外伝『オークのシン現代編、田舎の守り神シン』
すまぬ・・・今週の江戸はちょっと間に合わなかったのでお休みします。
代わりにオークのシンが主役予定だった現代話を投稿。九郎や他のキャラも出てこないし、江戸時代でもないので読み飛ばしてもなんも影響無いです。
上様死後に田舎暮らしをしていて山の神として祀られ現代になったシンは、江戸なのである現代編で発生した魔物が出現する現象によって村を守るために山から降りてくる。
20xx.x.xx 魔物についての報告
・東京、秋葉原にて初めての人類敵性存在が出現し、破壊活動を行う。仮に「顔無し」や「魔物」と呼ばれる。
・警官隊と戦闘。負傷者61名、死者無し。車両、インフラ等への破壊活動による被害額約5400万円。魔物は逃走。
・魔物が使用した銃器の弾痕から未知の粒子痕を発見。
追加レポート甲
・品川にて全長23m、全高10mの雄牛型魔物が出現。
・死傷者126人。特殊強襲部隊が出動。隊員7名に犠牲を出し、建物破砕用装備である高性能爆薬で討伐。
・雄牛はその場で死体を残さず消滅。痕跡から再び謎の粒子痕が見つかり、「架空粒子」と呼ばれる。
追加レポート乙
・前回の出現より散発的に、この既存の生物とは明らかに異なり致命傷を受けると消滅する猛獣が東京、鳥取を中心に出現。「魔物」と云う通称で一般人にも情報が広がる。
・小型魔物は打撃等で消滅させられる事を犠牲者4名の後に確認。中型への対処のために警官は銃を携帯し巡邏する。
・大型魔物がこの日出現。映像記録から全長120mの大蛇と推定。出現後、すぐに消滅。人型の魔物が現場付近で目撃される。秋葉原で最初に目撃されたものと同一個体と見られる。
追加レポート丙
・これまでに数度、大型魔物が現れるがいずれもすぐに消滅。人型魔物が剣のようなもので斬りかかっている映像が撮影される。持っている剣には魔物を消滅させる効果があると推測されるが、正体と目的は不明。
・東京外に移動した魔物による被害が発生。これにより東京の主要道路に魔物封鎖線を構築。
・魔物の被害による死傷者は増えて累計800人を超える。人型の魔物は明確に市民を助ける行動が見られる為、魔物と区別して「顔無し」と呼ぶことにする。
追加レポート丁
・二十四区内と鳥取市で魔物の大発生を確認。被害者はこの日だけで1000人を数えた。
・発生圏外へ拡散する魔物を防ぎきれず封鎖線の防衛で警官、自衛隊合わせて100名以上の死者。
・以後、世界各地で魔物の目撃、被害が多発する。飛行型魔物が海を渡り他国で破壊活動を行う事例も確認。各国政府は国際的防衛機構の発足を決定。
xxxx.x.xx
・世界はなんかの炎に包まれた。
・だが人類は死滅していなかった。
******
まあともかくなんかの炎に包まれるよりは前のことである。
愛知県と静岡県の県境近くのとある山奥に豕村という村がある。
人口は百余名といった所で農地の他には小さな分校と唯一の雑貨屋兼簡易郵便局と診療所があるぐらいの田舎である。
歴史は意外に長く、江戸の初期に開かれて出来た村だ。近くの山には神社がひとつあり、祀っている山の神のおかげか餓死者が出るほどの不作は起こっていないのが小さな自慢である。
村はずっと平和で、せいぜい起こる事件は車を田に落としたとか、隣の婆さんが卒中で倒れたとか、窓から空を見ているととてもすごいものを見たとか、その程度の事件性であり駐在する警察も居ない。
世間では出現場所すら東京と鳥取以外からも現れだした魔物という存在と、日本政府やら各国の対応やら自衛隊と警察の組織がもうなんというかとても頑張っていたが、田舎ではいつも通りの日常が過ぎていた。
だが、ある日。
村に[魔物]が出現した。
いや、湧いて出たのではなく移動してきて村に辿り着いたのだろう。
幾ら田舎でもテレビぐらいは通じる。東京で発生して全国に生息域を広げている魔物という凶暴な怪物の事は知っていた。
魔物は中型トラックほどの巨大さで、カニに似ていた。大きさ8メートルの頭がない怪獣は村に現れて、田畑を踏み潰しながら進んで水路を破壊してそこを住処にしたように居着いてしまった。
人を見ると襲う性質を殆どの魔物は持っているが、その人間を認識する範囲というものは個体差があることがわかっている。
この村に来た魔物はそれほど察知範囲が広くなく、また人が少なくて平坦な農地が多かったために早めに魔物に気づいて村人は避難することに成功したのだった。
一番広い建物ということで分校(元は役場だったが、合併のために無くなった)に集まった村人は魔物に対処するために相談をする。
魔物から離れた場所に住んでいる者に念入りの注意と、魔物への離れた場所からの見張りを立てて、女子供と老人を中心に分校には80名ほど集合していた。
警察には通報したが、今は日本中どこでも魔物の対応に追われていて、適切に処理できる戦力は限られている為にすぐには来れないという返事が帰ってきたのである。
確かに、あの巨蟹に拳銃や猟銃を当てたところで倒せるとは思えない。
しかし村に居座られても困る。
どうしたものか、と顔を突き合わせて悩んだ。
「山の神様がどうにかしてくれないものか……」
老人の呟きに、村の外からやってきている若い女教師が尋ねる。
九人在籍している分校の生徒をすべて教えているのが彼女、山科煌子であったが、村に伝わる風習などにはまだ疎い。
「神様、といいますとあの神社の?」
「うむ……昔からこの村では、日照りがあれば神様に酒を持って行って頼むと雨を降らせてくれたりしたらしい。元々は暴れていた化け猪を退治して住み着いた神様だというが……」
「身の丈一丈(約3m)はある巨大な入道の姿をした神様と伝えられている」
「はあ、それが本当に居たら強そうですねえ」
何処かのんびりとした口調で煌子が応える。もはや神頼みしか無い状況なのだが、熱心に同調するのも妙な気分だ。
しかしながらそれなりに老人たちは真剣なのか、雑貨屋に神に捧げる酒の備蓄はどれぐらいあるか、魔物を見はりつつ酒樽を用意しなければと相談し始めた。
警察にも軍にも政府にも頼れないのならば神に頼るしかないのはもはや当然とも言える。これが資本主義の限界だ。魔物は人類を経済という悪徳から開放するために使わされた天使だ。まずはインテリとセレブに火をつけろ。
などと、煌子が考えていると皆が集まって会議している教室の入り口が開け放たれた。
全員がそちらに目をやる。
そこには、気怠そうな雰囲気で酢昆布を齧っている、日本の田舎では珍しい金髪の小柄な少女が居た。
「巳子ちゃん」
雑貨屋の主人である妙齢の女性、呉石ラリルがジャージを着ている金髪少女に呼びかける。彼女は呉石の姿を認めて、軽く手を上げた。
「ラリ姉、お菓子買うたからカウンターに代金は置いとるよー」
「いや、それはいいんだけど……っていうか避難してなかったの?」
「うちに電話無いもの。だってあれ電話代がかかるわぁ不思議。会話なんてものにお金を払えって言い出したのは誰なんやろね……とにかく、来がてら見てきたから状況は知っとよ。あの魔物でしょ」
すたすたと歩いてきて無造作に椅子に座る金髪少女。
名を雨崎巳子と云う。
彼女はこの集落唯一の神社に隣接する家に住んでいる、まさに巫女の少女なのだ。年は義務教育を終えたばかりで、神主だった父親を亡くして一人暮らしをしている。母親は外国に居て帰って来ない。
未成年の少女が一人暮らしとなると周りから心配されたり法的に心配されたりするのだが、生活力があるのか別段困ることも無いようで親の遺産を使って自由に生きていた。母の事も気にしていない。外国にいるのだから、多分麻薬か銃かどっちかでそのうち死ぬだろうと巳子は思っている。
西欧人である母親譲りの金髪と妙な方言が田舎では目立ち、また巫女服の代わりのつもりか赤と白色のジャージを着ている事が多いので集落で知らない人は居ない。
よぼよぼとした老人の一人が、
「巳子ちゃんや、おれら今あの魔物をどうにかしてもらえないかと神様に供え物の相談をしていたところなんだ」
「ふうん。私が思うに、先生確か車はハイエースに乗ってたでしょ? あれの後部座席にガソリンか何かを満載して特攻すれば何とかなると思うんだけど。できれば核爆弾とかのほうが劇的でいいわぁ。ラリ姉の店に売ってなかったわいさ?」
「さすがに核はちょっと」
「その案、わたしと車は跡形も残らないのが問題ですねえ」
自分が即興で考えた戦略プランを拒否されて、必要なのは神への捧げ物や信仰心ではなく命令に従う兵士だというのに困ったものだと巳子は肩を竦める。
そして、
「ま、頼めばシンさんは何とかしてくれるわよー。お人好しだからにゃあ」
「シンさん?」
「神様の名前」
祭りや、年の暮れと盆に神様に供え物をするときは巳子の神社を介して行っている為にこの集落で一番詳しいのが彼女である。
巳子は酢昆布を頬張りながら半目になって、
「っていうか皆も見たことあると思うんだけどシンさん。何度か里に降りてきとうし。特にお店やってるラリ姉なんかは」
「え~? 確かにお客さんは神様っていうけど……」
記憶に無いようで首を傾げている。身長3メートルの猪顔な巨人など、店に来れば一生忘れない筈だが。
思い出そうとしている彼女をジト目で見ながら、
「脳がシンナーで溶けてるんじゃないのー? お店の中臭かったわー」
「ちちちち違うし。プラモの塗装してただけだし」
「加湿器に変な薬混ぜるのも多分止めたほうがいいと思うのー。捜査官来たら一発じゃすわいびー」
「べ、別に違法なものは使ってないもん」
目を逸らしつつ否定する違法雑貨屋。黒かグレーかで言えば十年単位でブタ箱行きな彼女が捕まっていないのは田舎の闇だろうか。
巳子は怠そうな雰囲気のまま、
「とにかく、明日の朝にでもシンさん連れてくぅから今日は帰る」
「巳子ちゃん、一人は危なくないか?」
「どうせ夜通しあのカニを見張ってるんでっさろ? カニ以外に危ないものも無いし、見張ってるなら大丈夫」
まだ十五の子供だというのに、何故もこうさばさばした性格なのだろうか。大人でも不安がっているというのに、彼女は全く恐れた様子はなかった。
他の大人も、ついていこうかと提案したのだが、
「シンさんを呼びに山に行かないといけないから、他の人も一緒だと会えないかもしれないもの。あの神様、税務署とか役人が来ないように隠れてるっちゃね」
と、拒否されてしまった。
とりあえず神社までは教師である煌子が車で送っていった。去年までは巳子も生徒だったので彼女のこういう性格には慣れている。
車中で、
「その、神様っていうのは魔物も倒せるのかしら。巳子ちゃん」
聞くと彼女もあっさりと肩を竦めて、
「さあ。熊ぐらいは倒したことがあるち聞いたけろ」
「熊かあ……でもあのカニ、熊の3倍ぐらいは大きいよね」
「シンさんが無理って言ったらこの車ともお別れやんね。ええ車だったわ。先生が遠足で子供たちを乗せて町を走っていると誘拐だと思われて通報されて警察に止められたのは素敵な思い出。窓ガラスにスモーク張ってるのが悪いのよ」
「よくないですねえ。それにまだローンも返してないんだけど」
車の後部座席にガソリン満載して魔物に特攻させた場合、保険は下りるのだろうか。
こんなことならば過激派テロ警戒保険にでも入っていればよかった。あの保険ならば車を爆破されたことにすれば満額下りるというのに。ただ、その保険会社自体が過激派テロ集団として手配されている為にどうも怪しいのが難点である。
心配にハンドルを握る手がふらふらとする煌子を無視しつつ、
「ま、大丈夫よ。勘だけど」
「勘かあ……」
「私の勘は当たるのよ? 去年の年末の宝くじ、事前に当選番号をピタリと当てたわ」
「おお!」
「まあ、買うてなかったんやけど」
「……」
「前もって番号がわかったからち、どの売場で売っとるかなんて知らないもの。誰か先に買うてるかもしれないし」
そう言われれば頷く他はない。煌子にもどうやって特定するかなど思いつかなかった。
ともあれ、煌子がこの村に着任してニ年目。去年だけ彼女の教師をして、高校課程へ進まずに学校を止めた巳子の事はどうもよくわからん女の子と言わざるを得なかった。
何が困るかというと通信簿のコメントに困った。田舎故に生徒数も少ないし地元出身だというのに周りから浮いている子というのも珍しい。髪色は金髪だがそれは地毛で、虐められている様子もなかった。
保護者の更に親世代の老人などにそれとなく聞くと、この村では時々ああいう女の子が出るらしい。
山の神様の声が聞けて、逢えるという特別な資質を持っている女。
それが雨崎巳子というジャージ巫女服の少女なのだ。
横目で怠そうな顔をしている巳子を見ながら、大人として──教師として子供を理解出来ていないというのは、どうも実力不足を感じてしまうのだった。
その後、神社の前について彼女は車から下りたが、やはり心配になり煌子も今晩は神社に泊まろうと提案したのだが、
「いや、いいから。本気で。遠慮じゃなくて邪魔的な理由で」
と、真顔でばっさり告げられて涙目で分校へ帰っていった。
*****
翌日の朝のことである。
多くの住民が避難してきた学校は当然閉校、魔物には交代制で寝ずの見張りをつけて、ひとまず今のところ襲いに来る動きはないと見切りをつけて住民たちは一旦家に戻り、家の戸締まりや貴重品の管理、痛みそうな食材の持ち出しなどをして再度学校に集合。
集会用の大きな鍋で味噌汁を作り、沢山の炊飯器で米を炊きあげて漬物などで朝食を取っていた。
暖かな味噌汁というのは大きな鍋で作れば作るほど旨い。これに炊きたての米と漬物。普段よりも質素なのに旨い飯であった。
子供などはキャンプのようで面白がっているが、面白がって魔物を見に行かないかと大人は常に目を光らせていた。
これからどうするのかと大人達がうんざりするほど繰り返された相談をしていると、二人近づいてくる影がある。
前を歩くのはいつも通り、年中巫女服の巳子だ。
後ろを歩いているのは黒いボロボロの僧体をした青年だった。集まっていた全員が、その妙な風体の男に目線をやる。
なにせ、この田舎ではまったく見たことのない──外人に見えた。肌は白く、鼻は高い。中性的な細面をしていて、癖のある髪の毛が緑がかった銀色をしている。細身でぶかぶかの袈裟を体に巻きつけるように着ているのは異様に見える。そしてよく見れば耳が木の葉のように尖っている。表情は眉に皺が寄っていて注目を浴びている事を不本意と思っているようであった。
まるでファンタジーの物語から飛び出したエルフのようだ、と学校の先生である煌子は思った。
実際そうなのであるが。
彼は──奇妙な出来事により異世界から日本に来て山暮らしをしていた、エルフという耳の長く線の細い長命種族の青年なのである。
とても奇妙なことだが、前提としてそういう異世界人が存在するのだ。
雑貨屋のラリルが指をさして云う。
「あ! 山菜とか薪とか持ってきてお酒と交換してくる人!」
と、唯一顔に覚えがあった為に驚いて叫んだ。
時折──と言っても年に一度か二度、店に来て物々交換を持ちかけてくるのだ。ラリルとしても、整った顔立ちの外人な上にお坊さんという個性的な相手だったのでお布施気分で酒をおまけして渡していた。
彼女も坊主が酒を飲むかはともかく、外人なのでテキーラ飲みながらシャブをキメているだろうことは全く疑っていなかった。いつ物々交換で白い粉を渡されるか楽しみに待っていたというのに、山の神だったとは手酷い裏切りだ。その時の交換用に押し入れでハッパを栽培していたのに。田舎だから、当然ハッパぐらい作っているのだ。
普段──というほど頻繁ではないものの、シンは外を歩いているときは深く編笠を被っているのだが、彼女の店は[フルフェイスヘルメットのお客様はご遠慮願います]と張り紙しているので笠を取って顔を合わせていたのだ。
老人の一人が巳子に駆け寄って顔をエルフの青年をちらちらと見ながら、
「み、巳子ちゃん! この人……いや、御方が山の神様なのか!」
「そうよ。ほら、挨拶しい」
えらく年下の少女に何故こう偉そうにされるのだろうかと思いつつ、青年は声を出す。
「……どうも、初めましてでいいかな。僕の名はシン。神様ってわけじゃないけど、一応あの山には二百何十年かは住んでいる……まあ、ご近所さんだと思ってくれ」
彼の言葉を聞いて、村人たちがどよめく。
「神様って結構人間っぽいって云うか……三メートルの猪怪人じゃなかったのか?」
「マンガのキャラっぽい人だな、見た目が……」
「そんなに強そうに見えないよ?」
「顔は格好良いけど」
などと好き勝手に批評するので、シンは面倒そうな顔で銀髪をぼりぼりと掻いた。
そして彼より頭ひとつ背の低い巳子が見上げながら半目で呻く。
「それ見たことか。それ見たことか。本当の格好で来ないから侮られるのよ。辱められるのよ。合わせると侮辱されてるのよ。イタリアギャングなら抗争が起こってるわ。美女の送り合いから始まるんじゃよ今この時に」
「いや本当の姿も何もこれが本当だから、僕。まあ確かに強そうには見えないだろうけど」
紹介した巳子がまるで不利益を被っているような文句にシンはため息混じりに肩をすくめる。
(エルフにどんな過剰期待をしてたんだか)
彼は疑わしげな目線の村人達から目をそらしつつ思う。
実際のところシンという青年は山の神などではなく、約三百年程前に異世界から日本の江戸時代に迷い込んだエルフで、この世界では特異な外見だった為に山奥で暮らすことを余儀なくされただけなのだ。
ここの山に来た際に暴れていた猪を倒したことは本当で、また村人から酒を奉納されればお返しとして日照りの里に魔法で雨を降らせたりもしていた為に神と呼ばれていたのだ。本人に神の自覚があるわけでも何でも願いを叶える能力があるわけでもない。
特技は少々の魔法である。見た目がヒョロいのはエルフだから仕方ない。
住んでいる山には結界が張られていて一般人から住処が見つからないようにしているのだが、巳子は特別な素養があるらしく歴代の村人で最も顔を合わせている仲であった。それで、頼まれたので仕方なく山を降りてきたのだが……。
「……とにかく、その村に現れた巨大エビを倒せばいいんだろう。やれるかどうかはともかく、見てみないと。案内してくれ、巳子」
「それもそうやね。村人の評価なんてあのシャコを倒せば鰻登りでお賽銭はお腹いっぱい胸いっぱい。早くぶっ壊して欲しいっちゃよ、あのザリガニを」
「君の説明だとその魔物とやらはどんなのかさっぱり要領を得ないんだが」
言いながら、大股で腕まくりをしてずかずかと歩き出す巳子にシンはついていった。
それを見て、村人たちも行列を作り少し距離を開けて様子を見にぞろぞろと連なるのである。
*****
田んぼに使う用水路で水を浴びているのか沈んでいるのか不明な魔物は、変わらずにその場所に居た。
明るくなって見てみるといかにもな蟹である。鋏が鋭いというよりも重機の様に発達しているのが特徴で、大きさは乗り物で云うならば中型バス程もある。
殻は鈍く朝日を浴びて輝き、いかにも固そうだ。拳銃で穴が空くか不明だが、何発打ち込んだところで死にそうに無いというのは容易にわかる。
村人が複数人で別の場所から見張っていて、動きがあればすぐに連絡する算段だ。その動きというのが、マッハで襲いかかるとかそういう対処不能なものでなければだが。
やがて彼らは遠くからやってくる村人の群れを見つけて、何事かと顔を驚かせた。
先頭には巳子と見知らぬ男が歩いている。
巳子は見張りのところで足を止めて、水路に居る巨大蟹を指さしてシンに言った。
「シンさん、あれじゃけえ」
「あれは……」
彼は目を細めて、やや驚いたように云う。
「──ツインバスターローリング油圧式万力蟹じゃないか! なんでこの世界に……!?」
「とりあえず、ツインバスターじゃないのもいるにゃあ?」
巳子のツッコミはともかく、シンは驚愕していた。エルフは記憶力に優れている為に遥か昔のことだが、すぐに思い出した。
この村に現れた魔物──名は長いので蟹とだけ呼ぶが──は、彼が生まれ育った異世界に居る生物だった。生息地域は見た目の通り水辺で、両手の鋏が体内で精製した蟹油を利用した油圧で動く為に凄まじい力を持つ蟹だ。雑食で鋏に挟めれば何でも食べる。ツインと名が付くだけあって、通常のバスターローリング蟹に比べて当社比二倍であると言われている。何が二倍かは研究者の間でも議論が尽きない。
弾力もある殻の強固さは折り紙つきで生半可な刃物や弓矢などは通じず、魔法の耐性も強い。弓と精霊魔法に適性のあるエルフにとっては苦手な相手であった。
おまけに自分は戦いが得意というわけではない。あくまで少々の魔法が使えるだけなのだ。
しかし、
「……」
振り向くと、不安そうな眼差しで彼を見ている村人の目があった。
その視線には僅かな期待や希望も混じっている。
投げ出して逃げるには少し重たい。ここの村人は、彼が住み着いたときから酒を奉納してくれたり、またシンも村人に見つからないようにこっそり手を貸したりしてきた関係なのだ。
覚悟を決めたようにため息を吐く。
「──わかった、やってみるよ」
おお、とどよめきが上がった。
戦う方法も無いわけではないのだ。彼は魔法使いである。
魔法と言えども、彼は万能の奇跡を起こす術が使えるわけではない。己の持つ魔力と周囲の自然に宿っている精霊力を術式で纏めて物理現象を起こすのだが、当然やれることには限界がある。
特にシンはある事情から普通のエルフに比べて遥かに魔力が少ない。使える術式もまともな精霊魔法ではなく、昔に旅の陰陽師から教えてもらった陰陽術と長い時間をかけて創作した擬似精霊魔法を、半端に才能が無いためそれぞれ改悪して無理やりくっつけ形にしている魔法もどきなのだ。
通用するかは──やってみなければわからない。
シンが水場の蟹にゆっくりと近づく。遠巻きに、固唾を飲んで見守る村人。
蟹の間合いを測る。できれば魔法の発動は近い方が効果が高い。
じりじりと近寄る彼が、六メートルほど接近しただろうか。
360度見回せる蟹の目が光を灯して、シンを捉えた。限界だ。
彼は地面を足で勢い良く踏みつけつつ、早口で呪文を唱える。
「木行──句句廼馳を興し祀る」
蟹が立ち上がると同時に彼の日本と異世界の魔導を融合させた術式は発動する。
「翠緑血よ、魑に染まれ螺旋蔓草──『木相呪縛』」
叫びと同時に蟹の周囲の地面から、数百本の蔓性植物が凄まじい勢いで伸びて絡みつく。足と云わず鋏と問わず、全身を這いまわり引き締めて地面に釘付けにさせようとした。
突然の現象に蟹は力を込めて脱そうとするが、一本一本は指ほどの太さの蔓だが蟹の全身を緑に染める程の本数が明確に引っ張り引き倒そうと意志が篭って動いているのだ。
これではとても動けない。
シンが行った魔法の行使に、遠くから見ていた村人は驚きのあまり口を半開きにして、
「本当に神様だったんだ……」
「すげえ、マジでマンガのキャラみたいだな……」
と、感嘆の声を上げていた。
どうやら通用したようだと、シンも額に浮いた冷や汗を拭う。
一人山暮らしで時間だけはあった為、いくつかの身を守る魔法を作り出すことに成功していたが実戦で使うのは初めてだったのだ。日本の山ってそんなに魔法を使わねばならないような猛獣が出ないと気づいたのは暮らして百五十年程経ってからだった。
動きを封じた蟹に呼吸を整えて接近する。
遠距離から蟹を一撃で仕留める威力の魔法は使えない。中途半端な攻撃をして蔓草の束縛を解いても危険だし、攻撃魔法など一日に何度も使えるほど魔力に余裕は無いのだ。
接近して相手に直接触れればどうにか出来る術はある。
なので、心臓は正直ばくばくと恐怖に震えていたが、シンは勇気を振り絞って近づいた。
彼は神様では無い。
勇気と慈愛に溢れ、武勇と知恵に優れた英雄でも無い。
ただ異世界から日本に偶然やってきて、その殆どの時間を山奥で過ごしていただけの男だ。
しかし普通の優しさを持っていた。怯えている人を見捨てない、後悔をしない選択を選ぶ強さはあった。
どういう因果か、かつて同じ世界に居た存在である蟹に同情に似た感覚を憶えながら手を翳す。
もしこれが言葉の通じる種族ならば説得したし、日本で暮らすハウツーを教えられたのだろうが、この蟹は人を食う為に異世界でも害獣扱いだ。
「恨むなよ……詣つ崇む金行饕餮、縮退天印よ、蓮割く傲岸の流々──」
使おうとしているのは『吸生』という相手の生命力と魔力を奪い取る術式だ。殻の固い蟹を倒すには有効な魔法である。
唱えかけた瞬間、蒸気が吹き出す音がしてぶちぶちと蟹の右鋏付近の蔓草が一斉に千切れ落ちた。
蟹が鋏の油圧力を最大出力にして一気に拘束を振り千切ったのだ。
これは蟹の底力と蔓草の強度を見誤っていたシンの誤算だが、そもそも力を正確に計測されたことのない蟹相手に、使ったことのない拘束魔法をかけるなど、どう効果を算段すれば良いのか。
シンは戦いなど慣れていないし好んで行うわけでもないので、油断というよりも無知が原因であった。
「なっ!? ぐ……!」
慌てたシンに向けて一部動くようになった鋏が振り下ろされ、咄嗟に庇った彼の左手が挟まれて持ち上げられ宙吊りにされた。
「ああっ! 神様が……!」
「シン様……!」
見ていた村人の声に悲壮なものが交じる。
だが一番先頭で見ている巳子が、
「大丈夫」
と、言い切る。
いつもの怠そうな顔つきではなく、目を見開いてシンを見ている巳子に煌子が声をかけた。
「巳子ちゃん……」
「大丈夫なの。シンさんは。だから応援しましょう」
「──うん、そうだね」
迷いなく告げてくる巳子に、煌子は真剣な顔で頷いて、拳を握りあげた。
「負けるなあああ!」
周りの村人もその声を聞いて声を張り上げる。
「頑張れ! 神様ー!」
叫びは連鎖して声を呼ぶ。
「勝ったら酒を奉納するぞおお!!」
「俺の密造したどぶろくを呑ませてやるから、勝てえええ!!」
「ハッパもあげちゃうから頑張ってー!」
叫びが遠くから聞こえて、思わず釣り上げられたままシンは笑みをこぼした。
人から応援されることなんて何時ぶりだろうか。
昔、大恩ある人から余興として象と相撲を取らされた時は彼の家臣などにも応援された懐かしい記憶が蘇った。
ギチギチと手を締め付ける蟹の鋏。一度油圧を最大出力で使ったためか、強さは弱まっている。それでもエルフの細腕程度なら容易く捩じ切る圧力を持つはずだが、彼の腕はびくともしてなかった。
「……その程度じゃあ僕の腕は折れないよ」
シンは、嗤ってそう言った。
「数少ない、僕の自慢がこの腕だからね」
然し乍ら、このままでは腕を曲げることも出来ずにかけようとしていた術は手のひらを当てる必要があるので使用できない。
生半可な魔法が通じないこの蟹相手に勝てる方法がある。
それを使えば、応援してくれている村人達は怖がるだろう。だがそれでも、彼らの期待に応えたくなった。
怯えられたならば、またひっそりと山の奥で暮らすだけだ。何も変わらない。
だから、彼は──。
「変身術式、解除」
唱えるとまずは蟹の挟んでいる左腕から変化が現れた。細くて白い腕は靄がかかったかと思うと、浅黒く腕周りは三倍以上に膨れ上がりはち切れんばかりの筋肉を脂肪の鎧で包んだ丸太のような厳つくて長く太い腕に変化した。
次に右手も同様の変化を起こし、顔と胴体、足が変わるのは同時だった。
胴体はトラクターのタイヤを積み重ねたような頑健で固く締まりつつ、太い金属ワイヤを無数に巻きつけたものと同じ強さを持つ太い肉体にかわりそれを支える足も鉄筋めいたごつく角ばった地獄の獄卒を彷彿とさせるものに変わる。
顔はエルフの中性的な美しさは面影も残らず、巨大な猪の頭を中途半端に人間に近づけて諦めたような、牙も太く口から飛び出ていて濁った両目に、垂れた耳をした顔に変化したのだ。
背の高さも3メートルとは言わないが、2メートル半ばはある巨体。ぶかぶかに巻きつけていた僧衣がぴたりと収まっている。
大狗だ。
伝承に残る、猪頭の巨入道。山の神の姿がそこにあった。
「あれが神様よ」
嬉しそうに指を向けて巳子は笑いながらどこか誇らしげだ。呆然と、村民らは姿を現したオークを見ていた。
宙吊りにされていた状況から急激に背が伸びて地面にしっかり足を付けたシンは左腕をぐぐぐと引き寄せて蟹を間合いに捉えた。
そして、固めた右拳を後ろに引く。
豪腕、と言って差支えの無い人間より遥かに太く力の篭った拳である。か弱い人ならばそれが自分に振るわれるのではないかと想像し、恐れるだろうが──。
──強そうだと褒めてくれた人も居たんだ。
だから、
「受けろ……! これが、僕の──拳ッだあああああああッッ!!」
叫び、固めた右手で蟹を思いっきりぶん殴った。技術など無いし、今まで本気で拳を振るったこともない。ただ、身体強化の術を自分に掛けて力任せに叩きつけた。
とてつもない衝撃だった。蟹は掴んでいたシンの手を離して、水平に吹っ飛んだ。四メートルの巨体が宙に浮いて錐揉み回転しながら殴られた殻に出来た罅が体中に周り、受けた威力が体内を駆け巡り致命となる一撃を与えて──空中で全身が分解されて光の粒子になり、消えた。
それはとても綺麗な光景だった。殴ったシンも思わず見とれる程に。
散ったのは魔力によく似た粒子だ。確か、レイズ物質という魔法則粒子だっただろうかと遥か昔の知識からシンは思い出す。
そして、静まり返った状況に気づいた。
バツが悪い思いを彼は感じる。
(わかっている。人間と似た外見をしたエルフだと騙して、本当はこんなに厳つく怖い外見のオークだったなんて知れば大抵の人は怖がる)
彼からすれば、騙していたつもりはないのだがそうとは受け取らないだろう。
普段──というか人目に付く場所では彼はエルフの姿に魔法で変身しているのだ。と、いうもののその姿は本来の彼の姿なわけで騙そうと思っているわけではない。
シンは元々エルフとして生を受けて暮らし、異世界で暮らしていたある日に呪いでオークとして姿を変えられてしまったのだ。
オークになり魔法もあまり使えなくなったが、陰陽術を下地にしたオリジナルの術式を使うことにより呪いを解くことは出来なかったが元のエルフに変身することは出来るようになった。
ただ魔力切れや全力で身体能力を使おうとすると否応なく醜いオークの姿に戻るのだ。
人はそれを恐れるだろう。それも、この世界ではオークもエルフも居ないのだ。人から見た異形度はいや増す事は知っていた。
『オークックック! 助けてやった礼に若い娘を要求するでオーク(語尾)!』
とか言ってくるに違いないとか思っているだろう。
だいたいオークとはそんな認識である──というのも、元エルフであったシンの偏見が混じっているのだが。
そう思うと、豪腕を唸らせた肩もしゅんと縮んだ。
だが、上がったのは悲鳴ではなく歓声であった。
「う、うおおおお! すげえ! あの山の神様、一発で仕留めたぞ!」
「やっぱり本当の姿は猪なんだ! しかも超強い! 格好いい!」
「オークパワー禁じられた力の発動だ! パワーこそ力だよ時代は!」
「……は?」
腕を振り上げて超盛り上がっている村人達が居た。
お、と年配が多い男連中は雄叫びを歓声として上げて、老婆の多い女集団も拍手を送っていた。中には拝んでいる人も居る。
(オークだ! 石を投げようぜ! みたいな展開は……?)
予想が外れて唖然とするシン。
そんな彼の巨体になんの気兼ねもなく近寄って、カニを殴り倒した腕を巳子はペシペシと叩いた。
「お疲れ様」
「み、巳子。どういうことだろうこの反応は。君は前から僕の姿を知ってたからともかく……」
「何言いうとーと」
彼女は胸を張りながら小さく微笑んで注げる。
「──助けてくれた人を怖がるわけないじゃない」
当たり前のように。
そして巳子が告げた事をその通りに、村の人達の表情に怯えはなかった。
ただ感謝と興奮があり、彼の心配していた迫害とか宗教裁判とか逆セクハラとかそういう雰囲気は見えない。
美しい田舎の長閑な人達である。何度か巳子以外で言葉を交わしたことのある雑貨屋の女性も、目がぐるぐるした笑顔で注射痕が目立つ手を振っている。この人だけダントツでヤバイと思った。
「……あれ」
シンは安心したら、何故か泣けてきた。
彼の先祖はエルフとして森のなかでそのほぼ一生を暮らしていた。そしてその血を引く彼も、森のなかで暮らすには不自由も無く過ごせた。
しかし彼は知っていた。人との触れ合い、社会の中で暮らすという事を。
それを我慢してでも長い年月暮らせてしまっていたから、改めて人から呼びかけられて誰かのために何かを成したということに、懐かしい感動を思い出したのだ。
巳子は立ち尽くして涙を流すシンの背中を、背伸びして叩いた。
「ほら、泣いてないで行きましょう。村の守り神様の凱旋よ。密造酒でも飲んで今日は騒いで遊びましょう。あ、大丈夫よ密造って言ってもあれだから。合法的な密造だから」
「思うんだけど田舎の闇って深いよね、厭なところで」
幾ら異世界出身の孤独な暮らしをしていて江戸時代から文明に取り残されたような男とはいえ、明らかに違法クサイ匂いは感じ取れるのであった。
世界は[魔物]という異世界からの脅威に途轍もない被害を受けて、各国の対応や混乱に乗じての動き、混乱に乗じて水面下で蠢く黒き思惑、新たな人類の革新など様々な変化の只中にある。
これはそんな世界情勢とは切り離された、ある日本の田舎に住むエルフにしてオークで村の守り神[シン]の魔物退治と彼を取り巻く田舎の人達の小さな物語である……
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魔物図鑑
・ツインバスターローリング油圧式万力蟹
とにかく巨大な蟹。大型重機ぐらいのサイズがあり、ハサミも巨大。
ハサミ部分に自分の蟹油を使った天然油圧ポンプがあり、その力でハサミを閉ざして獲物を仕留める。
普段はゆったりしているが狩りの時の俊敏性は高いようだ。ローリングが見れた者はその巨体の意外な動きに驚嘆する。
海水で普段は暮らして産卵の時期に川を遡ってくる性質があり、村には川から上がってきた。
食用可。魔物は倒すと消えるので食べられないが、身が多くカニ味噌も沢山取れるのでシンの居た世界では有名な食材であった。
何がツインバスターなのかは完全に不明。
つづかない
シンのこれは一作品として纏まったら独立した作品として投稿したい
シンが使えるようになった魔法:肉体変化
体をオークからエルフの状態に変化させる
全体的な身体能力が著しく落ち込むが、耐久力は据え置き
エルフ形態だと自分で開発した便利な魔法が、一日に数回程度使える
オーク形態だと肉体変化と身体強化、自己治癒しか使えない
ちなみに巳子ちゃんは江戸なのであるの天狗双海の子孫




