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45話『サツ子と砂糖と筍の話』




 

 九郎の屋敷では[慶喜]という菓子を茶会向けに販売する事となり、スフィによる菓子の調理法が皆に伝えられた。

 小器用に家事をこなす女たちは比較的簡単な洋菓子の作り方をすぐに覚えて、誰でも作れるようになった。これで注文が来た場合、手が空いている者が菓子を用意できるだろう。


「そう。己れ以外は」

「クロー……無駄に手抜きをしようとするから変な風になるのじゃよ?」

「量産のためには手順を自動化できないかと思ってのう」


 九郎は焼け焦げたパンケーキの残骸を口に放り込んで拗ねたように言う。

 材料を撹拌して空気を生地に取り入れようという段階で起風符を使ったら生地が吹き飛び、食べ物に電気を通せば旨くなるのではという謎の信仰を得ていた九郎は無駄に電撃符でバチバチして、日本酒に含まれる酵母菌を突っ込んでちょっと増殖してみようとしたら雑菌が増え、おまけに焼く際に上から炎熱符で炙ったら焦げたのである。

 なんか変な菌が出てるので他の者に食べさせるわけにもいかず、九郎がバリバリと音を立てて口の中で処理している。

 勿論九郎とて、料理ができないわけではないのだが女衆に比べれば腕も落ちるので、魔法を使って効率化できないかと自分なりに試行錯誤してみたのであった。結果はこうなったが。


「まー材料を混ぜて焼くだけだから簡単じゃろ。掛けるシロップも砂糖水を煮ただけものじゃし」

「そうだのう。むしろ菓子を入れる箱の方がわざわざ業者に頼まんと面倒だ」

「紙箱なら家庭内で作れるのじゃが」

「高級感を出さんといかんからなあ……高く売る商品には豪華な包装が必要なのだ」


 販売戦略的には高級路線で注文は少なくとも利益は出る風にしたいのである。

 年がら年中繁盛するのは、或いは今後店などを作って売らねばとても家庭内の内職では賄えなくなる。

 スフィはかなり儲かる托鉢に祝言の祝詞、豊房は絵師、将翁は医者、夕鶴はふりかけ売りと殆どは本職といえるものがあるのだ。お八にサツ子も家事で忙しい。石燕はまだ幼い。九郎はぶらぶらしている。そうなれば、繁盛店を回すほど人員は裂けない。

 今の段階で本格的な儲けを追求するというよりは、あくまで副業として回す算段であった。時々注文が来て臨時収入になればそれでよい。

 余談だが歌い巫女の周布院という噂が噂を呼んでスフィの托鉢はかなり儲かっていて、出かけると風呂敷いっぱいに銭を稼いでくる。一日1000文(約2万円)も稼ぐことがあり、有名な神社仏閣の境内で大道芸の許可を取って歌えばその数倍は稼ぎ出す。

 いっそ彼女をアイドルとしてプロデュースするのが儲ける道だと九郎も思うのだが、ますます細長いアレのようなので気が引けた。勝手に稼がせる分がセーフというわけでもないが。


「ちなみにこれって幾らで売ってるのじゃ?」

「一枚200文(約4000円)だ」

「高ぁー! ええ!? パンケーキ一枚がそんなにかえ!? しかもそんなに大きくも無いのに!」

「だから高級路線と言っただろう。それに原価も掛かっておる。ちょいと説明しておくか」


 九郎は紙を取り出して慶喜に掛かる材料費を説明しだす。


「白砂糖は多少割引してもらっておるが、市場価格で一斤(600g)180文(3200円)する。小麦粉は一升(900g)で80文(1600円)、卵は一つ10文(200円)と計算しよう。安くで買っておるが、まあ一般的な値段として」

「ふみゅ……」

「それで慶喜一枚に使う分量はどれぐらいだ?」

「そうじゃの。小麦粉60gと砂糖15……シロップに使う分を足せば30gぐらいかの。それに卵一つと、酢と油少量。それと牛乳は勿体無いから粉を練る際に少量だが、殆どは水で溶いておるのー」

「牛乳は本来結構な値段がするのだが、よくわからんが分けて貰えてるのでタダということにしよう」


 スフィが指を立てて材料を言う。分量に関しては将翁が持っている良質の秤を使って、使う分量を計測して皆に説明したので覚えていた。

 なおペナルカンドでの[グラム]とはその世界のグラム・ストロングバスター博士が提唱した国際規格であり偶然にも地球世界のグラムとほぼ同じ重さである。博士は単位名をストロングバスターにしようと画策していたのだが眠り薬を使われているうちにグラムに決定されたというエピソードで有名だ。

 牛乳は九郎が盗まれた牛を助けてきた件と、将軍に牛乳豆腐を作った件でそれなりの格安で分けてもらっている。元々白牛酪を作るための利用しかされておらず、その薬も高価なので大量に生産しても需要が追いつかないこともあり乳を余らせていたのである。

 とはいえ商品として出すには調達の面倒さと江戸時代の日本人が牛乳に馴染んでいないこともあり、殆どは水で代用してホットケーキを焼いていた。牛乳は家庭で消費する量を貰ってきていた。スフィなどが飲むのだ。

 それはさておき。


「その分量で大雑把に計算するとこうなる。


 小麦粉60g 約5文(100円)

 砂糖30g 9文(180円)

 卵1つ 10文(200円)

 酢と油 3文(60円)

 容器 20文(400円)


 合計47文(940円)


 これが原価だな」


「なるほど、何か適当に焼いておったが、箱を抜かしても結構な値段がしておったのだのーパンケーキ」

「うむ。更にこれに調理時間の手間賃、うちは無料だが薪代、ついでに専用のフライパンやボウルを特注で作った機材費も掛かるからざっと60文(1200円)は実質掛かっておると見積もってもよかろう。それで儲けを出すとなれば三倍ちょっとで売らねば話にならん。なので切りよく二百文にしておる」

「この世界は甘味とは金持ちの贅沢なのじゃなー……」

「まだ良心的な方だ。金平糖など、同じ重さの砂糖の七倍は値段がするのだぞ。作るのが手間とはいえ」

「ふーみゅ、しかし、一枚焼くだけで大体150文(3000円)の儲けとは中々じゃの。受注生産じゃから廃棄は出らんし。そんなに大きな一枚でもないのに」

「早速、最初の注文から追加で十枚ほど話が回ってきたからのう」

「というと1500文(3万円)の儲けか! いやー、十枚なんて小一時間もあれば焼けるんじゃがなー」

「なに、うちは生活費でも結構使うのだ。多少の足しといったところだのう」


 甘味のある菓子に飢えている江戸の茶会では中々に慶喜は評判になっているようだ。

 そうでなくとも当時の菓子というと、干菓子が主流でパンケーキのようなふわふわしていて柔らかく、染みるような強い甘味のものは少なかった。遠慮なく砂糖を使っているので、中毒性もある。

 パンケーキ生地は冷めても例えばどら焼きや菓子パンのようにそれなりに柔らかさを保つので作りたてでなくとも旨い。 

 この後にかなりの評判を呼び、結局九郎は店を作る羽目になり庶民向けと金持ち向けに菓子を販売しだすことになるのだが、それはともかく。


「というわけで砂糖を買い足しに、鹿屋に行ってくる」

「おー、他にも何か旨そうなもんがあったら買うてきておくれ」

「スフィは行かんのか?」

「私は甘いものを食べた後はお昼寝したいのじゃー」

「子供か」


 薩摩からの品を扱う鹿屋は、琉球や中国の商品・食品も時折こっそり売ってくれる。

 江戸では普通売っていないものが多い肉や香辛料が手に入るので、江戸以外の食文化に慣れている九郎やスフィにとってはありがたい。

 九郎は台所の片付けをしていた少女に声を掛ける。


「ではサツ子や。鹿屋に買い物に行こうか」

「わかいもした、九郎様。でかくごっすっかちっとまっちょくい」


 頷いてサツ子は料理の際に着物を保護する前掛けとたすきを脱いで出かける準備を始める。元々旦那(サァ)と呼んでいたサツ子だが、お八から呼び方が被るというので九郎(サァ)と呼び方を変えていた。

 だがスフィは首を傾げながら、


「ま、まっちょ? なんかのー……異世界に渡ったから仕方ないのかもしれんが、サツ子の言葉だけ時々不明瞭なのじゃが」

「気にするな。誰が聞いてもそうだ」


 異世界転移した副次効果で、地球の言語はだいたい聞き取れて喋れるようになっている九郎とスフィだが、薩摩弁はかなり難解に聞こえるようだ。

 サツ子は僅かに上を仰いで考える素振りを見せてから、咳払いをして改めて喋った。


「こほん。わかりました、九郎さま。すぐに出かける用意をしますので、少々お待ち下さいませ」

「うわっ! 普通になったのじゃ!」


 丁寧な標準語を喋りだしたサツ子にスフィは驚く。江戸弁のべらんめえ口調でもない、ある意味では時代的に変わった口調かもしれないが。

 サツ子は九郎を上目遣いで見ながら伺うように言う。


「九郎さまに奉公してから覚えました。こちらの方が良いというのならば、喋り方をあらためます」

「ん……いや、別に方言の方でいいぞ。なんかこう、他人行儀になった気分だしのう。急に喋り方を変えるのも大変だろう」

「ありがとうございます。しかし、少しは通じやすく喋るよう心がけます。薩摩弁を下手に矯正したら、間諜になったのかと藩に怪しまれ殺されるのではと不安でしたので助かりました」

「そんな悲愴な覚悟で喋り方を変えようとせんでいいぞ!?」


 江戸から最も離れた地にある藩である薩摩は幕府や他国からの密偵を警戒して、飛脚すら殺されることがあった。故に薩摩社会では他国と通じているとみられると死罪になるので危険だ。

 例えば幕府から許可を得て薩摩大隅から離島まで地図の作成に歩き回った伊能忠敬はその後ろを常に役人が付いて見張っていて非常にやりにくかったという記録も残っているし、江戸で青木昆陽が栽培に成功する前に薩摩から種芋を盗み出して栽培した下見吉十郎に芋を渡した百姓の土兵衛は死罪であった。


「しかしのー。サツ子は丁寧に喋った方が声の綺麗さがよく出て、モテそうな感じじゃぞ?」


 スフィがそう勧めるが、九郎は微妙そうな顔で首を振る。


「方言は嫌だから喋るななどという失礼な男にサツ子を嫁へやるつもりはない」

「お父さんか」


 奉公人として雇っているのならば、その嫁入り先まで面倒を見らねばならない。少なくとも九郎はそのつもりであった。

 しかしながらほぼサツ子も身内となると相手の選定基準が厳しくなり、サツ子と合うと視線が常に彼女の豊満な胸部へと固定される忍者集団は却下であった。


「できればサツ子が自分から好きになった相手と幸せになって欲しいものだがのう」

「……」

「ん? どうしたスフィや。頭でも痛いのか」

「なんでもないが、クロー。お主懲りぬタイプなのじゃな」

「何がだ? まあ……もう暫くはうちで奉公人をやっていて欲しいものだな。家族が多いと家事分担も大変だ」

「うみゅ。私も結構掃除とかしておるぞ。クローは?」

「……か、家族サービス係とか?」

「シモネタか」

「そっちではない。下世話な」

「にょほほ」


 意地悪く笑うスフィに、九郎は苦々しく首を振った。




 ******




 

 鹿屋にぶらりと九郎は顔を出して、買い物や商売の話を持っていくことも多い。

 しかし何かと、鹿屋から奉公人として預かったサツ子のことをよく聞かれるのでたまには連れていき顔を見せることにした。

 江戸では四月からもう暦の上では夏だ。二人が身につける着物も、四月朔日(ついたち)には綿を抜いて表と裏地のみのあわせに縫い直されている。

 九郎などは幾つか着替えがあるのだが、もっぱら[疫病風装]を加工した着物を纏っていてこれは風通しがよくて夏でも涼しく、また冬には炎熱符を着物に貼り付ければ冬山でも問題ないので綿入れなど防寒対策では必要ないのだが、冬場でも綿入れしていない着物ではみっともないし、嫁が怠け者だと言われるとお八に言われて季節に沿った風に改造されていた。

 並んで歩くサツ子も綿抜きをした袷の白木綿に藍染めをした着物に、頭には手ぬぐいを巻いている。髪の毛がまだあまり女らしい長さではないので、外に出るときは手ぬぐいで隠しているのだ。 


「まあ江戸では被り物をしている者も珍しくないがのう」


 手ぬぐいの巻き方だけで三十四種類あってそれらを一覧にした今で言うファッション誌が売られていたぐらいである。

 それ以外でも笠を被る者、頭巾を被る者、覆面の忍者に変な仮面など様々な人種が見られる。多少奇抜でも、江戸のどこかでやっている祭りの大道芸か両国の見世物小屋の者だと認識されるので然程不審には思われない。

 サツ子は手ぬぐいから耳元にはみ出している髪の毛をつまみながらぽつりと言う。


「じゃっどん、愛ごくなかから伸ばしたか」

「ふむ……己れは充分可愛いと思うがのう」

「……」


 九郎が覗き込むようにして視線を向けると、サツ子は頭に巻いた手ぬぐいを深く被るようにして目元を隠した。照れているのだろう。

 最初に会った頃には男の装いをしていたがこうして女に囲まれた生活を送ると、すっかり表情や仕草にも女らしさが身について来ている。丁寧な言葉遣いもできるように、元来が努力家なのだろう。

 それに、袷で薄くなった着物では帯の上に乗っかるように大きな胸が存在を主張しているのでもはや少年とは間違えられないだろう。 


「ほれ、顔を隠しておると人にぶつかるぞ。日本橋は人通りが多いからのう」

「あう……」


 九郎に手を引かれてサツ子は照れながらもついていった。


「それにしても、昨日は雨だったが天気が上がって気持ちがよい。おお、そこの屋台で甘酒を売っておるぞ。飲んでいくか、サツ子や」

「よかなあ」

「おい甘酒二つ」

「はいよ! 二杯で十六文!」

「サツ子。かね


 流れるようにサツ子に告げて、彼女は袂から財布を取り出し主人に渡すという過程を経て九郎は屋台に代金を支払った。

 なお当然だが九郎の金である。決して連れ回している年下の娘に、自分から甘酒を誘った挙句に奢らせているわけではない。

 こういうことをしているのも、九郎が財布を持って出歩くとちょろちょろと結構な無駄遣いをしていることが豊房に指摘され、なるべく少額しか持ち歩かないか、一緒に出歩く女に金の管理を任せるように言われたのだ。

 そういうこともあり不承不承ながら九郎も従っているが、見た目は完全にアレであった。

 

「もろもろしておるのう」

「もろもろ」


 若干甘酒売りに何とも言えない顔で見られながらも、もろもろとした甘酒を飲むのであった。 


 

 鹿屋にやってくると常連の九郎はひとまず奥へと上げられる。

 サツ子を伴って鹿屋の奥にある企画会議室に使っている間へ入るとすぐに用事を済ませた鹿屋黒右衛門が姿を見せた。


「これはこれは九郎殿。それに……」

「ご無沙汰しちょります」


 サツ子が頭をぺこりと下げると、黒右衛門は笑いながら手を振った。


「いや、いいのだ。九郎殿のところで元気にやっていれば……おっと、そうだった。今うちに薬丸先生が来ているからお呼びしよう」


 黒右衛門が女中に命じる。

 薬丸兼雄という薩摩藩の武士はサツ子と親戚関係にあり、江戸で一人奉公人になっているサツ子を気にかけている。

 以前に薩摩から来たという妖怪・一反木綿退治にて九郎の手を借りたことで知り合った侍である。示現流、及び野太刀を使った古剣術と示現流を合わせた薬丸自顕流の達人であり多くの薩摩の侍のみならず、農民からも「薬丸先生」と呼ばれる存在だ。

 どたどたと屋敷内を走る音が聞こえて、襖が勢い良く開けられた。


「おおっ! よう来たなぁー! 元気しちょったか!」

「先生」


 部屋に入ってきた三十前の侍は嬉しそうに破顔して、サツ子の頭を手ぬぐいの上からぐしぐしと撫で回した。

 

「太ぉなったな! よかこっちゃ! おう、天狗どんもどげんか?」

「おう。元気元気。お主も元気そうだのう」

「薩摩じゃ元気のなか者から死ぬか気が狂うかしていくからな!」

「常に瘴気の漂う魔界か何かか」

「桜島ン灰なら漂っちょるが」

「一度分析した方がいいな……」


 九郎は顔を顰めながら以前に言われたことを思い出す。


「そう言えば石燕が言っておったが、桜島という名称は木花咲耶姫を祀る[咲耶島]が転じたものであり、木花咲耶姫といえば火中出産するぐらいなので気性が荒く、また寿命をもたらした神なので薩摩人は命を容易く散らし、酒造りの神でもあるので酒好きな民族性があるとかなんとか……」

「止めてくださいよ、そんな本当に灰で空気感染してそうな話は。薩摩に帰りたくなくなりますから」

「つわを食えば灰は落ちる。気にすんな」


 黒右衛門は息苦しそうに呻くが、気にしていないとばかりに兼雄は笑い飛ばした。


「そいで、天狗どんのところはどげんじゃ。良くして貰っているか?」


 兼雄の言葉にサツ子はコクコクと頭を縦に動かし肯定する。

 実際に、九郎の屋敷はひたすら江戸でも過ごしやすい。空調完備で毎食豪華で、着るものも布団も庶民より高価なものを使っている。奉公人のサツ子も家族同然であり、小遣いも結構貰って溜めていた。

 

「よかよか。天狗どんから手を出されとらんか? はっはっは」

「いえいえ九郎殿が相手ならもしお手つきをされても悪いことにはなりませんよはっはっは」


 冗談めかして薩摩人が二人が笑い合い、九郎が忌々しそうに見やる。


「少なくとも、預かっている娘に手を出すほど己れは飢えておらぬ──サツ子?」


 と。

 九郎が声を掛けたのだが。

 つい、サツ子は『手を出されたこと』を想像してしまい、顔を真っ赤にしてもじもじと震えていた。

 普通ならば下品な冷やかしであるのだが、なにせサツ子の寝泊まりする屋敷では毎晩九郎が嫁や妾と情操教育によろしくない営みをしているのだ。サツ子もうっかり目撃したこともある。なので、想像がやけに具体的になった。

 結果がこの反応だ。思わず、話を振った薩摩人二人も固まる。


「待て」


 九郎は何かまずい気配を感じて制止しようとするが、猫を持ち上げるようにひょいとサツ子は兼雄に九郎の隣から離された。

 それから薩摩人どもは軽く瞑目しつつ、赤面しているサツ子の肩にそれぞれ手を置いた。


「そうか……なんというか、それなら仕方がないな」

「薩摩でも男が夜這いして関係を持ってから夫婦になるのは珍しくなかが……」

「いや待て待て! お主らは勘違いしておる! なあサツ子! 己れは手を出したりしておらんよな!?」


 慌てて抗弁しようとすると、黒い湯気のようなものを立ち昇らせて兼雄が九郎を睨んだ。


「ほう。責任を取らんと……」

「だから違う!」

「どげんか。天狗どんは、酷かことをしたとか」


 兼雄にそう言われるとサツ子は慌てて、


「だ、大丈夫! 九郎様は、ちゃんと(日常生活で)優しくしてくれてるから……!」

「サーツー子ー!! それ誤解招く!」

「この前は抱っこもしてくれたし……」

「したけど! 別に性的な意味じゃなかったぞ!?」


 時折子供のように甘えてくる石燕や豊房相手に抱き上げてやっていたのをサツ子が見ていたので、女二人に囃し立てられて彼女も抱き上げて高い高いをしてやっただけである。

 サツ子も慌てているようで、嘘は言っていないのだがまるで逆効果だ。それを否定する九郎もまた。


「九郎様とは何もしちょらん!」

「ほらサツ子もこう言っておる! 本人が言っておるのだから己れは手を出していない!」

「 ほ う 」


 兼雄のオーラが激しさを増す。確実に勘違いして、九郎のことを手を出したはいいが口裏を合わせて無かったことにしようとしていると誤解していた。

 こうなればサツ子が否定しても九郎に言わされてる感があるので誤解を解くに至らない。

 

(いかん)


 九郎は兼雄が刀に手を掛けているのを見て冷や汗をダラダラと流した。並の剣士が振るう攻撃ならば疫病風装で勝手に避けれるが、達人級である兼雄の攻撃は頑張って避けないと当たって死ぬ。そしてここは逃げるに適していない室内だった。

 一瞬即発な状況に、部屋を震わせるほど大きな咳払いが響いた。


「チェスほおおおん!!」

「今の咳払いか!?」

 

 叫びを上げた黒右衛門に九郎とか兼雄は向き直ると、人の良さそうな笑みを浮かべた商人は言う。


「どうやら何か行き違いがあるようです。ここは落ち着いて、焼酎でも飲んでから話をしましょう」


 そう告げると、女中を呼んできて旨い芋焼酎を徳利に入れて持ってこさせた。堂々と告げている黒右衛門だが、背中は冷や汗でびっしょりである。自分の店で薬丸先生と九郎が戦うとなると、半壊以上は覚悟しないといけない。それを止めるためには必死だ。

 とりあえず兼雄も焼酎を飲むぐらい間を空けたら少し冷静になったようだ。

 それを見てサツ子が事情を説明すると、目を丸くした。


「……なんだ、本当に手は出されとらんかったのか」

「そう言ったろうに」

「はっはっは。左様か。悪かった」


 兼雄は先程体から立ち昇らせていた薩気さっきが何処に消えたのかというように笑って謝る。薩摩人は噴火のように怒るが、醒めるのもあっさりとしている。

 申し訳なさそうにサツ子が九郎を上目に見やる。自分の反応が誤解を招いてしまったことを悔いているようだ。

 九郎は苦笑いを浮かべて、隣に座るサツ子の背中をぽんぽんと叩いた。


「大人に冷やかされて恥ずかしがるのは当たり前だ。お主が気にするな。勘違いするやつが悪いのだ」

「う……そいでも」


 兼雄のサツマニックオーラを間近で受けたのだ。怯えと申し訳無さから、サツ子は僅かに涙ぐんでいた。


「ああもう、ほれ。サツ子が泣きそうではないか。薬丸先生よ、お主のせいだぞ」

「おおお、すまんかった。かくなる上は腹を切って!」

「止めてください」


 黒右衛門は着物を肌蹴ようとする兼雄を後ろから止めた。

 ひとまず落ち着くまで、九郎は泣きそうなサツ子の頭を抱いて胸に顔を押し付けてやった。サツ子もされるがままに、九郎に顔を寄せている。


(……あれ? これって手を出しているうちには入らん……よな)


 一瞬九郎は妙な考えがよぎり、脳内で判断を下す。


(うむ。全然入らん。浮気でもない。まったくセーフすぎる。妙なことを考えたな)


 彼的には絶対的セーフラインだったらしい。小さい親戚の娘を慰めているとかそういう感覚だ。

 ……そういう感覚で接した相手から、外堀を埋めた山で天守閣まで攻略されたことはすっかり過去に追いやっているらしい。




 *********




 ひとまず場も落ち着いて兼雄もサツ子を怯えさせたことに気落ちし、帰っていった。

 改めて商談と世間話を九郎と黒右衛門は始める。


「とりあえずうちで売る菓子の材料として砂糖を買いに来た。二斤ほど頼むぞ」

「はい、すぐに用意しましょう。それにしても九郎殿のところで売る高級菓子ですか……くっ! うちに販売権を譲ってくれれば!」

「手間がそれほど掛からんようにしているのが味噌なのだ。大量に作れるのはそっちに回しているだろう。甘納豆はどうした?」

「ええ、沢山入れた大袋と少量で売る小袋で販売しておりますが、庶民にも武家にも飛ぶように売れておりますよ」

 

 甘納豆も九郎が提案して鹿屋に売りつけた商品である。豆類を砂糖水で煮て味付けし、上から僅かに砂糖をまぶすだけの簡単なものであるからこそ砂糖を供給する側の鹿屋が販売するのがコストパフォーマンスが高い。

 少量単位でも売れるので普段砂糖などは口にできない庶民でも購入できるので、甘納豆を詰めた葛籠を持たせて行商人も出しているぐらいであった。


「福神漬はどうだ? 売れておるか」

「そちらも大変な売れ行きです! 江戸では九郎殿のところで売っているふりかけとうちの福神漬は、ご飯の伴で保存食の人気は二分されていると言われているぐらいでして」

「そんなにか」

「持ってこさせましょう」


 黒右衛門が店の者に命じると、福神漬の入った小さな壺と小皿に載せた福神漬が九郎とサツ子の前に出された。

 箸で取ってぽりぽりと噛みしめる。茶色い漬物は噛みしめると甘じょっぱい汁が滲み出て、なんとも飯が欲しくなる。


「うむ。いけるな。大根と蕪と茄子と紫蘇と蓮根に瓜……それとなた豆か」

「その通りでございます。なた豆が一番大事で、類似品が出回ろうともこのなた豆が入っているものこそが福神漬と言い張れますからな! なにせなた豆は薩摩でしか栽培しておりません故!」

「考えたのう。どうだ、サツ子。うまいか?」

「うまか」

「よしよし、何よりだ。カレーの付け合せにも良いのだよなあ。よし、買っていこう」

「ありがとうございます」

「そうだ。唐辛子はあるか? 粉にしたもの」


 九郎が言うと、黒右衛門は何事かと思いながらも唐辛子を持ってこさせた。

 おもむろに九郎はそれを小皿の福神漬に振りかけて混ぜる。福神漬が、唐辛子の赤い粉で夕焼けのように染まった。


「そ、それは!?」

「いや、辛味が足らんと思って。唐辛子を足したものも売ればいけると思うぞ」

赤七神(アッカナナジン)ですな! 七福神のォ──!!」

「なんで叫ぶ」


 サツ子が興味深そうに、九郎の皿の赤い福神漬を見ていたので箸で摘んで彼女の口元に差し出したら、僅かに躊躇ってサツ子はそれを食べた。だが大分辛かったようで、顔を赤くしている。

 新たな商品を教えられた黒右衛門はにこにことした顔であった。


「そうだ。九郎殿が新たな菓子を売り出すということで、この前も教えていただいたお礼にうちの店で出している薩摩発祥の高級菓子をご試食くだされ」

「ほう、なんだ?」

軽羹(かるかん)でございます」

 

 と、九郎とサツ子の前に白いカステラのような、気泡でスポンジ状になった菓子が小皿に楊枝と共に乗って差し出された。

 サツ子が思わず姿勢を正す。


「どうした?」

「島津のお殿様が食うような菓子じゃ」

「ほう……」


 軽羹は摩り下ろした自然薯に砂糖と水を加えてかき混ぜ、荒く挽いた米粉を混ぜたものを蒸して作る。

 この時代より二十数年前の宝永年間に薩摩藩三代目藩主、島津綱貴の50歳祝いにて献上されたことで知られている菓子である。 

 九郎からすればそこはかとなく、未来の鹿児島土産で聞き覚えがあるような気がするぐらいの認識であった。

 

「まあとりあえず食うか」


 彼は楊枝を取って軽羹を半分に切り、突き刺して口に運んだ。

 白雪のような姿をした軽羹は僅かにねちりとした食感で、噛むと口の中でつぶつぶとした米の感触が広がる。

 噛みごたえのある柔らかな砂糖菓子のようだ。サツ子は思いっきり頬張り、九郎はもちゃもちゃと思案しながら噛んでいる。


(中々旨いが……うむ)


 九郎は頷いた。確かに旨いし、ほほうこれが……とはなる。名物であるし、大名も喜ぶだろう。

 しかし個人的な好みでいえば九郎はパンケーキの方がダイレクトに旨い気がするし、随分前に石燕が作って黒右衛門にも見せたが恐らく手間の問題で作られていない萩の月……ではなかった、かすたどんの方が柔らかくて甘いだろう。

 それに原材料の問題もある。ケーキの材料は通年手に入るが、山芋は秋から冬のものだ。通年通して売るにはこちらの菓子が有利になる。

 

「その顔……九郎殿、改善点を見つけましたかな?」


 黒右衛門がじっとりとした眼差しを向けているが九郎は半眼で云う。


「いや、売れてるなら余計なことしないで大丈夫だろう。大体、高級菓子で領分を奪い合うのだから助言をするのもな。軽羹が売れなくなったら考えてやる」


 九郎は率直に、軽羹の中に小豆餡をいれた軽羹饅頭を売ればどうかということは思いついたのだが、今の段階で教えることでもないだろうと思って止めておいた。

 軽羹は旨いのだが味の変化に乏しいので、途中で餡が加われば喜ばれるだろう。それほど面倒な手順が必要になる改造でも無い。


「……九郎殿が本気で自分のところの菓子を売る気過ぎて怖いのですが」

「ちなみに軽羹の評判を下げる噂ならもう十ぐらい思いついたが」

「せめて攻撃するのだけはやめてくだされ!?」


 黒右衛門は本気で慌てて懇願した。基本的に店のためになる提案をする九郎の知恵が、こちらを貶めるために使われるなど想像しただけで碌でもないことになりそうだった。

 二人のやり取りを上の空でサツ子が九郎の半分残った軽羹を見ていたので、九郎は再び楊枝でサツ子の口元に運んでやり食べさせた。

 幸せそうにもぐもぐと口を動かしている少女を見ると九郎も顔がほころぶ。


「ところで参考までに聞きたいのだが、これは幾らで売っておるのだ?」

「十個入り一箱で1500文(3万円)です」

「高いのう、やはり……というか凄いなそれ」

「まあ、多くは売れませんが。材料調達も大変なので」

「山で掘り起こさんといかんからな。芋を」


 軽羹のメイン材料である自然薯は山に生えている天然の山芋なのでまずこれが手に入らないとどうしようもないのだ。

 ある意味幾らでも手に入る九郎の慶喜よりも原材料費は掛かっているといえる。

 一個150文(3000円)と聞いたサツ子は、思わず喉に詰まらせて咳き込み始めた。


「ああほれ、落ち着け。うちでも200文の慶喜を食っておったろうに。ほれ、お茶を飲め」


 そう言って背中をさすってやり、サツ子に茶を飲ませる。

 そんな二人の様子を先程から見ながら黒右衛門は表情に出さないが、


(本当に手を出していないのか……? というか凄くいちゃついているようにしか見えないのだが……)


 疑惑を持つのだが、まあ彼としてはサツ子が貰われればそれは全然構わないので口出ししないことにした。 

 九郎からすれば本当に小さい娘や妹を相手にしているような、基本的に甘やかしたがる感覚なのであったが。

 

「掘り起こすといえば、五年ほど前にやったあれはどうなりましたかな」

「あれ?」

「ほら、九郎殿が唐国の太い竹が筍用に欲しいというので、どうにかこうにか琉球貿易に関わる人に手を回して貰い、竹の根を江戸まで運んできたではありませんか」

「おお、そういえばそんなことがあったのう。あったあった」

「さては随分長いこと経過した昔の話ですので、記憶が曖昧になっていましたな」

「はっはっは」


 九郎は言われて思い出した。

 あれは大人の石燕が死ぬより前に、丁度今の季節である。

 筍を食おうと思ったのだが出回っている筍はどれも真竹や破竹のものばかりで太い孟宗竹のものが無かったのである。

 石燕や将翁に話を聞いたところ、孟宗竹はまだ日本に根付いておらず中国にあるという。しかしながらどうにか手に入れたかった九郎は、琉球を通じて大陸とも貿易をしている薩摩の商人である黒右衛門に頼んだのである。

 その結果、あれこれと複雑怪奇な取引が行われて鹿屋も損をしたやら得をしたやら、なんとか根の一部がこっそりと江戸に運ばれてきた。

 そこで九郎は土地を持っている知り合い、根津甚八丸に頼んで竹を植えて管理を任せたのであった。

 あれから五年。すくすくと成長して地下茎を伸ばしていれば小規模な竹林が出来上がっているかもしれない。


「そういえばあれはどうしておるかのう。今から様子を見に行ってみる」

「筍が取れるとよろしゅうございますな」

「まったくだ。よし、買ったものを包んでくれ」


 そうして荷物を纏めて店を後にし、ひと目の無い裏路地で九郎は細長くて人を縛るアレを用意してサツ子を自分の背中に結びつける。


「よくしがみついておるのだぞ」

「え?」


 姿を隠形符で消すと、そのまま二人は空高く舞い上がった。日本橋から千駄ヶ谷に行くのに荷物もあるので空を進むことにしたのだ。


「────!?」 


 空中に浮かんだ衝撃と、初めて身を置く高所への恐怖。それでサツ子は声も出ずに、九郎の背中にしがみついた。

 様々な妖術を家で使っているのを見るが、こうして空に攫われてみると、


(やっぱりこの人は天狗なんだなあ)


 そう思って恐る恐る目を開けるが、背中から見える横顔は毎日見ているのと変わりない。

 町は米粒のように小さくなり、遠くには富士山が見えた。サツ子は空の上から見る世界に頭が混乱するようだったが、心が震えるような気持ちよさも感じた。

 手を九郎の胸に回して密着すると体の温かさが伝わる。こうして抱きついていると、普段はこんなに触れ合わないのだから意識してどきどきした。





 *******





 二人は千駄ヶ谷の大百姓、根津甚八丸の屋敷にやって来た。

 開けっ放しの玄関に入り、声をかけようとしたが……


「はぁぁああ! 世界一魅惑的な一反木綿がお子様を攫っちまうぜえええ!!」


 凄い足音を立てて四足歩行になった甚八丸が、フンドシの一部を解いて床に垂らしてその上に赤子を載せて屋敷を走り回っていた。

 九郎は一瞬呼び止めようとして上げた手を下ろし、目を閉じる。


「九郎様、今のは……」

「ちょっと待て。すごく見なかったことにしたかったが、事件性があったから帰るわけにもいかんか……」


 四足歩行するフンドシ覆面だけならば無視するのだが、ソリのように布に座らせた赤子を引っ張り回していたのだ。

 嫌な気分になりながら踏み入ろうとすると、


「あひィ!! 止めろ! 嫁ェ! 赤ん坊の前で流血なんざあひィ!?」


 奥から手裏剣を浴びながらほうほうの体で甚八丸がダッシュで戻ってきた。

 そして玄関に来ていた九郎とサツ子に気づいて、手を上げる。


「よう! 俺様の親友にして理解者くるぉぉう君じゃあないか。お前からも嫁に云ってやれ。家庭内暴力は止せってよう」

「他人だ、他人!」


 こういうときに限って親しくなる変態に九郎は吐き捨てた。


「というか今のは何だ。どこの赤子だ」

「俺様の長男がこさえた子供だ。彌子蔵みこぞうつって、去年生まれたばっかりでな」

「長男……そういえば小唄の兄がおったのう。地味というか真人間だから全然絡まんが」

「おう。同じ家だと励めねえだろうと思って近所の家に住んでるんだがな。で、たまには孫の顔も見せに来たんで、息子夫婦が畑に行ってる間に俺様があやしてたところよ。まあ嫁に叱られて奪われたが」

「あやしてたというか、怪しいことをしていただろうに……お主もなあ、孫も居る年になって落ち着きのない」

「余計なお世話だ!」


 孫がいるとはいえ、甚八丸もまだ四十代。筋骨隆々の体つきと顔を隠す覆面もあって見た目から年齢はまったくわからないのだが。

 

「で、今日は何のようだ? 珍しい組み合わせで。嬢ちゃんの縁談か?」

「いや、違う」

「ようし、何なら俺様があの暴力嫁と別れて──うっわ凄えの飛んできたァーッッ!?」

「危なァー!?」


 忍び鎌を四本組み合わせて卍のような形にした大型投擲武器が空気を切り裂く音と共に飛来して、甚八丸は天井へ、九郎はサツ子を押さえて床に伏せて何とか避けた。

 

「おい駄忍者! お主の夫婦喧嘩に己れらを巻き込むな! メチャクチャ機嫌が悪いではないか!」

「お、恐ろしか。喧嘩でこげんせんでもよかもんじゃが……」

「うーむ、嫁にもどうやら子ができたみたいなのに冗談でも別れる発言したのが逆鱗に触れたのか」

「当たり前だ馬鹿! おめでとうと言われてろ。というかお盛んだな……孫より年下の子って」

「てめえに言われたくねえよ爺が! つーかあの媚薬みたいな酒のせいだからな!」


 九郎が配りまくった謎の成分入り波布酒が効果を上げていたらしい。

 この夫婦は甚八丸への突っ込みが殺傷能力のある手裏剣で行われるものの、基本的に嫁がベタ惚れしているのである。


「ええい、とにかく今は危ないから屋敷から離れるぞ。己れはあれを見に来たのだ。五年ぐらい前に、竹の根を植えるように頼んだだろう」

「ああ。一応しっかり生えてるぜ。俺様もまだかまだかと筍が食えるのを毎年待ってたわけだが、まあ増えるまでお預けしてたわけよ」

「筍が出ておるようなら取ってみるか。現場に行ってみよう」

「鍬も持っていくからよ。あ、嬢ちゃん。ちょっと良ければ待ってる間に上がってうちの嫁と世間話でもしといてくれ。大丈夫。あいつ俺様以外には優しいから」

「どげんかせんといかん」


 サツ子は若干怯んだが、それでも恐る恐る声を掛けながら屋敷の中に入って行くのであった。


 甚八丸が竹が育ちやすい、水場が近くて開けており他人が通りすがらないような場所に植えた孟宗竹はにょきにょきと成長して、一畝(約100平方メートル)ほどの竹林になっていた。

 孟宗竹は条件さえよければ年間に数メートルも地下茎を伸ばし、そこから地上に竹を生やしていく。九郎が植えるのを頼んだ翌年ぐらいには異世界に渡って帰るまで四年弱掛かったので成長したのを見たのは初めてである。


「ほう……あの根っこがちゃんとした竹林になるものだのう」

「こいつは見たことねえ竹で、太くて便利そうでよう。竹山にすれば一財産だぜ」


 真竹や破竹と較べて幹が太く、柔軟性は少ないが頑丈である孟宗竹は木材としての利用価値が高い。竹炭にするのも殆どが孟宗竹だ。

 それにこれは今のところ、日本でここにしかまだ無い竹林である。甚八丸が警戒して人が寄らないようなところに竹林を作ったのでまだ知られてもいない。


「まあ、管理してくれさえいれば好きにしてくれ。己れは筍が食いたいだけだからのう」

「それだけで唐国から根っこを密輸するとは、とんでもねえな」

「よし、早速筍を探そう。既に地面から姿を見せている筍もあるが、旨いものはまだ地面に埋まっているやつを探さねばならんぞ」

「微妙に面倒くせえな。真竹なんざ生えてる根本から食えるのに」


 幸いまだ竹林は狭い範囲だ。あるとすればそれほど時間を掛けずに見つかるだろう。


「ん。あった」

「本当か」

「俺様の感覚を信じろい」

「……凄くナチュラルだったから気づかなかったが、ここでもお主褌一丁なのな」


 裸足で歩き回ったので気づきやすかったのだろうか。

 ともあれ、甚八丸が示した僅かにも突き出していないように見える地面を軽く掘ると、確かに筍の先端が見えた。


「ところでよう。ここに座ってゆっくり語り合ってでもいたら、やがて面白いことになるんじゃねえの」

「実際そういう拷問あるぞ……筍の上に縛り付けておいてだな」

「冗談で済む程度にしようぜ。さて、掘るか」

「ああ、そうだ。少し待て」


 九郎は云うと術符フォルダから[砂朽符]を取り出して発動させる。

 これは地面や石などをさらさらとした砂状に変化させる魔法が込められていて、結果筍の周囲の地面が砂場のように変化した。


「よし。これで掘り出しやすいだろう」

「ありがたみがねえなあ……自然薯とかもすぐ掘れるんじゃねえか?」

「そうだのう。次の冬には探してみるか」


 言いながらすり鉢状になった地面から砂を掻き出して、筍の本当に根本から鍬で採取できた。


「もう一本ぐらい欲しいのう」

「待ってろ。すぐに見つけたらぁ」

 

 程なくして甚八丸が再び地中の筍を検知して、九郎の術符で簡単に掘り出すのであった。



 それから甚八丸の屋敷に戻ると、サツ子が赤子の彌子蔵をあやしながら待っていた。

 屋敷に上がってみると、どうやら甚八丸の手作りらしい木製の玩具などが沢山転がっており、初孫を彼なりにかわいがっているのが垣間見えて苦笑を漏らすと、


「なんでぇ」


 と、照れたように甚八丸言いながらそっぽを向く。

 彼の嫁、三好はサツ子と九郎に持たせる土産の野菜などを取りに出ていた。


「では試しに茹でて食うか。筍は取り立てが旨いぞ」

「任せたぜ」


 九郎は台所を借りて、筍の先端を切り皮に切れ目を付けて鍋に二つ放り込んだ。

 サツ子も後ろから付いてきたので九郎は指示を出す。


「その辺に米ぬかなんかは見当たらんか、サツ子や」

「……こいじゃ」

「うむ。アク抜きに入れてしまおう」


 糠をひと匙ほどすくい取ると、筍を入れた鍋に放り込んで蓋をし、術符で沸騰させた。


(高校の頃、学校の敷地にあった竹林から勝手に筍掘り返しておったのう)


 貧しい少年時代の記憶が蘇り、懐かしさに口元がほころぶ。

 ぐつぐつと煮て吹きこぼれそうになったら火力を弱めて小一時間ほど煮込む。

 その間に帰ってきた三好に、


「この馬鹿者が筍を掘って食わせてやりたいといって特別なものを持ってきたのだから許してやれ。筍は子供の成長に良いのだぞ」


 などと告げて適当に夫婦仲を取り持ち時間を待つ。

 そして茹で上がった筍から皮を外すと、もうもうと蒸気が上がって筍の青臭いような、穀物のような匂いが立ち込める。

 包丁でそれを薄切りにして小皿に分けて皆に出す。

 何も付けずにそのまま食べても、ほっこりとした外側にしゃきりとしているが柔らかい繊維、そして僅かに甘く噛みしめると滋味がある水分が口に広がり、


「旨い……」


 のである。


「っていうか凄え旨いこれ……普段食ってる固くて苦いあれはなんなんだって気分になってきたぜ……」

「あれもあれで悪くはないのだが、やはり孟宗竹の筍は良いのう。どうだ、竹林を育てるやる気が出たか」

「任せろい!」

「うむ。良かった……そうだ、こういうのもあるぞ」


 云うと九郎は再び台所に立つと、そこにあった味噌に酢、それと買ってきた砂糖を混ぜて酢味噌にした。

 ぬたは古くからある料理法だが、わざわざ砂糖を混ぜるのは江戸時代で砂糖が流通してから、それも普通は食べられないものである。


「甘い酢味噌だ。これをつけると旨かろう」

「ううむ、甘酸っぱくて味噌の旨味たっぷりで筍の味を引き立てる……世界を支配できそうな味だな……」

「いや、酢味噌と筍で支配される世界はかなり嫌だが……どうだ? サツ子。旨いか……ってその表情を見ればわかるか」

 

 もりもりと食べるサツ子に、九郎は苦笑した。


 結局四人で一本の半分を食べて、残りもくれたが息子夫婦に食べさせるように残した。

 九郎は茹でたもう一本を持って神楽坂の屋敷に戻ることにした。荷物が土産の野菜で更に増えたので、落とすと危ないから歩きで帰る。

 

「皆も喜ぶといいのう」

「じゃっじ」


 九郎と並んで歩きながら、サツ子はぼんやりと考えていた。

 彼に告白して妾になった豊房は「今がとても楽しくてずっと続けばいいと思った」とそう云っていたことを彼女は聞いていた。

 漠然と、九郎の元で下働きをする日々は幸せで満足だと思っていたのだが。

 

(ずっと続けば)


 という気持ちがなんとなくわかって、サツ子は九郎と手を繋ぎながら夕暮れの道を歩いて行く。

 ずっと、歩いて行った。






 ********






「よぉーしおめえら! 九郎に許可を貰って一本切ってきたこの新種の竹! こいつの用途は様々だ!」


 屋敷に忍者達を集めて、甚八丸は腕ほどの大きさで切った竹節を見せびらかしながら云う。

 他の忍者達も不審者が竹林に入らないように見張りをしていた間柄なので、ここ数年甚八丸が変な竹を育てているなあとは知っていたものの改めて竹材として持ってこられると、これまで目にしてきた真竹などに比べて大きさの違いが一目瞭然であった。


「あれを使えば息苦しくなく水の中に隠れられるかも!」

「俺昔から、かぐや姫が真竹の中に隠れるのは無理だって思ってたんだ!」

「その竹半分に切って素麺流しましょうよ頭領!」


 などと忍びたちの意見が次々に出る中で、甚八丸は渋い声で告げる。


「ヴァーキャロウ! いいか、こいつは実に丁度いい大きさで切っていて、中の節を抜いてそのまま使えるようにしているだろう」

「何にです?」


 すると甚八丸は己の股間にあてがって見せた。


「俺様のちんこ器にぴったりじゃねえか!」

「欺瞞だ!」

「頭領のそんなに大きくないでしょ!」

「見栄を張らないでください、見栄を!!」

「むきィー!! なんだとォ!? 上等だ、ちんこのでけえやつから掛かってこいや!!」



 甚八丸の屋敷は、今日も賑やかである。



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