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66話『将翁と船幽霊の話』





 九郎の菓子屋で売られている高級品は一つ200文(4000円)もするのだが、更に数量限定受注生産でより高価な品物も販売している。

 そうなると洋菓子に詳しいスフィと石燕が色々と工夫を凝らして、季節の果物を砂糖漬けにしたり、濃厚なクリームを作ったりして形も華やかに整え作っている。

 高級品を注文するのは、大店である鹿屋の関係であったり、九郎が広めた町寄合の会合であったり、或いは菓子を買うに困らない程度に金を持っていて体面を気にする武家などだ。

 その武士階級の間に菓子を広めているのが陸奥弘前藩黒石領4000石の当主であり、旗本寄合の津軽政兕であった。

 旗本寄合は禄高3000石以上の旗本でありながら、無役か退職者が所属する家格である。やる気のある者はこの退職者の集いから、また幕府の役目につこうと虎視眈々と狙っているのだったが政兕の場合は、


「仕事をしなくても給金が貰えるなんて」


 と、喜んで余った時間を釣りに費やしているのであった。

 素行は不真面目だが、釣りの名人という人との話題に事欠かない特技を持ち、幕府内でも結構古くから勤めているので人脈は広い政兕である。自領で育成した鷹を将軍に送る役目も慣例的に行っているので将軍の覚えもよく、生活に困らない。

 なので彼から、隠居組や接待組に対して高級菓子を広めてもらうという作戦は成功ではあった。

 政兕経由で注文が届くと、中間マージンとして薩摩芋で作った釣り餌を重箱に詰めて渡してる。それで満足しているようだ。


 それはともあれ、鮫騒動が一段落してから政兕がいそいそと釣り竿を背負って海に出かける姿を九郎が見かけて声を掛けると、


「海が濁ってて、鮫も居なくなった今が絶好の潮時なんだな」


 そう言って釣りをする気満々であった。

 さすがに台風で魚市も船も被害を蒙り、釣り人も姿を消している今だからこそ釣れるチャンスだと判断したのだ。

 それを聞いた九郎が、


「じゃあ己れも釣りに出かけるか」


と、思い立ったのである。

 これで九郎、派手に遊んでいるところばかりに見えるが釣りや将棋などと言った地味な趣味も持ち合わせている。

 

「お? なんじゃクロー。魚とりか? 私が一網打尽にしてやろーかのー?」


 九郎が竿や糸を準備していると、ひょこりと後ろからスフィが現れてそう告げてきたので九郎は苦々しく首を振った。


「スフィだけは連れて行かん……!」

「寂しいのー」

「何があったんだぜ?」


 同じ部屋で子供用の着物を縫っていたお八が首を傾げて訊いた。

 この九郎という夫は、自分という嫁も居るくせに兎にも角にもスフィに甘いことをここ一年で良くわかったのである。

 目に入れても痛くないというか、語らせると長くなるというか。

 そんな彼がどうも彼女の申し出を渋い顔で断ったのだから奇妙に思えたのだ。

 九郎はため息混じりに告げる。


「随分前だが、スフィを釣りに連れて行ったら、水の中に顔を突っ込んだかと思うと水中で爆音を発生させて周囲一帯の水生生物を根こそぎ気絶させ網で掬い始めたことがあってな……」

「釣りじゃねえなそれ!」

「効率いいんじゃが」


 スフィが唇を尖らせてそっぽ向きながら主張する。

 彼女を連れて行くとまさに釣りではなく魚とりになって、漁が目的ならば良いのだろうが遊びにはならないのである。

 

「ああ、それならあたしも久しぶりに釣りに出かけましょうかね」

「将翁がか?」


 縁側でごろりと横になり、枕に頭を預けていた将翁が眠たげな声で起き上がってそう告げた。


「ええ──暇ですので」


 きっぱりとそう言った将翁はあくび混じりに全身をほぐすように伸びをした。


「……お主最近、ものぐさな生活になっておらんか」

「薬の調合も阿子のほうがよくやってるのを見かけるぜ」

「台所に立っている率が地味に一番低いのー」


 三人の視線を受けながらも彼女は眠そうに目を細めて、


「いえね、やってできないわけじゃないんです、よ。やればなんでもできますし。やらなくても誰かがやってくれるから本気を出さないだけで」

「いかん。こんな駄熟女、前にどっかで見たことが」


 屋敷の中から石燕のくしゃみの音が聞こえた。

 この家は特に働き者が多い。上女中として働くサツ子を筆頭に、皆が持ち回りで家事を行っているのだ。

 そんな中で将翁の主な家事というと、皆の診察や治療など特殊なものを役割としているのではあったが、


「……そういえばこの前、酒の飲み過ぎで苦しんで阿子から薬貰ってなかったかお主」

「……てへっ」

「医者の不養生だぜ……」

「大人の魅力がどうとか前に主張してた気がするのじゃが……」

「──さて。釣りに行きましょうぜ。舟で行くなら、二人居たほうが便利でしょうしね」

「あっ話逸らした!」

「まあ……いいが」


 九郎は頷いて、将翁も自分用の薬箪笥に荷物を詰め込んで用意し始めた。

 時折「あれ」とか「どこにしまったか……」とか「引き出しの鍵が合わない……」などと如何にも最近使って無さそうな言葉を呟くので不安ではあったが。

  



 ********




 江戸の町中を進むには、歩くか駕籠か猪牙舟を使うのが一般的だ。江戸はあちこちに水路が張り巡らせられていて舟で目的地近くまで向かうに面倒は無かった。

 九郎も、晃之介から舟を借りたりしていたのだが、何かと使い勝手があるということで茶船を一隻購入していたのだ。何せ晃之介から借りたら何故かよく壊れてしまい、彼に渋い顔をされるようになったので。

 茶船とは江戸に7300隻もあると言われた小型の舟の総称のことで、猪牙舟も茶船に含まれる。九郎が購入したのは、船底をやや平たくしている釣り船用のものであった。

 ともあれ台風も近づいていたので川から避難させようと庭に置いていた舟を前に、九郎は体を一旦青年の姿に変えた。


「よし」


 そうして屈んで船底を両手で掴むと、一気に持ち上げた。

 如何に茶船が小型といえども、その大きさは長さに30尺(9メートル)、幅が4.5尺(1メートル35センチ)もある舟である。普通ならば牛馬に牽かせるような代物なのだが、術符で強化した筋力で無理矢理に担いだのである。

 九郎が体を大きくしたのは体重と、持ち上げる重心を分散させて船体への重量によるダメージを和らげるためだ。

 

「相変わらず、たくましいことで」

(ズル)を使っておるがのう。素の力でこれを持ち上げようとしたら、それこそ体を中国の拳法家に憑依させねば無理だ」

「それで持ち上げられるのも、人としてどうかと思いますが……」

「気にするでない。ほれ、確か聞いた話では江戸でも象と相撲を取ったとかいう男が居たそうではないか」

「あれはどう見ても妖怪変化の類に見えましたが、ね」


 九郎が異世界に行っている間に、将軍吉宗の元へ象が長崎から連れてこられたのであったが、それがにわかに暴れかけたのでそれを正面から押さえ込んだのがオークのシンであった。

 身の丈八尺で腕周りは大人の胴よりも太い巨漢が、身体強化の術まで使ったから出来たことではある。

 

「人にバレぬように舟を消して、と」


 九郎は術符で舟を透明にする。

 さすがに一人で舟を担いで町中を歩いていたら不審者丸出しだからである。まあ、あの天狗の旦那がと言われれば知人は納得することではあるのだろうが。

 とはいえ、前後に四メートルずつも突き出た透明な船体を持って歩くには注意も必要だ。九郎の背丈が六尺ほどもあり、その頭上に掲げているので通りすがる人の頭に当たることは殆ど無いだろうけれど、建物や壁などにぶつける可能性がある。


「将翁は船尾の方を注意していてくれ。川まで運ぶから」

「了解しましたぜ」


 と、将翁は手探りで船尾近くの船底に触れた。彼女は晴れた日でも高下駄を履いていることもあり、九郎が持ち上げている舟もどうにか触れる位置にある。のしのしと運んでいく九郎の後をついて屋敷の門を出て歩いて行った。

 道行く人は、大柄な男が両手を上に掲げているのと、その後ろを狐面の美女が片手を上にあげてついていくので何事かと首を傾げる。

 

「遅刻遅刻ぅぅぅるぁぁぁぁ!! 口にはんぺんを咥えて走る俺様は何の変哲もない二枚目の百姓ぉぉい! ただ美人にはめっぽう弱いのがタマの傷で今日も俺様を取り巻く美女たちをヤキモキさせるんだぁぁぁい───」


 低い唸り声を上げながら前方から疾走してくるのは褌姿で口にはんぺんを咥えた覆面姿で褌一丁の大男だった。

 そして九郎に正面から近づき、


「うぼるぁぁぁぁ!?」


 消えている船に顔面をぶつけて地面に倒れた。男、甚八丸は背丈が七尺近くあるという巨漢だったのだ。九郎以上の長身だったため、頭をもろにぶつけてしまった。


「うお!? とっとっと……」


 思わぬ衝撃に九郎が船を取り落としそうになり、ぐらぐらと揺れるそれを力強く押さえて足を踏ん張る。

 そして地面に頭を押さえて倒れている甚八丸に云う。


「お、おい!? 大丈夫か?」

「いひぃーっ! 冗談じゃねえぞ何だこれ……やいやい! 変な罠を仕掛けるんじゃあねえ! もし俺様が逆立ちをして疾走していたら致命傷だったぞぉう!」

「逆立ちして疾走している時点で頭の中が致命傷だが……」


 どうやら平気そうだ。


「何をしておるのだ?」

「へん! 余った鮫肉ではんぺんを拵えたから届けてやろうかと思ったのに、ひでぇ仕打ちだ!」

「あー悪かった悪かった。それにありがとうな。屋敷に届けておいてくれるか? 今手が離せなくてのう」


 甚八丸は顔をしかめながら──覆面でよくわからないが──透明な九郎の運んでいる何かをぺたぺたと触って訊いた。


「何を運んでやがるんだ? 怪しげな術を使いやがって」

「……ええと、三十尺ぐらいの巨女人形」

「なぁ──!? そ、それは俄然意味合いが変わってくる! 俺様がぶつかったのは頭かな? 足かな? いいか! 巨女ってのはあれで繊細で、足で踏み潰されて死にたい派と、口に飲まれたい派で結構な派閥があってだな──」

「すまん。特に意味もないが嘘だ。普通の茶船だった」

「畜生!! 俺様の期待を返しやがれ!」

「どういう期待なんだか」


 将翁が呆れたように九郎と甚八丸のやり取りにぽつりと呟いた。

 甚八丸が彼女の方を向くと手をわきわきさせながら近づいていき、


「おう阿部の姉ちゃん。今日もいい乳をしているな。何やら支えてるみたいで大変そうだから俺様が胸を支えてやろう──あぎゃああ!?」

「どこからか手裏剣が飛んできた!」

「畜生! なんで俺様が女体に触れようとするとあいつがその時に限って見張ってやがるんだ!」

「くくく、甚八丸殿も今まさに言ったではありませんか──自分を取り巻く美女がヤキモキして──手裏剣とか投げてくるとかなんとか」

「投げてくるのはヤキモキって程度じゃねえ! ヤキ入れるって云うんだあひぃぃ!?」


 再び、何処からともなく飛んできた手裏剣を尻肉でキャッチしながら甚八丸は慌てたように将翁から離れた。


「畜生! 身重の癖に出歩くなぃ! はいはい届けてすぐに家に戻りますよ!」

「任せたぞ。いいのが釣れたら持っていくからのう」

「できれば手裏剣を投げてこない美女とか頼むぜ──ひゃおう!?」


 飛んでくる手裏剣を、周囲に被害が出ないよう大胸筋などで受け止めつつ甚八丸は九郎の屋敷へと駆けていくのであった。九郎はそこら辺に落ちた棒手裏剣を、踏むと危ないので拾い上げて懐にしまった。

 逃げる甚八丸を見送ってから再び九郎と将翁は川を目指した。

 飯田橋近くの船着き場に降りて、外濠である川に船を放り投げる。にわかに波が立ち、九郎の足を濡らしたが特に気にすることなく周囲を見回して隠形を解いた。


「さて、行くか」

「どちらにしましょうか」

「少し海の方に出てみよう」


 九郎は船尾の方へと精水符を貼り付けて、水中に水流を吹かせて推進力にした。

 それに加えて将翁が櫂を手にして船の舵を調整する。

 水路を危なげなく通っていく彼女の櫂捌きを見て、九郎は感心したように云う。


「なんだお主、結構得意なのだな」

「勿論。大概のことは出来ますとも。普段怠けているだけで」

「昔はもっと働き者だった気が……」

「菓子屋が潰れでもしたら、薬師の仕事に励みますか」


 彼女はのんびりとした声音で告げてくる。


「もし九郎殿が貧困に喘いでいて、家族に恵まれず、働くこともできない状況だとしたら……あたしは金を貢いで、九郎殿を庇い、休みを惜しんで働くことでしょうが……そういう状況でもないので、できることだけをしようかと」

「……駄目な男を養うのが好きとか言っておらぬか?」

「いえいえ。九郎殿に頼られたいと思っているだけです、よ」

「趣味が悪い」


 ふん、と鼻を鳴らしながら九郎は将翁から視線を外し、前を向いた。

 しかしながら彼に関わる女の中で、良い男の趣味をしているという者は相当に少ない気がしてならなかった。

 九郎の嫁妾は元より、利悟の嫁は稚児趣味野郎の年上幼馴染に入れ込んでコスプレまでする女だし、影兵衛の嫁は夫が殺人狂だ。お七は色々とアレで、子興など晃之介の何処が良いのかと結婚前に聞いたら「顔が二枚目」と臆面もなく答えた女である。


(割れ鍋に綴じ蓋というか、まあ仕方がない男にはそれ相応の趣味な女がやってくるということか)


 九郎は自分も含めてそう思った。特に九郎などは蓋が多すぎるほどだったのだが。





 ******




 

 隅田川を経由して九郎と将翁は海へ出て、流域の沿岸沿いで釣りを始めた。

 将翁も薬箪笥から継竿を取り出して器用に組み合わせてから糸を張り、餌となる小さな蚯蚓を付けてひょいと竿を振るう。浮きに使っている羽は水鳥の物のようだった。

 九郎のは一本の竹で成形された延べ竿であるが、それに比べても職人が作った本格的な道具に見えた。


「随分と使いこなれた道具だのう」

「旅をしていると、どうしても野山や海辺で野宿をすることがありますから、釣りもして食料も集めますのでね」

「成る程のう」


 阿部将翁の場合、旅とは単純に街道を歩いて宿場に泊まることではなく、山林を分け入って薬草となる植物などを探したり、碌に宿も無い農村を訪ねて薬を売ったりもするので野外活動の技術も習得しているのだ。

 二人が竿を垂らして一分も立たぬうちに、九郎の竿先から手を震わす小さな刺激があった。


「おお、掛かった」


 抵抗は軽く、九郎は引っこ抜くように竿を上げると釣り針には掌ほどの大きさで、体に縦縞が入った熱帯魚のような色をした魚が釣れた。


「小さいやつか……名前は知らんが、石鯛の子だったりせんか? この縦縞」

「まさか。そいつはそれで大人ですよ」


 将翁がくすりと笑いながら云う。


「その魚の名前は『オヤビッチャ』……なんか助平な響きが」

「せんから」

「小さいからあまり売り物になりませんが、頭を落として丸々と天ぷらにしたり、塩焼きにしたりすると旨いですぜ」

「ふむ……てっきり稚魚かと思って今まで逃しておったが、食えるなら持って帰るか」


 九郎がオヤビッチャを魚籠に入れると、今度は将翁の竿にも反応があった。


「おっとこっちも同じのが掛かったようで」

「今晩は天ぷら……いや、唐揚げにしてみるかのう。はんぺんも揚げたら結構旨いものだし」

「たまにはあたしが作りますかね。あまりに怠けて、九郎殿に放り出されても困る」

「……別に放り出したりはせんのだが」

「──冗談ですよ」


 将翁が小さく肩をすくめたのを、九郎は背中の感触でわかった。

 二人は舟で背中合わせになって竿を構え、それから次々に小魚を釣り上げていった。

 云うだけのことはあって将翁も当たりに対する合わせが繊細で、餌を取られることなくひょいひょいと魚を釣る。

 たとえ小さい獲物でも次々に掛かるのはそれなりに楽しいもので、和気あいあいとして釣魚を楽しんでいた。


(まあ……将翁とは百年経ってもこうして釣りでもして楽しめるのだろうな)


 時折、他の嫁などと会話をしていると頭をよぎるのが寿命の差である。

 少女らが大人になったように、いずれ皆は年を取りやがて死ぬ。生まれてきた子供も、きっと自分よりも早く死んでいく。少なくとも九郎は、長寿種族であるスフィが死ぬまでは死なない。

 いつまでも江戸に居るのか、或いは何処かへ行くのか。それはわからないが、こうして釣りにずっと付き合ってくれそうな相手が居てくれるのは、有り難いことではあった。

 彼女が怠けるようになったのも、寿命が伸びたお陰で生き急がなくなったせいもあるかもしれない。もしくは夜中の運動で寝不足なだけかもしれなかったが。

 そこそこに釣れた頃合いで、九郎は軽く伸びをした。

 

「んー……いい天気だ。少し昼寝もしていくか。将翁や」


 自分も彼女も生き急ぐことなく過ごせばいいかと九郎ものんびりとしたことを提案した。

 すると将翁も竿を上げて九郎へ向き直り、座った姿勢で彼に告げる。


「ならあたしの膝でもどうぞ」

「うむ。お主の太腿はやわっこくて良い」

「照れて良いのかどうなのやら……」


 台風も過ぎて、随分と涼しくなってきた。舟の上は海風がそよいで眠るにはちょうど良い気候だったので、九郎はあくびをしてごろりと将翁に頭を預けた。

 慢性的に寝不足なのは九郎も似たようなものなので、少しすればすぐに九郎は規則正しい寝息を立て始める。

 そんな九郎を将翁は安らいだ目で見ながら、ぽつりと和歌を思い出した。

 


「……『君がため惜しからざりし命さへ、長くもがなと思ひけるかな』──ってね」





 ********





「九郎殿──九郎殿。大変です」


 それから半刻あまり経過しただろうか。

 九郎は将翁の呼びかける声に目を開けると、どうも周囲のおかしさに気づいた。

 舟の周りが濃い霧で覆われているのだ。

 よくよく天狗に惑わされたときのような、先の見通せない霧である。岸近くに舟を浮かべて釣りをしていたはずだが、前後左右どちらを見ても岸は見えなかった。

 

「大変です、九郎殿」

「わかった。落ち着け将翁。何があったのだ?」

「九郎殿をずっと膝枕していたら足が痺れました」

「もっと大変なことがあるだろう!?」


 淡々と告げてくるので、九郎は周囲を指差して大声をあげる。

 彼女は足の裏をさすりながら返事をした。


「さて。実のところあたしも先程までうたた寝をしていたので、いつから霧が出たのやらさっぱり」

「ううむ。波の感じからして陸地は向こうだと思うのだが……」


 とりあえず九郎は櫂を手に取り、舟を動かして術符推進で波が寄せる方向へと動き出した。

 相も変わらず霧で前が見えず、他の舟と事故を起こしたり、陸地に乗り上げたりするかもしれないので慎重になる。

 

「九郎殿。奇妙なぐらい静かですぜ」

「確かに……普通ならば、船乗りなどの声がこの辺りは聞こえるはずだが」

「ひょっとして沖に流されちまったんでしょうかね」

「その可能性はあるな……中々岸に着かぬし」


 それから四半刻ばかり舟を進めてみたが、一向に岸にはたどり着かないのでさすがに九郎も不審に思い始めた。

 

「むう……ちょいと空を飛んで現在地を確かめてみるか」

「九郎殿。この糸車を」

「ああ、そうだのう。うっかりこの舟から離れすぎると、見つけるのも大変になりそうだ……」


 九郎は将翁の持つ糸車の端を舟に結びつけて、それをカラカラと回しながら上空へと向かって飛んでいった。

 しかしながら高度を上げに上げても一向に霧は晴れず、まるで白い絵の具で塗りつぶしたようになった空間が続いていた。

 さすがに不審に思った九郎もひたすら上がるのを止めて舟に戻ってくる。


「如何でしたか」

「駄目だ。怪しい術中に嵌っている気がしてならん」

「ふむ……海に怪しい霧が立ち込めて──か」

「何か思いつくことはあるか?」


 彼女は存在自体が怪異に両足を突っ込んでいることもあり、悪鬼妖怪の類に詳しいのだ。

 将翁は口の端を上げて笑みを作り、こう告げてきた。


「さて、次は『柄杓を寄越せ』とでも声が聞こえてくるかもしれませんぜ──こいつは[船幽霊]の仕業かもしれない」

「船幽霊というとあの、柄杓を渡すとこちらの船に水を汲んできて沈めるというやつか」

「ええ。船幽霊が現れる前触れとして、霧が出たり海が時化たりするという」

「ふうむ……いざとなったら、お主を連れて空に逃げればよいが……」

「何もないうちから舟を捨てるのも勿体がない」

「そうだのう。せっかく買ったのだから。船幽霊が出たら燃やして退治してみよう」


 身も蓋もないことを九郎が言っていると、霧の奥から灯りが見えた。

 それは動きを止めているようで、遠ざかりも近づきもしない。

 九郎が櫂を扱ってその灯りへと近づいていくと──海の上に長屋でも浮かんでいるのかという巨大な構造物を目の当たりにした。

 ぎょろりとした龍の顔が先に見えたもので、九郎は思わず魔物の類かと思って身構えるがその竜頭はどうやら船首の飾りのようだった。


「なんだこれは……見たことの無い船だ」


 その周囲だけ霧が薄いのか、その大きな船自体がうっすらと灯りを放っているからか、やけに詳細にくっきりと見える。

 こげ茶色をした船体に葵紋が大きく並んで記されている。船首の竜頭は大きさが3間(約5.5メートル)もあり、それを除いた船体も九郎が乗る茶船の四倍以上はあった。

 幅も太く、船の甲板に飛びつけぬよう高い外板で囲まれていて、ところどころに銃座が空いていた。

 首を大きく傾げて見上げると、櫓がいくつも立っていて中には天守閣のような豪華絢爛な2階建ての建物すら見える。

 

「こんなもんが江戸の海にいれば一発で目につくのだが……将翁?」

「まさか……いや、見間違うはずもない。こいつは[安宅丸(あたけまる)]ですぜ、九郎殿」

「[安宅丸]?」


 聞き返す九郎に、将翁が頷いて解説をする。


「徳川二代将軍秀忠が作らせた大型軍船です、よ。その巨大さは目の前の通りで、装甲には銅板を貼り付け厚さ一尺。火縄や大筒、焙烙火矢をも防ぐ重装甲で他大名を蹂躙せんと生み出された日の本最強の軍艦でした」

「でした、というと……」

「ええ。今から三十年以上前に、この太平の世では無用の長物で、維持するだけで十万石ほども掛かるので解体されてしまった今は存在しない船です」

「ならば目の前にあるこれは……安宅丸の船幽霊、といったところかのう」


 九郎は不気味に薄っすらと光っている巨大船を見上げながらそう言った。


「船幽霊は亡者の姿だけではなく、船にもなって現れると云いますからねえ」


 安宅丸は安宅船と呼ばれる種類の大型和船で、ほぼ最後に作られたものだと言われている。幕府が江戸時代に入り各大名に大型船の建造を禁止させつつ、自分のところではこの最終兵器を作らせていたのだ。

 それにしても巨大さは威圧的ですらある。幕府の所有する軍艦で、安宅丸の次に主力になった[天地丸]では、船の長さこそ同じ程度だが幅は半分以下、推定排水量は十分の一以下というぐらいに大きさが違う。

 解体以前は隅田川流域に係留されており、江戸でも評判の[天下一の御船]と呼ばれていたものであった。


「……とにかく、この謎の霧に閉ざされたのはこの船が何かしら関係しているに違いないだろう。乗り込んでみようか」

「賛成ですぜ。こんなのに襲われたら、こちらの小舟はあっさり沈められちまいそうだ」

 

 そう言い合って、将翁を抱きかかえて九郎は空を飛び、直接安宅丸の甲板に乗り込んだ。

 船に乗り込んで甲板の上を見回すが誰一人として人影は見えなかった。


「だが、いつでも戦に出られるようにか、銃座近くには銃弾と火薬壺が置かれておるのう」

「こちらの矢倉にも矢筒に弓がありますぜ」

「まるで戦の最中に、突然人だけ消えたような有様だ」


 船倉へ降りる階段があったので二人は警戒しながらそこを下ると、兵糧米と鍋などの道具も置かれている。


「酒樽もある」

「船幽霊に遭った際には、酒や握り飯、灰や餅、線香などを海に投げ込むと良いとされているので、どれかは常備しているものですよ」

「ふむ……しかしこりゃいい酒だぞ」

「躊躇わず飲む九郎殿もどうかと思いますが……将軍も乗る天下船ですからね。安物は置けないでしょうぜ」


 とりあえず船倉には特にめぼしいものは無かったので、二人は甲板に建っているミニチュアのような天守へと入ることにした。

 ミニチュアとはいえ大型船の上。2階建ての小屋ぐらいは大きさがあり、金銀細工をあちこちに飾り付けていた。

 

「これ剥ぎ取っておみやげにしたらいかんかな……」

「余計呪われそうだ」


 将翁に止められたので九郎は名残惜しそうに諦めて天守に踏み入った。

 中の部屋も広さこそないが立派な和室で、青々とした畳が敷かれていて葵紋の入った行灯が灯されていた。

 すると、天守の中では、


「ぐすん、ぐすん」


 という鼻を啜るような声が聞こえてくる。

 どうも二階からだと、九郎と将翁は顔を見合わせて音を立てないようにして階段を上がった。

 二階には八幡と伊勢の神を祀った神棚があり、その前で一人の奇妙な少女が膝を抱えて泣いていた。

 年の頃は十二、三ぐらいだろうか。着物ではなく軽装の袴姿をしていて、近くの床には弓矢が無造作に落ちていた。

 怪しいことこの上ないのだが遭遇したものは仕方がない。

 燃やすか話か、九郎と将翁は顔を見合わせて話し合い、もしその少女が同じく船幽霊に捕まった人間であったり、悪い妖怪ではなくこちらを助ける存在だったりした場合に気まずいのでひとまず話しかけることに決めた。

 

「おいお主。何を泣いているのだ? 酒とか飲むか?」

「酒中毒のような絡み方だ……」


 雑な話しかけ方に思わず将翁が呟く。九郎は先程船倉から徳利に入れて酒を持ち歩いているのである。 

 すると少女は変わらず「ぐす、ぐす」と涙ぐみながら云う。


「伊豆に帰りたいの……」

「伊豆?」

「帰りたい、帰りたい……うあああん!」


 とうとう泣き叫び出した少女に、九郎が耳を塞ぐ。

 

「そう言えば、安宅丸は確か伊豆の方で作られたような……」 


 将翁の呟きに、少女が顔を上げた。

 どれほど泣いていたのか目が真っ赤になっていてそこはかとなく不気味だが、見た目はどこぞのお姫さまのような容姿をしている。

 少女は胸に手を当てて九郎と将翁を見ながら云う。


「本艦は安宅丸! 軍艦として作られたのに、一度も戦うことなく解体されてしまったの……」

「安宅丸の……ええと、付喪神のようなものか?」


 九郎が尋ねると安宅丸はとぼけるような顔をした。


「もっと単純に……艦船の娘で……略して艦むすみたいな……」

「[天むす]みたいな名称だのう」


 九郎おじいちゃんには通じなかったのでバッサリと別の認識が出てきた。


「九郎殿。天むすとは?」

「天ぷらを具にした握り飯のことだ」

「そいつは旨そうな」

「天ぷら食いたいのう……」

「話が天ぷらに逸れてる!?」

 

 安宅丸?からツッコミが入った。

 彼女は拳を握ると、二人に向かって強く主張する。


「とにかく! 本艦は何もできないまま消えた残念によってこの世とあの世の狭間にこうして体を残しているの! 伊豆に帰らせて欲しいの! そうしないと、みんなでずっとこの海を彷徨い続けることになるの!」

「成る程ねぇ」


 実際に安宅丸には呪いの船という巷説がついているのだと、将翁は九郎に解説をした。

 その中でも解体した安宅丸の木材から、伊豆に帰りたいといううめき声が聞こえてきたというものもあるという。

 彼女はそういった巷説、呪いの伝承が形となった存在なのではないかと将翁は考える。


「伊豆に帰るったって……どうすればいいのだ?」


 九郎がそう聞いたのも、周りは五里霧中で導となる陸地も何もないからだ。

 そもそもここが何処にあって伊豆との位置関係も不明瞭である。

 そう問いかけると安宅丸は神妙な顔で云う。


「ここは本艦の世界なの。だから本艦が帰りたいと思う限りはこの世界に伊豆も確かに存在して、それ以外はなくなっているはずなの。だから真っ直ぐに行けば伊豆に辿り着くはずなの」

「『伊豆以外全部沈没』状態ということか? 道理で船を動かしても陸地すら見えんと思った」

「この場所は江戸深川のはず。ずっと動いていないから。だから、ここから伊豆へ向かう方位を探して、船を動かしてくれさえすればいいの」


 安宅丸の要求に、九郎と将翁が並んで考えこんだ。


「……ひとまず、外に出てみましょうぜ」

「そうだのう」


 二人は一度甲板に出てから改めて周囲と船を見回してみる。後ろから安宅丸もついてやってきた。


「霧で太陽すら見えぬな……将翁、どうにか方位が測れるか?」

「せめて星でも見えていれば別ですが、何処を見ても白一色ではなんとも……」


 江戸から伊豆へは南西を目指せば、障害物が無いというのならば辿り着くはずだがその南西を見つける方法を探らねばならない。

 更に九郎は船を見上げて、あるべきものが無いことに疑問を持って聞いた。


「それとこの船、どうやって進むんだ? 帆が無いようだが」

「本艦は手漕ぎ船なの。帆は無いの」

「……それだと風を起こして進む方法が取れぬが……」


 九郎が微妙そうな顔をしながら宙を浮いて船尾へ向かい、船の喫水線に精水符を貼り付けて自分の船と同じく水圧で動かそうとしてみる。

 しかしながら推定排水量1500トンを超えると言われている安宅丸の船体は、さすがの九郎の術符でもピクリとも動かなかった。

 より高度な出力で使いこなせる魔女が使うか、凌駕発動させるかすれば別だが後者にしても少し動いて止まるだろう。

 

「どうしたもんかのう……」

「伊豆に帰らせて欲しいの!」


 とにかく、どうにか知恵を絞るしか無いと九郎は思うのであった。





 ********





 まず九郎が手を付けたのが、方位を測ることだった。

 

「靂から磁石を買い取っておけばよかった」

「どうにか作れないものですかね」

「ううーむ……いや、待てよ確か中学の実験で……」


 と、九郎が思い出したのは電磁石を作った理科の実験である。

 鉄の棒にエナメル線を巻きつけて電流を流すことで、鉄は一時的に磁石に変化する。

 鉄の棒とは? ちょうど釣りに行く前に拾った棒手裏剣がある。 

 エナメル線とは? つまり銅線のことである。そして安宅丸の装甲に使われているのは銅板だ。

 九郎は銅板を引っ剥がしてからバーナーのように炎熱符で火を浴びせ、少しずつ溶けて垂れたものを冷やした水の中に入れて細長く固めた。

 油が跳ねるような音を立てて水の中に落ちた銅は、若干不揃いで脆いがそれでも銅線になった。

 銅線を棒手裏剣に巻きつけたものを、桶に張った水に浮かべた木片に乗せて電撃符で電流を流した。

 するとコイルが巻かれた棒手裏剣は電磁石となり、桶に浮いたまま一定の方向を向こうとする。

 コイルを巻く向きと電流を流す方向でどちらが南北か判明が付き、これで南西へ向かう方向はわかった。


「移動方法ですが九郎殿、そこらの矢倉に縄を掛けて、剥がした木板などを貼ることで帆代わりにしたらどうでしょうか」

「船の強度とか大丈夫かのう」

「背に腹は代えられませんぜ」


 と、将翁が云うので一応安宅丸に許可を取ってみたら、


「とにかく伊豆に帰りさえすれば、沈んでもいいの」


 そう云うので、航行に最低限必要な部分以外の板を帆代わりにすることにした。

 風を受ける力は大型の船を動かす能力に関しては馬鹿にできない力強さを持っているのだ。

 方角は決まり、航行の目処も立ったあたりで九郎の腹が空腹を示す音を鳴らした。


「一旦腹ごしらえにしようか」

「さすが将軍の天下船。行灯用に綺麗な菜種油がありましたから、これで魚を天ぷらにできますぜ」

「おお、よし己れも手伝おう」


 そして九郎は、備蓄されていた兵糧米を砕いて米粉を作り、頭を落としたオヤビッチャの体に塩と共に塗り込んで菜種油でカラッと揚げた手のひらサイズの魚を食べた。

 ほくほくとした白身は骨から身離れがよくて小さい魚だというのにストレスが無く食べられる。

 更には、尾びれまで高温の油でカリッと揚がっているので、塩を振ってパリパリと食うと、これもまた酒に合うのであった。

 どうせ現世の船ではないとばかりに九郎は中にあった酒を飲みふけり、それを将翁と安宅丸にも勧めていた。

 

「帆を張るのは明日にでもすればよいか」


 と、九郎が思って眠りはじめ、他の二人も酔いつぶれてぐったりと泥酔してしまうのであった。





 ******




 九郎が目を覚ましたのは大きな爆発音が聞こえたからだ。


「花火かな?」


 眠たげに目をこすると、そこは安宅丸の船内で──




 どうやら、船が火に包まれているようだった。





「あああああ!!!  ああああ!!」



 苦しげに寝ていた安宅丸が叫びだした。先程の爆発は、胃にどでかい穴が開くほどの衝撃であったようだ。

 将翁もぱっと起床して九郎の側に近寄る。


「なんだ!? 襲撃か!? 他の船幽霊が、助かりそうな安宅丸を妬んでの──」

「九郎殿。あれ」

「うん?」


 将翁が指差した方向を見ると。

 天ぷら油をいれていた鍋が倒れていて、熱された油が散らばりそこらが激しく燃えていた。


(……あれ!? 己れ寝る前に、術符の確認したっけ!?)


 そう。うっかりしていた九郎が放置したせいで、加熱しきった天ぷら油が船が軽く揺れた拍子に飛び散り一気に燃え広がったのである。

 再び爆発音。広がった炎は甲板を焼き、火薬壺に引火しているようだった。

 

「まず……っ! 将翁、逃げるぞ! 安宅丸は……」

「ごぎゃああああ!!」

「無理みたいだな!」


 船が破損する度に身を切られるように苦しんでいる付喪神を連れ出したとて、船と運命をともにするだけである。

 船室から飛び出した九郎は、船全体が燃え上がっていることを確認した。


「とても消し止めてられぬ!」


 九郎の術符、氷結符を使えば炎から熱エネルギーを奪い尽くせるのだが、この大型船を一気にカバーできるほどではない。

 それに芯まで燃えていたら燻った火が勢いを取り戻すだろうし、既に船はあちこち浸水して沈没寸前だ。

 消火を諦めて甲板から飛び降り、安宅丸の近くに止めていた小舟に乗って慌てて二人は炎上している大船から離れていった。

 船内の火薬、油、畳などで炎の勢いを増しながら火災はあっという間に天下の御船を黒焦げにしていく。火が燃え広がらないように張られていた銅板を九郎が外してしまっていたので、あちこちに延焼が広がったのだ。


 九郎はなんとも言えない気分であり、ひとまず炎を背景にひと仕事やり終えた表情で無理やりこう呟いた。


「船幽霊……これにて退治完了といったところかのう」

「九郎殿」

「はい」

「火の始末には気をつけましょうぜ……」

「そうだのう」

  

 呆れたような将翁の言葉が、やけに胸に刺さる九郎であった。


 



 **********





「実際、その対応というか処理は間違っていたとも言い難いよ」


 その後、霧が晴れてどうにか岸に戻れるようになったが、海で燃え上がっていた安宅丸は影も形もなくなっていた。

 石燕に話をしてみると、彼女は船幽霊に対してそう述べる。


「その安宅丸は船幽霊になっていたわけだろう。船幽霊というのは『要求を聞く』というこちらの対応を引き金に害をなす場合が多々あるのだね。

 例えば柄杓を寄越せ、櫂を寄越せ、お前の本当に恐ろしいものを教えろ、こっちを見ろ……などだ。それに応えてしまうと、柄杓で沈められ、櫂を捨てられ、恐ろしいものを突きつけられ、見たが最後に死んでしまうといった風になる。

 その船幽霊は伊豆に連れていけ、だったね。案外、伊豆に連れて行ったら君ら二人も黄泉の国に攫われていたのではないだろうか。

 だからね、船幽霊というのは関わっちゃいけないんだ。海難事故を妖怪という存在にしたものだから、とにかく死んでしまう可能性が高い──まあ、九郎くんがとり殺されるのは中々想像できないけどね」


 彼女はからからと笑い、「しかし私も安宅丸は見てみたかったね!」と羨ましがるのであった。

 さて九郎と将翁が乗って帰った小舟には、僅かに一欠片だけ安宅丸の木片が爆発の拍子に乗っかっていて、それは不思議と消えなかった。

 将翁を抱えて空を飛び、二人は伊豆へと向かっていった。

 伊豆半島、伊東にある音無神社。そこは船幽霊に関わる、底の抜けた柄杓を奉納する神社であり、また鮫の女神である豊玉姫を祀る社でもある。

 二人はそこに安宅丸の欠片を納めて供養するのであった。




 さて、安宅丸の怨霊に関しては様々な伝承が残っていて、それこそ伊豆に帰りたいという泣き声が聞こえたとか、蔵の材料に木材を使ったらその家の娘に取り憑いたなどとあるのだったが、

 この世界の音無神社に破片と共に伝わる話では、江戸に住まう九郎天狗が、その嫁である女妖狐と共に安宅丸の御霊を鎮めにやってきたとされている。 

 天狗の嫁は妖狐でお似合いの夫婦とされて、音無神社は良縁成就の絵巻に天狗と狐を使うようになった。


 その巷説を将翁が聞くと、彼女はとても上機嫌になったという。


後世の学者「新しい資料が……ってなんか今度は妖狐が嫁ってことになってる……」


寿司ィちゃん残念すぎる

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