71話『靂が斬られて皆で捜査する話』
「最近、殺気を感じるんです。人から恨まれているというか……」
「別に最近でもなかろう」
「……」
靂からの相談を九郎は一言で切り捨てると、何とも云えない淀んだ目で見られた。
ここはむじな亭の座敷だ。引っ越しをした九郎も時折、店の様子を見がてらに訪れている。そこで食事に来ていた靂──基本的に彼が外食をするのは精々この店ぐらいだ──と出会い、そんな話を持ちかけられたのだ。
無言になる靂に九郎が告げる。
「趣味みたいな仕事に没頭できる程度に財産も家もあって、性格さえ気にしなければ可愛い女を三人同居させて生活しておる若造だぞ。いくらでも周りからやっかみを受ける。甚八丸が主催しておる独身男性の集いでは『あの野郎』と呼べばお主のことだからな」
「九郎さんに言われたくないすぎる……」
確かに靂は千両の財産と田舎とはいえ旗本屋敷を持っていて、それ故に広い屋敷の管理が難しく幼馴染も同居させている。
額に汗して働き僅かな日銭を毎日稼いでは使い、嫁や彼女どころか何年も女と会話したことすらない男からは酷く羨まれるだろう。
九郎の方も金貸しの未亡人に建てさせた屋敷の主になり、嫁に妾を侍らせて下女にも手を付けてるともっぱらの評判(風評被害であるが、そのような環境故に発生して然るべき噂である)なのだが。
「己れの場合は色々と嫁を探してやったり、仕事を斡旋したりしておるからのう」
「ううう」
「お主も忍び連中を活躍させる小説とか書いてやったらどうだ?」
「そもそもあの人達、忍びの技能持ってるけどそれを活かすわけでもなく一般で暮らしてるじゃないですか……」
「そこはほれ定番で……悪党が与し易しと思って強盗に入ったら、一般人だと思っていた相手から思わぬ反撃を喰らい、実はその相手は凄腕の……みたいな。手首とか折るやつ」
「そんなの受けるんですか……?」
「あやつら、学校にテロリストが入ってきたら撃退する妄想をして楽しむタイプだからのう」
彼らは毎度毎度の会議で『女忍ばかりの忍術指南所に駄目な男教師として赴任したけど襲撃を受けた際に活躍して惚れられる話』などといったものを毎回真剣に検討している。
中にはうっかり妄想に入り込んで忍術指南所を探し放浪し始めた者まで居た。
「しかし、江戸で作品を発表できるとなると大衆受けするものになりますから……そんな自分強し!みたいなのは前例が無いから出してくれないでしょう」
「そうだのう。自由に出版もできんからな。そういえば、千駄ヶ谷から出てきたということはまた営業か?」
「はい。浄瑠璃の脚本を書き上げたのであちこちに見て貰おうかと」
江戸で本を出すにしても、出版統制されているこの時勢では法の隙間を突かねばならないのだ。
すなわち出版することを許可されている本──子供向けの黄表紙に既刊、それと芝居に浄瑠璃などを本にしたものならば構わないというので、新刊を出す際にはまず浄瑠璃なり芝居なりを行うことで本にできる。
江戸では読書好きな町人が多く、そのため新刊を皆は待ちわびているからそれだけ手間を掛けてでも出そうとするし、もし発禁となったら連座で手鎖などの罪になることを厭わずに書いてくれる作者も貴重なので、靂も版元などから支援を受けてどうにか稼ぎは少なくとも小説家として活動をしている。
「芝居や浄瑠璃で売れるとなると、仇討ちや心中ものになってくるからのう」
「とりあえず人が死ぬんですよね……」
「あやつら妙にヘタレだから人死にが出る話はちょっと……ってなるしな」
「うちの爺さんが書いてた猫耳同心の続きを書いてくれとは頼まれてるんですが……」
「微妙に厳しいものがあるよな。義父の書いてた恋愛夢小説の続きを書くとか……」
などと言いながら靂は蕎麦を啜り終わり、代金を置いて席を立つ。手元には数十枚の紙を纏めて縛った原稿を持っている。
どうにか起承転結書き終えた作品である。駄作だろうが傑作だろうが完成せねば意味はない。なので、出来上がった作品はひとまず誰かに見せるようにしている。
これもまた筆の進むままに書いた幽霊と仇討ちものであった。殺された女の呪いや情念が男を取り殺すという内容で、靂としても含蓄などを含まっていないので評価はイマイチではあるのだが、自分の評価と世間の評価はまた異なる。
「ではこれから行ってきますので」
「ボツになってもあまり気落ちするなよ」
「もっと激励してくださいよ!?」
「はっはっは」
九郎は背中をバンバンと叩いてやり、靂を送り出す。
(あやつの話は当たり外れがあるからのう……)
靂の書く文章は時には珍妙な論説であり、時には見てきたかのような事件話であり、または悪い酒でも飲みながら解釈した物語になったりして本人が云うほど一般受けできるものは書けていない。
しかしながら、書いて芝居にされ本になるというのはそれだけで出版の歴史に名を刻む行動だ。
後の世でマイナーでも江戸時代中期の作家として名を残すかもしれない。
(それまで長生きしてみるのも良いかもしれんな)
その時は買って保存している靂の本などを江戸時代の研究者にでも渡して名を上げさせてみるか、とも九郎は思うのであった。
*******
その夜──。
すっかり夜の帳が下りた江戸の町を靂が歩いていた。
これまで版元から紹介された浄瑠璃太夫の家と、そこから更に教えられた弟子などの所を回って話を見て貰いつつ、どのようにすれば良いか意見を聞いていたのである。
版元や歌舞伎(吉良と赤穂浪士の芝居が受けたので繋がりが出来た)から紹介状を貰っているため、初対面の太夫でも一応原稿は読んでもらえた。
ただし、
『此の者、新進にして気鋭の戯作者なれど未だ若く熟れていない故、より精進のためにも厳しい助言をば宜しく候』
と紹介状には無理に靂を使ってやることも無いが、評価や感想を与えて欲しいと書かれているので、ボツは喰らえどもあちこちの太夫から助言を貰っていたら遅い時間になったのである。
(最後の少女太夫が延々と酒を勧めてくるものなあ……早く帰らないと)
足早に提灯を右手に、左手に原稿を持って帰路へついていた。
ベタベタと絡んできた少女太夫には黄連という多年草を乾燥させて自作した粉薬を酒に混ぜて飲ませたところ、昏倒した。これは精神を落ち着かせる作用があるのだが、靂が作った薬は妙に効果が強くて眠りを誘うほどである。
女性に迫られた緊急対応策として用意していたもので、主に興奮した幼馴染に使われる。
ともあれなんとか用事を済ませた靂は家に戻り、幾つかの浄瑠璃太夫からは原稿で直す点を指摘されていて修正してくるようにと言われたので今度はその仕事に取り掛からねばならない。
多少は原稿にあれこれと言われて結果的に突っ返されたことでへこむ気持ちもあったが、
(よし! 頑張るぞ! いずれは世間に認められる大戯作者になってやる!)
靂が原稿に持つ手に力を入れた。
彼はまだ十六、七ほどの若者だが、自ら選んだ道を進む事を決めている。武芸の師匠ほど強くなれる気は絶対にしないし、九郎のように人の役に立って大勢に頼られる生き方もできない。利悟や影兵衛みたく悪と戦う気概も無ければ、同年代の歌麿や豊房のように才能にあふれるわけでもない。
ただ物を書くことだけは字を知り知識を持っている以上できることで、それを愚直に磨いていくことだけが今の自分にできることだ。
その為には多くの作品を書いて批評され、改善して次はもっと良い話を作り続けなくてはならない。
靂は大変な道のりでもそうしようと決めていた。
「……?」
橋を渡っている途中に靂はふと立ち止まって先を照らすために提灯を掲げる。
夜の江戸というのは殆ど人通りも無いのだが、目の前に居る──足元しか見えない誰かは靂の方を向いたまま立ち止まっている。
嫌な気配がした。
躊躇なく靂は提灯を橋から投げ捨てて振り向き走り去ろうとする。
だが──
「ぐっ──!?」
背中を棒で殴られた──と思った。
次の瞬間には熱いものを感じ、血が漏れ出るのを感じる。
斬られた。一瞬だけ振り向くと、構えられた刀がぎらりと夜闇に白く浮かんで見える。
相手が誰かはわからないが、既に一撃入れられて圧倒的に不利な状況である。
肩から背中に掛けての筋肉で受けて、着物も挟んでいたのでそれほど深い傷ではないが、まず靂は武器を持っていなかった。
常在戦場。湯に入るときでも小柄の一本は持ち込むようにと晃之介に言われていたというのに……というかそんなことを実践している者など江戸では晃之介ぐらいしか居ないのだが。
応戦か、撤退か。靂は即座に後者を選んだ。
手に持っていた原稿束を咄嗟に相手へと投げつける。大事なものだが、内容は全て記憶していた。
不意を突かれた相手が原稿に当たる。だが、走って逃げてもこの怪我ではすぐに追いつかれるだろう。
靂はよろめいたように橋桁に寄りかかり、
「うわーっ……」
と、声を上げて川へと落ちていった。なるべく、断末魔に聞こえるように。
(僕、負け慣れてる気がしてきたな……い、いや、以前は襲われてたお侍さん二人助けたし……助けなくても普通に勝てそうな強い人たちだったけど……)
着水するまでそんなことを考え、微妙に虚しくなる靂であった。
大きな音を立てて水中に沈む。秋口の水は既に冷たく、傷口が疼いて痛んだ。血が水に晒されてどんどん流れていく。
体に濡れた着物がまとわり付き動きを鈍らせながら体温を奪っていく。
常人ならば死ぬだろうが、
(先生に散々水泳はやらされたんだからこれぐらいなら……!)
着衣水泳どころか着衣に刀や槍を持ったまま泳がされたり水底を歩く鍛錬をさせられていた事が幸いした。その時は死ぬかと思ったのだが。
靂は音を立てない泳法で橋から離れた船着き場を目指して泳ぎ、静かに岸に上がって顔を顰めながら足早に灯りのない夜道を行く。
(とりあえず番小屋に駆け込んで包帯を借りて……家はどうするか……尾行されてたら危ないかもしれない……一旦あの人のところへ……)
******
江戸の夜は早めの就寝をするのが普通なのだが、九郎の屋敷ではそれなりに夜中まで皆は起きている。
体が小さくて体力的にすぐ眠くなる石燕や、早起きして家事を行うサツ子などは比較的早く眠るが、夜の方が妖怪画の筆が乗ると豊房は絵を描いたり、将翁は薬を内職したりして過ごす。
九郎はスフィと花札やらトランプやらで遊んでいることが多いのだが、戸が叩かれたので九郎は訝しがりながら表に出た。
屋敷の玄関口にはまだ年若い、番小屋の息子が提灯片手にやってきており九郎に頭を下げて云う。
「旦那さん、実は……」
と、語られたのは靂が怪我をして番小屋で保護されているということだった。
命に達する怪我ではないが、賊に襲われたことを警戒して助けが欲しいという。
九郎は即座に、
「将翁、阿子。靂が刀で斬られて怪我をしたらしいので連れてくるから治療の準備を。スフィは念のため一緒に来てくれ。担いで運ぶが、怪しい輩が近づかぬようにな」
「わかったのじゃよー。ふんむ、ここがペナなら私の歌だけで全快させるところじゃが、今は威力が落ちとるからのー」
「それじゃあ医者も商売上がったりですよ、と」
「妖術で傷を治すのも威力というのでしょうかね」
医者二人から呆れられながらも、九郎はスフィを連れて番小屋へと向かった。
なんだかんだで共に死地を冒険してきた仲なので一番頼れる相手なのだ。賊が居ても自衛はできるだろう。下手をすれば気配察知と音波攻撃で九郎よりも強い。
番太郎に案内されて二人が靂の寝かされている部屋に向かうと、座って上半身裸になり血の滲んだ包帯をきつく巻きつけている靂が、蒼白な顔を向けてきた。
「とうとう刺されたか。犯人は誰だ? 幼馴染か? コマした少女太夫か?」
「凄まじく人聞きの悪いこと言わないでください! うっ……」
叫ぶと靂は血の気が失せたようで頭を押さえて荒い呼吸を繰り返した。
「相手は……顔を見てないけど男でしたよ。っていうかなんで少女太夫のこと知ってるんですか知り合いですか」
「あれも遊女上がりの娘でな。若くして足を悪くしたものでお払い箱になったそうだが、手に職があるから義太夫をやっておる。で、若い男が旦那に欲しいというのでお主の話題が上がり……」
「人を勝手に売り飛ばさないで……うううっ」
「これクロー。怪我人を叫ばせるでないぞ。今にも気絶しそうではないか」
「いえ、まあ……痛み止めに持ってた薬飲んだから、眠いのもあるんですが……」
その女太夫に盛った黄連を乾燥させた薬であった。きつく口を縛った薬壺に入れていたので浸水も免れたらしい。
「とにかく、辻斬りだか怨恨だかよく知らん男の賊に斬られて逃げた、ということでいいな。よし、うちに連れて行くから眠ってていいぞ。お主の屋敷へは己れが連絡に行き、不安なら小唄の実家にでも泊めさせておこう」
「よ、よろしくお願いします……」
もし賊の狙いが靂及びその財産であった場合、屋敷に住んでいる幼馴染らが危ない。
靂と同じ道場に通って既に腕前は凌駕している小唄や怪力の茨が居たとしても、不安は不安なのだ。
靂は礼を云うが早いか、がくりと頭を垂れて眠りについた。
番太郎らに礼を云って治療代として一分を支払い、靂を肩に担いで屋敷へと戻った。道中、スフィが耳を澄ませていたが不審な相手は居ないようだった。
「靂坊を斬り殺したと思ったか、単に斬ったらすぐ逃げる犯行だったかどっちかのー」
「さあのう。しかしそんなことをする物騒なやつがおるとすれば、他人事ではないな……」
靂の金や女性関係に嫉妬しての犯行だとすれば自分も危ないかもしれないし、その家族にも危険が及ぶ可能性がある。
調べて見なくてはならないと九郎は考えるのであった。
*******
靂を女衆に任せた後で九郎は一人千駄ヶ谷まで飛行して、まずは甚八丸の家にて忍び頭領を起こして、
「お主の未来の婿殿が下手人に刺されて」
「ぬあああああ! 誰が婿殿だ馬鹿野郎ぅぅい!! え? 刺されたって? ……わかった。葬式と墓の準備だな。丁度肥溜めの横が空いてたっけか」
「いや違う。とにかく、誰が刺したか理由も不明なので今晩は念のために靂の家人たちをこっちに泊めさせてやってくれ」
「むぅ……まあ仕方ねえか。連れてこぉい!」
とりあえず許可は得たので今度は靂の屋敷へと向かう。
彼女らに話せばとにかく靂の事を心配するだろうし、不安にもなる。万が一を考えて一番安全な場所へと避難させるべきだ。
九郎は玄関の戸を叩いて声を上げる。
「おーい。己れだ己れ己れ。ちょいと空けてくれ。大変なんだ」
暫し沈黙。
はて、あの娘らなら、靂が帰ってくるまで晩飯も食わずに待っていそうだが……と九郎が思っていると、がたんと戸が開けられた。
中から龕灯(前方のみを照らす懐中電灯のような提灯。通称強盗提灯)の灯りが九郎の体を照らした。
一瞬目が眩み、視力が闇に慣れると……ぞっとするような無表情で小唄が棒手裏剣を振り上げ、お遊が包丁を腰だめに構え、茨が金砕棒を持っていた。
僅かに静寂。
それからパッと三人娘は破顔する。
「なんだ九郎先生か。驚いたぞ」
「てっきりー何処かの押し込みが無理やり開けさせようとしてると思ったんだなー」
「ん゛……」
「怖いわ! 急な来客に完全武装で出迎えるな!」
「だって怪しいぐらい名前も要件も名乗らなかったし……なあ?」
「靂の声でもなかったしー」
「ま゛……」
「むう……それは己れが悪かったが……」
ともあれ九郎は三人に、靂が刺されたことを教えた。
すると三人とも表情を驚愕から心配半分怒り半分に変えて、
「たっ大変だ! 靂のところに行かねば! 添い寝!」
「殺さないと靂をあたしから奪うのを殺さないと殺さないと奪われる前に」
「……!」
「ああ落ち着け! 走り出そうとするでない! 今、靂はうちで治療してるから大丈夫だ! なんで襲われたかもわからんから、とにかく調べがつくまでお主らは小唄の実家に泊まっておれ。三人も泊められんぞうちは」
九郎のところで世話になっていると聞いて、まだ心配はしているのだろうがひとまず安全な場所だということは理解できたようだ。
なお三人を泊められないというのは嘘だった。あと十人程度は生活ができるだろう。そのうち子供で埋まりそうでもあったが。
今すぐにでも何かしら行動を起こしそうな三人を押しとどめて、九郎は告げる。
「下手人も己れが探しておく。お主らが闇雲に探すより余程効率が良いことはわかるだろう。だからひとまず安心しておくのだ。見舞いなら明日の昼間にでも、なるべく三人一緒に来いよ」
そう告げて九郎は三人娘を甚八丸の家に預けて、彼に幾つか頼み事をして神楽坂の屋敷に戻った。
靂がうつ伏せに寝かされた一室ではもう治療も終えて、縫った背中からは血もほぼ止まっているようだった。
「大丈夫。若いですからね、数日で塞がるでしょうぜ」
「骨の一つも切れちゃいませんよ。鍛えていたお陰ってね」
「それは良かった。ありがとうよ、二人共」
「私も耳元で麻酔代わりに催眠音声垂れ流しにしたのじゃよー!」
阿子と将翁の隣でスフィも胸を叩いてエヘンと威張った。
「ありがたいが……時々スフィの技能が怖く思える。知らん間に己れに使っておらんよな、その催眠音声……」
「……さて。寝るかのー」
「……」
そそくさと逃げていくスフィである。病毒を無効化する九郎の体質だが、催眠術は病気でも毒でも無いために耐性は低いのだ。
ちなみに実際にスフィが使っているのは、ぼーっとしてる九郎の膝に乗ったり、頭を撫でても気づかないといった程度の非常に可愛らしいというかヘタレた使い方だったが。
ともあれ彼女のお陰で怪我人も魘されずに済んだのであった。
*******
翌朝、どうにか意識を取り戻した靂に改めて事情聴取をしてみたが、犯人像は残念ながら詳しくはわからなかった。
暗闇で背中を見せたところで斬られたのである。見えたのは精々、足元と着物からして男だということ、刀か長脇差が凶器だということぐらいだ。
「ふーむ。ということはお主の幼馴染共が、心中目的で殺しに来たという線ではないのだな」
「嫌な線すぎる!」
「影兵衛あたりも除外だな……斬り殺せないとかあり得ないので」
「嫌な理由すぎる! いたたた……」
まずこういった犯行というのは知人の線から洗っていくのだが、どうも余程親しい相手という風には思えなかった。
靂とあまり親しくない者は彼を恵まれたあの野郎だと思うが、幼少時からの暮らしを考えればかなり不幸であり、ついでに今は出来る努力をこなしている真面目な若者だと知っている者も多い。ついでに幼馴染が地雷すぎるという事情も。
「やはり独身男共の妬みが怪しいか。少し調べてくる。スフィも来てくれ」
「任せるのじゃよー」
「スフィばっかり頼りすぎだぜー」
「影が薄いのーズルいのだわー」
「お主らもう立派な妊婦だろうに……危ないから家に居ておれ」
「ぶー」
不満そうに云うお八に豊房であったが、今更連れていくわけにもいかない。
暫くすれば彼女らも育児に忙しくなっていくのだろうか。そんな中でも外に出かけている自分が不意に脳裏に過ぎり、何とも駄目な父親臭さを覚えた。
スフィと外に出ながらポツリと、
「うちの親父、己れが子供の頃から数ヶ月単位で出かけることが多かったのだが……それでも案外真っ当に子供って育つものではないだろうか」
「クロー。育児に自信が無いなら素直に云うのじゃよ……」
「むう……嫁たちとは孫ほども歳が離れてるのに情けないような……」
「情けなくとも側に居てやるのが良き夫にして父親というものじゃ」
「そうか……」
「まあ私の父親は、国有林を勝手に伐採して海外に輸出しまくった罪でとっ捕まって懲役500年とかになったから顔も覚えておらんのじゃが。にょほほ」
「……」
スフィも九郎もやたらたくましい生き方をしているという点では同じかもしれない。
「ところで今回は何をすればいいのじゃ?」
「お雪のやつの特技なのだが、スフィも尋問相手の心音やら声音やらで嘘が見抜けるか?」
「もちのロン! ま、普段は意識しておらんがな。いつでも嘘を見抜いていても良いことは無いしのー」
「そ、そうか。そうだな。うん」
九郎も激しく同意するのだが、スフィは朗らかな笑みを作って尋ねた。
「クローは浮気をしておるか?」
「しておらんのですけど」
「……」
「……」
「……」
「……す、スフィ。己れはお主の事を生涯の大親友だと思っておるぞ?」
「そうかえ、そうかえ」
「甘いもの食べていこうか」
「そうかえ、そうかえ」
「ほ、欲しいものとかあるか?」
「いいんじゃよ。ほら、仲良しらしく手を繋いでいこうかのー」
まったくもって、九郎にはやましいところは一つもないのだが、黙られると非常に不安になるのであった。それだけである。
じんわりと汗の浮かんだ九郎の手を握って、勝ち誇ったように笑いをこぼしたスフィであった。
(とても勝てそうにはない……)
恐らくはこれからも、九郎にとって敵わぬ相手であるようだ。
******
ともあれ甚八丸の家にやってきた九郎とスフィは、予め頼んでおいて容疑者となる独身忍者達を甚八丸に集めさせておいた。
幾ら九郎が見合いをさせてくっつけていっても減った気があまりしない彼らが十数人もそこでたむろしている。
「おう。一応、あの小僧に悪感情を抱いている連中集めといたぜ」
「容疑者が普通に多い……」
「ちなみにこれが名簿だ」
渡された紙を見ると、それぞれの名前と職業が書かれている。
そしてどれも備考欄に「靂の女性関係を羨んでいる」「靂の財政状況を憎んでいる」「靂が美人で巨乳で背の高いお姉さんと婚約とかしてると聞いて悔しさに下血した」「靂相手に丑の刻参りをしていた」「靂の尻を狙っている」などと動機も書かれていて非常に詳細だ。
江戸の町に忍んで生活をしている忍者らはお互いのことは余程仲が良くなければ表の顔は知らないのだが、例外的に甚八丸は把握していた。江戸近郊の忍びの顔役であり、ついでに彼の卓越した能力に掛かれば調べることも容易いのだ。
「というか靂狙われすぎ問題じゃのー」
「あたりめえだろ。あんなガキが食うに困らねえ生活で、墨付けた筆でちょちょっと文字を書くだけの仕事して女にモテてるとか、汗水掻いて働きおまんま食ってる身からすればキヒイイ」
「斬り殺す素振りをするな、素振りを」
特に甚八丸経由で靂の情報は忍びに伝えられているので、余程憎まれる対象になっている一因だろう。
ただし同時に甚八丸の娘が入れ込んでいて、ひょっとしたら靂の嫁になるかもしれず、そうなれば頭領の婿殿ということになるので実際に危害を加える方向には行っていなかった。
しかしながら近頃は忍び連中の間で広まっている、「九郎旦那の美人のお姉さん」というつまり女体化したお九が、靂相手に婚約している──と、幼馴染を騙すために言っていた──ことが知られ、さらなる殺意が高まっているという。
「とにかく、一人ずつ面談してみるかのう」
「おう。今のところは誰にも教えないで、お前さんが呼んでるから集めたってんでてっきり次の見合い相手の話かと思って来てるがな」
「なんか悪いことをした気が……」
ひとまず九郎はスフィと共に別室に入り、一人ずつ忍びを呼んで尋問に移った。靂が刺された事の報告と、その日のアリバイを聞くのだ。それでどれほど相手が反応するかをスフィが確認するという、カマかけ全振りの取り調べである。
そうしたところ、
「え!? あの野郎が刺された!? 今夜はお赤飯だ!」
とか喜んだり、
「チクショウ先を越された! あ、いや、許せねえですね!」
などと本音が出たり、
「俺が? いやまさか。やるなら毒塗って確実にやりますよマジ」
とかもっと恐るべき計画を白状していくのであった。
それに関して、相手が動揺したり言い淀んだりしていないか九郎の隣に座ったスフィがじっと耳を澄ませて確認していった。
しかし、
「うーみゅ。変な動揺していたのは『まさかおれの生霊が……!?』とか言い出したのと『靂きゅんの尻が……!?』とか言っておった二人ぐらいじゃなー」
「どっちも違いそうだのう……」
「捜査は振り出しに戻ったというやつじゃな」
仕方なく、或いはまだ容疑は薄いが行動をさせればボロが出るかもしれない可能性にも賭けて九郎は忍びの皆を集めて呼びかけた。
「先ほど事情聴取をした通り、靂の奴が下手人に斬られて大怪我をした。犯人はまだ捕まっておらぬし、これが通りすがりの辻斬りなのか、靂個人への怨恨か何かなのか、或いはもう犯行が起こらぬのかまだ靂を狙うのかすら不明だ。
できればお主らも協力をして下手人の情報を知らせて欲しい」
そう云ったものの、皆の顔は優れない。気がした。実際は覆面で隠している者ばかりなので顔色は見えないが、戸惑ったようにお互いを見回している。
無理もない。彼らとて靂に対してあまり良い感情を抱いていないからこそここに集められたのだ。そんな彼の為に働くことにやる気を見せるわけもない。
だが九郎の頼みということもあるので、精々日常通りに過ごしながらもし何かが分かったら知らせるか……ぐらいの非積極的協力に皆の感情が落ち着こうとしていた。
当然ながら九郎も呼びかけつつ、微妙なその空気に気づいた。
「あー……積極的に活動してくれる者には一分ずつ活動費でやろう。有力な情報を手に入れた者はそれぞれ小判一枚」
それでもイマイチ反応が鈍い皆に、九郎は云う。
「……なら、己れの親戚の女であるお九が膝枕してくれる切手を──」
「散開ッッ!!」
「早っ!?」
シュバッと残像の残るような速度で忍び一同は四方八方に散り情報を探りに出た。
「た、躊躇いが無かったのー」
「何なのだいったい……」
「馬鹿野郎この野郎てめえ、あの独身連中は下手すりゃ母親からすら碌に相手されなかった雑魚共だぞ。それが美人で巨乳の姉さんに膝枕乳固めヨシヨシされるってなりゃ、残り寿命はたいてでも行動するわ」
「要求条件増えてないか!?」
「さ、て、と」
甚八丸は何やら体の筋をぐいぐいと伸ばして準備運動のような動きをしていた。
そして大きく息を吸い込み、肺に留める。
叫ぶと同時に足元が蹴り足の勢いで爆ぜた。
「ハアアアア!! 俺様に情報収集能力で勝てると思うのか雑魚共がああああ!!」
「甚八丸も走り出した! あっ家から手裏剣が飛んできておる!」
「ハァァァァン!! 手裏剣対策その一『手裏剣より早く動けば避けられる』実践編ンンンン!!」
「人間かあやつ」
全力で機動している甚八丸に引きつつ、九郎とスフィは見送るのであった。
「……それにしても、クローや。自分の体を売るなど何事じゃ! お姉ちゃん悲しいぞ!」
「売るって程じゃなかろう……他に丁度いい餌もなかったのだ」
「男と浮気してるなど、他の娘に言えぬのー?」
「う、ぐ……凄まじく人聞きが悪い……」
がっくりと九郎は肩を落とすのであった。
******
さて、気合を入れて捜査に出た忍び連中だが、個人で出来ることには限界がある。
必然と彼らは親しい忍びなどに情報提供を求めて話を持ち込む。
持ち込まれた方も何故そこまで必死なのか訝しんで問い詰め、やむを得ずに、
「この事件で役に立てば長身巨乳の美女から膝枕して貰えるんだ……!」
という事情を聞かされ相手も協力を申し出る。当然だ。プライスレスである。
一人が二人に広まり、二人が四人に広める。
最初は容疑者候補の忍びのみだったのに、そのうち江戸の主だった暇な忍びほぼ全員にその報酬が知らされた。
更には、
「……晃之介さん。何処に行くのよう」
「い、いやな? 弟子の靂が誰かにやられたというので、師匠としてはその相手を探さねばならないだろう子興殿」
「うちの先生に聞いた話だと、それに参加したらおとう……お九さんから膝枕されるのよね」
「そ、そうだったかな……」
「……」
「やはり……行くのは止めとこう。うん」
「別にいいけど。早く犯人探して解決してきて」
「わかった……!」
などと道場主まで参加したりした。彼の嫁からしても父親が何をトチ狂ったか女体化して色気で男を扇動しているという状況は軽く頭痛モノなので、せめて自分の旦那が早く解決してくれることを祈るのみである。
不特定多数の男と厭らしいアレをするよりはまだ旦那一人の方がマシだと考えたのだ。
他にも、
「何? 靂のやつがぶっ殺された!?」
「い、いえ、靂さんが不意打ちで怪我をしたと」
「相手は!? つええのか! 或いは……九郎が犯人!?」
「なんでそうなるんですか父上! ええと、先生が下手人探しに出たそうです」
「兄ちゃん先生が……ってことは面白くなってきやがったな」
「あとこれはあんまり関係ありませんけれど、事件を解決したら九郎さんの姉である、色々大きい女性が枕をするとかなんとか……?」「九郎の姉ちゃん? え。枕を? 美人か?」
「はあ。見たことないぐらいには」
「……拙者は江戸の正義を守る火付盗賊改方の同心だからな。辻斬り事件は見過ごせねえ。早速今から捜査に出てくるぜ!」
「さすがです父上! さすちち!」
「おうよ! さすってやるぜ! ちちを!」
などと影兵衛も話を聞いて事件を調べ始めたりした。
類似の辻斬り事件が起きていないか調べ、靂を訪問して傷跡から得物を特定したり、敵の腕前を推察したりした。
このように江戸市中ではにわかに犯人探しの風が吹き荒れ、悪党にとっては非常にヤバイ空気が流れるようになっていく。
丁度靂が斬られた辺りの橋を夜中に歩いている男が急に声を掛けられたりもした。
三人程の体格の良い侍が男の前を塞いで誰何する。
「おはんがやりおったなッッ!!」
「え、何を」
「もう喋らんでよかッッッ!!!」
「チェエエエエエエイイッッッッ!!!」
「ぎゃああああ!?」
ズタボロにされて捕縛された男がさつまもん三人に連れられていく。
「悪かこつしたモンはやいとばした現場に戻っもんばい」
「名案でごわした」
「……ところでおんしら、まさか褒美の事を狙うちょらんじゃろうな」
「そげんこつなか! わァこそ怪しかッッ!!」
「薩摩男児がおごじょん膝目当てち恥ずかしかッッ!!」
などと夜闇に声を響かせて、噂を聞きつけたさつまもんらも調査に参加するのであった。
これも九郎の日頃の付き合いからくる人徳であろう。
連れてこられて頭を抱えたが、よく見たら犠牲者が利悟だったので罪のない一般人は犠牲にならなかったと思い九郎はほっと胸を撫で下ろしたという。
さつまもんらには、
「気持ちは嬉しいが、間違った者を襲うのはちょっと」
「わかいもした!!」
そう勢い良く挨拶をしたのだが三人で、
「次からは相手の返事も聞くのはどげん?」
「名案にごつ」
「三人で囲んで問い質せば素直になり申さん?」
「名案にごつ」
と、またしても問題になりそうな相談をしていたのだったが。
倒れた利悟は一応湿布などで治療してやり、嫌がらせにお九が目覚めるときに膝枕してやったところ──
「うぐっ……と、年増の膝オロロッッロロオオロ」
「吐きおった! ぶれぬなこやつ!」
嘔吐した。
心も体も傷ついたような気がしたが家まで送ってやり、ケアは嫁に任せる九郎であった。
様々な伝手が靂を襲った犯人を探して──
********
数日が経過した。まだ確実な情報は得られていない。ただし情報は次々に齎され、靂と関わりがあったであろう人物もリストアップされていっている。まったくの通り魔的犯行でなければ、相手は何処かで見知っているはずだった。
靂は治療の経過のためと、一人にしては危険なのでまだ九郎の屋敷に留まっていた。
しかしながらすることも無く暇なので、彼は文机を借りてサラサラと迷わず何かを書いている。
「なんだ? 新作か?」
「いえ、以前に書いたやつです。襲われた時に咄嗟に相手に投げつけて失くしちゃったもので」
「ふむ」
何気ない靂の言葉に、九郎は違和感を覚えた。
咄嗟に投げつけた紙。もし切りつけた対象がそんなものを投げて来て、体に当たった際に賊はどうするだろうか。
その場に捨て置くのが普通ではないだろうか。わざわざ持ち帰ったりはすまい。
しかし忍び連中の、橋の下にある川底まで調べた報告にも靂の原稿は出てこなかった。恐らく凶器と思われる長脇差が沈んでいたのは見つかり、犯人は侍ではなかろうと云う意見で一致しつつ。
気になって九郎は改めて忍び数名を呼んで仲間と情報共有させ、靂の原稿の目撃情報について調べさせた。
結果はやはり見つからない。散らばった紙の一枚も、番屋に落とし物として届けられた形跡も無い。屑紙拾いにも確かめさせたが、見つからなかった。
すると犯人がわざわざ持っていった──ということにならないだろうか。
(何のために?)
九郎がそう考える。もし、原稿が目的だとするとその日に靂が原稿を持っていることを知っていた者が狙った、ということになる。
何のために。
それを知るために、九郎は靂から物語の概要を聞き出した。
とある遊び人の男は大層に名を馳せた色男で、ある時にその二枚目の顔と口八丁で日本橋に店を出す大店のお嬢様を嫁に貰い、多額の結納金を実家から頂き、二人で小さな店を開いたという。
しかしながら美しいお嬢でも、男慣れしていない初心な娘では女たらしの男を満足させられず、早々に男は嫁に働かせて自分は女遊びに励んでいたという。
涙ながらに嫁は男にすがりつきながらも実家から金を借りては貢ぎ、小言を言いながらも男を養っていた。
しかしあまりに鬱陶しくなった男が嫁を縊り殺し、その死体を日暮里の薬師堂にある一本松の根本に埋めてしまったという。
男は娘の実家に知られぬよう店を畳み、名を変えて再び気楽な独り身の暮らしに戻った。
だがある日から、夢枕に嫁の霊が立ち恨めしい恨めしいと囁く。
そんなに恨めしいのならば埋められた穴から出てきてみろと男は啖呵を切ったところ、外は激しい雷雨になった。
雷に打たれた一本松は倒れ、根ごと引き上げられた土には女の骸骨があるのを夢に見る。
今に骸骨がお前のところにやってくる──と夢で告げられて目覚めた男は、外がいつの間にか大雨になっていることに気づいた。
そして長屋の戸が叩かれる──
「──といったものなんですが」
話を聞いて難しそうに考えていた九郎。時々靂は自分に悪意があるんじゃないかと思いつつも、確認をしてみる。
「その『薬師堂の一本松』というものは……実際あるのか?」
「ええ、近くを通った時に見かけまして。ふとそのとき、あの根本に死体が埋まってたら……ってなんでか思いついて、そこから考えて書いてみたんです」
「……」
九郎は何処か引っかかった。
時折──靂は無意識に何かを見てきたかのように物語を作るときがある。本来ならば知らない情報を使って何となく思いついた、という理由で謎の話が出来上がる。
「調べてみよう」
九郎はそう呟いて、屋敷を出ていった。
******
万が一死体が出た場合と、合法的な逮捕にするために影兵衛を途中で誘って二人は日暮里の薬師堂にある、確かに目立つ老松へとやってきた。
その根本で九郎は術符を取り出す。
「地面を透けさせてみよう」
「おっ。それひょっとして女の着物とか透けさせられねえ?」
「発想が歌麿と同じだからなお主……」
言いながら隠形符で松周辺の地面を一間(約1.8メートル)下まで透過させてみたところ──
「あったぜ、あったぜ、ありましたぜ。女の骸骨だ」
「靂が霊感でピンと来たのかのう」
まさに靂の物語通りに女の骸骨が埋まっていたのだ。半ば腐ちかけた着物でどうにか女とわかるが、かなり長い間ここに埋められていたようである。
「よし! こいつを掘り返して、当日に坊主にあった浄瑠璃太夫の中で一番怪しい男に突きつけてやろうぜ! 安心しな、シラを切っても拷問してやるから!」
「ベクトルが違うだけで薩摩並だよなあ……」
もしも賊の目的が、靂とその持っていた原稿ならば、原稿の内容を知るのはその日に靂が回って見せた義太夫達以外に居ない。
となると動機は、彼の書いた物語が自分にとって不都合な事実なのではないか、ということだ。
靂の霊感でまさに以前に起こった事実を書いてしまっていたのならば──まるで見てきたかのような物語を作った相手は恐怖だろうし、それを発表しようとする前に止めなくてはならない。
「行くぜ九郎! 褒美は貰ったも同然よ!」
「褒美?」
「手前の姉ちゃんを一晩貸してくれるんだろ?」
「全然違う情報になってるんだが!? 膝枕だ膝枕!」
「ケチケチすんな。減るもんじゃねえだろ」
「何処の阿呆が膝枕から大盤振る舞いでそこまで許すのだ」
「……まあ、いいぜ。本人に交渉すれば……!」
「こやつ……」
呆れながらも二人は小石川にある男の義太夫宅へと急ぐのであった。
*******
男は一人、部屋の中で数日前に原稿を焚べた火鉢をじっと眺めていた。
もともと話が上手く声がよく通ったために人を騙すのも女と洒落た会話をするのも得意な方であった。
それが、女房を殺してから身を隠し、芸名であっても不審がられない義太夫となって今ではそれなりに寄席へ客が集まるようになる。
眉を剃り落として眉墨を塗り、口に紅を差して化粧をした彼は大勢の前で浄瑠璃を披露しても誰一人とて以前の自分だと気づくものは居ない。
だが、それでもいつも不安ではあった。ある日に、あの女の両親や店の者が見つけるのではないかと。
二人は店の経営が上手くいかずに夜逃げをしていった、という話を振りまいているので、娘が死んでいることすら知らないのかもしれないが──
それでも月日が立つうちに、不安も薄れてきた。決して消えはしないが、限りなく薄めることはできる。彼はそう信じていた。
だが、つい先日。若い戯作者が見せてきた物語に愕然とした。
まるで見てきたかのような内容である。勿論、埋めた女房は骸骨となって這い出てきていないが、まだ埋まっているか確かめる気にもならない。
気が気ではなかった。とにかく、そんなものは発表しないように厳しく言いつけたが、追い返してから失策を悟った。
自分が原稿を受け取ってしまえば処分が楽だったというのに。
慌てて戯作者を追いかけると、次に彼はまた別の義太夫へと話を持ちかけていったようだ。
あまりに心配で内臓が酷く痛んだ。
いっそ中に入って、義太夫も戯作者も刺し殺してやろうかとも思ったが、失敗した時のことを考えると軽率な行動もできなかった。
どうやらあちこちで原稿のダメ出しをされた戯作者は夜闇の中で一人帰路についている。
ここしかない、と彼は思った。
先回りして橋で待ち構え、切りつけて原稿を奪った。戯作者は重傷のまま橋から落ちて、まず助からないだろう。
あらゆるところで断られた駄作の原稿ならば、世に出ないまま消えても他の義太夫も気にすまい。
しかし──
あれから一向に、斬られた土左衛門が上がったという話を聞かない。
それが不安で、男は昔感じたのと同じように疑心暗鬼に襲われているのであった。
今まさに、戸を叩く音が──
どん! どん!
腰が抜けるかと思った。
歯が震えだし、目に恐怖から涙が浮かんだ。戸を叩く音はまだ続き、そのうち殴り壊すのではないかという勢いだ。
「は、はい。今、開けます」
大丈夫だ。証拠は何もない。切りつけた長脇差も捨ててしまった。もし拾い上げられたとしても、自分に繋がる要素は無いはずだ。
気持ちをしっかり持ち、毅然として対応をする。或いは、あの日戯作者が会った義太夫全員に話を聞きに来ているだけかもしれない。
男は戸をゆっくり開けると──雪崩れ込むように男が入ってきて彼を取り囲んだ。
裂帛の気合がこもった稲妻のような声が響く。
「おいコラァッッッッ!!」
「おはんがやり申したなッッッ!!」
「なんもかんもわかっちょるぞッッッッ!!!」
「ひいいいい!! すみませんでしたああああああ!!」
薩摩人三人に取り囲まれて怒鳴られ、勢いで即白状した。
続けて、戸の開け放たれた男の長屋に人が集まってくる。
「火付盗賊改方見参! この骸骨は手前の女房だろうが! 大人しくお縄につくか認めて拙者と殺し合いしてみろォ!」
「なんで薩摩人らが先におるのだ……?」
と、影兵衛と九郎。
「はいはい俺たちも! 証拠掴みましたー!」
「地道な目撃情報からこいつが見つかり!」
忍びの一党が、
「本当にこんな証拠でいいのか……?」
「他に見つからなかったけど合ってたんだからいいんですよ!」
「しかし狐狗狸さんで見つけるというのも……」
晃之介と他の忍びが、
「はいはい雑魚共どいてろぉい。俺様ァそいつが小僧の物語で図星食らったことも、現場周辺の二八蕎麦の店主が目撃したことも、伊作のところで占って出たことも知ってるのでお前らの三倍の情報でぇす」
「ずるい頭領! 自分で調べないで人の調べたことを吸い上げた!」
「馬鹿野郎! これが上の人間の調べ方ってやつよ!」
甚八丸も同時に現場に踏み込んできた。
結果、凄まじくごちゃごちゃになったのだが──
「ひえもん、取り申したッッ!!」
と、さつまもんらが真っ先に捕まえるという結果になったのである。
******
何故薩摩人の三人組が一番早く見つけることができたのか。
それは彼らの薩摩的直感で、事件直前に会った者たちが怪しいと即座に決めつけた。
即決即断。すぐさま三人で一人ずつ義太夫の家に押し入り、犯人かどうか厳しく誰何したのだ。
事前に九郎から、予断で捕まえるなと釘を刺されていたことが幸いして自白しない限りは「失礼しもした」とだけ言って立ち去っていったようだ。
そんな事を繰り返し──精神的に参っていた犯人の男へと至り、見事に自白へ追い込んだのである。
まさに強引な捜査であった。後の明治時代に薩摩出身の警察官が東京に大勢居て、「オイコラ警官」と呼ばれる強い呼びかけをするそれを先駆けしたようなものである。
江戸の取り調べは証拠よりも自白が重視される。すぐさま男は火付盗賊改方から奉行所に回され、四年前に女房を殺したことと、戯作者を切りつけたこと斬首に処された。江戸では正当防衛で殺した以外は死刑となるのが普通だ。正当防衛でも良くて島流しと厳しい処罰が決められている。
さて、薩摩人三人だが、どうも女の膝を借りるのは他人に知られれば憤死するほどの恥だがしたくないわけではない様子なので、一人ずつ別室でお九がやってやった。
カチコチになって受けたのだが、終われば三人ともデレデレとして、ついでに貰った小判で遊女屋にでも行くかと話し合っていた。
「まるで童貞を捨てたかのような反応で逆に困るな……」
更にしっかり調査はしたというので、忍び達も総勢三十名ほど並んでお九から膝枕を受ける。
まともに女に触れたこともないような独身男らがされるにはあまりに刺激的だった。
涙を流す者は珍しくなく、そのまま気絶する者、うつ伏せで痙攣する者、お九に求婚する者まで現れた。勿論断られたが。
影兵衛など図々しく、
「こいつはでけえ……! 九郎の野郎! 拙者になんで紹介しなかったんだ……!」
「おいこれ影兵衛。膝枕しながら乳を揉むな」
「いいだろ! 減るもんじゃねえし!」
「そして飛んできた手裏剣を片手間で弾くな」
あまりの狼藉に忍びから手裏剣が影兵衛へとピンポイントで飛んでくるのだが、手に持った脇差しで寝転がりながら器用に弾き飛ばしていた。
「よぉーし待て待てこれは着物の上からじゃ勿体ねえ! ちょいと拙者に案が──」
「ちちうえ?」
「……し、新助。これは違ェぞ? おう」
忍びの一人が連れてきた影兵衛の愛息子の視線に、中年同心の目は大いに泳いだ。
新助は父親の姿を睥睨して、踵を返した。
「母上に報告してきます」
「うおおおおい待て待て新助!! それだけは勘弁しろ!! 前にむっちゃんに浮気がバレたときはケツを刺されて切れ痔がふた月も治らなかったんだぞ!! やべえって!!」
「父上が二度と浮気をしないように良い薬です」
「馬鹿! 痔ってのは死ぬ病なんだぞ!! 拙者が美味しい菓子屋に連れて行ってやるからな!?」
「はーい切り裂き同心のご新造さん連れてきましたー」
「糞がああああああ!!」
影兵衛はずるずると嫁の睦月(忍びが連れてきた)に引っ張られて去っていった。
そして近くで見ていた晃之介にお九は声を掛ける。
「お主は?」
「いや、俺は……女房に早く解決してくれと頼まれただけだから、別にいい」
「はっはっは。そういう言葉は視線を胸から外して云うものだ。ほれこのムッツリ助平め」
「うわちょっと待」
「──膝枕乳固め」
「あの野郎!!」
忍びが一斉に晃之介に向かって叫んだ。膝と胸に挟まれる極め技を喰らった晃之介は、顔をひくひくとさせてニヤけるまいと必死で、男友達のそういう情けないところを見るとお九は得も知れぬ満足感を覚えるのであった。
なお、膝枕をすることになった会場は甚八丸の家であり──その家の主人は嫁の手によって磔にされているのだったが。
もがく晃之介の頭を太ももで挟んで押さえ、忍び連中の怨嗟の声が上がる中でお九は呟く。
「ま、とにかくこれで解決だ」
「しかし、どうして靂はあんな正確に犯罪を暴く物語が書けたのだろうか……」
「そうだのう。或いは、老松の下に居た女の霊が、夫ではなく靂に語りかけたのかもしれぬな。助けてくれと。さしずめ──」
霊感作家といったところか、とお九は微笑んだ。
その笑顔に見惚れる男は多かったという。
*******
余談。
神楽坂の屋敷に戻り、男の姿で九郎はスフィに相談する。
「何故か女形態だと己れがモテモテなのだが……」
「ここの男達が相当飢えておるのと、お主が距離感近く接してくれてワンチャンスありそうな雰囲気だからじゃろ」
「そういうもんかのう……マジであやつらチョロくて不安になる。男状態だと、散々付き合って嫁やら妾やらは増えたがそんな女からモテぬというのに」
「そうなのかえ?」
「うむ。五年前ぐらいの関係性では、己れに無条件で小遣いをくれるのは精々石燕ぐらいだっただろうな。今では皆くれるだろうが」
「……クロー。モテてるの判別方法が『女から金を貢がれる』というのはどうかと思うのじゃよ……」
「……」
「……小遣い、やろうか?」
「冗談に決まっておるだろう。はっはっは」
そのとき九郎の胸から聞こえた動揺の心音を聞かないフリをする優しさがスフィにはあった。
TSしてオタサーの姫プレイに走る主人公(既婚)




