32話『黄金の価値は/仇討ちの進展の話』
宝探しに出かけた九郎一行は、見事黄金の壺を手に入れて江戸への帰路についた……
中山道を戻る最初は意気揚々としていたのだが、幾つかの関を抜けるに連れて皆は疑心暗鬼のような心境になりつつある。
つまりは、黄金の壺などというあからさまに高級品は他人に見つかった際に非常に目を引き、惑わす可能性があるのだ。
何とも知れない旅人一行がそんな物品を持っているのを関所の役人が見つけたら確実に止めるだろう。下手をすれば大事になるかもしれない。
幾つかの関は、黄金の壺を布で巻きつけて泥を塗りつけて偽装し作りが荒いぼろ壺だと思わせて通ったのであるが。
それはそれとして、旅人が壺を持っていたら一応役人も気になるだろう。旅に持ち出すような道具ではない。
壺の大きさは幅一尺一寸(約33cm)、高さ一尺四寸(約42cm)とそれほど大きくは無いのだが、何せ金製なので非常に重たい。役人が手に取って調べようとすればぎょっとすることは間違いないだろう。
(役人に見つかったらまずい……)
と、三人の意見は一致してそのうちに壺を持った九郎が姿を消して関所を無断通過したりするようになったのである。
さて、一度他人の目を気にすれば持ち帰る江戸でも対処に困ることになる。
黄金の壺なんてものを見せびらかせば盗賊と役人に目を付けられることは火を見るより明らかであった。
できれば見せるものは最低限にしておきたい、と三人は考える。それは彼らの家族に対しても同じである。同居している皆を信用はしているが、何処で話が漏れるかわからないのである。
盗賊が襲ってきても返り討ちにする自信は、靂以外の二人にはあるものの、自分らが居ない間に盗賊に襲われでもしたら目も当てられない。
なので早々と現金化するために、江戸に帰るなり靂を遣いに出して極秘裏に江戸に居る在野の忍びらの頭領──つまり裏社会の住人で、それなりに信頼が置ける甚八丸に話を持ち込むことにするのであった。
朝も早くから千駄ヶ谷にある根津屋敷の離れにある、甚八丸の個人的な小屋に来るように伝えられて一同はそこへ向かった。その小屋ならば、彼の部下である他の忍びも決して近づかないように予め言い含めていて機密性の高い場所である。主に甚八丸の趣味の春画などが保管されているためだ。
「おめえさん達、こいつはアレだな」
甚八丸は神妙に黄金の壺を見て、持ち上げたり軽く噛んだりして材質を確かめた後に顔を顰めて告げた。
「……面倒なもんを見つけたなあ」
「や、やはりそう思うか?」
運びながら薄々気づいていたことではあるが、九郎は呻いて他の二人と顔を見合わせる。
「見たところ、かなり純度の高い金みてぇだが……ちょいと待ってろ。重さを測ってみる」
甚八丸はそう告げると部屋の片隅にあった大きな秤の片側に黄金の壺を載せて、もう片方に満杯の水瓶を載せてみた。
水の量を調整して釣り合うようにし、甚八丸は声を上げる。
「17貫2斤(約65キログラム)ってとこか……とんでもねえな」
「その大きさでその重さだと、やはり全部金で出来ているのかのう」
甚八丸は重々しく頷く。
九郎らも金メッキにしては重すぎるとは思っていたがどの程度金が含有しているかは不明であったのだ。何せ九郎や靂の体重より重たい。こんなものを担いで真っ暗な地下水脈を泳いだ晃之介が異常に思えた。
「こりゃあ、カネに替えるのが大変だぞおい」
「そうなのか?」
晃之介が難しそうな顔で問い返す。
「単純に計算してみろ。この黄金を全部小判に打ち直したとしたら、ざっと考えて3600枚ぐらいは小判が出来上がる計算だ」
「3600……」
「いや、普通小判ってのは金だけじゃなくて銀も含むから、もっと行くだろうな。で、まず普通に考えてお前らに3600両をポンと渡して買ってくれる相手が居ると思うか? 俺様ァ無理だぞ」
「むう……確かに」
3600両というと、一両8万円で計算した場合2億8800万円にもなる。金の価値だけでそれほども値が張るのである。65キログラムの金塊というものは。
そんなものをすぐさま用意できるのは余程の豪商か大名か。そして、表立ってそういう者に売りつければ面倒が舞い込むのは目に見えている。
黄金の壺を持っていたという噂は、もっと他にも持っているのではないかと探られれば碌なことにならない。
骨董などの宝とは比べ物にならないぐらい、黄金は人を惑わすのである。
「俺様の知り合いに回すにもなあ……極秘裏にカネに替えてくれそうなやつは居ることは居るんだが、一気にそれだけの額はキツいだろ」
「その者はどんな風にカネにするのだ?」
「気にすんなぁい」
甚八丸は説明するつもりはないとばかりに手を振った。
彼が知る、黄金を金銭に替える手段を持つ相手というのはそのものズバリ、偽金作りの一党であった。
その者達ならば単純に鋳溶かした金を、一分金の形に固めてそれこそ3600両以上の金を生み出すであろう。まさに打ってつけの相手ではある。
しかしそれはカタギの者に説明して、余計な犯罪の片棒を担がせるものではない。彼らは単に換金したいだけなのである。
「色々と、お金にするのは大変なんですね……」
「お宝もこうして現実的になると問題が多いな」
靂と晃之介がため息混じりに告げる。
「ううむ、とにかく甚八丸よ。どうにか換金できぬか?」
「まあ……時間を掛ければどうにかできるかもしれねえが」
「大雑把に、己れら三人に千両ずつぐらいは金が回るかのう?」
「それぐらいは処理に金を使っても余裕だろうよ」
偽金というものは市場に出回る金と同じ量だけ使って作るのでは儲けにならない。必ず倍以上には膨れ上がるはずなのだ。黄金は高く売れるだろう。
九郎は仲間の二人を見回して、
「では己れらの取り分はわかりやすく千両で、残りの金は両替の手間賃として甚八丸にくれてやる……というあたりでどうだろうか」
「まあ……相当面倒で、俺らには金に替えられそうに無いからな」
「千両あれば当面執筆に専念できそうですから、僕も問題はありません」
「いや待て待て待て待て」
甚八丸が頭を押さえながら三人を呼び止めた。
こいつら正気か?といった雰囲気で彼は云う。
「お前らな、確かに両替には手間が掛かるがぽんと大金を与えすぎだろ俺様に」
換金する方法を選べば、甚八丸の残金は千両以上にもなり得る。
冒険にも参加していないのに持ち込まれただけでそれだけ貰うというのは、忍び頭領にとっても罪悪感が沸くものであった。
渋る甚八丸を九郎が説き伏せる。
「金勘定は面倒が一番厄介だしのう。それに己れらは千両あれば生活に問題は無いわけだが、お主は地主なのだから金があれば使いみちがあるだろう。でかい鶏舎でも作ると卵が沢山取れて良いぞ」
「むう……こいつら欲がないというか、いやまあ黄金相手には下手に欲をこいたら泥沼なんだが……」
甚八丸は自分も欲を出さないように自制しつつ、咳払いする。
九郎が彼をある程度信頼しているのも、地主であり屋敷を持っていて部下と嫁と子供まで居る甚八丸ならば実質持ち逃げする心配が無いということもある。
「とにかく、下手なところに持ち込んでも危ねえのは確かだから引き受けた。だがすぐに千両ずつ渡すのは無理だから、その黄金の壺は暫く安全に保管しておけ」
「安全に、か」
「誰にも触れられないようにな。とにかくこういうのは、厳重に保管するのが逆に周りに対する信頼だと思うことだ」
「とりあえず九郎に任せるか」
「そうですね」
「むう」
とのことなので、九郎は色々考えて精水符で作った水で黄金の壺を包み、氷結符で凍らせてこの小屋に置いておくことにした。
氷はガッチリと土間の地面に食い込み、元々の重さもあってとても持ち運びは出来なくしている。
更に常に氷結符の魔力が発動されていることにより、
「試しに水を掛けてみよ」
と、九郎に言われて靂が測りに使った水瓶から柄杓で水を氷塊に掛けてみると、水は滴り落ちること無く瞬時に凍りついて氷柱のようになった。
「けしからぬ輩が持ち去ろうとしても、触れたら凍る仕掛けをしておいた。これで大丈夫だろう」
「むう……これはまさか!」
それを見た甚八丸が突然もぞもぞと褌を緩め、取り出した泌尿器を向けてその機能を発揮させてみた。
擬音で云うとジョボボボ系である。
必然、
「おお! 俺様のお小水が凍りついて芸術作品みたく……!」
「ぶっ殺すぞお主」
「ぐあああああ!! 氷が尿道にまで達したァァァ!!!」
「馬鹿かお主」
小便がひと繋がりのアーチになり甚八丸の泌尿器まで凍らせんと迫り、慌てて彼は離れた。尿道に氷柱を突っ込まれた甚八丸の泌尿器は哀れに縮こまっている。
「これ溶かすとき嫌だのう……」
後に不安を残しつつ。
こうして、黄金の壺はひとまず後払いで各々千両箱の儲けという形で決着が付くのであった。
甚八丸は微妙に忌々しそうに靂の頭を掴んで揺らした。
「……大金が転がり込んできたからって調子に乗るなよ。甲斐性ってのはな、実際に働いて得た収入で家族を養うことを云うんだぜ」
「は、はあ……」
「棚から落ちてきたぼた餅なんざさっさと食っちまうに限る。つーわけでテメエはこの金で高い布とか簪でも買ってきてうちの娘に渡しとけ。いいな」
「小唄に? ああ、そうですね……お遊と茨にも良いものを渡しておきます」
「キェー!! ウッホウッホ!!」
「なんで急にサル語になって暴れるんですか!?」
自分の娘が嫁ぎそうな相手の、女を侍らかしっぷりに野生が目覚めるほど拒否感を覚える甚八丸であった。
********
すっかり江戸の街は年の瀬を思わせる雰囲気になっており、あちこちの家にしめ縄などの正月飾りが付けられ、或いは歳の市で購入したのを持ち帰る姿が見られた。
師走の忙しい時期に宝探しという夢を追いかける系の旅に出ていたことから、一気に現実に引き戻される気分を味わいつつ九郎は屋敷に戻る。
屋敷の玄関先にはスフィが居て、鼻歌を歌いながら箒で落ち葉を払っていた。元々白い肌をしているので、寒さで赤くなっている頬や鼻先がよく目立つが本人はとても元気そうに掃除をしている。何かその姿を見ると九郎も懐かしいような、ほっとした気持ちになる。
「ただいま」
「おお、おかえりクロー。長旅じゃったのー」
スフィが顔を上げて九郎を見て、暫く瞑目して何やら頷いた。
そして近づいてきて彼の背中を軽く叩いてやる。
「……気落ちするでないぞ? 本当の宝というのは無事健康で過ごせる日々というものじゃからのー」
「失敗しておらんわ! 慰めるな!」
同情的なスフィの言葉に九郎は言い返した。もう五十年以上も前、九郎がペナルカンドから地球に戻る方法を探す旅に出ては何も成果が出ずに帰ってくると、そうやって慰められたのを覚えている。
「ちゃんとお宝は手に入れてきたわい。家に持ち帰ると問題が起こるかもしれんから他所に置いているのだが」
「問題とな?」
「黄金の塊なのだが、おっさんの小便が付着しておるのだ」
「大問題じゃな! えんがちょじゃ!」
顔を歪めて嫌そうにするスフィである。誰だって嫌だろう。黄金の価値を下げる三大原因の一つがおっさんの小便と云われているほどである。ちなみに他の二つは放射能とマンサ・ムーサだ
「んー、まあとにかく皆に顔を見せてやるのじゃよ。特に豊房が心配しておってなあ」
「そうなのか」
「毎日『まだかしら』『遅いわね』ってぼやいておったぞ」
「むう……」
「旅に出た翌日から」
「それは心配性すぎるであろう」
予め告げた日程は正確ではないが、年内には必ず戻るとは伝えていたのであるが。
四年ぶりに帰ってきた九郎がまた旅に出たので気が気ではなかったのだろう。晃之介や靂を連れて行ったとはいえ。
彼女が心配しすぎるもので、スフィやお八などはむしろ豊房に楽観的な慰めを言い続ける羽目になり逆にそれほど心配せずに済んだ。
そもそも魔物が跋扈するダンジョンを攻略していた九郎が、ちょっとした宝探しに出る程度で危ない目に合うとはスフィは思っていないし、お八の方も尊敬する師匠が一緒なので城一つ落としてくると告げても安心して見送ったのである。
「昨晩あたりから九郎分が不足してきたとかボヤキだしての。皆も頷いておった」
「九郎分ってなんだ。なんの成分だ」
「こうやって補充するのじゃが」
スフィが正面から抱きついてきて、ぐりぐりと額を九郎の胸に押し付けた。
犬猫のようだと九郎は思いながらもされるがままに受ける。
「むふー」
「……なんというかスフィ。お主って昔から思っておったが、年甲斐が無いよな。見た目相応というか」
「言っちゃならんことを! いつになったら覚醒するのじゃ! 私のボイン遺伝子は!」
と、玄関先で言い合っていると寒風が吹き荒ぶのでひとまず九郎とスフィは屋敷の中に入ることにした。
屋敷に入るとふりかけの行商姿に着替えている夕鶴とサツ子が丁度外出しようと玄関に来ていたところであった。
背の高い彼女は腰をかがめて九郎と視線を合わせる。
「やや! これは九郎君! 帰ってきたでありますか」
「うむ。ちゃんとお宝は見つけたからな。一応」
「ほうそれは朗報でありますな! よしまずは九郎君分を補給であります!」
云うが早いか夕鶴が九郎を抱き上げるようにして密着する。
いくら背が高いとはいえ女性に持ち上げられるのは九郎としても微妙な気分になったのでばたばたと暴れた。
「これ! なんだお主、そういうことしたことないのに急にするでない!」
「いやー、昨晩に九郎君分について色々と皆で意見を交わしていたので自分も流行に乗らねばと」
「乗らんでいい乗らんで」
「それはそうと九郎君! こっちも大事であります!」
九郎を下ろして夕鶴がびしりと敬礼のような仕草をしながら真面目に告げてきた。
「どうやら右兵君の調査により、仇の玉木右内は江戸に居るらしいことが判明したのであります!」
「ほう……突き止めたか」
「ふりかけを売りながら自分も探すでありますが、江戸で見つけた場合自分も仇討ちに参加するかもしれないので、その時は九郎君にも助太刀を願うであります!」
「うむ。だが一人で先走るでないぞ。見つけた場合は必ず己れに教えるのだぞ」
夕鶴の弟、杉太助の助太刀として仇討ちについてきている杉右兵はかなりしっかり者で剣術も使うようだが、幼い太助に女の夕鶴が仇討ちの場に出るのは、道理として必要ではあるが危険でもあった。
相手も助太刀として何人か連れてこないとも限らないのだ。様子を見て、九郎も参戦した方が安全である。
「了解であります!」
「それじゃあ気をつけてな。サツ子も」
「……」
「うん? どうした」
サツ子は何か耐えるような表情をしつつ、九郎の前で手をわきわきと動かしていた。
そして数秒して、がくりと肩を落とし項垂れる。若干顔を赤らめて押さえた。
「お、おいには補給は恥ずかしか……」
「いや真似せんでいいから」
「そうじゃそうじゃ。それに補給行為は巨乳厳禁じゃ。イヤらしいからのー」
「まったくでありますな!」
「お主ら……」
この屋敷、七人の女が居てそのうち五人の胸が大きいとは言えないという勢力図になっている。
年齢で言えば女子中学生程度のサツ子に負ける五人が微妙に物悲しくもあるが。
サツ子は思い直したように拳を握り、顔を上げて力強く頷いた。
「代わりに旦那さァが帰ってきた祝いに、腕を奮ってあまかもんでも作っど。材料買ってくっ」
「そうか。皆も喜ぶから沢山作ってくれ。ほら、材料費をやるから余ったら小遣いにせよ」
と、二分(四万円)ほどサツ子に渡した。旅費の残りである。旅の間は野宿が多かったので結構余ったのだ。
何せ甘いものというならば高価な砂糖をそれなりに買わねばならない上に、人数も多いので金が掛かる。だがまあ、今後手に入る千両を思えば贅沢も良いだろうと九郎は思っていた。
外へ出ていった二人を見送っていると、玄関近くの居間から「九郎くん! 戻ってきたのなら早く来てくれたまえ!」と石燕の声がした。
そちらへ向かうと、居間にある九郎が作らせた特注のちゃぶ台にて真っ直ぐな黒髪の少女が突っ伏していた。
その隣に幼女石燕が難しそうな顔をしている。
「で、このフサ子はどうしたのだ?」
「九郎くんが玄関先に帰ってきたことを察知してそわそわしていたのだが中々入ってこないし玄関でイチャイチャしているしで、何か拗ねてしまったのだ」
「子供か」
「拗ねて無いわよ。九郎分が不足して動きたくないだけよ」
完全に拗ねた声で豊房は云う。九郎はどうしたものかと見下ろしていると、彼女は自分の隣を叩いて座るように促した。
気まずそうに九郎が豊房の隣に座ると、彼女はずるずるともたれ掛かるようにして九郎の太ももに頭を置き、膝枕の形になった。
「九郎。お帰り」
「……ただいま」
「落ち着くわ。だって落ち着くもの。九郎、頭を撫でていいわよ」
「そうか……石燕」
わしゃわしゃと膝の豊房ではなく、隣に立っている石燕の頭を撫で回した。
「なんで!? 九郎くんそんな流れじゃなかったよね! ほ、ほら房が凄い顔で私を睨んでいるではないか!」
「先生は許さないわ。先生は許さないの」
「怖い!」
「冗談だ。まったく、お主もまだまだ子供だのう」
甘えてくる豊房に九郎は仕方無さそうなため息をついた。
居なくなって寂しがるのも、くっついて甘えたがるのも、独占欲を見せるのも──
つまりは彼女が少女ということが原因で、可愛いものだと完全に娘を見る気持ちであった。
「うー……」
不満げに呻く豊房だったが、九郎の腹方向へ顔を向けて顔を押し付けた。
「まあいいわ。今は九郎分補給よ。だって大事だもの」
「変なもんを流行らせんで欲しいのだが……ところでハチ子は?」
「お八姉さんなら長屋にお餅を突きに行ったわ。毎年お父さんとか歌麿とかとやってるのよね。こっちに持って帰って来させるから、いっぱい突いてくるって言ってたの」
「モチか……もうそろそろ正月だのう。石燕は食うなよ」
モチを喉に詰まらせることに定評のある石燕に釘を刺した。
「うーん、モチが原因で死んだのはとても良く理解しているし忘れたわけではないのだが、食べたい……」
「懲りろ」
「いやむしろ一回経験したからこそ大丈夫だとは思わないかね? というかこれから長い私の人生、一度もモチを食べられないというのはなんとも辛い……」
「……わかった。せめて己れか将翁が居る近くで食べろ。詰まっても取り出してやるから」
「うん!」
凄く嬉しそうな石燕の笑顔を見ると、どうしても強く止めろとは言い難くなる九郎であった。
トラウマになっていてもおかしくはないのだがそれすらも凌駕するモチの魅力であるようだ。
何せ現代日本でも毎年百人以上が1月にモチ死にしているにも関わらず、当然のように売られ食べられているのだ。死ぬかもしれない程度では止められない何かが日本人のDNAに刻まれているのかもしれない。
「呼ばれて飛び出まして────」
平坦な声を出しながら奥の間から狐面の美女、阿部将翁が出てきた。
彼女はちゃぶ台で膝枕を堪能している豊房の後ろ姿を見るなりぎょっとした様子で目を見開き、やや遠巻きにしながらすり足で九郎の側に近づいてきた。
訝しげに彼女を見る皆の視線を気にせずに、顔を近づけて九郎に頭を預けている豊房をじっと観察した。葉っぱを潰したような薬の匂いが僅かに香る。
そして、顔を離して汗を拭うような仕草をしながらホッと安堵の息を吐く。
「ふう……驚いた」
「何がだ?」
「白昼堂々、豊房殿が九郎殿の股間に顔を突っ込みナニを咥えているのかと思いまして」
「思わんだろこの助平狐!」
立ち上がれないので取り出したアダマンハリセンでペシャリと助平な勘違いをした将翁の横っ面を叩いた。
彼女はめげずに真顔で続ける。
「しかもそれを少女二人に見せつけているのでどういった趣向なのかと混乱してしまい……」
「アホか!」
「あたしも加えてくれないものかと……咥えるだけに?」
「色々最低だな! ああもうこの教育に悪い雌狐は。見ろ三人が直接的なシモネタに困っているだろう!」
スフィは目を逸らして「いやまあ、猥歌とかあるし私は150越えておるし?」と誰かに言い訳をしており、石燕は「日本霊異記にもお釈迦様の例え話で我が子の魔羅を吸う母親が前世からの業に捕らわれているという話が云々」と解説を誰にも聞かれていないのに、独り言のように始めていた。
一方で豊房は僅かに身を震わしながら、耳まで赤くなっている。
小声でぼそぼそと自問自答のようなことを繰り返す。
「ひょ、ひょっとしてわたしって凄く端ないことを無自覚にしていたのかしら。そ、そんなつもりは全然無かったのに……」
まずい、と彼女は自分の中で思った。
膝枕をさせた九郎の腹に顔を押し当てるのは絶好の甘え体勢として自分の中で評価していたのに。
ナニを咥えているように見えたなどと云われれば、今後それをする度にどうしてもその行為が脳裏をよぎるだろう。
そう意識すると今後自発的にこの膝枕お腹フンガフンガがとてもできなくなってしまう。
「ちなみに」
九郎から非難の目を受けた将翁は頷き、恥ずかしさで動けなくなっている豊房をどうにかするために彼女の耳元に口を寄せて、艶美な声音を直に染み込ませるようにして囁いた。
「九郎殿のは咥えると……ごにょごにょ……」
「──~~ッッッ!?」
熱暴走を起こして豊房回路は機能停止に陥った。
「不健全な妄想を垂れ流すな!」
快音を上げて九郎の振るったハリセンがセクハラ将翁を張り倒すのであった。
とりあえず熱を出した豊房を奥の寝室にて布団に寝かせておいた。
正座した将翁は悪びれた様子は無くいつもの真顔で、向かい合って座る九郎に云う。
「こう……少女をからかうのって面白いじゃありませんか。純粋で。悪いことを教えたくもなる」
「悪趣味な楽しみを見出すな」
「ところで最近この屋敷では、九郎殿分とやらが補給しても良いということになったとか」
「お主がその流行に乗っかると生々しいだろうが!」
「一回だけだから! 一回だけだから!」
「キャラが壊れるぐらい必死になるな!」
咳払いして将翁は態度を普段に戻した。
「ところで飛騨で物の怪には会いましたか?」
「ああ、白狸だか銀角だか知らんが呼びかけてくる声があってな。うっかり返事をしたものだから気を失ってしまった。晃之介がおらなんだら危ないところであった」
「気をつけてとあれだけ注意したものを……三人居たから良かったのですが、一人だけなら神隠しでしたぜ」
「うむ……それに、己れは見ておらぬが宿儺というのか? 手が四本あって武器を持った怪物も襲い掛かってきたらしい」
「さもありなん。飛騨では土蜘蛛と宿儺の伝承が混ざって存在していますからそう云う物の怪も出るでしょう」
そして手に入れた黄金の壺の話を振ると彼女は興味深げだったが、換金に関しては、
「あたしらでも難しい。密貿易で南蛮なり清なりに売りつけるぐらいでしょうが、それだと手に入るのは抜け荷になりますしね」
「そうか……」
やはり自由に金の売買ができる世の中でなければ、突然一般人が手に入れた黄金の塊は非常に換金しにくい代物であるようだ。
他に金回りが良さそうな薩摩藩の鹿屋黒右衛門に持ちかけるという手もあるが、薩摩藩が関わったら碌なことにならなそうである。何せ幕末には三百万両以上も偽金を作りまくっていたのが薩摩藩だ。変に関わるべきではない。
「おーっす! モチ作ってきたぜー! お? 九郎帰ってたのか!」
元気よく屋敷に入ってきたのはお八である。彼女は木箱いっぱいに、手のひらに乗るぐらいにちぎって纏めたモチを詰めて長屋から持ってきたようである。
そしてちゃぶ台にモチ箱を置いて九郎に近づいてくる。
「うー寒寒。九郎に温めて貰うぜ」
そう言いながらあぐらを掻いている九郎の足の間に座って背中をくっつけた。
「むう……」
「ちっさいときこうやって座ってたよなー。怪談とかすると怖くてさ」
「そうだのう。大きくなってもやってくるとは思っていなかったが……」
「ところで九郎お宝は?」
「おっさんの小便がついた壺でな」
「凄く嫌だなそれ!?」
あまり有難くない宝を見つけたという噂は流れそうな説明であった。
そして自然と九郎の膝に座って許されているお八を将翁は若干恨みがましそうに見るのであった。
********
「うまい」
昼八ツ半(午後三時)ぐらいになり、食材を買って帰ってきたサツ子の作った菓子を口にして屋敷の皆は一様に舌鼓を打った。
菓子の形状は焼き豆腐に似ているが切り分けた断面はふわふわとしており、口の中でほろりと溶ける滑らかな柔らかさと甘みがあった。
特に甘いものに目がない豊房とスフィなどあまりの旨さに目元を潤ませている。
「薩摩の料理、『こが焼き』じゃ」
サツ子が料理名を告げて、九郎は記憶にある味から材料を推察した。
「ほほう……これはあれだのう。魚のすり身を使っておるやつ」
「うそ。だって甘くてふわふわだもの。お魚なんて使ってるはず無いわ」
「使っちょる」
肯定するサツ子に豊房は驚いてじっとこが焼きを眺めた。
「魚ンすり身と、水を切った豆腐を混ぜ合わせてずんばい砂糖を入れて、卵と酒で練って焼いたものじゃ」
「味的には伊達巻みたいなものだのう」
「長崎には『カステラかまぼこ』というものがあるがそれにも似ているね」
長崎に行ったことのある石燕がむしゃむしゃと頬張りながらそう告げた。
材料に豆腐を加えるので伊達巻よりも色は白っぽく、また柔らかく仕上がっているのが特徴な薩摩の郷土料理であった。
江戸でもカステラを出している店はあるものの、安くで売っているものは砂糖の量を減らしているのでなんとも度し難い味をしていた。それに安いといっても庶民からすれば充分に高い。
なのでカステラのようなもの、と云っても豪快に砂糖を大量に入れて作ったこの甘味は脳を幸福にさせるような麻薬めいた味であった。
幸せそうに豊房が云う。
「まあいいわ。美味しいもの。うふふ」
「そうじゃのー。うみゃーみゃ」
喜び合う豊房とスフィの表情には周囲を和ませる力がある。
「甘いもの大好きだのう」
「豊房に砂糖壺を渡したら駄目だぜ。どこぞの落語に出てくる坊主みたいに舐め尽くすから」
「食ったら歯を磨くようにな。虫歯は危ないぞ」
「はぁーい」
嬉しそうに食べる中で、夕鶴は一切れ残していて欲と自制心が揺れ動きながらそれを見ていた。
「ううっ……弟にも食べさせてやりたいであります! でもよだれが止まらないであります……!」
弟の為に一切れ残しているが甘いケーキの魅力には抗いがたそうであった。
ふと気づいたように石燕が彼女に問いかけた。
「そう言えば夕鶴くん」
「なんでありますか? 石燕さん」
「江戸の市中に仇が居ると弟さんらが報告しに来て、今は彼らも市中を探索しているのだよね?」
「そのようでありますな」
「それなら弟くんと連れもこの屋敷を拠点にしても良いのに、わざわざ何処かに宿を取っているのかね」
「あー……自分も提案したのでありますが、断られた理由は二つであります」
夕鶴は指を立てて説明する。
「一つは右兵君、許嫁が居るのに女所帯に泊まりこむのは遠慮したいとのことでありますな。軽薄に見えて案外固い男であります」
「まあ……例えばこの屋敷で誰かに色目を使った場合、許嫁の姉である夕鶴くんに即見つかるからねえ」
「それともう一つ。細長くて縛るアレの暮らしっぷりは幼い太助には悪影響がありそうとのことであります」
「己れも教育に悪い扱いされておるのか!?」
愕然とする九郎であった。
実際のところ関係者からすれば、九郎が幼い少年に影響を与えた結果というものが既にある。
幼馴染三人に養われかけている引きこもり文学少年の靂だ。いや、別段九郎が関わらなくともそういう人間関係は出来上がっていただろうが、周囲の目は九郎の影響で立派な細長いアレになりつつあると思われているのであった。
「むう……納得いかん。ああそれとサツ子。こが焼きをまた作って幾つか箱にでも詰めておいてくれ。これだけ旨いのだ。太助だけではなく、お雪や晃之介、靂のところにも分けてやろう」
「よか」
「というかこんだけ旨ければ売れるだろうにな。鹿屋にも話を持ちかけてみるか」
更に伊達巻がまだ認知されていないことを良いことに、焼き目をつけて巻き簾で巻いたバリエーション商品[薩巻き]を考案。
正月に食べる縁起の良い食べ物として売り出し、正月といえば薩巻きを食べるという流行を数年後に起こすのであったが、それはまた別の話。
********
「逃がすな!!」
「囲い込んで、殺せッ!」
闇夜に刀を持った襲撃者が三名。いずれも殺気立っていて、取り囲んだ一人に向けて油断なく構えていた。構えはバラバラであったが、いずれも剣先がぶれることはない。既に人を殺したことのある者が持つ落ち着きを感じさせた。
一人の方は舌打ちをして刀を抜き、八相に構えながらも逃げ道を探す。まだ年若い青年であるようだが、囲まれていることに怯えてはおらず解決策を模索しているようだ。
「うへぇ」
うんざりしたような声が囲まれている方から出された。
囲んでいる相手は玉木右内の関係者だろう。より正確に言えば、江戸にある[辰心流]と看板を上げている道場とは名ばかりのごろつき浪人がたむろしている場所に居た者らだ。
江戸で仇である右内の情報を探っていた右兵はついにその道場に右内が居ることを突き止め、藩邸に正式に仇討ちを行う報告を太助と共にしたのであった。
ただし、時期が悪かった。
見つけた日は年の瀬。そして正月松の内の間に、仇討ちとはいえ血を流すのは避けてもらいたいと通達されたのである。
ただし右内には仇討ちの申し入れをしてから見張りを付けることで、必ず仇討ち自体は行うという約束もなされた。行う日は1月の8日、早朝である。
それまで待つことになっていたのだが、どうやら右内が金でもばら撒いたのか存外に道場仲間が友情に熱かったのか……右兵は夜道にて襲撃を受けたのであった。
仇討ちを行うのはあくまで太助と夕鶴。その助太刀である右兵ならば事前に殺害していても仇討ちの勝負は実行されるし、そうなれば女子供相手なので返り討ちも容易いと思っての行動であった。
「死ね!」
突き出される刀を右兵が弾いて凌ぐ。金属同士が鈍くぶつかり合う音が夜闇に響いた。
続く浪人の刀が大きく円弧を描いて頭に振り下ろされる。
軌道は読みやすいが充分に力が込められた一撃である。刀を横に、受け止めて逸らそうとしたがお互いの刀がぶつかりあった瞬間、相手のなまくら刀は半ばで折れて、運悪く右兵の右肩の付け根に刺さった。
「ぐうう……!」
握力が無くなりそうな食い込んだ刃の痛みに顔を顰める。
「へへへ」
負傷を悟った浪人が笑いながら距離を詰める。
刀が折れた浪人も残骸は投げ捨て、新たな刀を抜いていた。
一人がその新たな刀を構えた男に畏怖の念を込めて讃えた。
「相変わらずえげつないぜ、お前の技は」
(技?)
と、右兵が疑問に思う間もなく再びその、刀を折った男が切りかかる。
先ほどと変わらず剣の軌道はわかりやすいが──受け止める前に右兵は背筋が粟立つ感覚に襲われたが、防御姿勢を変える暇は無かった。
再び刀の一撃を受けると──予め壊れやすくしているのか、刀は再び折れ飛んで、右兵の脇腹に浅く突き刺さった。
相手は驚きもせずに、余裕の笑みを浮かべている。
「これ、は……!?」
「俺の秘剣──蛇古尾弍流星剣は折れた刀や木剣の破片を相手にぶつける技だ。受け止めたのが間違いだったな」
今だ。
右兵は躊躇わなかった。刀を折ってなお自慢げにしている目の前の浪人を容赦なく袈裟懸けに斬り、刀を振り下ろした体勢のまま肩から体当たりをして跳ね飛ばした。
哀れ秘剣の使い手は悲鳴も上げずに惨殺されたのである。武器を失ったのに下がらなかった方が悪い。
刀が飛んでこないようにだろうか。左右の二人はある程度離れていたので反応が遅れた。
右兵はそのまま包囲を抜けて走り去っていく。肩の傷が酷く痛み、脇腹からぐっしょりと血が溢れてくるが、その場を逃げ出すことに成功した。
「死んで、たまるかよ……!」
しかしこの傷で仇討ちの助太刀として戦えるのだろうか。わからない。
ひとまず彼は息も絶え絶えになりながら、江戸で唯一知っている医者が居る場所──神楽坂の屋敷へと傷を押さえて向かうのであった。
次回で夕鶴の仇討ちイベント完了
それでは皆さん良いお年を




