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38話『魅惑のハブ酒の話』




 


超沢山(わっぜかしこ)売れてます! これも九郎殿のおかげですぞ!」


 日本橋、鹿屋の店にて定例のタカリ……ではなく、世間話にやってきた九郎は嬉しそうな鹿屋黒右衛門に迎えられて、そう告げられた。

 二人の間には広口に作られた瓶が置かれている。その蓋を取って九郎に見せると、内部を白く塗られて見えやすいように作られていてその中には僅かに緑がかった液体の中にひょろ長い蛇がとぐろを巻いて沈んでいた。

 ツンと生臭さ、薬臭さと共に強い酒精が芳香に混じっていた。


「ほう、完成したのかハブ酒こと『波布銘腎(ハブメイジン)』が」

「先行投資して周りの反対も振り切り、試作を重ねてようやくできました!」


 それは薩摩藩の領内である奄美群島に生息しており長らく島民や派遣された役人を困らせている毒蛇、ハブを利用した商品であった。

 つまりはハブの焼酎漬けであるのだが、作るには中々の工夫が必要であった。

 

「九郎殿の云う通り、捕まえたハブを一月あまり水の中に放置して糞を出させてから漬け込んだのですがこれでもまだ酒が腐りましてな」

「ふむ」

「次にハブを水漬けした後、内臓ひえもんを掻き出して漬け……それでも臭いが耐え難いので、今度は蛇の尻穴じごんす付近を切り取ってやることでかなりの改善が見られました」

「試行錯誤の結果だな」


 九郎は指示を出さずとも考えを凝らして解決している黒右衛門らに感心した。

 蛇の総排泄孔付近には、いわゆる蛇臭さの元になる粘液を出す臭腺が付いている。死んだとしてもそれがある限り臭いは消えないので、予め切り取っておくのは大事なことだ。蛇を焼くなどで食べる際にも内臓と総排泄孔は捨てた方が良い。


「まあ臭いものは内臓と尻穴と相場が決まっておりますからな。それからヨモギを一緒に漬け込むことで薬効と匂い消しになりまして」

「ああ、この緑っぽい色はヨモギか」

「どくだみも試したのですがどくだみはもう完全にどくだみ味になってしまうので……」

「だろうなあ」


 九郎もどくだみ茶の味を思い出したかのように、口元を歪めた。豊房とスフィは家でも苦い茶が好きなのだが。

 

「ともあれ、作ってまず薩摩の家老殿に献上してお褒めに預かり、更に島津の殿様まで召し上げられて太鼓判が押されたのです!」

「おお、殿様にまで好評だったか。お墨付きを貰えば作るのも売るのも楽になるからのう」


 薩摩藩ばかりが特殊というわけではないが、武士の数が多く貧しい薩摩では多くの産業が武士の仕事として割り当てられている。大工や石工、花や薬草の栽培、桶作りに瓶作りなども武士の役目だ。迂闊に商人がその領域を犯したとなれば、その場で斬り殺されても文句は云えないのであった。

 しかし度々、薩摩の財政を支え外貨を手に入れる商品を作り、江戸家老からも覚えの良い鹿屋は面目躍如とばかりに名を上げていた。

 

「それはもう……今の殿様は、多少病の気に弱いので、このようなりきの入る酒となれば相当に喜ばれたようです。それに強壮で夜にも効くとなれば、大なり小なり武家のお役目は世継ぎを作ることですからな」

「うむ。何処にでも需要があるというものだ」

「実際、このハブ酒は腐らぬようにきつい焼酎を使っておりますので、薄めずに飲む最上級品『波布銘腎・竜王』などはぐいっと飲ると胃の腑から熱さがこみ上げてきて、如何にも効いてくる気になるわけです」

「今のご時世、酒は薄いものが多いから余計に効くだろう」

「ええ。特に他藩のお殿様となれば、水のような清酒を好まれる方が多いのでこの刺激的な焼酎の味わいは格段に効き目がありますとも」


 よく知られていることだが、江戸時代では多くの日本酒ではアルコール度数が低かった。

 無論、蔵元で作った時点では度数が高く、20度程もあるのだがそれを水で薄めて提供していたのである。 

 そんなことをして不味くないのかと思うかもしれないが、当時の製法で作ると味や糖度が濃く、酸味などの雑味も多かったので四倍程度に薄めて丁度よいと言われていた。

 また、酒の生産量で税が決まるので薄いのを大量に作るよりも濃いのを少量作って後で薄めた方が安かったこともある。

 庶民が飲む酒の例ではあるが、大名とて好き好んで希釈する前の原酒を飲むわけではない。なので、5度ほどのアルコール度数に慣れた口に30度はあるハブ酒を注げば、むせるような衝撃を与えるだろう。 

 劇的にきつい味とアルコールの酩酊感がより薬効があると思い込ませ、元気になるだろう。


「もう既に何件も注文が来て売れましてな。まあ藩が関わっていることなので幾らか持っていかれるのですが……それでも大儲けです」

「ちなみに幾らほどで売っているのだ?」


 純粋な九郎の疑問に、黒右衛門は目の前に置いた瓶をポンと叩いて告げた。


「この五升の酒が入った瓶で──百両」

「ひゃくっ!? た、高い値段設定したのう……」


 自分が手に入れた財宝の収入ですら、目の前の瓶10個分にしかならないとなれば、九郎も驚いた。現代で云うと800万円。一升あたり、160万円である。

 現代日本で最高級品の日本酒が一升あたり10万円と考えるととんでもない値段であった。ロマネコンティなどの希少価値が高くて非常に高価な酒もあるが、このハブ酒は生産しつつこの値段設定だ。

 ちなみに大阪あたりで作られて江戸に持ち込まれる上酒の値段が一升で250文(5000円)。これでも庶民には手が出しにくい高級品だというのに。

 黒右衛門は悪そうな顔をして云う。


「藩の方々と話し合いましてな。こういうのは非常に高い方がむしろ飲む方は効果があると思い込むものですし、初めに安く設定して後々から値段を釣り上げるよりは、最初にボってしまおうと」

「ふむ……まだ世間に出回っていない品で、特別な客にのみ売るという名目で特別価格なわけだな」

「ええ、ある程度お客様から金を絞り出してから、廉価版の薄めたものを提供しだそうかと」


 最高級品は蛇入りの瓶ごと販売で、薄めて小瓶に詰めたものを二段階ぐらいに分けて安い値段設定にして売れば良いと提案したのは九郎であった。

 それにしても上限が高い。お猪口一杯あたりでも5300円の酒というと麻薬か何かのようだった。それでもむしろ薄めて売ったほうが、トータルとしては高い売上になるだろう。


「一度買えばちまちまと飲み長持ちはしますからな。それこそ一日一口だけならば、三百日分はあります。百両も三百日で割れば、毎日少しの贅沢ですみますよ」

「あまりグビグビ飲むものでもないしのう」

「しかし作る方としては、タダ同然で手に入る蛇に地元で作った焼酎、そこらに生えているヨモギが百両に変わるので笑いが止まりませんよ」


 嬉しそうに黒右衛門は太鼓腹を叩いた。去年、久方ぶりに九郎があったときは今にも死にそうに寝込んでいたのが嘘のようである。

 丁度近年に入り薩摩で芋が栽培されるようになって、芋を原料とした焼酎が増産されつつあるので時期も良かった。


「というわけで九郎殿。記念に波布銘腎を一瓶……ああ、勿論うちの店の者にお屋敷まで運ばせますぞ」

「うむ? 己れにか? 百両もするのに」

「なあに元手は安いものですので……それにほら、九郎殿は相手をするおなごが多くてまさにこの薬酒の出番!」

「こんなもん飲まんでも充分やれるわい……しかしのう」


 九郎はいまいち気乗りしない表情で五升もあるハブ酒を見た。

 金持ちや跡継ぎ作りに励まねばならない大名などが珍重するのはとてもよく分かる。九郎が過ごした平成の世よりもずっと信心深く、民間療法や漢方医が身近だった時代だ。珍しい蛇入りの酒はそれこそ精力剤として喜ばれるだろう。

 だが九郎的には、提案したものの自分が飲みたいわけではまったくなかった。

 

(ゲテモノだしのう……そこはかとなく、昔に幼馴染から貰った脱法紅茶キノコとか脱法ハーブティーとかそういうのを彷彿とさせる、有難くない贈り物だ……)

 

 付き合いのあったヤクザの娘な同級生からのプレゼントだったが、見たことの無いキノコと異臭のするハーブを警戒して容赦なく深夜に川へと捨てたら翌日魚が大量に浮いててニュースになったことを思い出した。

 実際、知り合いからハブ酒を9リットルも渡された状況を想像してみよう。なんか嫌になること請け合いである。どう考えても9リットルは持て余す。

 しかし……と、九郎は嬉しそうに目を輝かしている黒右衛門を見る。


(露骨に嫌がって断るのも悪い気がする……)


 折角完成した新商品、大ヒットの兆しが見えている自信作を提案した九郎が嫌がるのも気が引けた。

 売っぱらうにも、鹿屋が独占販売をしている現状では下手に九郎がおおっぴらに売るわけにもいかない。

 両国あたりに持っていき、路上販売でサクラも交えて一口幾らで売りに出せば売り切る自信はあったが、現在の顧客である大名などからすれば庶民が同じものを呑んでいるということは不興を買う可能性がある。

 九郎は咳払いをして黒右衛門に告げる。


「わかった。だがそれを徳利などに小分けにしてくれぬか? 利用者の感想を集める為に、己れの知り合いに配ってくる」

「おお……さすが九郎殿。太っ腹な上に商売熱心であられる!」


 無駄に感心して褒める黒右衛門に九郎は苦笑いを返した。



 その際に一応九郎は瓶の中身を見て、他人に配るのだから毒物が紛れていないかチェックした。

 

「うむ? これは分解して溶けた毒成分か。若干体に悪いが……」


 小型のブラスレイターゼンゼで水面を突っついて採取する。


「いや、薬効成分の一種でもあるようだな。微量ならば人体に無害だから戻すか」


 スポイトで取った部分を再び戻すようにして、再び中に成分を戻した。

 その際に僅かに、ブラスレイターゼンゼで抽出したことにより、毒成分が僅かに変質したのだったが……九郎は気づかなかったのである。殆ど無害なのは一緒だったからだ。





 *******





「とりあえずは近場から……」


 と、九郎が蓋をきつく締めた徳利を二本ぶら下げて、鹿屋から向かったのは八丁堀にある同心の組屋敷である。

 配る相手はひとまず既婚者が良いだろうと思ったので、付き合いの深い同心の中山影兵衛と菅山利悟にそれぞれ渡しに来たのであった。

 先に影兵衛の屋敷へ向かうと、人相が悪いが眉をハの字にしているどこか困り顔な男が、三歳ほどの少女の手を引いてもう片方の腕に赤子を抱いて庭の朝顔などをぶらぶらと見ていた。

 すわ誘拐事件かとも思うが八丁堀の同心屋敷でそんなことが起こるはずがない。

 よくよく見れば知った顔であった。名前は知らないが、影兵衛の手下として時々付いている悪党上がりの小者であった。


「おう」

「あっ、九郎の若兄貴。どうもっす」


 九郎が手を上げて挨拶をすると、下っ端気質の染み込んだ手下はぺこりと頭を下げて応えた。

 影兵衛の手下は案外に多いのだが弱みを握られているかその凶悪な刀で脅されているかの二種類なので、九郎も手下とはいえ影兵衛と対等に口を聞いてときには殺し合いをして生き延びるので、他の者からは敬服されているのであった。


「それは影兵衛の娘二人か? どうしたのだ?」

「いや、旦那が見廻り中にちょいと家に寄るってんで……それでほら、中で嫁さんといちゃついている間の子守をっすね」

「仕事中に何をやっておるのだあやつは。渡すの止めようかな……」


 パトロール中に自宅でサボる勤務態度に呆れのため息をこぼす。息子の新助は六天流の道場だろうか。気まぐれで通う他の弟子に比べて、新助と正太郎は武士の子供なので義務教育だとばかりに毎日励んでいるようだった。

 すると、声が聞こえたのか家の縁側の戸が開けられて影兵衛が顔を出した。軽く汗ばんでいて、着物の合わせがゆるいのが何とも云えない。


「おうなんだ九郎! 来てたのか!」

「無性に帰りたくなったがのう」

「いやまあ、手前考えても見ろよ。子供三人も居て夜泣きもするのに夜中にイチャつくのも大変だろ」

「はあ……お主には渡さんでも良い気がしてきた……」


 九郎は五合徳利を揺らしながら渡すかどうか悩み、余らせても難なので仕方無さそうに影兵衛に向かって放り投げる。

 軽く受け止めて影兵衛はそれを振って中の音を聞く。


「なんだこりゃ?」

「薩摩藩の新たな特産品、毒蛇を漬け込んだ薬酒『波布銘腎』だ。きつい薬酒だから、ほんのちょっとずつ飲むと元気になるぞ」

「毒蛇? 拙者そういうの大好きだぜ! おお、なんだそりゃ! 効きそうだな! 拙者の毒蛇が元気によ!」

「ちなみに大名御用達でまだ一般販売はされておらん。それ一本で十両はするから大事に飲め」


 九郎が値段を告げると影兵衛は吹き出して、危うく徳利を取り落とすところだった。


「十両ォォ!? んっだその馬鹿高ェ酒は! 手前ッこんなの渡すとか……賄賂か? 誰か殺っちゃった? 犯人捏造してやろうか?」


 信じられないものを見るかのように、九郎と徳利に視線を行ったり来たりさせる。

 考えても見ればふらっと家にやってきた相手が突然80万円の品物をプレゼントしてきたのである。

 何か異常だと思うのも当然だろう。疑るような影兵衛の眼差しに、


(あまり値段のことは他の者に言わん方が良いか)


 と、九郎は思った。自分に要らないものだから知り合いにおすそ分けしているのだが、値段がやばすぎた。


「己れも貰ったものだから気にするでない」

「そっかぁ悪ィなあ。拙者が試してから半分ぐらい実家に持ってくかな。うちの兄貴が娘は居るんだが息子ができなくてな。新助を養子にでも欲しそうに見てやがって……」

「ま、とにかく程々にのう。では色々と配ってくるのでな」


 九郎は手を振って次の場所へと向かった。

 近所でもある利悟の家にやってきて、戸を叩くと凛とした声で返事があり開けられた。


「はい。……九郎さんですか。なにか、うちの人にご用事でしょうか」


 利悟の嫁である瑞葉だ。二十を二つ三つ越えた年齢になるが、以前と変わらず涼し気な真顔をしている。真面目で冷静沈着な印象を覚える顔つきだが、実際のところ感情の上下は大きいのだが表情に出ないだけであり、特に男の趣味が悪いのは彼女を知っている者すべてが挙げる特徴であった。

 何せ同心の中で最も気持ちが悪いとされた利悟──同じ趣味の小山内伯太郎は外面の良さで補っている──にベタ惚れして押しかけ女房になったのだから、相当な変人である。

 それに関して九郎もかなり手伝うところがあったので、瑞葉も九郎のことは仲人のように恩に感じていた。


「なに、単におすそ分けに寄っただけだ。正太郎は最近元気にしておるかのう」


 九郎が玄関に腰掛けながら世間話に尋ねると、瑞葉はどこからともなく湯呑みに入った茶を盆で差し出してきた。

 

「あれ、これいつ用意したのだ?」

「いつでもうちの人が寄っても大丈夫なように、茶を温めて待っているんです」

「……」

「まあ滅多に仕事中に寄ることは無いのですが」

「重いぞ!?」


 とりあえず九郎は用意された茶を飲んだ。やたらと夫を思いやっているが、それも滅多に叶うことはない。妻と子ができても利悟は変態の稚児趣味野郎なのだ。

 

「正太郎は今日も道場の方へ行きました。日を重ねるに連れて、男らしくなっていくと思うのは親の贔屓目でしょうか」

「いやいや、子供とはそういうものだ。子供は良いものだろう。うむ」


 子供が居ないのに訳知り顔で云うのは相手によっては非常に突っ込まれるところであったが、恩人を追い詰める言葉は瑞葉も口にしなかった。


「昨晩などは日が暮れる前に、相撲などをあの人にせがみまして」

「ほう」

「正太郎がぶつかったらあの人の折れた鎖骨に頭が入って悶絶していました」

「……いや、ジト目でこっちを見るな」


 どうやら利悟の鎖骨は近頃天中殺の時期にあるようだ。まあ、三度も折ったのは九郎だが。

 

「ところで土産だ」


 九郎は徳利を手渡す。


「ちょいと己れの提案で、薩摩で作られた薬酒でな。臭いと味はきつかろうが……元気になるぞ」

「元気というと、やはり、あの」


 真顔のまま頬に朱を差したように顔を赤くする瑞葉に、九郎も言い淀んで伝える。


「うむ。まあ、なんだ。とりあえず効果があるかどうかを調べる為でもあるから、まあ利悟にでも使ってみろ。少量ずつな」

「は、はい」


 目を逸らしながら瑞葉が受け取ったので、九郎はやや気まずくなりつつ家を後にすることにした。

 八丁堀から再び鹿屋へ向かい、また配る分の徳利を補充しに行く。


「よく考えたらエロ薬のおすそ分けをしている気がしてきた……将翁にでもやらせるべきだったか、いやあやつに持たせたら良からぬことに使いそうだ」





 *********





「よくわからんが味を評価すれば良いのだな」


 昼に来る客の流れが落ち着いている頃合いにあった緑のむじな亭に九郎はおすそ分けにやってきた。

 六科にそれを手渡し、元気になる薬酒で効果を確かめる為に配っていると云うとそうむっつりとした岩のような表情で返された。


「味。味かあ……まったくさっぱり期待できんのうお主の評価」

「そんなことはない。なぜなら……そんなことはないからだ」

「お主ら親娘のその無駄な自信がわからんが」


 お雪の方に渡すべきだっただろうかとも思うが、控えめに言って積極的な彼女に飲ませるのも心配ではあった。


「ちょっと試してみるか。まずこの普通の酒を飲んでみろ」

「うむ」


 湯呑みに店の酒を注いで六科に飲ませる。ぐっと一口でそれを飲み干して六科は短く云った。


「問題ない」

「何がだ。ではこっちの水は?」

「問題ない」


 果たして問題とはなんなのか。九郎は話をしていて哲学的な疑問に襲われそうであった。


「水で酒を割ったものを三つばかり並べたが……」

「問題ない。問題ない。問題ない」

「いや割った比率とか……」

「右のものは二十一匁半(80.625g)の水に十六匁九分(63.375g)の酒が加えられている」

「計量器でも付いておるのかお主は」

「……合ってなかったか?」

「そこまで正確に把握して混ぜておらんわ」


 適当に混ぜて出しただけであり、そもそも六科に水で薄めた酒が濃いか薄いかを判別させるためのテストであった。

 濃度は無駄にきっちりと判別できるらしいが、結局感想らしい感想は無い。基本的に味が濃いものが好きだと思われる六科だが、以前に間違えて菜種油を注いだ湯呑みを飲み干しても気にしていなかった。燃料にしたのかもしれない。

 しかしながら九郎の言葉の何処に自信を得たのか、六科は迷いのない顔で云う。


「俺の正確さが証明できたようだな」

「うーむ……」

「では早速これを確かめよう」

 

 六科は徳利の蓋を開けて、一気にそれを口の中に流し込んだ。


「うわ馬鹿それはちょびちょびと──」


 九郎が止めようとするが、重力加速度に等しい速度で徳利の中の液体は天井を仰ぎながら口を開けている六科の体内に入る。

 五合なので約900ミリリットル。喉を鳴らして嚥下するのを、飯を食っていた客と娘のお風が不安そうに見ていた。

 値段のことを言わないようにしたが、十両の液体が数秒で消えてなくなる。

 こん、と六科は徳利を机の上に置いた。


「お、おい。大丈夫か? それは濃いものなのだが……」

「問題ない」


 無機質な言葉が帰ってくる。不安そうに、店の奥からお雪が「六科様?」と呼びかけた。

 それに応えるように言葉は繰り返される。


「問題ない。問題ない。もんだいいいいいいいい問題問題問題問題問題なななななななななな」

「いかん!? 六科が壊れた!」


 頭ががくがくと上下に震え、目が激流を泳ぐようにあちこちに動いていた。

 両手の指が規則正しく一本ずつ閉じたり開いたりを繰り返している。肩が突然脱臼したかのように落ち込み、直後に六科が石化したのと等しく直立不動に動きを止めた。

 お風が突然の父がバグりだしたことに恐怖し、泣き出している。


「いけない! 六科様の体から変な音がしてますよう!」

「警報か!? それとも、歯車か!?」

「心臓とか色々!」

「モン──ダイ──ナイ──」

「六科ー!」


 妻と子を安心させる為の防衛機構なのか、そう口にして六科は仰向けにばったりと倒れてしまった。

 急性アルコール中毒である。江戸の庶民は普段薄い酒しか飲まないので、強い酒に対するように体が作られていない。

 そこに三十度以上もある焼酎を五合一気飲みすれば、こうもなるというものだ。


「六科様あああ!! お雪と子供を残して死なないで!!」

「ええい待て! とにかく座敷に運ぶ! 衣服を緩めて、横向きに寝かせる! 意識を失ったら吐瀉などで喉が詰まる可能性があるから、お雪は落ち着いてゆっくり話しかけておれ! 動けるようになったら少しずつ水を飲ませろ!」

「六科様。六科様。どうか死なないでくださいませ……!」


 九郎が担いで二階の座敷に六科を連れていく。奥には赤子も居て生活用品が並び、色々と狭いからだった。六科ら親子はいつも寝るときに片付けなければ横になるスペースも無い。

 お雪がよろよろとしながら二人についてきた。九郎は六科を横に寝かせて布団を上から掛ける。体温を失うと危険になる場合がある。

 その横で涙目になったお雪が静かに話しかけている。

 六科の意識は完全に失っているわけではなさそうで、酔っ払っているのか要領を得ない単語をぶつぶつと繰り返していた。


「問題発生。解決手順検索。失敗。行動不能。思考領域清浄化中……」

「こやつ、本当にロボではないよな……」


 六科の言葉は単に体に命令を与える際に、より強く意識して体を動かそうとする気合のようなものであった。

 実際のところ、彼は蕎麦を打つのに無言でやると酷い出来だが正しい手順を口にしながらだとそれなりに正しく実行できる。普通の人でも声に出しながら作業をすれば効率が良いということもある、それに似たものであった。

 とりあえず九郎は店から客を出して閉店し、不安そうにしているお風とまだ小さな赤子のお鈴を裏長屋に住む女に頼んで預けた。今のお雪が面倒を見れる状態では無さそうだったからだ。

 普段から盲人であるお雪の子供の世話を手伝っている女達は快く引き受け、九郎が再び六科のところに戻ると回復が早いのか無言で少しずつ六科は水を飲ませて貰っているところだった。

 

「と、とりあえず……六科の体格であるし、早く意識が戻ったから軽度で暫く休めば治ると思うが……」

「……」

「へ、変なものを飲ませて悪かったのう。いや、もうホント……」


 お雪の無言の抗議で九郎は背中に汗をびっしょり掻いていた。

 九郎の方に顔を向けもせずに、お雪の後頭部から強いオーラを感じるようだった。


(いや、説明が不足していたのも悪かったとは思うがそもそも一気飲みするか、フツー!? 大体一口飲めばキツイ酒だというのはわかるし、普通の者ならすぐに吐き出すだろうに五合全部飲み干したのは六科の判断が悪いだろう!)


 と、言い訳したかったが、すごく怖かったので止めた。

 暫く六科が水を飲む小さな音が部屋を支配していたが、ややあって六科は苦しげに声を出した。


「……問題ない」

「六科様?」

「大丈夫だ。これしきで死ぬ俺では……むう、体温上昇……」

「お熱が……」

「お雪は……冷やっこいから……こっちに」

「六科様、雪が冷やして──あら」

「あっ」


 お雪が六科の体にしがみつくのと同時に、六科の体にある異変に気づいた。

 九郎も傍から見ていて察した。

 後ずさって部屋から九郎は出ていこうとする。


「あーえー……お主らの娘達、向こうでちょっと夜まで預かって貰うように言っておくから」


 そう告げてピシャリと戸を閉めた。二階で色々と良かった。

 どうやら六科は大丈夫のようだ。多分お雪の機嫌もそのうち治るだろう。お風には、寝込んでいるからそっとしておくように、そして心配はしないように伝えねばならない。

 しかし──


「六科をバグらせるほどの即効性効果がある、と。大量摂取には注意が必要だのう」


 そんなことを記憶に留めながら、次の場所へ持っていくのであった。





 ********


 


 

 百川子興に対して九郎がやった親代わりのことなど、祝言の席で父役をやった程度のものである。

 しかしながら両親を亡くしていて、父親は九郎にちょっと似ている浮気性クズだったという彼女の思い出からも、祝言のときから何処と無く九郎と子興は実の父娘というほどではないが、義理の父と義理の娘程度の距離感にあった。

 とはいえ……


(娘の嫁ぎ先にエロ薬を持っていくのもどうなんだろう)

「どうしたの九郎お父さん」

「いや、なんでもない」


 六天流の道場にやってきた九郎は、裏手にある住居に上がって茶などを貰いながらそんなことを考えていた。

 道場の方では晃之介が、同心の息子二人相手に稽古を付けている。まだ幼いので本格的な体力・筋力作りではなく体幹のバランスや心を鍛える訓練である。

 今日は濡らした薄紙の上を破らないように移動する体重移動の方法などをやっているようだ。


「まあとにかく、これは元気が出る薬酒だ。晃之介が疲れてるときにでも飲ませてやれ」

「わあ、小生も飲んでいい?」

「構わぬが、とにかく濃いから様子を見て水で割って飲むこと。あと飲みすぎないこと」

「はいはい」

「それと妊娠中だったりしたら飲酒はしないように……ああ、なんかこう、身重になって手が足りないとかなったら不安だから相談しろよ。夕鶴なりサツ子なりを手伝いにこさせるから」

「心配性だなあ九郎お父さんは」

「前のときは他所に行っていて何も手伝ってやれんかったからのう」

「九郎お父さんが居なくても、豊房師匠とか、歌麿ちゃんとかいい子だから自発的に手伝いに来てくれるよー」


 今では子興も絵の仕事は控えめだが、石燕の遺言状により二代目石燕となった豊房を師匠とするようになっていた。同じく、歌麿も豊房の弟子という立場である。

 もりもりと幼い頃のお房に絵の腕を追い越されていき危機感を覚えていたこともあったが、敬愛していた師匠の遺言には彼女も素直に従っている。


「っていうか九郎お父さんの方も、お豊師匠をちゃんと大事にしてお嫁さんにしなさいよね」

「ううっ。いやまあ、石燕のやつはまだ幼いし……同年代の男の子も結構居るし……そのうちちゃんと他所の男と恋をするかもしれん」


 ちらりと、烏骨鶏を枕に昼寝している長喜丸を見た。大分に懐いているようで、白い毛玉も静かに丸まって温かさを伝えている。

 ここに居る長喜丸と晃之介の新たな弟子二人などは、肉体年齢四歳の石燕と年も近いのであるが……

 子興が仕方ないとばかりにため息をついて、九郎の目をじっと見た。

 その目の奥にどこか青い色が灯っているように見えて──彼女の前世であるイリシアの面影が見えた気がして──九郎は息を飲んだ。


「九郎お父さんはさ……自分の幸せより誰かの幸せを優先するよね」


 心に深い何かが、じわりと染み込むような気がした。

 

「……だけどお父さんが幸せにしたがっている誰かも、きっとお父さんのことを幸せにしたいと願っていることがあるよ。だから自分とじゃあ幸せになれないなんて、卑下した言い訳で離れたりしないでね」

「子興……」


 見透かされたようなことを云う娘に、九郎はバツが悪くなったように目を伏せた。

 茶が、もう冷たくなっている。九郎はそれを飲み干して、もう一度子興の目を見て告げた。




「いやそういうことではなく、単純に嫁が複数というのは相当頭がおかしくなりそうだぞ、未来を想像すると。とてつもない面倒が待ち受けている。アミダで代表を決めてくれないかなあやつら」

「最低かっ!?」




 夫婦ツッコミ用に用意された普通ハリセンで九郎は頭をスパンと叩かれつつ、そう言えばアダマンハリセンはイリシアが作ったのだようなあと懐かしいことを思い出していた。

 なお勿論茶化す為に言ったのであって、主人公がそのような最低な考えをしているわけではないはずだ。






 ********* 






「きひひひひひおンもしろそうなもん持ってきてくれたな、九郎の兄ちゃんよ! よし今晩飲もうぜあなたーン♥」

「おい止せその悪ノリ。用法用量を守り適切に使え」


 外桜田にある山田浅右衛門の屋敷にも持っていったのだが、説明を程々に強壮効果が期待される毒蛇酒というだけでお七が感づいて面白そうに取り上げた。

 嫌な予感はしていたので頭を抱える九郎。

 そんな彼に、浅右衛門はひらひらと手を振りながら仏のような緩い笑みを浮かべて礼を云う。


「やは。なんだかよくわからないけど、ありがとうね九郎氏」

「ううむ、お主がそう蛋白そうだから持ってきたのだが」


 ひょろりとした体格はそのままだが、お七と祝言を挙げてから何処と無く顔色は良くなっている気がする。

 

「お七はちゃんと家事をやっておるか?」

「うん。うちの年寄りの従者が拗ねるぐらい、一人で沢山やってくれてるよ」


 嫁入りした不良娘の様子が気になっていた──何せずっと前は窃盗やら恐喝やら傷害やらをしていたのだから──のであるが、浅右衛門はとても助かってると云う。


「ほう……花嫁修業なんぞしてたのか、お主」

「あたしが師父んところに居候してた時、新婚ホヤホヤな時期があったろ。そん時に子興のねーちゃんに習った」

「無駄に姑ごっこでいじめていなかったか」

「あのねーちゃんからかうと楽しいし」

「それは否定せんが」


 九郎は浅右衛門に向き直り、


「ともあれ、単なる滋養の薬としても服用するがよい。お主も仕事の忙しさで体を壊さぬようにな」

「うん。ありがと」


 当時江戸では、案外に酒は十秒チャージ栄養ドリンク的な意味合いで昼から引っ掛けるものが多かったと言われている。

 確かに糖分を多く含み、アルコールで体を熱くするのだから栄養ドリンクと云えなくもない。江戸っ子が喧嘩っ早かったのは昼間っからほろ酔いな者ばかりだったからという説もあるほどだ。

 浅右衛門の仕事も、首切り代行・死体の運搬、腑分け・刀の試し切り、鑑定・道場の視察などと非常に多忙である。嫁でも居なければ生活が疎かになるのも仕方なかっただろう。


「そうだなあ貰うばっかりじゃ悪いけど……あ、そうだ」

 

 浅右衛門は思い出したように立ち上がって、戸棚を漁り上紙で包んだ何かを持ってきた。

 広げると黒っぽい、ぼろぼろとした粉が中に包まっていて僅かに生臭い。


「うちで作った薬で良ければ代わりに。よく売れてるから多分効果はあると思うけど」

「いや待てお主それの材料」

「人の肝だけど」

「いらん」


 江戸で浅右衛門が大金持ちになれる程度に出回っている薬とはいえ、九郎は顔をしかめて断るのであった。





 ********





 微妙に分けるか悩んだのだが、とりあえず仲間はずれにしても後々面倒なので九郎は千駄ヶ谷にある甚八丸の屋敷にもハブ酒を持っていくことにした。

 日頃から無駄にハッスルマッスルしている甚八丸に元気が良くなる薬などまったく不要に思える。だがまあ、一応は色々と関わり合いが深い男ではあった。

 ちなみに近所には靂も居るが、さすがに少年少女共同生活の場に提供するわけにはいかないと決めていた。


「んで、よう」


 相変わらずこの寒いのに赤褌に覆面姿な甚八丸は、全身の筋肉を蠢かせながら叫ぶ。


「なああんで俺様じゃなくて、俺様の嫁に渡しちゃうわけ!? そんな面白いやらし道具をさあ!」

「悪用せぬようだ」

「ふひぃ──! この俺様がいったい? どんな風に? 悪用するってんだよう!」

「怪しすぎるだろ」

「蛇がァ──!」


 酒に漬け込まれていたハブを押し付けて甚八丸の尻肉に噛みつかせた。

 ついでにハブ酒で一番グロいハブもここの家に押し付けてやろうと思って持ってきたのだが、甚八丸の嫁にハブだけは受取拒否されたのであった。

 尻にくっきりと歯が食い込み血が滲んだ痕がついた甚八丸は尻肉をつまみながら九郎の手に持ったハブの死体を指差す。


「お、おい、おめぇそれ大丈夫なのかよ! 牙付いたままじゃねえか!」

「うむ? ああ、そう言えば」


 完全に死んでいるのだが、大口を開けているそこには鋭利な毒牙がなお残っている。

 九郎が指で摘んで毒牙を引っ張ったり押したりしてみると、先端の毒腺からぴゅっぴゅっと汁が放出された。


「おおおおおい! 毒飛んでるじゃあねえか! 毒残ってるじゃあねえか!」

「なあに酒に漬けて無毒化してるから大丈夫だろう……多分」

「多分って言った!?」

「嫁に頼んでハブ酒でも飲めば治るだろう」

「治るって言った!? やっぱりもう毒に掛かってるの俺様!? うおおおい嫁ぇええ! 俺のケツを吸ってくれー! そして酒を飲ませてくれー!」


 慌てて尻を押さえながら屋敷に走っていくが、要求が最悪なので手裏剣が飛んできているのが見えた。

 

「……まあ良いか」


 ハブ毒は酒に漬け込むことで無毒化する……らしいが取り扱いには細心の注意が必要である。

 何せどれぐらいの期間漬け込めば完全に毒が消えるかは詳しくわかっていない上に、去年から作り出した割りと即席ハブ酒なのだ。

 それでもあの走り回っている様子ならば毒は入っていないだろうと思いつつ、九郎は帰ろうとした。


「ハブどうするかのう……ってうむ?」


 手持ち無沙汰にハブを掴んだままだったのだが、視線に気づくと青白い肌をして固い髪の毛が角のようになっている少女、茨が九郎をじっと見ていることに気づいた。

 甚八丸の屋敷は地主であるし、同居している小唄の実家でもある。また、靂の家の畑で取れた作物を物々交換するためにもよく通っているらしいが。

 

「……?」


 九郎がハブを動かすと、茨の視線もそれを追う。


「欲しいのか?」

「ん゛」

「どうするのだ? ……ひょっとして食うのか?」

「うま゛」

「変わっておるのう……」


 頷く茨に九郎は首を傾げた。どうやらこのハブが食いたいようである。

 野性味のある食生活というか、茨は蛇や獣の肉が割りと好みなのであった。晃之介が狩猟した肉を靂が貰って持ち帰れば、一番食べるのは茨である。それ以外にも畑で見つけたマムシなども叩いて取り、焼いて食べたりしている。

 

「ほれ。頭を取って、よう焼いて食うのだぞ」

「……あ゛りがとう」

「気にするな。蛇の供養にもなる」


 そこらに放り捨てるよりも、食べてくれる人が居るならそのほうが良いだろうということで九郎は茨に蛇を渡すのであった。

 嬉しそうにハブを持ち帰る茨を見送り、九郎はそろそろ暗くなる空を見上げながら呟いた。


「さてと、配ったが結構余ったのう……仕方ないから持って帰るか。気に入ったやつがまた欲しがるかもしれんし」

  





 *********





「ゲテモノだわ。だってゲテモノだもの」


 神楽坂の屋敷に持ち帰ったハブ酒を紹介したら、豊房は微妙に引きながらそう言った。


「お主も酒好きなのに」

「お酒は普通ので充分だわ。だってほら、あれよ。九郎が昔、わたしを連れて行って飲んでた雲丹酒とか狂気の沙汰だわ。試したら翌朝まで口が雲丹っぽかったもの」

「あれは酒というかつまみのようなものだしのう。あれを飲みながら別の酒を飲むもので」


 雲丹酒はウニの身と塩を湯呑みに入れて熱燗で溶いたソリッドな味の変わり酒である。ウニスープなどが好きならば合うが、人を選ぶ。

 豊房は酒を飲むとはいえまだ十五、十六の娘なので、あまり変なものは拒否感が強い。


「ハブ酒とはいいじゃないか! 私は飲むよ!」

「石燕は駄目な。小さいから」

「なぬー!」


 薄めに薄めたアルコール一度ぐらいの酒ならまだしも、こんな蒸留酒を幼女が飲んだら大変なことになる。


「ははーんヘビ酒ならこの前飲んだでありますよ! 九郎君! また二人で飲むでありますか!?」

「夕鶴は座っておれ。お主は酔うと面倒くさい」

「酷いであります!」


 夕鶴に飲ませると以前に非常にべたべたと絡んで来たことが思い出されたので釘を差した。

 サツ子は薩摩人で少女なので、最初から飲む気は無いようだ。少年少女が酒などにうつつを抜かすなどとんでもないのである。


「私も普通の酒派かのー? クローがどうしてもというなら飲みゅのじゃが」

「どうしても飲ませようなどとは考えてもおらぬよ。ただの在庫だ」

「あたしは一口頂きましょうかね。酒に漬け込む薬草の助言など、できるかもしれませんので」

「うーむ……」


 将翁が物欲しそうに酒盃を差し出した。確かに、改善できる部分があるならば一番薬に詳しい将翁に確かめてもらうのが良いだろう。

 多少彼女の体温が上がるかもしれないが、何をしていなくても頭の中がピンクな狐だ。然程変わらない。


「ついでにお八姉さん。出番よ」

「あ、あたしかよ!?」

「だって晃之介さんのところで変な生き物よく食べてるじゃない。この前はなんだったかしら。沢に落ちた子供の悪霊が這いずってるみたいな形の生き物」

「大山椒魚だよ! 旨いんだぜ!?」

「晃之介のやつ、何を狩猟してきておるのだ……」

「というわけでお八姉さんも一口試したらどうかしら。お酒に弱くても一口なら平気なはずよ。だって弱いなんてのは慣れてないだけだもの。ちょっとずつお酒に体を慣らしていくことで飲めるようになるの」

「フサ子がアルハラ上司のようなことを言い出しておる……」


 妹分に言われたからか、渋々とお八は豊房に手渡された酒盃を九郎の方に持ってきた。


「無理して飲むようなものでも無いぞ」

「物は試しだぜ。大体、あたしだって飲めないより飲めたほうが楽しいはずなのはわかってんだ」

「むう」


 仕方なく九郎は瓶から柄杓で酒を掬い、酒盃に移してお八に渡してやった。

 皆の注目が集まる中、蒸留酒とハブとヨモギの強い臭いが揮発している酒をお八は凝視して、喉を鳴らした。

 そして目を閉じて、一気に盃の中身を口に流し込んだ。


「うっぐ」


 強い刺激と生臭さで吐き気がこみ上げるが、少量の酒は粘膜に染み込んで溶けるようにあっという間に口の中から消える。

 涙が目に浮かぶ。耳が熱くなり、唾液を何度も飲み込んで口の中の違和感を拭おうとした。


「お、おい。ハチ子、大丈夫か?」


 九郎が屈んで心配げにお八の背中を撫でながら話掛けるが、返ってきたのは──


「あはは」


 笑いであった。堪えきれないとばかりに、顔を赤らめたお八が口元を隠して笑いの吐息を漏らし続ける。


「ふふっくくく九郎あはは、なんだこれ、気持ち悪いのになんか気持ちよくなってきたぞぷふふっ」

「あー……お主笑い上戸でもあったよな」

「うへへ、くーろう、一緒に寝ようぜー。今日のお八ちゃんは体がぽかぽかしてるから温めてやるぜー」

「わかったわかった……ちょっと寝かしつけてくる」


 酩酊しているお八を九郎が寝床に肩を貸して連れて行き──暫くして。

 焦った叫び声が響いた。


「誰かー! 己れの催眠術用の銅銭持ってきてくれー!!」

「あははーくろうのこれあったまってきたぜー♥」

「急いでー!」


 襲われかけた九郎であったが、どうにか細長くて物を吊るす道具で結んだ銅銭を目の前で揺らして幻惑させるという方法でお八を寝かすのであった。

 まさに媚薬のような強力な効果に九郎は恐れおののいた。ハブパワー恐るべしである。

 だが実のところ、九郎が最初にハブ酒をチェックした際にブラスレイターゼンゼから混ざり込んだ成分が複雑に作用して、酔って助平になる薬効が発生している限定仕様であった。

 


「危険すぎるだろうこのハブ酒……」

「いっそ全員で飲んだらどうでしょうかね」

「面白そうだからというだけで提案するな。まったく。配った先で問題になっていなければ良いが……」



 なお、九郎が配ったところはちゃんとした夫婦関係にあるところであり。

 そうなれば多少薬の効果でお色気酔いしたところで、まったく問題はないのであったが。

 まさに責任問題になれば気まずい細くて長いあれのみに厳しい酒である。









 *******





 余談。



 酒で濡れたハブを綺麗に水で洗う。内臓も取ってあるので内側を扱くようにして丁寧に。

 頭を落とし、皮を剥ぐ。酒を吸い込んでいたせいか、ややふやけて切れやすくなっているが、全体的には剥きやすい。

 串に体をくねらせるようにして突き刺し、身に山椒味噌を薄く塗る。

 囲炉裏の火であぶられるところに置いてたっぷり四半刻(三十分)は焼く。蛇はよく焼くのが良い。臭みも熱で分解されるし、生の場合寄生虫も確実に退治できる。

 茨は九郎に貰ったハブをじっくりと調理して夕食後に齧っていた。囲炉裏の側で炭火の明かりを使い本を読んでいる靂が、熱々の蛇にかぶりついて嬉しそうにしている彼女を見ながら云う。


「茨は蛇が好きだなあ……」

「ん゛……?」

「いや、僕は要らないよ。茨が食べるといい」


 歯を立てて弾力のある身を齧る。旨い。表面で焦げている山椒味噌の味わいも良いが、身まで焼酎が染み込んでいるのでそれが旨味成分を与えていて噛んでいると甘みが感じられた。

 茨は夢中で食べながら、靂の長い話をどこか遠くに聞いていた。


「蛇というのは古来、長虫と呼ばれていてね。これは天竺の蛇族『なあが』が日本に伝わった際にそう呼ぶようになったと言われている。一方で虹も同じく長虫と呼ぶ地方が存在する。薩摩などもそうだね。虹が蛇の一種だと見立てられていたのだろう。虹色の蛇なんて見たことがないって? ちなみに虹は何色あるか数えたことがあるかい? 阿蘭陀人の話では、南蛮で今最も有名な学者の一人『にゅうとん』という人物が七色と同定したらしい。だが仏教的な考え方では虹は白と黒の二食に染まることがある。国が滅びる前兆といわれているがその白黒の虹こそが天竺のなあがに見立てられたのではないかと僕は……茨?」


 話の途中で茨は蛇串から手を離して、靂の腕を掴んでいた。

 その顔は上気して赤く、静かな囲炉裏に茨の心臓の音がどくどくと聞こえてくるようだった。

 

「い、茨……うわっ!? 凄い力だ!?」


 腕を引っ張られて靂は床に押し倒され仰向けになり、茨に馬乗りにされた。

 がっしりと掴まれたままの腕は岩に挟まれたかのように動かない。もう片方の手で外そうともがいたが、指を引っ掛けられて茨の片腕で靂の両腕は拘束され、彼の頭上に押さえつけられていた。


(何か僕したっけ!?)


 突然のことに靂は混乱しつつ、茨の様子を見る。目が涙ぐんでいて、呼吸が荒い。靂に触れている手や腰などからは熱を感じた。

 有り体に言って酔っているのだが、まさか酒が染み込んだ蛇をしっかり焼いて食っただけで酔っ払うとは靂も想像できない。


「はー……ふー……」

「そ、その……どうしたんだい、茨。正気じゃなさそうだけれど……んぐっ!?」


 茨は靂と無理やり口づけをした。彼を押さえていて手も外し、覆いかぶさるようにして靂に抱きついて口の中に舌を入れる。

 靂は大混乱である。朴念仁とはいえそういう行為を知らないわけではない。困惑。興奮。そして罪悪感が渦巻きとにかく混乱していた。

 体の上にある茨を押しのけようと、隙間に手を入れて押し返すがむしろ胸の柔らかみに手を触れてしまい大いに靂は後悔した。

 口の中が歯茎の裏まで茨の舌で舐められる。口元がお互いの涎でべとべとであった。

 靂の自制心が消し飛びそうになりつつ、明らかに茨が正気ではないのと、妹みたいな家族同然存在に欲情しかける自分に嫌悪感を覚えてなんとか堪えた。

 更に事態が悪くなる。茨の手が色々と反応しないのは無理だった靂の股ぐらを探り出した。

 一刻の猶予も無い。靂はふと、以前に九郎と練習した催眠術のことを思い出した。いつ必要になるかわからないというので、袖の内側に銅銭を縫い付けておいたのだ。

 それをどうにか剥ぎ取って、口づけをする茨の顔の横へ持っていき揺らした。

 もう片方の手で茨の目の前に人差し指を向ける形を作る。


(あっち向いて──)


 一瞬、その指先に茨の意識が集中したのを感じた。


(──ほい!)


 子供の頃から遊んでいる、金がなくとも暇つぶしになる[あっち向いてホイ]の動き。

 正気を失くしている茨でも反射的に首を動かし──靂の思うがままに揺れている銅銭へと視線を向けた。


「眠れ。起きたら忘れている」


 意識の間隙をつくようにそう呟くと、くたりと茨の体から力が抜けて彼女は落ち着いた寝息を立て始めた。

 どうにか助かった、と靂は口元を拭った。


「なんというか、まともじゃなかったな……一体どうしたんだろう。というか、お遊と小唄に見られなくて良かった」


 小唄は今日は実家で何かトラブルが起きたらしくそちらへ行っており、お遊は生来から早寝の習慣だ。農民は夜中まで読書などしている暇はないのである。

 そう、お遊はこの時間もう寝ているから大丈夫──と、靂は視線をやって固まった。

 勿論そこにはお遊の姿など無いが。


「あの襖……最初から開いていたっけ……」


 囲炉裏のある部屋とを遮っている襖がほんの少し、覗き見るには充分な程度に隙間があるのは。

 ちょっとした恐怖であると靂は思うのであった。


靂「いったい何だったんだ……まあ、とにかく茨を布団に入れて僕も寝るか。おっと、蛇串の食べ残しが……捨てるのも勿体無いから僕が食べるか」

もっしゃもっしゃ

靂「原因これかよ!(元気」


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