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39話『閑話:九郎が墓場送りになる話/なんとか仁左衛門の噂の話』




 劇的な何かが起こるのではないかと九郎は不安と好奇心を持っていた。

 それが身内が危険になるのではないだろうかということと、或いは彼の抱えている問題が全て綺麗に解決する、九郎自身でも思いつかない何かが待っていれば訪れるのではないだろうかということだ。

 安寧の日々が終わりを迎える際には必ず事件が起こった。

 人と人の関係が変わるには事件が必要とさえ思っていた。

 

 例えば知り合いでもそうだ。

 影兵衛は妻の睦月と祝言を挙げる前に、全力で九郎と殺し合いを果たした。

 晃之介は子興が攫われたのを見事救い出して思いを伝えた。 

 六科は娘のように大事にしていたお雪の思いに応えるのに、豊房を九郎に託した。

 利悟は男色のストーカーが危うく瑞葉を害しかけて、責任を取り嫁にした。 


 何か事件という踏ん切りがあればどうあれ関係が前に進むかもしれない……と九郎は結婚を先延ばしにしていたのだが。

 ある日突然。



「というわけで九郎。結婚したわよ」

「そうかそうか……過去形? 誰が? 誰と?」

「あんたが。わたし達と」

「えっ」



 結婚は人生の墓場というのならば、求婚行為は相手を墓場に送り込む殺人に等しいのではないだろうか。

 なんとなしに九郎はそんな考えが思い浮かんだが、何はともあれ既に自分が過去形で墓場に埋められていることを知らされたのであった。






 *******







「え!? 九郎っていつ祝言挙げたんだ!? 拙者何も聞いてないんだけど!?」


 利悟の素っ頓狂な声が蕎麦屋に響いた。大声こそ出さないが、同じく蕎麦屋の座敷に上がっている九郎の知り合いらも以外そうな顔をしていた。

 その日、九郎がぶらぶらと一人で町を出歩いているところで利悟が声を掛けて飯を食いがてらむじな亭にやってきたのだ。

 来る途中で二人の姿を認めた影兵衛と、珍しく町に出てきていた晃之介がついてきて男四人で飯にしていたところである。

 

「いや、祝言は挙げておらぬ。まあ、武士ならまだしも町人だと挙げなければならないというものでもないのだが……というか」


 九郎は飯の盛られた丼を下ろして首を振った。その日のむじな亭メニューは、根深丼だ。根深葱をざっくりと切って蕎麦つゆと酒を混ぜたもので煮て、卵で綴じたものを丼飯に掛けたものである。作り方が簡単で材料の流用が効き、飯が進むという六科にピッタリのものだ。

 まだ嫁を貰ってそれほど経っていないが、身内の中でも限られた人数しかその事実を知らない。例えば六科の一家とか、お八の実家などである。祝い事をしなかったことも原因だが、


「こう……うちの女衆がだな。結託して奇襲を仕掛けて来おって」

「奇襲?」


 九郎は半眼で晃之介を睨みながら云う。


「どうも子興から……お主の嫁だ晃之介。己れが『祝言挙げるとか面倒すぎる』などと嘯いたことをあやつらに密告したらしく、主に豊房とお八が実家を説得してひとまず祝わずとも籍を入れようという風に持っていってな……」

「うわだっせ。女に飼われる天才かよ手前」

「お前が悪いぞそれは」

「己れの何が悪い。己れは何もしていない」

「何もしなかったのが駄目なんだよ!」


 三人のツッコミが重なった。九郎は忌々しげに睨む。


「それから己れを除いた皆で相談して、戸籍を管理する生臭坊主に頼んで既に結婚済みにさせられたみたいだ己れは」

「うだうだ悩んだ挙句に女が全部やってくれるとか、最もクソな対応をしたっていうかそれすらしてねェな手前」

「人を無理矢理にでも瑞葉とくっつけておいて。ざまぁとしか言いようが無い」

「責任を取るというのならば男の方から話をつけるべきだろうに……」

 

 辛辣な感想であったが、それを告げられたところで九郎が懺悔するわけでもない。むしろ不当に責められているとばかりに息を吐いた。

 晃之介が首を傾げながら云う。


「しかし抵抗しなかったのか? 不本意だったのだろう。不本意というのが外道だが」

「『嫌なら自分で離縁して』とまで言われて、自発的に離縁の手続きをしたらさすがに駄目だろう己れ。スフィに死ぬほど説教される。この事でスフィに説教されたら己れは泣くぞ」

「外堀を埋められて、天守閣に火を付けられて、逃げ出そうとしたら捕まった感じだな。大阪城か手前は」

「九郎のせいで大阪城は負け犬の代名詞だ」

「己れが居らんでも負け犬の代名詞だろうが」

 

 影兵衛が呆れたように肩を竦めて告げた。


「ちなみにどういう関係になったんだ? 一応言っておくが、妾はいいが重婚は犯罪だぜ。額に『ヒモ』って刺青を彫る感じの」

「そこら辺の事情がまったく意味わからんのだよな江戸は……」


 げんなりしながら九郎は女達から受けた、婚姻後の関係性についての説明を思い出した。それについても、何一つ反論できなかったのだが。

 当時の戸籍などでも堂々と『妾』という項目で家族の中に愛人が含まれているし、明治初期頃には妾は妻と共に二親等に値すると法律に記されていた。

 しかし重婚は犯罪であり、不倫は罰金であり、寝取られは女と間男を重ねて四つにぶった切っても構わないとされている。それと妾文化はまた別であるようだ。

 現代人が妾という字面から想像するなにか如何わしい感じ──政治家が侍らしているエロい体つきの秘書とか、パパと呼んでくれる女子高生とか、団地妻とか、セフレとか──とは微妙に当時の人の受け取り方は違っていたようだ。わりと羨ましがられるような立場であった場合もあるぐらいだ。何せ、多くの妾の場合は別宅に住まわされて夫の為に普段家事もせずに保証された生活を送ることが出来たのである。

 

「とにかく、嫁やら女房やらは重複出来んので……お八が嫁で、豊房と夕鶴と将翁が妾ということになった」


 女同士で話し合って決まったことである。九郎はその結果に頷くか、全員と離縁するかの二択を迫られて前者を選ばざるを得なかった。

 お八と豊房はともかく、やはり夕鶴も妾を希望してついでに将翁もその位置に付いたのである。石燕はさすがに幼すぎるので世間体が悪く当分は駄目だった。九郎の世間体は家族全体の評判に関わる。

 とはいえ、実質四人が同格な嫁である。単に書類上の手続きというものではあったが、影兵衛は感心したように唸った。


「ほー……そいつは……お嬢ちゃんでかしたじゃねえか。まあ、あの嬢ちゃんをないがしろにしたら難癖付けて決闘を申し込んでたところだけどよ」

「意外だな。お前への執着は豊房の方が持っていると、うちの子興殿も言っていたが……」

「色々理由はあるらしい。実家への説明の面倒臭さとか、影兵衛のこととか……しかし豊房が云うに、お八の方が己れのことを早くに好きになっていたからとか」

「惚気かようぜェ」

「青春だな」


 影兵衛と晃之介が冷やかす。

 実質、お八は会ってすぐに惚れて惚れ続けていたようなものである。その時にお房は居候の兄貴分としてしか見ていなかったし、石燕は珍しい客人で酒飲み仲間だった。 

 ついでに言えばお八は実家が豪商で家族も多い、つまりは良いところ出のお嬢様なので正妻ではなく妾にすると藍屋からの風当たりもよろしくない。

 豊房の方は妾だろうが娘が幸せならそれで良いと六科は云うし、夕鶴は武家の出だがあれだけ仇討ちで世話になったのだから妾になるほど恩を受けたということで問題は無い。

 色々とその辺りを九郎抜きで話し合って決められたという。それもこれも、九郎が散々話を逸らしてきたからだったが。


「やかましい。こっ恥ずかしいのは己れも──どうした利悟」


 黙って何か妙なオーラを体から出していた利悟に全員の視線が向く。

 彼はコホーと蒸気めいた赤紫色の吐息を口から噴出し、血走った目を閉じながら云った。


「ふう……良かったね九郎。もし君がスフィちゃんや石燕ちゃんを嫁なり妾なりとしていたら、拙者は全身強化の秘技『荒王集(あおうたかり)』の十倍を発動させて殺しにかかるところだったよ」

「勝手に人様の家庭の事情に殺意を向けるな!」

「ちなみにこの前九郎の肋骨をへし折ったときで二倍だった。十倍を使うと多分反動でこっちも死ぬ」

「どんだけパワーアップするのだ!」


 以前に勘違いした利悟が突っ込んできたときですらやたら無駄に強かったのに、と九郎は己の脇腹を擦りながら呻く。 

 十倍まで強化すると影兵衛や晃之介でも抑えられないかもしれない。

 晃之介が思い出したかのように彼に尋ねた。


「そう言えば……長い付き合いというのならばスフィ殿はどうしたんだ? 詳しくは知らんが、何十年来の付き合いと云っていただろう」

「可哀想によう。何十年も付き合ってた男をぽっと出の小娘に掻っ攫われて……」

「煩い。大体、その姻戚計画はスフィも一緒になって立てたのだぞ。それに己れとスフィは真の友人同士で最高の絆が繋がっておるのだから今更夫婦にならなくとも良いと考えたのだろう。多分」


 単に話し合いの場でヘタれただけとは考えない九郎であった。

 とはいえ寿命が人間の十倍はあるスフィからすれば、婚期に焦るということも無いのは種族柄の精神である。むしろ彼女からすれば短命な娘達が九郎の嫁になりたがるのは仕方がなく、世話を焼くような気持ちで見守ることにしたのだろう。

 嫁や妾が居なくなった百年後でもずっと側に居る立場だから殊更今は別に良いと、嫁や妾になることを勧めてくる豊房の誘いを遠慮したのであった。

 まあ勿論──今その嫁などの立場になっても全然問題は無いはずなのだが、若干魔女の呪いでヘタれた選択肢を無意識に選んでしまったかもしれないが。

 九郎のスフィに対する好評価を聞いた三人は、


(それだけ相手を大事に思うならずっと前から嫁に貰っておけよ……)


 と、思うのだが言葉に出さなかった。それこそ最初からスフィが嫁ならば、こうして女性関係で悩まずに済んだというのに。


「石燕ちゃんは結局どういう関係なんだ?」


 疑わしげに利悟は聞いてきた。

 

「さすがに小さすぎるだろう。本人は己れに貰われたいと云っておるのだが……とりあえず十年後になってもそうなら引き受けることにした。十年も経てばまともな男が見つかるかもしれんしな」

「うわーどっかで聞いたことがある展開だわ」

「黙れ」


 冷やかす影兵衛の言葉を切る。確かにそんなことをお八にも告げたような覚えがあった。結果はこうなってしまったが。


「薩摩娘も居たけどよ、どうせそっちもそのうち手を付けるんだろ」

「付けるか! 人を何だと思っておるのだ」

「……それを云っても怒らねえなら云うけど」

「いや、云うな」


 大きく肩をすくめる影兵衛。九郎も自覚はあるようだ。


「ところでよ……これ大事な話なんだが」


 声を潜めて影兵衛が云うので、皆は神妙な顔になって額を突き合わせる。

 

「あっちの方はどうなってんだ? ほら楽しい楽しい、夜の墓場の運動会は」

「親父かお主は。何だそのゲゲゲな聞き方は」

「気になるだろ。四人も居るんだぞ? 日替わりとか?」

「それもそれで大変だな」

「ううっ、こちとら瑞葉一人でもつらいのに……」


 他の二人も興味があるようで、やや苦笑いをしながら九郎を見た。

 そのような話題に応えるのも嫌だったが、務めを果たしていないと思われても困るので九郎はゲンナリしつつも運動会について軽く話した。






 *******





 九郎から運動会についての話を聞くと。

 その豪の者っぷりに男たちは固まって魔物でも見るような目を九郎に向けている。江戸で有数の実力者な彼らであっても九郎の運動会を一晩も真似できないだろう。

 ちゃんと毎晩毎晩四人相手に運動会しているというだけなのに、と鬱陶しくなった九郎は手を叩き鳴らして話題を終えた。


「ええい、何だお主らから聞いておいて……とにかく。この話は終わりだ。己れは何事も無く幸せな結婚をしたということだ」


 事件が起きたから結婚するとか、結婚したから物語が終えるとかそういうことは無くて。

 何事も無く人と人は関係性が変わり、変わったところでそれぞれの人生は続いていく。当たり前のことであった。

 九郎としてもこれでもう、惚れた腫れたで距離感に苦しむことも無いし嫁と妾にも元々家族めいた愛情は持っていたので、結果的には良かったのだろうということにした。 

 ついでに云えば、もう細長いアレと人に言われることもない。堂々と反論できる。

 とにかく、話を戻して九郎はそもそも町中で声を掛けてきた利悟に向き直った。


「それより利悟よ。何か己れに用事があったのではないか?」

「幼児があった!? どこに!?」

「……」

「冷たい目で見ないでくれ。また捜査協力に……ってああっ!」


 突然利悟が何かに気づいたように叫び、目を丸くして九郎を見た。

 いきなりのことで九郎が驚くと、次に影兵衛も同じく、


「うわっ、なんてこった……」


 と、苦々しく九郎を見る。

 同心二人は期待はずれのようにため息をつくという謎の反応をしている。戸惑いながら九郎は聞き返した。


「な、なんだ。何があった?」

「いや、拙者の方も九郎に捜査協力して貰おうと思ってる悪党を追っていてな。最近江戸に入ってきたらしいんだが……町方でもその件だろ。しかし九郎がこうなっちゃあな……」

「しまったなあ……宛が外れた」

「よくわからんが、己れがどうしたというのだ?」

「その悪党は通称『ヒモ切り仁左衛門』って云うから九郎を囮にしようと思っていてよ」

「ヒモ切り仁左衛門!?」


 かなり碌でもない通称であった。

 同心らの説明によると、ヒモ切り仁左衛門は主に関西で強盗殺人などを連続して行っていた凶悪犯であるようだ。

 首領の仁左衛門と子分の透破崩れ数名が活動を共にしており、裕福な商家などに押し入り時に人を殺すという。

 様々な町の奉行所にて探されていたが、近頃関所を破って江戸へと向かったことが報告されたので人相書きが出回っている。


「で、名前からしてこいつの狙いは江戸でも有名なヒモ野郎だ! ってピンと来てよう、手前を囮に持ちかけようかと」

「アホか! というかその仁左衛門とやらは、本当にヒモを狙っておるのか!?」

「まさかー。ヒモだけ狙って襲うなんて非効率な犯行があるわけないじゃないか。どこでも襲ってるよ。ただ本人がヒモ切りって名乗ってるみたいで」

「己れを囮にする作戦ガバガバ過ぎるだろ!」


 一体何を考えてヒモ切りと名乗っているのか不明であるが、そう名乗ったのだからヒモを切ると思われても仕方ないだろう。

 

「しかしそれなら……己れは関係ないな。もはやヒモなどという不名誉な称号ではないからのう」


 そう。彼はもはや既婚者。結婚もせずに女に貢がせている情夫ではないのだ。ちゃんと責任ある一人の男だ。

 晃之介が感心したように云う。


「『もはや』ということは自覚はあったんだな……」

「ヒモなど切られてしまえば良いのだ」

「脱童貞した瞬間童貞を見下すみたいなことを言い出しやがった」


 調子に乗ったことを云う九郎に蔑んだ眼差しを送る。


「あのー」


 声が掛けられて四人が振り向くと、眼鏡を掛けた青年──靂が店の中に居て話しかけてきたところであった。

 町に本を買いがてら、たまたま食事に来たら見かけたので近づいてきたのだろう。


「む? どうした靂」

「いえ、ちょっと話が気になったもので……ヒモというものの語源的には未婚とか既婚とかは関係無いんですよ」

「なに? そうなのか?」


 靂は眼鏡を正しながら辞書を読むように話を始めた。彼の養父である新井白石は自分で辞典を作る程の知識人なので、その著書を精読している靂も相当に物事に詳しい。


「ヒモというのは女と男の繋がりのようなもので、外で働いている女に懸想してもその女を辿ればヒモで繋がっているように男──恋人であったり、夫であったりした者が出てくるということでそのような女を『ヒモ付き』と呼んだのです。

 しかしながらそのような状況というのはつまり、女を外で働かせないといけない男ということで、女を縛り付けて貢がせる男をヒモと呼ぶようになりました。

 なので夫であろうとも女を外で働かせてその収入で生活していればヒモ男という分類になります」

「……なんだお主ら。無言で肩を叩くな!」

 

 同情的な表情になった男三人が、九郎を励ますように叩いた。

 ヒモ卒業、ならずである。

 九郎の場合、妻であるお八はともかく妾三人にスフィまで手に職を持って稼ぎを家に入れている。

 一方で、九郎も財産はたんまりとあるのだが基本的に定職は無く臨時収入を得る。ギャンブルで大金を手に入れることが稼ぎとは言わないように、つまりは女に稼がせている立場であった。


「うぐぐ……ではお主はどうなのだ、靂!」

「僕ですか? ううん……確かに茨とお遊と小唄が同居してますけれど、稼ぎがあるのは僕だけですので全然違いますね」

「ううっ」

「ヒモじゃないです。九郎さんだけです。すみません日替わりの丼ください」

「追撃してくるな!」


 茨は家の畑仕事、お遊は家事、小唄は財産管理をそれぞれして靂の生活をサポートしているが、生活費は靂が手に入れた千両の財産と養父の遺産もあるが細々と物書きをして収入を得ているのだ。

 低収入だがちゃんと働き、彼の金で女三人を養っている靂はハーレム野郎かもしれないがヒモではない。堂々と彼は自分の稼ぎで昼飯を食べ始めているではないか。

 裏切られた気分に九郎は頭を軽く抱えた。

 以前に九郎から貰った蛇の毒とも言える作用で茨が軽く錯乱してしまったので靂は微妙に辛辣になっているのだ。その日の翌日など、恥ずかしさのあまりに茨は布団から出てこれずに一日掛けて靂が落ち着かせてやった。その背後の襖には隙間が開いていたが。


「つーわけで九郎。ヒモ切り野郎に襲われたらとっ捕まえて火付盗賊改方に持って来いよ」

「拙者に連絡してくれれば町奉行に連れていくから」

「アアン!?」

「ぶ、奉行所の方が必死なんですって! 火付盗賊改方は江戸の事だけど、奉行所は他所の町の奉行所と連携してるんですから!」


 ここで犯人を火付盗賊改方に取られると、江戸の町奉行所が侮られることになるだろう。大岡忠相は同心与力に厳しく励むよう通達している。

 利悟の同僚でも九郎は知られていて、何か関わりがあると見なされていたのでこうして協力を頼みに来ていたのだ。


「頼むよ。伯太郎に頼んで九郎の屋敷の警護犬増やさせるから」

「ふうむ、確かに屋敷を襲われたら厄介ではあるな。犬の嗅覚に加えて、スフィが入れば不審な物音を察知でき……」


 聴力が非常に優れているスフィは傭兵時代やダンジョンでの野営にて抜群の危険察知能力を発揮していた事実を思い浮かべると。

 九郎はふと嫌なことが連想されて汗が浮かんだ。 

 

(あの耳の良いスフィは離れだろうが、間違いなく夜の運動会の音とか聞こえておるのでは……!)


 無論スフィとて夫婦がそういう行為をすることは承知の上なのだろうが、毎晩騒音で非常に迷惑をしている可能性が高い。

 無性に気恥ずかしい思いがこみ上げてきて、額に浮かんだ汗を拭う。我慢しているかもしれないからスフィと相談せねばならない。

 晃之介が不審そうに九郎の様子を伺う。

 

「急にどうした? 九郎」

「いや……ちょっとな。とにかくそのヒモ左衛門は見つけたらとっ捕まえておく」


 気だるげに九郎が云うと、影兵衛は空になった丼に箸を入れ、代金をその場に置いて立ち上がった。


「ちっ。まあ、その下っ端も含めて中々強ェって話だからな。なんかあったら呼べよ。それじゃあ拙者外廻りに戻るから」

「おう。またのう」

「ご祝儀は後で屋敷に持って行かせるぜ」

「気を使わんで良いぞ」

「うるせえ。拙者ん時には色々と持って来といて、自分の時に遠慮するな。じゃあな」


 そう告げて影兵衛は素浪人めいた格好で、編笠を被って店を出ていく。

 続けて利悟も、


「よろしく頼むよ。九郎に何かあったらスフィちゃんと石燕ちゃんが悲しむし」

「わかったわかった」

「悲しんだ二人を拙者が慰め──殺意は抑えよう。それじゃあ拙者も祝儀は後で持っていくから……大したものは無いけど」


 そう云ってそそくさと店を出ていった。

 二人を見送った九郎に、晃之介が笑いかける。


「水臭いと思っているのだろう、あの二人も。祝言を盛大にやるならまだしも、ひっそりと後から知らされたものだから祝ってやれなくてな」

「そういうものかのう」

「俺だってそう思っている。お前に世話を焼かれた者は沢山居るし、それらはちゃんとお前を祝ってやりたいだろう」

「己れもこの歳で嫁を貰うとなると、どうも気恥ずかしくてのう」

「俺か子興殿にぐらいは教えてくれても良かったろうに。子興殿の義父ならば、俺の義父も同然……なんか違和感激しい関係性だな」

「娘婿と殴り合いをして嫁に送り出したしのう」


 関係性を晃之介が頭の中で整理すると、一番弟子であるお八は嫁の父の妻で複雑極まることに。更にお八の姪である豊房の弟子が子興で、やたら密接に繋がっている気がした。

  

「お前が教えて回るのが面倒ならお花さんにでも頼むか」


 晃之介が挙げたのは江戸を走り回って不定期の読売を配っている女忍びであった。 

 彼の道場や九郎の家などにも瓦版を売りに来て、それ以外にも顔が広く行動的だ。


「やたら誇張して話を盛らんだろうな……あの新聞娘。ネタが無いときは針小棒大に記事を書くからのう」

「俺があまり冷やかさんように云い含めておく」

「ところでお主はお花が何処に居るか知っておるのか? いつも走り回っているからよくわからんところで出くわすが」

「俺も町に出かけるとよく出くわすぞ。世間話などをするし、実資さねすけの成長も自慢してくる」

「実資?」

「彼女の子供の名前だ。可哀想に、父親がわからんらしくてな。名を読売の購読者から募集して良いのを選ぶというので、俺が花の次には実ができるからと考えて伝えたら光栄なことに選ばれたようだ」

「ほ、ほう……」

「その名付け親になった縁で俺に成長を見せてくるのだろうが……どうした? 九郎」


 九郎は声を潜めて晃之介に聞いた。


「……お主の子じゃないよな」


 拳骨が九郎の頭に落ちる。頭蓋骨に響く威力で、目から火花が出るかと九郎は思った。

 晃之介は憤慨した様子で云う。


「馬鹿。俺が子興殿以外に手を出すか。当然、まったく身に覚えがないことだ」

「ああ、うむ。そうだな。身に覚えがないならば仕方ない。当然だのう。身に覚えがなくて子供などできるわけがない」

「どうした九郎? 自分を納得させるように呟いて」


 九郎は晃之介を信じようと決めた。だって身に覚えがないのだから。


「もう少し大きくなればうちの道場に預けることも考えているらしくてな。苦労している知り合いだ。金も取らないから遠慮なく頼ってくれと告げている」

「……あまり同情から優しくしすぎると後々困ることになるかもしれんぞ」

「何か云ったか?」

「いいや。何でもない。己れの思い過ごしだろう。なんの証拠もない、ただの勘ぐりだ。忘れてくれ」


 そう云って九郎が話を切り上げると、晃之介は代金を置いて店を後にする。


「では俺も今度祝いの品を持ってくる。猪の肉で良いか? こう……体力がつくぞ」

「要らん心配だが、肉は嬉しいので捕れたら分けてくれ。あと教えなかったから子興が怒るかもしれんので、これで何か甘いものでも食わせて宥めておくれ」


 幾らか金を渡そうとしたが、それぐらい俺が買うと晃之介は爽やかに笑った。

 

「またな。それと、おめでとう。九郎」

「ありがとよ」




 ********





 その後六科から「房に何か美味いものを買ってやってくれ」と金を渡されかけて受け取るの受け取らないので一悶着あった。最終的に六科の押しが強く受け取ったが。妾の実家から金をせびる男という構図になりそうで九郎は非常に気が引けたのだが。

 九郎自身も似たようなことを先程晃之介に施そうとしたのだが、この差はなんだろうか。

 その後九郎は日本橋にある鹿屋へ向かった。

 芋焼酎と黒砂糖を買うためだ。近頃豊房は焼酎に砂糖を溶かしたものを栄養剤代わり服用しているのでその補充である。運動会に慣れた将翁や体格の良い夕鶴、鍛えているお八に比べて豊房は体力が少ないのでそれを補おうとしているようだ。

 あまり飲みすぎると健康によろしくないので用法用量を守った服用を心がけさせているが、案外に夕鶴やスフィにも砂糖焼酎は好評である。

 江戸でも売りに出せば買い手がつくかもしれない。日本酒に比べて焼酎が江戸では売れなかったのは、日本酒は甘みが強いので甘さに飢えていた人々に好まれていたからだ。だがまあ、砂糖焼酎だと値段が異様に高くなるので流行りはしないだろう。


「おう。黒右衛門はおるか?」


 一応馴染みの店主に挨拶をしようと声を掛けると、


「オッ!! オッニオッ!!」


 謎の叫びがさつまもんから帰ってきた。九郎は短い抑揚からどうにか『居る。奥に居る』と云う意味の叫びであったことを推察して、店の奥へと入っていった。  

 縁側を歩いて誰か居ないかと見回すが、どうも人気が無かった。庭には寂しくぼろぼろに箚さくれた立ち木が墓標のように何本も立っているが、それだけだ。

 その時、岩の上に石を落としたぐらいの音と同時に九郎の目の前を銃弾が通過していき、鹿屋の土塀に突き刺さった。

 呆れた顔で九郎が銃弾が飛んできた部屋の障子を開けると、中では円形に並んで人が座っておりその中心にずんぐりとした火縄銃をモチーフにした着包みがぶら下げられていて、その全身からうっすら煙が立ち上っている。

 薩摩式バレットルーレットの肝練りをしていたのだ。幸い、誰も犠牲者は出ていないようだが当たると頭がザクロのように弾け飛ぶことは間違いがない。そして日本橋などという町中ですることではない。せめて藩邸でするべきである。

 ぶら下がっている着包み『きもねりん』には様々な改造が施されて、特に着包みを利用した消音構造によって先程のように銃声には聞こえない程度の音しか鳴らなくなってはいるのだが、商家で死人でも出れば大変だろう。


「おう! 九郎どん!」

「九郎どんも今日はよか肝練日和じゃっち思うて来とったか!」

「なんだよその物騒な日和は……まあちょっと寄っただけだ」

「お、お待ちくだされ! で、では私は九郎殿とお話せねばなりませんのでここで!」


 慌てて黒右衛門が輪から抜け出してきた。彼も自分の店でやられるだけならまだしも、自分も参加させられるのは勘弁して欲しいのだろう。

 前々から藩御用達の店だけあって、鹿屋には薩摩武士がよく入り浸るのだ。専用の寝泊まりする部屋や訓練用立ち木まで置かされているほどに。

 九郎を引っ張るようにして会議室に使っている部屋へ連れ込み、店の者に茶を用意させてようやく黒右衛門は一息ついた。


「ふう……あの空気には慣れませんなあ。私は武士ではなく商人だというのに」

「折角成功を収めつつあるのに無益に命を危険に晒すでない」

「一応は安全策を取っているのです。この店の奥でやるときはきもねりんに予め上向きで狙いが逸れるようにしてもらいまして……死人でも出たら大変ですから」

「それが良い。今日は単に砂糖と焼酎を買いに来ただけだ」

「はい。わかりました。店の者にお屋敷まで届けさせて貰います」

「うむ。助かる……ところで黒右衛門」

「如何なされました」


 九郎は目線を逸らしながら難しげに眉を寄せて、


「……己れってヒモだと思うか?」

「とんでもございません。九郎殿はこの店に幾つもの利益を齎してくださった大恩人です。九郎殿が所属して働くのが面倒というので付け届けの形をしておりますが、この店の助言役として正式に雇いたいほどで」

「だよな。よし、己れはヒモじゃない……収入もちゃんとある……」


 妙にそれを気にする九郎に、一体どうしたのかと黒右衛門が尋ねると、


「『ヒモ切り仁左衛門』とか言う悪党が江戸に来ておるらしくてな。同心が気にかけるようにと当てつけがましく言いおって」

「ヒモ切り仁左衛門……?」

「知っておるのか?」


 鹿屋は大阪にも店があるぐらいだ。関西で噂になっていたその悪党を聞いたことがあるのかもしれない。

 黒右衛門は指を立ててこう告げた。


「ひょっとしたらそれは『ひえもん取り仁左衛門』のことかもしれません」

「ひえもん取り仁左衛門!?」

「ヒモ切り……ひえもん取り……そっくりでしょう」

「そうか……? そうかも……」


 首を傾げる。あまり似ていないように感じたが、明確に全然違うと言い切るには躊躇うぐらいの類似度だった。


「ひえもん取り仁左衛門は薩摩出身の罪人です」

「居るのか。そんなのが」

「ええ。今から何年も前に狼藉を働いたかどで、仁左衛門は『ひえもん取り』に参加させられてしまいました」


 ひえもん取りは薩摩に伝わる刑罰・軍事訓練・スポーツ競技など様々な側面を持つ文化だ。

 罪人は褌一丁になり指定された場所を駆け抜ける。それを武装した、或いは同じく褌姿の薩摩武士が追いかけて、罪人の腹を破り臓物ひえもんを奪い合う。見事にひえもんを取った者には賞品にイモなどが与えられるというものである。

 逆に追いかける武士から逃げ切り指定された地点へ到達した場合、罪人の罪は免じられる。だが殆どの場合は途中で捕まるという。一度でも引き倒されれば死が待っているのだ。


 余談だが、このひえもん取りという文化は文明開化の折に薩摩人が多く東京にやってきて、そこから様々な地方に伝えられたことで現代でも形を変えて広い地域に残っている。

 『しっぽ鬼』や『しっぽ取りゲーム』と呼ばれる小学生が行う遊戯がそれだ。逃げる側は尻尾にあたる部分に縄跳びの縄や帽子などを挟み、鬼は追いかけてそれを取ると退場になる。時間内に全員捕まえきれなかったら鬼側の負けとなる。まさにひえもん取りが元になった遊戯であることは疑いようがないだろう。

 閑話休題。黒右衛門の話は続く。


「そこで仁左衛門は追いかけてきた武士の一人を殺害。そのまま逃げ切り、免罪されたのです」

「刑場で武士を殺しておいて免罪になるのか」

「一度決めたことを後から翻すと、二枚舌の罪で死罪になりますので……しかしそれでも、仲間を殺された怒りに溢れる目線を浴びたまま刑場を後にした仁左衛門は、このままでは命が危ないと刀のみを持って脱藩……その後はわかりませんが、もしかしたら名前が同じですからそのような悪行を繰り返して江戸にまでやってきたかもしれませぬ」

「なんとまあ、厄介そうな……」


 そして黒右衛門はやおら手を叩き、告げる。


「思い出しました! やはりその仁左衛門が使う剣術が通称『ヒモ切り』と呼ばれていたのです!」

「示現流やタイ捨流ではないのか。どのような術だ?」

「私は商人ですからあまり詳しくないのですが、こう刀の切っ先で相手の首に僅かに突き刺すと、何故か相手は目が見えなくなるという恐るべき技とか……」

「ツッコミどころが満載すぎる……首を刺せるならそのまま殺せよ。なんで状態異常技に派生しておるのだ。というか首に目の神経など通っておらん」

「いやそこはほら。私は詳しくないので何とも言えないのでして。より詳しいことでしたら、薬丸先生などがご存知かと」


 困ったような顔をしている黒右衛門であった。

 役に立つのか立たないのかわからぬ話を仕入れて、九郎は茶を飲んで帰っていった。





 *******






 屋敷の暮らし、家族関係には多少の変化があったがまたそれも日常の慣れに飲み込まれていくだろう。

 紆余曲折を経て、大変な人生を送ってきた九郎はこうして嫁ができた。

 そしてまた、彼の江戸での日常は続いていく。



 



結婚してもヒモ(最悪)

結婚したら終わりにしようかと思ってたけど何事も無かったかのように続くかもしれない

運動会はノクタ案件なのでカットするため実際そこまで日常は変わりません

微妙な変化

お八→悩みが無くなった

豊房→朝が弱くなった

夕鶴→明るくテンション高くなった

将翁→落ち着いたお姉ちゃんっぽくなった

スフィ→菩薩の心で見守る。運動会も壁の穴から見守ってる

石燕→完全体に・・・完全体になりさえすれば・・・!

サツ子→色々とお年頃で気になる


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