉原内部でグレーゾーンの出版を取り扱う業者の一員として春画や遊女絵を描いて暮らしている。
九郎が部屋を訪ねた際にも、彼は紙を前に美人画の構図に悩んでいるところだった。
「うーん風呂桶に入るのに右足を上げる図にするか左足を上げる図にするか……どっちが助平かなあ?」
「相変わらずよくわからんこだわりだのう」
「あっ兄さん! ようこそマロ! といっても仕事の締め切りが迫っててあまりお構いもできないマロが」
出版規制の緩んでいる昨今ではここぞとばかりにお下劣な本を売るチャンスなのである。
新たに町奉行が変わったことから引き継ぎの手間に忙しくて出版の内容まではチェックしないことが多くなり、笊のように簡単に今は許可が出される。
ただしこの時代では最初に許可を出しても後からやはり駄目だったので回収をするように通達があるのも珍しくはなかったが。
「うむ? そうなのか。あー、では頼み事は別の者にするか」
「頼み事?」
ぐるりと歌麿の顔がこちらを見た。その目に灯る期待に九郎は若干引く。
「兄さんの頼みということはお礼はお九さんに支払って貰っても良いということマロ?」
「いや、普通に金を払うが」
「はぁーっ! 今なら胸を吸わせてくれるだけで将軍だって暗殺してやれるのになぁー!」
「何だその対価と壮大な想定は……そこまでやらせるわけにもいかんから忙しいなら別に構わん」
歌麿は目がマジだった。身の危険を感じるほどに。
「冗談マロー! お九さんと手を繋ぐだけで、何か頼み事なら優先してやるマロよ?」
「手を繋ぐ……まあそれぐらいなら構わんか」
まずは明らかに通らない要求を出しておいて、次にハードルを下げることで受け入れやすくさせるテクニックであった。
歌麿はほくそ笑む。手を繋ぐと簡単に云うが、房中での寝技に長けた彼ならば両手をしっかり繋いで掴んでしまえば如何様にでも相手との距離を近づけられる。胸に顔を埋めることも可能だろう。
「話というのは、お主の感性で鯛や平目の舞い踊りをなるべく華やかに描いて欲しいのだ。踊るように枚数もな」
「マロ?」
歌麿にパラパラ漫画の概要を説明し、浦島を名乗る鶴が見たがっている鯛や平目の舞い踊りをそれで再現するために多くの枚数が必要だと告げた。
地頭の良い歌麿は実物を見せずとも理屈で把握したようで、自分なりに考えを述べる。
「うーん……それならいっそ、踊りの拍子が繰り返しになるように作って、手書きじゃなくて版画で枚数を増やせばいいかもしれないマロ。ちょっと職人さんに相談してみるマロ」
「よろしく頼むぞ。掛かった経費は己れが纏めて払うからのう」
「任せるマロ! ──なる早で文句のつけようもない物を作って確実に報酬を貰うから」
「お、おう?」
意気込んで描き始める歌麿に、妙な悪寒を感じる九郎であった。
********
江戸時代は金魚絵とか鯰絵といった魚をデフォルメや擬人化した種類の絵というのは結構描かれていて、歌麿も狂歌本で動物を描くのは得意な方であった。
彼が描いたのは鯛と平目が手足こそ生えていないが、どこか人間らしい動きで舞いを見せるものだ。版木を微妙に削ったり付け足したりして細かい差分を増やし、滑らかな動きを見せるものだ。色合いも薄い青色から茶色、豪華な赤色まで使って鯛と平目と海中を表現している。
屋敷の一室を薄暗くして舞いのパラパラ漫画をロウソクで照らし、スフィがそれにあった音楽を鳴らして雰囲気を出していた。
歌麿渾身の一作に浦島鶴は刺し身を食うことも忘れて、じっと流れるアニメーションを見ながら嗚咽を漏らしていた。
『おおおお……』
目の前のそれは彼の記憶にあるとおりの舞い踊りではない。だが、それを呼び水として明瞭なまでに昔々に見ていた光景を思い出し、あたかも目の前に浮かぶようであった。
彼は漁師であったのだ。魚を釣り上げ、それを食べたり売ったりすることを生業としていた。
魚はただの獲物であったのだ。だがそれが、竜宮に行って認識が変わった。
龍王の命令を聞いて美麗な舞いを踊る魚を見て。それと同時に出される料理された魚を見て。
浦島は途端に、自分が罪深い行いをしていたのではないかと不安になったことを思い出していた。
それでも人は何かを食わねば生きてはいけない。仕方がないことだ。ガツガツと食べた魚料理は確かに美味であったが、食えば食うほど心の中に澱のように罪悪感が積もっていった。
幾ら魚でも、意思疎通ができるであろう相手を。目の前で踊りを披露してくれる相手を食うのには、ただの人である浦島は耐え続けることができなかった。
だから地上へ逃げ戻り──親類縁者が居なくなっていることが罰だと思い、それから鶴になったのはもう海に関わらないで生きるために乙姫などがくれた慈悲だと思った。
それからひたすら飛んで鶴として暮らし続けて──やがて当時の感情も罪悪感も薄れ、それでも鯛と平目の踊りが忘れられなかった。
魚を食べて生きるのは仕方ないことだ。
それでも、仕方ないとしても。美しい舞いを見せた相手を食べたことを謝りたかった。
彼は完全に割り切れるほどに強い心は持っていなかったのだ。人に懐いている家畜を屠殺する現場を見て食えなくなるようなものである。
自分で喋る鶴の姿になって、他の鶴が人に狩られていく様をこれまでも見てきて特にそう感じたのであった。
「彼が本当に対面したかったのは、心のうちにある罪悪感だったのでしょうぜ。ずっと向き合うことができずに、それゆえに千年経過しても鶴のままだ」
「浦島太郎というのは道教の説話を取り入れているという説があるね。竜宮ではなく蓬莱島に行ったという話もある。故に、最後の玉手箱から鶴になって飛び立つのは尸解仙として羽化登仙したという意味ではないかとされる。だが彼は、抱え込んだ穢れのお陰で神仙にはなれずに俗世を彷徨っていたのだ」
将翁と石燕がそれぞれに解説をし、頭を両翼で覆って嘆く声を出している鶴を見ていた。
お初が心配げな顔で浦島の体を撫でてやっていた。
──朝になった頃には、鶴は一声鳴き声を上げた。
話しかけても人の言葉を解することなく、喋ることもなく、何処かへと飛んで行ってしまった。
まるで中に居た浦島が居なくなったように。或いは最初から居なかったかのように。
「さて、これでよかったのかのう」
海の近くまで空を飛んで見送った九郎はそう自問自答をした。
遠くから鶴の鳴き声が聞こえた気がした。
なお、鶴に逃げられた見世物小屋は耳作でも収まりきらない民衆の怒りに困り果てて九郎のところへ相談しに来た。
入場料の三分の一の報酬で期間限定「喋る犬」(犬役は伯太郎の飼い犬でおとなしいもの、声役に術符で姿を消した靂)を派遣し、落語の演目などを読ませることで結構な評判になったという。
また、このときに使われたパラパラ漫画は版画だったために他にも印刷して公開され、人気を博した。
江戸時代にパラパラ漫画を作ったのは誰かというのが後世では謎だったが、残された記録から無名の頃の歌麿と判明して驚かれたという。
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「さあお九さんボクを手を繋いでマロオオオオオオ!! なんで既に片手を靂くんと繋いでるんですマロオオオ!?」
「いや、なんか念のために。両手を繋ぐとは言っておらんし」
「安心して両手ともボクに預けて欲しいんですけどおおおおお!!」
「その勢いが怪しいかなって。のう靂」
「巻き込まないでくださいよ本当に──うわあ歌麿さんから凄まじい殺意の篭った目線が向けられてる!?」
その後無理やりお九に接近しようとしても靂をバリア代わりに押し付けられる歌麿であった。
お九の両手を取って無理やり色々しようとした歌麿の作戦は破綻し、靂へのヘイトが上昇したという。
「うわあああお九さんお嫁さんになってくださいマロオオオ!」
「靂の婚約者だから駄目だ」
「歌麿さんが明らかに僕を殺害する計画を建てている目をしている……!」
最近、靂への当たりがきつい歌麿であった。
嫁連中に聞いてみた。お九に子供ができるとしたら相手誰だと思うかor誰がいいか
豊房「うちのお父さんとか」
石燕「あの魔王が怪しい」
お八「んー……師匠か?」
将翁「いっそ術であたしが生やすことも」
夕鶴「ご主人様×ご主人様であります」
サツ子「霹靂斉先生と怪しか」
寿司「遠いところに行き過ぎじゃろ」
とある日本海の中
八百比丘尼「竜宮どこー……」




