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3話『忘れられぬゴミ掃除の話』





 根津にある寂れた貸本屋[船月堂(せんげつどう)]。

 九郎が外で働いている感を出すために仕事場として買い取った一軒家を店にしたものである。

 江戸で一軒の土地持ち家持ちになるのは相当に難しいが、一軒家を立てれば別宅を用意するのはかなり楽であったようだ。

 それは商売や店貸しをして儲けられるということと、家の買い主などを町年寄が探している場合に既に家持ちの者ならばひとまず信頼ができるとして預けられるからであった。様々な信用を得る担保としての最初の家が大事なのである。 

 さて、その貸本屋にて。仕事を初めてひと月ほど経過がしただろうか。九郎と靂は店と奥の居住スペースをそれぞれ見ながら呟いた。


「男やもめに蛆がわき、女やもめに花が咲くというがのう」

「ああ……言われてみればそこはかとなく自宅の方は綺麗になってる気がしますが」


 汚い。散らかっているのである。

 別段二人は滅多にこの店に泊まり込んだりはしないのだけれど、それでも飯は食うし茶ぐらいは飲み、昼寝もする。文書を書いては紙を丸めて放り出し、貸した本が返ってきたとなれば適当に積み上げ、それが崩れてもため息一つで放置してきた。

 商品である新刊の大半はまだ靂と九郎が読むために奥に散らばっていて、それ以外にも九郎が町を散策して買ってきたガラクタ(子供の遊具として購入したが、家のものからゴミ認定を受けた挙句に捨てられないもの)も適当に置かれていた。

 

「うーむ……まったく片付けができておらん」

「実は僕あんまり片付けってしたことないんですよね……」

「己れもあまりせぬ方だな……できんわけではないぞ?」

「ええ、僕もやれば多分できると思うんです。ただその労力に見合う価値があるかと考えると疑問が」


 頷きあう。一つ一つの整理整頓すら面倒臭がる彼らに、もはや積もりに積もったこの状態では手を出し難かった。


「しかしうちやお前のところのを呼んで片付けさせると、どうもダメな男に見られそうだな」

「他の人でも口伝てで話が行きそうですよね……」

「いかんな。そういうことにならんようにここで働いているというのに」

「一昨日から客は来てませんけど」

「日誌にはちゃんと仕事を書いているだろう」

「ええと、『困った老人の悩み事を聞いて解決する』……九郎さんが近所の爺さんと花札をしに行っただけですけど」

「暇をしていることが悩みな爺の相手をしたことで解決したのだ」


 と、まあそんな感じで生活をしているのだから、真っ当に店を掃除したりするはずもなかった。

 本人的にも繁盛させようという案は無いではない。絵師の知り合いも多いし版元にも伝手があるのでフェアなどを開催し、販促ポスターを描いてもらい、更に頒布物のグッズなどを用意して人気本とコラボして宣伝を忍び連中にやらせれば売れるだろう。

 折しも元号が改められて享保から元文になった今は、町奉行である大岡忠相が寺社奉行に転任したこともあって出版統制がにわかに緩んでいるので新刊が出始めて本の売れ行きが良くなっているのであった。

 しかしまあ、他人に任せる店ならばそれぐらいして利益を求めるが、自分で働き続けないといけないと思うと面倒になりやろうとはしない。九郎は何かしら働くこと自体は嫌いではないが、働き続けるには年をとったことで根気が続かない。


「しかし掃除か……たまにあやつら見にくるからそれまでにどうにかせんとな」

「忍びの人雇います?」

「大したもの置いてないから人にやらせてもいいかもしれんな。ただ味をしめたのかお九に対する要求がなあ」

「胸でも揉ませてやればいいじゃないですか。どうせ元が九郎さんだと思えばおでき(・・・)みたいなものですし」

「お主はぞんざい過ぎる」


 靂は男では少ないお九に夢を持っていない組なのでひたすら冷めていた。

 まあ、目の前にいる実年齢百歳越えの若作り爺が女装したようなものだと思えば恐らく忍びの半分ぐらいは脱落するだろうが。

 

「仕方ない。ここは男らしい掃除をするか」

「と言いますと?」

「大きな箱に落ちている物をすべて詰め込んで燃やして無かったことにする。己れも若い頃仕事の手伝いでやらされたものだ」

「真っ当な仕事ですよね?」

「まずは黒い袋に放り込むと気分的にグッと楽になるぞ」

「何をですか」

「もしくは現実的な方法としてアレだな。とりあえず散らかっているものを押入れに放り込んで封印しよう」

「そうしますか……きっといつかなんとかなりますよね」


 ダメな男二人の結論に至りそうになった。基本的に女に世話をされているので、生活力が限りなく低下している。そんな二人の頼みなどでは忍び連中も掃除の手伝いしたがらないだろう。誰が好き好んで女の細長いアレの見栄を守ろうとするだろうか。

 粗略な掃除を始めようと、のそのそ二人が動き出したときである。

 カラン、カランと鳴子の音が響いた。

 あまりに活気が無い上に、読書か執筆をしている靂が客に気づかないことも多々あったので入り口の暖簾に仕掛けて客が入ると音を出すようにしたのだ。

 靂と九郎がそちらに向き直ると、女が居た。長い黒髪を白いレースで纏めていて、藍色の着物の上から割烹着のような前掛けをしている背の高い女だ。彼女は無機質な真顔を九郎に返すと、手元の埃を払うハタキを見せて告げる。


「お久しぶりですクロウ様と挨拶致します。イモータル、お掃除を致しに参りました」

「イモ子!? 随分久しぶりだのう」


 数年ぶりに顔を出したイモータルへ九郎は驚きつつ、メイド服というか和風のお手伝いさんめいた格好をしている彼女の姿を珍しげに眺め回す。

 何度かメイド服で江戸に来ていたこともあったのだがやはり浮いていたのを気にしたのだろうか。一度は花魁の格好もしていたが、基本的に働き者の彼女からすれば動きにくいのは窮屈そうではあった。

 

「ここ暫く見なかったが、元気にしておったか?」


 彼女がそこはかとなく手伝っていた鹿屋では働き者のイモぐるみが居なくなったというので色々と大変だったようだ。

 

「ご無沙汰致しておりました。実は魔王様がおめでた致しまして。妊娠出産育児の面倒をイモータルがサポート致しておりましたのでこちらにはこれずに……」

「お、おう」


 九郎の声が裏返っていた。


「しかしその子を魔王様が他所の魔王でも倒してこいと異世界に転送しやがりまして、残念ながら仕事が無くなったのでこちらのお手伝いにでもと参上致しました」

「また子供捨てたのかあのカナブン!?」

「獅子は我が子を異世界に投げ捨てるとかなんとか云う教育方針らしく……お育てさせて頂いていたイモータルもショックのあまり、魔王様を拘束兵装[緊箍児(きんこじ)]で縛り付けてこちらに来たぐらいだと白状致します」

「メイドに見捨てられておる!」


 それにしても最悪な親だ、と九郎は思う。

 子供の父親が誰かは知らないが単に育児放棄するだけならまだしも──イモータルが勝手に面倒を見るから──異世界に放り出すのは無責任すぎる。

 イモータルも転移用座標の繋がっている江戸というか九郎の居るところにならば来れるが、彼女がどこぞの異世界に放り捨てた子供を探して転移することはできない。


(なんと無責任な親だろうか!)


 自分が完璧な親とは言えないが、それでもああはなるまいと心に誓うのであった。


「九郎さん。何かから必死で目を逸らそうとしてませんか」

「何がだ。そんなことはない。知り合いの性根がクソだったからゲンナリしているだけだ」

「ところでこちらの方は? どこかで見覚えがあるような……」


 靂は首を傾げる。何度か彼は夢の中でヨグの世界に迷い込んだことがあるのだが、夢なのであまり覚えていないしその夢も大量に積まれている本を読んだとかその程度の行動しか取っていなかった。


「こやつは……遠くにいる知り合いの屋敷で働く女中でな。時々暇を貰ってこっちに来るのだ」

「はあ。またなんか九郎さんの愛人かと思いましたよ」

「己れが女と関係があるとすぐ勘ぐるのは止めろ──ところで、掃除をしてくれるのか?」

「肯定致します。イモータルは侍女……女中ですのでお掃除洗濯料理に買い物、なんでもござれだと自負致します」

「助かるのう」

「それに子供の教育も……」

「ショックが抜けておらぬ……」


 若干顔を曇らせるイモータルであった。あのヨグのことを思えば子供は可愛がるだけで育児はイモータルに丸投げだっただろう。それを引き離されたのだから思わず家出もしようものだ。

 

「よし、靂や。こやつは家事の専門家だから掃除を任せてしまおう」

「いいんですか?」

「もはや素人が手を付けれる段階ではない」

「そこまでは無いと思いますが……」


 男二人が一ヶ月掃除せずに過ごした程度の部屋である。努力をすれば片付けられるだろうが、九郎はおまかせするようだ。

 

「ではイモ子や。己れらは少し出かけてきて夕方には戻るから掃除を頼むぞ」

「了解致しました」

「貸本屋の客が来たら十六文で十日間だから適当に貸しておいてくれ。では行くか、靂や」

「はあ……じゃあ頼みました。あ、僕の書きかけの物語をゴミだと判断して捨てるとかそういうのはしないでください」

「了解致しました。ゴミかどうかの判断は内容を読んで評価致します」

「やめて」


 優柔不断な男が居ては掃除も進まぬとばかりに九郎は靂の襟首を引っ張って外へと出ていった。

 




 *********




「さてと……ちょうど良かった。昼飯でも食いに行くか」

「今日はお弁当どうしたんですか」

「仕事やってる素振りを見せるために、今日は依頼で忙しそうだから弁当はのんびり食えぬと断って握り飯だけ作ってもらったのだ」

「なんですかその涙ぐましい嘘は……」


 働くフリをする男にはそれなりの作戦が必要なのである。

 若い頃は逆に母親に大した仕事はしていないと過小報告して非合法めいた職場でバイトをしていた経験を真逆に活かしている。

 

「薬研堀の蕎麦屋[中本屋]にでも行くか。あそこはどぎつい量の唐辛子を使いまくった独特の蕎麦を出してな。うちでは今、辛い系のメシを食うのが己れとスフィしかおらんから食卓に上がらんのだ」

「僕もあんまり辛いの食べないけど大丈夫かなあ……」


 ということになり、足を伸ばして薬研堀へと向かうことにした。

 両国薬研堀はもともと米蔵が置かれた土地であるが、元禄年間に火災にあって米蔵は移転したので町人地となって民家や店が建てられた。

 そこには薬種問屋が入ったことで薬を買う医者も多く移り住み、また漢方薬を調合するように唐辛子と薬味を調合する七色唐辛子を売り出す店が現れたことでも有名である。

 そんな中にある[中本屋]も、医療関係のおこぼれを預かろうとした蕎麦屋の一つである。

 

「ここの蕎麦はな、葛湯のようにとろみの付いた激辛の餡を掛けておるのだ。これがまたねっとりしておるから簡単には飲み込めず口の中に残って辛い」

「ぐろうざんみずくだざい」

「仕方ないのう」


 舌を出して涙目になっている靂の目の前にある湯呑みに精水符で水を出してやる。一気に彼はそれを飲み干した。


「辛いを通り越して口の中が痛いんですけど……」

「徐々に慣れていくとつゆに混じった味噌の味などが感じられて中々旨いのだがな」

「すみません。九郎さんこれお願いします……」


 申し訳なさそうに丼を差し出してくるので、無理は言うまいと九郎は二杯分食うことにした。

 彼の場合は味覚でこそ楽しめるが、消化器などへのダメージは毒耐性によって無効化されるので多量に食べても問題はない。

 

「ええと、じゃあ代わりに……この冷やし味噌蕎麦を」

「……」


 靂が新たな注文をした。それは今食っている熱い蕎麦よりも激辛の特性つゆであるのだが敢えて助言はしなかった。

 誰だって激辛料理を人に食わせる際には新鮮な気持ちで味わって欲しいものなのだ。

 注文の到着を待っていると、二人の座っている座敷に近づいてきた男が声を掛けてきた。


「もし……御仁はお助け屋の九郎殿ではございませんでしょうか」

 

 九郎が向き直ると、相手は梅香茶色の本結城縞羽織を身に着けた身なりの良い中年の男だった。

 見た目だけで大店の主とわかる。少なくとも激辛の名物蕎麦屋ではあまり見かけない層の者である。九郎は丼を置いて向き直った。

 

「確かに人の困りごとを聞いて助言などをしている九郎は己れだが……何か御用だろうか。あ、こっちは助手の靂」

「辛ァ──!?」

「……今はちょっと頼りないがな」


 激辛冷やし蕎麦を口にして目を白黒させている靂を見ないようにして九郎は苦笑した。

 相手はへりくだって告げてくる。


「お噂はかねがね……あ、私は日本橋で材木問屋を開いている伊勢屋鉢助(いせやはちすけ)と申します。町内の寄り合いで、日本橋界隈では[鹿屋]さんや[藍屋]さんから九郎殿の話を聞いておりまして……」

「ふむ……用があって探しておったのか?」

「はあ、お恥ずかしいことですが悩み事があってどうしようかと考えておりまして……この店は行きつけでして、食べに来たところでふと九郎殿のお姿を拝見したので相談してみようと思い立ったわけです。あ、姿は浮世絵で見ましてな」

 

 浮世絵にある九郎の顔こそ役者絵のようにデフォルメされているが、ざんばらの髪の毛とどう染めたのかさっぱりわからない青白い衣に羽織を付けて、怪しげな札を持っている男という特徴は描かれていた。


「はっはっは。あの浮世絵は吉原にしか売っておらんぞ。己れの弟が描いておるから」

「おっと、これは口を滑らせました……妻には内緒でお願いします」


 笑い合う二人を、半眼で唇を腫らした靂が云う。


「それより……この店が行きつけって……大丈夫なんですか」

「なあに翌日に厠で尻穴が焼けるようになるのもまた楽しく」

「明日なんて来なければいいのにな……!」


 激しく靂が後悔している表情を見せる。


「ま、とにかく話を聞こう。ここで聞いても良いことだったか?」

「人に聞かれて困る類ではないですので構いません」


 と、鉢助も座敷に上げて九郎は向かい合った。鉢助は冷やし味噌蕎麦を追加で唐辛子と山椒マシマシで注文した。

 赤い汁の上に火山のように唐辛子の山が出来上がった代物を靂が妖怪を見るような目で見ていた。

 ニヤリ、と鉢助は笑みを浮かべてまずはその健康に重大な被害をもたらしそうなつゆを一気に飲み干した!


「くふぅ……!」

「ば、馬鹿な……あり得ない……」

「いや、辛いのが好きなのは分かったがそんな勢いで食うと体に悪いぞ。良い年だろうに……」

「大丈夫です。一晩胃が辛くて眠れなくなる程度なので」

「何がお主をそう駆り立てる……」


 とりあえず追加で多めに金を払って追加でつゆを注文する。店員も慣れた対応なので、本当に行きつけなのだろう。


「ところで相談というのは……ゴミ屋敷のことなのです」

「ゴミ屋敷?」


 九郎が聞き返すと、鉢助は頷いた。

 



 ******




 屋敷、というのは皮肉のようなものであるらしい。

 それは細工町にある一軒の家であり、老人が一人住んでいるのだという。

 家の中には所狭しとゴミが転がっていて足の踏み場所も無い。ゴミというのは、ボロボロの黄表紙本であったり、布切れであったり、石ころや木の棒、木製の細工物の類だ。

 とにかく周りがなんと言っても片付けないし、勝手に捨てようとすると怒り狂って暴れるのだという。


「つまりその凶暴な老人と戦えばいいのか?」

「いえ! 違いますとも。その老人は……私の父、留三(とめぞう)なのです」

「父?」

「父は一代で材木問屋を初めて繁盛させました。それで私に店を継いで、本人は一番最初に店を持った細工町に一軒家を買って住むようになったのですが……」


 それから留三は店の経営にも口を出さずに好きにやらせ、鉢助も店をしっかりと受け継いで繁盛させていた。

 留三は早くに妻を無くしており、後妻も迎えずにやもめ暮らしをしていたようだ。あまり友人関係も無かったらしい。


 材木屋 火事場で儲け 札を売り


 とも川柳で詠まれていたように、江戸にて財産を一気に失う火災にて、建て直しの材木を売るために儲ける材木屋は必要とされながらも大衆からはあまり評判が良くなかった。

 また、火事の際に予め提供する材木を予約する札を売ることから今で言う保険会社の役割も担っていたと言われることもある。

 鉢助も父が引っ越した当初は茶でも飲みに通っていたのだが、店も忙しくなり代わりの店の者に様子を見せに行かせていくようになった。

 そして数年が経過し、店の者からの報告では徐々に散らかってきたのだという。

 片付けましょうか、と提案すると断固として断わってきた。

 鉢助が様子を見に行く頃には明らかに酷い散らかり方になっていた。そして、無理にでも片付けると叫び、殴りさえしたようだ。その際に、


「誰だお前は、出て行け……と」


 鉢助は悲しそうな目をして父親に言われたことを繰り返した。


(ほう)の気が出ていたのでしょう。ですが、忘れられたことと、随分久しぶりに父に殴られたことに……怖気づいてしまいまして」

「痴呆か……そればかりは仕方がないことだ。気に病むな」


 憐れむように九郎は呻く。

 いずれ誰にだって訪れるかもしれないことだ。だがそれでも家族からすれば辛いだろう。九郎も、いつか嫁や友人が自分のことをわからなくなったら仕方がないことだとわかりつつも、想像するだけで気分が落ち込むことだった。


「しかしこのままにしておくわけにも行きません。どうにか父を説得してうちで引き取りたいのですが、家とガラクタに固執していてとても動かせる状況ではないのです。どうか……お力を貸して頂けないでしょうか」

「むう……」


 九郎は腕を組んで唸った。どうにも難しい問題である。

 何かを探したりするならば良いのだが、相手は暴れる呆けた老人である。不法占拠しているならばともかく、無理やり引っ張り出すわけにもいかない。

 果たして話はどれほど通じるのか。


「むう……とにかく、その親父と話をしてみよう。もっと詳しく教えてくれ。どれだけ物事を覚えているか、とか。好物は何か、とか」

「わかりました。お願いします」

「靂は……そうだのう。己れの屋敷に行ってスフィに協力を頼んでくれ。人の心を落ち着かせる歌が確かあったはずだ」

「それもっと早くにうちの幼馴染たちに使って欲しかったんですけど」

「……」

「なんで使おうって言ってくれなかったんですか?」

「……」

「九郎さん?」

「ごめん」





 ********






 鉢助が父のことを語るには蕎麦屋の座敷は衆目を浴びすぎる。

 なので一旦、彼の店にある住居にて、滔々と話を聞いた。昔は子煩悩だったが店も忙しく、それでも合間を縫って相手をしてくれていたことを語った。唐辛子が好きなのも父の影響であったことも。

 次第に鉢助は涙ぐんで、


「こんなことならば隠居しても同じ家に住んでもらうのだったのに……」


 と、語った。

 今では何度も鉢助と店の者が連れ戻しに留三の家を訪れたものだから、すっかりと自分を家とガラクタから引き離す疑心暗鬼に陥っていて入るなり怒鳴られるほどだという。

 体の具合に悪いところはなく、加減無く暴れるために大人でも怪我をしかねない。

 色々と情報を得た九郎だったが、


「やはり会ってみなくてはなんとも言えんな。必ずどうにかできるとは保証できぬが、やれるだけはやってみよう」

「よろしくお願いします……」


 頭を下げられるので、九郎としてもなんとかしてやりたいと思うのだった。

 

 店にスフィがやってきて九郎と合流する。相変わらずちんまりとしたエルフは九郎と並んで細工町へと向かった。


「靂は?」

「うちの女衆に買い出しを頼まれたのじゃよー。ま、これは靂には荷が重かろう」

「そうだのう。スフィ、やれるか?」

「少しぐらい心を鎮める程度じゃがな。じゃがなクロー、一つだけ忘れてはならんことがある」

「なんだ?」


 スフィの思わせぶりな言葉を聞き返すと、彼女が随分と背の離れた九郎を見上げる。

 その目は、長生きした者のみが灯す哀愁のような色があった。


「人は誰しもが、他の誰でもない自分自身を幸せにする権利を持っているということじゃ。クローにも。きっとその留三にもな」

「……わかっておるよ。ありがとうな、スフィ」


 二人は無言で目的の場所へと行く。後は信頼しあっている二人に言葉は必要なかった。スフィは九郎を信じて老人の心を落ち着けてやるだけだ。結果がどうなろうとも。



 ガラクタ屋敷というのは2階建ての表通りに面した家で、両隣は瀬戸物屋と俵炭屋をしている中で静まり返っていた。

 軒先には古い熊手が何本も放置されていて、割れた看板の文字は見えない。まるで廃屋のようだった。 

 九郎は入る前に外見を老人に変えて、縮んで肉付きも細くなった体にズレないよう着物の帯をスフィの手を借りて結ぶ。

 説得するには若造の姿よりも同じ老人のほうが良いと判断したのだ。


「よし、行ってくる」

「タイミングは任せるのじゃよー」

「おうとも」


 スフィは隠形符で姿を消したまま三味線を手についてくる手はずだった。とりあえずは九郎一人で説得にあたるらしい。

 腰を少し曲げて九郎は家に近づき、表戸を開けて中に入った。

 中は埃臭くカビ臭い。老人が住む環境としては良くないだろう。そして確かに、足には棒きれやらどこからか持ってきた陶器やら、唐辛子を模した大きな容れ物も転がっている。墨のべったりと付いた丸めた紙屑が一番多く散らかっている。中にはビリビリに破いて細かい紙切れになっているものもあった。

 

「こりゃ本当に足の踏み場も無いのう」


 つま先立ちで歩かねば踏んづけてしまいそうだった。九郎は襖を開けて奥に進むと、そこには待ち構えていたように木剣を手にした老人が幽鬼のように立っている。

 思わず九郎は怯んで一歩下がり、足元の紙屑を踏み潰した。


「貴様ァあああああ!! また俺を浚いに来たかああああ!!」

「うお!?」


 木剣を振り上げて突っ込んでくる。だが動きは鍛錬したようには見えず、素人のそれだった。

 九郎は迷わずに拳を固めた。


「うおおおおお!!」

「この馬鹿者が!」


 木剣の一撃を固い額で受け止める。僅かに意識が揺れる感覚があったが、軽く額の皮膚を切ったぐらいの威力しかなかった。

 そうして攻撃を止めてから九郎は老人の頬を殴る。威力は殆ど込めておらず、しかしながら驚いたように留三は尻もちをついて頬を抑えた。

 出血した額を拭って九郎は目を見開いている留三に向けて、自分に親指を向けて云う。


「己れだ己れ! 昔に仲の良かった九郎だ! 忘れたのか馬鹿者!」

「くろ……う?」

「おおよ! お主に蕎麦を奢ったこともあったろう。いや、奢られたのだったか? ううむ、とにかく昔なじみを訪ねに来たのにいきなり殴り掛かるやつがあるか!」


 一方的に九郎はまくし立てる。

 もちろん、九郎は留三と以前に知り合いだった事実はない。己れ己れ詐欺である。

 しかし年を取れば人というのは付き合いが広がり、こちらは顔も名前も覚えていないが相手の方は覚えているという関係の者は数多く出るのである。更に留三は記憶がはっきりとはしていない。

 留三の思い出そうとしている仕草を見て九郎は一息つく。この時点でまったくの他人から、覚えていないが昔に知り合いだった者というふうに間柄が代わった。


「ば、馬鹿野郎! 九郎、だったか。いきなり入ってくるもんで、物盗りかと思っただけでい!」

「こんなところに盗るものがあるものか。茶でも飲もうかと思って訪ねたが、この様子じゃ茶すらありそうにないわい」

「待て! 茶はあるぞ。変な連中が訪ねてきたときには出涸らしを出すけど、仕方ねえからちゃんとしたやつを出してやる」


 留三はひょこひょこと動いて竈のある方へと向かっていった。九郎は適当に座りながら周囲を見回す。

 一層に部屋は汚く、変な木彫りの魚やら、薄汚れた鞠やらが転がっている。紙屑の数も多かった。丸められた紙屑を開いて中を見ても意味のある文字や図形には見えない墨の跡だけ残っている。

 

(心配するのもわかるが……)


 とにかくゴミが多い。特に紙屑は引火しやすいので、これだけ放置していればうっかり火鉢を倒すだけで一気に燃え広がりそうだった。

 そうして待っていると、足場を飛び跳ねるようにして留三が茶を二つ盆に乗せて戻ってきた。

 どっかりと九郎の前に座り、窺うような視線を向けている。どうにか思い出そうとしているのかもしれない。


「おらよ。ご所望の茶だ」

「おう。お主は昔から茶だけは好きだからな。変なのは出さぬだろう」

「あたりめえよ!」


 ず、と茶を飲むと確かに旨い。茶が好きだということは予め鉢助から聞いて知っていたことだった。


「ところで、お主の云う変な連中とは誰だ? 何を好き好んで爺なんぞ攫おうとしているのか」

「知らねえよう。お節介な親戚の誰かじゃねえか。こちとら実家の畳で死ぬつもりだってのに」

「息子が居ただろう。昔に随分と自慢されたぞ」

「そう! いやあ、懐かしいなあ。せがれには店を譲ってやってな、俺はこうして楽隠居をしてるわけだ。おっと暮らしていけるだけの金は自分で持ってるんだぜ」

「息子を頼ればどうだ?」

「馬鹿野郎。ガキに世話されるなんてまっぴらゴメンだ。それに変な男が自分が息子だなんて詐欺みてえなことを仕掛けてきやがる。うちのせがれがあんな男なわけねえってのに」


 拗ねたように留三は云う。

 受け答えははっきりとしているのに、妙な現実との噛み合わせの悪さに九郎は気まずく思う。

 彼には現状と思い出の区別があまりはっきりしていないのだろう。どこか彼の口にする息子鉢助の印象は、若者か或いはまだ子供のように思っていると感じた。


「しかしなあ、お主も暫く見ぬ間にこんなにも家を散らかして……何処から集めて来たのだ?」

「どこだっていいじゃねえか」

「掃除なら手伝うが」

「余計なことするんじゃねえ!!」


 激昂して怒鳴る留三に、九郎は降参するように両手を上げた。

 まだスフィの声は聞こえない。話を続けようと思った。


「わかってるよ。これはお主にとって大事なものなのだろう」

「あっ、ああ」


 だが適当に合わせたものの、九郎にはさっぱり何が大事なのかわからなかった。どう見てもガラクタである。

 ふと、この部屋にも唐辛子の容れ物が落ちていることに気づいた。唐辛子売りが持ち歩く、巨大な唐辛子型をした箱である。


「確かこれは……そう、お主の息子が唐辛子売りに懐いたもので、真似をしようと留三も買ってきたやつではなかったか?」


 鉢助に聞いたエピソードであった。父親が唐辛子売りの道具まで揃えて真似をしてくるのが面白く、子供の頃からよくそれをせがんで白飯にもふりかけて食べていたぐらいなので辛い物好きになったのだと言っていた。 

 すると、留三は手を叩いて嬉しそうな顔で言った。


「そう! 思い出した! 唐辛子は子供に良くねえってかみさんが云うんだけど、売り口上を真似してな! ぴりりと辛いはサンショの粉ぁ~♪ じりじり辛いは辛子の粉ぁ~♪ってな。そうするとせがれがどんどん頼んできてな。腹を下すほどの辛さになって二人して便所を争ったりとか……」


 機嫌良さそうに語る留三は、ハッと気づいたように周囲を見回して文机を見つけた。

 紙屑に埋まるように置かれていた文机に飛びついて、上に置かれた紙屑を払い落として筆を墨に付けた。


「ど、どうしたのだいきなり」

「思い出したんだ。忘れねえうちに書き留めとかねえと……」


 震える手で筆を持ち、紙に向かって脂汗すら顔に浮かべて睨んだ。

 それからべったりと筆を紙に付けて──文字にすらならず、紙の上を蚯蚓がのたくるように墨の線が移動した。 

 留三は顔に深いシワを作って滲んだ声を出す。


「チクショウ……! 文字は読める! 頭にも入ってるのに……書くとなると字が思い出せなくなるんだ……」

「留三……」


 九郎が呼びかけるが、留三は頭を抱えていた。


「忘れちまうんだ。家族のことをどんどん忘れちまって……忘れねえうちに覚えている限り、昔に何か思い出があった道具と似たようなのを探してきて思い出すきっかけにしても時々思い出すだけで、なんでこんなもん家に入れてるんだろうって普段は忘れちまってて……でも捨てちゃいけねえ。捨てたら二度と思い出せなくなる。チクショウ……忘れたくねえのに字すら出てこねえ!」


 目の前の紙を留三はクシャクシャに丸めて放り投げた。

 そこら中に落ちている紙屑は、こうして老人が何度も思い出した内容を書きつけようとして、そして失敗してしまった思い出の欠片である。

 忘れたくないから記録に残そうとして、それすらできずに何度も苦悩してきた証だ。

 書き損じから何かを思い出すこともあるのだろう。それ故に捨てることもできなかった。

 老人は何も手放すことができないのだ。何か大事なものを手放してしまうことに怯えて。


「ああ」


 と、九郎は理解した。いつの間にか彼の目にも涙が浮かんでいた。

 それを拳で拭って九郎は留三の近くにしゃがみ、彼の背中を軽く叩いた。

 

「聞かせておくれ、留三や。お主の代わりに己れが字に起こそう。あまり字が得意な方ではないが……お主の話を聞かせてくれ。一つずつ、幾らでも記していこう」

「九郎……俺ぁ、おめえのことも何も覚えてねえのに……」

「いいのだ。己れのことなど、お前の話を聞いて記録した暇な老人が居たと覚えておいてくれれば。さあ、思い出せるやつから行こう。ゆっくりな」


 それから。

 九郎は家に置かれているガラクタという名の思い出を手に取っては話を記録していった。

 息子が魚の置物を湯屋に持ち込むのを止めなかったこと。

 熊手を毎年一緒に買いに行っていたこと。

 看板を落として割ってしまった息子が泣いていたこと。

 近くの剣術道場に通ってみようかと思ったけれど一日で挫折したこと。

 春駒という馬の張り型が欲しかった子供のために木材で自作したけれど出来が悪くてダメ出しされたこと。

 黄表紙を読み聞かせてやったこと。

 家に散らばっていたそれらは、どれも子供との思い出と関わる大事な品であった。

 スフィが心を落ち着かせる曲を静かに三味線を鳴らしてやることで、落ち着いた様子で次々に留三は記憶を掘り起こしていった。


 これで聞き手が息子の鉢助ならば思い出も共有しているからもっと簡単だっただろうか。

 いや、留三は今の鉢助を覚えていない上に、殆どまだ小さい子供のように思っているので弱音のようなことを語ってはくれないだろう。

 単なる他人で、同じく老人であった九郎相手にだからこそ語ってくれたのだろう。


 その日いっぱいに話に付き合い、翌日も朝から出向いて話を聞いては紙に記録した。

 何十枚にもなった紙束を分け、綺麗に綴じてから渡した。


「ありがとう、ありがとうよう」


 と、留三は宝物のように本を抱いて礼を告げた。それから九郎は、床に落ちている紙屑だけを掃除していいか提案して、それらを片付けてから彼の思い出の家を後にした。

 そうして九郎は伊勢屋鉢助の元を訊ねて、彼に云う。


「留三は自分の大切な思い出の中で暮らしているのだ。離れていて心配で、忘れられてつらいという気持ちもわかるが、どうか見守ってやってくれぬか。その代わり……」


 九郎の提案に、鉢助は顔を覆って頷いた。


 それから鉢助は、留三の息子ではなく昔に店で世話になった男として、度々彼の家を尋ねるようになった。

 自分の覚えている留三と[鉢助]の思い出話を、思い出させるという形で話を振って留三に語って貰い、それを紙に記録しては留三にありがたがられた。

 家族という関係に至るまで思い出させることができるかはわからないが。

 彼はそうして、父を幸せに暮らさせてやることにしたという。


  

 やがていつか──その父との思い出の記録を、鉢助が老人となり読み返すことも来るのだろうか。

 その最初の頁には、一所懸命に思い出した拙い文字で、九郎という男への感謝の文が記されている。













 ********




「いかん。2日ぐらい店を放置していた」

「僕も牛の乳を取りに行かされて店に顔出してる暇なかったですよ」

「イモータルに任せっきりでのう……」


 二人が貸し本屋に戻ると──


 番台にちょこんと真顔で座っているイモータルと、店内をちらちらとそちらに目線をやりつつ貸本を立ち読みしている忍びの集団が居た。

 しかも店内のレイアウトがすっかり変わっていて、棚は規則正しく並び本は種類別に綺麗に分類して並べられている。本自体もどれも新刊のようにピカピカとしていた。店に積もっていた埃は尽く取り払われ、空気が清浄な気すらした。


「ごほん」


 九郎が大きく咳払いをすると、忍び連中が肩を震わせる。


「……うちは立ち読み屋ではないのだが」


 九郎の呟きに狼狽したように皆が言い合う。


「え、選んでただけですよ! なあ助蔵!」

「そ、そうですよ! これ借りていきます!」

「了解致しました。『超緊縛女郎地獄責巡り~黒縄地獄編~』をお借りしたと記録致します」

「しまったぁー! 適当に選んだのが酷いやつだったぁー!」

「だけどさ。男が助平なやつを借りて向こうは照れないって脈ありってことじゃない?」

「そ、そうかな」

「すげー前向き」

「そんなわけあるか!?」


 一喝され、冷やかしの客は慌てて帰っていった。客というか明らかにイモータルを見にやってきていただけである。

 僅か一日で九郎の店番をしている美女が居ると噂されていたのだろう。

 

「すまぬなイモ子。ちょいと仕事先でゴタゴタしておって」

「問題ありません。ただし魔王様を拘束したまま2日放置致しているので、少し気になる程度だと判断致します」

「放って起きたいが下手に怒らすと面倒だよなあ……戻って構わんぞ。今度礼をするからまた来てくれ」

「了解致しました。それとクロウ様。住居に放置されていたガラクタはすべて処分致しましたのでご了承ください」

「さらばだ……己れの思い出にすらなれなかった物たち……」


 たっぷり思い出の詰まった留三老人の持っていた物に比べて、九郎のガラクタなど買ったはいいが使われなかったものばかりなので物悲しい気がした。

 恐る恐る靂が尋ねた。


「……僕の小説は?」

「ご安心ください。そのまま保存致しております」

「ほっ」

「サービスとしてイモータルが同じ作品の題材を使って書いた小説を添えておきましたので参考に致してください」

「へー……ふーん」


 靂がさっそくペラペラとイモータルの書いた物語に目を通して数秒。

 

「僕のより普通に面白そう……」


 自信を喪失して床に崩れ落ちた。それを真顔のまま見ているイモータルに、九郎は云う。


「やっぱり放置したことを怒っておるよな?」

「イモータルは平常だと申告致します」

「その……帰る前にうちの子達でも見ていくか? これから」

「すぐに向かいましょう。魔王様は後に致して」

「放置していいのか? 干からびて死なないかあの女」

「……大丈夫です。そもそも子供が出来たとか捨てたとか、イモータルジョークの一種だとネタバラシ致します」

「そういう危険で微妙にリアルな嘘は止めろよ! 信じるやつ出るだろ!?」


 どうやら嘘だったらしく九郎は胸を撫で下ろした。信じよう。信じる他はない。


 

 それから時折、店の掃除と子供の様子を見にイモータルも顔を出すようになったという。



ヨグ「どうだった!? クーちゃん動揺してた!?」

イモ「認知しなそうな雰囲気だったと報告致します」

ヨグ「さすがかよ!」


もうおわかりですね。よかった。嘘だったんだ! 

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