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19話『昼行灯達の宴』

 

 ところはさておき、アフリカのカラハリ砂漠に住む部族が、ある日飛行機から投げ捨てられたコーラ瓶という今まで見たことのないものを拾う。宝石のように綺麗な瓶は彼らにとって水を入れたり、叩いて楽器にしたりといろんなことに仕える魔法の道具であった。

 やがてコーラ瓶を巡る争いが起こってしまった為に、平和を愛するブッシュマンはコーラ瓶を地の果てに捨てに行くという話がある。

 決して手に入らないものを人が手にした時、それはまさに魔法となる。その点で言えば異世界から持ち込んだ道具を多数所持している九郎は魔法使いと自称しても、様々に証明する手段があるだろう。

 それはともかく。

 九郎は今、コーラ瓶を手にしていた。

 荷物の奥に入れたまま忘れていたものである。 

 固く栓で閉じられている中に黒いコーラがまだ入っているものだ。あとで飲もうと思っていたら異世界に来てもう数ヶ月経ってしまった。

 

「とりあえず冷やしておこう……」


 と、部屋に置かれている呪符で作った冷水を貯めた桶に瓶を浮かべる。

 忘れていたけれども改めて見つけたからにはコーラが飲みたい。この甘くて炭酸な液体は今後恐らく二度と飲めない最後の一本だ。

 そうなると最高の環境で飲みたい。冷やすのもその一環だ。コーラを飲む正式な方法というと、コーラのつまみを用意することである。

 ポテトチップスやポップコーンなどの塩気のある菓子がいいだろう。もしくは焼肉やバーベキューのような脂っこい食べ物もいいが、イカの塩辛やネギトロではコーラに合わない。

 冷房の効いた屋内と炎天下の屋外が場所の候補に上げられる。この場合、屋内だと菓子、屋外だとがっつりした食い物がいい。

 九郎は二日程悩んだ。コーラと合わせる食べ物は何か。ジョン・ペーバートンの気持ちになって考えぬいた。知り合いの魔王だったらハンバーガーと云うだろうか。それもひとつの答えだが敢えて違うものを選びたい。

 そして、


「ピザが食いたい」


 とか言い出したのであった。


 これは、日本で恐らく初めてピザを食べた男の物語である。




 ****




 当然のことだが、当然のように。

 まずは材料の事で九郎は絶望的な面持ちになった。

 ピザというものは小麦粉を練って円盤にして、その上にトマトソースを塗りつけてチーズ、具を盛り付け焼いたものである。

 トマトソースとチーズが無い。

 土台になる小麦粉はうどん粉を練ってやれば作れそうな気がするし、具は海産物か鶏肉でも使えばいいのだろうがトマトとチーズなど江戸には売っていないのである。

 代用品が必要であった。

 九郎は更に三日程悩んで、知識人である鳥山石燕に相談しに行った。

 神楽坂の近くにある石燕の宅に行くと薬師の安倍将翁も偶然彼女の家に寄っていて、雀蜂を漬けた薬酒を売りつけている所であった。古来より毒の強い生き物は酒につければ薬になると信じられている。

 二人に事の次第を話すと、


「ふむ。[ぴっつぁ]というものを作るために[とめぃと]が必要なのだね?」

「それで、その[とめぃと]とはどのような植物で?」

「なんでお主ら発音が綺麗なのだ」


 一応突っ込むが特に理由がないようであった。

 九郎は両手のひらで丸く包む球の形を作りながら、おぼつかないイメージを伝える。


「ええとだな、こう丸っぽくて皮が赤くて果肉が水っぽくて……」

「柿ではなくて?」

「たんたんころりん! たんたんころりんだね! ふふふ、たんたんころりんとは柿の妖怪でおっさんの尻から」

「その話はどうでもいいわい」


 九郎は石燕の高説を遮った。おっさんと尻の関わる話に耳障りの良い意見などあるはずがない。

 

「そしてもう一つ必要なのが[ちぃず]ですかい」

「それはどのようなものなのだね?」

「うむ……こう、白っぽい固まりで濃い味の……」

「豆腐ですかい?」

「ぬっぺっぽう! ぬっぺっぽうだね! ふふふ、ぬっぺっぽうとは白くて弛んだおっさんの尻ような妖怪で」

「石燕は真面目に考えろよ! どんな妖怪料理を期待してるんだよ! おっさんの尻になんのこだわりがあるんだよ!」


 話を脱線させる石燕に思わず説教してしまう九郎であった。 

 彼女の妖怪好きにも困ったものである。おっさんの尻が好きなわけではない。恐らくは。

 ともあれ将翁の方は詳しく聞いてきた。


「ふぅむ成る程。[ちぃず]とは牛の乳から醸して作った食べ物と」

「心当たりがあるかえ?」

「二、三ございます。ま、ちとばかし値が張るものですがね」

「……抜荷じゃないよな?」

「くく……とんでもございません」


 禁制品でないことを確認したら怪しい笑みを返されて九郎は言葉をつまらせた。

 抜荷というと当時の密貿易品でのことであり、見つかれば死罪と幕府も厳しく取り締まっていたのだが、それにもかかわらず江戸や大阪ではさる筋には多くの抜荷が売買されていたという。

 もっとも、それに頼らなくても将翁はそれらしい乳製品を知っていたのであるが。

 将翁に頼り甲斐のある眼差しを向けている九郎を見て石燕は咳払いをし、彼の目を向けさせた。

 

「ごほん。それならば私は[とめぃと]の方を探すとしよう」

「なにか当てがあるのか?」

「ふふふ……とんでもございません」

「ねえのかよ!?」


 澄まし顔で目を細めている石燕はおどけたように、


「将翁の真似をしただけだよ。なに安心したまえ。この妖怪狩人・鳥山石燕にかかれば瀬戸内海に沈んだ草薙剣でもかぐや姫の難題でも見つけてみせるさ!」

「あ、いや何分トマトも植物だし、草とかに詳しい将翁に探してもらったほうが」

「私が! いいかね!? わ・た・し・が! 九郎君の役に立ってみせようではないか! 九郎君は私のことを虚言癖のある酒中毒としか最近思ってないフシがあるからね!」

「おやおや」


 猛烈な自己アピールをする石燕を横目で見ながら、人の悪い笑みを浮かべる将翁であった。

 実際、彼はトマトに関して、知り合いの本草学者が記録を残している事を知っていたのだったが、石燕が探して調べるというのならば敢えて彼から助言する必要も無さそうであった。

 張り切る威勢を削ぐのは趣味ではない。

 一般的ではないが、享保の時代にトマトは既に来日しているのである……


「ま、こちらでご用意が出来ましたら、改めて持ってきますので」

「そうか、うむ。頼んだぞ」


 そう告げて将翁は高下駄を履き薬箪笥を背負って石燕宅を去っていった。

 入れ違いに家に帰ってきた百川子興は草臥れた様子で石燕に、


「師匠、版元から帰ってきましたぁ」

「よしいい所に帰ってきたね子興。今日も不思議探しに出発だ!」


 使いっ走りをさせられていた子興はげんなりとしながら、玄関に置かれた水瓶から汲んだ水で濡らした手ぬぐいで額に浮いた汗を拭き、問い返す。


「ええ? またですかぁ? この前の[影なし犬]を探す続きとか?」

「いや、あれは飽きたから、次の[きらぁとめぃと]とやらを探そう」

「そんなカルト映画みたいな名前じゃないからな? あとなんでも探せるとか言いながら普通に諦めてないか?」


 九郎が半眼で告げるのだったが、無視されるのであった。

 こうしてチーズとトマトの問題は他人に丸投げという形で九郎はとりあえず解決した素振りを見せるのである。




 ****




 後の日の事。

 品川の近くにある鉄鍋などを売っている店で九郎はよさそうな大きさの鉄鍋と蓋を選んでいた。底が浅く、上から被せる蓋は一回り大きなものを探している。

 彼はピザを焼くのに窯がない事に思い至ったのだ。食いたいと思ってから用意をしだしたものの、無いもののほうが多い。

 一日と八時間程悩んだ末に、鍋底に碁石を敷き詰めてその上に生地を乗せて石焼き風にすることを思いついた。碁石ならば張り付いても剥がしやすい。それに蓋をして、蓋の上に焼けた炭などを乗せれば上下から中の生地に熱を伝えることが可能だ。確信犯めいた着想だ。

 店の鍋でやって失敗し、鍋を焦がした場合お房にどつきまわされることが懸念されるので新しいものを買いに来たのだ。

 ぶらぶらと出かけた先で選んでいると妙に血生臭い空気とともに彼にかけられる声があった。


「よう、誰かと思ったら九郎の坊主じゃねぇか」

「む?」


 振り向くと返り血まみれの素浪人風な中年男がぎらついた笑顔で手を上げていた。

 九郎は即座に、


「店主、不審者が」

「待て待て、拙者だ拙者ァ。[鮪裂き]の三郎様だよ」


 知らんぞそんな新キャラ。

 などと考えが浮かんだが、脳内の知人番付で一番血生臭い男が上がってきてすぐに思い出した。

 [切り裂き]同心と呼ばれる正義の人斬り、中山影兵衛であった。返り血まみれの。三郎とは、影兵衛が同心としてではない活動を行う際の偽名だ。


「白昼堂々の犯行すぎるであろう。火盗改は何をしている」


 九郎が嫌そうに告げる。その目は影兵衛を人殺しの現行犯と信じて疑わない光が灯っていたのだが、影兵衛は髭面の顔を近づけて潜めた声で云う。


「いやなァに、ちょいとそこの通りの箪笥問屋で押し込みがあってな? 殺された仏さんの斬り筋検めの為、非番だってのに呼び出されたもんでよう。死体使ってなんかこー……色々再現してたら血がべっとり着いちまった」

「色々再現て」

「押し込んだ盗賊がここで必殺剣・夜桜四重刀! ぶしゃあ! 四連撃で奉公人は死ぬ! とかやってたらなあ。長官おかしらに怒られちまったい」

「仏は丁寧に扱えよ!」


 身振り手振りで刀を振るう様を見せる影兵衛に思わず身を引かせた。

 火付盗賊改方でも剣術の達人として知られている影兵衛なのだが素行の悪さは高禄の大身旗本生まれとは思えないほどである。しかし、その剣術の目利きから切り傷を見れば、賊の持っていた刃物の長さから殺しの腕前、体格まで割り出してしまうという特技を持っているので重宝がられているのであった。

 昨晩箪笥問屋[檜や]を襲った盗賊はまさに兇賊と云うべきもので、夜中に店に押し入り店主家族と泊まり込みの従業員二十人あまりを斬り殺して、金庫に収めていた千二百両を盗んでいった。

 生き残った手代は額を一文字に切り裂かれ、大きく出血したものの死んだふりをしてなんとか助かったという。

 今は現場検証を終えて、火盗改の役宅へ運ばれて治療を受けた手代が賊の人相を証言しているだろう。

 影兵衛は鍋屋の店主に頼んで濡れた手ぬぐいを持ってきてもらい、付着した血を拭った。


「しかしお主の[鮪裂き]とはその血生臭い姿を誤魔化す為か?」

「おうよ。勿論鮪も捌けるけどな。これでも案外、盗賊には顔を知られてねえから偽名も通用してな。[鮪裂き]の三郎っつったら深川の裏町じゃちょっとしたわるで有名なんだぜ?」

「火盗改とは思えぬ」


 盗賊の調査のために元盗賊の密偵を使うことがあるらしい事は聞いているが、中山影兵衛はもはや悪党が火盗改になったような印象を受けた。盗賊には[切り裂き]影兵衛の名は売れているが、その顔自体を見たことがあるものは少ない。大抵出会うと殺されるからである。

 素行が悪いが手柄は大きく、家柄もよく剣術道場でもよく指導するために彼を畏れながら慕う下級武士も多いという。


「さぁて一仕事終わったら昼飯の時分だぜ。鮪の話してたら食いたくなったな。うめぇ処知ってるんだよ。九郎付き合えよ」

「鮪か……久しく食っておらぬな」

「健全な男子たるもの油気を欠かしちゃ力が出ねえっつぅか。殺しをする前はしっかり食っておこうぜ?」

「……いや、なんで自然と飯を食った後二軒目の梯子感覚で殺しの予定を入れておるのだ」


 軽く肩を回しながら涼しい顔で云う非番の火盗改は白々しく、


「江戸を荒らす悪党どもが今も何処かで、まあ具体的には入谷田圃の荒れ屋敷でのうのうとしていると思うと正義感がめらつくってなもんだ」

「場所具体的だな!?」


 どうやら前から目をつけていた盗賊宿があるらしい。

 影兵衛には火盗改の長官にも知らせていない非合法の密偵が複数人いて、弱みと暴力で支配された手先達は真っ先に彼に情報を与えるのであったが……

 二人は品川宿場にある魚料理の店[魚坂]に入った。

 ここは影兵衛が贔屓にしている店で彼が鮪や初鰹を買う金を出してやる事もある。もともと千代田にある旗本中山家お抱え料理人の弟子が始めた店であるのだ。

 時に初鰹と言えば、江戸の将軍が就任した年には慣例として初鰹を将軍の膳に出すようになっていて、幕府に高値で売れることからこぞって豪商が用意をしていたというが、この頃の八代将軍吉宗は節制の人だったので、


「鰹節を用意すればよろしい」


 と、初鰹を買わなかった為に高値で買い集めた商人たちは皆落胆したという話が残っている。

 それはともかく……

 鮪の赤身を漬けにしたものを熱い飯に乗せて、摩った山葵を載せた飯を減り腹に二人は掻き込んだ。つんとする山葵の清涼と、醤油漬けにしたのに表面はてらてらと脂で濡れている鮪が飯によく合う。

 酒も頼んで昼間から良い調子で飲み始めてしまった。

 影兵衛が、


「よし、珍しいものを食わせてやる」


 と、店主に注文したところ、鮪の短冊を油で煮て、解した身に醤油をかけたものが出された。白くなった身は油で煮たというのにむしゃむしゃと胃の中に消えていく旨い味である。

 

「ううむ、これはなかなか……高級なツナ缶っぽいところがまた酒に合う……」


 ふと、九郎は自分がピザを作る計画を立てている事を食いながら思い出した。

 目の前のツナをトッピングしたピザが脳裏に浮かび、


(良いではないか……)


 そう、思った。


「のう影兵衛。これ持ち帰りとか出来ないのか?」

「ん? 油漬けだから割りと日持ちするって話だけど……ははぁん」


 影兵衛は顎髭を撫でながら悪い顔で云う。


「何か良い事企んでるな? おい、拙者も一枚噛ませろよ」

「ううむ、ピザだから一枚噛ませろってのがそのままの意味だの」

「?」

「いや何、珍しい料理を作る材料にしようと……な」


 こうして、材料の一つを都合してくれる相手と出会った事により、やはりピザを作る運命力が働いていると九郎も強く認識するのであった。



 ただ、その晩。

 九郎自身どういう議論で承諾したかは酒も入っていた事もあって最終的に定かで無くなったのだが、入谷田圃にある盗人宿に九郎は行く事になってしまったのである。

 まあ九郎としても、押し込みをして家中のものを皆殺しにする悪党がのさばっているというのは、縁のある[藍屋]などの店が襲われでもしたら堪らないので多少捕縛に手伝うぐらいはよいか、と納得する。

 影兵衛の手先になった気分である。

 ここの辺りは夜になれば随分と冷たい山風が田圃を吹き抜けて行く。

 盗賊の教えによれば熱帯夜は家人の眠りが浅く盗みに向かないが、夏に涼しい夜が来ると途端に盗みが容易になるという。

 昨晩もその条件があって、押し込みをし店人を惨殺した盗賊一味が荒れ屋敷をねぐらにしていると影兵衛の情報であった。

 盗賊の数は十を超える。殺すだけならば影兵衛一人でやるのだが、逃げられでもすれば失態であるために影兵衛は火盗改の人員を呼んでくる予定であり、その間に盗人宿に一味が確実に居ることと、その正確な人数を探るのが九郎に与えられた任務である。


(……薄明かりがついておるな)


 口元に魔法の呪符[隠形符]を咥えて軽く首を傾げる。

 符の効果は姿がよくよく観察しなければ見えない程に認識が薄れるというもので、音を立てなければ夜間ではまず気付かれなくなる。

 手元に持った、押し込みに入った兇賊の人相書きを月明かりでよく確認して胸元にしまい込み、忍び足で一周ぐるりと回って忍び込む場所を探る。

 さすがに閉めきった戸を正面から開け入ったら不審に思われるのだ。

 九郎はやや考えて、屋根の一部に穴が開いているのを発見したのでひょいと登ってそこから入り込むことにした。

 丁度人が通れそうな穴に入ろうとすると、ぬっと闇が内から外へ這い出てきて九郎はぎょっとした。

 その穴から黒装束を着て目元だけ出した覆面の忍者がすっと現れたのだ。

 幽鬼のような目を月光に反射させて忍者は九郎をじっと見たので思わず、


「あ、どうも」

「どうも」


 と九郎の方から挨拶をしてしまった。声は音と鳴り伝わり相手へ意思を伝わる。身を隠していても存在が露見してしまうだろう。

 忍者もそれに返すと、さっと屋根から飛び降りる。その背中には重そうな千両箱が担がれていたが体勢を崩した様子も、小判が鳴る音も立てずに飛ぶような早さで田圃が広がる闇に消えていった。

 それを見送った後に九郎は、はっと我に返る。


「……見られた、と慌てるのは己れかあやつかどっちなのであろうなあ」


 とりあえず九郎は忍者を見送って、荒れ屋敷の中に入り天井から盗賊らの顔を確認しに行くのであった。


 その晩、火付盗賊改方の捕物により盗賊[熊蝉]の惣右衛門一味二十名は一網打尽にされ、半数はその場で切られて残りは市中引き回しの末、死罪となった。

 だが、盗まれた千二百両のうち千両は何故か見つからず、厳しい責めを与えたものの盗賊一味誰も知らぬ、霞のように消えたとしか証言されずにその行方は闇の中となる。

 後日、浅草近辺の神社仏閣に夜中、賽銭に小判を入れる忍び者の姿を土地の者が目撃しており、この千両消失も江戸を騒がしている有名な単独の泥棒、[飛び小僧]の仕業だと噂が市井に広がった……




 ****

 

 

 

 九郎は千駄ヶ谷へ続く道を歩いていた。背中には風呂敷に材料と鍋一式と炭を背負い、手に持った冷水の入っている桶にはコーラ瓶の他に酒も冷やされている。

 前を歩く石燕は朝に買った生椎茸と葉唐辛子を小さな笊に入れて運んでいて、時折振り向きながら九郎と会話している。


「──それでその[とめぃと]というのはどうやら[唐柿]のようでね。野菜屋ではなく園芸屋に聞いてわかったのだが」

「ほう」

「しかし残念ながら実を売っているわけではなくてね。だが栽培している人物はわかった。天爵堂が作っていてちょうど今、赤い実がなっているのだそうだ。

 採れたてがいいだろうから彼の家の庭で作ろうではないか。将翁にも材料を持ってそこに行くように伝えているよ。ところで」


 彼女は肩越しに、九郎の後ろを歩く男を見た。

 瓢箪酒を下げた着流しの影兵衛だ。いかにもいかがわしい賭場に居そうな悪党っぽい男であった。

 石燕はやや声を下げながら、


「そこの村とか無慈悲に襲う超惨殺暴力盗賊団の頭みたいな彼は誰だね……?」

「うむ……まあそんな雰囲気だが」


 有無を言わずに首肯したが影兵衛が、


「おい姉ちゃん、聞こえてんぞ?」

「ふふふ……九郎君、ここは素直に財布を差し出そう。話せばわかってくれる」

「いや……あやつ火盗改だから喝上げとか多分……しない……のかな……?」

「信用ねぇなあ」


 影兵衛は口を尖らせながら拗ねたように言うが、否定も肯定もしなかった。 

 ただ、彼は無意味に町人らに恐喝などを行うことはないのだが、同心やその手先の目明し、岡っ引きなどにはお上の権威である十手をちらつかせて、悪どい真似をしている輩も当時はいたようだ。

 

「拙者ァそんなちんけな事はしねぇっていうか。してるやつ見つけたら同心二十四衆[見えざる]の榎同心に密告しまくっちまうぜ。お目付け衆からの出向だからあいつに見つかるとやべェんだ」

「ところで同心二十四衆って本当に二十四人もお主らのような変な二つ名持ちがおるのか?」

「さあてな。不思議と二十四人全員言える奴に出会えた事ァねぇが」

「……」


 そういえば[似非同心]が捕縛されたのだから二十三衆になったのだろうか。或いは一人減ったら一人追加される七人ミサキのような構造なのか。

 謎は深まるがそれを知ることが有意義なわけでは無さそうではあった。利悟のような同心が多かったら嫌だな、と思う程度で。


「一応こやつからも材料提供を受けているから食わせてやらねばなるまいよ。ピザは冷めたのを持っていくとかできんからな」

「そうは言うがね。彼は翌朝辺り寝起きに上半身裸で冷めた[ぴっつぁ]を不味そうに齧って飲み残しの酒を不快そうに煽りぐへぇってしてるのが似合ってそうな」

「どこのはーどぼいるど崩れのおっさんだ……いや、まあそんな感じだが」


 九郎は確かにそれっぽいと感じつつ、なぜそんなイメージが石燕に湧くのか不思議に思いながらも応える。

 作家というものは想像力が豊かなのだろう。

 適当に納得しつつ足を進めた。

 暫くして千駄ヶ谷の田舎にぽつんと建っている天爵堂の自宅へ辿り着いた。

 改めて見ても、将軍の側用人を務めていた元幕府の用人とはとても思えぬ質素な屋敷である。以前に来たのは夜中だったからよく見えなかったが、庭だけは広い──というか庭と野原の区別が今ひとつ付かなかった。

 家の横手に青々と葉を広げているイチョウの影で敷物を広げて、天爵堂──新井白石が茶を飲みながら書物を読んでいた。外の日差しは強いが田を吹き渡る水気を含んだ風があるので、木陰は十分に涼しい。

 その向かい側に狐面を付けたままの安倍将翁が目の前の茶にも手を付けずに正座していた。

 間を気まずそうに、前もって言付けと材料を運んでいた子興が目線を逸らしたり、飲み干した後の湯のみをお代わりもせずに口元に運んで舐めたりしている。

 九郎は石燕に疑問の声を投げかけた。


「なんだあの微妙な空気の空間は」

「ふふふ、呼んでおいてなんだけれど、将翁と天爵堂は仲が悪いのだよ。陰険な方向で」

「挟まれた子興が哀れだな……」


 こちらに子興が気づくと無言で泣きそうな顔をしつつ手招きをしている。

 二人が仲が悪いというよりも、人間関係の多い彼からするとかなり珍しいことなのだが安倍将翁の方が一方的に相手を嫌っているので天爵堂も苦手に思っているのであった。

 というのも、将翁が作る様々な薬の材料は清や朝鮮でしか栽培されていない物も含まれており、鎖国をしていた当時の日本はそれらの多くを朝鮮からの輸入によって手に入れていたのだが、一昔前に側用人・新井白石の出した政策により朝鮮通信使の簡略化と共に交流が悪くなっていたのだ。

 手に入り難くなった朝鮮人参を国内栽培しようと将翁は試行錯誤を繰り返す羽目になったのでそのような政策を打ち出した天爵堂に良い思いを持っていない。

 しかし今日は彼の作った唐柿に用事があるのと石燕に呼ばれたので来たのだったが、茶の前で狐面も取っていないあたりに壁を感じざるを得ない。

 そんな様子を見て九郎が近づこうとすると、ずかずかと遠慮の無い歩調で影兵衛が天爵堂に寄っていく。


「おうおう、ど田舎くんだりに住んでる変なあだ名の爺さんだと思ってたら、新井のっつぁんじゃねえか! 久しぶりだなこの野郎!」

「……そのだみ声は」


 天爵堂が軽く頭痛をこらえるような仕草をして、近寄ってくる髭の中年を見て苦みばしった顔をした。


「中山殿のところの悪童じゃないか……なんでこんな所に」

「拙者も招待されてなぁ」

「む、影兵衛と天爵堂は知り合いであったか?」


 九郎は軽く石燕に目配せをしたが彼女は肩をすくめて首を振った。そもそも影兵衛を知らなかったので石燕が知る由もない。

 影兵衛は笑い声を上げながら、


「おうよ。もともとは拙者の火付盗賊改方長官やってた爺さんのあだ名だが、新井の爺っつぁんも幕府で[鬼勘解由」とか言われて有名だったんだぜぇ? この爺っつぁんも剣術やっとうが相当に鬼強かったんだとよ」

「へえ……なんというか文系に見えるが意外だの」


 天爵堂は否定するように、


「いや、火盗改の中山殿が強かったから僕も相対的に強く見られているだけで」

「謙遜するなって爺っつぁん。おいおい、昼間から茶なんて染みったれたもん飲んでないで酒を飲ろうぜ。そこの狐の兄ちゃんも置物みてぇに座ってねぇで」


 どっかと敷物に座り込んで瓢箪酒を汲みだし、即刻影兵衛は絡みだした。

 天爵堂の受領名は影兵衛の祖父、火付盗賊改方の初代長官とも称される中山勘解由と同じく[勘解由]である。二人が幕府に仕えて活躍した年代こそ違うものの、その縁から中山家と関わりがあり影兵衛とも顔見知りだったのである。

 そして他人に遠慮という言葉は知らない影兵衛である。早速持参した海苔の佃煮を敷物の中央に置いて飲み始めた。野外の茶会風の光景が一気に飲み会に変わってしまい、天爵堂は深々と息を吐いた。

 

「はあ……」

「ところで、唐柿とやらはどこかの?」

「ああ、さっき収穫しておいたけれど……」


 と、天爵堂は笊に盛った赤い果肉をした果実のごとき野菜を九郎の前に出した。

 それは若干現代で見るよりもくすんだ赤色で形も若干異なるが、質感や匂いはまさにトマトである、

 天爵堂はやや思案顔で、


「話は聞いていたが本当にこれは食べられるのかい? どうも赤々していて青臭くて食欲を唆らない。観賞用に買っていたものなんだ。植え付けはジョバンニが一晩でやってくれたけれど」

「ジョバンニって誰……? いやともかく、これは確かにトマトだ。生食用に品種改良されているわけではないからな。火を通してソース……ええと、たれにするのがいいのだ」

「そうなのか。これを好んで食べていたって話をしてくれた彼を、下手物食いのような目で見ていたことは謝らないといけないな。羅馬ローマ人って味覚があれだなと」

「可哀想な」


 ちなみに、軟禁されていたのにこっそり脱走してまで植え付けしてくれたジョバンニこと密入国と侍コスプレに定評のあるイタリア人司祭[ジョバンニ・バティスタ・シドッチ]は天爵堂の友人であったが、トマトの実を見ること無く亡くなってしまったのであった。

 ともあれ久しぶりに見たトマトで九郎は異世界で一度だけトマト投げ祭りとでも云うべきトマト攻城戦祭りに参加したことを思い出した。トマトを詰めた投石器で城壁を破壊したりトマトボウガンが猛威を振るったり樹召喚士がトマト隕石を降らせたりして地形が変わったりしていた。やりすぎである。死人は出なかった。

 懐かしい過去に思いを馳せながら、これならば十分にトマトソースが作れるだろうと九郎は見込んだ。

 そして今度は将翁に

 

「ところで将翁、乳製品の方は」

「御用意出来ていますとも」


 と、薬箪笥の中から二つの包みを取り出した。

 包んでいる布を解くと白い固まりがある。片方は半ば溶けかかったような状態で、小さな重の入れ物に入っている。


「こちらの形がしっかりしている方が[醍醐]。公家に人気の酒のつまみでございます。

 こっちの緩い方が吉宗公が作らせた[白牛酪]。疲労回復、滋養強壮の薬でこれを食えば労咳の者も具合が良くなるというもので」

「ふむ、ちょっと味見を……」

 

 と、九郎が指を伸ばして、軽く摘んで舐めてみると醍醐はやや塩気が無く牛乳の甘みを感じるもののねっとりと濃厚で、白牛酪は脂肪分が多く無塩バターみたいだった。

 合わせればよくピザに合いそうだ。


「ところでお代の方ですが」

「幾らだ?」

「ま、あたしも味見させて貰うもんで値引きして……このぐらいで」

「そうか……よし、石燕。ちょっと小遣いを」

「いいともいいとも。ふふふ、これで九郎君に貸したお金は累計十四両六朱……」

「き、記録されておる……」


 嬉しそうに財布から金を取り出す石燕に九郎が愕然と呟く。

 それを見ながら影兵衛と子興の二人が、


「浮気が二回は示談できる金額だなぁ」

「九郎っちが浮気の示談金まで師匠に借りるというゲスにならないことを祈ってる」

「お主ら……」


 呟くのを聞いて九郎は呻いた。そして、意外と浮気の示談金って高いなあとか無駄な心配をしつつ。

 ともあれ……。

 九郎のピザ作りの材料は集まった。トマト、チーズ、生地にトッピング。後は調理をするだけである。



 そうしてまずはソースを作るにも生地を焼くにも必要な火を野外で軽く石を積んだ場所で起こし、火力を安定させた。


 九郎が汗を拭きながらふうふうと息を吐いてやった。


 借りた土鍋に白牛酪を塗りつけて刻んだ唐柿を潰しながら少し塩を入れ煮込んでソースを作った。鉄鍋で煮ると鍋の成分とトマトが化合して見た目も味も悪くなるのである。


 九郎が蒸気に噎せて涙を出しながら頑張った。


 予め作っていた生地を丸く伸ばしてソースを塗りつけ、具と醍醐を盛りつけて、碁石を敷いた鍋を十分に加熱させたものに入れ、火の通り具合を見るために片時も離れずに時折熱々の蓋を開けて串を刺し様子を見た。


 九郎が指先を軽く水膨れを作りながら背中をぐっしょりと濡らして奮闘していた。


 その間、勝手がわからぬ為に皆は木陰で冷えた酒を飲みつつ見守っていた。



「──ァ暑ッいわあ!!」



 九郎は井戸から汲んだ水を冷やしまくって頭から被りながら叫んだ。

 コーラの正式な飲み方から始めたことではあったが。

 この炎天下の中するような作業ではなかった。冷房の効いた部屋で宅配のピザを頼むかレンジでチンする感覚で作ろうと思い始めたものの、実際にやってみると熱中症寸前になってしまったのである。

 

「この暑いのにピザとか己れは馬鹿か! 流しそうめんでもすれば良かったわ!」

「まあ九郎君そう言わずに。ほら、焼きあがったようだよ」

「なぬっ」


 九郎が髪から滴を垂らしながら、大皿に取り持った江戸前ピザを見やる。

 きつね色に焦げた米国風の分厚い生地に、瑞々しさを残した赤い唐柿ソース、溶けてそれと混ざったような醍醐と白牛酪がふつふつとまだ沸騰しており、乗せられた茸とツナが湯気を上げていた。

 見たことのない料理に影兵衛が、


「おう、美味そうじゃねえか! へへ、これ切り分けるよな? 拙者の刀使うか?」

「いや……お主の人を切ってる刀はちょっと衛生的にも倫理的にも悪いから普通に包丁で切るわい」


 そう言って九郎は唐柿や材料を切った包丁を持って、江戸前ピザに刃を入れた。

 しかし押し付けても粘りのある小麦粉に刃が通らず、刃を引きながら切ろうとしても油で滑ってしまう。切れ目のないピザを普通の包丁で切り分けるのは面倒なことなのだ。

 暑さでいらいらしていた九郎は、鍋等を持ってくる際に風呂敷を提げる為の棒として持ってきたものを怒鳴りながら抜き放った。


「ぬあああ! 刃よ閃けアカシックピザ切りバーン!!」

「ああっ、九郎っちが食べ物切るのに凄い太刀を振り回してる!」

「確かに凄い」


 異世界的魔法のかかった凄い級の名刀が油ぎっとぎとの食べ物切り包丁に変わっていた。

 竜の鱗を切っても百万の軍勢を切っても刃毀れしないそれは、芸術的なピザの断面すら作らん限りに凄い綺麗にピザを切り分けたのである。

 九郎は肩で息をしながら、その結果を見てようやくやり遂げた笑顔を見せた。


「よし、コーラだ! ピザを食ってコーラを飲むぞ! これで己れが作ってる間にコーラを勝手に飲まれてたとかなったら、怒りのあまり星ごと切り裂きかねんぞ!」

「──っぶねぇ。おい、狐のあんちゃん、よかったなおい飲まなくて」

「──あたしゃそんな方針打ち立ててませんぜ。むしろ新井殿が興味津々で」

「──僕じゃない。石燕だろう」


 九郎の言葉にひそひそと言葉を交わし合う連中は片手にまだぎりぎり開けていないコーラ瓶が掴まれており、こっそりと冷水の中に戻したのであった。

 辛くも惑星の危機は去った。

 九郎が普段見せない剣呑な表情で薄緑色をしたコーラ瓶の縁を切り落とすのを見ながら安堵の息を放つのは石燕のみであったが。


「しかしあれだ、せっかくだから皆もコーラを分けて飲もうではないか」

「九郎君、それは悪いよ」

「いや良いのだ。どうせ満足したいというのならば今の己れは一リットルぐらい飲まねば足りぬだろうし……気分を味わえればな」


 と、気前よく九郎は一瓶のコーラを猪口に分けて皆に配るのであった。暑さで興奮して叫んだものの、一人で飲み干すよりも他のものにも苦労をした甲斐を味わって貰ったほうがいいとやや冷静になった頭で考えたのである。

 そうして切ったピザも行き渡り、


「よいか、まずこのピザを食う」


 九郎が二等辺三角形をした熱々のピザを見せるようにてっぺんを齧り口に入れた。

 ここ暫く味わってなかった乳製品の脂肪分の味がして、次にやや酸っぱすぎるぐらいの唐柿ソース、和風に味付けされたツナの塩味がする。香辛料として刻んでまぶした葉唐辛子が良い風味を出していた。

 口の中が醍醐と白牛酪の油でまみれるのを感じつつ、


「そしてコーラを飲む」

 

 洗い流す甘い炭酸の液体が口腔を通過する。コーラボトリング会社の素晴らしい技術は数ヶ月程度の放置でもその風味を損なわせなかった。

 あまりに爽やかな味で九郎は全身の疲れや汗や長年悩まされた飛蚊症、老眼気味の弱遠視が一気に治った気すらした。それほどに、


「うまい……」


 のであった。

 感動して目頭を抑えている九郎を見て、他のものもいそいそと食べ始め、


「おっ、うめぇうめぇ」

「ほう……この[こぉら]と云うもの、不思議な味が。名前からして……高麗伝来ですかい?」

「熱っ、熱ひっ!」

「ふふふ慌てることはないよ子興。しかしなかなかに乙なものだね。総撫で付け髪の美食家も認める味だ」


 などと喜んでいるのであった。

 コーラ自体は一杯で皆飲み干してしまったが、追加で酒を更に飲んでつまみも火を用いたりして焼いて食し、昼間から本気飲みをしまくる集団になるのにそう時間は掛からなかった。

 飲酒を止めたり咎めたりする子供は不参加なのである。

 こうして集団でわいわいと飲むのはここ数年、あまりないことなので九郎もつい飲み過ぎてしまうのであった。

 二枚目のピザの焼かれた匂いが千駄ヶ谷の風に薄れて溶けていった。




 ****





 その日の晩。

 顔をぼこぼこに腫らした九郎が石燕を連れたって帰ってきたので、お房は濡れ手ぬぐいを彼の顔に押し付けながら尋ねた。


「どうしたの一体……」

「いや……昼酒が回って寝入ったら蚊に刺されまくって……石燕と将翁がウイスキーとか老酒とか出すから久しぶりにやられたわ。己れもすっかり年だのう」

「その割には先生は平気そうだけど。虫さされ」


 と、石燕のほうは普段通りの白磁のような肌のままである。九郎は赤く膨れておまけに痒く、心底うんざりした様子であるのに。

 彼女は胸を張りながら、


「ふふふ、私は九郎君の服に顔を突っ込んだまま寝たからね!」

「いい年してやってることが一回り以上年下のお八姉ちゃんと同じなの……」


 呆れたお房であった。

 その場に居た将翁以外、全ていつも以上に度数の濃い酒を飲んで泥酔して蚊に刺されたのであった。平気だったのは、顔を隠した石燕と狐面を被ったまま酔い潰れることもなく中座した将翁だけである。特に将翁などは毒を飲んでも平気だという噂があるほどなので酒に酔う姿などは見せることはないだろう。

 全員がそれとなく虫さされでうなされて目覚めた後は解散となったが、影兵衛が天爵堂と子興を引っ張って飲みに連れて行っていたので石燕と九郎は二人で帰ってきたのである。自分らの知らないところで三人から下世話な噂話を肴に酒を飲まれているとは九郎も思っていない。

 ともあれ九郎は受け取った濡れ布巾に熱痒い顔を埋めたまま、


「あー……ところでフサ子よ、お土産のピザを持ってきたぞ」


 と、一片に分けたピザを薄紙で包んだものを渡した。


「火で炙って温め食うが良い」

「うん。ありがと。晩御飯はそら豆でご飯を炊いてみたいんだけど、食べられそう?」

「そら豆ご飯……うまそうだから食う」

「食い意地が張ってるの」


 くすり、とお房は笑った。


「ふふふ私にはそら豆をでたやつに冷酒を一本つけて出してくれたまえ!」

「だぁめ。先生も麦湯にしておくの。だいたいお酒の飲み過ぎで手が震えるようになったら、絵師としてどうするのよ。たまには真っ当なご飯食べないと長生きできないの」

「私はかなり長生きしてる方だよ? ……わかったわかった、そう睨まないでくれたまえ」


 娘のような年齢の従姉妹に説教されて降参している石燕を見ながら、九郎は塩気のあるそら豆飯を飲み込んで、伏見の下り酒で口を潤した。

 窓からは立秋を過ぎ、澄んだ夜空に半欠けの月が浮かんでいた。

 

「秋は近いな……」

「しれっとご飯食べながらお酒に手を出すななの!」


 感慨深く呟いた九郎の後頭部にアダマンハリセンが殴りつけられ、よく響く音を出した。子供というのは自分が飲めない酒に関しては狭量であると苦笑しながら石燕と顔を見合わせる。




 

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